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2010年07月31日

地球の歩き方スタディーツアー第1班(13人)講演会

快晴  気温はかなり高い。湿度も高い。

体調不良。

朝食、ブンボー。大好きな朝食。
ミントなどの各種野菜を沢山入れて食べる。

午前8時過ぎ、電動バイクで「子どもの家」へ。
途中で電動バイクの電池が切れる。さすがに4年ほど使っている
ので電気の寿命が切れた模様。

午前8時半、「子どもの家」着。

「子どもの家」に行くとフエ医科大に通っているフオンさん
が「先生の血圧を測りたい」という。血圧測定の勉強中
のようだ。測ってもらう。170-90との結果が出た。
「先生、血圧が高いです。お酒を飲むのを気をつけてください」
といわれる。さすがに、フエ医科大で勉強している学生だと
思った。私の許容血圧は、135-85。
かなり血圧が高くなっているのは事実である。

「子どもの家」では、地球の歩き方第1班(13人)の皆さんが
「子どもの家」の施設見学をしていた。バオミンさんの案内。
バオミンさんは、ソン君・、メンさんの結婚式で多くの
訪問者の来訪の総指揮を採り相当疲れている。
バオミンさんの頑張りに頭が下がる。

「子どもの家」では夏休み中ではあるが、こどもたちは
寮母さんの指導で勉強をしている。



午前10時40分。「子どもの家」のこどもたちの歓迎会。

セン・「子どもの家」運営委員長の歓迎の挨拶

こどもたちの歓迎の踊り

地球の歩き方スタディーツアーの皆さんの「おもちゃのチャッチャチャ。


こどもたちと一緒に再度歌う。


交流会後、こどもたちと交流

「子どもの家」で初めてベトナムの3つの国立高校の一つ
である「コックホック高校」に入学した子どもと交流。

コックホック高校出身者の代表は北ベトナムの大統領ホーチミン、
首相ファンバンドン、国防大臣ボーグエンザップ将軍。
南ベトナムの大統領ゴージンジェム。ベトナム事務所運営委員長
のバオミンさん。日本語主任のフーン先生。

男子が勉強をしていないのが一抹の不安を感じる。

午前9時半から1時間半(90分)講演会。

午前11時半、帰宅。

昼食。マカロニスープ。

その後、読書「ベトナム戦争」(吉澤南著)

1時間ほど昼寝。

受信メール20数通を読む。必要なメールの返信。


午後5時半日本料理店で夕食。
既に2人の来客あり。

夕食はこどもたちが作った「チャオ・バイン・カイン」
(小麦粉の手打ちうどん)

大塚さんの指示で私の夕食には、必ず「焼きするめ」が付く。


今日も沢山の欧米系の来客あり。20人弱。
大半の人が英語版ガイドブック「ロンリープラネット」を読んで
日本料理店に来てくれている。

リー君も仕事では奮闘している。


海老天定食


午後9時過ぎ、日本料理店閉店。
リー君は日本料理店と隣りのホテルの境で
ボーッとしていた。何か悩みがあるのか?
「明日、父親の所へ行くので2万ドンちょうだい」
といわれたが、断った。7月20日に給料を
上げてばかり。噂では、給料の何倍もの借金を
しているようだ。


午後10時帰宅。最終アルコール「ラオスラム酒」を
氷で飲む。これが一番うまい。
何杯か飲んだ。その後、どうなったのかの自覚なし。

ラオディーのラム酒は本当に美味しい。

投稿者 koyama : 23:42 | コメント (0)

2010年07月30日

各種の仕事を行う

快晴  気温高い

午前5時半起床。読書「ベトナム戦争」(吉澤南著)

午前7時朝食。チャオバインカイン(小麦粉のうどん)

午前中、バオミンさんと電話でいくつかの連絡。
ツノダ・ベトナムの件、「フェリシモ」の件。

ソン君・メンさんの結婚式に参加した方へのお礼状を
書く。

ベトナム事務所へ。ハンさんにお礼状の投函を依頼する。

午前11時半、昼食。ブンボー。

午後12時過ぎから1時間ほど熟睡。

午後1時過ぎ、読書。「ベトナム戦争」(吉澤南著:吉川弘文館)
ベトナム戦争のはじめから何が起こったのか、米軍の各種資料を
駆使しながら、ベトナム、特に南ベトナムの人民がどのような
形で決起していったのかを抗仏闘争からの伝統を考察しながら
記述している。当時の米軍の国防長官マクマナラの陳述を
引用し、「第1次トンキン湾事件」の事実、第2次トンキン湾事件
が起こっていなかったことを証明している。

午後4時過ぎベトナム事務所へ。バオミンさんといくつかの
打ち合わせを行う。

午後6時日本料理店で夕食。今日も多くの欧米系来客あり。



原田先生、古竹先生も日本料理店の厨房に入り
料理を手伝ってくれている。この所も毎日25人ほどの
来客があり、こどもたちだけでは手が足りない。


寿司A(小)


天ぷら


「結婚したい」とうわ言のように言っているリー君ではあるが、
仕事はしっかり(大体・ほぼ・・・・・)やっている。

今夜も多くの欧米系来客あり。

午後9時過ぎ閉店。


午後9時過ぎ、バオミンさんから電話。地球の歩き方第1班が
夕食を摂って、ホテルへ着いたとのこと。

明日から地球の歩き方スタディーツアーの講演会など
の仕事が待っている。

投稿者 koyama : 23:41 | コメント (0)

2010年07月29日

臨時ベトナム事務所員会議

快晴 38度  湿度高し

午前5時起床。


読書。2001年58歳で亡くなった
吉澤南著「ベトナム戦争ー民衆にとっての戦場」
(吉川弘文館)を読み読み始める。

午前7時朝食。チャオバインカイン。(小麦粉の手打ちうどん)

午前7時、内田さんご夫妻フエを発つ。

これで「ソン君・メンさん結婚式」ツアー関係者が
完全にフエを離れたことになる。

内田さんご夫妻、岩淵先生ご夫妻、高橋・柳沢さん・
高校同級生の皆さん、京滋YOUの会、火炎樹の会、
JASS主催ツアーの皆さん、坂本さん・原さんなど
多くの皆さんの祝賀の中でソン君とメンさんは、今日、
ハノイのハロン湾へ新婚旅行に旅立った。
結婚式に参加して頂いた方、また日本からお祝いの
言葉をお送り頂いた多くの方々にお礼を申し上げたい。

私は6月16日の夜3週間の日本滞在からフエへ帰国。翌日の
「京滋YOUの会」の来訪から結婚式参加ツアーが始まった。
それから13日間。2週間連続の結婚式関連行事、
各施設案内などがあり、今日「一段落」ついたと思ったら、
明日から長期・10週間(2ヶ月と1週間)のスタディーツアー
が始まる。

午前8時半、臨時ベトナム事務所員会議。
議題は明日から来訪する地球の歩き方スタディーツアー(1班)の
受け入れ態勢と担当者の決定である。

7月30日から10月5日まで多くのスタディーツアーが
フエを訪問する。「子どもの家」訪問、関連施設参観、
ナムドン山岳地帯、日本語学校交流、フエ高等師範日本学科
交流、観光などの諸取り組みを行う。

提案はバオミンJASSベトナム運営委員長から。
当面は、明日からの地球の歩き方スタディーツアー第1班への
対応である。日程の確認。今回から新しく修正する活動内容
などの確認。そして、担当者の確認。



ベトナム事務所員の皆さんは、結婚式の件でかなり疲労が
溜まっているが、更にこれから2ヶ月ちょっとの長期ツアー
への対応を「分担」しながら、お互いを気遣いながら進めよう
との和気藹々(わきあいあい)とした雰囲気が私にも伝わって
くる。
仕事は大変でもお互いが気を遣いながら助け合って仕事する
場所が「職場」である。

バオミンさん・原田先生といつくか重要問題について相談する。

8月5日から「フェリシモ」関連でマルタカの直井社長と
社員の方が来訪される。その打ち合わせをする。

ツノダ・ベトナム設立、2ヘクタールの土地の貸与、工場建築
等の進行状態を確認する。

静大留学生の夏一時帰国にあわせて出身高校での留学体験談
講話の件。コックホック高校、ハイバイーチュン高校、グエンフエ
高校で行うことが確定した。

結婚式ツアーの中で同時並行的に「フェリシモ」と「ツノダの
工場建築」を進めていた。

午前11時半。昼食。おかゆ。

下痢が止まらない。「ものもらい」だと思っていたが
結膜炎だった。口内炎は多少治る方向に行っている感じがする。
腰痛は一進一退である。頂いた貼り薬を毎日貼っている。
食欲がなく、今日は朝も昼も消化の良い食事にしてもらった。
立っているのが辛い程、体がだるい。

昨年の同時期の読書量を比較してみた。

2009年7月末  58冊。
2010年7月末  28冊。

今年は昨年の半分しか本を読んでいない。
今年も時間があれば最大限読書をしたのだが・・・。
仕事量が昨年の倍近くなったことも事実である。
「フェリシモ」、「ツノダ工場建設」・・・・。
昨年以上に「休み」がなくなり、2週間、3週間と1日も休みがない
という仕事の仕方になってきている。疲労が固まってきている。
多少は老齢化も関係していないとはいえないが。

この10年近くボランティア貯金からもらっていた600万円
程の交付金がなくなった。私や税田さん、バオミンさん、
ハンさんの給料、家賃などがでていた。それが全額廃止に
なってしまった。そのため、600万円の収入を求めて
今年の初めからベトナム事務所ではいくつかの新しい
取り組みを「手探り」で進めている。「フェリシモ」の
ベトナム雑貨・刺繍制作もツノダのペンチ工場建築も
そうした背景がある。これらの取り組みに私やバオミンさん
を先頭にしてベトナム事務所員全員で「一致協力」して
邁進しないと「こどもたちを助ける」などと口で言うだけでは
単なる「お題目」になってしまう。
私もバオミンさんも「フェリシモ」の刺繍や雑貨などを作る
経験などない、。ましてやペンチ工場を作るなど夢にも
思っていなかった。しかし、こうした新しいことへの挑戦は
人間を鍛える。新しいことへの挑戦心を失った時点で
JASSは「死に体」になると私は思っている。
常に新しいことに対して勇気と情熱を持って挑戦する
気持ちを失いたくないと心がけている。
今日のベトナム事務所員会議は、そうした皆さんの気持ちが
表れているように思えた。

1時間ほど「午睡」(熟睡した)

午後3時、床屋へ。100円。

20通ほどの受信メールを読み、必要な返信。

午後5時半。日本料理店で夕食。

既に来客あり。

来客の接客で夕食を遅く摂るグエットさん。


今日はホーチミン市から「マグロ」が届いた。
こどもたちが「中落ち」を刺身にしてくれた。
生臭くなく、とっろとして美味しい。


午後9時過ぎ閉店。

投稿者 koyama : 18:29 | コメント (0)

2010年07月28日

「子どもの家」・ベトナム事務所合同「像の滝」へ。

快晴

午前4時半、起床。

読書「マルクスは生きている」(不破哲三著:平凡社新書)
不破氏は元日本共産党委員長・議長。現在は付属社会科学
研究所所長。本書は3つの構成からなっている。
第1章は「唯物論」の歴史と解説。特にヘーゲルの弁証法を
マルクスがどのようにして『弁証法的唯物論」に高めたかを
論述している。唯物論は、理論的には形而上学的な思想への
批判となる。

第2章は資本論の概要説明。搾取の仕組み。剰余価値という
理論の解説。制御できなくなった資本主義の病理にメスを
入れている。バブルの歴機。1825年から10年に一度位の
ペースでバブルがあり、恐慌が起こっている。
地球温暖化問題。この章は非常に興味を持って読んだ。
不破氏が東大の理学部物理学科で勉強したと言う経歴も
あり、地球の酸素の発生史、光合成の歴史、オゾン層が
どの層にしてできたのかという環境問題のバックグランドを
分かりやすく解説している。地球が46億年かけて作り出してきた
酸素とオゾン層を資本主義は利益追求第1主義で破壊している
と告発している。

第3章。未来の社会主義。ほとんど歯切れの悪い章となっている。
ソ連の崩壊を歓迎すると豪語しているが、それ以前には、
ソ連を社会主義のサンプルと見ていたこと、ソ連などの社会主義
陣営の原爆と資本主義の原爆とは質が違うとの主張。ソ連など
既存の社会主義の非民主制・独裁制などへの批判は、ソ連や
東欧崩壊後に厳しく批判しだしている点などの自己総括が
ないままの「共産主義の未来像」には、説得力がない。
特に中国・ベトナムの「社会主義市場経済」がレーニンの
新経済政策(ネップ)の現代版的な評価を慎重に与えつつ、
今後の進展を見守るといっているが、もっと厳しく、独裁体制、
人権無視、中国の天安門事件の大量虐殺など人権や
民主主義に逆行する点への公然とした批判が必要である。

3つの章を読んで、「読む価値のある本」のリストにいれたい。


午前7時朝食。フォー。

朝起きたら「ものもらい」ができ、片目が腫れていた。
下痢状態。口内炎は引き続き4つほど。腰痛。体はだるい。
今日は、「子どもの家」のこどもたちと「像の滝」に
水遊びに行く。果たしていけるだろうか、自分の健康に
自信を失った。

午前7時40分、バオミンさんが迎えに来る。バオミンさんの
オートバイに乗り、グエンフエ高校へ。校長先生・副校長先生と
懇談。静大ニフィー留学生の現地報告会の打ち合わせ。
9月7日の午前中に行うこととなった。

そのまま、ベトナム事務所へ。ベトナム事務所から
ベトナム事務所員と一緒に「子どもの家」へ。

今日は内田さんご夫妻の支援による「子どもの家」の
こどもたちの「像の滝」での水遊び。

夏の恒例の「バーベキュー大会」と「像の滝水遊び」は
こどもたちの夏の最大の楽しみである。

ベトナム事務所員と一緒に「子どもの家」へ。
「子どもの家」へ既に行く気満々で待っていた。

ハイ君は水遊びに行く気持ち満々。

バス2台で2時間かけてダナンの手前付近の通称「像の滝」へ。

「子どもの家」のスタッフの皆さんもこどもたちと一緒に。


「子どもの家」を出発し2時間。午前10時過ぎ、「像の滝」に
到着。昼食の食料品などを皆で持って滝付近へ行く。

駐車場から徒歩10分。「像の滝」に到着。
こどもたちは直ぐに水遊びに入る。


2時間程、水遊びをする。その後昼食。


昼食の一つ「バインロック」(キャッサバ芋の粉に味付け海老)


新婚早々のソン・メン夫妻

「子どもの家」のスタッフ

ベトナム事務所スタッフ

ベトナム事務所員と「子どもの家」スタッフとの連携は密になり、
ベトナム事務所員の団結は一層強化された。
和気藹々というのはこうした雰囲気をいうのかと思える
ような楽しい雰囲気の「空間」ができていた。


昼食を摂って満足したこどもたち

全員写真


像の滝からバスで2時間。「子どもの家」へ。

10年間近く続けてくれている内田さんの「海水浴」「温泉浴」
そして「像の滝遊び」などの寄贈に心から感謝している。


その後、「子どもの家」のスタッフとベトナム事務所スタッフと
合同の「反省会」。

フエの海鮮料理屋へ。


像の滝支援の内田さんの「乾杯の音頭」。


私の一番好きな貝。塩コショウで食べると美味しい。


海老の炭火焼


かなりアルコールが回ってきた。


新郎新婦。

コンピュータの先生とロック寮長

「変なベトナム事務所スタッフ」2名

ベトナム事務所3人美女。

「子どもの家」の医師・寮母さん。ベトナム事務所のハンさん


「子どもの家」の3人美女

ベトナム事務所のアル中代表とアル中ベトナム運営委員長

3世代の美女図鑑

午後8時半。終了。

宿舎に戻る。
アルコールの最後の出し物。ラオスの「ラム酒」を飲みながら
火炎樹日記を書く。


投稿者 koyama : 22:44 | コメント (0)

2010年07月27日

「ハイバイーチュン高校」副校長と懇談:内田・ソンーメン夫妻と夕食会

快晴

午前5時起床。

血圧測定。159-95   かなり血圧が高くなっている。
疲労が原因と思われる。一部「飲みすぎ」との非科学的な
意見もあるが、無視。

読書「マルクスは生きている」(不破哲三著:平凡社新書)

朝食。おかゆ。 食事があまり摂れない。

受信メールのチェック。必要な送信。

午前9時半、ベトナム事務所へ。

いくつかの重要問題を協議。

午前10時半、電動バイクで「子どもの家」へ。
いくつかの仕事をする。刺繍みやげ物店問題。
ニフィー留学の件・・・・・。


坂本文子さんの大学の後輩が「子どもの家」参観。
クアンさんが案内。



9月から高校3年生になるニーさん。現在、フエ省トップ校である
グエンフエ高校理系で勉学中。来年10月の静大工学部留学を
めざしている。

漢字の勉強を一生懸命していた。


こどもたちは3ヶ月の夏休み(宿題なし)を満喫していた。

午前11時半、昼食。チャオ・バイン・カイン。

1時間午睡。

午後2時半、「ハイバイーチュン高校」副校長先生と
ベトナム事務所で懇談。私、バオミンさん、原田先生。

9月のベトナム高校新学期に昨年静大工学部の留学した
3人のフエの学生を「母校」に帰し、後輩に日本の大学留学
体験を話すプロジェクトの相談。

2010年9月6日の午前中に50人規模で行うこととなる。
そのほか、ベトナム最大の名門高校「コックホック高校」、
フエ県立高校トップ校である「グエンフエ高校」で静大工学部
留学生の体験を話すセミナーを行うこととした。

リー君である。今日は、「彼女に失恋した」とのこと。大変な
落ち込みよう。馬鹿者と言いたい。
それでも仕事をしっかりしていた。多少の成長あり。

午後5時半、日本料理店で夕食。リー君は日本料理店に
不満ありとして、夕食拒否の抵抗闘争に入った。いつま
続くのか?

今日は午後9時過ぎまでに24人の来客あり。

午後7時過ぎに内田さんご夫妻、ソン・メンさん夫妻が
日本料理店来訪。午後9時まで懇談。

今日は日本料理店でかなり飲んだ。

午後10時前に帰宅。今日はベトナム事務所まで徒歩で3回
往復した。合計1時間。

午後10時過ぎからこの火炎樹日記を書き出す。

「喉が寂しい」。ラオス「ラオディー」のラム酒をロックで飲む。

八代亜紀のCDを聞きながらの「ラオス・ラム酒」は特別に美味しい。

いくら美味しいビールを飲んでも最後は、ラオスの「ラム酒」だ。

ラオスラム酒は、高校同級生の「與芝君・清水君・富田君」
の3人が退職し、ラオスのビエンチャンにラム酒工場を作り、
美味しい「アグリラム酒」を作り上げた。私はこのラム酒が
大好きだ。第1に「香り」がいい。甘い香り。同時に口当たりも
甘い。不純物質皆無。口当たりがよい。酔いが軽やか。
騙されたと思って一度飲んで頂きたい。

連絡先は、koyamavn@dng.vnn.vn までメール頂ければ
日本から郵送いたします。


私は今「飲んで死ぬのなら本望」という心境に入っている。
これは私の父親が言っていた言葉だ。
「太く短く生きる」「飲まないで生きるのは意味がない」
と毎日朝から1ダースの麒麟麦酒を飲んでいた。
私は子どもの頃からこうした父親の生き方を徹底して
批判し、そうした「馬鹿な生き方」はしないと心で
誓ってきたが、血筋は争えないものである。
父親が飲みすぎで脳溢血で死亡した52歳と同じ年を過ぎ
徐々に父親の生き方が理解でき、何故、父親が
そうした生き方をしたかを今は100%分かるようになった。
1910年(明治43年)朝鮮併合の年に生まれ、1930年に
20歳で徴兵され中国で1945年まで15年間、日本の
アジア侵略の尖兵として働かされた父親が、35歳で
復員してどんな仕事があったのか?
年齢を重ね、父親の人生を「理性的」に足跡を辿ると
父親の「やけっぱちな人生」にもそれなりに日本社会の
歴史の裏打ちがあったことが分かった。
私が最近父親の「飲まないで長生きするより、飲んで
早死にしたほうが良い」という『暴言』が理解できるように
なった。今の私の心境は、父親が40代から52歳で死んだ
時と同じ気持ちになっていることを理解している。
私が飲みすぎか心臓病で死んで、父親と「あの世」で
会ったら「お前も俺の気持ちが60歳を過ぎてやっとわかったな」と
いわれるかなと思っている。
このことは、同時に我が二人の豚児にも言いたいことである。
私が高血圧、心筋梗塞などの病気を持っていてもなお飲酒をする
意味を「馬鹿者」と思ってはいけないと忠告しておく。
それなりに「深い意味」があるのだ。これは、哲学の問題である。


投稿者 koyama : 23:46 | コメント (0)

2010年07月26日

バオミンさん誕生会:日本料理店29人来店

終日雨。

時々豪雨。午後9時半から大豪雨。

午前5時起床。

午前7時朝食。精進ブン麺。

午前7時半からツノダ・ベトナムの社長さんへ土地貸借契約書、
インフラ・サービス契約書の日本語翻訳を整理し送信。

ソン君・メンさん結婚式で多数の受信メールが開けなかった。
順次、メールを開き必要な返信を送る。

午前10時、ベトナム事務所へ。

今日はバオミンさんの37回目の誕生日。ベトナム事務所員全員で
誕生祝をする。

原田先生からお祝いのケーキ贈呈。


古竹先生からお祝いの色紙贈呈

会議室で誕生ケーキを食べながら懇談。

10日間近くの結婚式ツアーでベトナム事務所員は
大奮闘。皆さん、相当疲れている。丁度良い日が
誕生日だった。しばらく、休息し雑談。




ベトナム事務所では、皆さん一致団結。夏のスタディーツアー
ラッシュへの対応とその準備をしている。



午後12時から1時間ほど昼寝。その度、読書。

「マルクスは生きている」(不破哲三著:平凡社新書)

ツノダ・ベトナムの契約書日本語版の最終仕上げをする。

ソン君・メンさんの結婚式に参加した方々からお礼の
メールが来る。

午後5時半、日本料理店へ。雨。

既に何人かの来客あり。

そのまま、午後10時まで来客が続く。

最終的には29人の来客。こどもたちも夕食をやっと
摂って何とか29人の注文に答える。お寿司、天ぷら、
餃子、焼きうどんなどが多数出る。

オランダ人、イギリス人、イタリア人、カナダ人、
ノルウエー人など多数。

接客のグエットさん・リー君も注文を取り、会計と大忙し。
厨房も本当に忙しかった。


午後10時過ぎ閉店。

豪雨の中、帰る。

投稿者 koyama : 00:36 | コメント (0)

2010年07月25日

終日、部屋で寝ている

午前10時朝食。チャオバンカン

腰痛。口内炎で食欲なし。
今日は一歩も外へは出なかった。

終日、横になっていた。

読書「ポストモダンの共産主義」(スラヴォイ・ジジュック著
ちくま新書)読了。

なかなか難解な本だった。難解さの理由は第1に翻訳者の
日本語能力。翻訳出来ない単語は、原文のカタカナ書きと
なっていた。第2に欧米では常識的な話題がかなりあり、
その話題の内容が理解出来ないと著者の主張がわからない
部分が多かった。第3に著者がフロイト派の精神分析学者
である点で、かなり理屈が多く、また、精神分析学の知識
がないと理解出来ない点が多々あった。
内容的には、ソ連社会主義を断罪し、スターリンを断罪し
中国は資本主義だと断定。マルクス主義者である著者の
考えている共産主義は何か? 内容の詳しい明示は
ないが、個人の結集したNGOのような「官僚制」を排除した
共産主義を想定しているように思えた。
著者が「フェアートレード」の欺瞞性を厳しき暴露している点は
私も同感である。

JASS結婚式参加ツアーから帰国された方々からお礼の
メールあり。

夕方から「「マルクスは生きている」(不破哲三著:平凡社新書)
を読み始める。不破流解釈のマルクス主義の入門書

投稿者 koyama : 09:38 | コメント (0)

2010年07月24日

JASS主催ツアー帰国

午前6時起床

さすがに長期間の案内等で疲労が残る。

午前8時半、フォンザンホテルへ。

午前9時、JASS結婚式参加ツアー(里親ツアー)の皆さん
と一緒に「子どもの家」へ。


里子のこどもたちが待っている。

里子のこどもたちと里親と一緒にフエ最大のスーパー
「BIG C」へ買い物。里親から里子へ通学カバンなどの
プレゼントを買う。

バオミンさん・フーン先生・フオン先生が通訳として
付いてくれるので安心。

「BIG C」前でバオミンさんより店内での行動について
こどもたちへの諸注意

いよいよ里親ー里子と一対になり「BIG C」の店内へ。

約2時間。里親と里子、それに通訳のバオミンさん・フーン先生
フオン先生たちは「BIG C」店内を散策・買い物。
ノート、ボールペン、通学バッグなど主に新年度の学用品を
プレゼントしてもらう。


こどもたちを「子どもの家」へ送る。

午前11時半から日本料理店で昼食。

メニューは、
①ざるそば ざるうどん そうめん きつねそば きつねうどん
 焼きうどん(味噌汁つき)

②太巻き  カッパ巻き+鉄火巻き盛り合わせ(味噌汁つき)

③玉子丼 親子丼 他人丼 牛丼 カツ丼 中華丼 三色丼
 (味噌汁つき)

私はそうめんをたのんだが、その他参加者はほどんの方が
③のどんぶり物を注文。

最高齢の方は79歳。平均年齢は60歳代の後半か?
しかし、活動のエネルギーの凄さに驚く。
食事もしっかりと摂っている。
皆さん、長生きすることは確実と食事の注文内容を
見て実感した。一番、ヘニャヘニャなのは、私であった。


焼きうどん



玉子丼


太巻き



きつねうどん

そうめん



昼食を摂り、暫時、ホテルで休息。


午後2時、天安山(ティエンアン山)の中腹にある
中国茶専門の喫茶庭園に行く。

ウーロン茶。鉄観音茶。蓮の実茶などを美味しくいれてくれる。

山の中腹は緑一杯。広い庭園の中のござの部屋でゆっくりと
中国茶を飲みながら2時間ほど時間を過ごす。至福の時間と
なる。


午後4時半、ホテルへ戻り帰国荷物の整理。

午後5時過ぎ、フォンザンホテルを後にする。

途中で「フォーサイゴン」でフォーなど簡単な食事を摂り
フエ空港へ。


チェックインを済ませ、バオミンさんより今後のホーチミン空港など
での諸注意。



午後6時半、フエ空港内ロビーへ。


JASS創立以来はじめて実施した「里親ツアー」であった。
15人の方々が参加。17年間のJASSの現地での
活動の実態を実際に自分の目で見て頂いたこと、
JASSの17年間の到達点を確認して頂いたこと、
里親同士の交流・親睦が深まったことなど大きな成果を
得た「JASS結婚式参加ツアー」だった。
協力して頂いたピースインツアーさんにも感謝。

午後7時半、日本料理店へ戻る。私は「フォーサイゴン」
で夕食を摂らなかったので日本料理店で夕食(の代わりの
生ビール)を摂る。来客がいないので「桜」で店内で飲んでいると
次から次と来客あり。結局10数人の来客。オーストラリア、
イギリスなど欧米系がほとんど。

午後9時20分、閉店。

今日で7月17日から始まった「結婚式参加ツアー」が全て
終わる。

26人の日本からの参加者に心から感謝したい。

東京の会、京滋YOUの会、火炎樹の会(茨城)、
各地の会がない中での長い間里親をしてくれている
皆さんのフエ訪問に感謝したい。


8日間の結婚式(2回)、「子どもの家」訪問、JASS関連施設
案内、観光などの諸業務は楽しかった。同時にかなりの疲労が
残った。口内炎がいくつも出てしまった上、腰痛が再発。
(腰痛は、何人もの方に湿布、痛み止めの薬を頂いた)

今回は、私が小学校5年生(10歳)の時から高校(漢文)
まで教えて頂き、東京学芸大に入った後は、家庭教師などの
世話までして頂き、本当にお世話になった岩淵房夫・絢子先生
ご夫妻がこられた。52年間のお付き合いになる。
高校を卒業した時、弟が白血病になり入院。父親も前年死亡し
生活ができなくなった際、岩淵先生が保証人になり、巣鴨駅前
中華料理店に1年間勤めたことがある。
ベトナムでの活動の精神的な基礎は岩淵先生の強い影響を
受けていることを今日改めて自覚し、感謝いている。
先生は現在大病を患っている。いつまでも健康で長生きして
欲しい。
中学卒業時(1962年3月)、岩淵先生は個人的に20名ほどの
男子学生を連れて「冬の雲取山ー東京都の最高峰 2017メートル」
の雪の冬山登山に連れて行ったくれた。
高校の頃、奥さんの絢子さんと結婚した。先生の家に高校生を
10人ほど呼んで、酒盛りを勧めてくれた。

高校の同級生が5人も来てくれた。彼らと知り合ったのは
47年前の16歳の時だった。3年間クラス替えのない都立高校
だったので他のクラスとの交流はあまりなく、今日まで
47年間もの長い間、こうして付き合いが出きることは
人生幸せなことである。五井君と私の家は近くにあり、
高校時代同級生が五井君の家に結集し、お酒を飲んだものである。
3日間の滞在であったが、
毎日の活動が終わったあと五井君・北田君の部屋に
5人が結集し、「今日の政治」「日本の未来」について、
長時間話し合ったことは、さすがに迷門都立高校の
卒業生と感心した次第である。
通常この種の同級生の夜の会になると「下品な」話に
陥るのであるが、そうしたことが全くなく、今日の
世界情勢(特に9・11、リーマンショック以後)の
変転、社会主義・コミニズムの未来がどうなるのか?
を環境問題、遺伝子操作、絶滅危惧種の増大、
食糧危機などの問題とあわせて、長時間話し合った
ことは、彼らの的教養の高さを物語っている。

今回は5つのグループが結婚式に参加しながらそれぞれ
違った活動を行った。坂本文子さん・原かおりさんは、
ベトナム事務所の手伝いという目的でのフエ訪問であったが。

ベトナム事務所員が全力投球で頑張ってくれた。
バオミンさん・ハンさん・フーン先生・クアンさんなど
それぞれ家庭を持っているが、日曜日や夜遅くまでの
仕事を嫌がらずに積極的に進めてくれた。
原田先生・古竹先生も自主的に自分で仕事を見つけ
私やバオミンさんが「頭の回らない」所を知らない間に
埋めてくれていた。JASSの会員ではない大塚さんが
日本料理店での食事をきちんと準備するようこどもたち
を指導。美味しい日本料理を食べることができた。

ベトナム事務所・日本料理店は今回の「ソン君・メンさん結婚式」
参加の各ツアーの受け入れ・案内を通して一段と質的に向上し、
団結も強くなったことは事実である。
人間の団結は、思想ではない、実際に仕事を通して
団結していくものである。困難な仕事を協力して乗り越えて
行く「過程」を通して、人間は共通の感情・同士愛のような
ものが出てくるのである。仕事・労働の大きな意味は
共通の仕事を通して、人間を結びつけるというところにあると
実感した8日間であった。
バオミンさんをはじめにベトナム事務所員に感謝したい。

そしてソン君とメンさんの結婚は、私たちのフエでの17年間の
活動の結晶であり、象徴的な出来事であった。
二人の幸せな人生を祈りたい。
ソン君はベトナム事務所員、メンさんはフエ市人民委員会外務部員
として仕事をする。ソン君は文字通りJASSの中心的なスタッフで
あり、メンさんも行政の立場でJASSをサポートする仕事である。
こうして「子どもの家」の卒業生がJASSの次代を担う人材として
成長してくれたことに感慨を覚える。17年と言う年月がけして
無駄な月日でなかったことを、この日記を書きながら実感した
次第である。ソン君とメンさんの結婚に感謝したい。

投稿者 koyama : 10:37 | コメント (0)

2010年07月23日

JASS主催ツアー関連施設参観・里子との交流・バーベキュー大会

曇り  湿度が高い

午前6時起床
朝食「キャッサバ芋のうどん」。

午前7時50分、フォンザンホテルへ。

JASS主催結婚式参加ツアーの皆さんは「子どもの家」関連
施設を参観。

はじめにベトナム事務所を訪問。

続いてブライセンベトナム支社訪問


ブライセンベトナム支社のVU君たち6人が日本語で
自己紹介


続いて「縫製研修センター」へ。「縫製研修センター」には
事前に連絡をしてあったのに突然、研修を止めてしまって
いた。「縫製研修センター」の中は、掃除もされず乱雑な
風景を見て問題ありと感じた。「縫製研修センター」は
参観するものなし。

続いて「子どもの家」へ。

セン運営委員長の挨拶


私が「子どもの家」の各施設を案内



高校同級生は、昼にハノイ →ハロン湾へ移動する。


午前11時過ぎ、昼食。


午後12時半、昼食を終えてフォンザンホテルへ。
高校同級生はフエ空港へ。

午後2時、日本語学校を参観。古竹先生が
静大工学部入試を目指す「特進クラス」を教えていた。


JASSツアー参加者の自己紹介。これも日本語学校の生徒には
良い勉強になる。

その後、一人一人の生徒と訪問者との懇談




その後、「子どもの家」へ。
こどもたちとの交流会。

セン運営委員長の開会の挨拶


こどもたちの歓迎の踊り


参加の皆さんから里子へプレゼント

1時間ほど、JASSの活動の経過と到達点を話す


午後4時半。バーベキュー大会の準備が始まる
内田さん・高橋さん・柳沢さん・景山さん寄贈の高齢の
ベバーベキュー大会。寄贈の4人の方に深謝。


岩淵先生夫妻と新郎のソン君


以前「子どもの家」を退所したクーアちゃんも来ていた。







午後7時、ベーベキュー大会終了


その後、日本人参加者、ベトナム事務所員、坂本さん・原さん
など関係者の反省会をレストランで行う。


午後9時、閉会

投稿者 koyama : 07:37 | コメント (0)

2010年07月22日

ティエンムー寺・王宮・カイディン帝廟ー日本料理店交流会

快晴  湿度が高く暑い。

午前8時、フォンザンホテル集合

バオミンさんの挨拶と今日の日程説明

舟でティエンムー寺へ






ティエンムー寺へ到着。
新郎新婦のソン君・メンさんと内田さん・柳沢さん・高橋さん
たちもティエンムー寺訪問。新婚の誓いを

4回の結婚披露宴という大仕事を終え、ほっとしている
新郎新婦。



ティエンムー寺で一休み

JASS主催結婚式参加ツアーの皆さんと記念写真


バオミンさんの案内でティエンムー寺を参観


仏様に祈る。
リー君は何を祈ったのか?


ティエンムー寺の高僧の方と懇談


蓮の花がきれいに咲いていた

続いて車で王宮へ。


バオミンさんの案内で王宮見学


岩淵先生ご夫妻



午前11時半過ぎからベトナム料理の昼食

午後3時まで休憩。私も宿舎へ戻り、昨日の火炎樹日記
を書くアップする。


午後3時半から12代皇帝である「カイディン帝廟」参観



午後6時半からJASS会員全員の会食交流会を
日本料理店で行う。

司会の原田先生・古竹先生


はじめにJASS代表として「ソン君・メンさん結婚式」
への参加と素晴らしい結婚式になったことに感謝の気持ちを
述べる。



リー君も日本料理店員として一生懸命に仕事に励んでいた



グエットさんが今日のメニューを発表

ソン君の里親である岩淵先生の発声で乾杯


JASS主催結婚式参加ツアー、内田さんご夫妻、高橋さん・
柳沢さん、ベトナム事務所員など30数名の参加。盛大な
交流会となる。

途中で一人一人の自己紹介。

交流会の最後は日本料理店のスタッフの紹介


座席からメニューなど全てをこどもたちが考えた

午後9時。交流会の最後は、日本料理店前で全員写真



その後、高校同級生グループの部屋で本日の深い
反省会を行う。午後11時過ぎ閉会

投稿者 koyama : 07:56 | コメント (0)

2010年07月21日

ソン君・メンさん結婚式第2弾(ソン家での結婚式)

午前7時、フォンザンホテルへ。

ソン君の生年月日で占うと7月21日の午前8時過ぎに
ソン君の先祖に結婚を報告する「結婚式」をする、と出た。
そんな事情で午前7時にフォンザホテルを出発する。

ソン君と母親が市内のフォンザンホテルまでやってくる。

ソン君を最初から「子どもの家」で支援していた里親の
岩淵房夫先生ご夫妻も77歳という高齢を押して日本から
参加。

岩淵先生は、私の小学校5年生から中学、高校(漢文)の
先生だった。私が人生で一番尊敬している先生である。



車で1時間。メンさんの実家へソン君母子と一緒に出迎えに行く。

メンさんの実家の手前で車から降り、ベトナム伝統の
「メンさんの出迎え」行列。

お酒、ビンロウ、金銀財宝などを持っていく。

JASS結婚式参加の皆さんもメンさんの家へ。


メンさんの両親である内田さんご夫妻


セン「子どもの家」運営委員長、柳沢さん、高橋さん


ソン家へ「嫁ぐ」メンさんの出で立ちは、「赤いアオザイ」姿。

メンさんの家の祖先の祭壇の前でソン家へ嫁ぐ旨を報告し、
ソン家は、メンさんをソン家の人間として受け入れることを報告
約束する。

ソン君の母親から指輪をもらい親子の契りをする

1993年9月から私と一緒に「子どもの家」の活動をしてくれている
キム・アインさん


長年の里子だったソン君の結婚を考え深げに見守っている
岩淵先生ご夫妻


メン家の祖先の祭壇前で母親の内田さんから24金のネックレスを
首にかける儀式。


メンさん出迎えの全ての儀式が終わりほっとしている新郎新婦。


私の高校の同級生と新郎新婦



メンさんのご両親内田ご夫妻、ソン君の両親岩淵ご夫妻


ソン君・メンさんを実際の育てた「子どもの家」のスタッフ

ソン君・メンさんと一緒に「子どもの家」で生活したこどもたち
と大塚さん


メン家での「出迎え儀式」が終わり、更に車で1時間。
ソン君の実家へ到着。

いよいよソン家での本格的な結婚式を行う。
参加者は300人以上いた。

新郎新婦入場

結婚式の舞台に立つ岩淵先生ご夫妻、内田さんご夫妻


はじめに私が今回の結婚についてのお祝いの言葉を述べる

続いてソン君の両親である岩淵先生より挨拶


更にメンさんの両親である内田さんから挨拶。


結婚披露宴のメインイベントであるワインの滝


岩淵先生ご夫妻から新郎新婦へお祝いの言葉

3時間近く続く大宴会が始まる。
宴会の前から既にお祝い気分になっている一部不穏な参加者あり

日本から駆けつけてくれた中村さん、福田さん、大極さんと
リー君



「オアシスの会」代表の大塚さんと



新郎新婦は300人の皆さんの各テーブルを回り挨拶をする
(「縫製研修センター」・「アクセサリー研修センター」のスタッフ)


税田さんから、北海道の菊清美先生からのお祝い金などが
ソン君に渡される。


刺繍みやげ物店のこどもたち

「子どもの家」・JASSベトナム事務所スタッフ、「京滋YOUの会」
の藤井事務局長

火炎樹の会(茨城の会)からも代表の横島さんが参加

「子どもの家」スタッフと元日本語教師の坂本さん

ベトナム事務所スタッフ

「京滋YOUの会」からの参加者



大塚さんと日本料理店のこどもたち


「子どもの家」スタッフのニエムさんと高橋・柳沢さん

「子どもの家」の元ミシンの先生、「縫製研修センター」スタッフ、
「子どもの家」の医師タムさん

1993年9月から一緒にストリートチルドレン支援をしてくれている
ロック寮長(右端)、「子どもの家」警備員さん・・・・


その後、延々と大音響での「カラオケ大会」が続く。

ベトナム事務所スタッフの原田先生が地元の有名な
作詞・作曲家である「チン・コン・ソン」の歌をベトナム語で歌う。
大うけ。

そのうち、日越入り乱れての踊りなどが始まる。
結婚式の宴も最高潮に達する。


ベトナム事務所スタッフのアンさんの歌。大変上手との
もっぱらの評判

元日本語教師の原先生と教え子で現在ベトナム事務所スタッフ
のクアンさんの合唱『明日だあるさ』。

結婚式も終わり参加者にお礼をいい、見送る新郎新婦

90歳を超えている皆さんも参加。鉄漿(おはぐろ)をしている。



ミンさんのご両親、兄弟も参加。ミンさんの長女アルファーちゃん
(小学校2年生)も参加

午後2時過ぎ、大宴会はお開き。

車で1時間かけて市内のフォンザンホテルは戻り休息。


午後3時、宿舎へ戻る。昨日の「メン家」での結婚式を
火炎樹日記にアップする。1時間半ほどかかる。

午後6時、JASS結婚式ツアーの皆さんと一緒に
夕食。

午後8時過ぎ夕食会終了。

その後、高校同級生と五井君たちの部屋で1日の「反省会」
午後11時過ぎまで続く。



宿舎着 午後11時半。


投稿者 koyama : 19:41 | コメント (0)

2010年07月20日

メンさん・ソン君結婚式(メン家版)

快晴

午前10時過ぎフォンザンホテルへ。

今日はメンさん・ソン君結婚式の第1弾。メンさんの家での
メン家の結婚式。

メンさんの里親・両親役の内田夫妻、
柳沢さん・高橋さん坂本文子さん、原かおりさんなど多くの
日本人も参加。

ベトナム事務所から車で1時間。田舎の田んぼ中にある
メンさんの実家。
午前11時半、メンさんの実家でメンさんの親族・友人関係を
中心とした結婚式が行われる。

メンさんは両親が漁師で漁をしている最中が舟が沈没し
死亡するという辛い過去を背負い、小学校5年生(10歳)から
23歳まで「子どもの家」で生活し、フエ経済大学を卒業。
現在はフエ市人民委員会外務部員として仕事をしている。
その間、内田夫妻が両親として、物心両面でメンさんと
メンさんの家族を支えてきた。

「子どもの家」のスタッフ、柳沢さん、高橋さんも結婚式に
駆けつけてくれる。


元日本語教師の坂本さん、原さんも参加。


「子どもの家」の寮母さんもお祝いに駆けつける

ベトナム事務所スタッフ、大塚さんも


「子どもの家」のこどもたち、メンさんの妹も手伝いに来ていた。

結婚式冒頭、両親紹介、挨拶。
メンさんの両親として内田夫妻、ソン君の父親役として私。

メンさんの「筆頭親戚」のような方が、内田さん、JASSの長年
の支援に感謝し、二人の幸せを記念すると挨拶。

内田夫妻・メンさん、ソン君の母親とソン君。

内田さんの母親としての挨拶。内田さん自身もベトナムの
サイゴンで生まれたことなど、ベトナムとの関わりを話す。

JASS代表、ソン君の父親役として私が挨拶

通訳はバオミンさんが見事に果たす


150名の参加者


最後に内田さんが、父親として乾杯の挨拶

新郎・新婦と一緒の各参加者のテーブルを回り挨拶。
フエ市人民委員会の関係者

内田さんと小山


元日本語教師の坂本さん、原さんと

メンさんの親戚の長老からビールを勧められる


ソン君の兄(「子どもの家」の卒業生)もお客さんに挨拶


氷が怪しいので「温かい」ビールを飲みすぎ。かなり酔ってしまった。

大塚さんに挨拶

宴の途中でいよいよ例のカラオケ大会が始まる。


日本語学校教師の原田先生が一曲歌う。

「子どもの家」のセン委員長、柳沢さん、高橋さん。
そして「子どもの家」でメンさんと仲良かった「ターオ」さん。
ターオさんは既に結婚し、お子さんもいる。

午後2時、結婚披露宴はお開き


メンさん・ソン君が小さい頃二人を面倒見た元寮母さんの
マイさんも駆けつける


1時間かけてフエ市内に戻る。暑い中での結婚式だった。
しばらく部屋で休む。

午後6時過ぎ、バオミンさんと一緒に「JASS結婚式参加ツアー」
の皆さん15人の出迎えにフエ空港へ行く。

飛行機が40分ほど遅れる。

午後8時過ぎに飛行機が到着。

ホテルへ行く途中で「フォー」(米うどん)を食べる。

午後10時過ぎホテル到着。



ピースインツアーの添乗員さんのような人とバオミンさんが
ホテルの部屋割りなど諸注意を行う。

各部屋の「シャワー、トイレ、冷蔵庫、エヤコン」などが正常に
作用する各部屋を添乗員さん・バオミンさんと一緒に点検。

午後10時半、ラオスから高校同級生の與芝彰夫君も到着。

今回の結婚式参加ツアーには、高校の同級生5人が参加
してくれる。

五井君の部屋で第1回目の反省会。バオミンさんが
24本のフダビールを冷やしておいてくれる。
スルメの焼いたものなどおつまみも。

バオミンさんも交え、7人で反省会。午後12時過ぎ閉会。

宿舎に帰り午前1時就寝。


投稿者 koyama : 18:46 | コメント (0)

2010年07月19日

内田さん夫妻・坂本さん・原さんベトナム事務所へ。「京滋YOUの会」「子どもの家」夏祭り

快晴

昨日からひどい腰痛。腰を曲げることが出来ない。

午前5時半起床。朝食。フォー。

午前8時半、ベトナム事務所へ。

坂本さん・原さんから日本語教師の皆さんへテキストなどの
お土産。


同時に明日、新婦になるメンさんの10数年来の里親で
ある内田さん夫妻もベトナム事務所を訪問。合同の交流会と
なる。

ベトナム事務所員の自己紹介


明日新郎になるソン君から「明日のメンさんの家での
結婚式、宜しくお願いします。」との言葉あり。
坂本さん・原さんよりあいさつ。ベトナム事務所の何人かのスタッフ
は5年前まで坂本さん・原さんから日本語を習った「教え子」
である。

原さんから日本語主任のフーン先生にお菓子のお土産贈呈



ベトナム事務所での交流・自己紹介を終え、急いで「子どもの家」
へ。電動バイクが故障。タクシーで。
「京滋YOUの会」の皆さんが「子どもの家」で活動中。
「子どもの家」の食堂の壁を総タイル張りにする工事を寄贈
してくれた。工事は完成。落成・寄贈式に参加。

「京滋YOUの会」の事務局長Fさんの里子の家族に
お土産。

新装された食堂に集まったこどもたち。宿題がない
楽しい3ヶ月間の夏休むを満喫している雰囲気が漂っている。


はじめに「子どもの家」運営委員長のセンさんよりお礼のことば
通訳はベトナム事務所のハンさん。

新装された「子どもの家」食堂の壁
食堂全体が明るくなった。


新装された食堂を喜ぶこどもたち


(何故か時計が光っている子がいた)


最後にこどもたちの代表として「フエ師範大学教育学部」に
通っている子から「お礼の挨拶」。



世界ストリートチルドレン芸術蔡のカレンダーコンクールに
入選し、カレンダーになった「NGA](ガー)さん


食堂の壁新装記念の全員写真


午後11時過ぎ、タクシーで事務所へ帰る。腰が痛い。
立っているだけで動けない。

午前11時半、昼食。おかゆ。

午後12時。パソコンで仕事をする。

6月30日から3週間弱帰国した際、支援者から頂いた
扇風機。手のひらサイズなのだが、なかなか優れものである。
強力な風を送り、暑いフエでは有難い。その上、パソコンのUSB
でも使える。扇風機を贈って頂いたA県のBさんに感謝。

午後3時過ぎ、壊れた電動バイクが直ったので「子どもの家」へ。

「京滋YOUの会」が夜行う『夏祭り』の準備をする。
担当は私・ハン・アン・フーン・フオン・古竹先生のベトナム事務所員。
「京滋YOUの会」の皆さん(5人)。


こどもたちは、「京滋YOUの会」が持ってきた「シャボン玉」
で遊ぶ。

1993年。私がフエに来て初めて作った「チーラン通り子どもの家」
から「子どもの家」にいるタン君。当時、3歳くらいだった。
アールい山岳地帯の少数民族出身。当時、ベトナム語が話せず、
ベトナム人(キン族・ベト族)との生活習慣も分からず、苦労して
いたが、今は、「子どもの家」の親分である。



午後5時前、開会式。

「京滋YOUの会」森野さんの開会挨拶  通訳はハンさん。


早く夏祭りが始まらないか、今か今かと待っているこどもたち

「子どもの家」のセン運営委員長をはじめ、全スタッフも
参加。


夏祭りがスタート

●ヨーヨーつり

夏祭りを楽しむこどもたち

●薄いセンベイにソースとマヨネーズをつける

1993年のチーラン通り「子どもの家」から付き合っている
ホーターロン君。ロン君も山岳少数民族出身だったので
当時、ベトナムができずに苦労した。今は、「子どもの家」の
親分の一人


●恒例の「輪投げ」


●ダーツケームの景品  飴
 フエ師範大学生物科在学のターオさん


夏祭りに満足しているこどもたち

夏祭り終了後、山岳少数民族の伝統的遊びである
「バンブーダンス」をする

少数民族出身のハイ君、タン君、ロン君などは、民族の血が
騒ぐのか嬉々として楽しんでいたい。





ロック寮長もこどもたちとバンブーダンスを楽しむ


午後6時を過ぎる。「子どもの家」の庭も暗くなる。

最後の出し物は、全員で「フォークダンス」。
マイム・マイム、ジェンカ・・・・。


「子どもの家」の庭では盛大に夏祭りが行われていたが、
フエ芸大油絵科のフック君は、絵画教室で絵を描いていた。
「一味違う」人間性を持っている。「子どもの家」にすんで
フック君の「一味違う人間性」が良い方に開花した。
芸大(5年間)を卒業したら高校の美術の先生になるという。


●夏祭りのフィナーレは「大花火大会」

現在看護大学に通っているBAさん


「子どもの家」のこどもたちの中で一番上手に花火遊びを
していたチュン君   


いよいよ最後

セン運営委員長の閉会の言葉

「京滋YOUの会」の皆さん



午後7時半過ぎ、「京滋YOUの会」主催の夏祭りが終わる。
皆さんは、車で日本料理店へ。

私は電動バイクで帰る。「子どもの家」を出ようとしたら
HUNG(フン)君が門の前にいる。
何しているの? と聞く。以前は、「子どもの家」の門前で
靴磨きや靴の修理をしていたのだが・・・。
フン君「今は、オートバイの修理をしている」とのこと。
フン君は仕事を変えながらも逞しく生きている。


午後7時45分、日本料理店で「京滋YOUの会」と
ベトナム事務所員との交流会兼夏祭り打ち上げ会。

「京滋YOUの会」藤井事務局長の挨拶


グエットさん・リー君コンビによる「今日のメニュー」の説明


「京滋YOUの会」から日本料理店のこどもたちへお土産贈呈


午後9時半過ぎ、交流会閉会



その後、交流会中は仕事に専念していたリー君を交えて
最後の最後の反省会。

午後11時前に全て終了。

今日は腰痛がひどく立ったり座ったりするのが痛くて辛かった。

投稿者 koyama : 16:22 | コメント (0)

2010年07月18日

腰痛再発

終日快晴

昨夜から腰痛再発。
終日、宿舎で寝ていた。

読書。
「ポストモダンの共産主義ーはじめは悲劇として。二度目は
 笑劇として」(スラヴォイ・ジジェク:ちくま新書)

終日読書。

ベトナムで体調を崩すとやはり「孤独感」を感じる。

昨日の残りの「チャオバインカイン」を食べ、寝ている。


部屋の掃除、洗濯。


投稿者 koyama : 22:53 | コメント (0)

2010年07月17日

夏のスタディーツアー等の分担:大塚さん・坂本・原さんフエ「帰国」

午前5時起床

曇り。少し肌寒い。北部に台風が来ている。その影響で
フエも終日小雨か曇り。

午前7時朝食。フンボーフエ。フエ帰国初日から大好きな
ブンボー。

室内の整理。洗濯。

午前9時、ベトナム事務所へ。

ベトナム事務所の皆さんと不在中の出来事などを聞く。
皆さん、元気に仕事をしていた。一安心。ハンさんは
家の事情で欠勤。

その後、バオミンさん、原田先生、フーン先生の4人で
7月20日・21日を中心としたツアーの皆さんの日程調整。

JASS主催メン・ソンさん結婚式ツアー(16人)、
内田さん夫妻、柳沢さん・高橋さん(バベーキュー大会主催)
坂本先生・原先生(元日本語教師:ベトナム事務所短期手伝い)
、「京滋YOUの会」などが来訪する。

各ツアーのベトナム事務所員担当者、車・食事、などの手配等の
確認。これらのツアーが最終的に終了するのは7月31日。

同時に7月30日から地球の歩き方Ⅰ班が来る。
地球の歩き方ツアーは最終的には10月6日の第7班まで続く。
その他、神奈川県主催青少年海外研修ツアー(6日間)、
北星学園大学ツアー(6日間)、大学生協スタディーツアー、
JASS青少年教育の会(JASS主催)ツアー(7日)・・・・。


午前11時半、昼食。チャオ・バイン・カイン(小麦粉の煮込みうどん)

午後12時過ぎ、読書。
「ポストモダンの共産主義ーはじめは悲劇として。二度目は
 笑劇として」(スラヴォイ・ジジェク:ちくま新書)

翻訳本の最大の難点である翻訳者の文章理解、適切な
日本語の選択などに問題あり。私の能力の問題もあるのだが。

第1部は、ポストモダン(私としては近代・資本主義最盛期以降
、世界が理性と進歩の方向に進むと考えられていた以降、と
単純に理解し)
の資本主義の本質をマルクス主義の手法とヘーゲルの
精神分析を使い、分析している。

副題の「はじめは悲劇として、二度目は笑劇として」
の『はじめ』は「2001年の9・11事件」であり、
『二度目は笑劇』とは、2008年のリーマンショックと理解
した。資本主義は本質的に「博打」だといっている。
現代の資本主義がいかに賭けのようなもので、未来が
見えないものであるか・・・・・・。

午後、荷物の整理。
15通のメール受信。返信。

午後5時半、日本料理店へ。こどもたちが元気に生活していた。
最近は来客が多いとのこと。毎日15人程度の来客。
先週の土曜日は合計30人もの来客。
古竹先生は、日本語学校で遅れる。


夕食は「チャオ・バオイン・カイン」


こどもたちが気を利かして「スルメ」と「サーモンの刺身」を
出してくれた。日本料理店の「フダ生ビール」を飲む。

リー君も元気なのかどうかは分からないが、相変わらずの
生活。

「前の彼女が、同棲しようと言っているのだが、どうしよう?」
との悩みを私に聞かせる。本当の話かどうか?

今晩も多くの来客あり。14人。

こどもたちが厨房でテキパキと仕事をしていた。
大塚さんがいないので、こどもたちだけで90種類の
日本料理を調理している。大したものである。
帯広で研修したトゥオイさんが調理主任として厨房を
しっかりと管理指導していた。


埼玉県から来訪された2人の日本人。歩いていたら日本料理店が
あったので入った。壁に「子どもの家」やこどもたちの写真が
貼ってあるが、何をしているのか?との質問。

いくつかの資料をお渡しJASS活動の説明をする。
いたく感銘したようで、できたら里親をしたいとのこと。
有難い方である。齢70歳の女性。70歳でベトナム旅行をする
エネルギーに嫉妬すら感ずる。

午後8時過ぎ、大塚さんが日本から帰国し、日本料理店に
顔を出す。

丁度、14人の来客があり、全員食事を終わり、帰る。
日本料理店を閉店とする。

大塚さん・原田先生・古竹先生と「例の虚偽か願望か知らないが
同棲請われ男」と久しぶりに懇談。


しばらくすると元JASS日本語教師だった坂本さんと原さんが
ソン君の案内で日本料理店にやってくる。
こうなったら本格的に・・・・・と、日本料理店で小宴会を行う。

午後10時過ぎ閉会。


「京滋YOUの会」・税田さん一行(5人)は、バオミンさんの出迎えで
午後8時過ぎにフエ空港着。

==========================


一昨日まで3週間弱日本に滞在した。
今回の滞在は、
①TU君の静大大学院研究生としての入学。
②「フェリシモ」・マルタカとの打ち合わせ
  ・jASSベトナム事務所は、「マルタカ」のベトナム事務所支所
   となった。
③ブライセン社長との「ブライセンベトナム支社の拡充」についての
打ち合わせ
④心臓の薬の取得(2ヶ月に一度)
⑤JASS東京の皆さんと「バンベー発送」を通して交流
⑥ラオス「ラム酒」のベトナム販売の打ち合わせ

などだったが、おおよそ目的を達成した。

===================


2010年
6月30日(水)午後8時10分フエ発 →ホーチミン市
        (静大農学部大学院入学希望のTU君を連れて)
7月01日(木)A0:05ホーチミン発 →成田着(7:30)
        P2三島駅(望月さん親子懇談:TU君奨学金の件)
02(金)A9 静岡大学農学部研究生 TU君の入学手続き
        入寮手続き
     P4 TU君指導教官農学部渡辺教授と懇談
     P5:30 渡辺教授たちと夕食会
03(土)A9 マルタカ直井氏と「フェリシモ」の打ち合わせ(上野)
04(日)
05(月)横浜市立中学講演会(660人)
  夜、JASSツアー保護者講演会(10人)
06(火)P1:30 静岡大学工学部NIFEE留学打ち合わせ(浜松)
     P6 ロータリークラブ懇談(静岡市)
07(水)
08(木)午前中、心臓病院通院
09(金)P6:30 高校クラス会(池袋西口ライオン)
10(土)A10 バンベー発送作業(浦安市)
     P3 益子もえ、渓などと懇談
     P10 八王子泊
11(日)A9神奈川県主催スタディーツアー講演会(神奈川藤野)20人
12(月)
13(火)夕方次男家族と会食
14(水)P5:30 ブライセン藤木社長と懇談(恵比寿)
15(木)成田付近前泊
16(金)成田(10:30) →ホーチミン市 →フエ

投稿者 koyama : 10:32 | コメント (0)

2010年07月16日

成田→ホーチミン→フエへ

午前5時半起床。

昨夜、買っておいた「おむすび」1個を食べ、心臓の薬を飲む。
荷物の整理。
午前8時、ホテルのバスで成田空港第2ターミナルへ。
気温30度。

チェックイン・出国手続きもスムースに終わり、午前9時過ぎには、
ホーチミン行きの待合室へ。

午前10時30分、成田を出る.乗機率60%程度。

機中で「ナショナリズムという迷宮」(佐藤優・魚住昭著:朝日文庫)
を読了する。

知的好奇心を強く刺激する内容である。ナショナリズムの起源は
近代産業社会が確立して初めて作られた概念と説明。

小泉構造改革路線は、ファシズムではない。ファシズムに必要な
「やさしさ」がない。ファシズムはその中に所属していれば、居心地の
良いシステムあり、ある意味で「やさしさ」を持っているが、小泉改革は
徹底した新自由主義・市場原理主義であり、新保守主義。国民に
「やさしさ」さえも与えずに搾取・収奪していると説明。
ホリエモンが「国策捜査」で捕まったのは、天皇制の必要さおも否定し、
「お金」だけを追求する新自由主義路線を地で行ったからと説明。

日本に残る部落差別に話が行くと、野中広務氏が首相になり
そうになった際、麻生太郎元首相が
「あんな部落出身者を日本の総理にできないわな」と言ったそうだ。
佐藤優氏が浦和高校で社会主義青年同盟(社青同)協会はに
入会し、鎌倉孝夫の資本論の読書会に参加していたことを知る。

又、丸山真男の批判をしている。丸山が戦前の日本ファシズムを
支えたのは、中産階級であるとしたが、丸山は更に中産階級
の中で私たちのようなインテリと小学校・中学校の教師などの
インテリではない層ではファシズムへの参加度が違うと言う。
丸山などインテリは、ファシズムをしっかりと理解していたが、
反対運動への腰が据わらない問題があったが、小中学校の
教員などプチブル非インテリ層がもっとも積極的にファシズムに
参加して言ったといっているが、自分たちをインテリ層と規定
ている所に丸山の優越思想が垣間見られると批判している。
美濃部達吉の『天皇機関説』を批判したのも丸山が言う東大
出身・東大教授などのインテリ層だったと。

意見の違う部分もあるが、読む価値のある本です。

午後2時半(日本時間午後4時半)ホーチミン空港着。
気温28度。
順調に入国手続きも終わり、国内線へ。

今回は国内線で切符が勝手にキャンセルされるということもなく、
午後3時、ホーチミン空港国内線でフエ行き(午後6時10分発)を待つ
ということになった。ここまでは、ベトナム航空としては、珍しく順調に
進んでいた。バオミンさんに電話。午後6時10分ホーチミン発、
午後7時20分フエ空港に着くと連絡。その後、午後8時頃から
日本料理店で夕食を摂るという手筈。

2時間程待つた午後5時頃、放送があった。「オペレーションの
理由でフエ行きは、2時間遅れ、午後8時10分になりました」
とのこと。

『やっぱり』と得心する。そんなに全てが順調に進むわけがないのが
ベトナムなのだ・・・・。
結局、午後6時10分発がが午後8時10分に変更され、更に
8時25分になり、8時30分になり、結局、午後9時に
ホーチミン空港を出発した。国内線出発のボードを見ていたが、
午後6時から7便ほどが大幅な遅延となっていた。
機材の故障ではなく、飛行機の「やりくり」がつかなかったの
が原因と見た。

ベトナム航空は最後まで「遅延」の理由を説明しなかった。
「オペレーションの理由で」と英語で言っていたが、意味不明。

成田 →ホーチミン市6時間、ホーチミン空港に6時間すわり、
ホーチミン市 →フエ1時間20分。と言うことで、今日は13時間半
ほど座っていた。腰痛再発。

フエ空港着午後10時過ぎ。荷物を待ち、宿舎へ着いたのが
午後10時50分。

夕食を食べていなかったので、電話でバオミンさんにお願いする。
迎えに来た車の運転手さんに「ほか弁」を頼んでもらう。
ほか弁をもらう。「素晴らしい」ほか弁だった。
ご飯の上に大きな豚肉の焼いたものが2つ乗っている
だけのほか弁だった。ベトナム人は肉が多いほか弁が
好きなのだろうか? 私は肉が少なく野菜の多い
ほか弁が好きなのだが・・・・・。

午後11時前にやっと宿舎に到着。冷たいビールを飲み
ほか弁のご飯を少し食べる。
それでもフエに着くと何となく「落ち着く」。17年間住んだ
土地が郷土になってしまった。大好きで大嫌いなフエである。


投稿者 koyama : 20:07 | コメント (0)

2010年07月15日

成田空港前泊

快晴

20数通のメール受信。返信。

フエ帰国の荷物整理。

午後3時、自宅を出て上野経由成田へ。

成田のビジネスホテルに前泊。

投稿者 koyama : 20:46 | コメント (0)

2010年07月14日

ブライセン藤木社長・社員の方々と懇談

晴れ

午前中、ベトナム帰国の準備。

35通のメール受信。10数通の返信。

午後、バオミンさんと電話連絡。

夕方、IT会社ブライセンの藤木社長・社員の方、

サッカーの指導者Yさんと恵比寿で懇談。

山の手線で五反田まで行こうとしたが、御徒町で
人身事故あり。けが人が出た模様。命に別条は
あったのだろうか? などと考える。
その為、山手線が全線不通。京浜東北線で品川まで行く。
その後は、地下鉄で五反田へ。

藤木社長たちとタクシーで恵比寿へ。

今後のブライセンのベトナム戦略について懇談。
ベトナムでのブライセン活動の一層の強化戦略を
打ち合わせをする。

午後9時過ぎ、自宅着。

投稿者 koyama : 12:16 | コメント (0)

2010年07月13日

孫と会食

午前中、バオミンさんと電話で打ち合わせ。

昼、バオミンさんとSKYPEで1時間程打ち合わせ。

読書「読書「ナショナリズムという迷宮(ラスプーチンかく語る)」
(佐藤優・魚住昭著:朝日文庫)

佐藤氏は、自称保守と言いながら、マルクスを良く読んでいる。
マルクスの偉大な成果は、「国家とは何か? 貨幣とは何かを
発見したことであると言っている。

空いている時間は、横になっていた。


夕方、次男夫婦と孫(男児3歳、8ヵ月)と簡単な会食会。


しばらく会わない間にこどもたちは成長しているものである。



投稿者 koyama : 12:10 | コメント (0)

2010年07月12日

終日、寝ている

小雨

腰痛は少し治ってきた。7月10日のバンベ発送作業の
際にAさん・Bさんから「モーラステープL」を頂いた、
4日間使ったが意外に効くことがわかった。大分楽になった。
座ってパソコンを1時間程したら、何かに掴まらなければ
腰が痛かったが、少しずつ良くなった。Aさん・Bさんに感謝。

久しぶりに予定がない日である。第1希望は「何も考えずに
1日寝ていたい」というささやかな願いです。
ということで1日寝ていた。


「ニーチェからスターリンへ」(トロッキー著:光文社)読了。
最終章のスターリン人物評は、腰砕けだった。


読書「ナショナリズムという迷宮」(ラスプーチンかく語る)
佐藤優・魚住昭著:朝日文庫)

佐藤優は、「自分は保守だ」と明言しているのであるが、
そうでもない。国家とは何か? キリスト教、ファシズム
天皇機関説・丸山真男など佐藤の思想を魚住が
聞き・対談したもの。


午後、近くに買い物。フエで使ういくつかの品物を
買う。

テレビでは、朝から夜まで参議院選挙の民主敗北を
報道している。どの局も大体同じようなメンバーが出て
同じような論調の話をしている。


フェリシモ、マルタカ、支援の会社などへ10部ずつの
「バンベ」を宅急便で送る。

20数通のメールを受信。必要な送信。


投稿者 koyama : 12:29 | コメント (0)

2010年07月11日

「神奈川県主催ベトナムスタディーツアー」講演会

八王子のビジネスホテルに泊まる。

昨夜は午後9時頃就寝。

今朝6時起床。

午前9時過ぎ八王子駅から高尾駅へ。
予定の電車の1本前の列車に乗る。
更に神奈川県の藤野までの列車に20分程
時間があったので待合室で待つ。
知らず知らずに30分ほど寝てしまい、
予定の電車に乗り遅れる。

午前10時過ぎ、藤野駅着。

神奈川県青少年協会の佐野さんが、車で
迎えにきてくれていた。感謝。

車で神奈川県主催スタディーツアーの会場
である「神奈川県立藤野芸術の家」へ。

今回のスタディーツアーの参加者20人ほど
が講演会場で待っていてくれる。

協会副会長さんんと挨拶。


講演会を始める。8月にベトナム・「子どもの家」・
ナムドン山岳地帯などを訪問する皆さんである。


1時間半程話をする。

その後、質問。国際協力などについて、かなり
突っ込んだ質問があった。
神奈川県主催スタディーツアー参加者は3倍の倍率を
突破してスタディーツアーに参加している。
なかなか国際支援・協力についても勉強し、実践し
している。

午前11時45分、「芸術の家」でスタディーツアー参加者と
一緒に昼食。

藤野駅まで佐野さんに送ってもらい、藤野→八王子→
新宿→池袋→巣鴨→西台と乗り継ぎ、午後3時半帰宅。

夜、参議院選挙開票を見る。

民主党は議席では大敗。得票率では第1党だが。

共産党は、総選挙・統一地方選挙なども含めると
9連敗。一般社会では、9連敗したら当然であるが
指導者の責任問題が出てくる、というか、指導者
自身が責任を感じ「辞任」するのは、一般社会
である。既に8連敗している共産党が、今回9連敗
となった。どのような総括と指導者の進退をするのか?
が問われている。

夜中の12時半、菅総理の記者会見をみた。
選挙に敗北したことについての率直な自己反省と
総括が全くなかった。反対に「ギリシャの国家破産」
などの例を持ち出し、消費税の増税が必要である
との国民へのお説教をするなど、「空気が読めて
いない」。消費税の国民への提起の仕方が
悪かった。消費税10%を提起したことは、正しい
といわんばかりの論調である。
「2世・3世議員でない首相」などと自称しているが、日本の
庶民が、どんな生活をしているのか? 何に苦しんで
いるのかを理解していない「庶民」出の首相である。

擬似ビールである「ポッピー」が何故流行っているのを
理解できない首相になっている。
何故、第2、第3のビールが売れているのか?


大学を出ても、大学院の博士課程をでてもなかなか
就職のない今の時代に「消費税10%増税」などと
突然言い出し、選挙に勝てると思っている所に
庶民ではなくなった菅直人がいた。

選挙後の記者会見で「国民を教育する」「日本の
財政危機の実態に無知な国民に教えてやる」的な
態度の記者会見には、辟易とした。
結局、選挙を敗北した責任者として、反省の言葉が
なかった。消費税10%問題の言い訳に終始し
記者会見は短時間で終わり、記者クラブの記者との
なれあい記者会見。記者は、国民に代わり、
首相に厳しい質問を投げかける義務があるのに
おざなりの質問で記者会見もチョン。
全てが出来レース。

私は個人的には、「ねじれ国会」大賛成である。
そもそも国会は国民の様々な意見・思想を反映した
ものでる。ねじれていて本当なのだ。
ねじれているなかでこそ、国会の論議と妥協が
必要であり、民主主義の原点である。

国民は賢明な選択をしたと思う。

「経済が厳しい中で ねじれ国会 では困る。
 強権的な指導力を持って指導して欲しい」
との意見もあるが、かなり危険な傾向をもった意見である。

今は大きな時代の「転換点」である。こうした「紆余曲折」
を辿って時代は変わって行く。


投稿者 koyama : 18:04 | コメント (0)

2010年07月10日

バンベー発送作業=浦安市にて

快晴

午前8時半、自宅を出て千葉県の浦安市へ。

浦安市民活動センターでJASS機関誌「バンベー」
発送作業。

午前10時には、既に何人ものJASS東京の会の皆さんが
集合。

1600部程度のバンベと今年2月の現地報告会に提案した
活動方針、フェリシモの通販に載ったJASSベトナムげが
コーデイネートしたベトナム雑貨が載っている通販本紹介
リーフレットを封筒に入れる。






カナダから益子もえさんも手伝いに来てくれた。





お昼は、手作りのサンドイッチ、さくらんぼなど・・・・・。



午後3時近くまで作業を行い解散。

こうした目立たない作業・実務が「子どもの家」のこどもたちを
支えていることを改めて感じた。
バンベー発送作業に参加された皆さんに感謝。


その後、カナダから来た益子もえ、渓君たちと歓談。

夕方、中央線で八王子駅。駅前のホテルへ。

明日は、神奈川県藤野で「神奈川県スタディーツアー」
参加者への講演。

投稿者 koyama : 08:19 | コメント (0)

2010年07月09日

高校クラス会のようなもの参加

終日曇り。

午前10時まで横になっている。

18通のメール受信。必要なメール送信。

午後、バオミンさんと3回電話で打ち合わせ。

フェリシモから電話。
明日、千葉県浦安市で行われる「バンベー」発送作業に
フェリシモの「リーフレット」を同封する件。

ブライセンの藤木社長より電話。


午後5時、自宅を出て池袋西口へ。

7月20日から「ソン君・メンさん結婚式」に参加する
高校の同級生と結婚式参加の打ち合わせをする。


午後6時から「高校のクラス会の」ような会を行う。



1966年卒業以来、今日初めてあったクラスメイトも
いた。こうした「クラス会のような会」をいつも企画してくれている
五井君に感謝。


投稿者 koyama : 15:48 | コメント (0)

2010年07月08日

心臓病院へ

午前8時過ぎ、自宅をでて三田線ー大江戸線を乗り継いで
都庁前下車。

新宿、榊原記念クリニックへ。

午前10時半、心電図。血圧測定、診療。問診。

毎日の血圧測定、体重測定(60キロ厳守)、4種類の薬
の服用の厳守、油もの、肉類の多量摂取の厳禁。
ここまでは、何とか「守れるかな?」とは思ったが、
「節酒」または「禁酒」の断行。ここまで来ると
「ハイ、ハイ」とは言っていられなくなる。
「節酒」について、『努力』しますと答える。
「暴飲・暴食」を戒められる。暴食は言われなくても
食事の量が極端に減っているので、問題ないが、
「暴飲」の方は、暴飲とは思っていないが、客観的に
観ると「暴飲」に近い今日この頃である。

2ヵ月分の薬をもらう。既にこうした生活を20年続けている。
血圧と狭心症対策の薬を毎日飲まなければならないが
2ヵ月で「薬が切れる」。

理論上は年間6回、日本へ帰国しなければならないが、
3回程度の帰国のため、心臓の薬を毎日継続的に
飲めないという問題があり、この17年間、解決できないでいる。


午後2時すぎ、自宅へ戻る。腰痛が治らない。
部屋で横になっている。

読書「「ニーチェからスターリンへ」(トロッキー著:光文社)
カウツキー、ドイツ社会民主党→ドイツ共産党の
カール・リープクネヒト、ローザ・ルクセンブルグの人物評。

ポーランド人のローザルクセンブルグを最高に評価している。

20数通のメール受信。

座っていると腰が痛い。どうしても横になってしまう。

投稿者 koyama : 15:22 | コメント (0)

2010年07月07日

自宅で寝ている  

終日、自宅で休む。 雨。

腰痛が段々深刻な状況になってきた。

今日は久しぶりに1日休み。ゆっくりと「何も考えず」に
休むことにした。

午前10時まで寝ている。

その後、メール(20通)受信。

フェリシモから電話。


読書「ニーチェからスターリンへ」(トロッキー著:光文社)

大体100年くらい前の著述である。

当時の西欧・ロシアの社会主義の各潮流の中心人物への
批判と評価。

アゼーフというテロリストへの強い批判。
マサリク教授の右翼日和見への批判。

ジャン・ジョレスへの高い評価。ジョレスはフランス社会党の
党首であり、必ずしもマルクス主義者のトッロキーとは意見が
違うのではあるが、トロッキーは尊敬の念も持ちながら
ジョレスを評価している。

プレハーノフ。彼もコミンテルン史観からすれば、
右翼日和見主義者であるが、トッロキーは、カウッキーが
ロシアのマルクス主義創成期に果たした役割について
評価している。

この5ヵ月程、フェリシモの雑貨、ツノダの工場建設、
静岡大学ニフィープロジェクトと新しい活動を進め、
ほとんのプロジェクトが『思うように」進まなかった。
一つ一つの「こんがらかり」を丁寧に解きほぐし、
道筋を付け、何とか軌道に乗せることが出来た。

この5ヵ月間の私の頭の中は、上記の課題を
どう工夫し解決していくのか?をいつも考えていた。

こうしてJASS活動と全く関係ない本を読んでいると
精神的に本当にリラックスする。この読書の瞬間だけが
私のJASSからの拘束から解放される一瞬である。

午後、参議院選挙の「期日前投票」へ行く。

11日の日曜日は午前9時過ぎに神奈川県の
藤野で、神奈川県主催のスタディーツアー参加者の
合宿学習会で講演をする。
11日の朝、家を出ては11日の講演会に間に合わない
ので、前泊。という事情で今日、前日投票。


区役所支所付近に「候補者」の看板があった。
東京選挙区選挙(定員5)に立候補している
候補者の写真が貼ってあった。民主党候補者は
管党首と一緒、新党改革も舛添要一と一緒の
ポスターとなっている。

どちらが、候補者だか分からない。

大学の入学式に親や祖父母がついてくるような
恥ずかしいポスターである。
候補者自身が自立していないと思えてしまう。

投稿者 koyama : 17:02 | コメント (0)

2010年07月06日

静大工学部ニフィープログラム懇談

午前中、メール送受信。25通。

午前10時自宅を出て、東京駅へ。
東京駅から新幹線で浜松へ。
新幹線車中で10通ほどのメール受信・返信。
車中から緊急の課題でバオミンさんに2回電話で意思統一。
ブライセン社長より電話。7月14日にブライセンで話し合いを
することになった。

午後1時半、静岡大学工学部でニフィープログラムについて
話し合いを行う。

ニフィープロジェクトは、3年前から準備をすすめ、昨年10月に
第1期生を送りだしたフエから静大工学部へ留学させるプロジェクト。
今年は5月にフエで入試を行い、ベトナムから8名(うちフエ3名)
インドネシア2名の合計10名の留学生の訪日が決まっている。

今日の話し合いは、フエの留学生の学力、モチベーション、
留学費用など第1期生の1年間の勉学実態を踏まえ、2期生
以降のニフィー留学についての更に突っ込んだ話し合いを
行う。フエでの静大工学部留学態勢の一層の充実と強化
について話し合う。2時間半ほどの話し合いの後、
第1期生として昨年静大工学部に留学した3人の留学生
のうち2人がやってくる。タン君とティン君。ドゥックさんは、
授業中のため来られなかった。


二人とも日本滞在9ヵ月。日本での生活にも慣れ、日本語も
大分上手になっていた。勉強のほうも頑張っているようだが、
一層の努力を期待したい。

ニフィー担当の先生方とも毎日の生活、授業のことなどを
話し合う。


これから3年、勉学と生活と努力して欲しい。

午後5時前、浜松駅から静岡駅へ。

午後6時過ぎ、静岡駅付近で奨学金の件で清水ロータリー
クラブの関係者と懇談。

東京駅着午後9時半。

自宅着午後10時半。

昨日あたりから「腰痛」がでてきた。
今まで3回ほどひどい腰痛の経験あり。

35歳頃京都で1回、40歳頃、東京で1回。
50歳頃だろうか? 小樽で1回。

今回の腰痛がひどくならないことを祈るのみ。


医師は「疲労」「精神的ストレス」が原因と言ってはいたが・・。

投稿者 koyama : 11:35 | コメント (0)

2010年07月05日

横浜市立領家中学校講演会:JASS青少年教育の会ツアー保護者懇談会

曇り・夕方豪雨(横浜)

午前7時起床。

午前10時、自宅を出て池袋へ。駅構内地下の喫茶店で
受信メールチェック。静大工学部のM先生と電話連絡。

池袋から湘南新宿ラインで戸塚駅へ。午後12時40分。
JASS青少年教育の会Kさんと合流。
戸塚駅改札口に横浜市立領家中学校の先生が迎えに
来てくれる。感謝。先生の車で領家中学校へ。



校長室で校長先生と暫時懇談。校長先生は、元テレビ東京の
アナウンサーだったとのこと。気さくな先生。

今日は領家中学校の「全校人権教育」の授業。

午後1時40分から午後2時20分まで。

初めに校長先生の挨拶・講師紹介

全校集会の参加者は600人弱。高湿度の体育館の中。
600人弱の生徒さんは、暑さの中でも真剣に話を聞いてくれた。




40分ほどの話の後、生徒会副会長の男子生徒の「お礼のことば」。
自分の頭で考えて中々内容豊かな言葉だった。
も福田もえ子様一人の副会長さんから花束贈呈。


講演会後、青少年・教育の会のKさんとしばらく喫茶店で
交流。夏のスタディーツアーなどの打ち合わせ。

その後、電車で1時間。鴨居まで。

午後5時から昨年の青少年・教育の会のスタディーツアー
に参加した生徒さんの保護者の皆さんとの懇談会。


午後8時過ぎまで。

その後、Kさんの車で自宅まで送ってもらう。

午後10時過ぎ、自宅着。

明日は、浜松の静岡大学工学部へ。

投稿者 koyama : 07:48 | コメント (0)

2010年07月04日

終日、寝ている  

さすがに疲れた。

昨夕、帰宅。

今日は1日部屋で寝ていた。

かなり多くのメール受信。必要なメール送信。

明日は、横浜市立中学校での講演。夜は、青少年教育の会
主催スタディーツアーの保護者との懇談。


参議院選挙中なのだが、選挙の「せ」の字もない。
どうなっているのだろうか?

投稿者 koyama : 23:26 | コメント (0)

2010年07月03日

フェリシモ・マルタカプロジェクト打ち合わせ

曇り空。

昨夜遅く寝たのでなかなか起床出来ず。

午前7時起床。おにぎり一つ頬張り午前7時半、家をでて
上野へ。

午前9時、上野でフェリシモプロジェクトを一緒に行っている
マルタカの直井さん親子と懇談。

午後1時過ぎまで様々な問題について詳細な打ち合わせ。

その後、池袋の本屋へ。

午後4時過ぎ自宅へ。疲労。
2時間程横になる。

メールが19通来ている。


日本は「涼しい」。

投稿者 koyama : 19:51 | コメント (0)

2010年07月02日

TU君静大農学部大学院研究生入学:静大「雄ほう寮」入寮

多少涼しい1日だった。

午前6時、静岡市内のホテルで起床。

午前8時、TU君と一緒にホテルで朝食。


午前8時45分。静岡大職員(JASS静岡の会副代表)
滝下さんが、車で迎えに来てくれる。

ホテルから30分。郊外の山の中腹にある静岡大へ。


いよいよ、今日からTU君の長い静大での勉学生活が始まる。

早速、入学手続きをする。

静大事務局へ行き、入学金・授業料の支払いを行う。

入学金授業料の支払いはTU君が自分で日本語を使って行う。



続いて農学部棟へ行き、農学部大学院研究生入学手続きを
行う。


入学手続きが全て終わり、学生証ももらう。

忙しい。続いて、TU君の生活する学生寮「雄ほう寮」へ。




大量の荷物。55キロほど。


先輩の寮生Nさんが、寮の施設・設備・諸注意を教えてくれる。

トイレはウオシュレット。


洗濯機もあった。(使用無料)


男子寮なので「掃除・整理整頓」がほとんどできていない。

皆で使う台所 みんなで使う大所。ウーンと思わずうなってしまう。


TU君の部屋は2人部屋。

TU君のベッド。


机。(ベッドと机だけがTU君の領域)



お風呂  このお風呂問題がTU君の最大の難問。
シャワー(個室)の生活が普通のベトナム。人前で
裸になったことはない。TU君もこのお風呂を見て、
皆で入るのだと分かるわずかにではあるが「顔色」が
変わる。

食堂。


入寮手続きと部屋に入り、荷物を置く。
寮費(朝食・夕食つきで1ヵ月で約 16000円)安い。

続いて、今年の1月にお世話になった静岡市役所へお礼の
挨拶へ。
局長・部長・課長さん、国際課員の皆さんに挨拶。


午後12時半。静岡大学へ行き、学生食堂で昼食。
TU君はきつねうどんを食べる。


食後、寮付近の買い物場所を教える。

ドンキホーテへ行き、寮で使うサンダルなどを買う。




小さな鍋を買う。


途中、TU君の印鑑を作る。銀行口座を作る際必要。


午後4時、TU君の研究(柑橘類の抽出)を指導してくれる
渡辺教授とTU君のお世話をしてくれる渡辺研究室の学生さん、
農学部の事務の方と2時間ほど、打ち合わせ。

7月5日(月)TU君のお世話をしてくれる学生さんと一緒に
区役所へ行き、『外国人登録』等の手続き。
その後、銀行に行き、口座を作る。

午後6時。静岡駅前でTU君の担当の渡辺教授、滝下さんと
一緒に夕食懇談会。

午後8時過ぎ懇談会終了。

私は新幹線「こだま」で東京へ帰る。

自宅着午後11時。長い長い1日が終わり。

6月3日にフエを出て、3日間の旅が終わる。

TU君が無事入学できてひと安心。お世話頂いた
滝下さんに感謝。

とにかく疲れた。

投稿者 koyama : 06:57 | コメント (0)

2010年07月01日

成田空港着:三島Mさんご家族と懇談

午前8時過ぎ成田空港到着。気温21度。


機内のTU君



成田空港到着


入管手続きが以外と早く終わる。

午前8時半、入管を終わる。


午前9時半。成田発上野行きのスカイライナーに乗る。


午前10時、上野着。TU君と一緒にヨドバシカメラへ。

昼食は「光麺」。

午後12時半、新幹線「こだま」で三島へ。
三島駅でMさん五ご家族と懇談。真面目なご家族。
TUへの奨学金募集に協力してくれるとのこと。



午後5時、静岡着。ホテルへ。

午後6時、近くの食堂で夕食。
飛行機で二人とも眠れなかったのでそのまま就寝。


投稿者 koyama : 21:13 | コメント (0)