2010年09月03日

刺繍みやげ物店店長就任ー函館柴山さん来訪

快晴


午前6時半起床。起きられない。

午前7時朝食。ブンボー(フエ名物)と生野菜


午前7時45分ベトナム事務所へ。

ベトナム事務所では、既に皆さんが仕事に就いていた。

忙しく仕事をしているバオミン・JASSベトナム運営委員長

着実に会計や奨学金・里親・各地の会からの要望などを
処理しているハンJASSベトナム事務所財政部長。
ハンさんに任せておけば、お金のことも仕事も安心できる。



ベトナム事務所はスタディーツアーラッシュの真っ只中に
ある。皆さん、相当の超過勤務。土日もなく仕事をしている。
ベトナム事務所員の団結と和気藹々とした職場の雰囲気が
何とかベトナム事務所員の重労働を支えている。


JASS函館の会から依頼されている絵画展の作品を
郵送する。JASS函館の絵画展の成功を祈る。

1巾着 バッグ 3個
2.ペンケース 8個
3.ポシェット 7個
4.プレスレット 20個
5.コーヒー(500Gr) 3袋
6.蓮茶(100GR) 5袋
7.絵の作品 70点
8.絵手紙 20点
9.ザル絵 10点



「アクセサリー研修センター」の在庫品をブレラに報告
在庫の糸を「はかり」できちんと計り報告する。
ベトナム事務所の日本人全員が立ち会う。
20グラムの糸束は、5つまとめてはかり100グラムで
あることを再度確認。
バオミンさん・ソン君・古竹さんなどの几帳面な態度に
感心する。大体どの程度の残品があればよいのかを
報告するのであるが、几帳面にしっかりと測っていた。

午前8時過ぎ元JASS刺繍みやげ物店の先生だったロアンさん
をベトナム事務所に呼び、話し合う。
この間、何度となくロアンさんと話し合い、「もう一度
刺繍みやげ物店の先生をして欲しい」と三顧の礼を尽くす。
(実際は、3回ベトナム事務所にお呼びしたのだが・・・)
ロアン先生はいくつかの理由でJASS刺繍みやげ物店を
退職してしまった。
この間、種々の退職事情を聞き、一つ一つ「解きほぐす」
話し合いを根気良く行ってきた。今日、最終的な合意に達した。


私の方からJASS刺繍みやげ物店のシステムの大変更を
行うことにしたことを告げる。

①JASS刺繍みやげ物店に店長(責任者)を置く。
  ロアン先生になってもらう。
②今まで勤務時間が適当なところがあったので、今後は
  午前8時~11、午後2時から5時までとし、子育てなどで
  朝遅れる場合はロアン店長に連絡了解をとり、遅れた時間は
  午前勤務・午後勤務の後半につける。
③ロアンさんに連絡をしないで勝手に欠勤した場合は
 「賃金カット」を行う。
④「フェリシモ」とみやげ物店の刺繍と仕事が増えたので
 以前みやげ物店で働いていて結婚し退職したMさん・Lさん
  などに声をかけ復職してもらう。
⑤今後、年次有給休暇制度、ボーバス制度を導入事を検討
  している。

趣旨としては、勤務の厳正化・待遇の改善。

ロアン先生からは、自分としては今までの種々の問題も
氷解し納得した。刺繍みやげ物店の店長として頑張って
仕事をしたい。

ーーー
直ぐその足で、「子どもの家」へ。
刺繍みやげ物店の3人(一人は産休中)を呼び、
今日の話を伝え、3人からも要望意見を聞く。

ロアン先生の店長(責任者)就任を了解し、一緒に頑張るとの
話。

これで「フェリシモ」の仕事とJASS刺繍みやげ物店の仕事の
両立が出きるようになった。各地の会で必要な刺繍製品は
ベトナム事務所へご一報を。

「子どもの家」ではセン運営委員長が風邪でダウン。
異常な今年の天候不順のせい。私も何度もダウン寸前まで
行ったが、良薬(ビール)が高度の治療薬として機能している。


午前10時半、ベトナム事務所へ。

静大留学生の各種申請書のチェック。原田先生・古竹先生。


帯広の芳村さんが主催している「暖炉基金」のドゥック君。
芳村さんが「大学まで行きたい障害児に奨学金を」との
発案で始まった。既に数人の障害のあるこどもたちが
フエ農業大・フエ看護大などを卒業し、病院などへ就職
している。
ドゥック君は両手の指に障害があり物がもてない。


しかし、前向きな性格で、今年9月からフエ省立「ザーホイ高校」
へ入学した。将来は、コンピュータ関係の仕事をしたいと言っている。
「暖炉基金」もこどもたちに「お金や物を上げるのではなく、
人間を育て、自分で仕事をして自立」することを目指している。

フエ在住17年。色々な所から色々な「声」を聞くが、最終的には
「口ばかりの人間」は信用していない。芳村さんのように実際に
10年近く、障害児に奨学金を上げ、自立させている。行動である。
海外支援・国際協力は「仏壇前で祈って」いても何も解決しない。
東京の会の内田さんは、毎年末のクリスマス会15回、夏の
バーベキュー大会(柳澤・高橋・景山さん)も10年ほど、
海や温泉・滝などへこどもたち
を連れて行く活動を15年近く毎年続けてくれている。
「言うは易し、行なうは難し」。これは海外ボランティアの鉄則である。
日本で評論家のように「あれはよくない、これは良い」などと
私を評論する人もいるが、何か自分で出きる身近なことを行動
すべきである。私は家庭の状況などが許されるので、ベトナムに来て
生活困難なこどもたちや障害児などを支援させてもらっている。
有難いことである。リー君を筆頭にフエでこうした活動をさせてもらって
いるとことに心から感謝している。
私の従兄弟の長島弘道氏は、毎年フエ高等師範大学に40万円
の奨学金を寄贈している。2年前には、こどもたちの部屋を住みやすい
ようにして欲しいと100万円の寄付をし、こどもたちの部屋1階と2階の
総改築をした。「京滋YOUの会」では、「子どもの家」の食堂の
壁と窓、蛍光灯などの改築を寄贈してくれた。
火炎樹の会(JASS茨城の会)の大沢典子さんは、日本料理店
の箸袋を毎回きれいな和紙で折り紙にし送ってきてくれている。
「お金を出せば良いというものではない」と反論する向きもあるが、
『具体的な行動』なくしてボランティア活動は存在しない。
JASS観光、「フェリシモ」、日本料理店、静大現地事務所、
ブライセンベトナム支店などは、現地での活動を財政的に
強化するための切羽詰った具体的な活動である。
私は他者の批判を受け付けないなどと狭量の人間ではないと
思っているが、自分は何もしないで評論家のように「人の批判
だけしている人間」には強い違和感を感じる。
およそボランティアとは縁遠い。


午前11時半、昼食。

私の大好きな「チャオ・バイン・カイン」(小麦粉の手打ちうどん)

フエ人が大好きな「激辛の唐辛子」と生野菜。



午後3時、ベトナム事務所へ。日本料理店ではリー君が
真面目に日本料理店の掃除をしていた。
まめに体を動かして仕事をするところは偉い。

彼女との関係に「暗雲」が立ち込めているかすかな雰囲気を
感じる。



フエ大学に交換留学生来た「JASS函館の会」の柴山さん。
半年間の留学中、日本語学校を手伝ってくることになった。
これであるフエへ来る土井さんを入れると6人の日本人が
ベトナム事務所などで活動することになる。ありがたいことである。


「国際ソロプチミスト帯広・みどり」のグエンフエ高校生への奨学金
リストをFAXで送る。

午後5時半。日本料理店で夕食。しばらく休んでいたヒエウさんも
復帰。


午後9時まで13人の来客あり。

明日、静岡大学の土井さんがベトナム事務所員として
1年間来訪する。土井さんの自転車を購入。
古竹先生が自転車の具合をチェック。

午後9時過ぎ、宿舎へ戻る。

午後7時20分、地球の歩き方5班(22人)がフエ空港着。
ミンさん、ソン君が出迎え。

長い長い1日が終わる。

投稿者 koyama : 12:42 | コメント (0)

2010年09月02日

ベトナム65回目の「独立記念日」

快晴午後小雨。


午前4時に目覚める。

午前9時まで読書。「泥の河・蛍川」(宮本輝:新潮文庫)読了。

村上春樹の本を読んでいると頭がフワフワして来る。

宮本輝は私と同年齢ということもあり、ほぼ私の幼年期体験
と一致している。

宮本輝は父親の事業の失敗で「大阪・愛媛・富山」と引っ越している。

「泥の河」は昭和30年(1955年)の大阪の川筋の貧困街を
舞台にしている。船上生活者(同時に船上売春)の姉弟と
主人公の交流。貧しさの中にもしっかりとして人間の
存在と矜持を持った生き方をしている時代風景が描かれている。
落ち着いて読むことが出きる。貧しくても「金・金・金」と下品な
生き方をしない1955年の頃の日本人の家庭をしっかりと
描いている。

「蛍川」も富山県の田舎を舞台にした、やはり貧しく複雑な
家庭の中3男子と父親その後妻の微妙な心理。
この家庭も父親が事実上の倒産・破産をしている家庭。
昔は大きく事業をしていたのだが・・・・。

宮本は第1作の「泥の河」で太宰治賞を受賞。
翌年書いた2作目の「蛍川」で芥川賞を受賞。

蛍川も泥の河も淡々と書かれているが、当時の生活困窮者へ
の温かいまなざしを感ずる。

古本屋で100円で買った。文学が商業出版となると
内容とは全く関係なく、本はただ同然となってしまう。
古本屋で100円で買った「泥の河」「蛍川」は、何十倍もの
価値がある。本とは不思議なものである。内容の素晴らしさと
値段とは相関関係にない。

7月に日本へ帰り本屋へ行った。旅行先でも必ず駅前の
本屋に寄る。

池上彰の本ばかりがうずたかく積まれていた。
NHK子どもニュースだったか?のお父さん役だった人。
急に民放にで出て「ブレイク」。アナウンサーなので
特別専門の知識内容を持っている訳ではない。

この人、本を書くネタがもうなくなるのではと思うほど
本を書いているが・・・・。一時の流行だけ、売れればよい
との本業界の実態が本屋を巡ると垣間見える。

午前10時半、ブランチ。昨日の残りの「春雨麺」。
生のもやしを入れて食べる。


メール受信。送信。

おだやかな「国慶節」休日である。

読書「若き実力者」(沢木耕太郎著:文春文庫)
これも古本屋で100円で買った本。1973年発行。
確かに活字が小さい。


沢木耕太郎も私と同年齢。

1970年代を「疾走する12人の若者」を追うドキュメント。

ゴルフの尾崎将司、演劇の唐十郎、政治家河野洋平、
日大全共闘議長・秋田明大、作家・畑正憲、将棋・中原誠、
イラストレーター・黒田征太郎(「子どもの家」に来た)、
映画・山田洋次、ヨット・堀江謙一、歌舞伎・市川海老蔵
指揮者・小沢征爾。あとがき 井上陽水。

部屋の掃除、洗濯、布団干し。

午後1時過ぎ「午睡」。

その後、ゴルファーの「ジャンボ尾崎」と「唐十郎」を
読む。尾崎はほぼ私と同年齢。唐は5歳ほど上。
まだ20代の著者が20代の尾崎と30になるかならない
かの唐十郎の人生を書く。

尾崎は西鉄ライオンズに期待されて入団するが、野球賭博で
球界永久追放された「池永」の好成績の影で沈没。

数年でゴルフに転じる。大きな人生の進路変更・賭けである。


唐は、父親が教育映画関係の仕事していた関係で
子役で映画に出ていたが、あまり才能を出さなかった。
父親が医者になることを希望していて、東邦医科大付属
高校に入学するも振るわず、明大演劇科に入学。
真面目な学生だったようだ。学生運動に没頭。


午後雨が降ってくる。


静大現地説明会についての日程・分担等を再確認する。
当面のスタディーツアーを確認。分担等。

午後5時半、フエ缶ビールを飲む。


午後7時半、読書「「若き実力者」(沢木耕太郎著:文春文庫)

今日は一歩も外に出なかった。

夕食は冷凍しておいた「チャオ・バイン・カイン」を解凍して
食べる。


投稿者 koyama : 11:35 | コメント (0)

2010年09月01日

静大現地説明会の打ち合わせ:日本料理店

晴天 午後雨。

午前6時起床。

午前7時朝食。フォー(米麺)



たっぷりな生野菜

フエの空は既に「秋模様」。本当に今年は異常気象。
寒さと雨季が1ヶ月半ほど早まったように気がする。


午前8時半、床屋へ。忙しくて1ヶ月半、床屋へいけなかった。
150円。

ベトナム事務所でバオミンさんと静大現地説明会に関する
日程・内容・準備等詳細な打ち合わせを行う。

私たちの隣りの2階会議室では、静大留学予定生と原田先生・
古竹先生が申請書等の打ち合わせ



昨日、時計を床に落とし、金属バンドが切れてしまう。
リー君が知り合いの路上時計修理屋に持っていって
直してくれる。100円。


午前11時半、昼食。
ベトナム風「雑炊」。消化に良く美味しい。


レモンと唐辛子は付き物


午後12時過ぎから1時間ほど「午睡」。

その後読書「仮装集団」(山崎豊子著:新潮文庫)読了。

人民党のフラクション(グループ)が中国派とソ連派に分裂し
党内闘争を繰り広げる。その影響を受け、勤音内の人民党
フラクションは、中国派が主流を握り、ソ連派を排除。
主人公はソ連派と目され、勤音から事実上追放される。
政治と関係のない「音楽鑑賞団体」のなかでも1960年代
、政治が持ち込まれ、政治には全く興味のない、音楽好きな
主人公が政治騒動の中で排除されるという出来事を山崎豊子は
言いたかったのか?


続いて読書「蛍川・泥の河」(宮本輝著:新潮文庫)
著者は私と同い年。

「泥の河」。
大阪の黄色い河が流れる貧困世帯の住む
川ふちの小学校2年生の男児。1955年。船上生活者が
いたのだ。また、馬で鉄くずを運ぶ時代風景も出てきた。
懐かしい時代風景だ。当時、池袋に住んでいたが、やはり
馬が荷物を積んで歩いていた。路上に馬糞が落ちているのを
鮮明に覚えている。戦後10年の出来事。


午後3時半、元衆議院議長土井たか子さんの秘書の方から電話。
JASSに寄金をしたいとのこと。感謝。

ラジオで「民主党党首選挙」の記者会見を1時間ほど聞く。

最初に菅・小沢の所信表明。

(小沢)今回の党首選挙は首相に直結する選挙だ。
     戦後民主主義は本当の意味で理解されないまま
     今日に至っている。
      ・政治・経済は危機的状況。
      ・自殺・親の子殺し
      ・失業・就職出来ない問題・・・・
      
      日本社会は崩壊している。
      政治家主導の政治が必要。
      総選挙で約束した内容を実行すべきだ。
      ・来年度予算編成は、政治家主導で行う
      ・菅首相は歳出を一律10%削減と言っているが機械的。
       無駄を最大限削減し、政治家が予算を組むようにする

(菅)   厳しい経済情勢だ。
      総理の仕事を完璧にこなして行きたい。
      今日は朝から防災訓練をした。これからスペイン首相と
      懇談する。総理の仕事を完璧に執行したい。
      失業者が増大している。「仕事をすること」は人間の
      尊厳だ。
      「クリーンでオープンな」民主党にしたい。政治に
      お金がまつわることからは、脱皮したい。

その後、共通質問・3社。

質問に対しては、小沢氏の方が総括的・且つ的確な答弁あり。
菅氏は、細かい話が多く、短い時間で的確な答弁とはなって
いなかった。能力と経験の違いか?
同じ政党内での論争にあまり意味はない。

両者の記者会見を聞いても「日本の未来への展望」は
全く聞こえなかった。国民の声、世論の批判が必要と
痛感。共産・社民など野党の存在の意味が今こそ
光る時なのだが・・・・・。本来は最大野党の自民党が光るべき
チャンスなのだ。しかし、完全に地底に埋没してしまっている。

YAHOOのアンケート調査。9月1日午後5時時点。
菅 51%   小沢 37%  棄権 13%。


午後5時半、日本料理店へ。  外は雨。


ヒエウさんが体調を崩し休む。

午後9時まで3人の来客。既にOFFシーズンになっている。

リー君は相変わらず「テンション」が高い。
明日は彼女を「アヒルのお父さん」(2000羽のアヒルを飼っている)
のところへ連れて行くそうだ。

日本料理店の片づけをして徒歩、宿舎へ帰る。

投稿者 koyama : 17:32 | コメント (0)

2010年08月31日

静大工学部入学予定学生と懇談:夜、地球の歩き方4班お別れ夕食会

晴れ・時々曇り 夕方雷雨。 蒸し暑い


午前6時起床。

午前7時朝食。ブンボー。

午前8時、部屋のパソコン、プリンターが故障。
ソン君が業者を連れて直しに来てくれる。

午前8時半、ベトナム事務所へ。

静大工学部留学内定者3人をベトナム事務所に呼んで
留学・マブチ奨学金受験などの打ち合わせを行う。
原田先生・古竹先生にも手伝ってもらう。

午前11時過ぎ、ベトナム事務所を出ようとした時、リー君が
私を外で待っていた。昨夜、10時半頃の出来事を話してくれる。

午前11時半、昼食。
「チャオ・バイン・カイン」(小麦粉の手打ち煮込みうどん)


午後12時半から1時間午睡。
気候不順。湿度が高く蒸し暑い。体がだるくなると多くの人が
言っている。

読書「仮装集団」(山崎豊子著)
勤音の方針に人民党勤音グループより直接的な介入。
参議院選挙巡って。


10月5日までの全てのスタディーツアー・訪問者日程
とベトナム事務所員担当者一覧に全て目を通し、矛盾や
一人に仕事が偏っていないかなど、いくつかの側面から
点検する。

グエンフエ高校奨学金の件をハンさんと打ち合わせ。

札幌の鹿又さんからの連絡。JASS応援のNGOを作ることを
計画中とのこと。来年、機会があった具知安と札幌に行き、
直接、菊先生・鹿又さんにお会いする必要を感じる。

ハンさんと電話連絡。フエ市立病院副院長・JASS「障害児医療
センター」(国際ソロプチミスト東京ー東支援)副所長のヒエン先生
が「フエ平和村の所長」に就任したとのこと。今後、更にフエ平和村
との交流が盛んになることだどう。良い人事異動。

午後4時豪雨。太陽が少し見えながらも豪雨。

ピースインツアーとSKYPEで地球の歩き方ツアー関連の
打ち合わせ。

大学生協を見送りにフエ空港にいるバオミンさんから電話。
打ち合わせ。「フエは雷がなり、すごい雨だよ」と話す。
フエ空港は「太陽が出て暑い」とのこと。車でたった15分
程度のフエ空港とフエ市内でも雨の降り方随分違い。
いつもフエ市内だけ集中豪雨が襲うのか?


午後6時過ぎ、日本料理店へ。
今日は地球の歩き方4班の皆さん(17人)の「お別れ晩餐会」

今日は富岡先生が初めて司会を担当。立派にやってのける。


グエットさん・リー君コンビで「メニュー紹介」。


今日の夕食会のメニュー。こどもたちが考え調理した。



団長さんの乾杯の挨拶と音頭




午後8時半、日本料理店スタッフ自己紹介。



最後に全員で記念写真



1997年、テレビ東京「ドキュメンタリー人間劇場」の
二人の主役である「リー君」と「ロックちゃん」。

放映から13年。二人の人生はそれぞれの課題を背負っている。
リー君は警察に捕まったりと様々な問題を抱えながらも
日本料理店で頑張って仕事をしている。

ロックちゃんは6歳と4歳の女児の母親。父親は不明。
ポストカードを売ったり、文字に書けない行為をしながら
生活をしている。
あの時、ロックちゃんが「子どもの家」に入っていたら、などと
考えてしまう。ちょっとしたことが、人生の分かれ目に
なる。リー君もロックちゃんも幸せな人生を歩んで欲しい。


日本料理店の掃除などをして午後9時、宿舎へ帰る。


小沢一郎が民主党の党首選挙に立候補した。
菅も小沢も正々堂々と政策と主張を掲げ、党内選挙を
闘うべきである。国民の見ているところで闘うべき。
茶番劇と見えたとしても、党首選挙に
立候補も出来ない政党もあることを考えると、これも
民主主義の「通る道」である。満場一致で議案が採択され、
幹部会などで互選されるような政党は、民主主義からおよそ
かけ離れている。民主党を批判する以前に自らを批判
すべきである。
9月14日の投票日までどんな論議があるのか注目している。


投稿者 koyama : 13:25 | コメント (0)

2010年08月30日

全国大学生協ツアー「子どもの家」:夜、さよなら夕食会

快晴  夕方から曇り豪雨。


午前5時起床。
読書「仮装集団」。3分の2読み終える。問題の核心にはいる。
勤労者音楽同盟(勤音)という大衆組織を目に見えない
一部の政治集団が裏で操っているのではとの主人公の
疑念が強くなる。「勤音」が10万人に達し、顧問を参議院選挙
立候補。一般大衆組織のはずの「勤音」が、政治活動へ
急速に傾斜していく。主人公はこうした性急に政治化する
勤音のあり方に強い疑問を抱く。大衆蔑視・大衆操りではないか?
単純に音楽が好きな人たちの会である筈の「勤音」なのに。
日経連・経団連のような資本家組織も対抗して「自由音楽連盟」
(音連)を組織する。
こうして、音楽を楽しむという原点が失われ、労働者階級と
資本家階級との音楽・余暇の使い方を巡っての対立へと発展する。
山崎豊子は、1967年の頃、良くここまで調査をしたなと感心する。

午前7時朝食。おかゆ。昨日飲みすぎた。おかゆが丁度良い。

午前8時過ぎベトナム事務所へ。

リー君が『ナムドン山岳地帯訪問』の準備をしている。
地球の歩き方4班の皆さんと原田先生・ソン君・リー君の3人で
案内予定。

リー君の素晴らしいところは、「仕事が好き」「体を動かして
労働することがすき」という1点に絞られる。
文字通り「労働者階級」なのだ。多少「ルンペン・プロレタリア」
の傾向を持ってはいるが。ベトナム社会主義社会の主人公の
筈なのだが。「労働者・農民の国家」。

午前9時半、出発なのだが、8時前にはベトナム事務所に
来て、支援物資を揃えたりと一人で準備をしている。
問題は、一人で準備をし、勝手に車を発車させ、
先日、責任者のバオミンさんをベトナム事務所に置いたまま
ツアー宿泊のホテルへ行ってしまっりと、全体が見えずに
「独走」する性向を持っていることではあるが、仕事をすること、
体を使って動くことが大好きな所は素晴らしい能力である。


臨時ベトナム事務所員会議。

その後、バオミンさん・古竹先生と日本語教育の件で打ち合わせ。

午前9時、「子どもの家」へ。大学生協ツアーが市場へ行き
昼食の食材買出し、こどもたちと昼食作り。アンさん一人での
案内。


既にこどもたちと一緒の昼食作りは終わり、こどもたちと交流中。


ユイ君はなかなか賢い子どもである。6年ほど前に船上生活を
していたユイ君を訪ね、「子どもの家」へ引き取った。
勉強もしっかりとしている。生活も行動も子どもらしい。


引率責任者のアンさんも一人で頑張っている。

こどもたちとツアー参加者は直ぐに仲良くなる。年の近さも
関係しているのだろう。



午前11時、昼食。

イカの煮物、野菜と豚肉の炒め物、野菜スープ、ご飯。

訪問者と一緒に食事をしているこどもたちも10年前、数年前には
こうして初めて「子どもの家」で食事をした経験を持っているのだ。
今は、お客さんを歓待する立場ではあるが。



先日、農村の自宅を訪問し入所して「THUYさん」もすっかり
「子どもの家」に慣れたようだ。

引率責任者のアンさんと寮母さんたちでこどもたち、訪問者の
昼食のお世話をしていた。一人での案内は神経を使う。感謝。



私は「子どもの家」を後にし、電動バイクで宿舎へ。

昼食はマカロニのスープと生野菜・唐辛子・レモン。


午前12時半。午睡。1時間。

午後2時。大量のメール受信。返信を書く。

午後3時半、バオミンさんといくつかの問題について
電話で打ち合わせ。

午後4時、ベトナム事務所へ。静大工学部留学生が「マブチモーター
奨学金』の申請をする。申請書が適切に書かれているかチェック
する。


日本料理店では、夜6時半からの「大学生協スタディーツアー
夕食会」の準備をしていた。

午後6時半、「全国大学生協スタディーツアー晩餐会」。
明日、ホーチミン市経由で帰国する。

今夜は古竹先生の司会。フエ滞在は短い。
しかし、状況と場面をしっかり把握し、適切な行動が出きる。
なかなか賢い若者と見た。


ベトナム事務所側は私とバオミンさんが参加。



メニュー紹介。いつもはリー君とグエットさんが行っていたが、
今日はリー君が『ナムドン山岳地帯」に地球の歩き方と
一緒に訪問しているが、午後6時半時点でも帰ってこない。


今夜のメニュー。グエットさんが書いた。

大学生協ツアーは女子大生8人。団長の乾杯の挨拶。



今日のメニュー『空芯菜のニンニク炒め』

午後8時、夕食会終了。リー君もナムドンから帰ってくる。

日本料理店スタッフの紹介。


最後の参加者全員と日本料理店スタッフの記念写真


閉店の片付けをし帰宅。リー君が日本料理店の前でウロウロしてる。
「リー君、どうして帰らないの?」と聞く。
「彼女が迎えに来てくれるのを待っている」とのこと。
幸せで良いことである。リー君は今、「青春真っ只中」。
この恋愛がどうなるのかは分からないが(というのか、
分かっているのだが・・)リー君の幸せそうな顔と態度を
みていると私も元気とエネルギー(かなり変な?)を
もらえて嬉しい。私が大学に入った頃の青春時代を
思い出す。いつの時代も「若さ」は『未経験』と『挑戦』
『先の見えない』時代である。
私はリー君が「青春を謳歌」している現実に拍手を送りたい。
その結果がどうなったとしても。青春は必ずしも「明るい色」
でもない。むしろ「灰色」か「黒」である。
リー君が「明るい色」でいることを願うのみ。

投稿者 koyama : 16:53 | コメント (0)

2010年08月29日

地球の歩き方4班ー「子どもの家」で食事作り・昼食

快晴

午前5時起床。1時間ほど読書「仮装集団」。
その後1時間程睡眠。引き続き読書。

午前9時半頃、ホーチミン市のマルサ・佐藤社長より電話。

フトンを干す。部屋の掃除。洗濯。

午前10時、「子どもの家」へ。

地球の歩き方4班(17人)がシクロで「子どもの家」へ。
近くのタイロック市場で買い物。昼食作りをし、
その後、「子どもの家」と交流。

ソン君とアンさんが案内担当。日曜日出勤ご苦労様。

「子どもの家」の卒業生の「フン君」が遊びに来ていた。
以前は、靴の修理工場で研修し、就職した。
その後、工場を辞めて、「子どもの家」の門前で
靴の修理、靴磨きをしていた。先日、「子どもの家」に
来ていたので「何をしているのか?」聞くと「オートバイの
修理をしている」とのこと。

今日、「何をしているのか?」聞くとレストランで働いていると
言う。「何ヶ月位?」と聞くと「4日目」との返事。
『逞しい生き方』といえば言えるが、「無計画」「行き当たりばったり
の生き方」といえば、そうも言える。この兄弟(弟はハイ君)は
不思議な行動力と楽観性を持っている。

食堂ではロック寮長とこどもたちが懇談中。昼食の準備中。

「子どもの家」の庭では地球の歩き方スタディーツアーの
皆さんと大縄跳び。


こどもたちは懐かしい「フラフープ」をしていた。
地球の歩き方の大学生はフラフープをしらない。


「子どもの家」の近くの店で「ダーカウ(バドミントン様の羽)を
10個買う。

担当のアンさんが一生懸命に仕事をしていた。


ホテルから「子どもの家」へ20分、シクロでやって来た。
シクロの運転手は「子どもの家」で待機中。



退所した「チュック君」が遊びに来ていた。チュック君と
ハイ君は「子どもの家」で一番古いこどもたちである。
小さなこどもだったのが、こんなに大きくなった姿を
みて17年間のフエ滞在の年月の長さを改めて感じた。
私たちがフエで活動をしていなかったらどうなっていたの
だろうか? 今も40数人のこどもたちが「子どもの家」に
いる。これらのこどもたちには、「子どもの家」が絶対的
に必要である。



午前11時前、こどもたちと地球の歩き方の皆さんと昼食。


今日の食事。ご飯、野菜スープ、アヒルの玉子焼き、野菜炒め。
栄養は十分取れる献立である。こうして毎日3食の食事を
こどもたちのために用意することは何でもないことのように見えるが、
16年間(1万5千回)毎日続けるということは、「言うは易し、行なうは
難し」である。私の16年間の「子どもの家」運営で一番心を悩ませた
のは、「食事代がなくなったらどうしよう」という単純な悩みであるが、
JASS活動の本質的な悩みでもある。そのために様々な試みを
してきた。



ご飯は食べ放題







今日の担当ではないのだが、古竹先生も自主的に
地球の歩き方4班のお世話をしてくれている。
感謝。体に気をつけて活動して欲しい。


私は「子どもの家」で昼食を摂らず帰宅する。

午後12時。朝食を摂る時間がなかった。
フダ缶ビールを3本飲む。

フエに戻ったのは、7月16日だった。それから
40日。部屋で昼間「飲んだ」のは、今日が初めて
だった。

この40日間、多くの来客の対応、様々な問題が惹起し
その解決に精一杯努力したつもりである。
心身ともに疲労困憊状態。今日の日曜日位は
昼間飲んでも「バチは当らないだろう」などと
勝手に考え、「飲酒に走る・・・・」。

関係者にいくつかのメールを送信。


「ブランチ」に昨日の残りの「チャオ・バイン・カイン」を温めて食す。

午後1時半、午睡。外は真夏日。

午後4時に目が覚める。熟睡。この数週間、色々な問題が
あり夜眠れないことが多かった。

午後5時まで読書。「仮装集団」(山崎豊子著)。1967年に
この本を書いたことは、先見の明があり、山崎は素晴らしい感覚の
持ち主である。
60年安保から70年安保へ。戦後政治の最高の高揚期
の一時期である。全国に革新自治体ができ、学生運動、
労働運動が一番盛り上がった時期でもあった。そうした時期の
左翼運動の政党の暗躍。前衛政党と名乗る政党の思いあがり
と自己満足、強引な大衆引き回しを淡々としかし厳しく見つめ
ている。今日ではなく1967年に書いた意義は大きい。
「進歩的文化人」と称する人々の活躍した時期である。
これらの人々にも疑問を投げかけている。


俄かに空が暗くなり、「豪雨と雷」。
夜まで続く。



午後6時、ご飯を1合研ぐ。30分ほど寝かしておく。
炊飯器で炊き上がる。外が豪雨。いつも「ベトナム風ほか弁
100円)を買いに外へ行くが今日は豪雨で外出出来ない。自炊。

また、何となく喉の方から「お呼び」がかかる。「何か寂しいよ」
と。仕方がないのでばっちりと冷えたフダ缶ビールを飲む。
また舌の方で「美味しいおつまみが欲しいよ」とせっつかれる
が、美味しいおつまみはないので、大好きな「鮭とば」で代用。


1910年8月29日、日本は朝鮮を植民地にした。
日韓併合条約。日本人は朝鮮を知らな過ぎる。

「三たびの海峡」帚木 蓬生(ほうきぎ ほうせい) (新潮文庫)
を読んだ。朝鮮人強制連行がどのような形で行われたが
詳細に書かれている。九州の炭鉱財閥の麻生。麻生元首相
の祖父。日韓併合条約でどれだけの朝鮮人が強制的に徴発
され、九州の炭鉱などで牛馬のように酷使され死んでいったか?
九州の麻生財閥は、朝鮮人の汗と血と命の上になりたった
財閥。麻生元首相は「日本が朝鮮を植民地にしたので、朝鮮は
発展した」と発言している。

私は20年程前、我が子と一緒にソウルの「安重根記念博物館」に
行った。安重根は、伊藤博文(初代の韓国統監)を暗殺した。
日本では安重根は「やくざ」か無頼漢と描かれている。
しかし、安重根は、当時朝鮮の第一級の知識人であった。
安重根の書いた書は素晴らしい。また、安の書いた文書、
憂国の書にも共感を持つ。

角田房子の「「閔妃暗殺(ミンピ暗殺)」を読んだ。
李王朝の皇后を日本の軍隊と警察が虐殺しているのである。
日本で言えば、美智子皇后を殺したことになる。

ハン流もいいが、大事な私たち日本人の過去を忘れてならないと
痛感している。父親生誕100年は韓国併合100年でもある。
未来志向で日韓の友好を求めて行きたい。


投稿者 koyama : 11:39 | コメント (0)

2010年08月28日

地球の歩き方ツアー4班(17人)講演会:教え子ホアさん結婚式参加

晴天・夜、豪雨。北上する台風の影響か?

午前3時半、目覚める。
読書「仮装集団」(山崎豊子著:新潮文庫)
勤音(勤労者印学同盟)と青年同盟・人民党を舞台に
した労使、勤音の拡大を通して、青年同盟・人民党の
拡大へ。勤音の政治的な傾斜に主人公流郷は、ただ
音楽が好きなだけでそのスタッフになているのだが・・・。

名前は勤音だが、現実的には「労音」を、青年同盟は
日本民主青年同盟を、人民党は日本共産党をモデルに
していることは、疑いない。
音楽鑑賞という素朴な道を通して、組織を拡大しようと
する政治的な人間なたちへの主人公の素朴な疑問から
出発し・・・・・。


午前7時朝食。ブンボー。

ブンボー(フエ名物の米麺)に付属する野菜と唐辛子



午前8時、ベトナム事務所1階で「地球の歩き方4班:17人」
にベトナム事務所員の紹介。


司会のバオミンさん。ハンさん

フオン先生・古竹先生


フーン先生・アンさん

結婚太りしたソン君・仕事に熱が入っている原田先生


原田先生がフエでの生活上の諸注意をする。

その後、ソン君の案内で「子どもの家」へ。

私は今日の午前11時半から1993年フエに来て
フエ師範大で教えた教え子の「ホアさん」の結婚式に参加する
ため多少の準備。

バオミンさんと若干の重要な問題を話し合う。

午前9時、「子どもの家」へ。

「子どもの家」では、土曜日なので小学生は休日。


こどもたちは、全体として「勉強をすれば進学できる」
という雰囲気ができていている。こどもたちは一生懸命
勉強をしている。


日本では親は「塾」や「進学教室」に全てお任せだ。
「子どもの家」では、年上のお姉さん・お兄さんの勉強の仕方を
普段見ていて「その真似」をして同じ様に勉強・自習をする。
お金がかからない。同時に勉強の仕方と「自主性」をしっかりと
身につける。

ユイ君とチュン君は成績最優秀を続けている。




「子どもの家」では、ソン君が地球の歩き方4班(17人)の
皆さんを案内して「子どもの家」の諸施設を説明。
ソン君が一人で「子どもの家」を案内出きるようになった
ことはソン君の努力とバオミンさんの大胆なソン君の抜擢
である。ベトナム事務所は、多くのスタディーツアーを受け入れて
いるので、ソン君が一人前になってくれることは本当に有難く
嬉しいことである。


数週間前にフエ医科大3年生のフオンさんに「血圧を測る練習を
させてください」と言われ、血圧測定をしてもらった。

今日は、フエ看護大学に通っているバーさんからも同様の
依頼を受ける。こどもたちは、私が「血圧が高い顔をしている」
ように見えるようだ。確かにそうなのだが・・・・・・・。



午前9時半から午前10時50分まで地球の歩き方4班の
皆なさんに講演をする。



午前10時50分。地球の歩き方4班の皆さんの歓迎会。

セン運営委員長の歓迎の挨拶。通訳はソン君。



こどもたちの歓迎の出し物(小学生)


中学生のヒップホップ



「子どもの家」創立時から入っているタン君と寮母さんのニエムさん。



地球の歩き方4班の出し物「おもちゃのチャチャチャ」


地球の歩き方4班の歓迎会が終わり、急いでベトナム事務所へ。

バオミンさんとリー君は大学生協スタディーツアーの皆さんと
一緒に「ナムドン山岳地帯」へ。

ベトナム事務所でハンさんと合流し、1993年からフエ師範大と
バオミンさん・ハンと一緒に日本語を教えた「ホアさん」の
結婚式に行く。

当時、ホアさんは25歳。17年の月日が流れたが。当時の
面影と若さを保っていた。


式場のホテルへ着くと「主賓」の席に座らせられる。

11時半開会の予定が12時20分開会。「ベトナム時間」。

結婚披露宴が始まる。

式場の壇上には、両家のご両親・親族代表が挨拶。

新郎の親族はフエ市共産党副委員長。新婦ホアさんの
兄は、フエ省厚生局長(フエ省の厚生大臣)。

悪く言えば一種の「政略結婚」。共産党幹部同士の関係者の
結婚で「姻戚関係」を作る。特権を共有する。戦国時代の日本と同じ。



新郎新婦の両家の代表挨拶が終わり、いよいよ「新郎新婦入場」。


新郎・新婦のケーキ入刀。


セレモニー終了後、新郎新婦は300人の参加者全員に挨拶。
最初に私の席に。私の右はビーザー地区診療所医師。
左は薬剤師。撮影はハンさん。



フエ市立病院のブイ院長も来ていた。



新婦がフエ省の厚生大臣。新郎の義兄はフエ市共産党副委員長。
ということで私の知り合いがたくさんいた。次から次と知り合いが
きて「一気飲み」を『強要』。断れず、かなり一気飲みをする。

午後2時半、宿舎へ帰る。食事をしないで「一気飲み」を繰り返した
ので、宿谷に着いたら完全に「ダウン」。
目が覚めたのが午後7時半。
そのまま横になり、午後9時半に飲みすぎには、更にフダビールを
飲まなければならないとの結論に達し、フダ缶ビールを3本ほど飲む。

更に付け加え、ラオスの「ラオディー ラム酒」を300ML飲む。
オンザロックです。

熟睡の道へ。

投稿者 koyama : 21:44 | コメント (0)