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2010年09月30日
成田→シンガポール
9月29日・30日合併版
午前8時半、上野からスカイライナーで成田第1ターミナルへ
今回は3人の孫と嫁さん、次男の7人の旅。
午前11時半、成田を出て、7時間。午後5時半(シンガ時間)
にシンガポールチャンギ空港着。
5時間程シンガポール空港で待ち、ニュージーランドの
オークランド行きの飛行機に乗る。シンガポール→
オークランドは9時間。午前11時半頃、春のオークランド
空港へ到着。気温16度。寒い。私には冬の寒さだ。
オークランドから更に車で3時間。タウランガ市に到着。
今回の訪問の最大の目的は時間家族の孫二人を
REDDYさんに会わせるること。
次男は高校1年・2年と2年間「タウランガ・ボーイズ・カレッジ」
に入学し、REDDYさんの子どもとして通学した。
一番、お世話になった人である。
REDDYさんと私の出会いは、1987年10月。新幹線で
東北に仕事で出かたのだが、偶然となりに乗ったのがREDDYさん
だった。名前の交換など30分ほどし、私は下車。
REDDYさんは北海道まで行った。
年末にクリスマスカードが届き、1998年3月。
私は初めてニュージーランドへ行き、REDDYさんの
家に10日間ほど泊まりNZの生活を堪能した。
REDDYさんの年齢は不詳だが、はっきりしていることは
「第2次世界大戦に参加した」ことである。戦争から65年
がたっている。当時、20歳であっても、今は・・・・・。
それから毎年、夏休み、春休みなどにREDDYさんの
家を訪問した。
REDDYさんは、「グリーンピース」の活動家でもある。
私が滞在して、平和のこと(原子力発電・原子力船などに
反対・自然を守る。ボランティアを行うといったことを
実際に日常生活で行っていた。)
その後、20回近くREDDYさんの家に私の友人や教え子
親戚など連れて行ったが、REDDYさんのボランティアに
→平和に対する姿勢(理屈より日常の行動・実践)に
強い影響を受けた。
REDDYさんの本職はボールルームダンスの先生。
1997年10月に私と新幹線で会った時は、
武道館で行われた「NHK世界アマチュアダンスコンテスト」
のニュージランド代表として訪日していたことが、後で分かった。
そんな縁があり、次男を「自分の子ども」として受けれて
くれた。お子さん2人は、既に自立し、オーストラリアで
生活している。
私の長男も次男もREDDYさんが主宰しニュージーランド
で結婚式を行っている。
今回のREDDYさん訪問は、かなり高齢になったREDDYさんへの
恩返しとお礼の最高のものは、成長した次男の家族を
見せること、そして、同じくREDDYさんの主宰で結婚した
長男家族を見せ、交流することである。
タウランガ市は既に春爛漫。桜が満開だった。
夕方、急いで近くのスーパーに行き夕食の買い物。
REDDYさんも何種類かの夕食の食材を用意してくれていた。
タウランガ市は日本の熱海にあたり。気候温暖、ミカンや
野菜、海産物の宝庫である。
スタインラガー(ビール)を飲みながら懇談。
2010年09月28日
3人の留学生と静大浜松工学部へ:家族でNZへ
午前6時起床。
静岡は朝から雨。
午前8時ホテルで朝食。8時45分、ホテルを出発して
浜松キャンパスの工学部へ行く予定だったが、
3人の留学生が朝8時になっても寝てしまって起きない。
昨日の奨学金面接、36キロの荷物と背中のリュックを持って
東京から静岡までの移動はさずがに疲れたようだ。
静岡駅にて
静岡駅へ行く時間がなくなり、身支度と荷物の整理だけ
して、静岡駅へ。新幹線で20分ほど。
浜松へ到着。
浜松駅には静大の先生とベトナム人留学生の大学院生が
待っていてくれた。
早速、静大のスクールバスで寄宿舎の「国際交流センター」へ。
私の仕事は、静大側へ3人の留学生を送り届けること。
これで一応、私の仕事も終わり、新幹線で東京へ
帰る。
3人の留学生の健康とはやく日本の生活になじむことを
心から祈っている。
今回の3人の留学生を日本へ連れて行き、奨学金面接の
お世話などをしたことは、私の個人的な活動である。
証すではあるが、能力のある高校生に日本語を
教え、日本の大学に入り、勉強し、20年後30年後に
「知日派」のベトナム人として活躍して欲しい。
午後、東京着。急いで自宅へ帰り、ニュージーランド・
シンガポール旅行の荷物整理をする。
この5日間、静大留学生を連れて、日本へ帰国し、
マブチモーター本社、静大本部、JASS静岡の会、
浜松キャンパスと「留学生対応」の荷物であった。
急いでNZ・シンガポール旅行の荷物に切り替えなければ
ならない。必要な小物類などを買い、NZ用のコンセント
などを用意し、午後6時過ぎ、上野で長男家族と合流。
上野駅付近のホテルに投宿。今回は長男は仕事の
関係で欠席。
2010年09月27日
マブチモーター国際育英奨学金面接:静大本部参観:JASS静岡の会歓迎会
東京は朝から雨。
午前8時、3人の留学生とホテルのレストランで朝食。
午前9時、日暮里駅を出て、東松戸の「マブチモーター
本社」へ。
マブチモーターの「AQUA」へ挨拶へ。
マブチモーター本社へ。マブチ国際育英奨学金面接。
マブチモーター本社前にて
一人30分の面接を終える。マブチ国際育英奨学金の
畑先生と。
東松戸から日暮里→東京駅。
新幹線で静岡へ
3人の留学生は奨学金の面接などがあり、相当疲れている。
午後3時過ぎ、静大本部キャンパスで副学長・理学部長先生と
懇談。
静大ボランティア学生の案内で静大本部キャンパスを視察。
午後6時半。JASS静岡の会主催の3人の留学生感慨会。
駅前の中華料理店にて。
初めにJASS静岡の会代表の牧田先生の挨拶
静大農学部の研究生になっているTU君も参加。
留学生の自己紹介。
チャンさん
アンさん
ターオさん
TU君の静大農学部の研究生体験を話す。
内田さんからのTU君へのお土産を渡す。
内田さんのTU君奨学金(2種類)を手渡す。
午後9時過ぎ、閉会。
2010年09月26日
静岡大学留学生成田着。
快晴
午前7時30分、3人の留学生が成田着。
午前7時半。千葉・成田空港気温11時。
36分で上野に着くスカイライナーは1時間待ち。
喫茶店でお茶を飲む。
私の携帯電話を貸し3人の両親に無事日本へついたことを報告。
午前10時、日暮里のホテル到着。
内田さん、原先生がホテルで待っていてくれる。東京見物。
しかしTさんは、病気の回復途中。
Aさんは飛行機の中で耳が痛くなってしまう。
Tさんは、飛行機で相当参ってしまった。
日暮里のホテルに内田さん、原先生が待っていた。
しかし、留学生3人は初めての飛行機体験で
参ってしまう。
内田ん、原先生に事情を説明。
午後5時半頃からの夕食会のお付き合いをお願いした。
3人は初めての日本訪問と深夜のホーチミン市出発
で疲労困憊。
半日、根津の姉の家に3人を連れて行き休息させる。
姉夫妻としばらく懇談。
その後、別室で3人はしばらく眠る。
私は自宅へ帰り、荷物の整理などを行う。
午後4時過ぎ、根津の姉の家へ3人を迎えに行く。
午後5時半。内田んさん、原先生と日暮里の焼き肉屋。
明日の奨学金試験で頑張ってもらいたい。
午後9時、交流会は終わる。唐辛子一杯の焼き肉
で3人の留学生はかなりリラックスしたのではないかと
思っている。
明日の奨学金面接の時間が早いので、午後9時前に
ホテルへかえり就寝。
2010年09月25日
ベトナム事務所員会議:ベトナム事務所「土井先生歓迎会」:ホーチミン市へ
快晴
午前5時目覚める。
読書「つゆのひぬまに」(山本周五郎著:新潮社)読了。
最終9編目が「陽気な客」。1949年作の「現代物」。
午前7時、朝食。ブンボー。
午前8時半、ベトナム事務所員会議
会議の冒頭、バオミン・運営委員長より発言。
(ミン)しばらくベトナム事務所員会議をしていなかった。
夏のスタディーツアーが終了した。皆さん、ご苦労様。
次回は12月25日頃来訪する「JASS静岡の会」の
スタディーツアー。途中にミニスタディーツアーもある。
今日は、夏のスタディーツアーなどで気づいたことなども
話して欲しい。
ベトナム事務所員会議終了後、天安山麓のレストラン
で「夏のスタディーツアーご苦労さん会」を行う。
皆さん、参加して欲しい。
(ソン)地球の歩き方最後のツアーを案内した。
書くレストラン、車などの会社に支払いに行った。
スタディーツアーについては、地球の歩き方の
初日の食事がブンボーなので、翌日は、お米の
食事にした方が良いと思う。
(原田)今週は細かい仕事をした。
「子どもの家」の案内原稿は来週作成する。
新初級クラスは18人。字がうまいのには
驚いた。
JASS函館の会員で北海道教育大の柴山さんが
週2回日本語学校で、週1階高等師範で日本語教育
を手伝ってくれる。
フエ高等師範大日本語学科は、1年生55人、
2年生64人、3年生75人。合計194人。
(富岡)日本料理店・日本語学校中級授業
「子どもの家」入所希望者家庭調査
「子どもの家」など定期健康診断
(フーン)日本語学校初級 特進クラス、
地球の歩き方案内
(古竹) 高等師範大 2年生 週2回。3年生週1回。
特進クラス →土井先生に移行
(フオン)特進・中級 うまくできた。10課から12課テスト
(土井) 高等師範大試験 1時間の授業を半分した。
(ハン) 奨学金のお礼の手紙を出した
子どもの健康診断(今まで「子どもの家」を含め
3箇所だったが、今回から省「子どもの家」が
2つになったの合計4箇所)
「子どもの家」 47人
盲学校 48人
省「子どもの家」65人 合計 160人
(アン) 地球の歩き方の案内
「フェリシモ」の仕事
(ミン) 「子どもの家」入所希望者家庭調査
大学生協・地球の歩き方の来年にツアー打ち合わせ
静岡大留学生ビザ取得等
「フェリシモ」 →うまく行っている
約1時間のベトナム事務所員会議だった。
その後、一昨日、ラオス国境で輸入した「ラオディー」の「ラム酒」
をベトナム事務所員・ブライセンスタッフ全員に1本ずつ進呈した。
ベトナム事務所スタッフ・ブライセンスタッフには、アルコール度
40%なのでくれぐれも飲みすぎないよう9美味しいので)注意。
ブライセン・ブー君。
特に「ラム酒」を飲んでもらいたい人NO1
ベトナム事務所員会議終了後、2ヶ月間のスタディーツアー、
土井先生の就任を祝って「会食会」を行う。
天安山中腹の閑静な庭園風レストラン。
バオミン運営委員長の乾杯の音頭で開会
店員と
庭園で取れた野菜を肉とともに「ライスペーパー」に巻いて
「マムトム」(海老の発酵した塩辛)で食べる
高級豚肉
スッポン料理を注文。
スッポンの生き血が出てきた。全員が飲む。ソン君だけ
「飲めない」と言って拒否。
参加者全員が「ソン君こそ飲まなければいけない」との
「意味不明」は厳しい意見があり、ソン君が挑戦。
ソン君、スッポンの生き血に挑戦
するもあえなく「沈没」。
ゼラチン状になっているスッポンは美味しい
午後1時半、ベトナム事務所へ帰還。
リー君が隣りの精進料理屋の息子と懇談中
その足で宿舎へ。2時間ほど寝る。
午後4時から日本帰国の最後の荷物の整理。
午後6時、宿舎を出て車でフエ空港へ。
午後8時20分、フエ空港発。
午後9時半、ホーチミン市(タン・ソン・ニャット)空港着。
午後10時、静岡大留学生3人とその家族親族と
国際線ロビーで対面。さすがはベトナム。家族親族の
見送りに大勢の人たちがきていた。
いよいよチェックイン。3人とも15キロ以上荷物の重量超過。
空港スタッフは、一人20キロまでと言い張る。
ターオさんは、私(15キロ)のスーツケーツと一緒に
チェックインしたので、超過料金を取られなかった。
アンさん、チャンさんは、スタッフが厳しく超過料金
を請求。アンさん、チャンさんは母親を電話で呼び出し
交渉させるが、やはりだめ。出発の時刻が近付く。
結局、一人70ドルの超過料金を取られて入場。
しばらく待合室で待つ。日本語の先生から手紙を預かる。
3人は手紙を読んで笑ったり泣いたり。超過料金の
「闘争」があり、精神的にかなり緊張していた。
9月26日0時05分。ホーチミン市を発つ。
2010年09月24日
終日帰国諸準備:休息
終日快晴
午前5時目覚め。
読書「ゆつのひぬにま」(山本周五郎著:新潮社)
9編の短編。江戸時代庶民の生活・感情が良く出ている。
短編「つゆのひぬま」。
「おぶんちゃん、どんなにしんじつ想いあう仲でも、
きれいで楽しいのは、ほんの僅かなあいだよ、
露の干ぬまの朝顔、ほんのいっときのことなのよ」
と岡場所の先輩が後輩にお説教をする場面だ。
午前7時朝食。キャッサバ芋の煮込みうどん。
明日、3人の静岡大留学生を連れて日本へ帰国する。
今日は、その準備。
部屋の掃除。雨季の「カビ対策」。
バオミンさんと不在中のいくつかの打ち合わせ。
洗濯。この17年間の体験で洗濯をしたもの(汚れがない)
には、あまりカビがつかないことが体験的に分かっている。
全ての衣類等を洗濯する。かなりの時間がかかる。
毛布、フトンなどを終日「日光」に当てる。
午前11時半昼食。「マカロニスープ」
その後、2時間ほど「午睡」。昨日のラオス行きの疲れが
出た。熟睡。
午後、引き続き荷物の整理。今回は日本へ帰りそのまま3日間
静岡へ。静岡から直行で「ニュージーランド/シンガポール」へ。
12日間は静岡とニュージー・シンガ旅行で過ごす。
自宅に2泊し、バオミンさんとフエ要人4人が来日。
東京3泊。翌日ニエン外務部長が来日。成田へ出迎え。
ニエン外務部長、バオミンさんを含めて4人の要人と一緒に
奈良市へ。「世界歴史都市連盟総会」出席。2013年、
フエ市が世界歴史都市連盟総会主催都市に立候補している。
中国の揚州市も対立候補として立候補。今回の総会で
2013年の開催都市が決まる。フエ市も「プレゼンテーション」
を行う。私とバオミンさんはフエ市人民委員会のスタッフと
してサポートする。
というような日程の3週間日本滞在である。
それぞれの場所に行っても困らないように持ち物の
準備をする。足りないものは、日本にいる間に購入する。
購入リストを作る。
それぞれの場合に必要な持ち物のリストも作る。
たった一つものがなくて「苦労する」経験を海外では
何度もしている。それぞれの場面をシュミレーションし
必要なもの、準備をすべきものなどを考える。
結構時間がかかる。私は「行き当たりばったり」」という
生き方が大嫌いだ。出きる準備はしっかりとしておきたいが
実際には、準備ができきれていないことが多い。
明日の帰国から3週間の日本等滞在中の全ての場面の
シュミレーションをする。
今晩は、日本料理店で食事をしないことにし、原田先生に
連絡。日本料理店に午後5時半から午後9時半まで4時間
いるだけで本当に疲れる。今日だけは勘弁してもらった。
明日は、午前8時半からベトナム事務所員会議。
午前11時に天安山の「粋なレストラン」でベトナム事務所員
全員会食の予定。
一昨日で長い長い夏のスタディーツアーラッシュが無事終わった。
土井先生が赴任した、この二つの「お祝い」をしていない。
明日は、昼食を兼ねてベトナム事務所員全員で食事会。
バオミンさんは「なかなか気が付く人間」である。
こうした食事会をしっかり考えている。ベトナム事務所員も
人間である。2ヶ月間も毎日スタディーツアーの添乗を
続けてきた。バオミンさんは、ベトナム事務所員の皆さんに
「ご苦労さん」という気持ちを持っている。
天安山の「粋なレストラン」の名物は「スッポン料理」。
明日は、嫌だと言ってもベトナム事務所員全員に
スッポン料理を食べてもらい、元気を回復してもらいたい。
午後7時半からフダ缶ビールを飲む。
1週間前のスタディーツアー晩餐会で残った料理を
日本料理店のこどもたちが「お土産」にしてくれた。
冷凍しておいた。牛肉とカボチャ。解凍し「おつまみ」に
する。
フダ缶ビールを飲みながらインターネットのニュースを
読む。
ーーーーーー
9月11日付けの火炎樹日記に厚生労働省の木村局長事件
についてコメントした。
日本の検察は戦前の「特高検察」になった。
無実の木村局長の罪を特高検察が「でっち上げ」
刑務所にぶち込もうとしていた。恐ろしい「特高検察」に
よる人権無視、憲法無視の日本である。当初マスコミも
同調していた。そして、今回の木村局長の捜査・起訴
を担当した特捜部の関係者全員を「でっち上げ事件」の
主犯として逮捕起訴すべき、との趣旨の火炎樹日記を
書いた。
その後、地裁は「無罪判決」。検察は控訴しなかったので
木村局長は無罪が確定した。その後、特捜部長等のとんでもない
違法行為が次々に明るみに出いる。
FDの改ざん。検察内部のチェック機能が全くない。
個人の特捜部長が「あいつは起訴だ」と決めれば
何でも出きる「無法国家」日本である。
北朝鮮を「独裁国家」などと言っているお目出度い日本人。
日本は「特高検察」の独裁国家になろうとしている。
恣意的にだれでも「特高検察」に狙われれば、「立小便」の
一度位はしている。そうした微罪を「ネタ」に特高検察は
誰でも微罪で「国策捜査」を行うのだ。
今回の木村局長事件に関係した検事を全員起訴し、
全員免職処分とし、刑務所にぶち込むべきである。
この連中は、人間の傷みや苦しみをしらない。
今回の木村局長事件で人間の痛みを知らない検事に
傷みを経験してもらう必要がある。
彼らは、国民の代わりに犯罪者を捜査・起訴している
訳ではないことが今回の木村局長事件で明らかに
なった。「自らの立身出世」のためには、無実の人間に
無理に罪を作り、失職させ、刑務所にぶち込むことを
何ら恥としていない連中である。「恥を知れ。特高検事」。
そして、国民の厳しい検察批判の目線を常にもたないと
戦前の特高警察が「特高検事」として復活しつつある
日本である。
ーーーーー
以下、9月11日の火炎樹日記
「郵便不正に絡む偽証明書発行事件で、虚偽有印公文書作成などの
罪に問われた厚生労働省元局長の村木厚子被告に、
大阪地裁が無罪判決を言い渡した。
この事件は、国家権力がその気になれば、でっち上げ事件でも
人間を「死刑」にすることが出きることを物語っている。
あらかじめ検察側は「シナリオ」を作り、その通りに被疑者の
調書を作る。密室で責められ、被疑者は「意に反して」
調書にサインをしてしまう。
今回の裁判では、検察側の調書そのものが、信用性が
ないとして裁判所は証拠として採用していない。
国会議員(民主党の石井議員)の口利きで、村木局長は
部下に指示し、障害者団体ではない「凛の会」に郵便の
特別低価格料金の適用をする指示したと言う容疑。
村木局長は初めから容疑を否認。部下は検察の
強い誘導で「容疑を認める」が、裁判で「村木局長の
指示ではなく自分の判断で行った」と証言している。
恐ろしいことだ。国家権力をもった検察は、恣意的に
誰でも犯人に仕立てることができることを今回の
村木局長事件が教えている。
この事件は第1審で終結すべき事件である。検察は
控訴すべきでない。自らの立証が全て「嘘だ」と裁判所に
断定されているのである。「恥を知れ検察」。
検察の担当者だけではなく、幹部も含めてでたらめ起訴をした
関係者に厳しい処分が必要である。
国民の代わり、検察が犯罪者を追及すると
称しながら、犯罪の事実もない人を犯罪者に仕立てるのは
およそ民主主義国家にはそぐわない、野蛮国家である。
今回の木村局長事件では当初、マスコミもこぞっれ
検察の立場から報道していた。
マスコミが国家権力の手先になっている我が日本ではある。
マスコミが第4の権力と言われて久しい。その通りだと
思っている。日本のマスコミを真っ当には信じていない。
いくら良心的な記者がいても最終的には「上層部」の意向で
記事が大改竄(かいざん)されている例はやまほどある。
木村局長事件を見ていて、国民が国家権力の暴走を阻止する
気構えをもたないと、国策捜査で、知らない間に犯人に
される危険のある我が日本である」
ーーーーーーー
時事通信の報道によれば、
大阪地検特捜部主任検事の前田恒彦容疑者(43)が証拠品のフロッピーディスク(FD)を改ざんしたとされる事件で、最高検が5月に、FDのデータに関し文書で質問したにもかかわらず、当時の特捜部長らが改ざんの可能性について報告していなかったことが24日、検察関係者の話で分かった。
最高検は、特捜部幹部が問題の表面化を避け、情報を部内にとどめようとした可能性もあるとみて、前日に続いて24日も大坪弘道・前特捜部長らを事情聴取した。
村木厚子厚生労働省元局長=無罪確定=の公判で大阪地裁は5月26日、改ざん前のFDに記録された偽証明書の「6月1日」という最終更新日時と、検察側が主張する日時との矛盾を指摘し、供述調書の証拠採用を却下。無罪の公算が大きくなった。
検察関係者によると、最高検はこれを受け、5月末に、日時の矛盾について理解していたのかどうかなどをただす質問書を地検に送った。
質問書は大坪前部長や佐賀元明・前副部長らに配布された。大坪前部長らは、2月にFDの書き換えについて前田容疑者から詳しい報告を受けていたが、回答書にはその内容を記載せずに返送したという。
大坪前部長らは、2月に検事正ら地検上層部に報告する際にも、「改ざんしたといううわさがあるが、問題ない」として、故意の可能性を伝えていなかった。
最高検は週明け以降、報告を受けた小林敬検事正や玉井英章・前次席検事らを事情聴取する方針。
とのこと。
つまり、前田検事がフロッピデイスクを改ざんし、前田検事の
シナリオに木村局長や部下の調書を合わせるようにFDを
改ざんした。その件について、最高検察庁が問い合わせをしている
にも関わらず、「問題なし」との回答をしている。
この時点で「職務怠慢」であり「虚偽申告」である。
大阪地検の部長・福部長ぐるみの「うそつき」組織に
なっていたのだ。
この連中が、人間の「死刑から無期懲役、懲役何年」など
という求刑をすること自体、「おこがましい」。
まず持って、大阪地検部長・副部長を逮捕すべきである。
公務員の職務怠慢、信用失墜行為。
この連中には、人間の命や人生そのものを「奪う職務」
を任せているのである。国民の意にかなわない検事は
免職すべきである。
日本国憲法には以下の条文がある。
第15条 [公務員の選定及び罷免の権、公務員の本質、普通選挙の保障、秘密投票の保障]
① 公務員を選定し、及びこれを罷免(ひめん)することは、国民固有の権利である。
大阪地検の特捜部長・副部長・前田担当検事の罷免を
要求するのは国民の権利なのだ。
戦前の「特高警察」 →「特高検察」復活には、国民の
厳しい視線が必要である。
2010年09月23日
ラオバオ(ラオス・ベトナム国境)へ。
終日快晴
午前5時半目覚め。
読書「つゆのひぬまに」(山本周五郎著:新潮社)
午前7時、バオミンさんと一緒に車でラオス国境の町
ラオバオまで行く。朝食、小さなフランスパン1本。美味しい。
フエから車で3時間半。
午前10時過ぎに「ラオバオ」到着。フエの税関で出国手続き。
今日はラオスで「ラム酒」を作っている「ラオディー」の
與芝君と国境の中間地点で会い、504本のラム酒をもらう
計画。
與芝君に電話。與芝君もラオバオ国境のラオス側に到着し、
私たちと同様にラオス出国の手続きをしているとのこと。
ベトナム税関は、簡単な審査で15分ほどして出国を認め、
ラオス・ベトナムの中間地点の「自由貿易地帯」に入る。
ラオス側は、出国手続きに難儀している。結局、與芝君の
ラオス側税関が出国を認めるまでに2時間半かかる。
ベトナム側国境ゲート
ラオス・ベトナムの国境中間地点の橋の真ん中
ラオス側の国境ゲート
国境中間の自由貿易地帯にはたくさんのトラックが入り、
ラオス・ベトナムの貿易が活発に行われていた。
ベトナム側は貿易に慣れているので、手続きが15分で終わる。
ラオスはこれからの国。手続きに2時間半かかる。
與芝君が税関の気まぐれな指示に振り回される。
與芝君のラオスでの活動に思いを致す。大変だな。
ラオス側の最大の看板は「ラオスビール」。美味しい。
午後12時半過ぎ、ラオス・ベトナム中間地点の「自由貿易地帯」
で500本の「ラム酒」をもらう。
午後12時半過ぎ、ざんざん苦労した與芝君がやっと
出国と税関等の複雑な手続きを終わり、私たちの車の
隣りに到着。504本の「ラム酒」を私たちの車に移しかえる。
延々とした官僚主義的手続きに「うんざり」している與芝君。
私と與芝君とは1年半ほど前に與芝君たちのラム酒をベトナムへ
輸入するとの約束をした。今日、こうして実際にラム酒を手にして
感慨もひとしおである。
與芝君のラム酒作りから輸出・輸入の手続きと大変な
回路を辿りやっと今日の「受け渡し」を迎えた。
與芝君の奮闘と目立たない努力に心から敬服する。
45年前、東京の高校で3年間同じクラスで勉強した(かどうか分から
ないが)仲間とラオス・ベトナム国境で「ラム酒」をもらうとは
夢にも思っていなかった。
二人の間をつないでくれたのは、高校同級生の五井君・北田君
たち「高校クラス会」の常連呼び掛け人である。
これらの人たちにも心から感謝したい。
以下、與芝君のラオスの会社。
美味しいピュアラム酒をご希望の方は、写真の
メールに。
504本のアグリコールラム酒が入っている箱
1時前、ラオス・ベトナム国境の中間点のレストランで
ほんの軽く「ラオスビール」を飲む。
1年半の夢が実現して喜ぶバオミンさんと與芝君。
午後3時前に與芝君と別れ、ベトナム税関で輸入の手続きを
し(5分)、フエへ帰る。午後7時過ぎフエ着。
今日は朝早かったこともあり本当に疲れる。
そのまま宿舎へ帰り、直ぐに寝てしまう。
(と思ったが、やはり、もう一度軽く「ラム酒」を飲まないと
お天道様に申し訳ない)との気持ちになり、軽く
フダビールと「ラム酒」を飲み就寝。)
とにかく1年半の與芝君の張り強い努力に頭が下がる。
午後7時半、與芝君から電話。ラオバオから車で
ラオスの首都ビエンチャンへ帰る途中。
まだ250キロあるという。4~5時間はかかる。
2010年09月22日
今日で夏のスタディーツアーラッシュ終了
快晴 蒸し暑い
午前4時半起床。
読書「つゆのひぬまに」(山本周五郎著:新潮社)
人間のなんでもない日常の心理を巧みに描いている。
午前7時朝食。
今日は、中秋の名月。旧暦8月15日。
ベトナムでは、旧暦の1日と15日には精進料理を
食べる。
朝食は肉類が一切入っていない「精進ブン麺」。
湯葉や油揚げ・・・・。
午前中、私が不在の3週間ほどの間の諸問題について
検討し、バオミンさんと電話で相談。
明日、ラオスとの国境「ラオバオ」へ行く諸準備。
疲れているので休息しながら読書。
午前11時半昼食。
トリースープの「おじや」。
1時間ほど「午睡」。
10月から来年の2月までの書計画を立てる。
2011年2月13日(日)に東京で「現地報告会」
を行うのが日程的には最良と判明。
地球の歩き方スタディーツアーなどの日程を調整。
2011年2月3日の「テト正月」の正月休みなどの
日程を考える。
9月25日、日本帰国の荷物整理。
今日の夕方、地球の歩き方6班の皆さんがフエを出て
ホーチミン市へ。
7月17日から始まった「夏のスタディーツアーラッシュ」が
今日で全てを終了する。大きな事故もなくほっとしている。
7月には、ソン君・メンさん結婚式参加ツアーも行われた。
地球の歩き方、全国大学生協ツアー、青山学院大ツアー・・・・
たくさんの若者はフエへ来てくれた。
午後5時過ぎ、徒歩でベトナム事務所へ。
午後5時半日本料理店のこどもたちと夕食。
古竹先生・原田先生は日本語学校授業。
今夜はこどもたちが気を利かして「晩酌」に冷奴」を出してくれる。
ビールが進む。
午後6時半のフエテレビで昨日の「子どもの家」の中秋祭り
が放映される。日本料理店のこどもたち・日本人スタッフと
みる。
ラオスの高校同級生「與芝彰夫君」から電話。
明日、ラオスの国境「ラオバオ」で会うことになっている。
既に今朝、ビエンチャンを出て、ベトナム国境50キロの
ホテルに泊まっているとのこと。明日、午前11時頃、
ラオスとベトナムの国境で会うことを誓う。
何とか資料が正確で、意地悪な税関でなければ、
会うことが出きるのだが・・・・・・。
「某都立迷門高校」を卒業し、45年。
45年たってもこうした付き合いが出きる同級生がいることに
感謝している。「某都立迷門高校」は、「人生の夢」を
語った先生が多かった。私たちはその教え子である。
いつまでも「人生の夢」を持っていたいものである。
今日は「中秋祭り」。日本料理店の前の通りにはたくさんの
人である。獅子舞団がホテルなどの前で獅子舞を踊る。
30分ほど道路は閉鎖され、通行出来ない。
原田先生・吉竹先生も日本語学校から戻り、日本料理店の
手伝いをする。
カナダ・オランダなどの来客あり。
メニューにある「柳川鍋」とはなにか?を聞かれる。
どじょう、ごぼう とは何か聞かれる。
午後9時前、閉店。帰宅。
午後9時半、リー君からメールがはいる。
ローマ字で「先生 お元気ね。また会いましょう」
と書いてあった。
明日、ラオスに行くと話したのを勘違いし、
明日日本へ帰国すると思ったようだ。
人に気を遣うようになったのは成長の証し、
といいたいところだが、何か「目指すものがあるのか?」。
2010年09月21日
「子どもの家」入所希望者自宅訪問:静大留学生懇談:「子どもの家」中秋祭り:地球の歩き方6班晩餐会
終日快晴。湿度高し。 夕方から夜半にかけて雨。
午前4時半目覚める。
読書「つゆのひぬま」(山本周五郎著:新潮社)
昭和20年の作品もあるが、人間の深層を描いているので
今日読んでも十分読み応えがある。
昭和20年の作品には、しっかりと江戸言葉が残っている。
午前7時朝食。フォー。
午前8時前にベトナム事務所へ。
「子どもの家」入所希望の家庭訪問・調査。
私、バオミンさん、土井先生・富岡先生の4人で家庭へ行く。
フエ省フーロック郡ロックチー村。フエと隣りのダナン市の
境近くの村である。純農村地帯。
家庭構成は、父親が生まれながらの盲人。仕事をしていない。
母親が農業をして家計を保っている。
7人の子どもがいる。
・長女は20歳。ダナン市で美容師の修行中。収入なし。
・次女16歳。ダナンで金持ちの家のメイド。月に2500円ほど
送ってくる。
・3女は15歳 中学3年生。
・4女は14歳、中学2年生。(ダナン赤十字「子どもの家」入所)
・長男は11歳、中学1年生。 (我が「子どもの家」入所希望)
・5女は7歳、小学校2年生(我が「子どもの家」希望)
・6女は5歳。
父親は生得的な全盲で仕事が出来ない。
母親が農業をしお米を作っている。年間900キロのお米が
取れるが、自宅で全て食べてしまう。
お米以外の衣食は、近所の人の寄付で何とか生活している。
次女がメイドをして毎月2500円送金してくれるお金で何とか
最低限の生活をしているが、こどもたちを学校へ行かせる
費用がない。
おおよそ上記の状況だった。
入所希望の二人の兄妹の意見を聞く。入所したいとのこと。
両親に言われているのだろう。親から離れての生活は
不安は伴う。
家庭状況と家庭の経済状況を聞き、「子どもの家」へ入所が
必要と考えた。バオミンさん・「子どもの家」ロック寮長と意見交換。
バオミンさんもロック寮長も私と同意見。入所を決定。
近日中に住民票と転校手続きを行い、「子どもの家」に入所する
ことにした。
ベトナム事務所から片道1時間半。往復3時間の訪問旅行
だった。
午後11時半過ぎ、ベトナム事務所へ。
昼食。「チャオ・バイン・カイン」(小麦粉の手打ちうどん)
食後、読書「つゆのひぬま」(山本周五郎著:新潮社)
直ぐにベトナム事務所へ。
9月25日、私と一緒に訪日し静大へ行く3人の留学生
と最終懇談。一人が病気になり代わりに父親が来る。
1時間半ほど懇談。
午後3時半、「子どもの家」へ。
明日が「中秋の名月」。ベトナムでは「中秋祭り」。
こどもたちのお祝いの日。
「2010年 テト中秋祭り お祝い」の看板
今日はたくさんのお客さんが来ていた。
こどもたちのチュン君も中秋祭りを楽しんでいた。
ターオさんは、3歳から「子どもの家」に入所した「子どもの家」の
最ベテラン。
今日は地球の歩き方6班の皆さんも参加
「子どもの家」の某男子は足にこんな「刺青」をしてしまった。
困ったものだ。
こどもたちへのお祝いのお菓子や果物
フエ高等師範大の「ホーチミン共産青年団」の学生も参加。
フエ医科大学の学生も参加
こどもたちも段々「中秋祭り」に気持ちが没入してきた。
ロック寮長の司会で「中秋祭り」が始まる。
フエテレビ局の取材もあった。
セン運営委員長の開会の挨拶。通訳はハンさん。
続いて、私の「お祝いの言葉」。通訳はバオミンさん。
フエ医科大学生からこどもたちへプレゼント
フエ高等師範大学生からこどもたちへプレゼント
ベトナム事務所の「中秋祭り」恒例の獅子舞。
近所のこどもたちも入って来て、盛大な「中秋祭り」となる。
フエ医科大学生の「お祝いの歌」
フエ医科大学の学生が司会をし、簡単な「コント」をする。
「子どもの家」のこどもたちの出し物
ベトナム事務所員も全員参加
地球の歩き方6班の皆さんからこどもたちへ記念の
寄せ書きと絵が贈られる。・
中秋祭り最後。こどもたちにお菓子や果物を贈呈。
フエ市最大の本屋さんからこどもたちに本とノートが
贈呈される。
フエ医科大学の学生からこどもたちへお祝いの縫いぐるみ
などが贈呈される。
1ヶ月ほど前に入所した二人だが、すっかり「子どもの家」に
慣れていた。中秋祭りを堪能していた。
午後5時半頃、閉幕。
午後6時45分、地球の歩き方6班、最後の晩餐会。
原田先生の司会。
参加者全員がオアザイを着てくる。
リー君とグエットさんによる「メニュー紹介」
地球の歩き方6班の団長さんの音頭で乾杯。
20歳未満の飲酒は厳しく禁止した。
裏方で活躍してくれた原田先生・リー君・グエットさん。
最後に日本料理店スタッフ紹介
日本料理店前で全員の記念写真
午後8時半終了。その後片づけをし、午後9時半に
宿舎へ帰る。
今日は①「子どもの家」入所希望者自宅訪問
②静大留学生懇談 ③「子どもの家」で中秋祭り
④地球の歩き方6班の晩餐会
と4つの大きな仕事があった。朝8時前から
午後9時過ぎまで連続。かなり疲れる。
2010年09月20日
ブライセン関係者来訪
終日快晴。 温度・湿度高し。
午前6時目覚める。
午前7時朝食。「青豆のおかゆ」
午前8時半、ベトナム事務所へ。
今日は地球の歩き方6班が「ナムドン山岳地帯」へ行く日。
ナムドン専門家の「リー君」はやる気満々。朝早くから
ベトナム事務所に来て、支援物資や飲料水などを準備
していた。リー君の良いところは、体を動かして仕事を
良くすることだ。
ブライセン本社に関係する同姓の若者が来訪。
古竹先生と同郷の佐賀県の大学生。
ベトナム事務所会議室でJASSの活動概要、ブライセンベトナム
支社の内容等を説明。
その後、ベトナム事務所3階のブライセンベトナム支社へ。
6人のスタッフとお昼まで交流。仕事の内容などを
視察。
昼食もブライセンベトナム支社員と。
今日は20日。ベトナム事務所の月給日。
スタッフに給料を渡す。
午前11時半、徒歩、宿舎へ帰る。
昼食「マカロニ・スープ」。たくさんの生野菜を入れる。
唐辛子も。
午後12時半、午睡。唐辛子を入れすぎたのか「下痢」。
お腹が痛い。
午後2時半読書「つゆのひぬま」(山本周五郎著:新潮社)
「露の干ぬ間」(つゆのひぬま) →「つかのか」と言ったらよいのか?
ラオスの與芝君から2回ほど電話あり。
バオミンさん(ナムドン山岳地帯へ行っている)と電話で
いくつかの問題を話し合う。
午後6時、ブライセン関係者のK君とブライセンベトナム支社員
(6人)、私、バオミンさんで懇談夕食会を行う。
ブライセンベトナム支社員は、JASS日本料理店には
始めてきた。しかし、日本料理店を知っていて、「刺身」
などを注文した。
鉄火丼
9月23日は日本流に言えば「中秋の名月」。
ベトナムでは、「子どもの日」。
こどもたちが町内会ごとに獅子舞団を結成し、市内の
大きなレストランなどで獅子舞を「一定程度のお金」をもらう。
日本料理店に大きな団がやって来た。それに連れて、たくさん
のベトナム人が見物にやってきた。
日本料理店の店内に入り、お清めの獅子舞をする。
日本料理店の入り口は多数のベトナム人でごった返していた。
トラックに町内の若者数十人が乗り、市内に繰り出す。
午後9時半、閉店。今日の来客17人。
2010年09月19日
いくつかの仕事:買い物:帰国準備
朝から夕方まで快晴(フトンとシーツを干す)
夕方から曇り小雨。
午前4時目覚める。
読書「五瓣の椿」(山本周五郎著:新潮社)
読み始めると「藤沢周平」とトーンが似ているのに気づく。
「庶民」の人情と人生。
午前7時まで読書。その後、睡眠。
午前10時起床。
バオミンさんに電話。ラオスの「ラム酒」輸入の件その他で
打ち合わせ。
快晴。フトンと洗濯をしたシーツを干す。太陽で滅菌。
数日前の「チャオ・バイン・カイン」の残りを冷凍しておいた。
解凍し朝食とする。
何人かの日本の支援者にメール送信。
近くのスーパーに買い物に行く。ベトナム事務所のハンさんと
会う。
午後12時過ぎ、午睡。
7月16日にフエへ戻り昨日まで「連続闘争」。さすがに
体が持たない。どこでも「寝て」しまう。
今は、時間があれば「寝る」「体を休める」ことが私の闘いの
主要な課題だ。私は何にも趣味がない。強いて言えば、
お酒だけ。とにかく時間があれば、「横になり寝る」ことを
当面の最大の課題にしている。
明日(9月20日)から1週間、一日中、大事な仕事が
「目白押し」。25日(土)には、3人の静大留学生を連れて
日本へ帰国する。
午後2時読書。「五瓣の椿」(山本周五郎著:新潮社)
山本周五郎は人間と人間の気持ちをよく観察している。
同時に本を何故書くのか? 自分の言いたいことを
ただ書き連ねるのが本なのか?
周五郎の本は、読者を意識し、読者へのサービスを
きちんと組み込んでいる。「謎」を中心に「次はどうなるのだろう」
と読者を誘う。こうした手法を純文学は嫌うようだが、私は
大好きだ。松本清張、吉川英治、山岡荘八などは大好きだ。
これは個人の好み。
午後3時から1時間ほど停電。
この3日間、毎日1時間ほどの事前予告なしの停電が続く。
とにかく「突然」の停電は困る。「人民に奉仕するベトナム
社会主義国」が人民が一番困る突然の停電を平然と
行うことに違和感を感ずる。人民に奉仕する国ではなく、
『人民が共産党に奉仕する国』と批判され、どう反論するのか?
反論はできない。こうしたことに違和感を感じない官僚主義は
井上ひさしが「1週間」で描写した「労働者と農民の祖国」
ソ連の実態だった。
午後6時。1合のご飯を炊く。
フダ缶ビールを飲む。
レトルトのカレーで夕食。
何人からメール受信・返信。
読書「五瓣の椿」(山本周五郎著:新潮社)読了。
肩の凝らない娯楽小説という人もいるが、庶民の
日常生活にある「悪」と「善」。「正」と「不正」を
冷厳な目で見つめ、悪と不正を追求する。
「悪と不正」は私たち庶民の日常に渦巻いている
だけでなく、権力者そのものが、悪と不正にまみれている
わが国ではある。
2010年09月18日
地球の歩き方第6班講演会:大極さんたちと昼食・茶園で休息
午前中晴れ、午後曇り、夜雨
午前4時半目覚める。
読書「1週間」(井上ひさし著:新潮社)読了。
内容の濃い本。
井上ひさしが2000年から2006年まで「小説新潮」に
書いたものをまとめたもの。当初は、井上ひさしが、
改定し発行する予定だったが亡くなったため、改定せずに
発行したもの。
以下、読後感。
井上ひさしが、本書で一番何を訴えたかったのを考えた。
もちろん、ソ連のスターリン主義的なファシズムに近い体制
に対する告発。同時にソ連が日本の関東軍の軍隊組織を
そのまま温存し、シベリヤ開発のために利用したことへの
告発が、本書の文面上の主内容である。
しかし、井上ひさしはそうしたソ連スターリン主義、日本軍国主義
を告発しながら、本当に言いたかったことは、以下の2点と見た。
①スターリン主義の根源はレーニン主義だったということ。
レーニンそのものが、人権無視、人命軽視、労働者・農民の
国家とはおよそ縁遠い官僚ファシズム国家を作った元凶だということ。
②そのレーニン・スターリンに追随し、コミンテルンの各国支部
として活動した各国の共産党の過去の過ちと現在に続く、
人権無視・民主主義無視の体制に対する「無言」の告発
本書を理解するためには、ソ連共産党史、マルクスレーニン主義
の基礎、日本共産党の歴史などの基礎知識が必要である。
本書を読んで推測ではあるが、妻ユリからロシア語などの
教示を受け、ユリの姉である故「米原万理」からソ連、ロシア
ロシア語、ソ連・東欧社会、ソ連の少数民族問題などについて
の教唆と学問的基礎知識を享受したことが文章の行間から
垣間見える感あり。
本書を流れる底流には、社会の底辺の人間、貧しい人、
弱い立場のひとたちへの思いいれが強く読み取れる。
井上ひさしが、我が「子どもの家」と同様の親のいない
こどもたちを養育する「養護施設」で育てられ、
高校も養護施設から通学したという経歴、も影響を与えている
ものと思われる。
午前7時朝食。ブンボー
午前8時、ベトナム事務所へ。ベトナム事務所では、
皆さんが和気藹々と仕事をしていた。
午前8時15分。地球の歩き方第6班(13人)がベトナム事務所。
バオミンさんの司会でベトナム事務所員紹介。
原田先生・土井先生
古竹先生・ハン財政部長
富岡先生・フオン先生・フーン先生
新婚・体力と気力が充実しているソン君。
「子どもの家」案内、「フェリシモ」担当で大活躍しているアンさん
原田先生の「フエでの生活上の諸注意」があり、
地球の歩き方スタディーツアーは「子どもの家」へ。
「子どもの家」では、ソン君が各施設を案内。
土井先生がソン君の「子どもの家」施設案内を聞く。
原田先生が「ソン君の施設案内」を聞きながら
ベトナム事務所としての「統一的な施設案内要綱」を
作製する。
「子どもの家」では、土曜日が休日となった小学生が寮母さんの
指導で自習。
午前9時半から10時45分まで講演会
午前10時50分から「子どもの家」のこどもたちの歓迎会
セン運営委員長の歓迎の挨拶。ソン君の司会。
地球の歩き方側のお礼の歌(森の熊さん)
交流会終了後、電動バイクでベトナム事務所へ。
午前11時半、大極さんたち、原田先生・土井先生・富岡先生
と「チャオ・バイン・カイン(小麦粉とキャッサバ芋の手打ちうどん)
美味しい、「待つ店本店」へ。一人3杯。
午後1時過ぎ、チャオバインカイを終わり、フエ郊外の
天安山中腹の「中国茶の庭園」へ。
ウーロン茶・鉄観音茶などを楽しむ。午後4時まで休息。
午後5時、バオミンさんと大極さん一行はフエ空港へ。
私は午後5時半、日本料理店へ。こどもたちと夕食。
午後9時まで開店。日本人、欧米系の来客あり。
2010年09月17日
大極さん一行、ベトナム事務所員治療:渡辺和代さんベトナム事務所訪問
終日、うす曇。湿度高し。
午前4時半起床。
読書「一週間」(井上やすし著:新潮社)
ソ連最大の秘密=レーニンの出自の秘密を知った
主人公。
ソ連社会主義・ソ連の不当・不法な関東軍60万人の捕虜と
強制労働。そもそも社会主義の理想と実態の乖離。
戦時中、日本で共産党に入党し日本軍国主義の侵略戦争
反対、天皇制打倒、労働者農民の国への民主主義革命と
引き続く社会主義革命という夢をめざし実践した当時の
インテリ日本人。
20世紀の大きな問題であった「社会主義」と日本軍国主義
の実態をリアルに描いている。
午前7時朝食。フォー。
午前8時30半、ソン君とパソコン業者がパソコンを直しに
来てくれる。
午前9時、ベトナム事務所へ。
JASSの里親担当を17年間続けてくれている渡辺和代さんが
ベトナム事務所へ。里親会費の残金を財政部長のハンさんに
手交。
17年間も里親への連絡、お金の受付、ベトナム事務所への
送金と、JASS活動の根幹に関わる仕事をしてくれている。
感謝の一言。
ベトナム事務所会議室では、大極さん・出口さんが
ベトナム事務所員の治療をしてくれていた。
肩こり、パソコンによる「けんしょう炎」の治療・・・・。
原田先生。相当、ストレスが溜まっている。足に針治療。
バオミンさん。首が痛くて回らない。精神的なストレスか?
文字通り、金欠病か?
富岡先生も針治療
頭と肩に数本の針を打たれる。
ベトナム事務所の女性スタッフも全員、治療を受ける。
それぞれに疲れとストレスを持って仕事をしている。
午前11時半、昼食。
午後12時半、午睡。
午後2時、読書「1週間」。ほぼクライマックスへ。
午後3時。ベトナム事務所で静大工学部留学生3人の
親を呼んでの実務的な説明会。
ホーチミンから日本へ行く日程。東京見物。
マブチモーター奨学金面接。
静岡大見学。JASS静岡の会との懇談。
静岡大工学部(浜松)までの案内の日程。持ち物、諸注意
などを行う。
親からいくつかの質問あり。
留学生からも質問あり。
午後5時まで、私、バオミンさん、原田先生で説明を行う。
9月25日(土)午後9時、ホーチミン空港国際線で落ち合う
ことを確約する。
3人の留学生が静大工学部で学び、ベトナムで学びの成果を
発揮して欲しい、
午後5時半、日本料理店で夕食。古竹先生・原田先生は
日本語学校の授業。
欧米系・日本人の来客あり。
午後9時閉店。
徒歩で宿舎へ帰る。
2010年09月16日
大極さんたちと「スアン・フー診療所」へ:夜、夕食懇談会
終日曇り 太陽が出なかった。
午前5時、目覚める。
読書「1週間」(井上ひさし:新潮社)
午前7時朝食。青豆の「おかゆ」と甘辛煮の魚
午前8時過ぎ、大極さんたち2人の泊まっているホテルへ。
ハンさんと一緒に4人でフエ市内郊外の「スアン・フー診療所」へ。
JASSが主催している「障害児父母の会」へ。
大極さん・出口さんが「子どもの針」治療を行う。
午前10時半、終了。
宿谷へ戻り、メールの受信・送信。
午前11時半昼食。「マカロニスープ」。唐辛子・レモンを入れる。
午後12時過ぎから1時間ほど「午睡」。
太陽が出ないので今日は寒いくらいだ。
体がだるい。
午後2時から読書「1週間」。
午後3時。静大留学生3人の父母説明会を明日行う。
その資料を作る。
静大関係者とメールでいくつかの件を打ち合わせ。
午後6時、日本料理店で大極さん一行とベトナム事務所員との
懇談夕食会。
午後9時閉店。
今日の来客13人。
2010年09月15日
鍵探し:マブチ奨学金等JASS関連の諸問題を処理
晴れ時々曇り
午前6時、虹が出ていた。
午前7時、朝食。ブンボー。
昨夜、リー君「失恋激励会」終了後、10時頃、宿舎に帰る。
入り口の鍵を開けようとして鍵が開かず、強く鍵を開けようと
したらキーが、落ちる。そのままキーが「下水」の中に入って
しまった。下水道には、5センチ×2センチ程度の小さな
穴が開いていて、そこから1.5メートルほどの深さの下水に
私の宿舎の入り口のキーが落ちてしまい、取れない。
夜は更けてくる。
仕方がないので、新婚で申し訳なかったが、
私の宿舎のスペヤキーを知っているソン君に電話をし、
持って来てもらう。お取り込み中、私用で呼んでしまい
申し訳なかった。感謝。お陰さまで宿舎に入ることが出き、
安眠。
ということで今朝は、なんとしても宿舎入り口と日本料理店、
ベトナム事務所などの鍵がついたキーホルダーを下水から
取り出さなければならない。ソン君に頼み業者を呼ぶ。
業者といっても「エヤコン業者」。この辺がベトナムの不思議な
所。大きなハンマーとヤットコを持って来て、コンクリートで
固められた1メートル四方の下水道のふたを取り除く。
3センチほど泥濘が体積。
その中を手探りで探してくれた。「あった」。
エヤコン業者さんに感謝。また、下水道工事を世話してくれた
ソン君にも感謝したい。
ということで、午前中3時間ほど使って昨夜下水道に落とした
鍵「探索」作業(見物)を終える。
午前11時半、昼食。
チャオ・バイン・カイン(小麦粉の手打ちうどん)
午後12時半から30分ほど「午睡」。
日本より電話あり。
洗濯。いよいよ雨季の秋になった。本格的な
雨季に入る前に部屋にある衣類を全て洗濯しなければ
ならない。今日は第1弾。
夏物の洗濯をする。スニーカーの洗濯。
読書「1週間」(井上ひさし著:新潮社)
主人公「小松」は、ソ連赤軍政治部により「捕虜収容所」から
連れ出され、「日本新聞社」に連れて行かれ、配属される。
そこには東京の新宿中村屋パン工場でパンを作りながら
共産党の地下組活動をし、地下共産党の「赤旗」(せっき)
の配布責任者をしていた主人公小松との連絡係りをしていた
酒井と出会う。酒井も地下に潜って共産党の活動をし、
M(松村:スパイMで有名)の指示で上海へ渡り、コミンテルン
極東局から5万円の活動資金をもらってくるよう指示され
上海に行くなどの話があり、二人とも警察に捕まり、激しい拷問
にあい「転向」。
主人公の小松は、60万人・2000箇所の捕虜収容所にいる
関東軍等兵士の「共産主義化」洗脳新聞である「日本新聞」で
仕事をすることを命じられる。
最初の仕事が、収容所を脱走し、3000キロを走破した関東軍
軍医のインタビューを取り、「日本新聞」に掲載し、脱走がいかに
大変かを日本人捕虜に教育する記事を書くよう指示される。
入江軍医と会い、逆に意気投合する。
午後5時半、日本料理店で夕食。
古竹先生・原田先生は日本語学校。
午後9時過ぎまで11人の来客。
回りのレストランは8時過ぎには閉店していた。
徒歩、宿舎へ。
2010年09月14日
大極さんベトナム事務所 →「子どもの家」 →フーハウ診療所で治療
曇り →小雨
午前5時起床。
読書「1週間」(井上ひさし著:新潮社)
先日亡くなった井上ひさしの最後の出版本。
シベリヤ抑留に関する話。
2010年6月30日初版。
どうしても読みたくて、大極さんに依頼し買ってきてもらう。
午前7時、朝食。「キャッサバ芋の手打ちうどん」
唐辛子を多めに入れる。後で胃が痛くなり、おなかを壊す。
唐辛子の「怖い威力」を改めて知る。
午前7時45分、徒歩でベトナム事務所へ。
午前8時、大極さん一行(2人)がベトナム事務所へ挨拶。
大極さんは、大学の同級生。現在鍼灸院の院長。
子どもの針の会の代表もしている。
ベトナム事務所員に挨拶
ベトナム事務所員の自己紹介
新任の土井先生
古竹先生
フオン先生と富岡先生
患者さんからの支援金贈呈。財政部長のハンさんが
受け取り、領収書を渡すことにする。
その後、バオミンさんと10月9日からフエ市人民委員会代表団と
訪日する日程の調整をする。ホテルの予約。
訪日日程は10月9日成田 →奈良市で行われる
「世界歴史都市連盟総会」に出席。
2012年の「総会」主催都市としてフエ市は立候補している。
10月13日・14日の奈良市での「世界歴史都市連盟総会」
で中国の揚州市とフエ市の立候補都市のどちらかに決まる。
フエ市人民委員会として立候補の「プレゼンテーション」を
行う。私とバオミンさんはフエ市人民委員会代表団の一員として
参加。
ピースインツアーの担当者とSKYPEでいくつかの件について
話し合う。
「子どもの家」入所希望者2名の申請あり。
自宅訪問の日程を調整する。
JASS日本代表委員長の福田もえ子さんにメール送信。
フエ市人民委員会訪日代表団受け入れの件。
午前11時半昼食。
魚の煮物、サラダと牛肉、野菜スープ。
午後12時半、1時間ほど「午睡」
朝からどんよりとした曇り。
読書「1週間」(井上ひさし著:新潮社)
シベリヤに国際法にも違反して「抑留」された関東軍の捕虜
60万人。ソ連は国際法に違反し、シベリヤの捕虜収容所に
関東軍の軍隊組織そのものを持ち込む。将官・佐官などは、
仕事もぜず、抑留者に配られる食料をピンはねし、血色も
良い。兵卒は、-40度という極寒の中での強制労働で
死んでゆく。そんな描写が具体的に続く。
主人公は、東京外大から京都大を出て、地下の共産党に
入り活動し、検挙。刑務所暮らしで「転向」。満州に渡り、
満映の移動映画隊で『満蒙開拓団』などで満州の奥地に
散った日本人に「李香蘭」などの映画を持ち歩き見せる
仕事をしているうちに敗戦。シベリヤに捕虜抑留となる。
ポツダム宣言では、捕虜は、本国に送還し、市民としての
生活をさせるという趣旨の文言があるが、ソ連は無視。
60万人の軍人などを極寒の地シベリヤで強制労働させる。
以上が本書の冒頭の部分。これから話はどう展開していく
のか?
病気で入院していた新婚メンさんが今日退院した。一安心。
ラオスの高校同級生にメール。
バオミンさんといくつかの問題で話し合い。
原田先生と静大留学生への奨学金「マブチモーター奨学金」
の申請書の書類の件で打ち合わせ。
午後5時半、徒歩、日本料理店へ。
こどもたちと夕食。富岡先生は日本語学校。
日本料理店副店長・調理主任のトゥオイさんの妹の
クアーさんが日本料理店に遊びに来た。
現在高校2年生とのこと。10年ほど前に「子どもの家」に
入所。1999年のフエ大洪水で父親が死亡。妹の
クアーさんが最初に「子どもの家」に入所。続いて
姉のトゥオイさんも入所した。
午後9時までに9人の来客あり。外は小雨。
日本料理店以外の回りのレストランは閉店かお客がゼロ。
午後9時閉店。
日本料理店の「虎さん」の恋愛がほぼ収束に向かっている。
昨夜、デートをしてリー君がビールを飲んだが、彼女が
あまりのみ過ぎないようにと注意したそうだ。
リー君はその言葉が気に入らなくて、喧嘩状態となり、
彼女は実家(ナムドン山岳地帯)に帰ってしまったそうだ。
先日は、リー君の友達を数人連れ、彼女も誘い、
カラオケに行ったそうだが、彼女が「他の男に親切にした」
ということで、リー君が怒ってしまったこともあった。
そんなこんなで、現在、彼女はフエから車で2時間ほどの
ナムドン山岳地帯に帰ってしまった。
私たちから見ると客観的には『終焉」と思えるのだが、
リー君は「大丈夫・大丈夫」と言っている。何ら根拠がない
「大丈夫・大丈夫」である。
日本料理店終了後、リー君の何度目かの恋愛終了記念
激励会を行う。
リー君は「女性の気持ちを知らない」と私は批判したが、
そういう私も未だに「不可解な女性の気持ち」を理解できないことが
多々ある。リー君を批判する立場にはない。
リー君が今回の恋愛から何かを「学んで」欲しい。
本人は至って元気。「彼女は俺のことが好きだ」とベトナム人
特有の自信満々のところがある。
今後の学習と新たな取り組みを期待する。
民主党の党首選挙。菅が勝った。今後何が変わるのか?
戦略のない自民党路線踏襲の偽市民運動活動家の
行く末を熟視したい。
2010年09月13日
臨時ベトナム事務所員会議:渡辺さん・大極さん出迎え
終日曇り。蒸し暑い。時々肌寒い。完全に「秋の雨季」
午前6時起床。
午前7時朝食。フォー。
午前8時前、徒歩でベトナム事務所へ。
バオミンさん・ハンさんと打ち合わせ。
その後、バオミンさんといくつかの問題で打ち合わせ。
午前8時半、臨時ベトナム事務所員会議
この間、土曜日にスタディーツアーなどの日程が入り、
定例土曜日のベトナム事務所員会議ができなかった。
(ソン)地球の歩き方スタディーツアーの案内
青山学院大学研修の案内
妻が病気になり入院。看病のため数日、仕事ができず。
(原田)マブチー国際育英奨学金の申請書のチェック。郵送
青山学院大学研修の案内
(富岡) 日本料理店の手伝い
日本語学校中級クラスの授業。
(分かり易く教えることは難しかった)
(フーン) 特進クラスは終わった。
月曜日 静岡大学説明会
火・水 地球の歩き方案内
木・金 9月19日初級クラス開講準備
初級クラス20人入学予定
(土井)フエに着任して1週間経った。不安だったが、少しずつ
慣れてきた。
今週から日本語学校・高校師範の授業を始める。
今後も宜しくお願いします。
(古竹) 日本語学校授業の準備
(フオン) 木・土 中級クラス授業 12課文法
(ハン) フエ高等師範大奨学金資料作り
500人企画の奨学金の領収書作り。
奨学金贈呈者へのお礼の手紙
(アン) スタディーツアー案内
「フェリシモ」の仕事
(ミン) 青山学院大学研修 ランコービーチ ダナンへ
今後、ベトナム事務所員全員が「子どもの家」の
施設案内が出きるように原稿を作る。
原田先生が原案を作り、小山が最終仕上げをする。
ベトナム事務所員全員がその文章をよく読んで、
全員が「子どもの家」の施設案内が出きるようにする。
バオミンさん・小山・ソン君と話し合い
午前11時半昼食。
春雨麺
午後12時半からベッドで休息・
読書「よろずや平四郎活人剣((下)」(藤沢周平著:新潮社)
30分ほど「午睡」。
たくさんのメール受信。返信。かなりの時間がかかる。
バオミンさんと電話でいくつか打ち合わせ。
午後6時半、フォンザンホテルへ。ホテルからバオミンさんと
車に乗り、大極さんの出迎え。
午後7時40分、渡辺和代さんと大極安子さんたち3人が
フエ空港が出てくる。
その後、大極さんたちと「フォー(米麺)』専門店でフォーの
夕食を摂る。
午後9時前、日本料理店へ立ち寄り、大極さん用の
ジューサーを取りに行く。
リー君はしっかり仕事をしていた。
今日は16人の来客があったとのこと。
既に隣りの精進料理屋は来客がなく閉店している。
午後9時過ぎ、フォンザンホテルへ。
チェックイン手続き。
その後、宿舎へ帰る。
明日、午後2時からの民主党代表選挙の行方を注視している。
ほとんど全てのマスコミは「菅優位」を報道している。
はたして結果は?
「よろずや平四郎活人剣((下)」(藤沢周平著:新潮社)読了
2010年09月12日
終日寝ている
終日曇り。夕方、雨。
蒸し暑い。雨が降った後は、寒く感ずる。
夕方降った雨は夜中まで続く。途中雷雨となる。
午前4時起床。
読書「よろずや平四郎活人剣(上)」(藤沢周平著)読了。
午前6時、再度就寝。
午前9時起床。昨夜日本料理店で夕食を摂らなかった。
古竹先生が、パックに「ご飯と隠元炒め」を入れてくれた。
午前9時半、レンジで温め、簡単な朝食とする。
朝食を摂らないと心臓の薬が飲めない。
部屋の掃除。片付け。メールの送受信。
●昨日の9月11日(土)浦安市で「10月2日(土)・3日(日)
に日比谷公園で行われる「日比谷グローバルフェスタ」の
打ち合わせ会が行われた。
JASSは2001年から始まったグローバルフェスタに
第1回から参加している。第1回フェスタの「2001プロジェクト
オブ ザ イヤー」大賞をJASSが受賞している。
10年連続の参加。毎回、諸準備から当日の販売・説明などを
行っている東京の会、火炎樹の会、元日本語教師・ベトナム事務所員
関東周辺の支援者の皆さんにお礼を申し上げたい。
昨日の打ち合わせには、福田もえ子JASS日本委員長、
松下安希子JASS東京代表など11人が参加。
昨年まで日本語教師をしていた石上先生も参加。
フエでの仕事が終わった後もJASS活動に参加して頂き嬉しい。
◆日比谷グローバルフェスタ要綱◆
・日時 :10月2日(土)・3日(日)
・JASSスタッフ集合:2日(土):9:00
3日(日):9:30
テント:●展示(1張)
・ベトナム雑貨(刺繍)・コーヒーの販売
・パネル展示
・「アオザイを着て写真を撮ろう」
・フエの風景(昨年使用したものが残っていれば)
・ソン君・メンちゃん結婚式顔抜き
・リーフレット類
●料理(0.5張)
・バイン・ミー
・コーヒー
「日比谷グローバルフェスタ」の手伝いをして頂ける方は
以下へ連絡を。
JASS日本事務所 TEL 047-700-7650
jass@pd5.so-net.ne.jp
午後12時半。
缶ビール2本と昨夜の日本料理店で残った『スルメ』のおつまみ。
午後1時半から午後3時半まで熟睡。
午後3時半目覚める。
読書「よろずや平四郎活人剣((下)」(藤沢周平著:新潮社)を
読み始める。藤沢周平を読んでいると「短い言葉」で情景が
直ぐに浮かんでくる。人間の顔の描写がリアルであり、
顔の描写を通して、人間の性格まで分かってしまう。
光に対して非常に敏感な描写が随所に見える。
用心棒物も「よろずや」(よろず相談)物も庶民の住む
長屋が舞台。長屋に住む庶民の生活・生き方が生き生きと
表現され、現在の私たち一般庶民の生活と変わらないことが
分かる。庶民の日常生活とあわせて老中水野忠邦」の
『天保の改革』という大きな国政をバックに描いている。
天保の改革の性急さ、過酷さ、緊縮政策を庶民の
言動から批判的にみている。
夕方、雨になる。
30分ほど「バスタブ」にはいる。ぬるいお湯につかる。
多少は疲労回復に繋がるか? とれともその後の
ビールを美味しく飲むためのバスタブか?
詳細不明。
午後7時、火炎樹日記を書きながらフダビールと
日本料理店で残ったおかず(コロッケ等)を冷凍した
ものを解凍し、おつまみにして、ゆっくりと冷えた
フダビールを堪能する。
今日は1本も電話がない。メールの数通のみ。
休息日としては最適な1日。好きな娯楽の本を
好きなだけ読めた1日だった。
フエに戻って2ヶ月。初めて余裕のある1日だった。
ラジオJAPANを終日聞いていた。
日本の多少細かい状況が分かった。
午後7時半、東京の大塚さんから電話。
お兄さんの病気の具合などを聞く。
午後8時、昨日の残りの「チャオ・バイン・カイン」を
温めて食す。日本の支援者から「食事をしなければ駄目」
との助言を頂いている。
ーーーー
今日投票の沖縄名護市議会議員選挙を注目していた。
午後9時過ぎ段階で名護市議選をインターネット
で報道している新聞は「東京新聞」のみ。
朝日・読売・毎日・産経・赤旗(9月11日のまま)・社民党
のHPを見たが、東京新聞以外は名護市議選の意義も
含めて経過など一切報道していない。結果(0時頃判明?)
のみ報道する気なのだろう。
今回の民主党の小沢・菅の総裁選の底流には、
対米政策がある。菅は明らかに自民党とおなじ道(対米追随)
を歩んでいる。小沢は対米「自立路線」に傾斜している。
日本の政局の最大の争点の一つである対米関係の問題は
対中国問題とも連動する。
名護市議選挙は、
政府が米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設先とする
名護市が、移転反対となるのか受け入れとなるのかが
最大の争点となっている。
現在、反対派の市議12人、賛成は12人、中立3人。
今日の市議選の結果がどうなるのか? 市長は反対派。
市議選の結果、反対派が多数を占めるということは、
民主党政府の対米「約束」が地元では否定されることに
なる。
今後の日米関係に重大な影響を与える名護市議選の経過を
WEBで報道しない大手新聞にあきれる。
==========
9月13日(月)午前1時半になって名護市議選の結果が出た。
(各紙のHP)
定数27。 基地移転反対派16人。賛成派11人。
普天間飛行場の名護市への移設反対派が、名護市議会の
過半数を制した。移設反対派の市長が当選し、市議会構成も
移設反対派が過半数を制し、地元市民の意思がはっきりと
示された。
菅が主張している普天間飛行場の名護市移転案について、
名護市民のはっきりとした反対の強い意思が示された。
小沢は、「米軍海兵隊は沖縄にはいる必要性はない」と
主張、アメリカとの摩擦を生んでいる。
先日の米クリントン国務長官の発言で、アメリカが協力し
同盟する国はとして、そのトップに韓国、続いて日本と
発言している。通常は、日本、そして韓国としていた。
これも今度の民主党総裁選挙へのアメリカ側の意思表明
(小沢に対する牽制)でもある。
今後の日米関係をどう構築していくのか?
菅のように自民党の路線を踏襲し、アメリカ従属を引き続き
進めるのか? 小沢のように新たな日米関係・日中関係を
作る方法へ行くのか?(小沢の対米「自立路線」は同時に
『普通の国路線』であり、ある種の危険を伴っている
ことも明らかだが、戦後65年、アメリカの従属国、日本の
主権を侵されているままの状態を改め、新たな日米・日中
関係をも模索するのか・・・・・。
9月14日の民主党の総裁選挙も注目に値する。
投票率72・07%。
明治維新も鹿児島・山口など当時の江戸・京都を中心に
考えれば、「端の方」から始まった。
今の日本の閉塞状態は、沖縄から日本が変わっていくのでは
と思える状況である。
2010年09月11日
頭痛・倦怠感=終日寝ている
午前中曇り、午後晴れ。夕方雨。
1日で気温の差が非常に大きい。体が付いてゆけない。
ベトナム事務所でも頭痛・倦怠感を訴えるスタッフがいる。
午前4時目覚める。読書「凶刃 用心棒日月抄」を読了
午前7時朝食。ブンボー。
午前中、奨学金を支給してくれている10人の方々に
個別にお礼の手紙を書く。
頭痛と倦怠、疲労で体を動かす気力なし。ベッドで体を
休める。昨日、今日、明日と3日間、訪問者がいない。
約2ヶ月ぶりの休息。
読書「よろずや平四郎活人剣(上)」(藤沢周平著)
メールの受信・送信。メールを開くのも嫌になる気分。
午前11時半、昼食。
食事をしっかり摂り、10月までのスタディーツアーに
向かっていかなければならない。そのためには
体力が必要。
アヒルの肉と出汁のベトナム風おじや。
午後12時半から2時間「午睡」。
気候の変化が激しく体調がついてゆけない。
午後3時。
引き続き読書「よろずや平四郎活人剣(上)」(藤沢周平著)
通販「「フェリシモ」から電話。「子どもの家」刺繍みやげ物店で
作製している切手つきのポーチが、5000近くの
予約があったとのこと。嬉しい限りである。
午後5時。日本の支援者からSKYPEあり。1時間ちょっと
話をする。
午後6時半、雨の中、傘を差して日本料理店へ。
今夜の夕食
日本人5人で雑談。(古竹先生は厨房で調理中)
昼間ベトナム事務所で仕事や
日本語学校での教育。夜は日本料理店の手伝いと
忙しい毎日である。体調管理が心配。
近日中に「輪番表」を作り、代わりばんこに日本料理店
の手伝いをするようにしたい。原田先生と話し合う。
私は「オーナー」なので毎日、日本料理店に『出勤』。
現在は完全に「OFF シーズン」。隣りの精進料理屋も
前のベトナム料理レストランもお客は「ゼロ」。
わが日本料理店だけが14人の来客あり。
厨房は調理に忙しい。日本人の先生たちが手伝って
くれる。有難い。
こどもたちも注文を手早く調理している。
14人の来客の大半はフランスなど欧米系。
お寿司の注文が一番多い。
最近は「真面目に」仕事をしているリー君。
欧米系で注文の第2位は「天ぷら」。
「太巻き」も多く出ている。古竹先生・富岡先生の手先も
随分器用に動くようになった。立派な『太巻き』ができている。
日本料理店閉店午後9時半。
徒歩で宿舎へ帰る。
火炎樹日記を書きながら「ラオディー」のラム酒を飲む。
香りといい味といい「申し分ない」。
飲みすぎると翌日、前日の記憶が「全てDELETE」されてしまう
危険がある。正確には「あまりに美味しいのでつい飲む過ぎ」、
翌日の朝、昨夜何をしたかを全て忘れてしまうことが多々あった。
郵便不正に絡む偽証明書発行事件で、虚偽有印公文書作成などの
罪に問われた厚生労働省元局長の村木厚子被告に、
大阪地裁が無罪判決を言い渡した。
この事件は、国家権力がその気になれば、でっち上げ事件でも
人間を「死刑」にすることが出きることを物語っている。
あらかじめ検察側は「シナリオ」を作り、その通りに被疑者の
調書を作る。密室で責められ、被疑者は「意に反して」
調書にサインをしてしまう。
今回の裁判では、検察側の調書そのものが、信用性が
ないとして裁判所は証拠として採用していない。
国会議員(民主党の石井議員)の口利きで、村木局長は
部下に指示し、障害者団体ではない「凛の会」に郵便の
特別低価格料金の適用をする指示したと言う容疑。
村木局長は初めから容疑を否認。部下は検察の
強い誘導で「容疑を認める」が、裁判で「村木局長の
指示ではなく自分の判断で行った」と証言している。
恐ろしいことだ。国家権力をもった検察は、恣意的に
誰でも犯人に仕立てることができることを今回の
村木局長事件が教えている。
この事件は第1審で終結すべき事件である。検察は
控訴すべきでない。自らの立証が全て「嘘だ」と裁判所に
断定されているのである。「恥を知れ検察」。
検察の担当者だけではなく、幹部も含めてでたらめ起訴をした
関係者に厳しい処分が必要である。
国民の代わり、検察が犯罪者を追及すると
称しながら、犯罪の事実もない人を犯罪者に仕立てるのは
およそ民主主義国家にはそぐわない、野蛮国家である。
今回の木村局長事件では当初、マスコミもこぞっれ
検察の立場から報道していた。
マスコミが国家権力の手先になっている我が日本ではある。
マスコミが第4の権力と言われて久しい。その通りだと
思っている。日本のマスコミを真っ当には信じていない。
いくら良心的な記者がいても最終的には「上層部」の意向で
記事が大改竄(かいざん)されている例はやまほどある。
木村局長事件を見ていて、国民が国家権力の暴走を阻止する
気構えをもたないと、国策捜査で、知らない間に犯人に
される危険のある我が日本である。
谷啓が亡くなった。ハナ肇、植木等・・・。
私の中学校から高校時代のヒーローだった人たちが
死んで行く。アジア太平洋戦争に何らかの形で
関係し、その影響を受けている。この世代が
戦後の民主主義を支えた世代なのだ。哀悼「ガチョーン」。
2010年09月10日
ダウン 終日寝ている
曇り・晴れ、夕方雨
午前6時半起床
朝、起きられなかった。
午前7時朝食。「キャッサバ芋の手打ちうどん」。
唐辛子をたくさん入れて食べる。
体がだるく起きていられなかった。終日、横になっていた。
7月16日以来2ヶ月間のたくさんのスタディーツアーなどの案内、
講演会などの疲労がでた。幸い、今日はスタディーツアーの
案内などはない。体調を保全しないと10月7日までの
スタディーツアーラッシュを乗り終えられない。
読書「孤剣 用心棒日月抄」(藤沢周平著:新潮社)読了。
洗濯。
メール送受信。
午前11時半、昼食。「マカロニスープ」
バオミンさんは青山学院大藤村先生とダナンヘ。
ソン君たちは青山学院大の学生さんとランコー海岸、ホイアンへ。
読書「凶刃 用心棒日月抄」(藤沢周平著:新潮社)
用心棒シリーズの最終巻。
藤沢は、人間の欲望・男女の関係、人間の生き方、
多少外れた人間の容認、そして謎。こうしたことを
それとなく配置している。藤沢作品の一番好きな
所は、出世した人間を評価していない。武士や
町人でも下済みの人間へ温かい目を向けている。
そして、それが暗い、陰湿なトーンとならず、真っ直ぐに
生きていく庶民の生き方を描いている。
月、太陽、草木など自然の描写を通し、季節感を
表している。
夕方、雨。
午後5時半、雨の中長靴と傘を差して徒歩で日本料理店へ。
こどもたち・原田先生、富岡先生、土井先生と夕食。
土井先生は着任して1週間になる。
夕食は魚の煮物。
午後9時前閉店。
雨の中12人の来客。有難いことである。
徒歩、宿舎へ。
読書「凶刃 用心棒日月抄」。
2010年09月09日
青山学院大学ベトナム事務所員懇談:「フェリシモ」関連工場視察:フエ市人民委員会訪問
快晴 湿度が高く終日不快な日となった。
午前5時起床。
読書「孤剣 用心棒日月抄」(藤沢周平著:新潮社)
午前7時朝食。小豆いりおかゆ。魚の甘辛煮
午前8時半、ベトナム事務所へ。
青山学院大学ゼミ生がベトナム事務所を訪問。
JASSの現地での活動について調査。質疑応答。
ベトナム事務所側は小山・バオミンさん・原田先生が参加。
JASSの自立に向けて取り組みを話す。
約1時間半の話し合い。青山学院のミ皆さんからノート、
鉛筆などの支援物資を頂く。
ベトナム事務所前で記念撮影
その後、「フェリシモ」関連の工場等を視察。
午前11時半、昼食。
今日はうす曇。湿度が異常に高い。半日仕事をしただけで
ぐったりする。
30分程「午睡」。
読書「孤剣 用心棒日月抄」(藤沢周平著:新潮社)
午後2時過ぎ、電動バイクでフエ市人民委員会へ。
午後2時半、フエ市人民委員会で副市長・経済部長と
懇談。
●副市長のタン氏と外務部副部長のホアン氏(私の教え子)
ホアン氏の日本語通訳で青山学院大学生との話し合いは
進んでいく。
●青山学院側の通訳はバオミンさん。
バオミンさんとホアン外務部副部長は1993年に私が
フエ師範大学で日本語を教えた第1期生。
17年の月日が経つと二人とも立派な社会人となっていた。
当時、二人は20歳だった。日本語を勉強し、
日本語使って人生を切り開いていった。
海外支援はこうして人間を育てることだとつくづく思う。
副市長からフエの経済問題などの話があり、大学生からいくつかの
質問。
約1時半半の交流が終わり、フエ市の記念品、青山学院大学の
ポールペンなどの交換がった。
副市長と藤村先生。
午後4時前フエ市人民委員会訪問を終える。
青山学院大学は、フエ高等師範大との交流へ。
私は、暑さと湿度の高さで体が参ってしまい、
宿舎へ帰り、休む。長期間の仕事が続くとさすがに
体がもたない。
午後6時過ぎ、日本料理店へ。
午後6時半。青山学院大(16人)と私・バオミンさん・
原田先生と日本料理店で夕食交流会。
原田先生の司会で青山学院大学ゼミ交流夕食会が始まる。
リー君とグエットさんの「今日のメニュー」紹介
今回の開発経済ゼミ幹事の学生さんの立派な開会の音頭
フダ生ビールで乾杯
ベトナム事務所員との交流
ゼミ生同士の交流
原田先生との交流
しっかり勉強をした後の交流はトーンが上がる。
夕食会の最後に日本料理店スタッフ紹介
副店長・調理主任のトゥオイさんと接客主任のグエットさん
在庫管理主任のチャンさん
調理のヒエウさん
元店長のリー君。最近がしっかりと仕事をしている。
自覚が出て来たような気がしないでもない。
このまま真面目に仕事をして欲しい。
午後8時半、夕食交流会終了。こどもたちと記念撮影
日本料理店の後片付けをし午後9時過ぎ宿舎へ帰宅。
今日は、古竹先生・富岡先生・土井先生が厨房で
目立たないがしっかりと仕事をしてくれていたい。
若い皆さんだが、よく気が付く。仕事もしっかりと
してくれる。感謝している。
午後9時半、宿舎着。
火炎樹日記を書く。
いくつかのメールの受信・送信。
長いスタディーツアーの4分の3程が終わる。
7月16日にフエへ戻り、今日まで延々とスタディーツアーが
続いている。もう一息頑張る。
最近はビールや純米大吟醸のおつまみは究極の
おつまみである「塩」にたどり着いた。ビールやお酒と
塩が一番合うことに気づいた。
自民党は9日、臨時総務会を開き、副総裁に
大島理森前幹事長(64)、幹事長に石原伸晃元国土交通相(53)、
総務会長に小池百合子元防衛相(58)を充て、
石破茂政調会長(53)を再任する新たな執行部人事を了承した
との報道をみた。
変り映えのしない人事である。野党第一党の自民党は
人材が枯渇している。二世、三世議員を多用したことが
ここに来て自民党を疎外している。
小池百合子氏に至っては「政界の渡り鳥」。
「クールビズ」を宣伝してはいるが、科学的には
何も効果がないことが判明している。
この程度で「大胆な人事」などと言われては、自民党が
本当の野党として頑張って欲しいという期待を根本的に
裏切ることになる。これらの三役は既に使い古しの
雑巾のような存在。
2010年09月08日
静大工学部留学生懇談:青山学院大学とフエ外語大交流
快晴 夕方小雨
午前4時半目覚め。
読書「孤剣 用心棒日月抄」(藤沢周平著:新潮社)
午前7時朝食。ブンボー。
午前8時半、ベトナム事務所へ。
9月25日にホーチミン市を出て、26日朝成田へ着く
ニフィー留学生第2期生と静大ニフィー担当の先生
たちとの懇談。
3人の留学生の自己紹介
静大ニフィー担当者
第1期生の留学生から体験を聞く
JASSベトナム事務所ニフィー担当者のバオミンさん。・原田先生
1時間半のほど留学の実務等の懇談
その後、静大ニフィー担当者が3階のブライセンベトナム支店、
JASSベトナム事務所を訪問。
静大4年生の土井先生の自己紹介
静大柳澤副学長の挨拶
ベトナム事務所自己紹介
午前11時半、静大関係者との打ち合わせ終了。
宿舎へ帰る。
昼食。チャオ・バイン・カイン(小麦粉の手打ち煮込みうどん)
午後2時、青山学院大学藤村ゼミ生と一緒にフエ外大を
訪問。日越経済について英語でプレゼンテーション交流。
フエ外大副学長挨拶
日越学生と先生
開会にあたり藤村先生の挨拶。今回の交流は全て
英語で行われた。フエ外大は英語科の学生。
青山学院大学のプレゼンテーション
2時間の英語での日越経済状況の交流を終わり、記念撮影
午後6時半、青山学院大学経済学部藤村ゼミ生と
フエ外大英語科学生との夕食交流会
乾杯の音頭
日越日越と座り交流する
午後10時まで交流が続く。
2010年09月07日
省教育局副局長;フエ市官房長官・外務部長懇談。グエンフエ高校説明会
快晴 夕方一時豪雨。
午前3時半目覚める。
読書「用心棒日月抄」(藤沢周平著:新潮社)読了。
何故、どうしても読みたくなるのか? 娯楽だからだ。
小学校の頃、講談本を毎日1冊ずつ読んでいた。
とにかく楽しいのだ。忠臣蔵は、本編。義士銘々伝、
義士外伝などかなりの本を読んでいる。
藤沢周平の本は、私に取っては、講談本と同じ。
娯楽である。とにかく読みたくなるのである。理屈はいらない。
「1Q84」のように何がなんだか分からない自分が理解能力の
ない人間と思えるような本ではない。
午前7時朝食。フォー。
午前8時半、フエ省教育局へ。
静大代表団とフエ省教育局副局長と幼小・中部長との懇談。
フエ省では小学校の60%程度は二部授業を廃止した。
中学校・高校はまだ。
土曜日休日にしたのは、小学校のみ。中高校は2部授業の
ため授業時数確保が必要。土曜日も授業を行う。
午前9時半、フエ市人民委員会へ。
数日前からフエ省共産党第14回大会が開催されている。
市長・副市長などは共産党大会に出席。
フエ市人民委員会官房長官・外務部長が対応
静岡大学副学長の柳澤先生とフエ市人民委員会官房長官
テレビ局の取材あり。
静大ニフィープログラムの一層の推進を誓う。
午前10時過ぎ、「子どもの家」へ。
静大ニフィー代表団を案内。「子どもの家」の各施設を
紹介する。
5~6年前に結婚し出産したミンさんが、刺繍みやげ物店に復帰。
「フェリシモ」と刺繍みやげ物店の作品作りに協力。
この5年間ほどでかなるふくよかになっていた。28歳になるという。
10代で刺繍みやげ物店で研修していた。
これで刺繍土産物店先生の退職問題、刺繍みやげ物店の
生産能力問題の一応の解決を見た。かなりの時間と忍耐を
要した。
午前11時半、静大の先生方と昼食会。
昼寝の時間がない。ベトナム事務所で30分ほど仮眠。
午後2時半、グエンフエ高校へ。
ニフィープログラムの説明会。
90人程の理系の1年生・2年生が集まった。
「子どもの家」のニーさんもグエンフエ高校3年生と参加。
初めに静岡大学柳沢副学長の挨拶
続いて袴田先生の「ニフィープログラム」の説明
説明に聞き入る生徒
昨年10月にニフィープログラムで静大工学部入ったドックさん
の体験談。
同タン君の体験談
同ティン君(グエンフエ高校出身)の体験談
やはり自分の学校の先輩の留学体験談は生徒たちの
強い興味を引いた。
午後4時、説明会終了。校門前で記念撮影
午後6時半、地球の歩き方5班の晩餐会。
今日のメニュー。こどもたちが考えた。
今日は3つのツアーが来ている。
①静大ニフィー説明会。
②地球の歩き方5班(22人)
③青山学院大学スタディーツアー(15人)
ベトナム事務所員全員が分担して3つのツアーの夕食、
フエ空港への出迎えなどを行った。超過勤務手当ても
出ない中で、ベトナム人スタッフ、日本人スタッフの
奮闘に感謝したい。
ベトナム事務所員の気持ちが一つにまとまり、お互いに
協力してベトナム事務所を支えて行こうとの強い気構えを
スタッフの皆さんの行動から感じた。
バオミンさんとソン君は青山学院大学(15人)P7:20フエ着の
出迎え。
古竹先生と富岡先生は夜の日本語学校。その後、日本料理店
の厨房の手伝い。
私とフーン先生・フオン先生・土井先生は地球の歩き方担当。
ベトナム事務所員全員が協力しなければ、スタディーツアーラッシュを
乗り越えられない。
私は地球の歩き方5班の晩餐会の司会役。
リー君とグエットさんコンビでメニューと飲み物紹介
地球の歩き方ツアー団長の「乾杯」の音頭
生ビールについては専門家になったグエットさん。
ベトナム事務所員として活躍している土井先生
フオン先生も地球の歩き方の案内に活躍
今日はツアーが多く手が足りない。いつもは調理だけの
チャンさん。今日は食事を運んでいたい。
リー君も様々な「雑念」を払って仕事に集中していた。
午後8時半。こどもたちの自己紹介。
こどもたちが献立も考え、机の配置、料理を出す頃合いなども
考えた。
最後に全員の記念写真
古竹先生・富岡先生が写真を撮る
午後9時前、閉会。
その後、火炎樹日記を書く。
今日は9月7日。考えてみると1993年9月1日にフエに
来たのだ。既に丸17年の年月が経過し、18年目に
突入した。長い年月をフエで過ごしたことになる。
日本料理店のこどもたちが大きくなったのも当然である。
それだけ私が老化したことにもなる。
午後11時半就寝。
読書「孤剣 用心棒日月抄」(藤沢周平著:新潮社)を
読み始める。
2010年09月06日
「ハイバイーチュン高校」・「コックホック高校」で静大説明会
快晴 夕方曇り
午前5時起床。読書「用心棒日月抄」(藤沢周平著:新潮社)
3分の2ほど読む。構成がなかなか凝っている。
短編集になっているのだが、大きな芯は、赤穂浪士の吉良邸
討ち入りを縦軸に話が繋がっているが、短編集の集まり。
読んでいくと面白い。娯楽としてこれほど良質のものはない。
私は純文学は大嫌いだ。大衆小説が一番私には合っている。
午前7時、朝食。キャッサバ芋の麺。美味しい。
唐辛子を入れると更に妙味に。
午前7時半、ベトナム事務所へ。バオミンさんと今日からの
静大現地説明会の準備状況を確認。
8時半、フォンザンホテルへ。
静大の先生方3人と合流。最初の説明会場である
「ハイバイーチュン高校」へ。
静大から来られた柳沢先生・袴田先生・山林先生・私、
バオミンさん・フーン先生・原田先生が参加。
約70名の理系の1年生・2年生の生徒が集まる。
昨年静大ニフィープロジェクトで静大工学部入学した
ドックさん・タン君・ティン君もフエに帰国し、自分の出身高校
の後輩に静大工学部に入学し1年間生活した体験を話す。
初めに「ハイバイーチュン高校」の校長先生の挨拶。
バオミンさんの通訳。
ベトナムのテレビ局も取材に来ていた。
袴田先生からニフィープログラム全体の説明
留学生のドックさんから留学体験の話があった。
ドックさんは「ハイバイーチュン高校」出身。
グエンフエ高校のティン君も体験を話す。
「ハイバイーチュン高校」出身のタン君の体験談
生徒からいくつかの質問があり、副校長先生の閉会の視察で
静大説明会は終了。
11時過ぎベトナム事務所へ。事務所では土井先生が
ベトナム事務所初日の仕事をしていた。
午前11時50分、昼食。春雨麺。
午後12時過ぎから1時間「午睡」
その後読書。「用心棒日月抄」(藤沢周平著:新潮社)
午後2時半、コックホック高校へ。
コックホック高校はベトナム戦争の南北大統領の出身高校でもある。
ベトナム民主共和国大統領ホーチミン、ベトナム共和国大統領
ゴ・ディン・ジェム。ベトナム民主共和国(北ベトナム)首相
ファン・バン・ドン、国防大臣ボー・グエン・ザップ。
ベトナム事務所のバオミンさん・フーン先生・・・・・・・。
コックホック高校応接室で校長先生と懇談
袴田先生のニフィープログラムの説明:通訳はバオミンさん
約30人の生徒が話を聞く。
ティン君の留学体験談。段々話がうまくなってきた。
生徒からかなりの質問あり。
最後に校長先生・関係者全員でコックホック校門前で記念撮影
写真の後ろの赤い看板は
「トゥアティンフエ省2010年~2015年ベトナム共産党
第14回大会万歳。
高校の校門に共産党大会万歳の看板がかかっている
のには、かなりの違和感を感じる。政治と教育が直結している
というのか、教育が政治に従属している現実である。
午後5時半から静大の皆さんと夕食会。
午後8時半終了。
2010年09月05日
静大留学生の奨学金推薦書を3通書き上げる
快晴
静かな日曜日。
午前7時目覚める。
読書「用心棒日月抄」(藤沢周平著:新潮社)
とうとう、藤沢周平に「入って」しまった。
藤沢本は20冊ほどある。全教千葉で来られたAさんが
昨年、持って来てくれたもの。
この本に入ってしまうと20冊全部読むようになる。
それほど私が大好きな作家。
今、私の部屋にある日本語の本は全て読んでしまった。
日本にいれば、「一週間」(井上ひさし)を直ぐに読みたい
のだが・・・・・。13日に大極さんが持って来てくれる。楽しみ。
藤沢本は、「甘い果実」への誘惑。読み始めたら止まらなく
なってしまう。
山田洋次と同じで社会の底辺でうごめいている人間に
温かいまなざしを持っている。
午前10時半、昨日の残りの「チャオ・バイン・カイン」
を温めて食べる。
部屋の掃除、洗濯。9月末に静大留学生を連れて成田
経由で静岡・浜松まで行くが、その準備を少しずつして
置く。
メール送受信
全国大学生協スタディーツアーに参加した学生からのメール。
「子どもの家」に来て自分を改めて見つめなおしたとのこと、
嬉しい便りである。
午後12時過ぎから1時間ほど「午睡」。
午後2時 読書「用心棒日月抄」(藤沢周平著:新潮社)
浅野内匠頭 の刃傷事件を背景とした出奔浪人の
用心棒家業の話。江戸の庶民の生活を実にリアルに
描いている。
ピースインツアーから電話。いつくかの問題あり。
バオミンさんとも連絡を取り、問題を是正するよう緊急対策を
取る。
午後5時半、青山学院大学のF先生と日本人スタッフ
と懇談夕食会。土井先生も参加。富岡先生は地球の歩き方
スタディーツアーの夕食会。
フエの家庭料理を食べる。
7日から青山学院大学のFゼミの学生16人が来訪。
フエなどでの活動を進める。フエ外大でフエ大学生徒
英語での交流などを計画している。
午後8時過ぎ、夕食会終了。帰宅。
2010年09月04日
地球の歩き方5班来訪・講演会:日本語教師土井さん着任
終日快晴
午前5時起床。読書「若き実力者たち」(沢木耕太郎著)
1973年に書かれた人物ドキュメント。沢木耕太郎24歳
の作品。
日大全共闘議長 秋田明大には、やはり興味を持った。
広島の漁村で育ち、日大(当時学生10万人)へ。
1968年頃から先鋭化した70年安保闘争。
その魁の一つが、日大闘争だった。本書を読むと秋田明大
がマルクスもレーニンも社会主義の何も知らないまま
広島の漁村から東京の日大に入り、あれよあれよと言う間に
日大全学共闘会議議長になってしまい「時の人」になる。
純粋な正義感で行動していたことが分かる。
沢木のインタビューは、学生運動からも離れ、拘置所生活も
追え、当時のことを客観的に振り返ることの出きる時期のもの。
秋田が当時考えていたことは、社会を変えることでもなく
社会から貧乏をなくすことでもない。青春の一時に生きがいを
見出すためといっている。確かに当時の全共闘運動は、
見せ掛けのスローガンは「革命的な言辞」を弄していたが、
一生をかけて世の中を変えようなどという意識はなかったように
傍(はた)からみていてもそう思えた。ある意味で純真な
若者であった。
安達式押し花の安達瞳子も父親との対決の人生。
12人の私と同年輩か少し年上の20才代から30初めの
人生を見ていると全員が何らかの「挫折」や「貧困」「家庭の
崩壊」、海外からの引き上げなどの事情を経験している。
山田洋次も満州生まれ・満州育ち。大島渚と松竹同期生。
大島は若くして名が売れたが、山田洋次は何作作っても
売れない。そうした苦労をと下住みを続ける中で「寅さん」が
生まれる。当時松竹幹部は、「寅さん」は売れないとの意見
で一致していたようだ。
12人の若者の生い立ちと20歳代で世の中の「有名人」
になった人々の苦しみと悩みを1973年時点で読んで
その人たちが2010年の今、何をしているのかを考えた。
黒田征太郎(イラストレーラー)は、10年ほど前「子どもの家」
来てNHKの1時間の番組を作り、知り合いになった。
「子どもの家」のこどもたちに強いというのか異常な同情を
もって接していた。撮影が終わり、帰国した後も何度か
手紙が来て支援したい、応援するとの話があった。
本書を読んで何故黒田征太郎がストリートチルドレンや貧しい
こどもたちにあれほど異常とも思える入れ込みをしていたのか
一端が理解できた。黒田は正妻のこどもではなく生まれ、
貧乏に貧乏を重ねる。ほぼヤクザになっている。
水商売からかなり怪しい仕事もしている。生活に苦労している
様子が本書に書かれている。そうした背景があったのか?
と得心した。
小沢征爾(せいじ)も父親が満州鉄道に勤めていた。
満州傀儡政権を作った中人人物である「板垣征四郎」の征と
「石原莞爾」の爾を取って「征爾」と名づけられた。小沢征爾も
山田洋次も加藤登紀子も五木寛之も「引揚者」である。
共通して日本へ帰国しての「貧乏経験」、国家権力への不信、
そして放浪癖がある。
我が家も「引揚者」である。私の中にも権力とか強い者への
強烈な反撥、放浪癖がある。無国籍な人間なのである。
朝食 フォー。
午前7時45分、ベトナム事務所へ。
既にベトナム事務所員は仕事を始めていた。皆さん、
仕事には熱心である。感謝。
午前8時過ぎ、地球の歩き方5班(22人)がベトナム事務所
訪問。ベトナム事務所員の自己紹介。
バオミン運営委員長の司会
これから案内したりお世話をするベトナム事務所員の自己紹介
原田先生がフエ滞在中の諸注意を行う。
細かい点まで話をする。
・ホテルの部屋の鍵は2つ以上かけること。
・シクロ、オートバイタクシーは乗らないこと。
その代わり明日ホテルからシクロで「子どもの家」へ行く。
・水道などの水は飲まない
・夜外出は出来るだけ控えて欲しい。外出する場合は
複数で。
・デング熱対策で蚊にさされないように
地球の歩き方の皆さんは「子どもの家」へ。
私はバオミンさんと打ち合わせ。
その後、急いで「子どもの家」へ。
ソン君とアンさんが「子どもの家」の施設案内中。
刺繍みやげ物店に行く。ロアン店長を中心に
皆さん、頑張って仕事をしていた。
これで刺繍みやげ物店も正常な形に戻った。
9時半から10時45分まで講演会
午前10時45分からこどもたちの歓迎の踊り・交流会
セン運営委員長の挨拶
こどもたちも夏休みが終わり新年度に入る。
こどもたちの歓迎の踊り(少数民族の踊り)
小学生の踊り
中・高校生の踊り
地球の歩き方側の出し物。団長さんの挨拶。
しあわせなら手をたたこう
こどもたちも一緒に手をたたく
午前11時半過ぎ、交流会終了。
地球の歩き方の皆さんが市内レストランで昼食。
私は宿舎へ。
午後12時近く昼食。
午後12時半から1時間ほど午睡。
「若き実力者たち」(沢木耕太郎著)読了。
秋田明大が「幻視行」という本を出したのを知った。
午後3時半、原田先生から電話。
静岡大学ニフィー留学生3人の「マブチ国際育英奨学金」
申請のための「推薦状」を書く。結構時間がかかる。
午後5時半、日本料理店へ。
古竹先生・富岡先生は日本語学校。
日本人の来客あり。
厨房のこどもたちも頑張って仕事をしていた。
来客あり。
午後8時、閉店。午後7時20分、フエ空港へ到着予定の
日本語教師土井先生の歓迎会の準備。
午後8時10分、フエ空港へ迎えに行った原田先生と
フオン先生が土井先生を案内して日本料理店へ。
こどもたちと日本人スタッフで土井先生の歓迎会をする。
昨年、静岡大学の学際授業「ベトナムを知る」でフエに来た
土井先生。現在、静岡大学4年生。1年間休学して
ベトナム事務所で仕事をすることになる。健康に気をつけて
無理をしないで生活して欲しい。
原田先生の「歓迎の言葉」で乾杯
こどもたちが何種類かの料理を作る。
餃子
ごぼうの天ぷら
じゃがいもとニンジンの金平
隠元の胡麻和え
太巻き
こどもたちが一人一人自己紹介
リー君
副店長・調理主任のトゥオイさん
厨房のヒエウさん(最近休みがち)
在庫管理主任のチャンさん
接客主任のグエットさん
1時間弱懇談・土井先生歓迎会を行いお開き。
宿舎着午後9時半過ぎ。徒歩で帰る。
土井先生が来たことでベトナム事務所には私を入れて
5人の日本人スタッフとなった。JASS函館の会の会員で
北海道教育大の柴山さんを入れると6人の日本人スタッフ
となる。
2010年09月03日
刺繍みやげ物店店長就任ー函館柴山さん来訪
快晴
午前6時半起床。起きられない。
午前7時朝食。ブンボー(フエ名物)と生野菜
午前7時45分ベトナム事務所へ。
ベトナム事務所では、既に皆さんが仕事に就いていた。
忙しく仕事をしているバオミン・JASSベトナム運営委員長
着実に会計や奨学金・里親・各地の会からの要望などを
処理しているハンJASSベトナム事務所財政部長。
ハンさんに任せておけば、お金のことも仕事も安心できる。
ベトナム事務所はスタディーツアーラッシュの真っ只中に
ある。皆さん、相当の超過勤務。土日もなく仕事をしている。
ベトナム事務所員の団結と和気藹々とした職場の雰囲気が
何とかベトナム事務所員の重労働を支えている。
JASS函館の会から依頼されている絵画展の作品を
郵送する。JASS函館の絵画展の成功を祈る。
1巾着 バッグ 3個
2.ペンケース 8個
3.ポシェット 7個
4.プレスレット 20個
5.コーヒー(500Gr) 3袋
6.蓮茶(100GR) 5袋
7.絵の作品 70点
8.絵手紙 20点
9.ザル絵 10点
「アクセサリー研修センター」の在庫品をブレラに報告
在庫の糸を「はかり」できちんと計り報告する。
ベトナム事務所の日本人全員が立ち会う。
20グラムの糸束は、5つまとめてはかり100グラムで
あることを再度確認。
バオミンさん・ソン君・古竹さんなどの几帳面な態度に
感心する。大体どの程度の残品があればよいのかを
報告するのであるが、几帳面にしっかりと測っていた。
午前8時過ぎ元JASS刺繍みやげ物店の先生だったロアンさん
をベトナム事務所に呼び、話し合う。
この間、何度となくロアンさんと話し合い、「もう一度
刺繍みやげ物店の先生をして欲しい」と三顧の礼を尽くす。
(実際は、3回ベトナム事務所にお呼びしたのだが・・・)
ロアン先生はいくつかの理由でJASS刺繍みやげ物店を
退職してしまった。
この間、種々の退職事情を聞き、一つ一つ「解きほぐす」
話し合いを根気良く行ってきた。今日、最終的な合意に達した。
私の方からJASS刺繍みやげ物店のシステムの大変更を
行うことにしたことを告げる。
①JASS刺繍みやげ物店に店長(責任者)を置く。
ロアン先生になってもらう。
②今まで勤務時間が適当なところがあったので、今後は
午前8時~11、午後2時から5時までとし、子育てなどで
朝遅れる場合はロアン店長に連絡了解をとり、遅れた時間は
午前勤務・午後勤務の後半につける。
③ロアンさんに連絡をしないで勝手に欠勤した場合は
「賃金カット」を行う。
④「フェリシモ」とみやげ物店の刺繍と仕事が増えたので
以前みやげ物店で働いていて結婚し退職したMさん・Lさん
などに声をかけ復職してもらう。
⑤今後、年次有給休暇制度、ボーバス制度を導入事を検討
している。
趣旨としては、勤務の厳正化・待遇の改善。
ロアン先生からは、自分としては今までの種々の問題も
氷解し納得した。刺繍みやげ物店の店長として頑張って
仕事をしたい。
ーーー
直ぐその足で、「子どもの家」へ。
刺繍みやげ物店の3人(一人は産休中)を呼び、
今日の話を伝え、3人からも要望意見を聞く。
ロアン先生の店長(責任者)就任を了解し、一緒に頑張るとの
話。
これで「フェリシモ」の仕事とJASS刺繍みやげ物店の仕事の
両立が出きるようになった。各地の会で必要な刺繍製品は
ベトナム事務所へご一報を。
「子どもの家」ではセン運営委員長が風邪でダウン。
異常な今年の天候不順のせい。私も何度もダウン寸前まで
行ったが、良薬(ビール)が高度の治療薬として機能している。
午前10時半、ベトナム事務所へ。
静大留学生の各種申請書のチェック。原田先生・古竹先生。
帯広の芳村さんが主催している「暖炉基金」のドゥック君。
芳村さんが「大学まで行きたい障害児に奨学金を」との
発案で始まった。既に数人の障害のあるこどもたちが
フエ農業大・フエ看護大などを卒業し、病院などへ就職
している。
ドゥック君は両手の指に障害があり物がもてない。
しかし、前向きな性格で、今年9月からフエ省立「ザーホイ高校」
へ入学した。将来は、コンピュータ関係の仕事をしたいと言っている。
「暖炉基金」もこどもたちに「お金や物を上げるのではなく、
人間を育て、自分で仕事をして自立」することを目指している。
フエ在住17年。色々な所から色々な「声」を聞くが、最終的には
「口ばかりの人間」は信用していない。芳村さんのように実際に
10年近く、障害児に奨学金を上げ、自立させている。行動である。
海外支援・国際協力は「仏壇前で祈って」いても何も解決しない。
東京の会の内田さんは、毎年末のクリスマス会15回、夏の
バーベキュー大会(柳澤・高橋・景山さん)も10年ほど、
海や温泉・滝などへこどもたち
を連れて行く活動を15年近く毎年続けてくれている。
「言うは易し、行なうは難し」。これは海外ボランティアの鉄則である。
日本で評論家のように「あれはよくない、これは良い」などと
私を評論する人もいるが、何か自分で出きる身近なことを行動
すべきである。私は家庭の状況などが許されるので、ベトナムに来て
生活困難なこどもたちや障害児などを支援させてもらっている。
有難いことである。リー君を筆頭にフエでこうした活動をさせてもらって
いるとことに心から感謝している。
私の従兄弟の長島弘道氏は、毎年フエ高等師範大学に40万円
の奨学金を寄贈している。2年前には、こどもたちの部屋を住みやすい
ようにして欲しいと100万円の寄付をし、こどもたちの部屋1階と2階の
総改築をした。「京滋YOUの会」では、「子どもの家」の食堂の
壁と窓、蛍光灯などの改築を寄贈してくれた。
火炎樹の会(JASS茨城の会)の大沢典子さんは、日本料理店
の箸袋を毎回きれいな和紙で折り紙にし送ってきてくれている。
「お金を出せば良いというものではない」と反論する向きもあるが、
『具体的な行動』なくしてボランティア活動は存在しない。
JASS観光、「フェリシモ」、日本料理店、静大現地事務所、
ブライセンベトナム支店などは、現地での活動を財政的に
強化するための切羽詰った具体的な活動である。
私は他者の批判を受け付けないなどと狭量の人間ではないと
思っているが、自分は何もしないで評論家のように「人の批判
だけしている人間」には強い違和感を感じる。
およそボランティアとは縁遠い。
午前11時半、昼食。
私の大好きな「チャオ・バイン・カイン」(小麦粉の手打ちうどん)
フエ人が大好きな「激辛の唐辛子」と生野菜。
午後3時、ベトナム事務所へ。日本料理店ではリー君が
真面目に日本料理店の掃除をしていた。
まめに体を動かして仕事をするところは偉い。
彼女との関係に「暗雲」が立ち込めているかすかな雰囲気を
感じる。
フエ大学に交換留学生来た「JASS函館の会」の柴山さん。
半年間の留学中、日本語学校を手伝ってくることになった。
これであるフエへ来る土井さんを入れると6人の日本人が
ベトナム事務所などで活動することになる。ありがたいことである。
「国際ソロプチミスト帯広・みどり」のグエンフエ高校生への奨学金
リストをFAXで送る。
午後5時半。日本料理店で夕食。しばらく休んでいたヒエウさんも
復帰。
午後9時まで13人の来客あり。
明日、静岡大学の土井さんがベトナム事務所員として
1年間来訪する。土井さんの自転車を購入。
古竹先生が自転車の具合をチェック。
午後9時過ぎ、宿舎へ戻る。
午後7時20分、地球の歩き方5班(22人)がフエ空港着。
ミンさん、ソン君が出迎え。
長い長い1日が終わる。
2010年09月02日
ベトナム65回目の「独立記念日」
快晴午後小雨。
午前4時に目覚める。
午前9時まで読書。「泥の河・蛍川」(宮本輝:新潮文庫)読了。
村上春樹の本を読んでいると頭がフワフワして来る。
宮本輝は私と同年齢ということもあり、ほぼ私の幼年期体験
と一致している。
宮本輝は父親の事業の失敗で「大阪・愛媛・富山」と引っ越している。
「泥の河」は昭和30年(1955年)の大阪の川筋の貧困街を
舞台にしている。船上生活者(同時に船上売春)の姉弟と
主人公の交流。貧しさの中にもしっかりとして人間の
存在と矜持を持った生き方をしている時代風景が描かれている。
落ち着いて読むことが出きる。貧しくても「金・金・金」と下品な
生き方をしない1955年の頃の日本人の家庭をしっかりと
描いている。
「蛍川」も富山県の田舎を舞台にした、やはり貧しく複雑な
家庭の中3男子と父親その後妻の微妙な心理。
この家庭も父親が事実上の倒産・破産をしている家庭。
昔は大きく事業をしていたのだが・・・・。
宮本は第1作の「泥の河」で太宰治賞を受賞。
翌年書いた2作目の「蛍川」で芥川賞を受賞。
蛍川も泥の河も淡々と書かれているが、当時の生活困窮者へ
の温かいまなざしを感ずる。
古本屋で100円で買った。文学が商業出版となると
内容とは全く関係なく、本はただ同然となってしまう。
古本屋で100円で買った「泥の河」「蛍川」は、何十倍もの
価値がある。本とは不思議なものである。内容の素晴らしさと
値段とは相関関係にない。
7月に日本へ帰り本屋へ行った。旅行先でも必ず駅前の
本屋に寄る。
池上彰の本ばかりがうずたかく積まれていた。
NHK子どもニュースだったか?のお父さん役だった人。
急に民放にで出て「ブレイク」。アナウンサーなので
特別専門の知識内容を持っている訳ではない。
この人、本を書くネタがもうなくなるのではと思うほど
本を書いているが・・・・。一時の流行だけ、売れればよい
との本業界の実態が本屋を巡ると垣間見える。
午前10時半、ブランチ。昨日の残りの「春雨麺」。
生のもやしを入れて食べる。
メール受信。送信。
おだやかな「国慶節」休日である。
読書「若き実力者」(沢木耕太郎著:文春文庫)
これも古本屋で100円で買った本。1973年発行。
確かに活字が小さい。
沢木耕太郎も私と同年齢。
1970年代を「疾走する12人の若者」を追うドキュメント。
ゴルフの尾崎将司、演劇の唐十郎、政治家河野洋平、
日大全共闘議長・秋田明大、作家・畑正憲、将棋・中原誠、
イラストレーター・黒田征太郎(「子どもの家」に来た)、
映画・山田洋次、ヨット・堀江謙一、歌舞伎・市川海老蔵
指揮者・小沢征爾。あとがき 井上陽水。
部屋の掃除、洗濯、布団干し。
午後1時過ぎ「午睡」。
その後、ゴルファーの「ジャンボ尾崎」と「唐十郎」を
読む。尾崎はほぼ私と同年齢。唐は5歳ほど上。
まだ20代の著者が20代の尾崎と30になるかならない
かの唐十郎の人生を書く。
尾崎は西鉄ライオンズに期待されて入団するが、野球賭博で
球界永久追放された「池永」の好成績の影で沈没。
数年でゴルフに転じる。大きな人生の進路変更・賭けである。
唐は、父親が教育映画関係の仕事していた関係で
子役で映画に出ていたが、あまり才能を出さなかった。
父親が医者になることを希望していて、東邦医科大付属
高校に入学するも振るわず、明大演劇科に入学。
真面目な学生だったようだ。学生運動に没頭。
午後雨が降ってくる。
静大現地説明会についての日程・分担等を再確認する。
当面のスタディーツアーを確認。分担等。
午後5時半、フエ缶ビールを飲む。
午後7時半、読書「「若き実力者」(沢木耕太郎著:文春文庫)
今日は一歩も外に出なかった。
夕食は冷凍しておいた「チャオ・バイン・カイン」を解凍して
食べる。
2010年09月01日
静大現地説明会の打ち合わせ:日本料理店
晴天 午後雨。
午前6時起床。
午前7時朝食。フォー(米麺)
たっぷりな生野菜
フエの空は既に「秋模様」。本当に今年は異常気象。
寒さと雨季が1ヶ月半ほど早まったように気がする。
午前8時半、床屋へ。忙しくて1ヶ月半、床屋へいけなかった。
150円。
ベトナム事務所でバオミンさんと静大現地説明会に関する
日程・内容・準備等詳細な打ち合わせを行う。
私たちの隣りの2階会議室では、静大留学予定生と原田先生・
古竹先生が申請書等の打ち合わせ
昨日、時計を床に落とし、金属バンドが切れてしまう。
リー君が知り合いの路上時計修理屋に持っていって
直してくれる。100円。
午前11時半、昼食。
ベトナム風「雑炊」。消化に良く美味しい。
レモンと唐辛子は付き物
午後12時過ぎから1時間ほど「午睡」。
その後読書「仮装集団」(山崎豊子著:新潮文庫)読了。
人民党のフラクション(グループ)が中国派とソ連派に分裂し
党内闘争を繰り広げる。その影響を受け、勤音内の人民党
フラクションは、中国派が主流を握り、ソ連派を排除。
主人公はソ連派と目され、勤音から事実上追放される。
政治と関係のない「音楽鑑賞団体」のなかでも1960年代
、政治が持ち込まれ、政治には全く興味のない、音楽好きな
主人公が政治騒動の中で排除されるという出来事を山崎豊子は
言いたかったのか?
続いて読書「蛍川・泥の河」(宮本輝著:新潮文庫)
著者は私と同い年。
「泥の河」。
大阪の黄色い河が流れる貧困世帯の住む
川ふちの小学校2年生の男児。1955年。船上生活者が
いたのだ。また、馬で鉄くずを運ぶ時代風景も出てきた。
懐かしい時代風景だ。当時、池袋に住んでいたが、やはり
馬が荷物を積んで歩いていた。路上に馬糞が落ちているのを
鮮明に覚えている。戦後10年の出来事。
午後3時半、元衆議院議長土井たか子さんの秘書の方から電話。
JASSに寄金をしたいとのこと。感謝。
ラジオで「民主党党首選挙」の記者会見を1時間ほど聞く。
最初に菅・小沢の所信表明。
(小沢)今回の党首選挙は首相に直結する選挙だ。
戦後民主主義は本当の意味で理解されないまま
今日に至っている。
・政治・経済は危機的状況。
・自殺・親の子殺し
・失業・就職出来ない問題・・・・
日本社会は崩壊している。
政治家主導の政治が必要。
総選挙で約束した内容を実行すべきだ。
・来年度予算編成は、政治家主導で行う
・菅首相は歳出を一律10%削減と言っているが機械的。
無駄を最大限削減し、政治家が予算を組むようにする
(菅) 厳しい経済情勢だ。
総理の仕事を完璧にこなして行きたい。
今日は朝から防災訓練をした。これからスペイン首相と
懇談する。総理の仕事を完璧に執行したい。
失業者が増大している。「仕事をすること」は人間の
尊厳だ。
「クリーンでオープンな」民主党にしたい。政治に
お金がまつわることからは、脱皮したい。
その後、共通質問・3社。
質問に対しては、小沢氏の方が総括的・且つ的確な答弁あり。
菅氏は、細かい話が多く、短い時間で的確な答弁とはなって
いなかった。能力と経験の違いか?
同じ政党内での論争にあまり意味はない。
両者の記者会見を聞いても「日本の未来への展望」は
全く聞こえなかった。国民の声、世論の批判が必要と
痛感。共産・社民など野党の存在の意味が今こそ
光る時なのだが・・・・・。本来は最大野党の自民党が光るべき
チャンスなのだ。しかし、完全に地底に埋没してしまっている。
YAHOOのアンケート調査。9月1日午後5時時点。
菅 51% 小沢 37% 棄権 13%。
午後5時半、日本料理店へ。 外は雨。
ヒエウさんが体調を崩し休む。
午後9時まで3人の来客。既にOFFシーズンになっている。
リー君は相変わらず「テンション」が高い。
明日は彼女を「アヒルのお父さん」(2000羽のアヒルを飼っている)
のところへ連れて行くそうだ。
日本料理店の片づけをして徒歩、宿舎へ帰る。