« 神奈川県青少年協会スタディーツアー講演会 | メイン | 終日豪雨:秋到来か? JASSツアーフエ市立病院へ »

2010年08月19日

JASSツアー「ファンソナム中学校」交流:夜、焼き鳥夏祭り

終日、快晴 夜9時雨。

午前5時起床。

読書「日はまた登る」(ヘミングウェイ著:谷口隆男訳 岩波文庫)
何故、主人公が退廃的な生活行動(酒と女性)を取るのか?
第1次世界大戦に参戦した米兵。負傷。戦争に参加した人間の
負っている「見えない心の傷」を少し、知ろうという気持ちを持って
読むと「日はまた昇る」の情景が理解できそうな気がする。
人間はその時代の制約から逃れることは出来ない。
私の父親が1910年生まれ。1930年・20歳で徴兵。
1945年・35歳で敗戦。20歳から35歳を中国の戦場で過ごす
という時代の制約の中で生きてきた。軍隊で生き生活してきた
父親と、戦後民主主義教育を受けた私と「相容れない」のは
当然のことである。
私は1947年生まれ。憲法と教育基本法とともに生まれた世代。
60年安保闘争、70年安保闘争に否応なしに関わらざるを得なかった
世代である。
「日はまた昇る」の登場人物の生き方が、戦争の後遺症のような
ものを引きずっているように思えてならない。

午前7時朝食。「おかゆ」。おかゆが体に丁度良い。

午前8時、JASSツアー宿泊のフォンザンホテルへ。
皆さん、体調は良好。安心。

JASSツアー11人、私、バオミンさん、富岡先生と
一緒に「子どもの家」のこどもたちが通っている
「ファンソナム中学校」へ。

日越中学生同士の交流。


挨拶をするJASSスタディーツアー


校長先生とバオミンさん

校長先生からJASSスタディーツアーの森田団長へ
記念品贈呈。


ファンソナム中学では、数クラスで日本語を勉強している。
週2時間から3時間程度。

日本語を使っての日越中学生の交流が始まる。





日本語教育の質と学習時間の問題もあり、日本語を使っての
日越中学生の会話は事実上難しかった。
結局「指差しベトナム語会話」の本を使っての交流とはなったが
意義のある交流を行った。


フエ市副市長・フエ市議会副議長などフエ市人民委員会の
役員の方々が交流の実情を視察にこられた。


最後にJASSツアーのこどもたちが日本の歌を紹介。
私は聞いた事のない歌だったので、何の歌だか
分からなかったが・・・・・

ファンソナム中学には13人の「子どもの家」のこどもたちが
通学している。丁度、下校時に4人のこどもたちがいたので
記念写真を撮る


少し時間があったので、JASSツアーの皆さんは
フエ最大の市場「ドンバ市場」へ買い物。



丁度、神奈川県スタディーツアーの皆さんもドンバ市場
にアオザイを買いに来ていた。

午前11時半。JASSスタディーツアーは、昼食。

新任日本語教師富岡先生も段々フエの生活に慣れて
来たようだ。

午後1時、宿舎へ。

1時間ほど「午睡」。

読書「日はまた昇る」。

この間、溜まっていたメールの受信・返信。

夏のスタディーツアーの日程、分担をもう一度洗いなおす。
問題、矛盾などがないかを確認する。
いくつかの点でバオミンさんと電話で確認・相談。

明日から、地球の歩き方3班がやってくる。

JASSスタディーツアー、神奈川県スタディーツアー、
地球の歩き方スタディーツアーと3つのツアーの案内を
行う。ベトナム事務所も大忙し。

午後6時半、電動バイクで「子どもの家」へ。
今夜はJASSスタディーツアーの焼き鳥夏祭り

富岡先生も一夜にして「焼き鳥屋」に変身


3日前に入所したTHUYさんも「焼き鳥夏祭り」を楽しんで
いた。



昨日入所したHUY君。(8月16日に自宅訪問した)
1日で「子どもの家」に慣れたようだ。


見えない所でしっかりと仕事をしている原田先生
時々、「つまみ食い」あり。

「子どもの家」男子のホープ。フエ科学大に通っている。
落ち着いた生活態度。

フエ科学大生に次ぎ、「子どもの家」の未来を嘱望されている
チュン君。相当、気が弱い。



「焼き鳥夏祭り」を楽しんでいる。焼けるのを待つこどもたち

「子どもの家」新入りをエスコートするJASSスタディーツアー
のこども



「焼き鳥夏祭り」のメインイベント「スイカ割り大会」
「子どもの家」のこどもたちは異常に燃える。


新しく入所したTHUYさんは、「子どもの家」のこどもたちとも
段々慣れてきた。



午後8時過ぎ、「焼き鳥夏祭り」閉会。


電動自転車で宿舎に帰る。

気候の変化が大きい。頭痛と倦怠感が抜けない。

食欲なし。


投稿者 koyama : 2010年08月19日 18:55

コメント