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2010年09月04日

地球の歩き方5班来訪・講演会:日本語教師土井さん着任

終日快晴

午前5時起床。読書「若き実力者たち」(沢木耕太郎著)
1973年に書かれた人物ドキュメント。沢木耕太郎24歳
の作品。

日大全共闘議長 秋田明大には、やはり興味を持った。
広島の漁村で育ち、日大(当時学生10万人)へ。
1968年頃から先鋭化した70年安保闘争。
その魁の一つが、日大闘争だった。本書を読むと秋田明大
がマルクスもレーニンも社会主義の何も知らないまま
広島の漁村から東京の日大に入り、あれよあれよと言う間に
日大全学共闘会議議長になってしまい「時の人」になる。
純粋な正義感で行動していたことが分かる。
沢木のインタビューは、学生運動からも離れ、拘置所生活も
追え、当時のことを客観的に振り返ることの出きる時期のもの。
秋田が当時考えていたことは、社会を変えることでもなく
社会から貧乏をなくすことでもない。青春の一時に生きがいを
見出すためといっている。確かに当時の全共闘運動は、
見せ掛けのスローガンは「革命的な言辞」を弄していたが、
一生をかけて世の中を変えようなどという意識はなかったように
傍(はた)からみていてもそう思えた。ある意味で純真な
若者であった。

安達式押し花の安達瞳子も父親との対決の人生。
12人の私と同年輩か少し年上の20才代から30初めの
人生を見ていると全員が何らかの「挫折」や「貧困」「家庭の
崩壊」、海外からの引き上げなどの事情を経験している。

山田洋次も満州生まれ・満州育ち。大島渚と松竹同期生。
大島は若くして名が売れたが、山田洋次は何作作っても
売れない。そうした苦労をと下住みを続ける中で「寅さん」が
生まれる。当時松竹幹部は、「寅さん」は売れないとの意見
で一致していたようだ。

12人の若者の生い立ちと20歳代で世の中の「有名人」
になった人々の苦しみと悩みを1973年時点で読んで
その人たちが2010年の今、何をしているのかを考えた。

黒田征太郎(イラストレーラー)は、10年ほど前「子どもの家」
来てNHKの1時間の番組を作り、知り合いになった。
「子どもの家」のこどもたちに強いというのか異常な同情を
もって接していた。撮影が終わり、帰国した後も何度か
手紙が来て支援したい、応援するとの話があった。
本書を読んで何故黒田征太郎がストリートチルドレンや貧しい
こどもたちにあれほど異常とも思える入れ込みをしていたのか
一端が理解できた。黒田は正妻のこどもではなく生まれ、
貧乏に貧乏を重ねる。ほぼヤクザになっている。
水商売からかなり怪しい仕事もしている。生活に苦労している
様子が本書に書かれている。そうした背景があったのか?
と得心した。

小沢征爾(せいじ)も父親が満州鉄道に勤めていた。
満州傀儡政権を作った中人人物である「板垣征四郎」の征と
「石原莞爾」の爾を取って「征爾」と名づけられた。小沢征爾も
山田洋次も加藤登紀子も五木寛之も「引揚者」である。
共通して日本へ帰国しての「貧乏経験」、国家権力への不信、
そして放浪癖がある。
我が家も「引揚者」である。私の中にも権力とか強い者への
強烈な反撥、放浪癖がある。無国籍な人間なのである。

朝食  フォー。

午前7時45分、ベトナム事務所へ。

既にベトナム事務所員は仕事を始めていた。皆さん、
仕事には熱心である。感謝。



午前8時過ぎ、地球の歩き方5班(22人)がベトナム事務所
訪問。ベトナム事務所員の自己紹介。

バオミン運営委員長の司会


これから案内したりお世話をするベトナム事務所員の自己紹介





原田先生がフエ滞在中の諸注意を行う。

細かい点まで話をする。
・ホテルの部屋の鍵は2つ以上かけること。
・シクロ、オートバイタクシーは乗らないこと。
 その代わり明日ホテルからシクロで「子どもの家」へ行く。
・水道などの水は飲まない
・夜外出は出来るだけ控えて欲しい。外出する場合は
 複数で。
・デング熱対策で蚊にさされないように

地球の歩き方の皆さんは「子どもの家」へ。

私はバオミンさんと打ち合わせ。

その後、急いで「子どもの家」へ。

ソン君とアンさんが「子どもの家」の施設案内中。

刺繍みやげ物店に行く。ロアン店長を中心に
皆さん、頑張って仕事をしていた。
これで刺繍みやげ物店も正常な形に戻った。



9時半から10時45分まで講演会

午前10時45分からこどもたちの歓迎の踊り・交流会


セン運営委員長の挨拶



こどもたちも夏休みが終わり新年度に入る。


こどもたちの歓迎の踊り(少数民族の踊り)

小学生の踊り


中・高校生の踊り


地球の歩き方側の出し物。団長さんの挨拶。


しあわせなら手をたたこう


こどもたちも一緒に手をたたく


午前11時半過ぎ、交流会終了。


地球の歩き方の皆さんが市内レストランで昼食。

私は宿舎へ。
午後12時近く昼食。


午後12時半から1時間ほど午睡。

「若き実力者たち」(沢木耕太郎著)読了。

秋田明大が「幻視行」という本を出したのを知った。


午後3時半、原田先生から電話。

静岡大学ニフィー留学生3人の「マブチ国際育英奨学金」
申請のための「推薦状」を書く。結構時間がかかる。

午後5時半、日本料理店へ。

古竹先生・富岡先生は日本語学校。

日本人の来客あり。

厨房のこどもたちも頑張って仕事をしていた。


来客あり。


午後8時、閉店。午後7時20分、フエ空港へ到着予定の
日本語教師土井先生の歓迎会の準備。


午後8時10分、フエ空港へ迎えに行った原田先生と
フオン先生が土井先生を案内して日本料理店へ。


こどもたちと日本人スタッフで土井先生の歓迎会をする。


昨年、静岡大学の学際授業「ベトナムを知る」でフエに来た
土井先生。現在、静岡大学4年生。1年間休学して
ベトナム事務所で仕事をすることになる。健康に気をつけて
無理をしないで生活して欲しい。



原田先生の「歓迎の言葉」で乾杯


こどもたちが何種類かの料理を作る。


餃子



ごぼうの天ぷら



じゃがいもとニンジンの金平



隠元の胡麻和え



太巻き



こどもたちが一人一人自己紹介

リー君



副店長・調理主任のトゥオイさん

厨房のヒエウさん(最近休みがち)



在庫管理主任のチャンさん



接客主任のグエットさん



1時間弱懇談・土井先生歓迎会を行いお開き。

宿舎着午後9時半過ぎ。徒歩で帰る。

土井先生が来たことでベトナム事務所には私を入れて
5人の日本人スタッフとなった。JASS函館の会の会員で
北海道教育大の柴山さんを入れると6人の日本人スタッフ
となる。


投稿者 koyama : 2010年09月04日 17:21

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