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2015年02月28日

リー君来訪ー地球の歩き方ツアー2回講演

午前6時起床

午前6時半、リー君から電話。今から私の宿舎に来ると言う。

リー君と会う。「今から弟のいるダナンへ行く。弟が0、5グラム
の覚せい剤を所持し逮捕され、裁判の結果、懲役3年となり
入獄。家には奥さんと子どもが残されている。奥さんは仕事を
持っていない。今からダナンヘ、弟の奥さんと子どもたちの
面倒を見に行く」とのこと。
続いて「ついては、軍資金とダナンまでのバス代がないので
ください」という。弟一家の生活費とリー君のバス代、その他を
あげる。

弟がもっとたくさんの覚せい剤を持っていたら「死刑」になって
いたかも知れない。馬鹿な弟ではある。
リー君も兄弟思いの所があるのは
立派ななのだが、「人のふんどしで相撲を取る」ような生活態度は
よくない。金欠病というのか、飲酒病というのか・・・。
日銭でもらったお金は、その日に使ってしまう。
せっかく「社会主義国家」に住んでいるのだから、「計画経済」
を考えてみてはどうか・・、などといっても今のリー君には
通じないだろう。
とにかく、覚せい剤で入獄した夫を持つ妻と家族を兄が助けに
行くと言う気持ちは評価したい。


午前7時朝食。

「チャオ・バイン・カイン」小麦粉の手打ちうどん


午前9時10分、電動バイクで「静岡ーフエ青年交流会館」へ。
地球の歩き方スタディーツアーの皆さんに「ベトナムの歴史と
風土」について、1時間講義をする。

静岡フエ青年交流会館(静岡ライオンズクラブ建築)

途中、古くなった電動バイクが動かなくなり、色々といじってい
るうちに電気が点き動き出したが、電動バイクの寿命だ。

講演を終え、宿舎へ。

午前11時、昼食。「米麺」


午後1時間ほど昼寝。

その後読書。


午後3時過ぎ、電動バイクで「子どもの家」へ。


地球の歩き方スタディーツアーの皆さんへ
1時間講演。「子どもの家」の活動について

その後、子どもたちとの交流会に入る。

最初にセン「子どもの家」運営委員長の歓迎の挨拶。



子どもたちの歓迎の踊り


歓迎の歌。「信頼する先生」。


地球の歩き方スタディーツアーの皆さんの返礼の歌「散歩」

新しく入所した男子



「子どもの家」で長年生活した「フン君」(28歳になった)
現在は、「子どもの家』門前で路上オートバイ修理をしている。



自転車のパンクや簡単なオートバ修理を「子どもの家」前の
路上でして生活している。毎月、多少の余裕がある生活を
しているようだ。

地球の歩き方スタディーツアーを担当していたソン君と相談し、
明日の学習院女子大のナムドン山岳地帯視察には、リー君を
同行させるこことにした。明日のナムドンは私とソン君の二人で
ナムドン山岳地帯の案内をすることのなっていたが、少数民族
交流の場面は、リー君がいるといないのでは、大違い。

ソン君がダナンのリー君の電話をし事情を話す。
リー君は、今夜のダナン→フエのバスでフエに戻り、明日の
ナムドン山岳地帯ツアーには参加するとのこと。

今回の交流はナムドン地域の「カトゥー族」の皆さんとの交流が
メイン。

ナムドンのカトゥー族との交流は、お酒を飲んでの交流となる。
S女子大の皆さんは、カトゥー族の強いお酒は飲めない。
私もソン君も同様である。
交流会では、日本側もお酒を飲んで盛り上がり交流を進めるのが
鉄則。

リー君の出番となった。今まで何回もリー君をナムドン山岳地帯の
交流に参加してもらっているが、お酒を飲み、カトゥー族の皆さんとの
交流は上手である。


午後5時半、宿舎へ帰る。

午後6時半、日本料理店へ。

接客のグエットさん

調理のトゥオイさんとハンさん


今日は3人の来客あり。

私の不在中も結構多くの来客があったようだ。


午後9時前、日本料理店を出て帰宅。


長い1日だった。

明日は、ナムドン山岳地帯へ行く。

早めに寝なければならない。


投稿者 koyama : 20:29 | コメント (0)

2015年02月27日

インターネット故障・修理ーS女子大フエ訪問

午前7時前起床。
昨夜遅くまで読書をしていたので、朝起きられなかった。

急いでシャワーを浴び、朝食。

午前7時過ぎ、朝食。 「大きな豚肉の塊」とブン麺。


午前8時、日本語教師募集の件について意見・文章を
まとめる。

パソコンを使うがインターネットがつながらない。

バオミンさんは、jASS観光の仕事でダナンヘ。
1週間程、ダナンでお客さんの案内をする。

バオミンさんの代わりにソン君に電話。

直ぐにインターネットの業者を呼んでくれる。

昨日、インターネット接続を直したのだが・・・・。
やはりベトナムの風土、特に寒暖の差、高湿度などの
影響で精密機器は壊れやすい。

一人の業者では、手に負えないようで更に2人の
仲間がやってくる。3人の業者が『インターネット環境」の
整備をしてくれる。原因は、想像通り、精密機器部分の
破損とのこと。

機械を交換するので会社まで取りに行く。

2時間程かけて修理が終わる。

ソン君が気を利かし『手早く業者の手配い』をしてくれた。
この数年でJASSスタッフ・人間として大きな成長を果たしている。

ソン君に感謝。


午前11時、昼食。食欲なし。

「魚入りのおじや」 これも油が多く喉を通らない。

つめたいうどん・そばなどが欲しいのだが・・・。
そんな贅沢はいえない。

午後12時過ぎから1時間程昼寝。

その後、寝ながら読書。

「捏造の科学者』(STAP細胞事件)」須田桃子著 文藝春秋社


著者の須田氏は、毎日新聞の科学環境部の記者。
早稲田大学理工学部大学院で物理学を専攻。

京都大・山中教授のIPS細胞研究を、ノーベル賞受賞まで
継続して追い記事化している。

昨夜から読んでいる。80%ほど読了。

感想だが、科学者、ノベール賞候補者が何人もいる「理研」。
ノーベル賞の野依氏が理事長となっている日本の「知的」
集団で起こった『捏造』「偽造」事件。

著者は小保方氏の「STAP細胞」問題を通して、日本の科学者
の社会がいかに「ゆがみ」「成果主義」「秘密主義」になっているか
を暴いている。

研究者としては若く未熟な小保方氏を「極秘・秘密裏」に理研の
ユニットリーダーに抜擢したあたりから、理研の暴走が始まった。

理研の暴走の裏には、下村博文文科大臣の「成果主義・結果主義
特許主義」という科学を金儲けの手段にする方針が
あることが分かる。

STAP細胞事件の主役は小保方氏であるのは、事実であるが、
その脇役が笹井氏(自殺)であり、巷間では笹井氏と小保方氏は
「不適切な関係」にあったなどとの噂さえある。

主役の小保方氏の周りにいた、その道の『権威」である笹井氏や
理研にいてSTAP細胞の共同著者になった若山教授など
多くの「その道の権威」が、何故、小保方氏の「でたらめ」が
見抜けず、翻弄されたのか?

私見ではあるが、これらの「その道の権威者」は、結局、
苦労をして勉強・研究をしたことは事実だが、人間社会で
「もまれていない」ということにつきる。

自分が見えなくなっている「科学の権威者」たちの翻弄・
狼狽を著者は詳述している。

理研では、その人の名前を聞いただけで「批判」が止まって
しまう風土があったようだが、こうした風土は、日本社会にも
ある。

STAP細胞事件は、同時に「イスラム国』問題での
後藤・湯川氏殺害問題に通じる問題を残している。
マスコミも含め日本社会が後藤氏・湯川氏の暴走への
一切の批判を封印・タブー視している。

後藤氏は、戦争下の子どもたちの実態を取材しに「イスラム国」に
入ったのではない。湯川氏を救出するために「イスラム国」に
入っている。しかし、後藤氏への批判はマスコミ社会では
封印され、「聖人化」している感さえある。

民主主義社会は「批判」と「異見」が必要である。
これをなくすとほとんど「ファシズム」に近似する。

ーーーー

午後6時、宿舎の近くにソン君が車で迎えに来てくれる。

今夜は2つのスタディーツアーが来訪する。

一つは、S女子大学のスタディーツアー(15人)
一つは、地球の歩き方スタディーツアー(8人)

バオミンさんが1週間ダナンでの仕事となる。
今日から来る二つのスタディーツアーは、
JASS観光部門の副責任者のソン君を中心に
私やハンさんなどが協力して成功させる方針。

ソン君と中型バスに乗り、フエ空港へ。
午後7時前、S女子大ツアー15人の皆さんが
フエ空港へ到着。


ホテルまでのバス車中でソン君が正確なフエの紹介を
行っていた。事前にしっかりと勉強していたことが窺える。



ホテルに着く前に「フォー」専門店へ。

米麺(フォー)の豚肉入り、鶏肉入り、ミックスなどを
食べる。今回のツアーは、食文化の探求も一つの
訪越テーマになっている。学生の皆さんは、唐辛子や
香草に挑戦していた。「食わず嫌い」の学生さんは
いなかった。どの学生さんも積極的に香草・唐辛子や
フォー(ベトナム米麺)に挑戦していた。

午後8時は過ぎに「フォー」の夕食を終え、投宿するホテルへ。

私は歩いて宿舎へ。


投稿者 koyama : 18:02 | コメント (0)

2015年02月26日

ベトナム事務所員の皆さんに挨拶

午前5時に目が覚める。

3ヶ月半振りのフエは、「蒸し暑かった」。まだ『夏もよう』。


午前7時に起床。シャワーを浴びる。
昨夜、電気シャワーの電源を入れておく。
忘れると温水シャワーになるまでに30分程かかる。


午前7時、朝食。食事を作ってくれたセンさんが
フエ帰国初日の朝食は「フォー・ボー」(牛肉米麺)。

香菜満載の野菜。


昨夜、インターネットをチェックしたが通じなかった。
早速、バオミンさんに連絡。バオミンさんの指示で
ソン君が来てくれる。業者を呼ぶ。

業者の話では、インターネット会社の方のトラブル。
業者では直せないとのこと。午前9時半にインターネット会社に
電話するが誰も会社にいない。

インターネット会社の社員が出社したら電話をし、直すように
するとのこと。

午前10時。徒歩でベトナム事務所へ。

フエ市内はまだ「旧正月」の余韻が残っていた。

町には、ベトナムの国旗である「金星紅旗」が掲げられていた。


ベトナムの旧正月(テト)では、日本の「門松」のように
家の両側に菊の花を置く。黄色は金・お金に通じ
縁起よいとのこと。


ベトナム事務所へ。ベトナム事務所員の皆さんに新年の挨拶と
体調を崩し3ヶ月ベトナム事務所を休んだことへのお詫びを言う。


その後、山西さんから預かった「会員会費」をバオミンさんと
会計部長のハンさんに手渡す。

この間、金欠病でベトナム事務所員への給料が出せなくなると言う
緊急事態となったが、やっと2015年度の会員協賛費が入金された
ので、ハンさんの顔からも自然に笑みがこぼれる。



その後、バオミンさんと1時間半程、今後の「JASSベトナム」の
運営について話し合う。

①財政確立の問題
②日本語教師確保の問題
③スタディーツアーの増加で財政強化を図る問題
④日本料理店の現状
⑤フエの政治事情

その他の話し合いをする。

午前11時過ぎ、徒歩で帰宅。

午前11時の気温 35度。湿度45%、真夏。

ソン君から電話あり、インターネット会社の方で私のインターネット
の不具合を直したとのこと。

インターネットを開くと通じていた。

ベトナムのインターネット事情はなかなか「思うように」は
ならない。

昼食は「チャオ・バイン・カイン」(小麦粉の手打ちうどん)


食後1時間半程昼寝。


その後、昨日と今日の火炎樹日記を書く。

10年近く使った「デジカメ」を落としてしまい、1万円で新しい
火炎樹日記用のデジカメを日本で買った。

ベトナムで使う。今までのデジカメと会社と様式が違う。
写真をパソコンに入れ、取り込む方法が分からず苦労する。

やっとなんとか工夫して、新デジカメを文字化し、火炎樹日記
に掲載することが出来た。

夕方まで洗濯、ピースインツアーの担当者と明日からの
ベトナムスタディーツアーの日程・担当等の打ち合わせ。

部屋にある洗濯可能な衣類を全て洗濯する。


午後6時。徒歩で日本料理店へ。

日本料理店の前の居酒屋で「リー君」が飲んでいたい。
私の来るのを待っていたようだ。


日本料理店では、子どもたちが「鮭」の解体をし、
寿司用に小分けしていた。

送信者 15-2月26日


美味しそうなサーモン

送信者 15-2月26日

日本料理店の子どもたちも元気に仕事に励んでいた。

日本料理店の子どもたちに頼まれていた日本料理店用の
「味噌田楽」用の串などを渡す。浅草の「かっぱ橋」で買ってきた。


日本料理店で日本語教師の富岡先生が遅い夕食を摂っていた。


今日は2月26日。日本の軍国主義化に弾みをつけた
「2・26事件」、軍部のクーデターがあった日。
色々と考えてみると1972年2月26日にまだ学生だった頃、
渋谷の勤労福祉会館で結婚式をしたことを思い出す。
43年前に私が結婚した時、今日は、「2・26事件」のあった日
・・・・などという祝辞がたくさんあったことを思い出した。
43年間付き合ってくれた妻に「43年目の結婚記念日おめでとう」
と電話をする。

東電の屋上から高濃度の汚染水が流失していた。
東電はその事実をひた隠しにしていた。

東電と言う会社は、金儲jけのためならば、嘘も騙しも
詐欺も何でもするという現代資本主義の典型的な会社
なのだとつくずく「感心」した。


普通の頭と心があれば、こんなこをと何度も繰り返すことは
出来ない。

こうした東電の「悪行」に抗議し、福島の皆さんの産業振興
のために「福島のお酒しか飲まない」と決意している。

今夜は、二本松市の「大七生酛(だいしち きもと)
を「支援酒」としてほんの少し『舐める』。


投稿者 koyama : 18:42 | コメント (0)

2015年02月25日

ベトナムへ「帰国」

2014年11月12日フエを発って日本へ帰国。
2015年2月25日に再度フエへ戻る。

ベトナム在住22年。3ヶ月以上日本に滞在したことはなかった。
長くて2ヶ月。

今回は11月12日日本へ帰国し、6日目の11月18日に
肺炎を発症し入院。2015年2月の初めまでは家で寝ていた。

①食事ができないこと
②体がだるく何もする意欲がなかった

大学の同級生である大極安子さん親子の高度の鍼灸治療を
施術してもらい、入院(大量の抗生物質投与)後の体調不良を
見事に治してもらった。

そんな事情で22年目にして3ヶ月以上の日本滞在を経験した。
と言ってもそのほとんどは、病院での入院か自宅療養ではあったが。

今回、ダナン→成田→ダナン便が出来た。

午後3時25分成田発。午後7時25分ダナン着便に乗ってみた。

少し飛行機が遅れベトナム時間で午後8時にダナン空港へ到着。
〔日本時間午後10時)。

送信者 15-2月25日・26日


ダナンから車で2時間半。フエの宿舎に着いたのは、ベトナム時間の
午後10時半だった。日本時間では午前0時半。

途中、リー君が車の運転手さんの携帯に電話をして来た。
「先生、今サッカーの反省会をしている。宿舎に戻ったら
その後、二人で飲みましょう」と。

恐るべき情報終了力の高さである。私が何時にダナンヘ着いて、
だれの車に乗せてもらい、その運転手さんの携帯電話を
知っているという情報通のリー君ではあった。
『丁寧にお断りし』「次回を楽しみに」と話した。
22年前にあったリー君も30歳の手前位の年になった。
今でも声をかけてくれることは、嬉しいことではある。

年末年始の冬があったので、部屋は「カビ臭く」、寝具も「カビ」の
臭いがしたが、疲れの方が上回り直ぐに寝てしまう。

11月18日にお会いするはずだった「京滋YOUの会」の藤井さんを
はじめ、11月に会合する予定だった函館・札幌・小樽の皆様に
心からお詫び申し上げたい。

投稿者 koyama : 18:03 | コメント (0)

2015年02月24日

高校クラス会のような会の自主研修会

2月23日・24日と高校のクラス会のような会の
「酒類自主研修会」が挙行された。

東京駅から新幹線等の列車で越後湯沢・六日町の温泉宿に到着。

越後湯沢は雪一色だった。


温泉宿で今日と明日の「酒類研修会」日程の確認、
意義討論を行う。多数の積極的な意見が表明され、
既に研修の実習に入っている積極的な仲間もいる。


温泉宿の計らいで「酒類研修」の一環としての
最適な「おつまみは何か」の素材を提供してくれ、
更に研修を深める。


一晩の深い研修を終え大きな成果を残し、晴れ晴れとした顔で
翌日の朝の帰京へ。



その後、五日町の旅籠街の散策



そしてこの研修会のメインイベントである酒造工場での
研修へ。

「上善如水」を作っている「白瀧酒造」の工場を視察・研修。





日本の伝統的なお酒作りを参観しながら、実技と理論を高める
という目的を達成。今回の研修を通して、我が祖国日本の
健全な日本酒作りと実際にそれを味わうという実習をとおして、
「真の愛国心」を確認した「高校クラス会のような研修会」
であった。


投稿者 koyama : 10:40 | コメント (0)

2015年02月22日

池袋へ

午後1時。池袋でアムネスティー・インターナショナル
関係者・ベトナムなどに学校を寄付している方と懇談。

夕方、ベトナム事務所にいたI君が東洋大学の夜間部に
合格したとの報告があった。おめでとう。

明日・明後日の2ヵ日間、高校のクラス会旅行がある。

2月25日には、ベトナムへ帰る。ベトナム「帰国」の
荷物準備が出来ていない。

投稿者 koyama : 18:44 | コメント (0)

2015年02月20日

通院

午前9時自宅を出て、総合病院へ。

「肺炎ワクチン」の接種。

予約から1ヵ月以上もかかる。

5年間程、肺炎ワクチンの効果はあるとのこと。

バオミンさん一家の案内を7日間行う。

疲労が残る。

投稿者 koyama : 18:00 | コメント (0)

2015年02月18日

関空→ホーチミン市へ

午前6時半過ぎ、関空付近のホテルの送迎バスで
関空へ。

バオミンさん一家は帰国の途についた。

今日は旧暦の『大晦日』

7日間のかなり強行な日程ではあったが、皆さん
元気に日本滞在日程をこなし帰国した。

7日間の日本滞在、ご苦労様。


バオミンさん一家を見送り、関空→京都→東京

午後、東京の自宅へ帰る。東京は雨。とても寒い。


ーーーーー
今回、肺炎となりかなり体調を崩した。
しかし「ももの木」鍼灸治療院の大極親子の親身な治療と
助言を受けて5回の鍼灸治療をして頂いた。
その結果、バオミンさん一家の来日・日本滞在7日間を
無事案内する体力を回復することが出来た。

今回のバオミンさん一家訪日の成功の影の立役者は、
「ももの木」鍼灸治療院の大極親子である。
高度な技術を伴う治療を行ってくれ、バオミンさん一家の
案内を無事終えることが出来るまでに私の体調を管理・
回復させてくれた大極さん親子に深謝したい。

投稿者 koyama : 17:00 | コメント (0)

2015年02月17日

金閣寺参観→関西空港付近のホテルへ

寒い

以前、ベトナム事務所を手伝ってくれたM君が
車で「金閣寺」見学を手伝ってくれる。


(私見ではあるが、喫煙は体に悪い)


京都駅前の美容院で「着物着付けサービス」があった。
バオミンさんの奥さんと長女の二人が日本の和服に挑戦。



M君の車とタクシー1台で「金閣寺」へ

金閣寺境内にて




夕方、「あすか号」で京都から関空へ
午後8時半頃、関空着。

急いで関空ホテル付近の「焼肉食べ放題」へ行く。

淡白な日本の味に多少食傷気味のバオミンさん一家は、
からい「キムチ」と唐辛子、各種の肉を堪能する


ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
この数日、京都で生活する。

清水寺、金閣寺、その他京都での生活を堪能したのではあるが、
異常に多数の中国・台湾の人々と遭遇した。

金閣寺では、男性トイレの便器に「煙草」「ガム」などを平気ですてる
中国・台湾の人々と何度も遭遇した。
京都の観光地のどこに行っても日本人の何倍もの中国・台湾人が
来ていた。春節(旧正月)で中国・台湾の金持ちの皆さんが大量に
訪日していた。
京都での生活・訪問先の各所に中国人が多数訪日し、多額の
お金を使っていた実態を知った。
同時にどの訪問先にも大型バスがたくさんの中国人を乗せて
名所・旧跡を案内していたが、人数があまりに多いので、
「やり放題」の行動が目立った。
 男子トイレの便器に煙草やガムを捨てるをはじめ、目を覆う
所業があったのは事実である。
日本に多額のお金を落とす観光客としてテレビなどは報道しているが
私的体験からすると今回の京都訪問での中国人の多数にまかせた
一種の「横暴」な振る舞いを「お金を落とすから」として黙認する
政府や関係者や保守層の人々に日本の伝統的な良さを蹂躙
されてもお金を落とせばよいのか?との質問をしたい。
この気持ちは今回訪日したベトナム人から指摘されたものである。

投稿者 koyama : 16:46 | コメント (0)

2015年02月16日

東京→京都へ

品川のビジネスホテルに投宿。

午前10時過ぎの新幹線で京都へ。

新幹線車中にて。バオミンさんの奥さんと長女アルファーちゃん

12時半頃、京都へ到着。

昼食は、日本風にアレンジされた「ベトナム料理」。
久しぶりに食べるベトナム料理は美味しかった。

日本ではなかなか手に入らない「ブダビール」。
久しぶりにフエの香りを味わう。

元ベトナム事務所員のSさんも案内してくれる。
感謝。



「京滋YOUの会」のFさんたちの案内で「清水寺」
を参観。



清水の舞台

夜、「京滋YOUの会」主催の「歓迎交流会」が行われる。

前京都市国際交流会館長のSさんも参加してくれる。



中村巧・近江八幡市議も参加・歓迎の挨拶


豊田観光社長の豊田さんも参加



アラビヤの帽子をかぶるバオミンさん



バオミンさんの家族




投稿者 koyama : 16:25 | コメント (0)

2015年02月15日

JASS「現地報告会」

午後1時、東京神田の会場で「JASS現地報告会」が
行われる。




バオミンさん家族紹介


弟のベーター君がベトナム語で「最高級の公式用語」で挨拶をしたので
つい失笑してしまう姉のアルファーさん。

小山JASS代表の挨拶。



バオミン・JASSベトナム運営委員長の①会計報告 
②2014年度活動総括  ③2015年度活動方針


2時間程で報告会終了


静岡の会・笠井夫妻。わざわざ静岡から参加してくれる。
感謝。



ベトナム事務所に数年いたI君のフエ滞在体験報告


元ベトナム事務所員としてのベトナム・フエ体験報告


各地の会からの活動報告

●「京滋YOUの会」(京都より)


●栃木の会・JASS日本代表委員会副委員長

●JASS日本連絡事務所長


●元ベトナム事務所日本語教師


20数年前の教え子のお母さんよりバオミンさんたちに
花束贈呈



花束贈呈時、長男アルファー君は「旅の疲れ」で寝てしまう。



午後5時、閉会。


その後、近くの会食場で交流会


挨拶するバオミンさん


投稿者 koyama : 14:38 | コメント (0)

2015年02月13日

バオミンさん一家ディズニーランドを楽しむ

終日、ディズニーランド。

バオミンさんの従兄弟(静岡大留学中)も
静岡から来てくれる。親族でディズニーランドを楽しむ。


昼のパレードを楽しむ



ウオルト・ディズニーの銅像で  長男


ーーーーーー

2月13日は、ディズニーシーへ


投稿者 koyama : 14:29 | コメント (0)

2015年02月12日

バオミンさん一家訪日出迎え

午前5時起床。 
午前6時、自宅を出て日暮里経由成田空港第一ターミナル
北ウイングへ。

バオミンさん一家は午前7時45分に成田着の予定だったが、
到着が2時間遅れる。私は午前7時半に成田に着く。
結局、バオミンさん一家が成田に着いたのは、午前10時を
過ぎていた。

バオミンさん以外の奥さん・長男(小2)、長女(中1)たち3人は
初めての海外旅行。機中ではあまり休めなかったようだが、
元気に成田空港に到着。


しばらく休憩し、スカイライナーで上野へ。

車中で元JASSベトナム事務所スタッフだったSさんから
送られた長男・長女へのお土産を渡す。

上野駅到着


バオミンさん一家と上野動物園へ「パンダ」を見に行く。

上野動物園には、JASSベトナム事務所で日本語教師を
していたIさんが、顧客対応ふ長として勤務している。
偶然の出会いではあったが、バオミンさん一家は
久しぶりの出会いを喜ぶ。

上野で昼食を摂り、京葉線で舞浜駅へ。
ディズニーランド付近のホテルへ投宿。

ホテルへ全教千葉女性部の先生が「陣中見舞い」
に来てくれる。深謝。


バオミンさん一家は飛行機中ではなかなか睡眠を取れず、
かなり疲れていたので早めに就寝。


投稿者 koyama : 13:41 | コメント (0)

2015年02月11日

明日、バオミンさん一家来日の準備

終日、2月15日の「現地報告会」の議案の再検討をする。

JASS関係者からバオミンさんの来日に関する問い合わせあり。


明日から1週間。バオミンさん一家と東京・京都・大阪へ
行く。

明日は、午前5時に起きて、成田空港までバオミンさん一家を
出迎えに行く。

大極鍼灸のお陰で「体調は絶好調」。
寝る前に「ビール」と福島震災支援の「奥の松」の
吟醸酒をほんのちょっと「舐める」。

二男と孫が家に来て夕食を共にする。
人生を語る。

投稿者 koyama : 20:51 | コメント (0)

2015年02月10日

第5回目の「鍼灸」→河童橋商店街

午後12時半。自宅を出て、都営地下鉄「本蓮沼」
から「神保町」経由「本八幡駅」へ。

本八幡駅から徒歩5分。午後2時「ももの木鍼灸院」へ。
今日で5回目。一応、最終治療日。

2014年11月18日に突如「肺炎」入院となった。
その後、体調回復で「ももの木鍼灸院」へ。

西洋医学ではケヤー出来ないものがある。
鍼灸は、体全体を見て、体の調整をしている
ように思われた。

この思想は、ヘーゲルの弁証法思想である。
一つの病巣を単独に見るのではなく、体全体の
中の病巣とみる。弁証法である。

この3カ月。「ももの木鍼灸」の治療を受けて、
東洋医学の基本的思想を少し知った思いである。

西洋医が病巣を直撃する治療であるのに対し、
鍼灸は、「病巣」の根源、体の中の全体的な
バランスを考え、全体的な体の中で「病巣」を
考える思想のように思えた。

いずれにしても西洋医学では解決出来なかった
肺炎入院後の「食欲不振」「倦怠」「お酒が飲めない」
などの問題について、西洋医学は、「個人の嗜好」
「個人の心の問題」として、片づけられてしまった。

「もものき鍼灸院」は、そうした西洋医学が「個人の嗜好」
「心の問題」と言っている諸症状を体全体の状況の
中に位置づけて解決する『思想』を持っていた。
約1ヵ月の治療でほぼ完ぺきに私の体は、正常に
戻りつつある。

改めて東洋医学・鍼灸、更には大極親子の鍼灸治療に
心から感謝している。

私的には、鍼灸は信じていなかった。何か「痛そうな」
「怖い治療」と思っていたが、「痛さはほぼゼロ」であった。

針もお灸も痛くはなかった。心地良いものであった。

人間は先入観を持たずに物事に当たることが必要と
改めて感じた次第である。

大極親子の治療に心底お礼を言いたい。
これで近日中にベトナムに帰国できる。

明日の朝からJASSベトナム事務所長のバオミンさん一家
(奥さん、中1、小2)が来日する。

バオミンさん一家の健康を祈る。

投稿者 koyama : 19:59 | コメント (0)

2015年02月05日

心臓病院通院

朝から雨、のち雪

午前9時過ぎ、地下鉄三田線・大江戸線で都庁前へ。

雪がかなり降ってきた。


以前都庁の地下にサッカーコート大の空間があった。
たくさんのホームレスの人たちが生活していた。

その後、都庁側がホームレスの人たちを排除。
ホームレスの皆さんは、都庁とNSビル前の歩道の路上で寝ていた。
雪の降る寒い午前中である。つくづく、「寒いだろうな」と思ったが
私は何もできなかった。

段ボールのない人は、いくつかの「傘(かさ)」の中で横になって
いた。

小泉政権以降一層貧困化した日本社会の現実を見た思いがする。
こうした現実を見て「何もできない自分」がもどかしい思いである。
小雪の降る中、いくつかの傘の中で寝ている同年代の男性を
見て、発する言葉がなかった。


心電図、診療、採血。前回採血して結果。コレステロールが基準の
7倍という異常な数値。再度、採血をした。

午後11時半終了。雨となった都庁から帰宅。

帰宅途中、巣鴨で下車し2月12日に訪日するバオミンさん一家の
京都行きの新幹線切符など在日中のチケットを買う。


午後テレビで国会討論を見る。

「イスラム国」で殺害された日本人人質問題について、
安倍首相などへ質問。

「イスラム国」は悪魔の国などと言っているが、そもそも
「イスラム国」を作ってしまったのは、ブッシュ米国大統領と
小泉首相などの「イラク侵略」『フセイン裁判・死刑』問題が
出発だった。イラクは国連に加盟した国家であった。
大量破壊兵器があると言ってアメリカや自民党小泉首相
などが、侵略したが、「大量破壊兵器」など見つからず、
その上、1国の大統領を何の権限もないアメリカが死刑
にしてしまった。アメリカこそ侵略国だったのである。

「イスラム国」を悪の国と非難する安倍首相は、自ら属した
自民党がイラクを破壊し、『凶暴ななイスラム国』を作らせた
責任があることの自覚が全くない。人ごとのように「イスラム国
」云々と言っているが、この凶暴な国を作った原動力は、
ブッシュと小泉自民党などであることを忘れてはならない。


投稿者 koyama : 19:49 | コメント (0)

2015年02月04日

2月15日「現地報告会」提案を書きあげる

2月15日午後1時半から行われる「JASS現地報告会」
に提案する「総括」「方針」を書きあげる。

JASS日本・東京の役員の方々、バオミンさんなどに
チェックしてもらうよう送信した。

              
               記

   「2015年2月 JASS現地報告会」

(日時)2015年2月15日(日)P1:30開会
(会場)エッサム神田 3F 大会議室
    ・JR神田駅東口 徒歩数分
    ・東京メトロ銀座線神田駅 3出口前
(内容)①ベトナム現地での活動報告・意見交流
    ②JASSの組織改編報告
    ③JASSベトナム運営委員長バオミンさん一家(4人)参加
 
(会場電話)03-3254-8787
(参加者)どなたでも自由に参加できます。

NHKTVで国会中継を見る。

バオミンさん一家の在日(2月12日~18日)日程の調整。
在日中 東京→京都→関空と移動する。
新幹線の時刻等、バオミンさん一家在日中のホテル、新幹線、
移動関連の計画を立てる。


神田での「現地報告会」の前段で上映する予定の
VTRを見る。

●1995年 JASS加盟の日本のこどもたちが訪越し
  「子どもの家」等を参観し、作成したVTR
●1996年3月 JASSベトナム事務所開所式(フエTV)
●1996年11月 テレビ・アイ「朝日ニュースター」
   「ストリートチルドレンの家」
●2000年4月JICA作成「フエ市児童福祉総合支援」

投稿者 koyama : 16:27 | コメント (0)

2015年02月02日

第5回目の「鍼灸治療」

午前8時半、自宅を出て都営地下鉄で神保町乗り換え、
本八幡へ。

午前10時半、「ももの木鍼灸治療院」へ。
院長の大極さんと息子さんから治療を受ける。
今回で5回目。近くの総合病院に入院し、肺炎の治療を受けた。
病院では「完治」と言っていたが、毎日体がダルく、食事が
出来なかった。退院後、終日寝ていた。

ももの木鍼灸治療院での上記諸治療でほぼ「完全な状態」
に回復した。ももの木の院長先生・副院長先生に感謝したい。

西洋医学では『、問題ない』と言われている体調ではあるが、
生きた人間としては、大いに問題があるのだ。
食事が出来ず、終日体がダルく寝ている、好きなお酒が飲めず、
嫌いな「甘いもの」が無性に食べたくなると言った症状。

ももの木鍼灸院の1ヵ月程の治療で完治した。
心から感謝している。

ほぼ普通の生活が出来るようになった。

次回治療は2がつである。

都営新宿線「本八幡駅」から根津の姉の家へ。
義兄の慰霊のため。お線香をあげに行く。


途中で本を2冊買う。

「捏造の科学者 STAP細胞事件」(毎日新聞 須田桃子著
文芸春秋)

「それでも、日本人は戦争を選んだ」(加藤陽子著 朝日出版社)

「捏造の科学者」を読み始める。はじめから理研は小保方氏を
中心の世紀の発見を創造したことがよくわかる。

投稿者 koyama : 20:19 | コメント (0)

2015年02月01日

大政翼賛社会と化した我が日本

後藤氏の虐殺に強く抗議し、哀悼の誠を捧げたい。

後藤氏殺害にいたる間の我が日本は、あたかも
戦前の大政翼賛社会と見間違える程の「報道自主規制」
「異論排除」「安部政権無批判社会」と化してしまった。

その典型的な出来事が、日本共産党の若手女性国会議員が
ツイッターで「後藤氏救出」に関して安部政権を批判した文書を
日本共産党の志位委員長が「削除」させた事件である。

後藤氏救出という名のもとに「国民の自由な言論」も政府批判も
封殺されるという「民主主義空白」の期間であった。

マスコミは、安部内閣の諸行動を垂れ流し、後藤氏の「戦時下の
こどもたち」報道を繰り返し、放映。

テレビのどのチャンネルも日本のどの新聞もほぼ同じトーンの
報道しかしないという「批判消滅」社会が「一時的ではあり」
出来上がったことに戦慄を覚えた。

どのような出来事が起こっても「批判」「疑念」「疑点」を持つ国民の
権利があり、マスコミを自称する人々は「社会」と「自ら」を批判的に
見る義務がある。

一時的にではあれ、報道の自由が抑制され(自主規制も含め)
「国民の知る権利」が停止状態になったことの恐怖を感ずる。

今後、後藤氏は一層「神格化」され、マスコミによって現代の
「爆弾三勇士」像がつくられる危険を感じているのは、私だけ
であろうか?

投稿者 koyama : 07:36 | コメント (0)