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2010年06月30日

TU君と一緒に日本へ

午前3時起床。

今日の停電計画は全く「読めない」。
昼間停電すると仕事が出来ないので、フエ滞在最終日には
たくさんの仕事が残っている。

午前3時から午前5時までは100%停電はない。

昨日の受信メールのチェック。必要な送信。


午前5時過ぎ、「見事に」停電。

1時間ほど、横になる。シャワーを浴びる。

午前7時朝食。ブンボー。フエ滞在最終日に私の大好きな
ブンボーは、有難い。

午前8時半、ベトナム事務所へ。

昨日、静岡大学から先日のニフィー一般入試についての
意見が届く。今後の検討内容が盛りだくさんある。

日本語主任のフーン先生・古竹先生・バオミンさんと
今後の対応について協議。今日だけでは回答がでないので、
7月になったら、原田先生も交えて、ニフィープログラムの
フエでの取り組みについて「再検討」することを意思統一する。

午前11時半、昼食。

この時点で停電解除。助かる。午前5時から午前11時までの
停電だった。

1時間ほど昼寝。

日本帰国の最終荷物のチェック。事前に作ってあった「チェックリスト」
で「指差し呼称」。パスポートからEチケット・・・・・。

古竹先生が、「ストリートチルドレン芸術祭」に出品する
こどもたちの絵(10枚ほど)をまとめてくれる。
生い立ち、希望・夢、作者顔写真を撮って、一まとめに
してくれた。助かる。明日、静岡で投函する。
毎年、1人はカレンダー(12枚)の中に入る。

午後5時半、車でフエ空港へ。
フエ空港にはTU君の家族が見送りに来ていた。


1時間ほど雑談をしているうちにTU君のコックホック高校
時代の友人が8人ほどかけつける。親戚も来る。

午後9時半、ホーチミン空港着。

7月01日0時05分初のベトナム航空機にTU君と一緒に搭乗。
考えてみれば、前回の日本帰国も日本料理店のTUOIさんを
連れての帰国だった。
その前、昨年の10月は、関空でバオミンさんとニエン外務部長
を出迎えている。

TU君の日本滞在・日本での学問研究がうまく行くことを願って
いる。時間がかかるがこうして人間を育てることは、楽しい
ことである。
と書きながら、「リー君は今頃何をしているのだろうか?」
「昨日は、落ち込んだようで大人しかったが・・・」などと
リー君を思い出す。

投稿者 koyama : 17:02 | コメント (0)

2010年06月29日

終日、部屋で仕事:明日の日本帰国の準備

快晴  午後4時頃豪雨。室内に雨が入る

午前3時起床 メール送受信。

今日の停電予定は、午前11時から午後6時半までと推定
していたが、どういう訳か「1日中電気がついて」いた。


午前7時朝食。

最近体調悪し。下痢が治らない。朝食は小豆のおかゆ。

午前中、「静大フエ連絡事務所人事に関連したベトナム事務所
改編」についての長い文書を関係者に送付。

バオミンさん・ハンさんと電話で何度も打ち合わせをする。

午前11時半、昼食。雑炊。消化の良いものを作ってもらう。
停電の暑さが50日間続く。さすがに体力消耗。抵抗力、免疫力
が極度に落ちる。食欲がなくなる。生ものなどは食べていないのに
下痢状態が続く。


「ニーチェからスターリンへ トロッキー人物論集1900-1939」
トロッキー著:森田成也・志田昇訳 光文社)

トルストイに対する評価も公正なものに思われる。
貴族出身で貴族の精神を生涯持ち続けたとしながら、
同時に農奴制の中で農民や社会の底辺でうごめいている
人々への関心・思いいれの強さの源泉は何かを探っている。
晩年、トルストイはかなり「神秘主義」的な方向へ行くが、
そうだとしてもトルストイの功績は素晴らしいものだと
評価している。トロッキーの文学に対する評価は公正であり
客観的なもののように思われる。

ボランティア貯金からの会計報告に対する質問状への回答を
考え書く。かなり時間がかかる。

ザリガニエコバッグの製品を持ってくる。現在、76個の
3分の1ほどできている。刺繍みやげ物店の2人の先生が
突然退職を申し出、ザリガニエコバッグは作らないとの
申し入れに驚いたのだが、何とか76枚作製の目処が立った。


大きなバッグの表に二匹、裏に1匹の北海道在来の
ザリガニを刺繍する。刺繍担当者から刺繍の糸がなくなり
ホーチミン市の糸問屋に問いあわせているが、同色の
糸がないとのこと。ベトナムの刺繍糸は、少量を手で
染めている。日本のように機械で大量に作り、貯蔵すると
いうシステムではない。一度手作りで作った糸と全く同じ
色の刺繍糸は、染料の配合の関係で出来ない。

バッグの裏にさらに1匹手作り刺繍をする。

素晴らしい作品が出来上がる。



ザリガニエコバッグ制作には、バオミンさん・ハンさんの
見えない所での努力があった。


午後4時。豪雨。


午後5時半、日本料理店でこどもたちと夕食。

リー君は原因不明だが「落ち込んで」いた。

今夜もたくさんの日本料理店の来客あり。14人。

オーストラリア、アメリカ、イギリス、カナダ。ほとんどの
来訪者が英語ガイドブック「ロンリープラネット」を読んできている。

私に「どうしてフエに来たのか? こどもたちはどんな様子か?」
など、色々と質問してくる。3組(オーストラリアのタスマニア、
カナダのバンクーバーなど)から話を聞きたいとの申し入れあり。

日本語教師の古竹先生が、大塚さんの代わりに獅子奮迅の
活動。

欧米系のお客さんは、「お寿司」「刺身」「天ぷら」の3点が
好物のようだ。

午後9時、14人の来客で閉店。

午後9時過ぎホテルへ。W杯を見る。結果が出る前に
疲れで寝てしまった。


投稿者 koyama : 06:26 | コメント (0)

2010年06月28日

午前4時起床。
今日は予定では午前6時頃停電。

メール受信のチェック。いくつかの返事。

午前5時10分に突然停電。
計画がない停電は本当に困る。仕事のために
朝早く起きなければならない。体が持たない。

午前7時朝食。

午前8時半、ベトナム事務所へ。バオミンさん、ハンさんと
ボランティア貯金からの質問について協議。

午前9時半、静岡大学へ留学するTU君と最後の打ち合わせ。
必要な書類の確認。
持ち物、日程の注意など。

午前11時半、昼食。
停電で暑い。チャオバインカイン(小麦の煮込みうどん)
暑い中で暑い煮込みうどん。頭の中から体中に汗が
にじみ出る。

午後12時過ぎ、昼寝をしようとしたが、あまりに暑くて
寝られない。

読書。
「ニーチェからスターリンへ トロッキー人物論集1900-1939」
トロッキー著:森田成也・志田昇訳 光文社)

マルクス主義者の論文は面白い。
相手の批判をする場合の厳しさ、批判の仕方は
大変参考になる。

トロッキーは、ニーチェをこっぴどく批判している。
批判の基準が、客観的であり、説得力がある。

ゴーゴリーに対しては、高い評価を与えている。

物事を批判する仕方の参考になる。

午後1時半に停電解除。

午後2時からボランティア貯金からの質問状への
回答を書く。

ツノダ・ベトナムの工場建築問題についての
文章を書き送信。

午後6時過ぎ、日本料理店へ。
地球の歩き方日本語教師体験ツアー参加者と夕食会。
私とソン君が参加。

今日、参加者のMさんはJASS日本語学校で授業を
行った。生徒が書いた授業後の感想文を読ませてもらう。
なかなか評判のよい授業だたようである。
事前の準備がかなりしっかりしていたようだ。

ラオスの高校同級生から「ラオディー」のラム酒が届く。

停電をやめろと言いたい。
この数ヶ月、停電のために本当に体が消耗している。
1日8時間ほどの停電が数ヶ月も続くといい加減
体が参ってしまう。抵抗力・免疫力が落ちている。

受信メールも多い。1日20通以上受信。

午後5時半から午後9時過ぎまで日本料理店。

ということで、朝4時から午後9時過ぎまでベトナム事務所
の仕事、や日本料理店。

その後、火炎樹日記を書く。平均的な1日は、朝4時から
午後10時半から11時まで連続の仕事となる。
いつまでこうした仕事を続けることが出きるのか、
多少、自信がなくなる。


投稿者 koyama : 23:09 | コメント (0)

2010年06月27日

日本語教師スタディーツアー

快晴  実際の気温40度を超える。

午前4時起床。昨夜痛飲。多少の頭痛あり。
推定・輪番では今日は、朝6時頃から『停電』のはず。
その前に受信メールをチェックしなければならない。
飲みすぎて頭が痛いが、停電前にインターネットを開く。
10通のメール受信。必要なメール返信。

午前6時、推測通り見事に『停電』。
既に室温は、35度を超える。高湿度。
部屋にいるだけで「ぐったりする」。


午前8時朝食。昨日の残りの食事。

とにかくしばらくの間、ベッドで横になり、読書。
「ニーチェからスターリンへ トロッキー人物論集1900-1939」
トロッキー著:森田成也・志田昇訳 光文社)

トロッキーがニーチェをどう評価しているのか? を通して
トロッキーの思想を垣間見る。トロッキーは、1960年前後から
トロツキストとして、左翼陣営(トロツキストからすると既成左翼)
からは、暴力集団として排斥されていた。
しかし、トロッキーが、ロシア革命で何をし、スターリンに対して
何を言ったかは、あまり知られていない、というのか知らされて
いない。一人の革命家として、文学者・評論家としての
トロッキーが何をいい、何を考えたのかを改めて知る必要も
ある時期だと考えている。

午前9時、高湿度の部屋での読書も限界。
電動バイクで「子どもの家」へ。
「子どもの家」では、日本語教師スタディーツアーでこられた
Mさんがこどもたちと市場へ買い物へ。その後、「子どもの家」
の施設を参観していた。ソン君と古竹先生が案内。

午前10時から11時過ぎまで「子どもの家」の歴史、
ベトナムでの日本語教育について話す。



「子どもの家」にお土産を持って来てくれる。クレヨンやパスなど。
感謝。


その後、「子どもの家」のこどもたちと昼食を摂る。

こどもたちと昼食を摂る古竹先生

昼食は日本流に言えば、冷麦の炒め物か?



私は食欲が全くなく、ホテルへ戻る。

自室で昼寝をしようかと思ったが、停電で眠れない。
読書の続き。


昨年は6月までに47冊の本を読んでいた。
今年は、24冊。昨年の半分。今年、読書を忌避した訳では
ない。あまりに忙しい毎日で読書の時間が取れないのが
実態だ。残念。


投稿者 koyama : 20:47 | コメント (0)

2010年06月26日

ベトナム事務所員会議:TU君送別会

快晴
午後4時、暴風雨。町中の木がかなり倒れる。一部浸水。

午前5時起床。メール受信。送信。
ソン君・メンさんの結婚式を中心に多くの来訪者あり。
出迎え、案内等のベトナム事務所員担当者原案を
バオミンさんが作る。最終的にいくつかの修正を加え、
今日のベトナム事務所員会議に提出するようにした。

午前7時朝食。

今日も朝から暑い。気温は既に35度を超えている。

午前8時、ベトナム事務所へ。バオミンさんといくつかの
打ち合わせ。

午前8時半、ベトナム事務所員会議。
ベトナム事務所員は気持ちも一つになり、明るい職場と
なっている。一致団結と言う言葉があるが、ベトナム事務所が
今、その言葉通りになっているようだ。

はじめにバオミン運営委員長の開会。今日の議題の整理。

次に各自の1週間の活動報告。問題点の指摘など。

(ソン)地球の歩き方ミニスタディーツアーの出迎え・案内
    「アクセサリー研修センター」を担当し、日本の支援会社
    ブレラに製品を送る。
    今日から日本語学校ミニスタディーツアーが来る。空港へ
    出迎え。
    「フェリシモ」のこどもたちの写真を撮る。

(フーン)日本語学校「特進クラス」復習・35課~37課テスト
     出席率良くなった。
     木曜日テストだったが、8人中4人しか受けなかった。
     受けなかった生徒のうち2人は「デング熱」に罹った。
     一人は入院している。今、フエではデング熱が流行っている。


(フオン)日本語学校「特進クラス」 来週水曜日聞き取りテスト
     「初級クラス」は8課まで終了。

(古竹) 日本語学校「特進クラス」の会話のテストをした。
      静大に留学が決まっている3人のうち2人は
      会話がうまくなっていたが、一人は問題あり。
      
     初級クラス 会話
     大学生は期末試験・卒業試験で出席率良くない。
     ブライセン社員はよく勉強している。しかし、1日の
     仕事が終わって更に2時間の日本語の勉強。
     後半の1時間は、少し辛そうだ。
   
     ストリートチルドレン芸術祭の絵やプロフィールを
     集めている。翻訳。
     大塚さんが帰国しているので、日本料理店の
     お世話をしている。
     今週の来客数。コンスタントに来客あり。
     こどもたちだけで調理から接客まで一切をしている。

     月   火   水   木  金  
     8   10   8   14  5 (人数)

    


(アン)地球の歩き方ミニスタディーツアーの案内
    久門ーNHK奨学生のお礼の手紙翻訳
    「フェリシモ」のポーチ出来具合いの調査。

(ハン)里親への夏のメッセージが出来上がった。
    7月末里親へ送る予定
    奨学生のお礼の手紙(600枚)の翻訳をしたが
    小学生の内容は簡単なので直ぐ翻訳できるが
    高校生が医科大の学生のお礼の手紙は内容が
    難しく翻訳も難しい。

(クアン) いくつかのスタディーツアーの「見積もり」を作る
      各種手紙の翻訳
      地球の歩き方ミニスタディーツアーの案内
      日本語学校39課

(ミン)  2日間、山岳少数民族の視察に小山先生と
      行ってきた。不在中、ベトナム事務所の留守番、
      ありがとう。特に来訪者なく、何も問題はなかったようで
      安心した。

      現在、「子どもの家」のこどもたちの半分(20人程度)は
      親戚などがいるので「里帰り」をしている。
      20人ちょっとのこどもたちは、親戚もなく、里帰りが
      出来ないので「子どもの家」にいる。
      里帰りしているこどもたちも7月第1週には「子どもの家」
      へ帰る。

      「アクセサリー研修センター」の件
      「フェリシモ」の件
      静大工学部ニフィー一般入試の結果
      
      JASS日本語学校で日本語を勉強していたTU君が
      6月30日にフエを出て「静岡大学農学部大学院」の
       研究生として訪日する。小山先生が連れて行く。
      静大入学・入寮・パスポート・ビザなど全ての必要
      書類が揃った。


各自の活動報告の後、バオミン運営委員長より提案された
7月20日前後の来訪者(JASS主催結婚式参加ツアー・
内田さん夫妻・柳沢さん3人組・「京滋YOUの会」・・)
などの出迎え・案内・その他のお世話の担当を決める。
坂本元日本語教師・原元日本語教師のお二人には
JASS事務所員として出きる範囲でお手伝いしてもらう
こととした。

いくつかの質問や変更が行われ会議は終わる。

午前11時。猛暑の中、床屋へ。6月30日、TU君を
連れて帰国するので床屋へ行く。100円。

午前11時半、昼食。午前11時から停電。
暑くて食欲なし。精進麺。

昼寝をしようとしたが、暑くてなられない。

汗を拭き拭き読書。
「使える経済書100冊」(資本論からブラック・スワンまで)
(池田信夫著:NHK出版)読了。

100冊の経済書の古典から現在までの主なものを
紹介している。特に古典で読んで見たいものあり。
更に最新の経済学説の紹介もあり、有益な本ではあるが、
それぞれの本に著者がコメントをつけているが、かなり
「偏った」評価をしている。コメントなので池田氏の意見と
して読んだ。

午後4時、一天俄かに掻き曇り、黒い雲が動き出す。
雷の轟音。台風のような強風。近所の家のトタン屋根が
飛ばされている。豪雨。窓を突き抜けて部屋の中に
雨水が浸水。

1時間ほどたって、静かになる。

今日は午後5時から日本語学校卒業生のTU君の
静大留学の「壮行会」があり、呼ばれている。
バオミンさんと出席。途中、フエ市内は先ほどの
小型台風のような強風と雨で町中が混乱していた。
フエ中心の「レロイ通り」の並木がかなり倒れている。

強風で大木が「レロイ通り」の真ん中に倒れている。
オートバイ・車の通行が出来ない。


今年のフエは生活するだけでも大変だ。停電があり、
最近は断水も始まっている。その上、小型台風の通過で
町中の屋根が飛んだり。何かの「祟りか?」・・・・。

午後5時過ぎ、TU君の家へ行く。
既に親戚の人たちが30人ほど集まり、「TU君訪日壮行会」
が始まっていた。

フエでは、外国に留学するということは、まだまだ「洋行」
の感覚が残っているのだ。

TU君のお父さんが挨拶。「小山先生のお陰で息子が
日本の大学で好きな柑橘類の研究が出きる。感謝している。
息子に勉学の機会を与えてくれたありがとう」

私の挨拶。「私はJASSの代表であるが、同時に静岡大学
フエ連絡事務所長もしている。TU君が静岡大学農学部で
勉強できるように協力することは、私の仕事だ。
TU君が静岡大学にいけるようになるまでには、日本の
多くの人たちの見えないところでの協力があったことを
覚えておいて欲しい。しっかりと勉強し、フエに戻って
フエ大学の先生になり、後輩を指導して欲しい。
JASSは日越友好をその目的の一つにしている。
こうした『人材養成=人を育てること』が本当の
友好につながると思う」。


前のフエ市共産党委員長の「クアンさん』も参加。

田舎の素朴な壮行会。親戚の人たちが、ニワトリを捌き、
牛の胃や心臓を持ち寄る。特に牛の胃袋(日本ではセンマイ)
が美味しい。

TU君の両親と両親の兄弟・親戚が総結集した感あり。

TU君の父親(トアンさん)とフエ市人民委員会外務長のニエンさん。


現在のフエ市共産党委員長のユンさんも駆けつける。

地元の会社からTU君訪日の花束が贈られていた。


今日の壮行会の多くは農民の皆さん。
乾杯をするたびに「W杯の日本はすごい」と言われる。
ベトナムはことサッカーになると人間が変わるほど
国民的に燃える国だ。ベトナム人に取っては、
日本と韓国の決勝リーグー進出はアジアの代表と
しての「誇り」のようなものを感じているようだ。
私はサッカーに全く興味がない。正直を言うと
サッカーのルールすら詳しくはしらない。オフサイド
いうことばは知っているが、詳しくは知らない。

次から次に乾杯する参加者のベトナム人から「ワールドカップ
の日本の試合は立派だ。すごい」と私が日本サッカーを
代表して「誉められて」いるようで、面映ゆい気持ちになった。
「すみません。私はサッカーのルールも知らない人間です。
ワールドカップで日本が勝ったか負けたかにも全く興味が
ないのです」などとは言えない。
リー君などは、日本の選手の名前をほとんど知っている。
私は「中田」と「カズ」位しか知らない。

せっかく「日本の決勝進出」をほめてくれたベトナム人と
それ以上、サッカーの話で盛り上げられなかったのは
残念。

日本のサッカーワールドカップ決勝進出がベトナム農民
の皆さんや共産党の幹部の皆さんにかなり強い衝撃と
アジア人の誇りを感じさせていることを実感した。
スポーツも政治的な側面をもっているのだと、改めて
感じた次第である。

けして贅沢で豪勢な壮行会ではなかった。素朴で質素な
ものだったが、心温まるベトナムの農民の伝統と気持ちが
伝わってきた。

午後8時半閉会。痛飲。

投稿者 koyama : 07:12 | コメント (0)

2010年06月25日

ナムドン山岳地帯視察から帰る

今年の7月末から9月末まで続く「夏のスタディーツアー」
の現地視察・打ち合わせに行く。バオミンさんと一緒に。
ナムドン山岳地帯のカトゥー族村長・地元の公安、
ナムドン郡の郡長・地元の警察などと打ち合わせ。

午後4時過ぎフエへ帰る。

大量の仕事が待っていた。


「フェリシモ」へこどもたちの絵と写真を送る。
ブライセン本社と人事考課について打ち合わせ。

午後5時半、久しぶりに日本料理店で夕食。
日本人は私と古竹先生の二人になった。

フダ生ビールを5杯ほど立て続けに飲む。
リー君から「ある恋愛問題」についての相談を受ける。
『おれはNさんのことを考えると胸が痛くなる。苦しい。
俺にお金さえあれば・・・・・』といつもの間違った総括へ
迷い込んでしまってはいるが、彼女のことを考えると
夜も眠れないと言うかなり「強度の恋愛感情」に発展している
ことが分かる。リー君の純粋な気持ちは理解できる。
私は①いつも清潔なみなりをする。衣類はきれいにあらって
臭くないようにしなさい。
②彼女にいつも親切にしなさい。 ③乱暴な態度、粗暴な態度を
取らず、やさしく接しなさい。
と忠告する。リー君の気持ちは23歳の男性の極めて正常な
気持ちである。リー君は女性が何を考え、何を欲しているのかが
理解できていない。「女はお金が好きなんだ」で総括して
しまっている。お説教を垂れている私自身が女性が何を考え
どう行動するのか?ということが未だに分かっていない人間
なのである。リー君に「女性はな・・・」などとお説教を垂れる
資格なしではあるが・・・・・。

昨日は14人の来客があったそうだ。今日は3人。
午後9時閉店。


投稿者 koyama : 23:21 | コメント (0)

2010年06月24日

今日からナムドン山岳地帯の視察

今日から2日間、ナムドン山岳地帯の視察にバオミンさんと
出かける。夏のスタディーツアーの事前準備。

電話等が通じないので何か連絡がある場合はベトナム事務所へ。

帰還は6月25日の夕方。

投稿者 koyama : 01:02 | コメント (0)

2010年06月23日

ボランティア貯金質問状への回答:バンベー最終校正

晴天  気温40度以上。

午後2時から午後6時半過ぎまで停電。

午前3時起床。停電前にメールの送受信をする。
1日30通ほどのメールがある。1日開かないと
翌日60通ほどになってしまう。


最近は停電に「法則性」が全くない。担当者の「恣意」そのもの。
以前は、午前中 →午後 →1日電気あり →午前中 →午後
その後、午前中 →午後 →午前中 →午後などという
法則性があった。フエフェスティバルが終わったあとは、
法則性も無視して、担当者の好み・恣意で停電を行っている。

午前7時朝食。
小豆のおかゆ。

午前8時、ベトナム事務所へ。バオミンさん・ハンさんと
JASS会計報告へのボランティア貯金からの質問状への
回答を協議。誠意をもって回答することを確認し、質問状への
回答の具体的な内容を会計担当のハンさん・バオミンさん
から聞く。

2時間ほど話し合う。

その後、バオミンさんとフーバイ工業団地に工場を作るプロジェクト
問題について協議。1時間。

午前11時半昼食。チャオバンカン(小麦の煮込みうどん)

午後12時半から読書
「戦後世界経済史」(猪木武徳著:中央公論新社)読了。
著者は基本的に近代経済学者の「右派」と思われる。
戦後の経済通史としては勉強になった。
しかしソ連崩壊、中国の「4つの近代化」、ベトナムの
「ドイモイ」などについての評価が全くできていない。

午後2時に停電。

午後3時半、ベトナム事務所へ。
バオミンさんとハンさんと再度、ボランティア貯金からの質問状へ
の回答について協議。

午後5時、元「子どもの家」にいた「ターオさん」がお子さん(1歳半)
を連れて日本料理店に遊びに来た。日本料理店のこどもたちと
とは10年ほど一緒に暮らしていた。



改めて小学校低学年の「ターオ」さんを思い出す。

午後5時半、日本料理店の夕食。


日本料理店の夕食を摂る部屋には、「ひらがなを ぜんぶ おぼえ
ます」との張り紙あり。日本料理店の5人のこどもたちの中で
ひらがなを覚えていない人物が約1名あり。

日本料理店は8人の来客。

ロシアから来た先生一家と話し合う。
「貴方は、マカレンコを知っているか?」と聞かれた。
大学時代「マカレンコ全集」読んだことを話す。
今、私がフエでしている活動も「マカレンコ」の「愛と規律の
家庭教育論」の影響を受けていることを説明する。

ベトナムに来て「マカレンコ」という言葉を聞くとは思っていなかった。
午後9時過ぎ閉店。

帰宅。JASS機関誌「バンベー」37号の最終校正に入る。
静岡の支援者「有ケ谷さん」がレイアウトをしてくれる。
10ページのバンベーを読む。明日、必要な訂正などを
有ケ谷さんへ送り、バンベー37号は完成する。

暑い1日だった。

投稿者 koyama : 00:30 | コメント (0)

2010年06月22日

HIEUさん退所式:フエ市人民委員会外務部長懇談

快晴  日中40度を越える。

午前5時から午後2時まで停電。

午前4時起床。昨日の受信メールを読み、必要な返事を書く。
午前7時までメール受信などの仕事をしようと思ったら
突然午前5時に電気が消える。
昨日も午前6時半から午後2時まで停電した。
フエでは停電計画も公表されていないだけでなく、
停電が当局の全く「恣意的」な措置に委ねられているのである。

午前7時朝食。フォー。生野菜をたくさん入れて食べる。美味しい。

午前8時半、ベトナム事務所へ。バオミンさんといくつかの問題で
協議。

午前9時、「子どもの家」へ。今日は日本料理店で働いている
HIEU(ヒエウ)さん18歳の退所式。

今日、ヒエウさんは「はしか」になり、多少熱がある。

ヒエウさんは1997年、4歳で「子どもの家」に入所。
一人っ子。諸般の事情があり、「子どもの家」で生活する
ようになった。
母親(58歳)は路上の物売りをしていたが、体調を崩し
家にいる。母親は喘息で生活が苦しい。

今回、母親から退所の強い希望の申請書が出されていた。
ヒエウさんは、日本料理店で研修中。

今回、「子どもの家」を退所することにより「自立」する。
日本料理店の給料もかなり高くなる。

(小山)お母さん、ヒエウさんの退所を希望しますか?
    また、ヒエウさんと一緒に生活していけますか?
     経済的なことなど・・・・
(母)できます。
(小山)ヒエウさん、退所を希望しますか?
    お母さんと一緒に生活することを希望しますか?
(ヒエウ)はい。

(セン「子どもの家」運営委員長)
   ヒエウさんは個性が強い。
   親を大切にするように。親に失礼な態度を取ってはいけない。
   ヒエウさんは親がいるので幸せなのだと思わなければならない。
   男性関係に問題がある。退所した後は、男性関係には 
   十分気をつけるように。今後は、何か問題が起こっても
    個人の問題・自分の責任になることを肝に銘じておくこと。

(小山)日本料理店での料理作りは大分上手になった。
     男性関係に問題あり。今後、十分気をつけること。

(ヒエウ)JASSの皆さん、「子どもの家」の先生には
      大変お世話になった。感謝している。
      今後は日本料理店で頑張って行きたい。
      日本料理店で料理を教えてくれている大塚さんを
       失望させないよう気をつける。

     ヒエウさんはそうした挨拶をしながら泣いていた。

母親が退所同意書にサイン。

セン「子どもの家」運営委員長もサイン

無事「退所式」を終え、恒例の記念撮影

母親とヒエウさん。顔の輪郭が良く似ている。


午前11時、ベトナム事務所に戻る。
ベトナム事務所員は最近「和気藹々(わきあいあい)」の雰囲気。
ベトナム事務所がそれぞれ『個性』を伸ばして仕事をしている。
大変良いことである。私が一番望んでいたこと。

ここだけは特に『個人的な和気藹々』の雰囲気が漂う。

午前11時半、昼食。チャオ・バイン・カイン(小麦粉の手打ちうどん)
私の大好きなベトナム料理。美味しい。

引き続き「停電」が続く。

昼寝。室温45度。暑くて眠れない。


午後2時。フエ市人民委員会外務部長・副部長と懇談。
1時間。いくつかの重要な問題について協議。意見一致。

午後3時半、ホテルに戻る。停電解除。

受信メールを読み、必要な大量のメール送信。

午後5時半。日本料理店で夕食。


日本料理店の前の通りを歩く人なし。
午後8時半になっても来客なし。人通りなし。
閉店とする。


投稿者 koyama : 22:59 | コメント (0)

2010年06月21日

岡山の院長先生来訪:地球の歩き方ミニーツアー夕食会

快晴 日中の気温40度以上。

午前6時から午後2時まで停電。

午前4時起床。日記、メールを読み必要なメールに送信。

午前7時朝食。ブンボー。生野菜をたくさん入れる。

午前8時半、ベトナム事務所へ。

午前9時、刺繍みやげ物店の先生二人が来訪。
退職を通告される。予想外のことだったのでショックを受ける。

午前10時、岡山の病院委員長とテレビ取材のクルーが来訪。
ベトナム事務所で30分ほど懇談。

その後、テレビ取材のため「縫製研修センター」、「子どもの家」へ。

午後12時。バオミンさんと一緒に「チャーハン」を食べに行く。
最近、普通の量の食事が「多い」と感ずる。食べるのに一苦労。

ホテルへ戻る。停電。密室のホテルの部屋で汗をふきふき
昼寝。実際には昼寝はできなかった。暑苦しい部屋の中で
寝くれないまま、時を過ごす。無駄な時間。

午後2時、停電解除。

パソコンを開き、受信メールをチェック。

「子どもの家」のこどもたちの絵をチェックするする。
なかなか良い絵を書いている。ベトナムのこどもたちの
精神状態が絵に反映している。真面目な姿勢が絵に出ている。

JASS日本の代表、各地の会の代表の皆さんなどへ
刺繍みやげ物店の先生が突然退職を告知しに来た経過を
メールで伝える。

日本の「フェリシモ」から電話あり。1時間ほど話す。

マルタカ社長から電話。長時間話す。

午後6時半、日本料理店で地球の歩き方ミニスタディーツアーの
方と夕食会。
バオミンさん・古竹先生と一緒に懇談しながら夕食。



午後9時終了。

投稿者 koyama : 23:53 | コメント (0)

2010年06月20日

地球の歩き方ミニスタディーツアー講演会

午後2時から午後6時半まで停電。


午前4時起床。受信メールのチェック。
昨日の昼食時、マカロニスープを作ってもらう。

午前7時、朝食。マカロニスープ。

午前9時半まで「バンベー」(JASS機関誌)の校正作業。
レイアウトをしてくれた有ガ谷さんの送ってくれたバンベーの
校正をチェックする。全ての文章を読み、必要な加筆訂正を
行う。

午前9時半、ホテルを出て、「子どもの家」へ。
今日はミニスタディーツアー(2人)が「子どもの家」へ来ている。
午前10時から1時間15分「講演会」を行う。

今日の案内は、アンサンとソン君。日曜日である。頑張って
くれているアンさん、ソン君に感謝。

「子どもの家」では、「ストリートチルドレン絵画展」に出展する絵画
をこどもたちが描いている。


フエ芸大のフック君



JASSの国際支援の特徴、他団体との違う点を話す。

ミニスタディーツアーのお二人は本当に真面目な方と見た。

午前11時半、「子どもの家」と昼食。

ホテルへ帰る。午後12時過ぎ。
暑い。外気温40度以上。

あまりに暑いので昼食の食欲なし。

午後2時、停電。
暑い室内で一人で読書。

デスクトップのパソコンは停電で使えない。
ノートパソコンで「バンベー」の校正を行う。
写真のキャプションの追加。語句の修正等。

午後5時過ぎ、停電中。缶ビールを飲もうと思ったが
停電で温かい。それでも果敢に温かい缶ビールを飲む。

投稿者 koyama : 23:39 | コメント (0)

2010年06月19日

原田先生帰国:日本料理店給料日:ヒエウさん誕生日

快晴

午前6時から午後2時まで停電。

午前4時起床。メールチェック。必要な返信を行う。
日中、あまりにたくさんの仕事が入っていること、
停電のためパソコンが開けないことなどの理由で
メールの受信チェックが出来ない。
メールを送信しても直ぐに返信がない場合は、
上記の理由でメールを読むことが出来ないと
ご理解頂きたい。

午前7時朝食。

午前8時、ベトナム事務所へ。バオミンさん・ハンさんと
いくつかの問題で協議。

バンベーのレイアウト原案が静岡の支援者である「有ガ谷さん」
から送られてきた。文字の校正をしたのだが、誤字脱字が多い。
改めて明日の日曜日に全ての文章を読んで校正をする。
最終ページの3分の1があいているとのこと。必要な記事を
いれて欲しいとの依頼。

日本語教師募集要項をいれる。明日、原案を書く予定。


午前11時半昼食。おかゆ。

停電中。昼寝をしようと思ったが暑くてねられない。
体中から汗が絞り出る。それでも我慢してベッドで
横になっている。とにかくこの数ヶ月休みもなく
動いていた。疲労困憊。体と頭を休めることが
活動を持続させる源泉。

午後2時半、ベトナム事務所へ。

原田先生が一時帰国。

刺繍関係の仕事で関係者を呼んで打ち合わせ

午後3時。日本料理店の給料日。一人一人に給料を
渡す。


グエットさん

トウオイさん



チャンさん


ここまでは特に問題なく給料を手渡す。
これからが、本日の「メインイベント」だ。

リー君の登場。
今日は給料日だというので、わざわざ床屋に行ってきたとのこと。

給料を渡すにあたり改めて生活上の注意をする。
3点。
①ギャンブルをしない
②借金をしない
③悪い友達と付き合わない

リー君は素直に「分かりました」というのだが、
その分かりましたで何度騙されたことか?・・・・

リー君の成長を期待し、信じていると話す。

午後5時半、日本料理店の夕食前に「ヒエウさん」の
誕生祝いをする。こういう時はどういう訳かリー君が
取り仕切るのだ。

ヒエウさんは明日で満「18歳」になる。
小学校1年生の入学式は私が父親、「子どもの家」の寮母さんの
キムアインさんが母親役で手をつないで入学式に行ったものである。
その子が18歳になった。感慨深いものがある。批判があるのかも
知れないが、ある程度長い年月を一箇所で過ごすことも必要かと
改めて感じた次第である。

グエットさんから誕生祝のネックレス

18歳の誕生祝のケーキ。こうしたことも日本料理店の
こどもたちには必要なこと。


誕生会を終わり、急いで「古竹先生」の授業を参観



古竹先生の授業を参観し、帰りのフースアン橋の袂に
火炎樹がきれいに咲いていた。


今日の誕生日のヒエウさんが作った「三色ごはん」

ホーチミン市から注文しておいた「マグロ」が届く。


日本に「日本料理留学」したトゥオイさんが『捌く』



トウオイさんの捌いたマグロで「フダ生ビール」を飲む。
本当に美味しい。

投稿者 koyama : 23:19 | コメント (0)

2010年06月18日

重要メール返信:TU君訪日関係書類最終確認

快晴  気温40度

午前6時から午後1時半まで停電。


午前3時起床。あまりに忙しくメールの受信チェックが
出来ない。既に60通ほどメールが溜まっている。
2時間ほどかけて60通のメールを読み返信をする。

この数週間は本当に忙しい毎日だった。

午前7時朝食。ブンボー。野菜をたくさん入れる。

午前8時半、ベトナム事務所でバオミンさんといくつかの
問題で協議する。1時間半。

午前10時、東京の某社の社長とスカイプで1時間話をする。
私とバオミンさんが参加。

午前11時、来春静岡大学農学部大学院入学をめざし6月末
私と一緒に訪日するTU君と訪日に際しての各種書類の
準備・点検を行う。



午前11時半、昼食。牛肉入り雑炊。


今日は午前6時から停電。

昼食後の昼寝時間が一番暑い。猛暑と多湿の中で横になる。
なかなか眠れない。

午後2時半から午後5時まで各種文章・メールなどを送信する。

午後5時半、日本料理店で夕食。古竹先生は日本語学校。

たけのこのおかず。

ビールのあつまみ。するめ。


今日は町を誰も歩いていない。人のいない静かな夜。

午後8時半過ぎまで日本料理店を開店したが、
来客ゼロ。閉店。


投稿者 koyama : 22:52 | コメント (0)

2010年06月17日

バオミンさんと打ち合わせ:ドン君退所式:大塚さん一時帰国

快晴  気温40度を超える

ベトナム事務所、午前5時半から停電。

午前5時起床。

午前7時朝食。ブンボー。

午前8時、ベトナム事務所へ。バオミンさんと当面の
いくつかの問題を打ち合わせ。

バオミンさんも私もかなり疲労がたまり体調を崩している。
バオミンさんは昨日、半日休む。今日は仕事があり
どうしても出勤。

午前10時、「子どもの家」でドン君の退所式。
ドン君20歳。
母親は日雇いアルバイト。食堂の皿洗いなどの日雇い。
父親死亡。農家。
1996年(6歳)に入所。14年間、「子どもの家」で生活していた。

現在はアルミの窓やたんすなどを作る研修に行き、給料を
もらえるようになり自立。今日は母親も出席。

セン運営委員長の経過報告。
私からは今後の生活について質問。

母親は14年間のお礼を言う。


母親は字が読めない、書けない。
退所届けの文章をドン君が読み、母親に伝える。



子どもが4人いて、夫が急逝。生活の苦労は良く分かる。
母親も子どもと別れて14年間も生活したことは、本当に
辛かったと思う。

ドン君の新しい門出を皆で祝う。


退所式の帰りに刺繍みやげ物店へ。

ポストカードのポーチ。700個出来上がっている。
2400個の注文あり。1年間で1万個の注文。
刺繍みやげ物店全員が1年間かけても1万個の
ポストカードのポーチを作るのは並大抵のことでは
出来ない。今年、刺繍みやげ物店は、ポーチ以外の
製品の制作は不可能と刺繍の先生は言っている。
たくさんの注文があり有難いことではある。

担当のベトナム事務所員のアンさんが、当面2400個の
ポーチ作りを点検している。アンさんは、真面目に良く仕事を
する。感謝している。



午前11時半、昼食。チャオバンカン(小麦粉の煮込みうどん)

30分ほど、昼寝。熟睡する。疲労が溜まりに溜まっている感あり。

午後2時半、バオミンさんなどと一緒にフエ空港付近の
フーバイ工業団地を視察。

午後5時前、日本料理店へ戻る。

午後5時、大塚さんが健康診断のため一時帰国する。


午後5時半から日本料理店開店。

今日は3人の来客。お寿司の注文あり。

古竹先生・原田先生も調理を手伝ってくれた。

午後9時閉店。

今日も1日暑かった。40度の空気を吸いながら生活する
こと自体が闘い。1日が終わると本当に疲労困憊。

ベトナム事務所の健康が心配。

投稿者 koyama : 23:34 | コメント (0)

2010年06月16日

バオミンさんと打ち合わせ:日本料理店会議

快晴

ベトナム事務所は、午前6時から午後2時まで停電。

午前3時目覚める。体調不良。眠れない。

読書「戦後世界経済史」(猪木武士徳著:中央公論新社)
戦後の世界経済史の本ではあるが、資本主義経済の
歴史、社会主義の発生と滅亡の歴史を俯瞰している。
200年位のスパーンで資本主義経済と世界の「発展」史
を概観している。非常に参考になる。

午前7時朝食。キャッサバ芋の煮込みうどん

午前8時半、ベトナム事務所へ。バオミンさんと
緊急な課題について突っ込んだ打ち合わせをする。
バオミンさんはその足でフエ市人民委員会へ。

その後、バオミンさんと電話で打ち合わせ。
バオミンさんは自宅へ帰り安静。体調を相当崩している。

午前11時半昼食。

食欲全くなし。ほとんど喉を通らない。お茶を飲む。(生葉茶)

昼寝をしようとしたが、蒸し暑くてなかなかねむれない。
それでも2時間ほど横になっている。

午後2時過ぎ、ベトナム事務所へ。やっと停電解除。

日本料理店会議。

日本料理店で指導してくれているオアシスの会の
大塚さんが、「人間ドック」のような体調検査のため
1ヶ月間帰国。明日夕方フエを離れる。

日本料理店のこどもたちに大塚さん一時帰国の件を
話す。大塚さん不在の1ヶ月の諸注意を行う。
大塚さんの代行は、古竹先生が行うことなどをはなす。



大塚さんから挨拶。『病気で帰るのではない。検査のための
一時帰国。私の不在中は、皆さんが協力して仕事をして欲しい』


その後、古竹先生の日本語教育。



私も体調を崩し部屋で寝ている。


夕食を摂らず、缶ビール3本。読書。
就寝。

今日で国会が終わり、7月11日の参議院選挙に
突入した。

投稿者 koyama : 16:53 | コメント (0)

2010年06月15日

停電再開:バオミンさんと打ち合わせ

快晴  気温40度。 夕方豪雨

午前3時半目覚める。

読書「1945年春 ローズベルト アメリカ大統領の死んだ日」
(仲 晃著:岩波書店)読了。

午前7時朝食。

午前6時から午前8時まで停電。

午前9時、ベトナム事務所へ。
バオミンさんといくつかの重要な問題について
基礎的な意思統一。


途中、オートバイの事故



午前11時半、昼食。食欲なし。
体がだるい。

1時間ほど昼寝。

読書「戦後世界経済史ー自由と平等の視点から」(猪木武徳著:
中央公論新社)

自由と平等という理論的には相容れない部分を持つ概念を
視点に戦後の世界経済史を概観する。経済の基礎教養として
学ぶべき点あり。

バオミンさんが、体調を崩し、午後は自宅で休養。

ベトナム事務所へ。ベトナム事務所は午前11時から
午後6時まで停電。午後は、自家発電機を使う。

大塚さんと日本料理店などいくつかの問題で意思統一。

日本料理店では、先日復帰したリー君が日本語の勉強を
していた。リー君の復習を大塚さんが教えていた。


毎週、月・水(古竹)、金(原田)の3回、日本語を勉強している。

午後5時半、久しぶりに日本料理店で夕食。

今日は町全体に人がいないようである。来客2名のみ。

リー君がどんな風の吹き回しか、日本語の勉強を始める。

一緒に日本語を勉強している女子もリー君の日本語学習を
応援。


最後には、古竹先生・大塚さんという大御所も出馬し、
リー君にあいうえお など ひらがなの書き方を教える。

5分以上座っていられないリー君であるが、30分ほど
座って学習していた。

午後9時、閉店。

閉店間際に豪雨。

投稿者 koyama : 01:55 | コメント (0)

2010年06月14日

静大工学部入試担当の先生方帰国:リー君日本料理店復帰

快晴 


想像した通りだ。午前10時半から午後5時半まで停電。

昨日終わった「フエフェスティバル」。その前の2ヶ月は
フエフェスティバルのために電気を貯めておくとの
当局の説明。更にフェスティバルが終われば、停電はない
などと言う「まことしやかな」噂が流れていた。

フェスティバル中の9日間は停電は1回だけだった。
町中にネオンが輝き、ふんだんに電気を使っていた。
とにかく日中は40度のフエである。全てのメインイベントは
夜である。煌々と照明・ライトつけての催しである。
電気の無駄遣いはまさにフエフエフェスティバルに極まれりで
ある。

午前3時に暑く寝苦しいので目覚める。

快晴

午前3時に目が覚める。
「ある晴れた日に」(加藤周一著:岩波書店)読了。

1942年12月8日の「日米開戦」の日も1945年8月15日
のどちらも「よく晴れた日」だったそうだ。

典型的な敗戦前の日本人が出てくる。戦前教育を受けた
軍国人間、一部反戦意識のある知識人、体制の流れに
便乗し威張る憲兵隊、長野の山奥の農村での出来事。
敗戦前の「銃後の日本」の窒息しそうな「一億玉砕」
と叫びながら空襲を受けて「半信半疑」の国民、


午前7時、朝食。ブンボー。美味しい。野菜をたくさん「ぶち込む」

午前8時、ベトナム事務所へ。

バオミンさんといくつかの問題で話し合う。

午前9時、静岡大学工学部入試担当の先生方が
ベトナム事務所に帰国の挨拶に来る。

午前11時、ホテル戻る。
停電。

バオミンさんが緊急問題でホテルの部屋に来る。
いくつかの重要な話をする。

昼食。食欲なし。本格的な風邪を引いたのか?
だるく、喉が痛い、仕事をする意欲なし。

昼寝。停電。室温50度以上の部屋で汗をかきながら
横になるが寝られない。
流石(さすが)に「孤独感」を感じる。ベトナムに来て
こんな暑い部屋で一人で汗をかき横になり、体調の悪い中で
昼寝をする自らの「境遇」を考える。

とにかく暑い。

読書「1945年春 ローズベルト アメリカ大統領の死んだ日」
(仲 晃著:岩波書店)

日本ではルーズベルト大統領と表記されている「ニューディール
政策」の大統領。

アメリカでは「ローズヴェルト」と発音されてきたそうだ。
ルーズベルト一族は17世紀の中頃、オランダから
「ニュー・アムステルダム」(現在のニューヨーク)に
渡った移民。家名は「ローゼンヴェルト」。
ローズは「バラ」を意味する。

教科書の「ヤルタ会談」などに出てくるルーズベルト大統領は
車椅子に座っている。何故かは知らなかったが、
30代後半に泳いでいて「ポリオ」にかかり、歩行できなくなった。

加藤周一が1045年の春から8月15日前後の知識人と
その周りにいる庶民の息苦しい生活と戦争の終結を
期待する時代を小説にした。(1950年)

ローズベルトは、まさにその日本の敗戦を先導したアメリカの
大統領であるが、日本の敗戦や原爆投下を知らずに
1945年4月12日に脳溢血で死亡している。


ローズベルトの夫婦生活は事実上破綻していた。
政治家になり秘書が必要になり23歳の秘書を雇う。
ローズベルトは23歳の秘書と恋仲になる。

1945年に別荘で死んだ際もローズベルトを看取ったのは
その元秘書だった。

午後2時半。日本料理店へ。今日からリー君が日本料理店
復帰する。勝手に辞めて、ズルズルと仕事を始めるのは
良くない。日本料理店会議を開き、経過を説明。
リー君に自己批判をさせた上で復帰する「儀式」が
必要。

バオミンさんに通訳で私は経過を話す。
大塚さんもいくつかの意見を言う。
リー君が「皆さんに迷惑をかけました」と挨拶。
24歳の挨拶にしては、やはり「稚拙」ではる。
言葉で表現するのが下手。

立っているのが辛い。ホテルに戻る。
部屋は停電。猛暑の部屋で横になる。
体中が汗まみれになる。
とうてい寝られない。それでも「横になっている」ことが
大事。

バオミンさんと電話でいくつかの問題を話し合う。
午後5時半。停電解除。

体調が悪く食欲なし。夕食を摂らず、部屋で寝ている。

投稿者 koyama : 20:32 | コメント (0)

2010年06月13日

静岡大学工学部入試(面接)・日本料理店を退職したリー君と懇談

快晴 気温38度 夕方曇り強風・雷

午前6時起床。

午前7時簡単な朝食。

午前8時、静岡フエ青年交流会館へ。
今日は静岡大学工学部ニフィープログラムの一般入試(面接)。

午前中はホーチミン市から来た8人の受験生の面接。
一人20分。会館の1階は受験生の待合室。



ベトナム事務所の担当者 フーン先生・原田先生・古竹先生
フオン先生。受験生のお世話など・・・・。



午後の面接はフエの2人。

午前9時、JASSベトナム事務所で数日前に勝手に日本料理店
を退職したと称している「リー君」と話し合い。

私、大塚さん、バオミンさんが参加。2時間ほど話し合う。


(小山)リー君、今日君と会うが、先日の勝手な「退職事件」について、
    どう思っているのか? 最初にリー君の現在の気持ちを聞きたい。

(リー)間違っていた。
(小山)どこが、どう間違っていたのか?
(リー)大塚さんが支援をしてくれている。その時約束したことを破った。
    ギャンブルをしないと約束したのにギャンブルをしてしまった。
    借金をしないと約束したのに翌日、25万ドン(1250円)の
    借金をしてしまった。

(大塚)何故、借金をするのか?
(リー)ギャンブルや自転車を質屋に入れてある。自転車に乗りたくなり
    借金をして自転車を質屋から出した。
(小山)誰から自転車の質出し代(1250円)を借りたのか?
(リー)隣りの精進料理屋から。
    (注)隣りの精進料理屋兄弟を先週の日曜日に呼んで
       リーにお金を貸さないようにと注意したばかり。
       貸すほうも悪い

(大塚)自転車の質屋代25万ドンは、私が払ってやるから
     借りた人を連れて来なさいと言ってあったのに。
(リー)わかっていたが、早く自転車に乗りたかったから
    精進料理屋に借りてしまった。
(大塚)先日、リーが勝手に怒って日本料理店を辞めると
     言った一つの出来事は、リーが厨房で出来上がった
     料理を
     「注文の料理ができた」と大きな声で何度も言ったのに
     私の言うことを無視。その後も注意したが、私の
     言うことを全く聞かなかった。

(リー)今は反省している。
(大塚)昨日、ホーチミン市に行くとのメールがあったが、
    ホーチミン市で何の仕事をする気か?
(リー)何も仕事は決まっていない。「クビ」になったので
    ホーチミン市に行こうと思っていた。
(小山)日本料理店はリー君を「クビ」にするとは一度も
     言っていない。自分で勝手に怒って「俺は辞める」
    といっただけのことだ。
(リー)はい。そうです。
(小山)リーはこれからどうしたいのか?
(リー)日本料理店に戻ってもう一度働きたい。
(大塚)昨日は15人の来客があった。接客係りのグエットさんは
     一人で接客をした。英語も立派にできた。リー君がいなく
     てもグエットさん一人でも接客は出きる。
     自分がいなければ、日本料理店は困ると思っている
     としたら、間違っている。
(リー)自分がいなくても日本料理店は立派に進んでいくと
    思う。
(大塚)ミンさんの意見は?
(ミン)リーは、私と大塚さんに対して悪い態度を取った。
   しかし、もう一度「チャンス」を上げたいと思っている。
   リーは、心の底は悪い人間ではない。しかし、教育が
   足りない。又、自分の気持ちを相手にきちんと伝えるのが
   下手なところがある。
(小山)リー君の課題は
     ①借金をしない(身の丈にあった日常生活)
     ②ギャンブルは絶対にしない
     ③日本料理店やJASSツアーなどの仕事をする際、
       指示に従わず、自分で勝手に仕事をしてしまい、
       何度も大きな問題を起こしている。
       今後は、上司の指示にきちんと従うように。
       万一、上司の指示に異議があるのなら、ぶんムクレずに
       言葉できちんと「自分の気持ち・意見」を言うように。
       日本人に言う時にはバオミンさん・ハンさんが
       ベトナム事務所にいるので通訳をしてもらうように。
       自分で勝手に怒って行動することは良くない。
       今後は、自分の「思い」をきちんと言葉で言いなさい。
(大塚)弟のインは何をしているのか?
(リー)フーバイ空港の近くの木工所で仕事をしている。
(小山)今日の話をしっかりと頭の中で反芻するように。
     明日(6月14日・月)から日本料理店に出勤するように。
     明日、午後2時半に日本料理店会議を開催する。
     その場でリー君は日本料理店のスタッフにも自分の
     気持ちをきちんと伝えること。
(リー)はい、分かりました。

ーーーー
以上、2時間の話し合いのダイジェストである。

個人的には、また「同じ問題」を繰り返す可能性は濃厚との
思いあり。
しかし、ホーチミン市に行ってしまえば、私たちの手から離れる。
ホーチミン市に行けば、ヤクザか闇の世界に入るのは
目に見えている。リー君の人生はほぼ決まってしまう。
そうした状況が分かっていながら、問題を再度起こしそうだ
とは思いながらも、リー君をホーチミン市に追いやることは
私たちの仕事(こどもたちに支援・自立)からすれば、やはり
間違っていると思っている。
甘い対応だとの意見もあるかもしれない。しかし。ただ厳しく
すればよいともいえない。ホーチミン市に行き、麻薬の売人、
悪い社会に入る可能性は濃厚であるのに「理屈」だけで
リー君に対応することも「いかがなものか?」と考えた。
リー君は学校教育は5年しか受けていない。生活を
理論的に組み立てる訓練はされていない。
思いを「言葉」で表す訓練もされていない。
両親から日常性の細かい生活上での諸注意をされていない
など考えてやるべき「生い立ち」もある。
私たちが「裁判官」のように「良し悪しだけ」を判定のなら
何とでも出きる。しかし、リー君を「真っ当な人間」に育てる
ことを目指すNGOである。
結局、「騙されながら」「紆余曲折」を辿りながら、成長する
過程をリー君と共有するしかないのである。
悩ましい問題であるが、誰かが寄り添っていなければ、
一人の人間の一度しかない人生がどうなるのか?
を考え、今回はこうした結論になった。
異論もあろうかと思う。しかし、結論はださなければならない。

昼食を摂る気力ない。


午後12時半から1時間昼寝。

読書「ある晴れた日に」(加藤周一著:岩波書店)

午後2時からボランティア貯金完了報告書付属資料の
作成。日記などを見ながら、2009年4月~2010年3月
までの365日の毎日をボランティア貯金交付金のために
仕事をしたことを書く。

午後5時過ぎ、12ヶ月間の全ての記録を書きあげる。

バンベー37号の原稿に「題名」をつける。
日本のレイアウト担当者に送信。

今日は「フエフェスティバル」の最終日。

明日からまた停電が始まるのか?

投稿者 koyama : 18:45 | コメント (0)

2010年06月12日

フエ省知事懇談:静岡大工学部ニフィー一般入試

快晴 気温40度。夕方、雨

午前7時、朝食。

午前9時、トゥア・ティエン・フエ省人民委員会でカオ知事等
と懇談。1時間半。

その後、静岡フエ青年交流会館で行われている
静岡大学ニフィー一般入試会場へ。

今日は筆記試験。午前9時から午後5時まで。数学・物理・化学
英語、日本語など多数の教科試験。

受験生はフエから2名、ホーチミン市から8名の合計10名。


試験会場


ホーチミン市から来た8人の受験生、引率の先生と母親

フエの受験生2人。静岡会館で日本語の「特進クラス」で学んだ。


試験担当のベトナム事務所員


フエは「火炎樹の花」の真っ盛り



午前11時50分 昼食


午後1時間ほど昼寝。昨夜、痛飲。その後遺症あり。

読書「ある晴れた日に」(加藤周一著:岩波書店)
1945年の前半。敗戦間際の東京と長野の間を
往復する医師の主人公とそれを取り巻く理性派の
反戦思想を持つ知識人と特高警察の絡み合い。


午後2時から午後4時半までボランティア貯金申請書付随の
活動実績表作成。1年間、毎日何をしたかを書くには
日記や資料をつぶさに調査しないとかけない。

ピースインツアーと電話で話し合う。

午後4時半、静岡青年会館で行われている静大工学部入試会場
へ。

午後5時過ぎ、本日の筆記試験が全て終了。
試験の補助担当をしたベトナム事務所員。
フーン先生・原田先生・クアン先生・古竹先生


静大の試験官の先生


無事第1日目の筆記試験が終わりほっとする。

その後、ベトナム事務所に戻り、試験官の先生方が
全答案のコピーを取る。2時間。


午後7時から日本料理店で夕食反省会。

今日は来客多数あり。

接客係りがグエットさん一人なでの大変だった。

リー君から電話あり。明日、日曜日午前9時ベトナム事務所
に来るように話す。

午後9時過ぎ、会食・反省会終了。明日の面接試験も
頑張ろうとの意思統一完了。

投稿者 koyama : 08:42 | コメント (0)

2010年06月11日

静岡大学工学部入試準備:フエ市共産党委員長などと懇談

日中快晴。夕方豪雨。気温が下がる。
フエフェスティバルが始まってから毎日、夕方になると雨が降る。
フエフェスティバルは夕方に「メインイベント」が用意されている。
毎晩のように「豪雨」となり、メインイベントが雨で冴えない
状況となる。全体として「雨」でぱっとしないフェスティバル
となった。

午前8時、日本語学校卒業生のTU君の静大大学院入学の
手続き説明とビザ取得についての打ち合わせを行う。
7月はじめに静大農学部大学院に入学し、柑橘類の抽出による
新物質の開発などの勉強を行う。帰国後、フエ大学教師になる
ことを目指している。これもJASS会則に明示されている
日越友好交流の一環である。日本でしっかりと勉強して欲しい。

当面は、ハノイの日本大使館から留学ビザの取得を行う。
その手続きを打ち合わせる。

午前9時、静岡大学工学部ニフィープログラム一般入試
の打ち合わせを行う。
試験はベトナム全土の高校卒業生を対象としている。
ホーチミン市からも受験生が来る。
6月12日(土)は午前8時~午後5時まで筆記試験。
6月13日(日)は、午前8時過ぎから夕方まで面接試験を行う。
試験の準備、手順など細かいことを打ち合わせる。
静大側3人、ベトナム事務所側は、全員が参加。


午前11時半、昼食。

午後12時から30分ほど昼寝。

読書「ある晴れた日に」(加藤周一著:岩波書店)
1950年にかかれた加藤周一の小説。加藤周一自身を
主人公にした小説と思える。東大医学部の医師をしている
主人公が戦争末期、戦争に反対する強い意志を持ちつつ、
何をすべきか? 庶民が進んで戦争に協力・参加している
「世の中」を冷静に分析描写している。


午後2時半、静岡大学工学部入試会場となる
静岡フエ青年交流会館へ行き、明日の入試の具体的な
準備を行う。

静大側3人。

JASS側 小山・バオミン・原田・フーン・フオン。




午後4時過ぎ、皆さんの協力で全ての準備が終了。
ベトナム事務所の皆さんの積極的な協力に感謝。
明日から2日間の入試が無事終わることを祈る。

午後5時、フエ市内でフエ市共産党委員長、同人事部長、
フエ市人民委員会外務部長と私、バオミンさんで
「当面の諸問題」について、具体的な話し合いを行う。


JASSにとってはいくつかの問題があり、具体的に協議する。
共産党・人民委員会側は、今年1月にJASSとフエ市人民委員会
との間で締結された「2020年までのJASSとフエ市人民委員会」
との共同・協力体制について改めて協力体制確立を確認。

JASSに対する不当な攻撃は厳しく取り締まる点を確認する。

フエフェスティバル中で忙しい中、フエ市共産党委員長、人事部長
という共産党の中枢、フエ市人民委員会外務部長という外交の
最高責任者の皆さんが出席してくれたことに感謝する。

今後もフエ市共産党・フエ市人民委員会と協力して
生活困難なこどもたち・障害児支援、奨学金贈呈、日越友好交流
などの諸活動を地道に行って行きたいと決意する。

投稿者 koyama : 07:03 | コメント (0)

2010年06月10日

静岡大学入試担当者来訪

日中猛暑。夕方大雨。気温差が大きい。
喉が痛く、倦怠感強し。風邪を引く一歩手前の状況を予知。

午前5時起床。

午前7時朝食。ブンボーフエ

午前中、ベトナム事務所でいくつかの仕事をする。
バオミンさんと打ち合わせ

メールの受信・送信。

午前11時半昼食。

昼寝。熟睡。

読書「新編 平和のリアリズム」(藤原帰一著:岩波書店)
新編としたのは、1990年代終わりから2000年代初頭に
書いた本を今回増補し、2009年の民主党政権奪取、
オバマ新政権の評価なども入れた「国際関係論」。
20世紀・21世紀の国際関係論では、1991年の
ソ連崩壊がエポックメーキングとなっている。
米ソの核の均衡で成り立っていた世界が、ソ連の崩壊で
アメリカ一極支配へと変化していく。アメリカ一極支配が
世界の力の均衡にも大きな影響を及ぼしている。
55年体制はまさに米ソ対立の日本国内版。
アメリカ機軸一本主義と反米平和を主張する二極の対立と
なって国内に現れる。
米ソ対立がなくなった今、アメリカべったりか?
それとも反米かの対立ではなく、第3極をめざべきだとの
主張。
日米同盟からパートナーシップへを基本に日中関係の
改善。そして日中米の3カ国の共同・協力によるアジアの
安全保障の実現を主張している。

午後3時、フエ市人民委員会外務部長ニエン氏と懇談。

午後7時までベトナム事務所に入ったメール全てをチェック。
返事を出していないメールに全て返事を書く。

今夜から来る静岡大学入試の日程計画の修正。

午後7時半、バオミンさんとフエを出てフエ空港へ。

雨。気温が40度から26度まで下がる。
寒気と喉痛。風邪の前兆。

午後8時10分着の予定だった静岡大学入試担当の先生方は
30分以上遅れて到着。荷物がなかなか出てこない。
結局、フエ空港を出たのは、午後9時過ぎ。

車で市内のフォーの店に行きフォーを食べ、明日からの
静大ニフィー一般入試の手順を簡単に打ち合わせ。
ホテル着。午後10時過ぎ。

自宅着午後10時半過ぎ。

今日は日中40度以上の熱暑だったが、夕方の雨で
急激に気温が下がる。体調管理が大変。
完全に風邪の暑気症状。6月14日(月)までの
5日間の静大入試を成功させたい。

今回の静大入試は、原田先生・フーン先生を中心に
入試の準備・計画立案をしてもらう。
私とバオミンさんは、他の仕事があり時間がとれない。
原田先生・フーン先生が頑張って準備のための準備計画を
作ってくれる。

明日午前9時からベトナム事務所で打ち合わせを行う。

静大大学院に入学するTU君(静岡青年会館付属日本語学校
卒業生)の入学許可書と訪日のための日本の法務省の
認定書が届く。静大の先生が持って来てくれる。
感謝。

静岡フエ青年交流会館付属日本語学校で日本語を勉強した
TU君。日本の大学院留学の第1期生となる。
頑張って勉強して欲しい。日越の文化交流の人間架け橋に
なって欲しい。TU君の静大大学院留学は、1年以上の
準備をしてやっと留学が実現する。感無量。

投稿者 koyama : 21:04 | コメント (0)

2010年06月09日

日本からの来訪者と終日行動を共にする

快晴

フエフェスティバルは盛り上がらない。
昨夜午後10時頃花火の音がしたが・・・・・。
一部の外国人観光客とお偉いさんのための遊び。

午前7時朝食。

午前7時50分、バオミンさんがオートバイで迎えに来てくれる。
某所で某氏と懇談。

午前8時半、ベトナム事務所で日本からの来訪者と
地元の銀行へ。

ベトナム事務所に戻る。ベトナム事務所前の喫茶店の
裏の見えない所でリー君が「ギャンブル」をしている。
私とバオミンさんが現場を確認。あれだけ何回も
ギャンブルはいけないと言っていたのに。
リー君とギャンブルをしているのは大人ども。
リー君は「良いカモ」なのである。リー君は「大負け」をし
得意の『借金』をするに決まっている。こうして又、借金漬けの
生活が復活してしまうことを恐れる。

午前9時、日本人訪問者と関係者の懇談。仲介。
午前11時過ぎまで。なかなか会話がかみ合わない。
外国人との話し合いの経験の少ない人は、この種の
話し合いが下手だ。通訳を通しての話し合いは、第1に
通訳に分かるような日本語を短く使うこと。


午前11時半、昼食。

1時間昼寝。
読書。

午後2時から「バンベー37号」の最終編集。不足原稿、写真等
の確認を行う。時間がかかる。

午後6時、日本料理店へ。日本からの来訪者と私、バオミンさん
の3人で夕食をしながら話をする。

午後8時、リー君が問題を起こす。
リー君は接客係り。日本料理店内にいる。お客さんから
注文を受け、厨房の料理人へ紙に書いて伝える。
注文の料理が出きると厨房から「料理ができた。リー」
との声がかかる。リーはその声を聞いて厨房へ入り
注文の料理をとり、お客さんへ出すという手順である。

ところが今日は、厨房で何度も「リー、リー」と呼んでも
リー君は厨房へ来ない。遠くにいるグエットさんが
厨房へ来て、お客へ食事を持っていく。

大塚さんがリー君に「厨房の近くのカウンターの所に
いないさい」と注意をする。リーは大塚さんの注意を無視する。
大塚さんがリー君の反抗的な態度を注意する。
リーー君は更に言うことを聞かない。

私はバオミンさんと日本人来客と夕食をしていた。
大塚さんが「ちょっと厨房へ来て欲しい」といわれ厨房へ
行く。上記のような状況を見る。

大塚さんが、「仕事はきちんとして欲しい」とリー君に行く。
リー君は「そんなにうるさいことを言うのなら、日本料理店
を辞めてやる」と暴言を吐く。

私はその状況を聞いていて「リー君。日本料理店を辞めたいの
なら辞めるのは自由だよ。代わりの人は何人でもいるのだから」
『その前に仕事の決まりを守らず、大塚さんなど目上の人への
態度が失礼極まりない。はじめに謝罪しない」と厳しく叱責。

大塚さんもリー君の態度を注意する。
リー君は「それなら日本料理店を辞める」といい、日本料理店の
名前を書いた「制服」を脱ぎ捨て、椅子に叩きつけ外へ出て行って
しまう。

その後、事情を聞くと、自転車を「質屋」に入れて25万ドンもらい
使ってしまった。その自転車を出して乗りたいのでまた「25万ドン」
『借金』をして質屋から自転車をだしてしまった。

一昨日、私とバオミンさん、大塚さんで1時間半もかけて
リー君の「借金漬け」生活の改善について話し合った
ばかり。良く分かった、と言っていた結果が再度の
「借金」と「ギャンブル」。
リー君の生活は「ギャンブル」と「借金」そして
借金を返すために再度の借金という「ローン地獄」の人生である。
今回、約200万ドン(1万円)あった借金を大塚さんが全額清算
し、6月20日の給料日までの生活費も出してあげるので、
借金は絶対にしてはいけないとの誓約をさせている。
口では「頑張ります」と言ってはいるが、その実、反省の
「ハの字」もない。その場逃れの「反省の言辞を弄し」、
終われば「けろっと」しているのである。

欲しければ借金をして買い、給料では返済出来ないので
借金を踏み倒すか「物乞い根性」で人からもらって
借金返済をおこなうという生活を繰り返している24才の青年
である。

1時間後、日本料理店を飛び出して行ったリー君が日本料理店に
入って来て平然と「制服」に着替え、仕事を始めようとした。
大塚さんや日本語教師の皆さんが、「さっき、啖呵を切って
日本料理店を出て行ったリー君が、何もなかったかの
ように日本料理店で仕事を始めだすなど信じられない」との
声。

日本人の来客、バオミンさんと日本料理店で会食中だったが
厨房の隣りの部屋へ行き、リー君を呼び出す。
大塚さん、原田先生、古竹先生、バオミンさんでリー君に
真意を聞く。

「何故、さっき 日本料理店を辞めると言って出ていったのに
黙って仕事を始めるのか?」。

リー「仕事をしたいから・・・」。
小山「仕事をしたいのは分かるが、自分で仕事を辞めると
   啖呵を切って出て行った。24歳になる。戻って仕事を
   するには、それなりの挨拶が必要でしょう・・・・」
リー「・・・・・・・・」
小山「一昨日、バオミンさん・大塚さんと借金はしない、
   ギャンブルはしないと約束したのに何故、今日
  日本料理店の前の喫茶店の裏でギャンブルをしていたのか?」
リー「ギャンブルはしていない。カードを持っていただけだ」
小山「リー、舐めるな。今朝、8時半、私とバオミンさんで
   何人かの大人とギャンブルをしている現場を見ていたのだ。
    ただ、カードを持っていただけ、などといういい訳が通用 
   する訳がない。私やバオミンさん・大塚さんが忙しい中でも
    時間を取ってリー君の人生を考えギャンブルの問題を
    話し合ったのだ。ただカードを持っていただけ、などという
    言い訳をするのは、私やバオミンさん・大塚さんに
    失礼な態度だ」

大塚「借金はしないと約束したのに何故、質屋から自転車を
    出すためのお金をまた、借金したのか?。質屋から
    自転車を出すお金は、私が出して上げると言って
    いたではないか・・・・。」
リー「・・・・・・・・」

こんなことを何度も繰り返す。

「勝手に日本料理店を辞めて出て行って、勝手に挨拶もなしに
 日本料理店に入ってくる。ギャンブル、借金の繰り返し。
 そうした生活を本当に直さなければならない」と諭す。

リー君は、「それなら日本料理店を辞める」と又言い出す。
リー君の気持ちは、「自分は日本料理店になくてはならない
人間。自分がいなければ日本料理店は営業出来ない」との
自信過剰がある。
「私は辞めるのは自由。リー君の代わりは他にもいるから・・」
という。

リーは、何も挨拶しないで「プーッ」と日本料理店を出て
行ってしまった。

以上がリー君、日本料理店退職顛末記である。

リー君が10歳、16歳の未青年なら他の対応の仕方も
あった。しかし、24歳。いつまでもこんな乞食根性丸出しの
生き方をしていてはならない。JASSにいれば、どんなことを
しても助けてくれるという気持ちが更に発展し、わがままも
何も助けてくれるという気持ちになり、自信過剰で自分が
いなければ日本料理店は成り立たない。俺がやめたら
日本料理店がどうなるか見ていろ、という気持ちも強い。
こうした態度や気持ち考え方を放置して「甘やかす」のは
却ってリー君にもマイナス。社会のルール。真面目に働き
真面目に生きる。ギャブルや借金などしない生活。
リー君の「身の丈」に合った生活を今こそ学ぶ時期である。
このまま、甘やかしていたら結局リー君のためにもならない。
社会の通常の常識に従って対処した。

午後9時過ぎ、日本人の訪問者の対応を終わる。
午後11時半まで小山・大塚・バオミン・原田・古竹で
リー君問題を話し合う。

帰宅12時。メールの受信チェック。10通のメール。
頭が痛くメールを読む意欲がない。就寝午前1時半。

なんとも不愉快な疲れの残る一日だった。
 

投稿者 koyama : 08:37 | コメント (0)

2010年06月08日

バンベー最終編集

午前5時起床  快晴

喉が痛い。風邪気味


午前7時朝食。キャッサバ芋の煮込みうどん


午前8時、ベトナム事務所へ。「縫製研修センター」支援の
宇都宮マルサ社長佐藤さんが来訪。交通事故を起こした
社員のM氏の件で打ち合わせ。

午前8時半、某会社の社長来訪。3日間、私とバオミンさん
が同行し仕事をする。

ベトナム事務所で関係者と打ち合わせ。
打ち合わせは午前中かかる。


午前11時半昼食。

30分ほど昼寝。

読書「新編 平和のリアリズム」(藤原帰一著:岩波書店)
国際関係学の入門書のようである。
戦争論でもある。武力と均衡、抑止。
外交と世論についても論じている。
米ソ対立;冷戦が崩壊し、アメリカ一極主義となり、
世界の軍事均衡が崩れる。均衡が崩れると
アメリカの「暴走」(世界中にアメリカの「民主主義を普及する」)
が始まったと。イラク戦争を侵略と規定している。

午後2時、バオミンさんとある事務所へ。

午後2時半から部屋で「バンベー37号」の編集。
最終校正を行う。全ての文章を読み、誤字脱字の訂正。
語調・全体の文章のトーンを揃える。
3時間ほどかかる。

午後5時半、日本料理店で夕食。
体調を崩していた大塚さんも少し良くなって来たとのこと。



午後8時。バンベー37号の校正。
全ての文章に対応するよう写真を揃える。
足りない写真は私のストックから探す。

午前0時までかかって「レイアウト」をしてくれる有が谷さんに
送る。YAHOOで23通ほど。4時間ほどかかる。

投稿者 koyama : 01:45 | コメント (0)

2010年06月07日

来訪者応対:リー君との話し合い

午前6時から停電

この2ヶ月以上の停電の最大の理由を「フエフェスティバル」
のためと説明してきた当局の理由が「嘘」だったことが分かる。
フエフェスティバル3日目にしてまた悪夢の停電。
庶民生活に絶大な影響を与える停電。
ハノイ中央・ベトナム中部の幹部と家族の大名旅行が目立つ
フエフェスティバルである。
庶民を犠牲にしての「お祭り」は成功しない。

午前7時朝食。

午前8時、ベトナム事務所へ。
新しい週がはじまった。


ベトナム事務所員も新たな気持ちで仕事に
まい進。

「京滋YOUの会」の古山さんの紹介で「子どもの家」訪問を
する香川の女性が来訪。しばらく話をし、ソン君が案内して
「子どもの家」へ。

引き続き、先日、フエ高等師範大学
で「ソバ打ち」をした長野県小諸市のTが来訪。1時間半
程話をする。ベトナムでソバを植えたい、複式簿記を
ベトナムで教えたいとのこと。


午前11時半、昼食。

午後12時過ぎから1時間昼寝。フエでは「風邪」が流行っている。
私も「ノド」が痛く、体がだるい。

午後2時半。ベトナム事務所でバオミンさんと原田先生の3人で
懇談・打ち合わせ。

6月10日から14日まで静岡フエ青年交流会館で行われる
静岡大学工学部の入試。ベトナム全土からの受験者を対象
としている。ホーチミン市からも10数人の受験者がある。

今日からくる「ある企業家」の4日間の案内日程調整。

バンベー37号の原稿の最終点検・校正・今後の連絡体制
などを相談。


午後3時半。大塚さん・バオミンさんと私の3人でリー君を呼んで
「リー君」の『借金地獄問題』を話し合う。


5月20日給料日に給料をもらい、翌日21日には給料の全額を
借金返済にあてなければならない生活をしている。

その後、6月20日の給料日までは、大塚さんが最低限の
生活費を援助するとの申し出があり今日に至っている。
その間、「まだ借金は残っているのか? 正直に言え」と
追求すると「まだ借金があります」とのこと。40万ドン程度の
借金があることが判明。コーヒー、お酒などを「ツケ」で飲んで
いた。40万ドンの借金も立て替えて返済してやり、
「これで全ての借金がなくなった。6月20日の給料日から
一切借金をしない生活をしなさい」との約束だった。

ところが、6月3日の夜、私たちが案内していた日本からの
訪問者と夜2時まで飲み、その際、かなり高級な「腕時計」
を記念にもらった。

6月4日の夕方、日本人訪問者をフエ空港まで送り、午後7頃
日本料理店で夕食を食べていると「隣りの『精進料理屋』の
次男が、リー君が日本人からもらった腕時計を持っている」
との情報があり、精進料理屋の次男を追及。
結局、リーが次男に25万ドンで売ったことが分かる。
前夜、日本人にご馳走になり、記念にもらった腕時計で
あり、翌日「売り飛ばす」とは・・・・・。情けない。

リー君を呼んで細かく事実関係を聞く。

私には、精進料理屋の次男に10万ドンで売ったといったが
嘘だった、25万ドンで売った。

5月21日の給料日の翌日70万ドン程度の借金を返済した、
その後、更に40万ドンの借金を返済した。

しかし、精進料理屋の次男に25万ドンで腕時計を売り、
5月20日の給料日の翌日から「自転車に乗っていない」。
本当のことを言え。まだ借金はあるのか?

リー君は下を向いたまま「まだあります」とのこと。
今ある借金を全て言いなさい、と私。

以下、リー君の言った現在の借金

①コーーヒー代、ともだちとビールを飲んだ  5万ドン
②食事代 10万ドン(つけ)
③友達の結婚式お祝い 3万ドン
④自転車を「質草」に友達から借金 20万ドン
⑤腕時計 25万ドン
⑥近所の屋台  22万ドン  
⑦日本料理店前のカバン屋の飲み屋  12万ドン
⑧日本料理店の2軒となりの絵画販売店  5,5万ドン

でるはでるは・・・・・・


現在、総計で約100万ドンの借金をしている。

結局、5月20日の給料日時点で月給(100万ドン)の
2倍の200万ドンの借金をしていたことが分かった。

5月20日にもらった月給100万ドン(25万ドンは家賃)。
実際には、家賃を除く月給の3倍もの借金をしていたことが
分かった。

約1時間。リー君と話し合う。リー君は何故、月給の3倍もの
借金をするのか?を問う。
結局「欲しいもの、食べたいもの、着たい物」などがあれば、
直ぐに買いたくなる。「自分の欲望を自分でコントロールできない」
所に原因があることが分かる。

6月6日はリー君24歳の誕生日。24歳になっても自分の
欲しいものがあれば、我慢できず、お金がなければ借金しても
買ってしまう。返済できなければ「踏み倒す」という生活態度。
路上生活をしていた時と全く変らない精神状態である。

大塚さん、バオミンさんとその点を厳しく追及。
リー君は、夕食は日本料理店で無料で食べている。
実際の月給は130万ドン。フエの平均労働者よりも
多い位の金額である。
もらった給料の範囲内で生活するよう話す。
大塚さんが計算し、もらった給料から家賃を差し引き、
必要な生活物資(シャンプー・・・・・・)などを引くと
1日に2万ドンの「自由に使えるお金」がある。
リー君は1日2万ドン以内で「コーヒー、タバコ」などの
嗜好品を楽しみなさいと話す。

多くのフエの庶民はその金額以下で生活しているので
ある。リー君の現在の生活は、フエの「上流階級」の
遊び人の馬鹿息子のしている生活に似ている。

今後は1日2万ドン以内の普通のフエ人の生活をするよう
話す。

リー君は神妙に返事をし、二度と『浪費』『借金』はしない
と宣言。

大塚さんが、今している借金が全額返済してやるから
とのこと。

バオミンさんが、領収書と「二度とリー君にはお金を貸さない。
ツケでの飲食をさせない」との誓約書を書きコピーする。

大塚さんとリー君が近所の屋台、日本料理店の前の飲み屋
に行き借金を返済し、「借金をさせない」との誓約書、領収書
にサインさせる。

ということで夕方の時間が過ぎていく。

私も大塚さんもバオミンさんも「これでリー君の借金癖」が
直ぐに治るとは思えない。「怒鳴ったり、怒ったり」するのは
簡単なことである。しかし、私たちが目指しているのは、
私たちの怒りを爆発させることではない。
リー君の長年の路上生活で身についた「借金壁」を直し、
真っ当な人間にすることである。時間と膨大な忍耐力を
要する仕事である。
私たちはこうした仕事こそ「海外ボランティア」の本質だと
思っている。ある意味では「教育の本質」ともいえる。
学校を建てたり、食料を上げたりするのも
海外支援であることは事実だが、それらは結局「緊急」支援。
海外支援・海外協力の本質は、「人を育てること」に尽きる。
リー君問題は例外的なことではなく、彼の「浪費癖」「借金壁」
を時間をかけて、忍耐強く直していくことこそが、海外協力
の本質であり、実態だと思っている。
リー君の「借金壁」「浪費壁」は、彼の生い立ちを考えれば、
「そうなるかな」と思える節が多い。親がいなく、きちんとした
しつけがされていない。路上での物乞いなどその日暮らし
の毎日の中で身についたものである。

1時間半近く、リー君は神妙な態度で「反省」していた。

午後5時半、夕食。
夕食の前に昨日誕生日で24歳になったリー君の
「誕生祝」をする。先ほどまで下を向いて神妙に
していたリー君だが、誕生祝の会になった途端に
満面の笑顔。これほど短時間に気持ちを「入れ替えられる」のも
リー君の特性。素晴らしいことである。
人間は、1時間半も「絞られたら」、大体は「へ込んで」しまう。
全くへ込んでいないリー君を見ていて、「借金癖は再発するな」
と思った。


フエフェスティバル中はいつも来客は少ない。それでも
欧米系のお客が来店。

午後9時閉店。

投稿者 koyama : 07:45 | コメント (0)

2010年06月06日

終日、ボランティア貯金完了報告書添付資料作成

雨・晴れ・夕方豪雨  荒れた天気
フエフェスティバルにとっては、最悪の天気。


午前9時、ベトナム事務所の隣の「精進料理屋」の
兄弟と会う。

6月3日(木)、日本から来た訪問者と私は午後9時過ぎまで
日本料理店で食事をした。その後、日本人の訪問者は
リー君と一緒に更に飲みに行った。
その際、かなり高級な腕時計をリー君に上げた。

6月4日(金)夜。日本料理店で夕食を食べていたが、
大塚さんが「リー君が日本の支援者からもらった腕時計を
隣の精進料理屋の息子が腕につけている」と言う。
大塚さんが精進料理屋の息子に問い合わせに行く。
私も放置しておけないので事情は分からないが、
隣の精進料理屋に行く。長男と次男が椅子に座っている。
大塚さんが「貴方の腕にある腕時計はリー君のものだが
何故貴方がしているの?」と質問。
精進料理屋の息子は、とぼけた返答。

私はそれを見て「この精進料理屋の息子、舐めた態度だ」と
思い、大塚さんの代わりに腕時計をしている弟に
「お前の腕時計は誰のものだ?」と詰問。
精進弟は、「格好いいのでリー君に借りた」と答える。
大塚さんの話では、リーが精進料理屋の弟に『売った』と
言っている。

私は精進弟に「買ったのか? 借りたのか?」とベトナム語
で詰問。

精進弟は「借りた」という。

私は側にいたリー君に「君は貸してやったのか? 売ったのか?」
「どちらだ?」と聞く。リー君は口ごもったが、「10万ドン(500円)
で売りました」という。
私は精進弟に「お前、買ったんだろ。買ったのに私に借りたなどと
リーと一緒になって私を騙す態度は許さない。舐めるな」と
厳しく注意すると、精進料理屋の中に逃げていってしまった。

今日、午前9時。精進料理屋の兄弟をベトナム事務所に
呼ぶ。バオミンさんと私で対応。今日は日曜日。休みたいのだが
リー君のこの問題を曖昧には出来ない。

精進兄弟がきた。
私は精進兄弟に「腕時計は借りたのか買ったのか?」と聞く。
精進弟は「25万ドン(1200円)で買った」という。

私は「リーが売ったのが悪いのだが、リーと結託し私に嘘をいい、
私を騙すような態度は許さない」と話す。精進兄弟は「リーが
貸したことにして欲しい。売ったというと小山先生に怒られるから」
と言われ、「借りた」と言ってしまった。申し訳ない。また、小山先生
に失礼な態度を取ったことを謝罪するとのこと。

私からは、今回の問題は「りーが時計を売ったことが最大の
問題」と話す。

結局、この3日間の「リー問題」は、リー君が20日に給料をもらい
翌日には給料を全額使ってしまうという「生き方」に最大の
問題がある。

現在、JASSが上げた自転車も「質屋」に入り、日本の支援者
から貰った高級腕時計も売ってしまうという、破産状態。

明日、リー君を呼んでバオミンさん・私、大塚さんで
お説教の予定。

リー君は未だに路上生活の延長線上で生活をしている。
持っているお金は直ぐに使い、お金がなくなったら借金を
する。ベトナムの「拝金主義」の影響を強く受けていることも
事実である。
消費欲を抑えることが出来ない。欲しいものは、お金があろうと
なかろうと「買って」しまう。お金がなければ借金をしたり、
支援者の「善意の寄贈」である腕時計までも売り飛ばすという
およそ人間としての「最低の気持ち」すら投げ打ってしまっている。
今のリー君は「金・金・金」の金権生活。
今日、リー君は24歳の誕生日である。24歳になっても
こんな生活をしていることは情けないことではあるが、
リー君の生い立ちを考えると、きちんとして生き方、生活の
躾をされたことがない。家庭生活そのものの経験がない。

今、JASSがリー君と「闘って」いることは、客観的に見れば
リー君もある意味で「被害者」でもあるが、被害者意識ばかり
では人生を生きていけない。
何とか、給料の範囲内での慎ましい生活をして欲しい。
欲しいものは何でも買ってしまう、お金がなければ、誰から
かまわず借金をする。恩を受けた人からもらった大事な
腕時計ですら貰った翌日売ってしまうという態度は
許されるものではない。

明日、厳しく注意をする予定。

こうした「金権体質」「拝金主意」はリー君だけではなく、
ベトナムでは一般的な現象である。

午後11時、話し合いを終わり、帰宅。

ブランチ。

午後12時から1時間ほど昼寝。

午後1時から午後6時まで「ボランティア貯金完了報告書」付属
資料である「365日」ボランティア貯金交付金で行った活動を
書いてボランティア貯金に提出せよ、との指示。
5時間かけて3分の2程度の活動を書きあがる。
残りは明日。

午後7時半、フダ缶ビールを飲もうと思ったら冷蔵庫が
壊れていた。度重なる停電で故障したものと思われる。

温かいビールを飲みながら、ボランティア貯金の資料を
書く。

午後から夜まで雨。
フエフェスティバルは雨ですっかり落ち込んでいるものと
思われる。私は全く関心がないのでどうなっているのかは
分からないが

投稿者 koyama : 00:12 | コメント (0)

2010年06月05日

ボランティア貯金完了報告付随資料作成

午前4時起床

いつ停電になるか分からない。早朝に必要なインターネット
関連の仕事をする。

昨日の火炎樹日記を書く。

午前7時、朝食。おかゆ。

午前8時、パソコンが壊れる。バオミンさんに連絡し、修理業者を
呼んでもらう。
ソン君が案内して来てくれる。私の使っているデスクトップパソコン
は既に8年も使っている。古くなったことと昔のパソコンなので
「頭脳」の能力が弱い。

1時間半ほどかかり修理が終わる。

ベトナム事務所へ。

バオミンさんといくつかの重要な問題について意見交換。
1時間ほど、率直な意見交換をする。

ベトナム事務所の日常は想像出来ないような問題が
ある意味では「毎日」のように起きる。これらの問題を解決する
回答は全く用意されていない。自分の頭で考え、自分で回答
を出さなければならない。回答が間違っていた場合は、自分で
その「つけ」を甘受しなければならない。
私たちのフエでの活動は常に「不安」が付きまとっている。
この方針でよいのかどうか? 他のやり方・選択があるのでは
と。

この17年間、私は24時間こうした不安を持ちながら、日常の
問題を解決・処理してきた。100%うまくいったとはいえないが
ほぼ問題を解決してきている。
私たちが問題を解決できるのは、解決の「指針」がはっきり
しているからである。個人の利益から解決を考えるのではなく
「こどもたちのためには、どうすればよいのか?」という原則的な
指針を放さずにいるからである。この指針でものごとを
考えれば、それほど大きな失敗はしない。


午前11時半、昼食。

今日は1日電気がついていた。

午後1時から30分ほど昼寝。

午後1時半から午後5時までボランティア貯金完了報告書
提出後に新たに提出を求められている「1年間の活動実績表」
を作る。
2009年4月1日から2010年3月31日までの365日の
毎日を「ボランティア貯金交付金」でどのような活動をしたのか?
365日毎日の活動記録を書け、というもの。
毎日日記でも書いていないと1年後に急にこんなことを言われても
書ける人はいない。

2009年4月・5月・・・・・・と日記を詳しく読む。
その上でボランティア貯金交付金での活動を探し記録する。
1ヶ月分探すのに約1時間半かかる。更にそれをボランティア貯金
から提示されている「毎日活動表」に書き込んでいく。
これが1時間ほど。
つまり1ヶ月(30日分)の「活動記録表」を書くのに最低2時間半
かかる。

途中で疲れて来る。疲れてくると「こんな表を書いて何の意味が
あるのか?」の思いが強くなる。10数年間、ボランティア貯金交付金
をもらっていたが、こんな365日毎日の活動記録して提出せよ、
などといわれたことははじめてだ。お役所仕事の典型。
これが「民間に移行」したゆう貯銀行の下請けのセンターが
おこなっている。既に「お客所仕事」という言葉も使えなくなった。
「下請け仕事」と言うべきか?

午後5時、税田さんから「子どもの家」のフックの絵の写真を
撮って送って欲しいとの連絡あり。
急いで「子どもの家」のスタッフに電話をし、絵画教室の鍵を
私宅に持って帰らないように言う。

電動バイクで「子どもの家」へ。今日から「フエフェスティバル」
が始まる。幹線道路はオートバイと近隣の省(県)の「お偉いさん」
(知事・行政・共産党の幹部)の車で満杯。
お偉い参の車のナンバーは「青色」。フエのプレートナンバー
と違う車が多い。たくさんの警察官が出て交通整理。
それでも警察官の指示に従わずに「勝手」に運転する
オートバイ、車が多い。

「子どもの家」でフック君の絵を何枚か写す。

帰りは行きよりも更に車・オートバイが増える。

午後6時、日本料理店へ。

日本料理店で軽く飲む。午後7時半、原田先生・古竹先生
が日本語学校から帰る。

今日の夕食は「こどもの家」特製の「冷やし中華」。


大塚さんと4人で色々と話す。フエフェスティバルのため
来客は少ない。

午後9時閉店。

大雨。フエフェスティバルのメイン行事が王宮で行われているが
大雨の中での開会行事となる。
参加者はフエ省のお偉いさんと家族、親族、近隣の省の
お偉いさん。

私はフエフェスティバルに全く関心がない。
このフェスティバルのために停電を繰り返していた今日この頃
である。町中がうるさい。早く終わって欲しい。

ホテルへ帰り日記を書こうとしたが、写真を保存する「ピカサ」
が故障し、写真を取り込めない。今朝、パソコンを直しておらった
時に何かの作動をしたのだろう。パソコンを修理してもらった後は
いつも違うところが壊れている。これも致し方ない。
写真掲載が出来ないまま日記を書く。

午後10時半、就寝。

投稿者 koyama : 09:57 | コメント (0)

2010年06月04日

日本からの訪問者と終日過ごす

朝から雨  気温が急激に下がる。

今日は朝から停電になりそうなので午前4時に起き
日記を書く。午前6時から停電。

午前7時朝食。

午前8時、ベトナム事務所でバオミンさん・原田先生と
静岡大学工学部入学試験(6月10日~14日)の
打ち合わせを行う。静岡青年会館付属日本語学校
で行われる静大入試には、ホーチミン市からも
受験生が来る予定。
受験に関する諸準備などを話し合う。

午前9時から午前11時半まで日本からの訪問者と
お付き合い。バオミンさん、アンさんも一緒。

昼食はチャオバンカン。


午後12時半ホテルへ帰宅。受信メールを確認。

12通のメール受信。全てに目を通し、取り急ぎ緊急返事が
必要なメールに返信。

昼寝の時間が取れずにフォンザンホテルへ。

気温の寒暖が大きいのでベトナム事務所の皆さん、
体調が悪い。私も頭痛、倦怠などの諸症状あり。


引き続き、日本人訪問者と行動を共にする。

最後にドンバ市場など・・・・・。

午後5時過ぎ、フォンザンホテルを出てフエ空港へ。
見送る。

バオミンさんとベトナム事務所へ帰る。

日本料理店は今日、トゥオイさんとチャンさんが休み。
料理を作る人がヒエウさん一人となり、夕食を摂って
午後7時半に閉店とする。


投稿者 koyama : 22:03 | コメント (0)

2010年06月03日

「子どもの家」訪問

午前4時起床。

昨日の日記を書く。

外は久しぶりの雨。

午前5時半、停電。


午前7時朝食。

午前8時、ベトナム事務所へ。

日本人訪問者と「子どもの家」訪問・視察。

「子どもの家」を案内する。
その後、こどもたちと昼食を摂る。

こどもたちの大部分は夏休みに入り、落ち着いた雰囲気で
生活していた。

こどもたちがかい出した「ハムスター」
こどもたちの人気者となっている。


午後12時半、ホテルへ帰り昼寝。

停電は終わっていた。

30分ほど熟睡。朝の雨で午前中は多少涼しかったが
直ぐに「いつもの熱暑」となる。

気温の変化と長期間の暑さと疲労でフラフラする。

午後2時半、日本人訪問者と一緒に大型スーパーなどを
参観。


午後5時半、バオミンさんと一緒に「縫製研修センター」
の技術指導員のAさんの交通事故のお見舞いに行く。


投稿者 koyama : 16:01 | コメント (0)

2010年06月02日

日本からの訪問者と1日行動

快晴  気温40度

午前4時半起床。午前5時半に停電と予想し、昨日の
火炎樹日記を書く。

しかし、予想ははずれ、停電は午後1時半から午後9時まで。

午前7時朝食。キャサッバ芋麺。美味しい。

午前8時半ベトナム事務所へ。

午前9時、日本からの2人の訪問者と一緒にいくつかの
フエの工場等を視察。


午後12時過ぎ、昼食。チャーハンの美味しい「ヒエップロイ」へ。

私は食欲がなく「ワンタン」を食べる。暑さに中ったようだ。
体がだるく、立っているのも辛い状況。


さずがバオミンさんは若い。チャーハンとワンタンを
平らげる。



部屋へ戻り30分ほど横になる。停電が始まる。

暑さの中で午後1時半まで横になっている。

午後2時半、日本からの訪問者とベトナム事務所で打ち合わせ。


午後5時半まで日本の訪問者を案内。

午後6時、日本料理店のチャンさんに「JASS函館の会」
主催の児童絵画店の入賞の賞状を贈呈する。
あわせて、弟のチュック君の入賞の賞状も渡す。
現在、チャンさんと弟のチュック君は「子どもの家」を退所し
母親と一緒に暮らしている。

午後6時過ぎから日本からの訪問者と日本料理店で食事。
午後9時過ぎまで。

カナダなどからの来客あり。


投稿者 koyama : 00:11 | コメント (0)

2010年06月01日

6月1日「「子どもの日」

晴天 気温40度を超える

今日は1日電気がつく。停電の順番が変ってしまった。
明日はどうなるのか? 今後の停電スケジュールが読めない。
以前は、午前停電 →午後停電 →1日中停電なし という
順番で停電が回っていた。

それが2週間ほど前から午前停電 →午後停電 →午前停電 →
午後停電というサイクルに変った。

それが昨日急に1日電気がついていた。

午前5時半起床。
昨日の火炎樹日記を書く。

午前7時朝食。ブンボーフエ。美味しい。

午前8時、ベトナム事務所へ。

今日はベトナム中で「こどもの日」。学校や家庭でこどもたちに
お菓子を上げたりして今日の日を祝う。
実質的には日本の5月5日と同じ。

しかし、6月1日の「こどもの日」は以下のような歴史的な
背景があり、本来は「反戦・平和」「ファシズム反対」「こどもたちを
戦争から守ろう」という戦争に反対する固い決意を固める日。


「国際子どもデー」。日本では馴染みのない日である。
社会主義国で行われていた。現在、6月1日をお祝いしている
国は以下の国々である。


アゼルバイジャン
アルバニア
アルメニア
アンゴラ
イエメン
ウズベキスタン
ウクライナ(2009年制定)
エクアドル
エストニア
エチオピア
エリトリア
カーボベルデ
カザフスタン
カンボジア
ギニアビサウ
キューバ
キルギスタン
グルジア
クロアチア
スロベニア
セルビア
タジキスタン
タンザニア
中華人民共和国(1949年制定)
チェコ共和国
トルクメニスタン
東ティモール
ブルガリア
ベナン
ベラルーシ
ポーランド
ボスニアヘルツェゴビナ
マカオ
マケドニア共和国
モザンビーク
モルドバ
モンゴル
モンテネグロ
ラオス
ラトビア
リトアニア
ルーマニア
ロシア

毎年6月1日を『世界子どもデー』とした経過は以下のよう。

1940年~44年までナチスドイツ・ヒトラーがソ連や
東欧諸国を侵略占領。大虐殺を行う。

1942年ポーランド。侵略したファシストのナチスヒトラー・ドイツは
1942年6月9日に88人の子どもたちを虐殺した。

1944年6月10日のチェコ。1日に200人もの子どもたちを
ナチスは虐殺した。

1952年4月。当時の社会主義諸国が集まり、ファシズムに
より尊い子どもたちの命が奪われたことを悼み、偶然6月に
ポーランドとチェコで多くの子どもたちの命が奪われたことを
忘れないため、毎年6月1日を「世界子どもデー」とし、
世界の平和、ファシズムを阻止し、子どもたちが健やかに
成長できることを祈る日と決めた。

その後、50年以上が経過し、社会主義諸国が崩壊。
更に6月1日を『世界子どもデー』と制定した当時の
初心が忘れ去れて行き、今日のベトナムでは
子どものお祝いの日となっている。
上記のいきさつを知っている人はほとんどいない。

午前8時半、ベトナム事務所員が集まり、全員で
「子どもの家」へ。

ベトナム事務所は停電。ベトナム事務所員全員が
「子どもの家」へ行くので、ブライセンスタッフが自家発電機を
始動。ガソリンがなくなり買いに行き、始動させる。



午前9時まで「子どもの家」着。こどもたちは既に「お祝いモード」
に入っていた。


17年前の1993年から「子どもの家」のスタッフとして
一緒に仕事をしてきたキム・アインさん。
長い付き合いである。真面目にこどもたちに対応してくれる。
不正を許さない知性を持っている。

2階音楽室の会場には、こどもたち用のお菓子が山積みされている


開会前にハノイテレビのフエ支局のテレビ取材あり。

原田先生もテレビのインタビューに応じる



「子どもの家」のチュン君もテレビのインタビュー。
寮母さんかセン委員長の推薦。



はじめにこどもたちの踊り



男子の「不良っぽい」ヒップポップ」。


小学生の女子の踊り

ロック寮長とハンベトナム事務所員の通訳で開会

セン「子どもの家」運営委員長の挨拶(ハンさんの通訳)


今日は世界子どもの日。みんなでお祝いしましょう。
同時に1年間の学校の勉強が終わり、夏休みに入りました。
今日は成績優秀者の表彰式もします。

2009年度(2009年4月1日から2010年5月31日)
「子どもの家」には最終的には47人のこどもたちが在籍。

40人が通学。7人が職業訓練センターで研修。
小学生 11人
中学生 12人
高校生 10人
大学生  7人

200年度の成績の結果
・最優秀  3人
・優秀  12人
・普通  16人
・不可   2人

6月2日は高校の卒業試験。その後3人が大学受験の予定

夏休みに入ります。皆さん楽しく夏休みを過ごしましょう。
「子どもの家」では、皆さんが夏休み楽しく生活できるよう
バーベキュー大会、像の滝遊びなど様々な行事を予定しています。
日本の支援者からの応援です。
8月末までの長い夏休みを健康に過ごしましょう。

続いてJASSを代表して小山の挨拶  フーン先生の通訳


6月1日のいわれ、ヒトラー・ナチスのこども虐殺などの難しい
言葉を遣って話をする。フーン先生はしっかりとこどもたち向けに
通訳してくれる。


次に成績最優秀ー日本で言えばほぼオール5の成績)
3人が受賞。今日は1人が学校へ行き欠席。

表彰状と賞品を授与


ホンニーさん(コックホック高校)

小学校3年のチュウさん

続いて成績優秀賞(日本流に言えば、オール5に4が少し)

グエフエ高校2年生のニーさん(来年10月に静岡大学工学部留学をめざし
静岡会館付属日本語学校で日本語の勉強をしている)

中学3年生のチュン君


中・高校生の成績優秀賞



小学生の成績優秀賞贈呈



続いて「JASS函館の会」絵画展の入賞者の表彰。
函館の会の川人さんの名前で出展者全員に表彰状が
送られる。

大賞・平和賞・ドリーム賞・入選・奨励賞

大賞はタン君(今日は研修で欠席)

大賞の次の平和賞受賞者

ドリーム賞


こどもの日のお祝いの最後にお菓子の贈呈



こどもの日の全ての日程を終わる。

その後、テレビ局がこどもたちとベトナム事務所スタッフとの
交流を撮影。

室温40度を越す。1時間半近くの会合はかなり体力を消耗。

大塚さんの発案でフォンザンホテルの喫茶室で休憩しようと
いうことになる。皆さん好きな「冷たいもの」を注文。
私はフェスティバルビールを2本飲む。


午前11時半、昼食。


昼寝。

読書「新編 平和のリアリズム」(藤原帰一著:岩波書店)

午後2時から午後5時までボランティア貯金完了報告書
付属の財政報告を書く。
ボランティア貯金側から急に「365日、ボランティア貯金交付金
対象の仕事をしていたことを証明するため、2009年4月1日から
2010年3月31日までの毎日、何をしたかを全て記録して
提出しろ」との「お代官様の御無体な無理難題」。

去年1年間、何月何日なにをしたのか? ボランティア貯金で
もらったお金でどんな活動を毎日したのか?
ボランティア貯金活動以外の活動をしていたら、交付金から
そのお金を差し引くという。

日記などを詳しく調べ、2009年4月1日は、ボランティア貯金
交付金として申請したこんな活動をした」というように
4月、5月、と2ヶ月調べるのに3時間を要した。
こんな書類の提出が本当に必要かはなはだ疑問。

ボランティア貯金完了報告書提出要綱にその提出が明記されて
いない。ボランティア貯金完了報告書を提出した後になって
急に365日の毎日、何をしたを1日ごとに書類書いて提出せよ
との厳命。
1年前の何月何日なにをしたを急に言われて、365日の全てを
かける人はいない。私は幸い日記を詳細に書いていたので
ボランティア貯金関連の仕事を毎日していたことが日記を
通して書くことが出きるが、1ヶ月分を書くのに1時間半
かかる。何のための海外ボランティア団体支援なのか
この種の書類作成で「実際のボランティア活動」ができなくなって
いる現実をボランティア貯金側は知るべきである。
海外支援の現実を知らない人間集団の愚行。
お金の返還を求められて争うのも嫌なので、詳細に日記を
調べ、365日毎日の活動を書く。1年分書くには、1週間ほど
かかる。時間がもったいない。この一週間をこどもたちのための
活動に使いたい。

10数年間、ボランティア貯金交付金をもらっていた。
365日の活動を全て書いて提出しろ、などと言われたのは
今回が初めて。「郵政民営化」の余波がこんなところに来るとは
思わなかった。
郵政省が直接ボランティア貯金を管轄していた頃は、
郵政省の方から、「現地の人が活動しやすいように支援するのが
私たちの役目」と言っていた。郵政省のボランティア貯金普及の
パンフレットに何回も私たちが掲載され、その普及に努めた。
また、郵政省ボランティア貯金普及のビデオにも出演した。
郵政省主催の各地で行われるボランティア貯金推進会議や
集会で現地の活動報告を何度もした。足立北郵便局の
一日局長も行った。少なくとも郵政省管轄時代は、現地で
頑張っている海外ボランティアの皆さんを励まし、支援しようと
という郵政省のお役人さんの気持ちが伝わってきた。
フエの「子どもの家」や私たちの行っている現地の活動視察に
何度も郵政省のスタッフが来ている。

民営化されるとどうなったか。
「独立行政法人郵便貯金・簡易生命保険管理機構」が
管轄するようになり、実際には民間の組織に管理をまかせ
ている。民間監査センターなどはお金をもらっての仕事なので
一生懸命監査を行う。現地がどんな事情か、そもそも
ボランティア貯金は何のために行われているのか?
その基本的精神は既にどこかへ行ってしまっている。
1000万人の国民の浄財でできているボランティア貯金
だということが忘れられてしまった。
1000万人の国民が拠出したボランティア貯金。
国民は現地で頑張っているボランティア団体から
昨年1年間、毎日何をしたかという詳細な報告を出させる
などということを望んでいない。
現地で困った人々が少しでも助かればとの願いである。
民営化されるということは、そうしたボランティア貯金の
本旨が消え去り、下請けから更に下請けへと担当される
度にボランティア貯金拠出者の本当の願いは消え去って
行く。下請けされるたびに「下請け」のための費用が使われる。
会計監査会社に監査を下請けした。更に監査費用が
使われる。下請け機関は「お金をもらう」ので本旨(現地の支援)
を忘れ、一層厳格に仕事をする。こうして、民営化は
お金がかからないといわれたが、実際は壮大な「中間機関」
が介在し、郵政省から直接現地への支援だった頃と比べると
現地での活動が一層しにくくなり、中間の管理機関、監査機関
などの収入が増えるいう本末顛倒な結果が「郵政民営化」の
ボランティアの現状である。


午後5時半、ベトナム事務所へ。昨日からホーチミン市
へ行って仕事をしているバオミンさんとお客さんの
出迎えでフエ空港へ。

日本料理店の夕食風景


魚のホイル焼き(美味しそう)



JASS函館の会主催の絵画展入賞を渡せなかった
ヒエウさんに日本料理店で渡す。

ベトナム事務所の隣りのバオミンさんの祖母の家の前で
バオミンさんの息子「ベーター君」とおじいちゃんに出会う。

その足でフエ空港へ。フエ空港は改築中。

午後6時半過ぎ、バオミンさんとお客さん2人が到着。

車でフォーサイゴンへ行き、軽く飲む。

午後9時過ぎ閉会。フォンザンホテルまで送り帰宅。


暑く、長い1日が終わる。家へ帰ったらヘトヘト状態。


投稿者 koyama : 00:17 | コメント (0)