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2015年02月01日
大政翼賛社会と化した我が日本
後藤氏の虐殺に強く抗議し、哀悼の誠を捧げたい。
後藤氏殺害にいたる間の我が日本は、あたかも
戦前の大政翼賛社会と見間違える程の「報道自主規制」
「異論排除」「安部政権無批判社会」と化してしまった。
その典型的な出来事が、日本共産党の若手女性国会議員が
ツイッターで「後藤氏救出」に関して安部政権を批判した文書を
日本共産党の志位委員長が「削除」させた事件である。
後藤氏救出という名のもとに「国民の自由な言論」も政府批判も
封殺されるという「民主主義空白」の期間であった。
マスコミは、安部内閣の諸行動を垂れ流し、後藤氏の「戦時下の
こどもたち」報道を繰り返し、放映。
テレビのどのチャンネルも日本のどの新聞もほぼ同じトーンの
報道しかしないという「批判消滅」社会が「一時的ではあり」
出来上がったことに戦慄を覚えた。
どのような出来事が起こっても「批判」「疑念」「疑点」を持つ国民の
権利があり、マスコミを自称する人々は「社会」と「自ら」を批判的に
見る義務がある。
一時的にではあれ、報道の自由が抑制され(自主規制も含め)
「国民の知る権利」が停止状態になったことの恐怖を感ずる。
今後、後藤氏は一層「神格化」され、マスコミによって現代の
「爆弾三勇士」像がつくられる危険を感じているのは、私だけ
であろうか?
投稿者 koyama : 2015年02月01日 07:36