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2010年08月31日

静大工学部入学予定学生と懇談:夜、地球の歩き方4班お別れ夕食会

晴れ・時々曇り 夕方雷雨。 蒸し暑い


午前6時起床。

午前7時朝食。ブンボー。

午前8時、部屋のパソコン、プリンターが故障。
ソン君が業者を連れて直しに来てくれる。

午前8時半、ベトナム事務所へ。

静大工学部留学内定者3人をベトナム事務所に呼んで
留学・マブチ奨学金受験などの打ち合わせを行う。
原田先生・古竹先生にも手伝ってもらう。

午前11時過ぎ、ベトナム事務所を出ようとした時、リー君が
私を外で待っていた。昨夜、10時半頃の出来事を話してくれる。

午前11時半、昼食。
「チャオ・バイン・カイン」(小麦粉の手打ち煮込みうどん)


午後12時半から1時間午睡。
気候不順。湿度が高く蒸し暑い。体がだるくなると多くの人が
言っている。

読書「仮装集団」(山崎豊子著)
勤音の方針に人民党勤音グループより直接的な介入。
参議院選挙巡って。


10月5日までの全てのスタディーツアー・訪問者日程
とベトナム事務所員担当者一覧に全て目を通し、矛盾や
一人に仕事が偏っていないかなど、いくつかの側面から
点検する。

グエンフエ高校奨学金の件をハンさんと打ち合わせ。

札幌の鹿又さんからの連絡。JASS応援のNGOを作ることを
計画中とのこと。来年、機会があった具知安と札幌に行き、
直接、菊先生・鹿又さんにお会いする必要を感じる。

ハンさんと電話連絡。フエ市立病院副院長・JASS「障害児医療
センター」(国際ソロプチミスト東京ー東支援)副所長のヒエン先生
が「フエ平和村の所長」に就任したとのこと。今後、更にフエ平和村
との交流が盛んになることだどう。良い人事異動。

午後4時豪雨。太陽が少し見えながらも豪雨。

ピースインツアーとSKYPEで地球の歩き方ツアー関連の
打ち合わせ。

大学生協を見送りにフエ空港にいるバオミンさんから電話。
打ち合わせ。「フエは雷がなり、すごい雨だよ」と話す。
フエ空港は「太陽が出て暑い」とのこと。車でたった15分
程度のフエ空港とフエ市内でも雨の降り方随分違い。
いつもフエ市内だけ集中豪雨が襲うのか?


午後6時過ぎ、日本料理店へ。
今日は地球の歩き方4班の皆さん(17人)の「お別れ晩餐会」

今日は富岡先生が初めて司会を担当。立派にやってのける。


グエットさん・リー君コンビで「メニュー紹介」。


今日の夕食会のメニュー。こどもたちが考え調理した。



団長さんの乾杯の挨拶と音頭




午後8時半、日本料理店スタッフ自己紹介。



最後に全員で記念写真



1997年、テレビ東京「ドキュメンタリー人間劇場」の
二人の主役である「リー君」と「ロックちゃん」。

放映から13年。二人の人生はそれぞれの課題を背負っている。
リー君は警察に捕まったりと様々な問題を抱えながらも
日本料理店で頑張って仕事をしている。

ロックちゃんは6歳と4歳の女児の母親。父親は不明。
ポストカードを売ったり、文字に書けない行為をしながら
生活をしている。
あの時、ロックちゃんが「子どもの家」に入っていたら、などと
考えてしまう。ちょっとしたことが、人生の分かれ目に
なる。リー君もロックちゃんも幸せな人生を歩んで欲しい。


日本料理店の掃除などをして午後9時、宿舎へ帰る。


小沢一郎が民主党の党首選挙に立候補した。
菅も小沢も正々堂々と政策と主張を掲げ、党内選挙を
闘うべきである。国民の見ているところで闘うべき。
茶番劇と見えたとしても、党首選挙に
立候補も出来ない政党もあることを考えると、これも
民主主義の「通る道」である。満場一致で議案が採択され、
幹部会などで互選されるような政党は、民主主義からおよそ
かけ離れている。民主党を批判する以前に自らを批判
すべきである。
9月14日の投票日までどんな論議があるのか注目している。


投稿者 koyama : 13:25 | コメント (0)

2010年08月30日

全国大学生協ツアー「子どもの家」:夜、さよなら夕食会

快晴  夕方から曇り豪雨。


午前5時起床。
読書「仮装集団」。3分の2読み終える。問題の核心にはいる。
勤労者音楽同盟(勤音)という大衆組織を目に見えない
一部の政治集団が裏で操っているのではとの主人公の
疑念が強くなる。「勤音」が10万人に達し、顧問を参議院選挙
立候補。一般大衆組織のはずの「勤音」が、政治活動へ
急速に傾斜していく。主人公はこうした性急に政治化する
勤音のあり方に強い疑問を抱く。大衆蔑視・大衆操りではないか?
単純に音楽が好きな人たちの会である筈の「勤音」なのに。
日経連・経団連のような資本家組織も対抗して「自由音楽連盟」
(音連)を組織する。
こうして、音楽を楽しむという原点が失われ、労働者階級と
資本家階級との音楽・余暇の使い方を巡っての対立へと発展する。
山崎豊子は、1967年の頃、良くここまで調査をしたなと感心する。

午前7時朝食。おかゆ。昨日飲みすぎた。おかゆが丁度良い。

午前8時過ぎベトナム事務所へ。

リー君が『ナムドン山岳地帯訪問』の準備をしている。
地球の歩き方4班の皆さんと原田先生・ソン君・リー君の3人で
案内予定。

リー君の素晴らしいところは、「仕事が好き」「体を動かして
労働することがすき」という1点に絞られる。
文字通り「労働者階級」なのだ。多少「ルンペン・プロレタリア」
の傾向を持ってはいるが。ベトナム社会主義社会の主人公の
筈なのだが。「労働者・農民の国家」。

午前9時半、出発なのだが、8時前にはベトナム事務所に
来て、支援物資を揃えたりと一人で準備をしている。
問題は、一人で準備をし、勝手に車を発車させ、
先日、責任者のバオミンさんをベトナム事務所に置いたまま
ツアー宿泊のホテルへ行ってしまっりと、全体が見えずに
「独走」する性向を持っていることではあるが、仕事をすること、
体を使って動くことが大好きな所は素晴らしい能力である。


臨時ベトナム事務所員会議。

その後、バオミンさん・古竹先生と日本語教育の件で打ち合わせ。

午前9時、「子どもの家」へ。大学生協ツアーが市場へ行き
昼食の食材買出し、こどもたちと昼食作り。アンさん一人での
案内。


既にこどもたちと一緒の昼食作りは終わり、こどもたちと交流中。


ユイ君はなかなか賢い子どもである。6年ほど前に船上生活を
していたユイ君を訪ね、「子どもの家」へ引き取った。
勉強もしっかりとしている。生活も行動も子どもらしい。


引率責任者のアンさんも一人で頑張っている。

こどもたちとツアー参加者は直ぐに仲良くなる。年の近さも
関係しているのだろう。



午前11時、昼食。

イカの煮物、野菜と豚肉の炒め物、野菜スープ、ご飯。

訪問者と一緒に食事をしているこどもたちも10年前、数年前には
こうして初めて「子どもの家」で食事をした経験を持っているのだ。
今は、お客さんを歓待する立場ではあるが。



先日、農村の自宅を訪問し入所して「THUYさん」もすっかり
「子どもの家」に慣れたようだ。

引率責任者のアンさんと寮母さんたちでこどもたち、訪問者の
昼食のお世話をしていた。一人での案内は神経を使う。感謝。



私は「子どもの家」を後にし、電動バイクで宿舎へ。

昼食はマカロニのスープと生野菜・唐辛子・レモン。


午前12時半。午睡。1時間。

午後2時。大量のメール受信。返信を書く。

午後3時半、バオミンさんといくつかの問題について
電話で打ち合わせ。

午後4時、ベトナム事務所へ。静大工学部留学生が「マブチモーター
奨学金』の申請をする。申請書が適切に書かれているかチェック
する。


日本料理店では、夜6時半からの「大学生協スタディーツアー
夕食会」の準備をしていた。

午後6時半、「全国大学生協スタディーツアー晩餐会」。
明日、ホーチミン市経由で帰国する。

今夜は古竹先生の司会。フエ滞在は短い。
しかし、状況と場面をしっかり把握し、適切な行動が出きる。
なかなか賢い若者と見た。


ベトナム事務所側は私とバオミンさんが参加。



メニュー紹介。いつもはリー君とグエットさんが行っていたが、
今日はリー君が『ナムドン山岳地帯」に地球の歩き方と
一緒に訪問しているが、午後6時半時点でも帰ってこない。


今夜のメニュー。グエットさんが書いた。

大学生協ツアーは女子大生8人。団長の乾杯の挨拶。



今日のメニュー『空芯菜のニンニク炒め』

午後8時、夕食会終了。リー君もナムドンから帰ってくる。

日本料理店スタッフの紹介。


最後の参加者全員と日本料理店スタッフの記念写真


閉店の片付けをし帰宅。リー君が日本料理店の前でウロウロしてる。
「リー君、どうして帰らないの?」と聞く。
「彼女が迎えに来てくれるのを待っている」とのこと。
幸せで良いことである。リー君は今、「青春真っ只中」。
この恋愛がどうなるのかは分からないが(というのか、
分かっているのだが・・)リー君の幸せそうな顔と態度を
みていると私も元気とエネルギー(かなり変な?)を
もらえて嬉しい。私が大学に入った頃の青春時代を
思い出す。いつの時代も「若さ」は『未経験』と『挑戦』
『先の見えない』時代である。
私はリー君が「青春を謳歌」している現実に拍手を送りたい。
その結果がどうなったとしても。青春は必ずしも「明るい色」
でもない。むしろ「灰色」か「黒」である。
リー君が「明るい色」でいることを願うのみ。

投稿者 koyama : 16:53 | コメント (0)

2010年08月29日

地球の歩き方4班ー「子どもの家」で食事作り・昼食

快晴

午前5時起床。1時間ほど読書「仮装集団」。
その後1時間程睡眠。引き続き読書。

午前9時半頃、ホーチミン市のマルサ・佐藤社長より電話。

フトンを干す。部屋の掃除。洗濯。

午前10時、「子どもの家」へ。

地球の歩き方4班(17人)がシクロで「子どもの家」へ。
近くのタイロック市場で買い物。昼食作りをし、
その後、「子どもの家」と交流。

ソン君とアンさんが案内担当。日曜日出勤ご苦労様。

「子どもの家」の卒業生の「フン君」が遊びに来ていた。
以前は、靴の修理工場で研修し、就職した。
その後、工場を辞めて、「子どもの家」の門前で
靴の修理、靴磨きをしていた。先日、「子どもの家」に
来ていたので「何をしているのか?」聞くと「オートバイの
修理をしている」とのこと。

今日、「何をしているのか?」聞くとレストランで働いていると
言う。「何ヶ月位?」と聞くと「4日目」との返事。
『逞しい生き方』といえば言えるが、「無計画」「行き当たりばったり
の生き方」といえば、そうも言える。この兄弟(弟はハイ君)は
不思議な行動力と楽観性を持っている。

食堂ではロック寮長とこどもたちが懇談中。昼食の準備中。

「子どもの家」の庭では地球の歩き方スタディーツアーの
皆さんと大縄跳び。


こどもたちは懐かしい「フラフープ」をしていた。
地球の歩き方の大学生はフラフープをしらない。


「子どもの家」の近くの店で「ダーカウ(バドミントン様の羽)を
10個買う。

担当のアンさんが一生懸命に仕事をしていた。


ホテルから「子どもの家」へ20分、シクロでやって来た。
シクロの運転手は「子どもの家」で待機中。



退所した「チュック君」が遊びに来ていた。チュック君と
ハイ君は「子どもの家」で一番古いこどもたちである。
小さなこどもだったのが、こんなに大きくなった姿を
みて17年間のフエ滞在の年月の長さを改めて感じた。
私たちがフエで活動をしていなかったらどうなっていたの
だろうか? 今も40数人のこどもたちが「子どもの家」に
いる。これらのこどもたちには、「子どもの家」が絶対的
に必要である。



午前11時前、こどもたちと地球の歩き方の皆さんと昼食。


今日の食事。ご飯、野菜スープ、アヒルの玉子焼き、野菜炒め。
栄養は十分取れる献立である。こうして毎日3食の食事を
こどもたちのために用意することは何でもないことのように見えるが、
16年間(1万5千回)毎日続けるということは、「言うは易し、行なうは
難し」である。私の16年間の「子どもの家」運営で一番心を悩ませた
のは、「食事代がなくなったらどうしよう」という単純な悩みであるが、
JASS活動の本質的な悩みでもある。そのために様々な試みを
してきた。



ご飯は食べ放題







今日の担当ではないのだが、古竹先生も自主的に
地球の歩き方4班のお世話をしてくれている。
感謝。体に気をつけて活動して欲しい。


私は「子どもの家」で昼食を摂らず帰宅する。

午後12時。朝食を摂る時間がなかった。
フダ缶ビールを3本飲む。

フエに戻ったのは、7月16日だった。それから
40日。部屋で昼間「飲んだ」のは、今日が初めて
だった。

この40日間、多くの来客の対応、様々な問題が惹起し
その解決に精一杯努力したつもりである。
心身ともに疲労困憊状態。今日の日曜日位は
昼間飲んでも「バチは当らないだろう」などと
勝手に考え、「飲酒に走る・・・・」。

関係者にいくつかのメールを送信。


「ブランチ」に昨日の残りの「チャオ・バイン・カイン」を温めて食す。

午後1時半、午睡。外は真夏日。

午後4時に目が覚める。熟睡。この数週間、色々な問題が
あり夜眠れないことが多かった。

午後5時まで読書。「仮装集団」(山崎豊子著)。1967年に
この本を書いたことは、先見の明があり、山崎は素晴らしい感覚の
持ち主である。
60年安保から70年安保へ。戦後政治の最高の高揚期
の一時期である。全国に革新自治体ができ、学生運動、
労働運動が一番盛り上がった時期でもあった。そうした時期の
左翼運動の政党の暗躍。前衛政党と名乗る政党の思いあがり
と自己満足、強引な大衆引き回しを淡々としかし厳しく見つめ
ている。今日ではなく1967年に書いた意義は大きい。
「進歩的文化人」と称する人々の活躍した時期である。
これらの人々にも疑問を投げかけている。


俄かに空が暗くなり、「豪雨と雷」。
夜まで続く。



午後6時、ご飯を1合研ぐ。30分ほど寝かしておく。
炊飯器で炊き上がる。外が豪雨。いつも「ベトナム風ほか弁
100円)を買いに外へ行くが今日は豪雨で外出出来ない。自炊。

また、何となく喉の方から「お呼び」がかかる。「何か寂しいよ」
と。仕方がないのでばっちりと冷えたフダ缶ビールを飲む。
また舌の方で「美味しいおつまみが欲しいよ」とせっつかれる
が、美味しいおつまみはないので、大好きな「鮭とば」で代用。


1910年8月29日、日本は朝鮮を植民地にした。
日韓併合条約。日本人は朝鮮を知らな過ぎる。

「三たびの海峡」帚木 蓬生(ほうきぎ ほうせい) (新潮文庫)
を読んだ。朝鮮人強制連行がどのような形で行われたが
詳細に書かれている。九州の炭鉱財閥の麻生。麻生元首相
の祖父。日韓併合条約でどれだけの朝鮮人が強制的に徴発
され、九州の炭鉱などで牛馬のように酷使され死んでいったか?
九州の麻生財閥は、朝鮮人の汗と血と命の上になりたった
財閥。麻生元首相は「日本が朝鮮を植民地にしたので、朝鮮は
発展した」と発言している。

私は20年程前、我が子と一緒にソウルの「安重根記念博物館」に
行った。安重根は、伊藤博文(初代の韓国統監)を暗殺した。
日本では安重根は「やくざ」か無頼漢と描かれている。
しかし、安重根は、当時朝鮮の第一級の知識人であった。
安重根の書いた書は素晴らしい。また、安の書いた文書、
憂国の書にも共感を持つ。

角田房子の「「閔妃暗殺(ミンピ暗殺)」を読んだ。
李王朝の皇后を日本の軍隊と警察が虐殺しているのである。
日本で言えば、美智子皇后を殺したことになる。

ハン流もいいが、大事な私たち日本人の過去を忘れてならないと
痛感している。父親生誕100年は韓国併合100年でもある。
未来志向で日韓の友好を求めて行きたい。


投稿者 koyama : 11:39 | コメント (0)

2010年08月28日

地球の歩き方ツアー4班(17人)講演会:教え子ホアさん結婚式参加

晴天・夜、豪雨。北上する台風の影響か?

午前3時半、目覚める。
読書「仮装集団」(山崎豊子著:新潮文庫)
勤音(勤労者印学同盟)と青年同盟・人民党を舞台に
した労使、勤音の拡大を通して、青年同盟・人民党の
拡大へ。勤音の政治的な傾斜に主人公流郷は、ただ
音楽が好きなだけでそのスタッフになているのだが・・・。

名前は勤音だが、現実的には「労音」を、青年同盟は
日本民主青年同盟を、人民党は日本共産党をモデルに
していることは、疑いない。
音楽鑑賞という素朴な道を通して、組織を拡大しようと
する政治的な人間なたちへの主人公の素朴な疑問から
出発し・・・・・。


午前7時朝食。ブンボー。

ブンボー(フエ名物の米麺)に付属する野菜と唐辛子



午前8時、ベトナム事務所1階で「地球の歩き方4班:17人」
にベトナム事務所員の紹介。


司会のバオミンさん。ハンさん

フオン先生・古竹先生


フーン先生・アンさん

結婚太りしたソン君・仕事に熱が入っている原田先生


原田先生がフエでの生活上の諸注意をする。

その後、ソン君の案内で「子どもの家」へ。

私は今日の午前11時半から1993年フエに来て
フエ師範大で教えた教え子の「ホアさん」の結婚式に参加する
ため多少の準備。

バオミンさんと若干の重要な問題を話し合う。

午前9時、「子どもの家」へ。

「子どもの家」では、土曜日なので小学生は休日。


こどもたちは、全体として「勉強をすれば進学できる」
という雰囲気ができていている。こどもたちは一生懸命
勉強をしている。


日本では親は「塾」や「進学教室」に全てお任せだ。
「子どもの家」では、年上のお姉さん・お兄さんの勉強の仕方を
普段見ていて「その真似」をして同じ様に勉強・自習をする。
お金がかからない。同時に勉強の仕方と「自主性」をしっかりと
身につける。

ユイ君とチュン君は成績最優秀を続けている。




「子どもの家」では、ソン君が地球の歩き方4班(17人)の
皆さんを案内して「子どもの家」の諸施設を説明。
ソン君が一人で「子どもの家」を案内出きるようになった
ことはソン君の努力とバオミンさんの大胆なソン君の抜擢
である。ベトナム事務所は、多くのスタディーツアーを受け入れて
いるので、ソン君が一人前になってくれることは本当に有難く
嬉しいことである。


数週間前にフエ医科大3年生のフオンさんに「血圧を測る練習を
させてください」と言われ、血圧測定をしてもらった。

今日は、フエ看護大学に通っているバーさんからも同様の
依頼を受ける。こどもたちは、私が「血圧が高い顔をしている」
ように見えるようだ。確かにそうなのだが・・・・・・・。



午前9時半から午前10時50分まで地球の歩き方4班の
皆なさんに講演をする。



午前10時50分。地球の歩き方4班の皆さんの歓迎会。

セン運営委員長の歓迎の挨拶。通訳はソン君。



こどもたちの歓迎の出し物(小学生)


中学生のヒップホップ



「子どもの家」創立時から入っているタン君と寮母さんのニエムさん。



地球の歩き方4班の出し物「おもちゃのチャチャチャ」


地球の歩き方4班の歓迎会が終わり、急いでベトナム事務所へ。

バオミンさんとリー君は大学生協スタディーツアーの皆さんと
一緒に「ナムドン山岳地帯」へ。

ベトナム事務所でハンさんと合流し、1993年からフエ師範大と
バオミンさん・ハンと一緒に日本語を教えた「ホアさん」の
結婚式に行く。

当時、ホアさんは25歳。17年の月日が流れたが。当時の
面影と若さを保っていた。


式場のホテルへ着くと「主賓」の席に座らせられる。

11時半開会の予定が12時20分開会。「ベトナム時間」。

結婚披露宴が始まる。

式場の壇上には、両家のご両親・親族代表が挨拶。

新郎の親族はフエ市共産党副委員長。新婦ホアさんの
兄は、フエ省厚生局長(フエ省の厚生大臣)。

悪く言えば一種の「政略結婚」。共産党幹部同士の関係者の
結婚で「姻戚関係」を作る。特権を共有する。戦国時代の日本と同じ。



新郎新婦の両家の代表挨拶が終わり、いよいよ「新郎新婦入場」。


新郎・新婦のケーキ入刀。


セレモニー終了後、新郎新婦は300人の参加者全員に挨拶。
最初に私の席に。私の右はビーザー地区診療所医師。
左は薬剤師。撮影はハンさん。



フエ市立病院のブイ院長も来ていた。



新婦がフエ省の厚生大臣。新郎の義兄はフエ市共産党副委員長。
ということで私の知り合いがたくさんいた。次から次と知り合いが
きて「一気飲み」を『強要』。断れず、かなり一気飲みをする。

午後2時半、宿舎へ帰る。食事をしないで「一気飲み」を繰り返した
ので、宿谷に着いたら完全に「ダウン」。
目が覚めたのが午後7時半。
そのまま横になり、午後9時半に飲みすぎには、更にフダビールを
飲まなければならないとの結論に達し、フダ缶ビールを3本ほど飲む。

更に付け加え、ラオスの「ラオディー ラム酒」を300ML飲む。
オンザロックです。

熟睡の道へ。

投稿者 koyama : 21:44 | コメント (0)

2010年08月27日

大学生協スタディーツアー

昼間晴れ。午後雨。夕方雨。

午前6時起床。

午前7時朝食。「フォー」。(ハノイの麺)

フォーには、大体こんな生野菜が付いている。

午前7時45分、ベトナム事務所へ。

午前8時過ぎ、全国大学生協スタディーツアーが
ベトナム事務所へ。



バオミンさんが司会


ベトナム事務所員自己紹介


原田先生からフエ滞在中の生活上の諸注意があり、
「子どもの家」へ。


午前8時半、電動バイクで「子どもの家」へ。

午前9時半から午前10時50分まで講演会。


午前11時、「子どもの家」の歓迎会

セン運営委員長の歓迎の挨拶。通訳はハンさん。



こどもたちの歓迎の踊り

男子のヒップホップ


ベトナム事務所・「子どもの家」スタッフと



大学生協ツアーの皆さんの出し物は(森の熊さん)の歌


午前11時半、昼食。

午後12時過ぎから1時間午睡。


午後1時半、読書。「花埋み(花うずみ)」(渡辺淳一著)読了。
花埋み(花うずみ)は、花を一杯入れて死者を送るという
意味。
日本で最初の女医になった荻野吟子の数奇な人生を
医者であり作家である渡辺淳一が調査し伝記的な
内容に仕上げている。荻野吟子が医者は男性だけと
言った時代になんとしても女医になるという決意を
もちそれを貫いたのは、反抗的な性格・よく言えば
反骨心。医院を経営し成功。日本でも一流の名士に
なるが、14歳年下の学生であった男性と40歳で結婚。
男性は基督教の宣教師。北海道へ渡り、キリスト教徒
だけの楽園を作ろうとするが失敗。荻野吟子も同行する。
無理がたたり14歳年下の夫は41歳で死亡。
という日本発の女医の伝記。

多数のメール受信。返信。


午後5時半、日本料理店へ。

リー君。今日も何故か「トーン」が高い。昨夜彼女とカラオケに
言ったそうだ。
「俺がタバコを吸って彼女にキスをしたら臭いと言われた」
など、こちらが聞かないことをペラペラ話していた。

既に観光のONシーズンは終わっている。隣りも前のレストランも
来客はゼロに近い。

しかし、日本料理店は12人の来客あり。

厨房はこどもたち3人と原田先生・古竹先生・富岡先生の
応援もあり大忙し。

午後9時過ぎ、閉店。

長い1日だった。


読書「仮装集団」(山崎豊子著:新潮文庫)

投稿者 koyama : 23:45 | コメント (0)

2010年08月26日

北星学園大学夕食会

快晴

午前6時起床。

午前7時、朝食。「キャッサバ芋の粉の手打ちうどん」
美味しい。私は大好き。通常は天秤棒を担いで路上で
20円~30円位で売っている庶民(低所得者)の食べ物だが
美味しい。

5年前に1万円で買ったデジカメが壊れかけている。
火炎樹日記用の写真が撮れない。


午前8時過ぎ、ベトナム事務所。

バオミンさんといくつかの重要問題を打ち合わせる。


午前9時半、静岡大学工学部留学生を呼び、静大へ行く
日程を説明。いくつかの疑問・問題に答える。


午前11時、宿舎へ帰る。疲れる。

読書「花埋み(はな うずみ)」(渡辺淳一・角川文庫)
主人公が日本の女性で始めての西洋医学の女医となる。

午前11時半。昼食。「マカロニスープ」と生野菜と唐辛子。


午後12時半から1時間「午睡」。

引き続き読書。

午後3時、長文の報告書を書く。時間をかけ何度か推敲する。

午後5時過ぎ、日本料理店へ。
北星学園大学のスタディーツアーは今日が最終日。
日本料理店で夕食懇親会。私、ハンさん、アンさんが参加。


初めに私の挨拶。


北星学園大学のスタディーツアーは学生さん8人、
引率の先生1人の陣容。




現在、「最絶好調」のリー君。彼女のオートバイを借り、
彼女のヘルメットをかぶり、ご満悦。


引率の先生の誕生祝を行う。日本料理店のこどもたち手作り
のハンバーグの誕生祝。トマトケチャプで「HAPPY BIRTHDAY」


午後7時過ぎ、夕食会を終了。その足でソン君とアンさんの
案内でフエ空港へ。

最後に全員で記念写真。



午後8時過ぎ、宿舎へ。

小沢一郎が民主党総裁選挙に立候補するという。
鳩山前首相は小沢支持を表明したともいう。

菅・小沢の総裁選挙=首相選挙となる。
どっちもどっち、と言える権力争いではあるが、
日本の民主主義のためには、「通らなければならない道」。
こうした馬鹿な争いを通して、私たちは民主主義を学び、
確立していくのだ。日本は政治の学習過程にある。
必要な道である。政治の基本は主権者である国民の
政治的な意識の高まりである。テレビや新聞などの
論調に同調するような主権者であるかぎり、この種の
権力争いをいつまでも続けることになる。
小沢と菅を批判するのは簡単であるが、それは最終的には
主権者である国民自身の批判となるのである。
馬鹿な国民に馬鹿な首相がいるのである。
私は自民党から民主党への政権交代を「良い結果」と
考える。
私たちは菅と小沢が何を主張し、何を反省するのか、
どんな日本国家を作ろうとしているのかを注意深く
見ていく必要がある。それにしても「だらしない」のは
野党である。筆頭野党の自民党。無様な民主党を
凌駕するエネルギーが全くない。今後、万年野党
の道を突き進むのであろう。左翼の共産党・社民党も
ほとんど没している。院内交渉団体にもなっていない。
事実上、泡沫政党である。菅・小沢の茶番劇を凌駕する
野党がいないことが、日本の悲劇であるが、これは
日本の歴史の「一過程」であると思う。こうしたことを
通し、紆余曲折を経験しながら、私たちは民主主義と
主権者意識を高めていくしかないのである。

ダナンで東アジア諸国の会議が行われている。
日本は、ベトナムの「原子力発電所」、「新幹線」の
売り込みに狂奔している。

ベトナムに住んでいると「原子力発電所」がベトナムに
できれば、旧ソ連の「チェルノブイリ」の再現を予想して
しまう。
今、4兆円(日本価値で40兆円)を掛けてベトナムで
本当にホーチミン市からハノイまでの新幹線が必要なのか
を日本自身が考えるべきである。「売れれば」「金儲けになれば」
相手国がどうであれ構わないとの態度は、国際的には
認められない。新新植民地主義ともいえる日本政府と財界の
『金権体質』に対し現地で抗議の声を上げておく。
原発や新幹線以前にやることは、たくさんある。
新幹線構想は、さすがに一党独裁国家のベトナムの国会でも
「否決」されている。国民は4兆円かけた新幹線を望んでいない
ことが、ベトナム国家での「否決」という前代未聞事態に反映
されている。

投稿者 koyama : 21:44 | コメント (0)

2010年08月25日

北星学園大学ー日本語教育実習・日本料理店実習

快晴

昨日まで、フエから北へ2つ目の「クアン・ビン省」へ台風が
直撃。その影響でフエは連日豪雨が続いた。
今日は台風一過、快晴。青空。蒸し暑い。

午前6時起床。最近、朝起きられなくなった。

午前7時朝食。ブンボー。
食事をしながら読書。行儀は悪いが、私の楽しみの一つ。

「花埋み(はな うずみ)」(渡辺淳一・角川文庫)
日本で最初に西洋医学の女医になった荻野吟子の生涯を
医師であり作家である渡辺淳一が描く。
開巻部分は、北埼玉の利根川付近の豪農の娘吟子が、
近郷の豪農の長男と結婚。夫から淋病を移され、離縁される
所から始まる。順天堂病院(当時は日本初めての私立病院)
で治療を受けるが、明治初年のことなので、屈辱的な治療と
なり、「女医が女性の治療すべきだ」と決意し、女医を目指すが、
当時、医師免許は男性のみ。しかも西洋医学を教える学校も
東京・千葉・長崎と極少数。

大量のメール受信。送信。

マルタカの直井社長とSKYで話し合う。

帯広の芳村さんから暖炉基金(障害児支援)のこどもたち
の成長に感謝するとの電話あり。

午前11時半、昼食。

午後12時過ぎ、午睡(1時間)

その後、読書。「花埋み(はな うずみ)」(渡辺淳一・角川文庫)


午後3時、ベトナム事務所へ。バオミンさんと打ち合わせ。

日本料理店では北星学園大学の学生4人が日本料理店
の実習を行っていた。今夜の日本料理店の仕込み作業。
野菜を切り、注文に備えての準備。接客担当は、日本料理店
内の清掃。

担当のアンさんも厨房で調理をしていた。

調理主任のトゥオイさんが、全体の指揮者。

日本料理店の様子を見た後、JASS日本語学校へ。

日本語学校では北星学園大学の学生さん4人が日本語教育の
実習中。実際に先生になって授業をおこなっていた。

古竹先生、フオン先生、富岡先生が参観。


いつも大学で「教えてもらう」という体験だけである。
教えるという作業の大変さを少しでも理解してもらえると
今後の人生のどこかで役立つものと思う。

午後5時半、日本料理店開店。

昨日、日本料理店実習をし、今日は日本語学校実習を
した皆さんが、日本料理店のお客さんになり、ジュースを
飲んでくれる。


今日の日本料理店実習担当の4人の学生さんは、
厨房2人、接客2人。

リー君の『指導』(多少怪しい)で、注文のとり方などを学ぶ。



今日は午後9時半までに21人の来客あり。大忙し。


厨房では調理主任のトゥオイさんから日本料理を学ぶ


フランス人の注文の「お刺身」を持っていく学生さん



接客を頑張る


今日は「太巻き」の注文が多かった。


リー君と請求書の注文数などについて打ち合わせ

午後9時半過ぎ、21人の来客が帰り、日本料理店を閉店する。
引率の先生を初め、北星学園大学の学生の皆さんに感謝。

午後10時前、帰宅。火炎樹日記を書く。

投稿者 koyama : 18:38 | コメント (0)

2010年08月24日

フエ外国語大学懇談  地球の歩き方3班夕食会

終日雨。昨日、今期第1回目の洪水を記録する。

朝から雨。

午前7時朝食。精進ブン麺。今日はベトナムの「お盆」。
市民は迎え火と精進料理を食べる。

午前9時、フエ外国語大学へ。副学長と今後の交流の
打ち合わせをする。17年目前、フエ師範大の教え子である
フンチャーさんがフエ外大日本語学科主任になっていた。
副学長と当面、青山学院大学の学生との交流を打ち合わせをする。

ベトナム事務所へ。北星学園大学の学生さんが今日から
始まる日本語学校の教師体験の打ち合わせ。




日本料理店厨房では、日本料理店のこどもたちと
北星学園大学の学生さん4人が市場へ買出し。



午前10時半。フエ外務部長と懇談。当面の諸問題を
協議。


午前11時半、昼食。チャオバインカイン(小麦粉の手打ちうどん)


午後12時半から1時間「午睡」。熟睡。

読書「日はまた昇る」(ヘミングウエー著:岩波文庫)読了。

翻訳物でこれだけ心が同一化して読めた本も珍しい。
アジア太平洋戦争に参加し帰還した日本軍兵士、
ベトナム戦争に参戦した米軍、韓国軍・オーストラリア・
ニュージランド軍兵士の気持ちも同様なのかと想像してみた。
本書全編に虚無感とニヒリズムと酒しか出てこない。
闘牛に異常な情熱を持つ。お陰で闘牛のシステムと楽しみを
本で覚えてしまう。読了後に色々と考えが発展する。
読んでよかったと思える。少なくとも私には「1Q84]
よりは、楽しかった。

かなりのメール受信。必要なメール送信。

午後6時過ぎ日本料理店へ。

今日は地球の歩き方3班の晩餐会。
同時に北星学園大学は、日本料理店の調理・接客実習。


午後6時45分、地球の歩き方3班の晩餐会が始まる。
原田先生の司会。

地球の歩き方参加者は全員「アオザイ」で決めいる。

ベトナム事務所側は、私、フーン先生、古竹先生、富岡先生。


恒例のグエットさんとリー君のメニュー紹介。



団長さんの乾杯の挨拶



北星学園大学の学生さんは、地球の歩き方ツアーの
食事を運んでいる。これも体験・勉強である。


厨房では北星学園大学の学生さんが調理を手伝っている。


引率の先生自ら調理などを手伝ってくれた。感謝。

午後8時半。夕食会終了。日本料理店のこどもたちをの
自己紹介。

最後に全員写真



厨房と接客の仕事を無事終えてほっとする北星学園大学の
皆さん


全ての片づけを終わり、北星学園大学の皆さんと
原田先生・古竹先生・富岡先生・リー君と反省会をする。
リー君の彼女が迎えに来る。この際、「一緒に飲みましょう」
と誘う。コーラを飲む。なかなか気立ての良い子に思えた。
20歳。


徒歩で帰宅。

投稿者 koyama : 20:03 | コメント (0)

2010年08月23日

北海道北星学園大学講演会

早朝から豪雨。終日雨。

午前6時起床。

外は豪雨。9月中旬から始まる『雨季』
が既に始まっている。1ヶ月早い。

昨夜から北海道の北星学園大学スタディーツアーが来ている。
今日は「子どもの家」で私の講演会、市場へ買い物、昼食作り。
「子どもの家」でこどもたちと昼食を摂る。

地球の歩き方3班は雨の中、ナムドン山岳地帯へ。


午前7時朝食。フォー。

朝食中、バオミンさんから電話。昨夜、北星学園大学の学生を
フエ空港で出迎え、夕食を摂り市内ホテルへ送る。
北星学園生徒から連絡あり。夜中に泥棒が入り、携帯電話
と財布を盗まれたとのこと。バオミンさんが朝、警察を呼んで
現場検証をするという。

朝食を途中で止めて、急いでホテルへ。
3階のTWINの部屋。既に2名の警察官とホテル社長が
来ている。
学生さんに事情を聞く。昨夜は午前0時過ぎに就寝。
今朝は午前6時半起床。その間に携帯電話(枕元に置き、
アラームとして午前6時にセット)とリュックサックに
入れたあった財布を盗まれる。

警察官2名が被害者から事情徴収。バオミンさんが通訳。
事情徴収を終わった後、私が警察官に「この問題をいい加減に
扱った場合はハノイの大使館経由でハノイ外務省に通告する。
徹底的に捜査をして欲しい」と話す。警察官・社長も同意。
先日もこのホテルではタイ人かインドネシカ人か知らないが、
やはり部屋の持ち物を盗まれていることがわかる。
私の方では「夜中の0時から午前6時までの間にこの部屋の
『合鍵』を自由に使える人の犯行の可能性が強い。夜中に
合鍵を使える人は少数。徹底的に調べて欲しいと話す。

その足でハンさん、アンさんと一緒に『北星学園大学』の
皆さん8人と一緒に「こどもの家」へ。

私は電動バイクで「こどもの家」へ。北星学園の先生と
学生の皆さんは、「こどもの家」のこどもたちと一緒に近くの
タイロック市場で昼食の買い物。

午前9時半、買い物から帰る。既にハンさんとアンさんが
施設見学を終えている。

「子どもの家」音楽室には、地球の歩き方の皆さんの手書きの
メッセイージーが貼られていた。


午前9時半から午前10時45分まで1時間15分、話をする。
途中、体調を崩した学生さんが1名。旅行に来た初日に
気持ちが悪くなって可愛そうである。早く治ることを祈る。

午前11時。「こどもの家」のこどもたちの歓迎会。

(同時期、ソン君・古竹先生・リー君トリオで地球の歩き方3半の
皆さんとナムドン山岳地帯へ。今日は朝から雷の豪雨。途中で
車が泥にはまるのではと心配。)


はじめにセン運営委員長の歓迎の挨拶。

この期間にもバオミンさんから『泥棒」に関する情報が
電話で入ってくる。5階か6階に財布が落ちていたことが分かる。
明らかに外部の泥棒の仕業と判明。

こどもたちの歓迎の出し物の続き


何故か北海道芸術高校の生徒さんの作ったTシャツは
こどもたちの好みのようだ。

どういう訳だか? 「子どもの家」の家の卒業生で
日本の若林さんの里子だったドゥオック君が「子どもの家」に
遊びに来ていた。ドゥオック君は2ヶ月の男児の父親に
なっていた。長年日本でドゥオック君の里親をして頂いた
若林節子さんの支援がこうした形で『花開いて」いる。
2ヶ月のこどもを持ったドゥオック君は幸せな雰囲気だった。

男子のヒップホップ。


ヒップポップは、1970年代黒人系アメリカ人から始まった
ポップな踊り。年配の人からみると「だらしない格好で
不良っぽいダンス」。スノーボードの国母選手の格好が
非常識と非難した「スノーボード協会」の役員・お偉方の
皆さんは、ああいう格好がスノーボードの格好なのだ。
ビートルズが来日した時、武道館に見に行った高校生は
「不良」とされ、退学処分を食らっている。今では、
ビートルズは教科書にも載っている。服装とか文化は
時代が変われば少数派・異端派が主流・体制派になり、
更なる少数派・異端派が出てくるものである。
私なども「こどもの家」の男の子が、シャツをまくって
おなかと胸を(つまり裸を)見せる態度には個人的には
好感が持てないが、これも現在のポップ文化。
「こどもの家」にまでやって来て主流派となっている。

北星学園大学側の出し物。スペリオパイプで「ドレミの歌」の演奏。


私は小学校でハーモニカを教えることに強い抵抗を
感じていた。ハーモニカは、ハーモカで終わってしまう。
スペリオパイプは、クラリネット、サクスホーン、フルートなどへ
連動している。

小雨の中、午前11時半、宿舎へ。
昼食は『おじや』。

川と海の間にあるラグーンでしか取れない貴重な魚。


30分ほど昼寝。読書。

午後2時半、ベトナム事務所へ。豪雨。

日本料理店のこどもたちと北星学園大の学生さんの
日本料理店での実習の段取りを打ち合わせする。

午後4時、マルサ佐藤社長来訪。懇談。
午後5時半から日本料理店で佐藤社長、と友人の方と
夕食懇談。

午後8時過ぎ、北星学園大学の学生さんと先生が日本料理店へ。
ジュースを飲んでくれた。

接客係りのコンビはどんな関係になっているのか?

午後8時半過ぎ、リー君の何番目かは忘れたが、
とにかく新しい恋人が日本料理店前で待っている。
なかなか可愛い子である。20歳。



気が利く子で日本料理店の皆さんに差し入れを持ってきた。

午後9時過ぎ、閉店。

リー君と新恋人が二人で帰る。幸せな関係を継続して
欲しいと祈るのみ。


午後9時半、日本料理店を出て、豪雨の中を徒歩で帰る。

長い1日だった。

投稿者 koyama : 08:59 | コメント (0)

2010年08月22日

掃除・洗濯・休息

快晴 午後5時過ぎ、小雨。

午前7時起床。長期のスタディーツアーラッシュのため
さすがに疲れる。

午前中、部屋の掃除。洗濯。

読書「日はまた昇る」。

午前10時半。昨日の残りの「チャオ・バイン・カイン」
小麦粉の手打ちうどん)を温めて食べる。ブランチ。

フトンなどを干す。

午睡1時間。

午後もベッドでゆっくりと過ごす。読書「日はまた昇る」
面白い。アメリカ人がイギリス人を嫌い、ソコットランド人が
イングランドを嫌う。アメリカ人・フランス人が「ユダ公」という
言葉を使い、ユダヤ人を差別する意識を持っていることも
分かる。1926年である。ヒトラーの「ホローコースト」の
土台は、ユダヤ人に対する広範囲な差別意識が当時
欧米社会の底流にあったことが分かる。

かなりのメールを受信。返信する。
JASSスタディーツアーが帰国したとの連絡あり。
一安心。

午後3時、いつもの「ベトナム風ほか弁」屋へ。100円。

午後8時、いくつかのCDを聞きながらフダビールを飲む。
ストレス解消。

投稿者 koyama : 22:07 | コメント (0)

2010年08月21日

地球の歩き方3班講演会:神奈川県スタディーツアー夕食会

快晴

朝6時起床。なかなか起きられなかった。

午前7時朝食。ブンボー。生野菜をたくさん入れて食べる。

行儀が悪いが読書をしながら。「日はまた昇る」。面白い。
第1次世界大戦後の復員負傷兵の心理とアメリカの
異常な好景気に対する屈折した違和感を釣りと闘牛、お酒と
女性関係に求めている主人公の屈折した気持ちに何か
共感するところあり。

午前7時45分、ベトナム事務所へ。今日は朝7時にバオミンさんは
JASSスタディーツアーの要請で一緒にハノイへ行った。
日本語主任のフーン先生にお願いし、リー君の「1週間の試用期間」
明けの処遇を話す。

(小山)酔って警官をコップで顔面を殴ったことを今、どう考えている?
(りー)自分の気持ちを抑えられなくて恥ずかしい。今後は、自分の
    気持ちをきちんとコントロールしたい。
(小山)リー君はいつでも警察が捜査をし、検察に身柄を送ることをの
    出きる状態にある。リー君の今後の態度では、警察の捜査を
    再開する可能性もある。その場合は、起訴され裁判で懲役
    1年か2年の判決出る可能性がある。
     警察から釈放されたからと言って、警察官の顔をコップで
    殴ったことの犯罪事実が終わったこにはならないことを
    しっかり頭に入れておいて欲しい。
(リー)わかっています。
(小山)事件後の1週間の日本料理店での仕事、日常の生活態度を
     見ていたが、若干の問題もあったが、総括的に見て
     真面目に仕事をしていた。飲酒の問題も起こさなかった。
     昨日バオミンさん・原田先生と相談し、日本料理店に
     再度「正式採用」することにした。
      これから
    ①飲酒はしても良いが、自分を押さえるような飲み方をする
    ②借金はしない
    ③日本料理店での仕事を積極的にするように。リー君の
      一番良いところは、一生懸命仕事をするところだ。
      今後はリー君の良い所を生かして真面目に生きて欲しい

 午前8時過ぎ、地球の歩き方3班(17人)がベトナム事務所に。
ベトナム事務所員紹介。


ベトナム事務所員の自己紹介。古竹先生が「フエでの生活上の
諸注意」を行う。いつもは原田先生がしているのだが、今日は
神奈川県スタディーツアーを案内しているので、代役で
古竹先生の登場となる。なかなか要領よく諸注意を説明して
いる。頭の良い子と見た。普段の生活も実に良い。第1に
仕事を率先してやる。日本料理店だけではなく、日本語学校
など自分のすべき仕事をきちんとする。これは家庭の雰囲気と
躾の賜物と理解している。性格も穏やかで「気遣い」もきちんと
している。今時珍しいわかものである。急に代役を頼まれ、
的確な説明が出きるのは、頭の回転の速い若者と思える。
こうした若者を見ていると「今時の若者・・・」などと眉をしかめる
大人がいるが、「あんたの考えは違うよ」と言ってやりたい。
日本の未来を託したい若者がベトナム事務所には何人も
いる。


電動バイクで「子どもの家」へ。

途中、フオン河は昨日の豪雨で洪水の寸前。清流は泥水と
化していた。


午前8時半から9時半まで、ソン君が「子どもの家」の各施設の
案内。案内にかなり慣れてきた。上手に「子どもの家」施設を
案内していた。


地球の歩き方3班の担当はソン君とアンさん。
二人とも真面目に一生懸命仕事に励んでいた。「子どもの家」
の案内は安心してこの二人に任せる事が出きる。

午前9時半から10時45分まで私の講演会

今回の地球の歩き方スタディーツアーには男性の参加者は
通常よりかなり多い。

昨日急激に気温が下がった。今日はまた38度から40度と急激に
気温が上がった。耳の気圧の調整ができず、右耳がボーンという
感じで自分の声が大きく聞こえ、人にどう聞こえているのか分からない。


講演会後、「子どもの家」のこどもたちの歓迎の文化行事

最初にセン運営委員長の歓迎の挨拶
ソン君が通訳をした。


踊りの出番を待つ。グエンフエ高校2年生・ザーホイ高校2年生。



小学生の踊り



中高校生の「白鳥の踊り」

地球の歩き方ツアーの皆さんの出し物「散歩」を歌う

同時刻、台所と裏庭では、神奈川県スタディーツアーの
皆さんが昼食の「お好み焼き」と「ヤキソバ」をこどもたち
と一緒に作っていた。

引率責任者の方とは、長年のお付き合いとなった。


日本語のフオン先生とスタディーツアー参加者と「やきそば」の
キャベツを炒めていた。二人ともなかな手付きが良い。

やきそば、お好み焼きなどを作りながら「日越のこどもたち交流」が
進む。


お好み焼きが出来上がる

フエ師範大学生物学科3年生のターオさんもお好み焼き作り
に挑戦。2年後、大学を卒業したら高校の生物の先生になるという。

「子どもの家」のこどもたちの名前を「お餅」に書き焼いている。

午前11時半、宿舎へ。

昼食は「春雨麺」。鳥の内臓がたっぷり入っていて美味しい。
きれいにあらった生野菜も豊富。

唐辛子とレモン(かぼす)を入れて食べるのは、暑いベトナムでは
非常に合理的な食べ方である。レモンで抗菌・疲労対策、唐辛子で
食欲を出し、血圧を下げる。

午後12時半、洗濯。

今日は昨日に比べて10度以上気温が上がっている。
朝からの仕事で体が疲労のピークに達している。
1時間ほど「午睡」。
その後、読書「日はまた昇る」。3分の2ほど読む。
講談や落語を文字に起こしたように、ほとんど「会話」
で話が進んでいく。
1926年の作品。84年前の作品であるが、古さを
感じない。訳者(谷口陸男)の翻訳がうまい。
会話の部分を江戸落語の「べらんめー調」で書いたのが
良かった。


午後3時、電動バイクで「子どもの家」へ。

神奈川県スタディーツアー。
「子どもの家」の鉄の部分のペンキの塗り替え。
「子どもの家」に着くと「シンナー」の強いにおいがする。
ペンキの匂い。


「子どもの家」のこどもたちと仲良く話し合いながら作業を進めて
いた。


数日前、「子どもの家」に入所した「THUYさん」も参加。
「子どもの家」の仲間と神奈川県スタディーツアーの
男子と仲良くペンキ塗り作業。

午後6時半、「子どもの家」でお別れ夕食会。

原田先生の司会で開会。原田先生も堂々とした司会である。


初めにグエット・リー君コンビによる「メニュー紹介」。

今日、晴れて正規スタッフとして再採用されたリー君。多少、緊張気味
なのかどうかは分からないが、真面目な雰囲気でメニュー紹介を
していた。


私の乾杯の挨拶で開会。

20歳を超えた大学生が何人かいるので日本料理店自慢の
「フダ生ビール」を勧める。

今日の夕食は「ハンバーグ」定食。マグロとサーモン・イカの
刺身が付く。マグロは取れたの刺身。本当に美味しい。

先日、日本人の来客があった。フエ市内にあるベトナム人が
経営している日本料理店もどき所へ行ったが、イカの刺身が
腐っていたと言って怒っていた。刺身を食べた経験の少ない
ベトナム人だけの日本料理店もどき店では、刺身は無理である。
嘘の日本料理店の話を何人かの日本人から聞いた。
悲しいことである。オーナーが「嘘の日本料理」を出している
という自覚がないところが致命傷。
日本料理をあまり知らない欧米系のお客は騙せても
日本人の舌は騙せない。


大学生のツアー参加者と原田先生。
20歳未満の飲酒には「厳しく」対処している。



今日1日、神奈川スタディーツアーを案内したフオン先生

神奈川スタディーツアーの団長先生


夕食会の最後に日本料理店スタッフの紹介。


夕食会終了。全員で記念写真。


神奈川県スタディーツアーの団長さんと事務局長さんと。

神奈川県スタディーツアーが終わり、日本料理店の片づけを
した後、今日、日本料理店に復帰したリー君の激励会。

ハノイのバオミンさんから電話。ハノイ空港へ行くとのこと。

森田さんから電話。バオミンさんと同様の話。

激励会の途中で主役のリー君が「今、彼女が日本料理店の
前に来ているので、これで失礼します」と言って出て行ってしまう。
私は日本料理店の玄関へ出る。確かに若い女性がオートバイで
待っている。私を見て軽く会釈をする。リー君が行く。
若い女性がオートバイの運転席から後ろに移動。リー君が
オートバイを運転しどこかへ出かける。
私の心の奥底には、「いつまで続くかな?」というほのかな
疑問がなくはなかったが、とりあえず、おめでたいことである。

多分、いつもの「寅さん」になるとは思うが。

午後10時まで小山・原田・古竹・富岡で世間話。

長い1日を終わる。

投稿者 koyama : 18:23 | コメント (0)

2010年08月20日

終日豪雨:秋到来か? JASSツアーフエ市立病院へ

朝から大豪雨。排水能力がないフエ市では、町中が冠水。
バオミン・ホテルも膝上まで冠水。

今日は1日中、雨が降っていた。この雨の降り方は、
例年の9月中旬位からの「秋の始まり」の頃の降り方。
今年は「異常気象」。例年より1ヶ月ほど早く「秋」がやってきた。

午前7時朝食。キャッサバ芋を粉にした麺。
唐辛子を少量入れて食べると美味しい。路上で売られている
庶民というのか、貧しい人の常食だが美味しい。私は大好きだ。

午前8時、豪雨の中、電動バイクでフォンザンホテルへ。
JASSツアーの皆さんをホテルで待つ。

午前8時半、JASSツアーの皆さん、バオミンさん、富岡先生
集合。フエ市立病院へ。

フエ市立病院院長兼フエ市厚生部長のブイ先生から話を聞く。

30分ほど、ベトナムの医療制度などを説明。

その後、スタディーツアー参加者からの質問に答える。


その後、フエ市立病院の施設を案内してもらった。

病院の各所に「禁煙」と「喫煙の害」についてのポスター
各種が貼ってあった。ベトナムもタバコの人体に与える
啓蒙活動を始めだしているが、男性の喫煙率は50%
を遥かに超えている。

各種宴会に行くと30分おき位に「タバコを勧める係り」が
来る。

お葬式・お通夜などにも必ず「タバコ」は弔問の人たちへの
接待として、お菓子、ビンロウとともに置いてある。
タバコには至って「寛大な」国である。

日本料理店では、禁煙にしている。今まで「何でタバコを
吸わせないのだ・・」との苦情はたった1軒。京都から来た
男性。私が対応して「タバコの煙で日本料理がまずくなるので
禁煙にしています」と説明する。「それじゃ、出て行く」と日本人。
「どうそ。また機会があったらお越しください」と私。
4年半、日本料理店をやっているが、80%は欧米系。
欧米系の人たちは、日本料理店の外にある喫煙所でタバコを
吸う。他人に迷惑をかけないと言う点は、きちんとしている。


フエ市立病院内には、障害児医療センター(ベイン・ビエン:国際
ソロプチミスト東京ー東建築・支援)がある。1998年3月に
設立された。

午前10時半、視察を終了。その足で「ドンバ市場」へ買い物。

外は大雨。フオン河が満水となっている。もう少しすると洪水の
可能性あり。

午前11時半、フエ市内のレストランで昼食。

午後1時、宿舎へ帰る。

今日は急に気温が下がる。この2週間ほど40度から
20度台までと気温の変化が大きい。

私も今日は、体がだるく頭痛がする。

午後1時過ぎから1時間ほど昼寝。

読書「日はまた昇る」(ヘミングウエィ著)

いくつかのメールを受信。必要な返信。

午後6時過ぎ、日本料理店へ。

6キロの「マグロ」が入る。トゥオイさんが捌く。

午後6時過ぎ、JASSスタディーツアーの皆さん11人が
来店。

JASSスタディーツアーの皆さんと最後の晩餐会。
明日、バオミンさんと一緒にハノイへ行く。


初めに今日のメニューの紹介。

グエット接客主任とりー元店長のコンビ


乾杯



中学生中心の夕食会なのでご飯とおかずを同時に出す。


ベトナム事務所を代表してバオミン・JASSベトナム事務所運営
委員長から挨拶。

続いて参加者一人一人の感想発表


森田団長の総括的な感想発表

加藤事務局長の総括


午後8時過ぎ、JASSスタディーツアーの晩餐会終了。

リー君に「明日、午前8時、ベトナム事務所に来るように」
話す。警察官殴打事件で現在日本料理店を解雇中。
1週間の臨時採用試行期間中。明日、1週間が
切れる。リー君を完全に解雇するか再採用するかを
明日、リー君に話すことになる。

バオミンさんとこの件で意思統一をする。

午後9時過ぎ、宿舎へ。

火炎樹日記を書く。

現在。6つから7つの「悩ましい問題」を抱えている。
一つずつ時間をかけて解決したいのだが、
何しろスタディーツアーラッシュ。スタディーツアーへの
対応で精一杯。

気候の変動が激しく、体が付いていかない。

投稿者 koyama : 17:14 | コメント (0)

2010年08月19日

JASSツアー「ファンソナム中学校」交流:夜、焼き鳥夏祭り

終日、快晴 夜9時雨。

午前5時起床。

読書「日はまた登る」(ヘミングウェイ著:谷口隆男訳 岩波文庫)
何故、主人公が退廃的な生活行動(酒と女性)を取るのか?
第1次世界大戦に参戦した米兵。負傷。戦争に参加した人間の
負っている「見えない心の傷」を少し、知ろうという気持ちを持って
読むと「日はまた昇る」の情景が理解できそうな気がする。
人間はその時代の制約から逃れることは出来ない。
私の父親が1910年生まれ。1930年・20歳で徴兵。
1945年・35歳で敗戦。20歳から35歳を中国の戦場で過ごす
という時代の制約の中で生きてきた。軍隊で生き生活してきた
父親と、戦後民主主義教育を受けた私と「相容れない」のは
当然のことである。
私は1947年生まれ。憲法と教育基本法とともに生まれた世代。
60年安保闘争、70年安保闘争に否応なしに関わらざるを得なかった
世代である。
「日はまた昇る」の登場人物の生き方が、戦争の後遺症のような
ものを引きずっているように思えてならない。

午前7時朝食。「おかゆ」。おかゆが体に丁度良い。

午前8時、JASSツアー宿泊のフォンザンホテルへ。
皆さん、体調は良好。安心。

JASSツアー11人、私、バオミンさん、富岡先生と
一緒に「子どもの家」のこどもたちが通っている
「ファンソナム中学校」へ。

日越中学生同士の交流。


挨拶をするJASSスタディーツアー


校長先生とバオミンさん

校長先生からJASSスタディーツアーの森田団長へ
記念品贈呈。


ファンソナム中学では、数クラスで日本語を勉強している。
週2時間から3時間程度。

日本語を使っての日越中学生の交流が始まる。





日本語教育の質と学習時間の問題もあり、日本語を使っての
日越中学生の会話は事実上難しかった。
結局「指差しベトナム語会話」の本を使っての交流とはなったが
意義のある交流を行った。


フエ市副市長・フエ市議会副議長などフエ市人民委員会の
役員の方々が交流の実情を視察にこられた。


最後にJASSツアーのこどもたちが日本の歌を紹介。
私は聞いた事のない歌だったので、何の歌だか
分からなかったが・・・・・

ファンソナム中学には13人の「子どもの家」のこどもたちが
通学している。丁度、下校時に4人のこどもたちがいたので
記念写真を撮る


少し時間があったので、JASSツアーの皆さんは
フエ最大の市場「ドンバ市場」へ買い物。



丁度、神奈川県スタディーツアーの皆さんもドンバ市場
にアオザイを買いに来ていた。

午前11時半。JASSスタディーツアーは、昼食。

新任日本語教師富岡先生も段々フエの生活に慣れて
来たようだ。

午後1時、宿舎へ。

1時間ほど「午睡」。

読書「日はまた昇る」。

この間、溜まっていたメールの受信・返信。

夏のスタディーツアーの日程、分担をもう一度洗いなおす。
問題、矛盾などがないかを確認する。
いくつかの点でバオミンさんと電話で確認・相談。

明日から、地球の歩き方3班がやってくる。

JASSスタディーツアー、神奈川県スタディーツアー、
地球の歩き方スタディーツアーと3つのツアーの案内を
行う。ベトナム事務所も大忙し。

午後6時半、電動バイクで「子どもの家」へ。
今夜はJASSスタディーツアーの焼き鳥夏祭り

富岡先生も一夜にして「焼き鳥屋」に変身


3日前に入所したTHUYさんも「焼き鳥夏祭り」を楽しんで
いた。



昨日入所したHUY君。(8月16日に自宅訪問した)
1日で「子どもの家」に慣れたようだ。


見えない所でしっかりと仕事をしている原田先生
時々、「つまみ食い」あり。

「子どもの家」男子のホープ。フエ科学大に通っている。
落ち着いた生活態度。

フエ科学大生に次ぎ、「子どもの家」の未来を嘱望されている
チュン君。相当、気が弱い。



「焼き鳥夏祭り」を楽しんでいる。焼けるのを待つこどもたち

「子どもの家」新入りをエスコートするJASSスタディーツアー
のこども



「焼き鳥夏祭り」のメインイベント「スイカ割り大会」
「子どもの家」のこどもたちは異常に燃える。


新しく入所したTHUYさんは、「子どもの家」のこどもたちとも
段々慣れてきた。



午後8時過ぎ、「焼き鳥夏祭り」閉会。


電動自転車で宿舎に帰る。

気候の変化が大きい。頭痛と倦怠感が抜けない。

食欲なし。


投稿者 koyama : 18:55 | コメント (0)

2010年08月18日

神奈川県青少年協会スタディーツアー講演会

快晴

午前4時、起床。
読書「1Q84 BOOK 3」(村上春樹著)読了。

主題は不明のままだったが、この世とあの世を行ったり
来たり。本を読みながら「本酔い」してしまう。
起承転結もないまま、尻切れトンボで終わってしまい、
読後感は? と聞かれれば「分からない」と答えるしかない。
雲と月の描写が多い。「雲を掴むよう」に漠とした本。

午前7時朝食。ブンボー。少し食欲が出てきた。
昨日は本当に立っているのも辛かったのだが。

午前7時半、受信メールをチェック。
火炎樹日記のアクセス数が、最近、通常より100程度
増えている。読者がかなり増えていることは嬉しいことである。
火炎樹日記を読みながら「小山、また馬鹿なことを言っている。
あいつの考えは間違っている」などと評論しながら是非、
読んで頂きたい。

8時過ぎ、電動バイクで「子どもの家」へ。
今日は「神奈川県青少年スタディーツアー」(神奈川県青少年協会)
の皆さん17人と引率の先生2人の19人が「子どもの家」を
来訪。

ハンさんとクアンさんのグループに分かれて「子どもの家」の
各施設を案内。

一昨日訪問したクアンチ省の近くの農家。「子どもの家」入所希望
の女子。私とハンさん、古竹先生・富岡先生で
現地調査に行った。母親が視覚・聴覚障害者、92歳の
祖母、父親は盲学校の手伝いで月給2000円という
4人家族。中学4年生(日本流中3)のTHUYさんは、昨日、
早くも「子どもの家」に入所していた。新学期に合わせて
「子どもの家」に入所し、新しい学校「ファンソナム中学」
に入学。
早く、「子どもの家」に馴染んで欲しい。長年一緒に
暮らしていた両親・祖母と別れ、たった一人で誰も知らない
「子どもの家」で暮らすことは想像以上に寂しいものである。
しばらくは自己との闘いの時期がある。「子どもの家」の
こどもたちは全員そうした「家族に会いたい」など「ホームシック」
との闘いをしている。可愛そうだがこれも人生の
悲しい試練である。THUYさんには、是非、試練を乗り越えて
大成して欲しい。


同じ部屋のターオさん(フエ師範大学生物学科在学)が
隣りのベッドになり、「子どもの家」での生活について
教えていた。


トゥーイさん(THUY)は、自分のベッドと机に教科書や
ノートを置いて、既に「勉強頑張るモード」に入っていた。
大学生のターオお姉さんが、勉強の仕方などを教えていた。

新年度の新しい教科書1冊1冊に名前を貼っていた。

午前9時過ぎから10時半まで私の講演会

神奈川県スタディーツアーには、7月に藤野で講演会を
している。

今日は、重複を避けるためテーマを変える。
「戦争」「人生のチャンス」「人生とは?」。


午前11時。「子どもの家」との文化交流・歓迎会


初めにセン「子どもの家」運営委員長より歓迎の挨拶
通訳はハンさん


一昨日入所したTHUY(トゥーイ)さんも大分「子どもの家」に
馴染んできたようで、楽しそうに交流・歓迎会に参加。


出番を待っている「少数民族衣装」のこどもたちとロック寮長


男子の「ピップホッウ」。

女子「白鳥」の踊り

神奈川スタディーツアーの出しもの


午前11時20分。「子どもの家」を出て、宿舎へ。
昼食「チャオ・バイン・カイン(小麦粉の手打ちうどん)

午後12時半から1時間ほど、午睡。

午後2時読書「日はまた昇る」(ヘミングウェイ作:岩波文庫)

第1時世界大戦後のパリ。アメリカの特派員ジェイク。
厭世的な雰囲気が最初から出てくる。酒場、カフェーの
場面。

午後3時半。東京の次男と電話でいくつかの件で打ち合わせ。

メール受信。送信。

ナムドンへ行っているバオミンさんに電話。
雨が振り出したので森田団長の決定で早めにナムドンの
山を降りたとのこと。
賢明な措置だった。雨が降ると工事中の道路が水浸しになり
泥濘(ぬかるみ)ができ、後輪が空回りする。

午後5時半、日本料理店へ。


リー君。今日はJASSツアーの皆さんと「ナムドン山岳地帯」へ。
現在、解雇中。1週間の試用期間中との自覚があるのか?
ないのか? その辺は不明。


午後6時半、森田さんと山田さんが日本料理店で夕食。
その後、JASSツアーの皆さんと夕食を終えた加藤さんも
合流。
私は食欲が全くなく夕食を摂らなかった。ビール小グラス
2杯を飲んだが美味しくなかった。

今日も欧米系の来客多数。21人。
閉店は10時近く。

リー君は自分の置かれている立場を理解していない。
勤務中に持ち場を離れること多し。グエットさんが
リー君の接客部分を代行する場面を多く見た。
リー君を呼んで注意する。勤務時間中、接客の
持ち場を離れて厨房に入らないように。21人の
来客があり、グエットさんが注文からお金の清算
までしている。リー君は最低注文を聞くように。
結局、日本料理店入り口のメニューを見ている
人が8人行ってしまった。声をかければ大概は
入店するのだが・・・・。

10時過ぎに宿舎に帰る。
火炎樹日記を書く。

明日の日程を確認。現在、2つのスタディーツアーだが、
20日(金)からは3つのスタディーツアーが同時にやってくる。
毎日、自分の仕事・担当を確認し、全体的な日程に
無理や矛盾はないか? 担当者の仕事が一人に偏って
いないかを確認。問題があれば、早朝、バオミンさんに
連絡し是正措置を取る。

投稿者 koyama : 17:48 | コメント (0)

2010年08月17日

ついにダウン:夕方JASSツーの皆さんと夕食会。

午前6時過ぎに目を覚ますが、起きられない。

午前7時、朝食。キャッサバうどん。食欲なし。半分ほど食べる。

体中が痛く、気力なし。メールを読む気持ちも出ない。
幸い、今日は夕方までツアーの案内などは入っていない。
1日横になり、体力をつける。

検温。7度3分。微熱有。下痢止まらず。

この数ヶ月間、無理に無理を重ねて仕事をして来た。
心も体も疲れ切っているもの事実。

ベッドで横になり、「1Q84 BOOK 3」を熟読する。
不思議な、つかみ所のない本である。
私が一番気になるのは、内容・筋立ては別にして、
本の「小道具」となっている車・衣類・飲み物・酒・本・音楽が
100%「カタカナ」書きの欧米ものである。
私の知らない欧米の作家の引用、私の知らないクラッシク
音楽をいくつも書き連ねることにより、何となく、現実離れをした
本の内容に「重み」が付くようになってしまう。
村上春樹の本のうまいところは、内容・筋の組み立てなど
よりも「こうしたバター臭い道具立て」を随所にちょこ・ちょこと
入れることで、何となく「雰囲気」を現実の日本から遊離させる
世界に読者を導きいれてしまうの長けている所だ。

午前11時。バオミンさんに電話。症状を伝え、必要な薬を
薬局で買って来てもらうようお願いする。

午前11時半、昼食。おかゆ。なんとか残さずに食べる。

とにかく今・現実的に私が寝込むことは出来ない。
10月5日まで毎日スタディーツアーは続く。全ての
スタディーツアーで90分ほど私の講演会が入っている。
毎日様々な問題が起こる。どれ一つ取っても「下手な解決」
をしたらJASSの「命取り」になりかねないものが多い。

午後12時過ぎ、ベッドに横になり天上を見ながら17年間
過ごしてきたJASS活動をボーッと考えてみた。
「山あり谷あり」というのが普通なのだろうが、「谷あり 谷あり」
と言った17年間だった。9月1日からフエ滞在18年目に入る。
物事が思うように行ったことは一つもない。
などと考えているうちに寝入ってしまう。

午後12時半、バオミンさんが薬を持って来てくれたので
目覚める。ありがたい。感謝。
薬を飲んで何とか早めにこの症状(風邪?)を治さなければ
ならない。

1時間ほどウトウトする。

読書「1Q84 BOOK 3」。

午後4時半から30分ほど、電話でバオミンさんと
打ち合わせ。当面のいくつかの問題。


午後6時過ぎ、日本料理店へ。

午後6時半、JASSスタディーツアーの皆さんと
夕食会。

初めにグエットさんとリー君(現在解雇中。臨時試用期間)
コンビによる「今日のメニュー」紹介。

森田さん・加藤さん・山田さん引率の「JASSスタディーツアー」
参加者の一人、中学生のA君が「乾杯」の音頭。
その場にあわせた適切な挨拶をし、「乾杯」。



こどもたちの多くは「スイカの生ジュース」で乾杯。

リー君も真面目に仕事をしている。少しは反省しているのか?
と思ったら、大間違いなどという経験をしているので、
リー君の行動をしばらく見守ることにしている。

団長の森田さんたち


今度こそ、暴力事件をしっかり反省し、借金地獄から脱して
欲しいと「祈る気持ち」である。本人は何を考えているのか?
仕事はしっかりとしている。



ベトナム事務所運営委員長のバオミンさん

午後8時、閉会。


その後、日本料理店の後片付け。
私は片づけを終えて、帰宅する。立っているのと話をするのが
少し辛い。食事はほとんでできなかった。


宿舎に帰り、火炎樹日記を書く。何人かの方にメール送信。


午後9時半、ベッドに横になる。
読書「1Q84 BOOK 3」の最終部分を読む。
3冊の「1Q84」を読んだが、著者が何を言いたいのか?
ほとんど分からなかった。私の理解力が足りないのか?
本が難しいのか?

私はベトナムに来て、仕事をしながら風邪などの病気を
治すという術を学んだ。体に良い訳がないのだが・・・・・。

投稿者 koyama : 12:43 | コメント (0)

2010年08月16日

「子どもの家」入所希望者家庭訪問:リー君と話し合い:JASSツアー講演会

終日曇り・時々小雨。

午前3時半目覚める。
読書「1Q84 BOOK 3」(村上春樹著)

「ノルウエーの森」も読んだが、1968年と
銘打って、全く当時の社会情景(70年安保・エンタープライズ
佐世保入港・・・)と日本社会が騒然としている時代の
背景に触れない「非政治的な」「政治の本」であった。

「1Q84」は「山岸会」のような感じの団体や「ものみの塔」
のような宗教団体が話の中心になるという意味では、
かなり社会に目を向ける傾向を帯びている。


午前7時朝食。フォー。

午前7時半、バオミンさんと電話で話し合う。
リーの今後の扱い。午後2時にベトナム事務所で
リーと今後の身の振り方について話すことにした。
今日は、私もバオミンさんも忙しい。リーと話ず時間が
なかなか取れないが、昼寝を削って話し合いを持つ。

午前8時前にベトナム事務所へ。

ベトナム事務所の前の路上喫茶店にリー君が寂しそうに
座っていた。今日、午後2時に話し合いをするから来なさい
と話す。少しは反省をしているのか? それともいつものように
「何とかなる」と平然としているのか?
リーの顔の様子を見ると「涙が」出てくる。私の人生を重ね合わせて
しまう。リー君も「孤独」なのだ・・・・、。
リー君を救えるのは私だけだなどと考えてしまう。
私がリー君の支援を「止める」と宣言すればそれで終わりで
ある。私はリー君に「幸せな人生を歩んで欲しい」。

ベトナム事務所に入る。JASS東京の「村長さん」
が来ている。4日間ほど、「子どもの家」で活動したいとの
こと。

「子どもの家」入所希望者の家庭2軒を訪問。

「子どもの家」寮長ロックさん、ハンさん、古竹先生・富岡先生。

初めにフエ市内の男子。ベトナム事務所jから車で20分。
キムロン地区。13歳。H君。
父親がいない。(理由は不明) 母親は、他の男性と
結婚してしまった。結局、親がいないで祖母(62歳)の
手で育てられる。祖母も編み物のような仕事を4畳半一間の
部屋でやっていた。生活が出来ない。祖母自身が高齢化し
これ以上、孫の面倒がみられないという境遇。
隣りの「子どもの家」関係者から「子どもの家」を紹介され、
是非、入所させたいとのこと。

祖母に生活の実態を聞く。祖母とH君に「子どもの家」入所の
決意を確認する。どうしても入所させて欲しい、入所したい
とのこと。

H君に聞く。将来は何になりたいの? 「公安警察」
とのこと。

近所の人たちも心配で同席している。



祖母の話を聞く。確かに生活に困窮している。このまま
放置すれば、Hくんは中学を退学する可能性が強い。

ロックさんとも相談し、入所を決定する。

ベトナムは今日から事実上の新学期が始まっている。
早急に「子どもの家」へ入所するよう勧告する。
H君も祖母のそうして欲しいとのこと。
詳細をロックさんと打ち合わせをする。近日中に
入所する。

急いで2軒目の家へ。フオン・ディエン郡。フエ省の北にある
クアン・チ省に近い。車で40分ほど。

純農村地域。緑が多く、山の匂いがする地域である。

Tさん、女子16歳。中学4年生(日本の中3)。
母親は盲人であり、耳もあまり聞こえない。
父親は近くの盲学校の手伝い。月給2000円。
7人兄弟の一番下。
93歳の祖母もいる。

Tさんの上の6人の兄や姉は既に家をでている。
家には、盲人の母親と93歳の祖母と盲学校勤務の
父親の3人暮らし。
月収が2000円では生活出来ない。4人家族なら
最低15000円から2万円は必要。一人暮らしのリー君でも
月給は6000円。

地元人民委員会の紹介で「子どもの家」を知ったとのこと。

ハンさんと入所希望の中3のTさん。

Tさんは小学1年生から中学2年生まで毎年「オール5」。
成績が優秀なので近所人たちや父親の勤めている
盲学校の責任者が「子どもの家」に入れて、大学まで
行かせるようにとの助言をしたとのこと。

Tさんに聞く。「将来は何になりたいの?」。
「先生か警察官」。

父親の勤める盲学校の先生(本人も盲人)も
Tさんの優秀さを強調していた。

Tさんの家

Tさんに「子どもの家」への入所希望するのか?を聞く。
「自分は勉強が好きだ。子どもの家に入り、大学に
行きたい」とのこと。真っ当な考えである。
40数年前の私を彷彿させる。
こうしたこどもたちに何とか人生のチャンスを与えたい。
社会から見放されたこどもたちに人生のチャンスを上げたい。


入所を決定する。大学卒業するまで面倒を見たい。

ベトナムは「バブル」に酔っている。しかし、大都市を少し
外れるとこうした本当に「どうしようもない」貧困と闘っている
人たちがいる。社会主義は本来こうした家庭を助ける
ことを目標としていたはずである。しかし、ベトナム社会主義を
作った人々(元解放戦線・共産党員幹部)は、こうした
家庭やこどもたちに興味を示さない。自分たちと家族、
親族の豊かさと贅沢さに邁進している。
共産主義・社会主義の「理想」はどこにいってしまったのか?

ベンツを買い、高級な家を買い、別荘を持っている
共産党員に諫言したい。貴方たちは、何を目指し、
ベトナム戦争を闘い、共産党に入党したのか?
自己と家庭と親族の贅沢のためなのか?

などということは、考えたり、言ってはいけない社会である。
私を反政府主義者・反社会主義運動をしいるとして警察に
告訴した人物がいる。

帰りの車の中で「下痢状態」。
どうしてもトイレに行きたくなる。

国道1号線のレストランのトイレに入る。

トイレにドアがない。ドアの外で料理の女性2人が
野菜の調理をしている。こんな破廉恥なドアの
ないトイレに入れないと思いつつ、つきくる便意に
抗えない。昨日の「ベトナム風ほか弁」に当ったのか?
体力が衰え、風邪を引いたのかは不明だが、ひどい下痢。

午前11時。ベトナム事務所に戻る。

午前11時半、昼食。ご飯、魚の煮物、野菜炒め。


午後12時過ぎ、読書「1Q84 BOOK 3」。
その後30分ほど「午睡」。

午後2時前、急いでベトナム事務所へ。
リー君と一昨日の暴力事件について話し合う。

リー君にことのいきさつを聞く。一昨日の火炎樹日記の
内容と一致。
今後、こういた暴力行為はしないという。
通常なら警察に逮捕されたら裁判で懲役2年位の罪だよ
と話す。

リー君は23歳だ。もうこうした「子ども」のようなことは
しないように。何故、ビールのグラスで相手の顔を
殴ったのか?と聞く。

相手が友達を殴ったから、との答え。
殴ったら、相手に何故、口で文句をいえなかったのか?
口で文句を言うのは自由だ。コップで相手の顔を殴るから
警察に捕まるのだ。

リー「自分を抑えることができなかった。頭に来たから・・」。
頭にくるのは分かるが、暴力を振るえば、リーも犯罪者に
なる。頭に来たら「口で相手に言いたいことを言いまくれ」
と私。相手が頭にきてリーに暴力を振るえば、相手が悪くなる。
暴力を振るった方が悪い。今後、絶対に暴力を振るってはいけない。
「舌戦」で戦えと話す。

ところでリー君は「借金」はしていないか?と聞く。
りー「していない」。
小山「毎日乗ってくる自転車がリーの自転車ではないが
何故だ?」。
リー「自分の自転車は家に置いてある」。
小山「ばか者。嘘を言うな。それなら、今、家から
自転車をもってこい」。
リー「すみません。質屋に入れました」。
小山「何故、嘘をつくのだ・・・・」。

こうしたやり取りが、続く。
午後2時からバオミンさんと一緒にリーの暴力事件についての
調査を行った。午後2時半からJASSスタディーツアーを
案内して「子どもの家」へ行く。時間がない。

小山「りー、お前は嘘を言ったな」
りー「ハイ言いました」。
小山「何故、嘘を言ったのだ」
リー「本当のことを言うと怒られるから」。
小山「ばか者、嘘を言えば言うほど、怒られるのだ」。
バオミンさんと時間がないのでどうする、と話し合う。
今日の日本料理店勤務について。
何らかの処分が必要。結局、「解雇処分」とする。
理由は暴力行為。私とバオミンさんに嘘の供述をしたこと。

今日から土曜日までの1週間「試用期間」とする。
臨時採用とし、1週間まじめに仕事をしたら、採用とする。
リー「分かりました。頑張ります」。

急いで、日本料理店会議を開く。

日本料理店スタッフに事件の経過を説明。
リー君を「解雇」したこと。今週1週間「臨時採用」とし、
その結果で正規採用するかを決めると話す。

本来ならリー君は今頃警察に拘留され、裁判にかけられ
懲役1年か2年になっている。

私が色々と考え、懲役刑をさせなかった最大の理由は
リー君が懲役1年か2年の勤めを終え社会復帰した時、
どんな状況が待っているのかを考えた。
真っ当な社会復帰はありえない。ほぼ100%「ヤクザ」の
世界に入るしかない。
17年間付き合ってきたリー君を「切り捨てる」ことは出来ない。
リー君が「悪くなる理由」はある。
誰かがリー君のサポーターになって応援するする人がいても
良いと考えた。

1週間真面目に仕事をしたら、再度正規採用し真面目に
働くように促したい。

リー君の暴力事件は、「お役所仕事的発想」では、クビである。
しかし、国際支援の立場からすれば、こうした時こそ
私たち海外支援団体は誰の立場に立つのか?が問われている。
私は飽くまで、貧しい人たち、立場の弱い人たちの側につきたい。
高見の見物で理屈で何を言っても、私は弱いこどもたちの
立場に徹底して立ちたい。リー君の人生を考えれば、友人を
殴った人間に「腹を立てて」グラスで顔を殴ったことは許せないが、
気持ちは理解できる。

時間をかけて、リー君の人生の歩み方を教えて行きたい。

リー君は「解雇」と「1週間の臨時採用」という措置は
やはり元店長としては、プライドを傷つけたと思う。
傷ついたリー君が傷と格闘して成長して欲しい。


午後2時半を過ぎたので、急いでフォンザンホテルに行き、
JASSスタディーツアーにツアーの皆さんと合流。

ベトナム事務所へ挨拶。

JASSスタディーツアーの皆さんと「子どもの家」へ。
JASS東京の「村長さん」こと秋山さんがたんすの修理を
していた。


JASSスタディーツアーに挨拶をするセン運営委員長


午後3時から午後4時過ぎまで講演。


JASSスタディーツアーと「子どもの家」のこどもたちと
近くの「タイ・ロック市場」に買い物へ。

午後5時半、「子どもの家」で夕食。

今日の「子どもの家」の夕食。


「デング熱」対策で各所に「蚊取り線香」を置く。





私は下痢状態と吐き気たあるので「子どもの家」での夕食は
摂れない。

午後7時、フォンザンホテルへ帰る。
私とバオミンさんが付き添い。



私は、吐き気と下痢。原因は食中毒か風邪。

日本料理店に行き、原田先生・古竹先生・富岡先生に
下痢と吐き気が酷いので帰宅し、休むと話し、宿舎へ
帰る。

宿舎に帰ったが下痢をしているのだが、どうしても
「ラオス・ラム酒」を飲みたくなる。

少し、ラオディーの」ラム酒」をロックで飲む。
更に下痢が酷くなるが、飲まないでは眠れない。


投稿者 koyama : 13:14 | コメント (0)

2010年08月15日

65回目の敗戦記念日ー不戦と核廃絶を誓う

終日快晴。

今日は65回目の敗戦記念日。正確な戦争終結は、9月2日の
降伏文書調印式。

8月15日には、戦争は終わっていなかった。ソ連は、
8月18日に千島列島最北の占守(しゅむしゅ)島に上陸、
日本軍守備隊との間で交戦している。1945年8月15日は
終戦していないのである。ポツダム宣言を受諾することを
表明しているので、「敗戦」が確定した日ではあることは確かで
である。


今日、戦没者追悼式が行われた。
戦没者とは、誰を指すのか?
1945年8月15日の昭和天皇の放送以前に亡くなった人を
言うのか?
その後、戦争に関連して亡くなった人も入るのか?
私の兄などは1945年(昭和20年)12月13日に中国で
「引き上げ」の途中で亡くなっている。戦没者に入るのかどうか?
いつも疑問に思っていた。

日本政府の「残留日本人孤児」(いやな言葉だ。正確には
国家によるこどもたちの棄民と言うべきだ)
の定義は、8月15日以前に中国で生まれた人を指すという。

今日の戦没者慰霊式典で天皇は以下のような挨拶をしている。


「全国民と共に、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、
心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を
祈ります」

この挨拶をそのまま読むと、我が兄は、戦没者には入らない
ことが分かる。

我が兄は、「戦陣で散った」訳でもない、「戦禍に倒れた」訳でも
ない。戦争が終わって、中国から引きあげる途中で薬がなく
風邪を引き、栄養失調で肺炎になり、5歳で死んでいる。

こうしたこどもたちは沢山いる。我が兄は戦没者慰霊式典
でも慰霊されない人間なのである。

私が慰霊しなければ誰も慰霊しない人間なのだという
こと。

菅政府の閣僚は誰も靖国神社に参拝しなかったとのこと。
小泉首相元首相の息子は参拝したとのこと。

昭和天皇が靖国神社参拝を途中で辞めた理由を
「A級戦犯の合祀」があるからと独白している。

思想信条の自由はある。しかし、サンフランシスコ「講和条約」
で極東裁判の判決を受け入れるとして、国際社会に復帰した
我が日本である。
今になって「極東軍事裁判の判決は不当だ」などと言って、
東条英機などA級戦犯を免罪する風潮があるが、嘆かわしい。

各誌の社説は全て「終戦65年」。
東京新聞は昭和天皇が、今日の日米機軸路線を作り上げた
との社説を書いている。

朝日・読売・毎日などは、例年の「この際平和と核兵器廃絶を」
との社説であるのと比べ、東京新聞の社説は画期的なもので
ある。


午前5時起床。「1Q84 BOOK 3」を読む。
村上春樹の本はある程度読んだが、あまり好きになれない。
「1Q84」を読んで、「推理小説」として読めば結構面白い
本かなと思った。
同時に政治を書かない「政治的」な本でもある。


午前9時まで「1Q84 BOOK 3」を読む。
午前10時、昨日の「チャオ・バイン・カイン」(小麦粉の手打ちうどん)
の残りを食べる。

たくさんのメール受信。返信。

部屋の掃除。洗濯。

午後12時半から1時間「午睡」。

その後、「1Q84]を読み続ける。


午後3時、ベトナム風「ほか弁」(100円)を買いに行く。

リー君への今後の対応を考える。

リー君の行動は絶対に許されないものである。
ビールのガラスコップで相手の顔を殴るなど常軌を逸している。
相手は鼻骨骨折の大怪我である。23歳にもなってこんな
馬鹿げたことをしていることに腹が立つ。「ばか者」と言いたい。
リー君との付き合いは17年になる。リー君が6歳の時からの
付き合いだ。当時は公園や道路、橋の下などで寝ていた。
悪いことは全てしていたこどもであった。

こうしたこどもにどう対応して行けばよいのか?
JASSの存在を試される場面である。JASSは何のために
ベトナムにいるのか? こどもたちの支援とは何か?
国際協力・海外ボランティアとは何をすることなのか?
「リー君暴行事件」へJASSがどう対処するのか
が問われている。


午後3時過ぎ、ホーチミン空港からJASSスタディーツアーの
森田さんから電話。無事ホーチミン空港に着いた。出迎えの
ソン君とも出会えたとのこと。ほっとする。


午後6時、ビールを飲みながら「ベトナム風ほか弁」を食べる。

その度読書。「1Q84」。

投稿者 koyama : 13:48 | コメント (0)

2010年08月14日

ベトナム事務所員会議:ティン君誕生会:リー警察に逮捕される

快晴  夕方曇り


午前5時起床。

読書「1Q84 BOOK 3」(角川春樹著:新潮社)

午前7時朝食。ブンボー。

今日は停電がなかった。一安心。こうしていつ停電に
なるのかをびくびくと恐れながら生活している庶民の
気持ちを「お偉いさん」たちは、どこまで理解しているのか?
「人民とともに」とのスローガンを実践して欲しいものである。


午前8時過ぎ、ベトナム事務所へ。

午前8時半、ベトナム事務所員会議。

富岡先生が加入し、現在ベトナム事務所員は11人。
大所帯となった。11人中6人が20歳代。
組織の半分以上が20歳代と若い団体は、そのエネルギーで
伸びていく。こうした若い人たちを信頼し、大いに力を発揮
してもらいたいものである。私の仕事は、20歳代、30歳代
(40歳代はいない)の皆さんの力を総結集することである。
「団結」こそが一番組織の力を発揮できる。お互いが
お互いの気持ち、性格を理解し尊敬しあい、仕事を
進めて行きたいものである。私たちの共通の願いは
「こどもたちの幸せ」である。

(ソン)地球の歩き方2班の案内
    「アクセサリー研修センター」研修生に給料支給
    明日、JASSスタディーツアー出迎えのためにホーチミン市
    に行く。(新婚早々なのでホーチミン市への宿泊旅行は
    行きたくないのだが・・・・・・などということは言っていなかった)

(原田)日本語学校「特進クラス」2回教えた。単語・作文・発音
     「フェリシモ」のカード作成

(富岡)フエに来て10日間程たつ。皆さんのお陰で何とか
     ベトナム事務所に慣れてきた。
     今週はスタディーツアーに付いていった。
     原田先生・古竹先生の日本語教育を見学させてもらった。
     ナムドン山岳地帯へ行った。
     毎晩、日本料理店の手伝いをした。毎日、忙しい。

(フーン) 日本語学校特進クラス。
      地球の歩き方2班案内


(古竹) 今週は体調を崩したが、回復した。
      日本語学校初級クラスの卒業テスト。10人中9人が
      合格した。残りの一人を再テストしている。
      8月3日から初級クラスが中級クラスになった。
      特進クラスの会話
      フエ高等師範大は来週から授業。

(フオン) 初級・中級クラス。10課。文法、聞き取り終了。
      特進クラス1回教える。聞き取りよくできていた。


(アン) 地球の歩き方2班の案内。
      「フェリシモ」の仕事

(ハン) 里親の手紙の翻訳
     帯広芳村さんの暖炉基金のこどもたち手紙翻訳
     奨学生のお礼の手紙翻訳多数。 
     (フエ医科大・フールー小・グエンフエ高校・ファンダンルー
      高校・トゥオンロー小学校)
     「ハイバイーチュン高校」などはこれから。

(クアン) 地球の歩き方などスタディーツアーのホテル予約
      手紙の翻訳
      日本語学校特進クラス 50課終了で卒業。
      初級クラス(月・水・金  P5:30~P7:30)までの予定

(バオミン) 地球の歩き方2班の案内 ナムドンへ。
        ナムドンは道路工事中なのでぬかるみが多く
        車が空回りし、時間がかかる。
        今後のナムドンは午前9時半出発とする。
        日曜日からJASSスタディーツアーが来る。
        JASS主催のたった一つのスタディーツアーなので
        皆さん、頑張って受け入れ態勢を作って欲しい。
        入所希望者が2人いる。クアンチ省の近くとフエ。
        8月16日(月)午前8時、小山・ハン・古竹・富岡
        で調査に行く。

ベトナム事務所員会議を終わり、引き続き「ブライセン」の
VU君など3人を呼んで、日本語学校中級コースで
会話を中心に勉強するよう話す。

午前10時半、急いで「子どもの家」へ。

MY TAN(ミー・タン)さんの里親の海老原さんから
届いた手紙をベトナム語に翻訳し、渡す。

里親の海老原さんの手紙(ベトナム語訳)を読んで
感動しているタンさん。

タンさんは将来フエ大学に入学し、観光の仕事をしたいと
言っていた。今年は、優秀賞。なかなか成績も良い。
頑張って欲しい。7年か8年前、TBSテレビの取材があり、
船上生活者で陸に上がったが、仕事もなく、家庭が大変
な姉弟を「子どもの家」に入れた。そのころは、小学1年生
位だった。

今はすっかりお姉さんになっている。


里子からの手紙にわざわざ返事を出してくれた海老原さんに
心から感謝したい。タンさんは、里親からの手紙に随分
励まされている。


午前11時半。「子どもの家」の昼食時。

里親の上原さんの里子ティン君の誕生会。

上原さんから里子のティン君への誕生祝いのカード。


こどもたち全員が食べられるように3つの大きなケーキが
上原さんから寄贈された。ティン君は14歳になる。
日本流に言えば中学2年生。

里親の上原さんから送られた誕生祝が昨日届く。


携帯用バッグ。


14本のローソクを点ける。


みんなで「ハッピー・バースデー・ティンさん」の歌を
歌う。


バースデーケーキ入刀。

14本のローソクを吹き消す。

ケーキを食べる。



こどもたちは甘いものが大好き。




午後12時過ぎ、昼食。マカロニスープ。

午後1時から1時間「午睡」

午後2時読書「1Q84 BOOK 3」(村上春樹著」)


午後3時、バオミンさん関連の資料を作る。

8月・9月のスタディーツアーなどの日程を整理する。


体がだるい。疲労の蓄積の度合いが高くなる。
休み時間がない。いつも問題があり、最適な解決策を
考える。結構、神経を使う。

午後4時過ぎ、一休みしようとした時、原田先生から電話。

「リー君が警察に捕まったようだ」とのこと。
詳細は不明。

原田先生と善後策を協議。

急いでバオミンさんに電話。電話にでない。

今日はバオミンさんは体調を崩し、午後休んでいる。
当然、今日は土曜日。午後は休みなのだが
私のフエ滞在17年間。土曜日も日曜日もない。
バオミンさんは、仕事をしすぎている。ベトナム事務所には
しなければならない仕事がたくさんある。
私とバオミンさんが分担し、ベトナム事務所員が分担し
何とかこなしているのが現状である。責任感の強いバオミンさん
に仕事が集中する傾向がある。

何度か電話をし、やっと通じる。胃と腸の間の後ろが痛い
とのこと。明日の日曜日に病院へ行くように話す。

「りー警察に逮捕されたようだ。警察に連絡し、状況を調べて
欲しい」と頼む。


ベトナム事務所には、原田先生・クアンさんが待機。
バオミンさんの警察との連絡の結果を待つ。

バオミンさんから連絡。フエの「A地区警察」に昨夜から
逮捕され拘留中とのこと。

バオミンさんの指示でクアンさんが、A地区の警察に
リーを引き取りに行く。


リーの逮捕事情は以下のようである。


昨夜、日本料理店は午後9時半頃終了。
リーは日本料理店付近の路上の飲み屋で飲み
その後、男友達とドンダー地区の路上の飲み屋で
飲んでいた。飲んでいるうちに友達が、隣りの
若者と口論になる。隣りの若者がリーの友人を
殴る。友人は怖くなり逃げてしまう。
リーは友人が殴られたので「頭にきて」飲んで
いたビールのコップで若者の顔を力一杯殴る。
ビールのガラスコップは割れ、若者は鼻骨を骨折する。
リーも逃げる。警察に電話通報あり。
数十人の警官がリーの探索。結局午後11時過ぎに
潜伏していた事件現場近くでリーは警察に
傷害罪で逮捕され、地元の警察に拘留される。
当然、傷害事件であり、目撃者もいる。リーが明らかに
若者の顔面をビールのコップで殴るという暴力事件を
起こしたのである。
リーは、月給の何倍も謝金をしている。身の丈に会わない
生活をしている。欲しいものがあれば、借金をしてでも
買ってしまう。友達を呼んでご馳走をしてしまう。
何度もこうしたことを注意してきた。「身の丈にあった
生活をするように」と。又、何度も失恋をしている。
こうした生活が不満の背景にある。

いずれにしろ、どんな事情があるにせよ、ビールのコップで
相手の顔面を殴ってはしまってはどうしようもない。

バオミンさんに「いくつか」の話をし、警察関係者に
連絡。リーの釈放を決定させる。

クアンさんが、A地区警察にリー君を引き取りに行く。
馬鹿な男である。何度警察に逮捕され、私の力で
釈放されたのか?  その後の反省がない。
MK君がいみじくも言ったが「リー君は学習しない」。まさに
その通りである。何度も警察に逮捕され、諸般の力で釈放される
ということを繰り返している。


午後6時、クアンさんが「特別釈放」されたリー君を連れて
ベトナム事務所に戻ってきた。

リー君から事情聴取。昨日の午後11時から今日の午後4時まで
A地区の警察に拘留。上記に書いたことをしたことは事実とのこと。

多少、しょげている態度は見える。

いくつかの点を注意する。

日本料理店が既に開店している。釈放されて直ぐに
日本料理店で仕事をする訳にはいかない。
「りー、今日はベトナム事務所の2階のこの部屋で
謹慎していろ」と私が指示。「分かりました」との返事。

午後5時半、夕食を食べ始めたら、欧米系の来客あり。

それから午後9時半まで23人の欧米系の来客が続く。
リーがいないので私がリーの代わりにグエットさんと接客。

原田先生・古竹先生・富岡先生は厨房の手伝い。

23人の来客の注文は多岐にわたる。

午後9時半まで4時間、休むまもなく仕事をした。

日本料理店のこどもたち、原田先生・古竹先生・富岡先生
汗びしょで厨房で仕事をしていた。


2階で「謹慎」しているリーの様子を見に行く。

2階会議室で勝手に「エヤコン」を付け、ソファーで眠って
いた。反省のはの字もない。

日本料理店のこどもたち、日本語先生が23人の
注文に応え、必死で仕事をしている中で、リーは
エヤコンの部屋で寝ているのである。
反省も何もない。この男は何を考えているのだろう
と私の方が考えてしまう。

午後9時半過ぎ、2階で「ニセ謹慎」をしているリーの
所に行く。「8月16日月曜に午前9時にベトナム事務所に
来るように」と言い渡す。バオミンさん、私で再度リーと
話し合うことにした。


リーの問題は大きい。しかし、今夜23人もの来客があり
日本料理店は大変だったが、トゥオイさんを先頭に
こどもたちが頑張った。そして、原田先生・古竹先生・
富岡先生が本当に協力してくた。何とか23人の来客
をこなすことができた。日本料理店のこどもたちと
3人の先生に感謝。

午後10時、宿舎着。

火炎樹日記を書く。午前0時過ぎ、就寝。

心身ともに疲労困憊。

投稿者 koyama : 18:11 | コメント (0)

2010年08月13日

今日も8時間停電:ツノダ工場:日本料理店会議

日中快晴  夕方雨。午後9時、涼しい。

午前4時半起床。読書「憎まれ役」(野中広務・野村克也著:
文春文庫)

結構面白い本。二人ともかなり本音を言っている。
野中広務は、「この国を根底から駄目にし、米国のみに
追従する小泉氏と同じ時代に国会議員のバッヂをつけている
ことは、私が死して後恥ずかしい、そういう責任のありかたを
示すために、総裁選告示の翌日、引退表明をしました」と
言っている。野村は、巨人の長島が明として目立つ中で、
自分の方が全ての記録で上なのに世間が認めてくれない
ことへの反抗と反撥で今日まできた。


午前7時朝食。「チャオバインカイン(小麦粉の手打ちうどん)
美味しい。

朝食の途中、午前7時半、急に停電。8時間停電が続く。
昨日と今日で2日連続である。
こんな停電の仕方では、庶民は1日の計画がたたない。

空は青空晴天。蒸し暑い。

パソコンも使えない。
仕方がないので午前中は、読書と休息。とにかく疲れた。

読書「憎まれ役」(野中広務・野村克也著:文春文庫)読了。

フトンと枕を干す。


午前11時半、昼食。「春雨麺」。

午後12時半から1時間「午睡」。熟睡。

午後1時半から読書「1Q84」(村上春樹著:新潮社)

1巻・2巻を昨年読んだが、内容を少し忘れていた。読んで
行くうちに青豆が農業をしながら共同生活をする新興宗教の
教祖をマッサージをするついでに針で殺すところで2巻目が
終わったのだ。その続き。青豆が逃げているとことから。


午後2時15分、バオミンさんがオートバイで迎えに来てくれる。
フエ市人民委員会外務部へ。部長のニエンさんと一緒に
新潟県燕市のペンチ会社「ツノダ」の工場建築問題で
フエ省立「フーバイ工業団地」社長と懇談。工業団地まで
車で30分。

フーバイ工業団地社長と土地貸借契約等の最終打ち合わせ。

午後4時半。日本料理店副店長のトゥオイさんを呼んで
2階会議室で打ち合わせ。

8月16日からフエに来る「JASSスタディーツアー」の皆さんの
昼食の日本弁当、2回の夜の日本料理店での夕食会の内容
などを打ち合わせ。トゥオイさんが中心に全ての計画を立て、
こどもたち皆でうまく進めるように。相談役は原田先生。

午後5時、日本料理店のこどもたち全員を集め、日本料理店
会議。大塚さんが帰国したこともあり、日本料理店の運営は
こどもたちが中心に全て進めなければならないこと、
トゥオイ副店長を中心に原田先生に相談しながら進める
ように。特にJASSスタディーツアーの昼食の弁当、
2回の夕食会のメニュー(海老を入れないこと)など、
こどもたちでメニューの計画を立てて進めるように話す。

休暇を取る時はこどもたちで勝手に決めないこと。
バオミンさんさんに電話で相談すること。
厨房のスタッフも接客のスタッフも日本料理店全体の仕事に
責任を持つ心構えを持って欲しい。

厨房で原田先生・古竹先生・富岡先生が手伝っている。
当たり前と思わないように。こどもたちは、給料をもらっての
仕事である。日本人の先生たちは、こどもたちを助け、手伝って
いることを自覚するよう、感謝の気持ちを持って欲しい。
先日、「日本人は帰れ」などと冗談でも言ってはいけないことを
言ったこどもたちがいる。許せないことばだ。

午後5時半、日本料理店で夕食。


4日間、無断欠勤をしたヒエウさん。昨日は両親が日本料理店に
「ヒエウが家に帰っていない。日本料理店にきていますか?」
と聞きにきた。また、仕事に復帰。頑張って欲しい。

午後9時半まで来客は途絶えない。
午後9時半までに28人。

接客係りのリー君とグエットさん。

今日多く出た「天ぷら定食」


こどもたちも日本人も全く休む暇なく3時間ほど仕事に
集中する。

午後9時半閉店。

徒歩で宿舎へ帰る。

火炎樹日記を書く。午後11時過ぎ、「1Q84:3巻」を読みながら
就寝。


投稿者 koyama : 23:13 | コメント (0)

2010年08月12日

終日停電:来客案内:夕方豪雨

夕方まで快晴・時々曇り 午後8時過ぎ雷雨と豪雨。

午前5時目覚め。読書「蒼きゅうの甍Ⅳ」(浅田次郎著:講談社)
最終場面。清王朝の皇帝派(改革派)と西太后派(保守派)の
対立。皇帝改革派が敗れる。伊藤博文なども出てくる。

午前7時朝食。おかゆ。

午前8時、突然停電。結局8時間の停電となる。
事前の予告もない。「人民に奉仕する」と言うスローガンは
どこへ行ってしまったのか?『人民が奉仕する社会主義」
と言われてもしかたがない。人口の圧倒的多数の「労働者・
農民」が突然の停電に苦労している。「労働者・農民のために」
のスローガンが泣いている。

午前中は停電でパソコンが使えず仕事にならない。
昼食まで読書。

読書「蒼きゅうの甍Ⅳ」(浅田次郎著:講談社)読了。

浅田次郎の本は何冊か読んでいるが、本書は
浅田次郎の「技巧」が裏目に出た。多くの場面に
リアリティーがない。毛沢東の子どものことなど
出す必要はなったない。毛沢東の子どもの頃と
本書のテーマとは関係ない。
本書を読んで1400年間続いた「科挙制度」の詳しい
仕組みが分かったこと。高校時代に岩波新書で読んだ
「宦官」の詳しい実態と哀れな末路を知った。
日本は中国から多くのことを学んだが、科挙制度と
宦官制度は受け入れなかった。明治維新ができたのも
科挙制度と宦官制度がなかったことも大きな原因とも
いえる。

停電中。エヤコンも止まる。汗をかきながら読書。

バオミンさんといくつかの問題で電話で協議。
体調がすぐれない。昼間40度。午後から夕方にかけた
豪雨。急に気温が下がり30度。最近は毎日のように
豪雨。毎日10度から15度程度の気温差がある。
体がついていけない。

午前11時半昼食。ベトナム風「お茶漬け」。
豚肉と鶏肉のスープに野菜が入り、ご飯を入れる。
出汁がしっかり出ているので美味しい。

午後12時過ぎから1時間ほど午睡。熟睡する。

午後1時半、宿舎を出て徒歩でベトナム事務所へ。

神奈川県青少年海外スタディーツアーを最初に手がけた
望月先生(当時神奈川県庁出向)がベトナム事務所へ
来訪。
望月先生と7年ほど前に池袋の喫茶店でお会いし、
神奈川県青少年スタディーツアーが始まった。
それから7回ほどスタディーツアーは続いている。
今年も8月17日から22日までフエで活動する。

望月先生にベトナム事務所員を紹介する。


望月先生(現在は神奈川県海老名市の県立高校教師)
を「子どもの家」案内。


「子どもの家」の食堂の窓の改修(「京滋YOUの会」寄贈)
が完了。きれいなアルミサッシの窓になっていた。
「京滋YOUの会」に深謝。

午後4時過ぎ、望月先生の案内を終わりベトナム事務所へ
帰る。

そのまま日本料理店問題について協議。
日本料理店の副店長のトゥオイさんを呼んで最近の
日本料理店の大きな問題について詰問する。
トゥオイさんは、私たちの言いたいことをしっかり理解
してくれた。かなり複雑な問題である。トゥオイさんは
なかなか賢い子でである。私は感情論を抜きにして
飽くまで理論・筋論でトゥオイさんに話したが、
しっかりと理解してくれた。

午後5時半、日本料理店で夕食。原田先生・富岡先生は
日本語学校の授業。今日から大塚さんがいない。
こどもたちの力で日本料理店を運営しなければならない。


午後7時過ぎ、原田先生・富岡先生が日本語学校から帰る。
簡単な食事をし、日本料理店の手伝いをしてくれる。

雨の中、たくさんの来客あり。午後9時15分閉店までに
16人の来客。多種の注文。

厨房では手が足りず、体調が回復した古竹先生、そして
原田先生、富岡先生とこどもたちが協力して料理を作って
いる。古竹・原田・富岡の諸先生に感謝。

富岡先生・古竹先生は日本料理店のこどもたちと同年齢。
原田先生も含め日越の若者が協力して仕事をしている
姿を見ているだけで「フダ生ビール」が進む。
日本の若者に日本を未来を託したとの気持ちになる。
JASSは日本の若者を招請し、こうした形で日越の若者が
共同作業をして欲しいのである。若者に「至らない」ことが
多々あるのは、いつの時代も同じである。世間ではそうした
「至らないこと」を重箱の隅をつつくように「ちくちく」突付く
ようなやり方をする会社や組織もあると言うが、JASS
ベトナム事務所に限っては、そのようなことはない。
若者を育てたい、というのがJASSの設立の趣旨。


大塚さんが事情で帰国し、さすがのリー君も
「頑張らないといけない」との気持ちを多少はもったようだ。
今日は一生懸命に仕事をしていた。

リー君の「アヒル」のお父さんが「デング熱」に罹った。

天ぷら定食



リー君は閉店後、湯飲み茶碗を洗っていた。


グエットさんは、今日の会計を集計している。


午後9時半、日本料理店から帰宅。

火炎樹日記を書き、午後11時過ぎ就寝。


投稿者 koyama : 23:38 | コメント (0)

2010年08月11日

地球の歩き方2班ホーチミン市へ

快晴

午前4時半起床。
読書「蒼きゅうの甍Ⅳ」(浅田次郎著:講談社)

午前7時朝食。フォー。

午前8時半、元「子どもの家」刺繍の先生と懇談。
長時間、退職の理由等を聞く。今後の身の振り方
などを話し合う。

元「子どもの家」刺繍みやげ物店の先生との話し合いが
終わると直ぐに、日本料理店の諸問題についての話し合い。
大塚さん・バオミンさん・原田先生と私。
今までの日本料理店の諸問題を総括し、今後の展望を
話し合う。

午前11時半、昼食。私の大好きな「チャオ・バイン・カイン」
(小麦粉の煮込みうどん)

午後12時過ぎ「午睡」。疲労感強し。1時間ほど熟睡。

午後1時半、大塚さんからの電話で目が覚める。
お兄さんの病状が良くないとのこと。急遽帰国したいとの
話。緊急事態なので急いで帰国した方が良いとの返答をし、
バオミンさんに今日夜のフエ →ホーチミン市 →成田の
切符を取ってもらう。

午後2時半、地球の歩き方2班(24人)の投宿している
ホテルへ。今日の午後、フエを発ちホーチミン市へ。

添乗員さんとバオミンさんJASS運営委員長。
今回の地球の歩き方2班のツアーを二人でうまく運営した。
感謝している。

大きな事故などもなく、無事フエでの活動を終えた皆さん。
フエでの体験を今後の人生に生かして欲しい。
皆さん、本当に真面目な大学生、社会人であった。


新婚ソン君。ツアーの皆さんのスーツケースをフエ空港へ
運ぶ。新人は、この種の下働きが必要。真面目に仕事を
している。


地球の歩き方2班のみなさんからお礼の色紙を頂く。

ツアー団長さんからバオミンさんへ


ソン君へ。

午後5時半。日本料理店で夕食。



午後6時半、大塚さんがフエ空港へ。明朝、成田へ到着。
お兄さんの病状が安定していることを祈るのみ。

午後6時過ぎから午後9時15分まで日本料理店開店。
今日はヒエフさんが無断欠勤。生活に問題あり。

原田先生・富岡先生が手伝ってくれる。古竹先生は
アデノイド炎で体調不良。ホテルで静養。徐々に回復中。
午後9時半、日本料理店を後にする。

午後10時。ホーチミン市の地球の歩き方添乗員さんに
電話。問題があるかどうかを確かめる。特に問題なし。
フエからホーチミン市への飛行機が「案の定」40分
遅れたとのこと。

今日の火炎樹日記を日記を書く。
八代亜紀のCDを聞きながら。こどもの頃は
「THE 演歌」は嫌いだった。しかし、CDを聞いていると
歌詞に深い意味があることが分かる。年齢のせいも
あるのか?。演歌を聞くと心が落ち着く。時には
今の自分の気持ちが演歌の中に投影されていることもある。


投稿者 koyama : 19:10 | コメント (0)

2010年08月10日

地球の歩き方2班・フエ高等師範へ:日本料理店でのさよならパーティー

快晴  午後豪雨  夕方肌寒くなる 気候の変動多し。


午前4時半起床。
読書「蒼きゅうの甍Ⅲ」(浅田次郎著:講談社)読了

午前7時朝食。精進ブン麺。

午前8時、フエ高等師範大学へ。地球の歩き方2班(24人)
とフエ高等師範日本学科学生との交流会。


フエ高等師範大前で


その後、フエ高等師範大日本語学科の学生とフエ最大の
スーパーマーケットに行く。


午前11時半昼食。おかゆ。

午後12時半から1時間午睡。

その後、読書「「蒼きゅうの甍Ⅳ」(浅田次郎著:講談社)
最終巻。

気候の変動が大きい。体調が悪い。だるい。
古竹先生もアデノイドの腫れでフエ中央病院へ。
熱は冷める。

午後6時、ベトナム事務所へ。

午後6時半、地球の歩き方2班の皆さん(24人+添乗員)
が日本料理店へ来訪。

さよならパーティー。

リー君とグエットさんの接客コンビで今日のメーニュー説明。

ツアー団長さんの「乾杯」の挨拶。決まっていた。


空芯菜

なすの煮びたし

野菜サラダ


午後8時半。日本料理店スタッフ紹介。

今日はチャンさんは法事。ヒエウさんは欠勤理由不明。
チャンもヒエウも私や大塚さん、バオミンさんなどに
欠勤の届けをしない。こどもたちだけの中で、適当に
休むという話をしているだけ。問題あり。

リーが「父親がおなかの病気でフエ中央病院へ入院している。
日本料理店を休み、父親のところへ行く」と言いに来た。
本当に父親はフエ中央病院に入院しているのか?
田舎へ電話をするよう話す。父親は電話を持っていない。
近所の家へ電話。父親が電話に出る。フエ中央病院へ入院
していない。嘘。
今夜はこどもたちの勝手な欠勤騒動に振り回された。
地球の歩き方25人、ベトナム事務所スタッフを入れると
30人の来客となり、セットーメミューの日本料理店を作るのは
一仕事。そうした実情を知ってか知らずか、チャン・ヒエン・
リーときちんとした許可と報告をしないまま、休んでしまう。
大塚さんと原田先生・富岡先生が大奮闘。古竹先生、
ホテルで休養。
何とか、調理主任のトゥオイと30人分の調理をする。
こどもたちの行動に大きな問題がある。自分のことしか
考えない行動。
特にリーに至っては、父親入院を捏造し、日本料理店を
休もうとした。そのままにしていたら、調理のトゥオイさんと
接客のグエットさんしかいないままで、30人の調理と
接客をすることになっていた。

最後に全員記念写真


その後、大塚さん、原田先生・富岡先生の4人で若干飲む。

投稿者 koyama : 00:32 | コメント (0)

2010年08月09日

地球の歩き方ナムドン山岳地帯へ  

午前5時起床

読書「蒼きゅうの甍Ⅲ」(浅田次郎著:講談社)

午前7時朝食。

午前8時、ベトナム事務所へ。
電動バイクの蓄電池が故障。買って4年近くになる。
寿命が尽きた。ベトナム事務所のソン君に蓄電池の交換を
依頼。

ベトナム事務所でバオミンさんと合流し、地球の歩き方2班
の投宿しているホテルへ。ピースインツアーの添乗員さん
と当面のいくつかの諸問題を話し合う。

午前9時半、地球の歩き方2班(24人)と添乗員さん、
バオミンさん・富岡先生・リー君の引率でナムドン山岳地帯へ。

小型ワゴン、中型バスに分乗。


山岳地帯に入ると道路工事中。ナムドンの中心部に入るのに
かなり時間がかかる。


午後12時過ぎ、ナムドン中心街に入る。

昼食。リー君が水を出したり、食事を運んだり大活躍。


『不良のリー君』と『真面目な富岡先生』がすっかり
仲良くなってしまった。富岡先生にリー大先生の
良い所を学んで欲しい。リー君は24歳。リー君の
方が先輩である。

午後1時、ナムドン郡「トゥオンロー村」へ。カトゥー族。



地球の歩き方の皆さんは支援物資を持って交流会場へ。


ピースインツアーの添乗員さんと。
真面目な添乗員さんである。仕事も熱心にしている。
結婚しているかどうかは知らないが、結婚していたら
100%「婦唱夫随」状態と推測する。


支援物資贈呈。ラーメンなどの支援物資以外に
各自が支援物資を持って来てくれた。感謝。

カトゥー族の歓迎の踊り

日本側のお礼の出し物


多くのカトゥー族のこどもたちが集まって来た。


日本とカトゥー族と一緒にカトゥー族のお祝いの踊りをおどる。



今日の地球の歩き方カトゥー族スタディーツアーを
成功に導いた3人組。

添乗員さん・富岡先生・リー君


踊りの交流会が終わり、いよいとメインイベントである
会食交流会。もち米の焼酎を飲みながら交流。

20歳未満の地球の歩き方参加者には飲酒を厳禁した。


2時間ほどの交流を終わり全員の記念写真。


午後2時頃からナムドン山岳地帯は豪雨。

フエ市内からナムドンへの道路は工事中。豪雨で道が
泥まみれ。車の後輪が空回りをし、走れない。
何度も地球の歩き方の皆さんが下車し、車を押す。


午後6時過ぎ、やっとフエのホテルへ到着。


添乗員さんの話。今日の夕食はフリー。


午後6時半、日本料理店へ。丁度、ブライセンのVU君と
出会う。デング熱で入院していたが、今日から出勤したとのこと。
一安心。

午後7時過ぎ、添乗員さんと今後のスタディーツアーに
ついて夕食をしながら話し合う。

午後9時過ぎ、宿舎へ。

投稿者 koyama : 23:20 | コメント (0)

2010年08月08日

午前中日本人スタッフとバイキング朝食:昼、地球の歩き方:夕方、日本人スタッフ夕食

午前中、快晴。午後豪雨。夜まで雨。

午前4時半起床。

読書「「蒼きゅうの甍Ⅲ」(浅田次郎著:講談社)

午前7時、洗濯。

午前7時15分、市内のCホテルの朝食バイキングへ。
大塚さん・原田先生・古竹先生・富岡先生と朝食
バイキングを食べる。一人6万ドン(300円)。

このホテルの朝食バイキングは、11階での食事が出きることと
メニューのバラエティーが多いので私は個人的に好きである。

午前11時過ぎまで食事をし、お茶を飲み話し合う。
久しぶりに楽しい時間を過ごした。


午前11時半、宿舎へ帰る。
読書「「蒼きゅうの甍Ⅲ」(浅田次郎著:講談社)

その後、1時間半ほど午睡。

JASSの今後の運営方針について熟慮する。

午後3時、「子どもの家」へ。
途中、突然の豪雨。雨具の用意をしていなかったので
下着まで雨で濡れてしまった。

「子どもの家」では地球の歩き方2班の皆さんが
こどもたちと交流会をしていた。


●椅子取りゲーム

続いて少数民族の「バンブーダンス」を楽しむ


「子どもの家」の卒業生のフン君が遊びに来ていた。
何故か頭を丸めていた。
「お寺に入ったの?」と聞く。「オートバイの修理工場で働いている」
とのこと。


「子どもの家」を午後5時に出る。外は引き続き豪雨。
体中濡れる。何となく、「寒気」がする。
電動バイクの電池の力がなくなり、充電をしたのだが、
電動バイクが動かなくなる。電池の寿命が来た。

ペタルを漕いで豪雨の中、宿舎へ帰る。
宿舎で着替えて、フエの家庭料理店へ。

大塚さん、原田先生・古竹先生・富岡先生と合流。
フエの家庭料理を堪能する。

午後8時まで夕食会。

食事の途中でベトナム事務所のハンさんから電話。
お子さんが「デング熱」に罹ったとのこと。
心配である。

日本人スタッフに「防虫スプレー」「蚊や」「蚊取り線香」の
使用を要請する。

デング熱を甘く見てはいけない。ベトナム事務所の関係者が
次々にデング熱に罹っている。
出血性デング熱は最悪の場合、死に至る。
ある意味でベトナム事務所でのボランティア活動は死を賭けた
活動と言っても良い客観的な立場に私たちが立たされている
のである。十分気をつけるべきである。甘く見てはいけない。

雨の中、宿舎へ帰る。寒気を感じる。風邪の初期症状。


投稿者 koyama : 22:07 | コメント (0)

2010年08月07日

地球の歩き方2班「子どもの家」へ。

快晴   暦の上では「立秋」。

午前5時半起床。

読書「蒼きゅうの甍Ⅱ」(浅田次郎著:講談社)読了

午前7時、朝食。春雨麺

午前7時45分、地球の歩き方2班の泊まっているホテルへ。
バオミンさん・ソン君・富岡先生と案内を担当する。


地球の歩き方2班の皆さんが、元気に集合


バスでJASSベトナム事務所へ。


ベトナム事務所員紹介。


原田先生の「フエでの生活上の諸注意」。


バスで「子どもの家」へ。


午前9時、「子どもの家」へ到着。

バオミンさんグループ、ソン君グループに分かれて
「子どもの家」の施設案内。1時間20分。



男子の部屋では、フエ科学大学2年生の「子どもの家」
の子どもが、小学生のこどもたちに勉強を教えていた。


午前9時45分から1時間半、「子どもの家」のことなどの講演

講演会後、「子どもの家」のこどもたちと文化交流。

初めに「子どもの家」運営委員長のセンさんの歓迎の挨拶

こどもたちの出し物


少数民族の踊り


男子のヒップホップ

年下の女子の踊り

3ヶ月という長い夏休み。日本人との交流を楽しむこどもたち



日本側の出し物「エブラハムの子ども」踊り
こどもたちと一緒の歌い、踊る


午前11時半、昼食。市内のベトナムレストランで「フォーサオ」

フォー(米麺)の炒め物を食べる



地球の歩き方2班のホテルへ戻り、宿舎へ。午後1時。

1時間ほど午睡。

読書「蒼きゅうの甍Ⅲ」(浅田次郎著:講談社)

午後3時、ベトナム事務所へ。

「縫製研修センター」技術指導員のMが6月2日、飲酒運転
で自損・他損事故を起こした。

(日本ではこの時点で警察に逮捕される。森元首相の息子の
石川県議会議員が飲酒運転でコンビニに突っ込み逮捕されている。
それほど、飲酒運転は重罪である)

午後11時までギャブルをし、飲酒。その後2時間の行動
不明。午前2時過ぎに国道1号線を泥酔でオートバイ
(私の名義)を運転。路上に止めてあった車に激突。
顔面を殴打。鼻骨骨折。失神。30分間、泥酔と失神で
路上に倒れていた。たまたま通った人に見つけられ、
午前2時半に救急車でフエ中央病院へ運ばれるが、意識不明。
翌朝、目覚め、「関係者の名前を」と医師に言われ、以前、
JASSにいて「大問題」を起こしたLA氏の名前を言う。
馬鹿な男である。JASS「縫製研修センター」から月給の
半額をもらっている。JASS「縫製研修センター」の名前で
長期滞在ビザを取っている。当然、JASS責任者の私の
名前を言うべきところを、現在はJASSを影で攻撃している
元JASSスタッフのLA氏の名前をいうとは。
ということは、常に交流があったことを暴露したことにもなる。
おかしな人間はどこかで通じるものがあるのだ。

結局、10日間入院。その間、私はJASS「縫製研修センター」の
責任者として何度も警察に呼ばれ事情聴取。
しかし、私は6月2日にMが、誰と一緒でどこで何をしていたのか
など全く知らない。それでも何とか罪を軽くしようと警察で話し
穏便な措置を要請する。フエ市人民委員会からも事情聴取を
受けるが、「穏便な措置」を要請。

6月12日にフエ中央病院を退院したが、Mは、その晩に
ギャンブルと飲酒を行っている。全く、飲酒泥酔での交通事故
の反省をしていないことが分かる。
その後、「縫製研修センター」へは出勤したりしなかったりで
「縫製研修センター」は荒れ放題。勤労意欲もほぼゼロに
近い。

8月4日付けでフエ警察本部警察局入国管理部局長名で
「Mを国外退去処分」とする旨の処分通知書が届く。

Mを呼ぶ。Mに質す。「病院を退院した日に飲酒とギャンブルに
行ったのか?」

M[覚えていない」。
小山「ばか者。交通事故で鼻骨骨折。10日間も入院する
大怪我をして、退院した日に何をしたか忘れる馬鹿がいるか?」
M「すみません。嘘を言っていました。退院した日は、ギャンブル
に行き、お酒を飲みました」。

フエ省入管局長名の処分決定書をMに渡す。
国外退去処分。数日中に必ず国外に出ること。
「縫製研修センター」技術指導員は、交通事故を起こした後、
解雇処分となっている。

概略、上記のようなやり取りがあり、Mに対し、国外へ直ぐに
退去するよう県警本部の処分決定書に基づき勧告する。


情けない話である。ギャンブルをし、泥酔し、停車中の車に
激突。日本では飲酒運転で事故を起こせば、即解雇・懲戒免職
警察の逮捕である。場合によっては、重い刑事罰が課せられる。
10日間も入院し、退院したその日、交通事故の原因となった
ギャンブルと飲酒をしているのである。反省の「はの字」もない
人間である。50才を超えた男のすることではない。
いくら私が「かばっても」本人に反省と自覚がない以上、
国外退去処分は適正なものと考える。

また、この種の人間と以前ベトナム事務所員だったLA氏が
付き合っていたことがこの交通事故を通して明確となった。
悲しい人間である。

Mを派遣してきた日本の縫製会社にも責任の一端はある。

私たちは17年間フエに住み、様々な慈善活動を行い、
フエでは大きな信頼と尊敬を受けているNGOとなった。
それまでには多くの日本人の善意と努力の積み重ねがあった。
Mは、そうしたJASSの信頼を一気に突き崩してしまった。
その上、国外に去ってしまう。何も責任を感じず、責任を
果たさないまま。傷が付いたのはJASSである。信用と
今までの努力の積み重ねが水泡に帰した。


午後5時半、日本料理店へ。

こどもたちと夕食。


夕飯はチャオ・バイン・カイン(小麦粉の手打ちうどん)
こどもたちは大量の唐辛子をかける。うどんは「真っ赤」。

今日も沢山の来客あり。原田先生・古竹先生が大塚さんと
一緒に厨房で活躍。本当に助かっている。
毎日20人以上の来客があり、対応が大変である。

午後9時過ぎ閉店。

午後9時半過ぎ、宿舎へ。

投稿者 koyama : 15:54 | コメント (0)

2010年08月06日

V君・ハンさんのお父さんお見舞い:ベトナム観光会社懇談・地球の歩き方2班来訪

快晴

午前5時半目覚める。

読書「蒼きゅうの甍Ⅱ」(浅田次郎著:講談社)を読み始める。
なかなか面白い。明治維新と清朝末期の国内の混乱。

午前7時朝食。ブンボー。

午前8時過ぎ、ベトナム事務所へ。

新任日本語教師富岡先生初出勤。

今まで原田先生のいた席に富岡先生が座る。

帯広の芳村さんを通して寄金を贈呈して頂いた。
寄金でベトナム事務所の古くなったパソコンのデスプレイー
を取り替える。


その後、ブライセン支社へ。昨日、発熱し病院へ行ったTHI君。
特別問題ないということで今日から出勤。

6月には、H君がやはり「出血性デング熱」で1週間ほど
入院したとのこと。


ハンさんと一緒にフエ中央病院へ。

デング熱で入院したV君のお見舞いに行く。
V君は緊急集中治療室にいた。満床だった。
点滴治療中。


フエ中央病院の近くに「伝染病専門病院」があるが、そこも満床
で、フエ中央病院へ送られてくる。フエ中央病院の伝染病病棟
も満床で「集中治療室」へ。そこも満床で「一般病棟」へ
デング熱の患者が入院している。デング熱が大流行している
現実を見る。

V君の病状は安定し、数日後に退院するとのこと。

続いて、ハンさんのお父さんが入院している病棟へお見舞いに
行く。
肝臓の病気で既に7回手術をしている。今回は手術はしないが
1ヶ月ほど入院治療をするとのこと。手術をしないでの入院治療は
10回目だとのこと。早期完治を祈る。

午前11時半、昼食。

チャオ・バイン・カイン。


午後12時半から1時間半午睡。

午後2時から読書。「蒼きゅうの甍Ⅱ」(浅田次郎著:講談社)

ホーチミン市にいるバオミンさんといくつかの件で電話連絡。

午後3時半。ベトナム事務所へ。

ホーチミン市の観光会社の方と打ち合わせ。
大塚サン、ハンさんも出席。


午後5時、ベトナム事務所の勤務終了。
ベトナム事務所には、原田先生と富岡先生が「残業」。


午後6時45分、ズイタンホテルへ。今日は地球の歩き方2班
がフエ空港へ来る。バオミンさんがホーチミン市から案内してくる。
私とソン君でバスに乗って出迎えに行く。

午後7時40分。地球の歩き方2班(25人)フエ空港着。

ピースインツアーの添乗員さんとバオミンさん


スーツケースをトラックに積み込む仕事をしている新婚ソン君


フエ空港から車で20分。市内サッカー場の近くにある
「フォー専門店」でハノイのフォーを食べる。


その後、宿泊するホテルへ。

添乗員さん・バオミンさんの諸注意。

ウエルカム・ドリンク

午後9時過ぎ、地球の歩き方ツアー投宿のホテルを出て
日本料理店へ。日本料理店は閉店の準備中。今日は
24人の来客あり。

宿舎へ帰り、ブダビールを3本飲む。夕食なし。
仕上げは「ラオディー ラム酒」。

ラジオジャパンで「広島の原爆慰霊祭」を録音で聞く。

国連の潘事務総長の演説を聞く。
「核兵器の廃絶」を言明している。アメリカ・イギリスなど
核保有国の大使等が代表として初めて参加したとのこと。

オバマ大統領のプラハ演説で核均衡論から廃絶へと
舵を切った。当然のことではるが。世界の流れは、核兵器を
持ちその危うい均衡の上に世界政治を考えていた時代から
はっきりと「核兵器廃絶」を掲げるようになった。
今までの自民党政治では到底いえなかったことである。

世界の政治情勢が大きく変わってきた。
核兵器の廃絶を言うのは易しいが、実現までは遠い道のりで
あるが、人類は遠い道のりへ向かって第一歩を踏み出した。

在日米大使館は「大使は第2次世界大戦の全犠牲者に敬意を
表すために出席した」との声明を発表した。

この声明は画期的な意味をもつ。今までは、原爆は
日本軍国主義の反抗を阻止するため、米軍の被害をすくなく
するために必要な原爆投下との立場だった。

今回初めて原爆慰霊祭に大使が出席し、第2次世界大戦の
全犠牲者に敬意を表すために出席した、との声明を出した
ことは、原爆投下について、正当な行為と100%言い張る
立場を変更したことになる。
核廃絶への道のりは長いが、人類の叡智で核兵器そのもの
を廃絶することは可能である。


火炎樹日記を書き、読書「蒼きゅうの甍」(浅田次郎著:講談社)
面白い。幕末から明治維新の清朝末期。
200年ほど続いた清朝の硬直し形骸化した政治体制の中で
革新を進めようとするグループと保守を貫くグループ。
保守を貫くグループが「保守反動か」というと必ずしも
相当もいえない。保守反動を通して、清朝そのものを打倒しよう
という深謀を持っている。日本の明治維新が中国に与えた影響は
大きい。孫文の辛亥革命の入り口。


投稿者 koyama : 19:52 | コメント (0)

2010年08月05日

臨時ベトナム事務所員会議:新日本語教師富岡先生フエ着任

快晴

午前5時半、目覚める。

読書「蒼きゅうの甍」(浅田次郎著:講談社)

午前7時、朝食。おかゆ

午前8時徒歩でベトナム事務所へ。

いくつかの手紙を書く。

大阪からお子さん2人を連れて「子どもの家」参観に
来られたご家族と対応。

クアンさんに「子どもの家」まで案内してもらう。


午前9時、臨時ベトナム事務所員会議。
今日、バオミンさんがマルタカの直井社長とホーチミン市へ
行く。代わりに私が司会を行い、8月・9月末までの
各種スタディーツアーの担当者分担やそれぞれのスタディーツアー
の内容等を確認する。



新婚早々。張り切って仕事をしているソン君。


お父さんが入院し、身の回りのお世話をするのに大変な
ハンさん。


午前11時半、昼食。

午後12時半、昼寝。1時間。

午後2時から読書「蒼きゅうの甍1」読了。

清朝(12代皇帝まで)の成立から西太后(9代皇帝側室)
の時代。清朝は満州族。満州族の原点は韃靼(だったん)の
モンゴル系の騎馬民族。愛新覚羅一族。
以前読んだ「愛新覚羅浩の生涯」を読んだが、浩は、清朝
12代皇帝溥儀の弟の溥傑の妻。

二人の主人公が出てくる。一人は、貧しい農民の子ども
李春雲(宦官になる)と地元の地主で金持ちの次男
梁文秀(科挙に合格し、清朝の政府へ)

午後3時半。10通ほどのメールを送信。
静大工学部ニフィー入学生の奨学金の件でマブチモーター
と連絡。

ツノダ社長と連絡。

里親2人にお礼の手紙を書く。写真12枚をソン君に
送りプリントしてもらう。


午後5時半、日本料理店へ。

日本人夫妻が食事をしている。ベトナムでの活動を
聞かれる。20分ほど話す。

原田先生とソン君がフエ空港へ。新日本語教師の
富岡先生の出迎え。

午後7時20分フエ空港着の予定。
大塚さんと打ち合わせをし、午後8時以降の日本料理店
来客はストップすることにした。

結局、今日は13人のお客さんが来店し、24人のお客さんの
来店をお断りした。本来なら37人来店のはず。

午後8時半、原田先生が富岡先生を連れて日本料理店へ。
こどもたちと一緒に富岡先生を出迎える。
こどもたち・日本人スタッフの自己紹介。富岡先生の自己紹介。

富岡先生の夕食の注文を既に取ってある。
原田先生、古竹先生、大塚さんたちも夕食を摂る。
こどもたちは、既に夕食を摂っているので、飲み物。


富岡先生・原田先生と歓迎の一杯。


こどもたちは、富岡先生の来訪でかなり興奮気味。

リー君は年下の日本語教師が来たので、嬉しそう。

皆さんが注文した「カツ丼」。


こどもたちと日本人と富岡先生の初対面の交流会は
午後9時半まで続く。

富岡先生には、あまり張り切らず、適当に仕事をするよう
話す。

徒歩帰宅。かなり千鳥足。

午後10時20分。ホーチミン市のミンさんから電話。
マルタカの直井社長と社員の渡辺さんを無事、
ホーチミン空港の国際線まで送ったとのこと。
ホーチミン市での仕事もうまく行ったと言っていた。

ミンさんは一番仕事をしている。本当に頭が下がる。
私利私欲のない「真っ直ぐな人間」である。

午後10時半から火炎樹日記を書き始める。

投稿者 koyama : 18:56 | コメント (0)

2010年08月04日

マルタカ社長・社員と一緒に関連会社へ。

快晴

フエでは、「デング熱」が大流行しています。
蚊で感染する伝染病。対策は蚊に食われないように
すること。

ベトナム事務所の日本人スタッフに「寝るときは蚊帳をつる」
「常時虫除けスプレー」をするよう話す。

ベトナム事務所3階ブライセンのV君が「デング熱」になり、
今日緊急入院した。

午前5時半起床。起床時から体がだるい。

午前7時朝食。チャオ・バイン・カイン。

午前8時過ぎ、徒歩でマルタカ社長のいるフォンザンホテルへ。

マルタカ社長・社員・バオミンさん・アンさんと一緒に
関連会社に行き打ち合わせ。2時間。

午前11時半。ヒエップロイというチャーハンやワンタンメンなどの
美味しいレストランへ。

午後12時過ぎ宿舎へ帰る。

とにかく体がだるい。直ぐに横になり午睡。2時間熟睡。

午後もマルタカの仕事があったが、バオミンさんとアンさんに
お願いし、緊急に必要な事務的な仕事を行う。

支援者からの手紙への返事(2通)。
里親からのメールへの返事。
ツノダ・ベトナムの社長とメールで打ち合わせ
静岡大学へメール。マブチモーター奨学金担当者へメール


午後6時。日本料理店でマルタカ社長、社員の方とバオミンさん
原田先生、私で夕食打ち合わせ会。


ぬかづけ


一口豆腐


マルタカ社長、社員の方にラオス「ラム酒」を試飲してもらう。


午後10時前閉店。

今日は27人の来客あり。ほとんど欧米系。
ロンリープラネットを読んで来た方が多い。


イギリス・ニュージーランドのお客さんと


午後10時20分、宿舎へ。


投稿者 koyama : 19:24 | コメント (0)

2010年08月03日

マルタカ社長・社員と1日を過ごす:地球の歩き方1班夕食会

晴天 時々曇り

私は毎日1時間ほどかけて日本の新聞をインターネットで読む。
朝日・読売・毎日・東京・産経・赤旗・社民党・自民党。

主要新聞の社説は全て読んでいる。
新聞では、東京新聞がもっとも公平且つ権力に対する厳しい
批判的な意見を持っている。産経新聞も時々興味のある記事を
載せることがある。
政党の新聞では、赤旗が一番読みやすい。社民党・自民党は
自己主張のみを書くだけであるが、赤旗は社会の様々な出来事を
報道し、共産党としての視点で分析報道している。赤旗の難点は
更新が遅すぎること。加藤紘一のHPも時々読んでいる。

6月16日にフエに戻り1ヶ月半。この期間に読んだ日本の
出来事で一番衝撃的な出来事は「大阪市二児育児放棄死亡事件」だ。
私がもっとも関心を持ったことは、母親が何故育児を放棄したのか
ということもさることながら、児童相談所の対応である。
「夜中にママ・ママとインターホンで叫んでいた」との情報を含め、
3回の「虐待を予測される」情報が児童相談所に届いていた。
児童相談所は5回、育児放棄された2児のマンションを訪ねて
いる。しかし、なんら手を打つこともせず(手紙を2回置いていった)
帰っている。何のために税金を使って児童相談所の仕事をしている
のか?と思ってしまう。所長や市役所の局長などは、様々な
言い訳をしているが、お役人の例の言い訳に過ぎない。
誰が見ても客観状況からしてこどもが、部屋にいること。夜中に
ママ・ママと言ってインターホンで助けを求めていることだけでも
重大な事態が発生している可能性があるのだ。
ただ、マンションに行って、誰にも会えませんでした、などと
シャーシャーと帰って来る児童相談所の職員と所長・スタッフ
の責任は重大である。彼らは、「何もしなかったことの言い訳
には、長けている」。しかし、心配な事態が予想されるのなら
行動をすべきなのだ。何か後で問題にならないように、
「現場に行った」という行動証明だけをしているとしか思えない。
こうした態度を「役人根性」という。自分では絶対に責任を
取らず、言い訳だけが上手な連中だ。
裁判所に手続きをし、室内に入り調査することは法律でも
可能なのである。要するに児童相談所と銘打っても
「児童の立場」になっていない。「こどもたちへの愛情を
持っていない」というしかない。人間に関わるどんな仕事でも
最終的には、人間や子どもたちに対する「愛情」をもっていなけ
れば、本当の仕事は出来ないということである。
形式的に5回行こうが何回マンションに行こうが、「心のない」
「人間への愛情」を持っていない人間の行動がこうした結果と
なるのである。少しでもこどもたちへの愛情があれば、
万難を排してでも2児の救出は必ずできたのだと断言したい。
私たちのベトナムでの取り組みも同様である。
私たちなどは月給をもらっている訳でもない。支援してもしなくて
良いのだ。しかし、困ったこどもたちがいると聞けば、車で
2時間でも3時間でもかけて、その家に行き、実情を調べ、
近所の人に様子を聞いて、こどもたちを「子どもの家」に入所
させている。私たちですらしていることを、税金をもらって仕事
をしているお役人が出来ない訳がない。彼らに欠けている
のは、「こどもたちへの愛情」である。お役人根性が抜けない
連中。厳しい言葉で言えば、「税金泥棒」である。
公務員の労働組合などは、職員が足りないなど様々な
言い訳をするが、本質は、「こどもたちへ愛情」である。

午前7時、朝食。ブンボー。美味しい。

午前8時過ぎ、フォンザンホテルへ。マルタカの直井社長と
社員の渡辺さんと合流。バオミンさん・アンさんも。

マルタカ社長一行と「子どもの家」の刺繍みやげ物店へ。
「フェリシモ」の刺繍ポーチについての打ち合わせ。

「フェリシモ」でも「子どもの家」のこどもたち一人一人の
カードを作り、購買者へ進呈。「フェリシモ」の製品を買うと
こうしたこどもたちへの支援に繋がるとの広報を行っている。

自分の絵と将来の希望などを書いたカードを見ているこどもたち。


午前10時半、「子どもの家」からベトナム事務所へ戻る。


その後、ドンバ市場へ行き「シュシュ」の布地を買いに行く。

午前11時半。チャオバインカイン(米とキャッサバ芋の麺)
を食べに行く。

午後12時半、宿舎に戻る。

昼寝。今日は太陽は出ていないが、湿度90%以上。
立っているだけで「頭が痛い」。

1時間ほど昼寝。
読書「蒼きゅうの昴」。清朝末期の科挙試験の様子。
宦官の男性器切除の様子はかなりリアルであり、
壮絶だ。


午後2時半。刺繍スリッパ、エプロンなど作っている
工場へ。製品の作り方など詳細の打ち合わせ。



午後4時半、ベトナム事務所へ。
ベトナム事務所で「フェリシモ」製品の打ち合わせ

刺繍関連の工場の社長と打ち合わせ

午後6時半。地球の歩き方1班の「さよならパーティー」。
原田先生がうまく司会をこなす。




グエット・りー コンビで「今日のメニュー・飲み物紹介」を行う。


地球の歩き方スタディーツアーの団長の挨拶で乾杯


夕食会の最後に日本料理店のスタッフ紹介


全員写真



原田先生・古竹先生もスタディーツアー夕食会に協力
してくれた。


午後9時前、閉会。


投稿者 koyama : 09:40 | コメント (0)

2010年08月02日

火炎樹日記8周年記念:マルタカ社長・社員フエ来訪

2002年8月2日に火炎樹日記の第1回目を書く。
今日でちょうど8年になる。2800回ほど書いている。
ほぼ毎日。内容は乏しいものではあるが、
8年間、ベトナムでのボランティア活動について書き続けた
ということは、多少の意味もあるかと思っている。
出来るだけ文字を読んで頂くよりも写真を通して、視覚で
活動を知って頂きたいとの気持ちも強く、写真を多用している。
写真を日記に載せるのは、かなりの手間と時間がかかる。
1日の日記を仕上げるのに1時間ほどかかる。ソン君・メンさんの
結婚式などの日記は2時間以上かかっている。
写真を載せるためには、常時デジカメを携帯し、日記用の
写真を撮らなければならない。火炎樹日記は、夜、日記を
書くだけではなく、1日中、火炎樹日記記載を念頭においての
生活をする「ハメ」に陥っている。
火炎樹日記が8年間続いた裏には、小学校の教え子である
手島屋社長の手島君の技術的な支援がある。改めて感謝したい。
手島守  http://www.tejimaya.com/category/tejima

火炎樹日記で書きたいことがあるが、一番私が書きたいことが
ベトナムの政治情勢の関係で書けないのは、残念である。
2年前、この火炎樹日記に書いた記事を「心無いベトナム人」が
警察に「反政府運動」「反社会主義運動」の記事だとして告訴する
という事件があった。告訴は2回に及んだ。
ベトナム事務所員やJASSの活動を支援してくれている多くの
ベトナム人に迷惑をかけることを考え、「一番書きたいベトナムの
現実」を書くことができないのが火炎樹日記の筆者としては
残念である。

午前5時半起床。日本から持ってきた本が尽きる。
今年はあるテーマを縦軸にして読書をしてきた。
その関係の本がわが部屋になくなってしまった。

読書「蒼きゅうの昴」(浅田次郎著:講談社)

午前7時朝食。フォー。

受信メールのチェック。送信。

午前9時過ぎ、徒歩でベトナム事務所へ。
バオミンさんといくつかの問題で打ち合わせ。

午前11時半、昼食。おかゆ。

午後12時半から午睡。

午後1時半、読書「蒼きゅうの昴」  そうきゅうのすばる
の「きゅう」の漢字がない。

中国清朝末期の話。

午後3時。バオミンさんと電話でツノダ工場建築設計図の
打ち合わせ。今夜、フエ空港に到着する「フェリシモ」関連で
「マルタカ」社長と社員の方が来訪する。
「フェリシモ」関連の重要な打ち合わせをする。

ハンさんとブライセンの7月分会計報告の内容を打ち合わせ。

バオミンさんと再度、ツノサ工場建築問題、「フェリシモ」の件
で打ち合わせ。

明日(3日)、明後日(4日)の2日間は朝から夜9時過ぎまで
マルタカの皆さんと行動を共にする。
担当の私、バオミンさん、アンさん。

午後7時、フォンザンホテルへ。アンさんと合流。
フエ空港へ。


午後7時半。マルタカの直井社長と社員の方が到着。


午後8時半、車でレストラン「フォーサイゴン」
へ行き、軽く夕食を摂りながらフダビールを飲む。

午後9時半。フォンザンホテルへチェックイン。

帰宅午後10時。

ラオス「ラオディー」のラム酒をオンザロックで飲む。
1日の「けじめ」はやはり「ラオスラム酒」だ。

投稿者 koyama : 00:51 | コメント (0)

2010年08月01日

1日、部屋で読書

快晴  気温が高い

午前7時目覚める。

読書「「ベトナム戦争ー民衆に取っての戦場」(吉澤南著)

午前10時半、昨日の昼食で残った「チャオバインカイン」を
温めて朝食とする。

東京に戻った内田さんから電話。今日、人と話したのは
内田さんとの電話だけ。
引き続き読書。

フトンを干す。

洗濯。

受信メール。何人かに送信。


午後12時過ぎ。眠くなり昼寝。1時間半。


読書「ベトナム戦争」。

部屋の掃除。

8月1ヶ月の自分の日程を確認する。
地球の歩き方、JASSスタディーツアー、神奈川県スタディーツアー
北星学園スタディーツアー、「フェリシモ」関連の仕事の計画、
ツノダ工場建設の計画、静岡大学工学部入学関連の諸問題の
整理。

早速明日から「フェリシモ」関連でマルタカの社長と社員の
来訪の出迎え。5日まで終日「フェリシモ」の仕事。
5日には、新たらしい日本語教師の「富岡隼人君」来訪。
6日は、地球の歩き方第2班(24人)来訪。
と言うことで、ソン君・メンさん結婚式が終わり、今日1日
の休みを置いて、明日から10月5日までのスタディーツアー
ラッシュに入る。

ラジオ日本を聞いていると今日1日で「熱中症」になって
病院に行った人が172人いるとのこと。1人が亡くなったそうだ。
日本は夏休み。17年前までは私も夏休みを「満喫」
していたのだ、などと感慨に耽る。

今後、半年間のベトナム事務所の「課題」を整理する。
いくつかの複雑な問題の解決策を考える。

午後3時、徒歩で「ほか弁」を買いに行く。100円。
夕食用。午後3時のフエは本当に暑い。直射の
気温は40度をゆうに超えている。

午後5時。フダビールで一杯飲む。

内田さんから頂いた「明太子」、ゴボウを、大塚さんに
作って頂いた「焼するめ」をおつまみに飲む。

今日も地球の歩き方第1班が来ている。
クアンさん、原田先生、フオン先生などがお世話をしている。
ありがたいことである。

私は6月16日にフエへ戻り、18日振りの休みである。
又、明日から長期ロードレースに入る。

日本に帰った時にCDを何枚か買ってきた。
吉田拓郎・カルメンマキ・赤い鳥・ハイファイセット・
河島英五・五輪真弓・ばんばひろふみを聞く。

カルメンマキの「時には母のない子のように」は
心にしみる歌詞だった。寺山修司作詞だった。
河島英五の「酒と泪と男と女」も今の私の気持ちに
合っていた。

私が小学校の頃、父親が友人を呼んで「軍歌」を歌って
いた。私は軍歌が一番嫌いだった。
拓郎などの歌を聴く私と父親が軍歌を歌っていた行為は
次元は違うが同じ青春を思い出す作業だったような気がする。

多くの人とのお付き合いの時間が長く続くと
こうした「自分の空白」の時間が必要である。

読書「ベトナム戦争ー民衆にとっての戦場」
(吉澤南著:吉川弘文館)読了。
1999年作。280ページ。

書いてある内容には大筋賛同。
しかし、解放戦線・「ベトコン」善玉。アメリカ悪玉という
図式的な発想から出発している著作には異論がある。
吉澤氏の善玉の北ベトナム・ベトナム労働党(現共産党)が
権力をもった現在の「ベトナム論」を聞きたかった。
吉澤氏が高く評価していた南ベトナムの民衆や解放戦線の
幹部の多くが1975年の戦争終結後、亡命して行ったのは
何故なのか? 今のベトナムを知る最大の課題にぶつからない
ベトナム戦争民衆史ともいえる。
亡くなった吉澤氏を追悼する。
ベトナム戦争を民衆のレベルで見ようという意気込みには
共感するが、吉澤氏自身が当時ベトナムにいた訳ではない
ので、結局は「文献」に頼るしかない「民衆史」ではある。
アメリカはひどい民衆虐殺をしたが、北ベトナム・解放戦線は
虐殺していないと断言している。
本書の最大の弱点は、北ベトナム・労働党・解放戦線「善玉」、
アメリカ「悪玉」という単純な思いいれを前提に著作している
所である。本書は他者の文献を読んで「ベトナムの民衆」イメージ
を作り上げている。
実際にベトナムに行き、事実を聞き取る、調査するなどの
作業が必要であった。

投稿者 koyama : 19:02 | コメント (0)