« 「子どもの家」入所希望者家庭訪問:リー君と話し合い:JASSツアー講演会 | メイン | 神奈川県青少年協会スタディーツアー講演会 »

2010年08月17日

ついにダウン:夕方JASSツーの皆さんと夕食会。

午前6時過ぎに目を覚ますが、起きられない。

午前7時、朝食。キャッサバうどん。食欲なし。半分ほど食べる。

体中が痛く、気力なし。メールを読む気持ちも出ない。
幸い、今日は夕方までツアーの案内などは入っていない。
1日横になり、体力をつける。

検温。7度3分。微熱有。下痢止まらず。

この数ヶ月間、無理に無理を重ねて仕事をして来た。
心も体も疲れ切っているもの事実。

ベッドで横になり、「1Q84 BOOK 3」を熟読する。
不思議な、つかみ所のない本である。
私が一番気になるのは、内容・筋立ては別にして、
本の「小道具」となっている車・衣類・飲み物・酒・本・音楽が
100%「カタカナ」書きの欧米ものである。
私の知らない欧米の作家の引用、私の知らないクラッシク
音楽をいくつも書き連ねることにより、何となく、現実離れをした
本の内容に「重み」が付くようになってしまう。
村上春樹の本のうまいところは、内容・筋の組み立てなど
よりも「こうしたバター臭い道具立て」を随所にちょこ・ちょこと
入れることで、何となく「雰囲気」を現実の日本から遊離させる
世界に読者を導きいれてしまうの長けている所だ。

午前11時。バオミンさんに電話。症状を伝え、必要な薬を
薬局で買って来てもらうようお願いする。

午前11時半、昼食。おかゆ。なんとか残さずに食べる。

とにかく今・現実的に私が寝込むことは出来ない。
10月5日まで毎日スタディーツアーは続く。全ての
スタディーツアーで90分ほど私の講演会が入っている。
毎日様々な問題が起こる。どれ一つ取っても「下手な解決」
をしたらJASSの「命取り」になりかねないものが多い。

午後12時過ぎ、ベッドに横になり天上を見ながら17年間
過ごしてきたJASS活動をボーッと考えてみた。
「山あり谷あり」というのが普通なのだろうが、「谷あり 谷あり」
と言った17年間だった。9月1日からフエ滞在18年目に入る。
物事が思うように行ったことは一つもない。
などと考えているうちに寝入ってしまう。

午後12時半、バオミンさんが薬を持って来てくれたので
目覚める。ありがたい。感謝。
薬を飲んで何とか早めにこの症状(風邪?)を治さなければ
ならない。

1時間ほどウトウトする。

読書「1Q84 BOOK 3」。

午後4時半から30分ほど、電話でバオミンさんと
打ち合わせ。当面のいくつかの問題。


午後6時過ぎ、日本料理店へ。

午後6時半、JASSスタディーツアーの皆さんと
夕食会。

初めにグエットさんとリー君(現在解雇中。臨時試用期間)
コンビによる「今日のメニュー」紹介。

森田さん・加藤さん・山田さん引率の「JASSスタディーツアー」
参加者の一人、中学生のA君が「乾杯」の音頭。
その場にあわせた適切な挨拶をし、「乾杯」。



こどもたちの多くは「スイカの生ジュース」で乾杯。

リー君も真面目に仕事をしている。少しは反省しているのか?
と思ったら、大間違いなどという経験をしているので、
リー君の行動をしばらく見守ることにしている。

団長の森田さんたち


今度こそ、暴力事件をしっかり反省し、借金地獄から脱して
欲しいと「祈る気持ち」である。本人は何を考えているのか?
仕事はしっかりとしている。



ベトナム事務所運営委員長のバオミンさん

午後8時、閉会。


その後、日本料理店の後片付け。
私は片づけを終えて、帰宅する。立っているのと話をするのが
少し辛い。食事はほとんでできなかった。


宿舎に帰り、火炎樹日記を書く。何人かの方にメール送信。


午後9時半、ベッドに横になる。
読書「1Q84 BOOK 3」の最終部分を読む。
3冊の「1Q84」を読んだが、著者が何を言いたいのか?
ほとんど分からなかった。私の理解力が足りないのか?
本が難しいのか?

私はベトナムに来て、仕事をしながら風邪などの病気を
治すという術を学んだ。体に良い訳がないのだが・・・・・。

投稿者 koyama : 2010年08月17日 12:43

コメント