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2010年08月16日

「子どもの家」入所希望者家庭訪問:リー君と話し合い:JASSツアー講演会

終日曇り・時々小雨。

午前3時半目覚める。
読書「1Q84 BOOK 3」(村上春樹著)

「ノルウエーの森」も読んだが、1968年と
銘打って、全く当時の社会情景(70年安保・エンタープライズ
佐世保入港・・・)と日本社会が騒然としている時代の
背景に触れない「非政治的な」「政治の本」であった。

「1Q84」は「山岸会」のような感じの団体や「ものみの塔」
のような宗教団体が話の中心になるという意味では、
かなり社会に目を向ける傾向を帯びている。


午前7時朝食。フォー。

午前7時半、バオミンさんと電話で話し合う。
リーの今後の扱い。午後2時にベトナム事務所で
リーと今後の身の振り方について話すことにした。
今日は、私もバオミンさんも忙しい。リーと話ず時間が
なかなか取れないが、昼寝を削って話し合いを持つ。

午前8時前にベトナム事務所へ。

ベトナム事務所の前の路上喫茶店にリー君が寂しそうに
座っていた。今日、午後2時に話し合いをするから来なさい
と話す。少しは反省をしているのか? それともいつものように
「何とかなる」と平然としているのか?
リーの顔の様子を見ると「涙が」出てくる。私の人生を重ね合わせて
しまう。リー君も「孤独」なのだ・・・・、。
リー君を救えるのは私だけだなどと考えてしまう。
私がリー君の支援を「止める」と宣言すればそれで終わりで
ある。私はリー君に「幸せな人生を歩んで欲しい」。

ベトナム事務所に入る。JASS東京の「村長さん」
が来ている。4日間ほど、「子どもの家」で活動したいとの
こと。

「子どもの家」入所希望者の家庭2軒を訪問。

「子どもの家」寮長ロックさん、ハンさん、古竹先生・富岡先生。

初めにフエ市内の男子。ベトナム事務所jから車で20分。
キムロン地区。13歳。H君。
父親がいない。(理由は不明) 母親は、他の男性と
結婚してしまった。結局、親がいないで祖母(62歳)の
手で育てられる。祖母も編み物のような仕事を4畳半一間の
部屋でやっていた。生活が出来ない。祖母自身が高齢化し
これ以上、孫の面倒がみられないという境遇。
隣りの「子どもの家」関係者から「子どもの家」を紹介され、
是非、入所させたいとのこと。

祖母に生活の実態を聞く。祖母とH君に「子どもの家」入所の
決意を確認する。どうしても入所させて欲しい、入所したい
とのこと。

H君に聞く。将来は何になりたいの? 「公安警察」
とのこと。

近所の人たちも心配で同席している。



祖母の話を聞く。確かに生活に困窮している。このまま
放置すれば、Hくんは中学を退学する可能性が強い。

ロックさんとも相談し、入所を決定する。

ベトナムは今日から事実上の新学期が始まっている。
早急に「子どもの家」へ入所するよう勧告する。
H君も祖母のそうして欲しいとのこと。
詳細をロックさんと打ち合わせをする。近日中に
入所する。

急いで2軒目の家へ。フオン・ディエン郡。フエ省の北にある
クアン・チ省に近い。車で40分ほど。

純農村地域。緑が多く、山の匂いがする地域である。

Tさん、女子16歳。中学4年生(日本の中3)。
母親は盲人であり、耳もあまり聞こえない。
父親は近くの盲学校の手伝い。月給2000円。
7人兄弟の一番下。
93歳の祖母もいる。

Tさんの上の6人の兄や姉は既に家をでている。
家には、盲人の母親と93歳の祖母と盲学校勤務の
父親の3人暮らし。
月収が2000円では生活出来ない。4人家族なら
最低15000円から2万円は必要。一人暮らしのリー君でも
月給は6000円。

地元人民委員会の紹介で「子どもの家」を知ったとのこと。

ハンさんと入所希望の中3のTさん。

Tさんは小学1年生から中学2年生まで毎年「オール5」。
成績が優秀なので近所人たちや父親の勤めている
盲学校の責任者が「子どもの家」に入れて、大学まで
行かせるようにとの助言をしたとのこと。

Tさんに聞く。「将来は何になりたいの?」。
「先生か警察官」。

父親の勤める盲学校の先生(本人も盲人)も
Tさんの優秀さを強調していた。

Tさんの家

Tさんに「子どもの家」への入所希望するのか?を聞く。
「自分は勉強が好きだ。子どもの家に入り、大学に
行きたい」とのこと。真っ当な考えである。
40数年前の私を彷彿させる。
こうしたこどもたちに何とか人生のチャンスを与えたい。
社会から見放されたこどもたちに人生のチャンスを上げたい。


入所を決定する。大学卒業するまで面倒を見たい。

ベトナムは「バブル」に酔っている。しかし、大都市を少し
外れるとこうした本当に「どうしようもない」貧困と闘っている
人たちがいる。社会主義は本来こうした家庭を助ける
ことを目標としていたはずである。しかし、ベトナム社会主義を
作った人々(元解放戦線・共産党員幹部)は、こうした
家庭やこどもたちに興味を示さない。自分たちと家族、
親族の豊かさと贅沢さに邁進している。
共産主義・社会主義の「理想」はどこにいってしまったのか?

ベンツを買い、高級な家を買い、別荘を持っている
共産党員に諫言したい。貴方たちは、何を目指し、
ベトナム戦争を闘い、共産党に入党したのか?
自己と家庭と親族の贅沢のためなのか?

などということは、考えたり、言ってはいけない社会である。
私を反政府主義者・反社会主義運動をしいるとして警察に
告訴した人物がいる。

帰りの車の中で「下痢状態」。
どうしてもトイレに行きたくなる。

国道1号線のレストランのトイレに入る。

トイレにドアがない。ドアの外で料理の女性2人が
野菜の調理をしている。こんな破廉恥なドアの
ないトイレに入れないと思いつつ、つきくる便意に
抗えない。昨日の「ベトナム風ほか弁」に当ったのか?
体力が衰え、風邪を引いたのかは不明だが、ひどい下痢。

午前11時。ベトナム事務所に戻る。

午前11時半、昼食。ご飯、魚の煮物、野菜炒め。


午後12時過ぎ、読書「1Q84 BOOK 3」。
その後30分ほど「午睡」。

午後2時前、急いでベトナム事務所へ。
リー君と一昨日の暴力事件について話し合う。

リー君にことのいきさつを聞く。一昨日の火炎樹日記の
内容と一致。
今後、こういた暴力行為はしないという。
通常なら警察に逮捕されたら裁判で懲役2年位の罪だよ
と話す。

リー君は23歳だ。もうこうした「子ども」のようなことは
しないように。何故、ビールのグラスで相手の顔を
殴ったのか?と聞く。

相手が友達を殴ったから、との答え。
殴ったら、相手に何故、口で文句をいえなかったのか?
口で文句を言うのは自由だ。コップで相手の顔を殴るから
警察に捕まるのだ。

リー「自分を抑えることができなかった。頭に来たから・・」。
頭にくるのは分かるが、暴力を振るえば、リーも犯罪者に
なる。頭に来たら「口で相手に言いたいことを言いまくれ」
と私。相手が頭にきてリーに暴力を振るえば、相手が悪くなる。
暴力を振るった方が悪い。今後、絶対に暴力を振るってはいけない。
「舌戦」で戦えと話す。

ところでリー君は「借金」はしていないか?と聞く。
りー「していない」。
小山「毎日乗ってくる自転車がリーの自転車ではないが
何故だ?」。
リー「自分の自転車は家に置いてある」。
小山「ばか者。嘘を言うな。それなら、今、家から
自転車をもってこい」。
リー「すみません。質屋に入れました」。
小山「何故、嘘をつくのだ・・・・」。

こうしたやり取りが、続く。
午後2時からバオミンさんと一緒にリーの暴力事件についての
調査を行った。午後2時半からJASSスタディーツアーを
案内して「子どもの家」へ行く。時間がない。

小山「りー、お前は嘘を言ったな」
りー「ハイ言いました」。
小山「何故、嘘を言ったのだ」
リー「本当のことを言うと怒られるから」。
小山「ばか者、嘘を言えば言うほど、怒られるのだ」。
バオミンさんと時間がないのでどうする、と話し合う。
今日の日本料理店勤務について。
何らかの処分が必要。結局、「解雇処分」とする。
理由は暴力行為。私とバオミンさんに嘘の供述をしたこと。

今日から土曜日までの1週間「試用期間」とする。
臨時採用とし、1週間まじめに仕事をしたら、採用とする。
リー「分かりました。頑張ります」。

急いで、日本料理店会議を開く。

日本料理店スタッフに事件の経過を説明。
リー君を「解雇」したこと。今週1週間「臨時採用」とし、
その結果で正規採用するかを決めると話す。

本来ならリー君は今頃警察に拘留され、裁判にかけられ
懲役1年か2年になっている。

私が色々と考え、懲役刑をさせなかった最大の理由は
リー君が懲役1年か2年の勤めを終え社会復帰した時、
どんな状況が待っているのかを考えた。
真っ当な社会復帰はありえない。ほぼ100%「ヤクザ」の
世界に入るしかない。
17年間付き合ってきたリー君を「切り捨てる」ことは出来ない。
リー君が「悪くなる理由」はある。
誰かがリー君のサポーターになって応援するする人がいても
良いと考えた。

1週間真面目に仕事をしたら、再度正規採用し真面目に
働くように促したい。

リー君の暴力事件は、「お役所仕事的発想」では、クビである。
しかし、国際支援の立場からすれば、こうした時こそ
私たち海外支援団体は誰の立場に立つのか?が問われている。
私は飽くまで、貧しい人たち、立場の弱い人たちの側につきたい。
高見の見物で理屈で何を言っても、私は弱いこどもたちの
立場に徹底して立ちたい。リー君の人生を考えれば、友人を
殴った人間に「腹を立てて」グラスで顔を殴ったことは許せないが、
気持ちは理解できる。

時間をかけて、リー君の人生の歩み方を教えて行きたい。

リー君は「解雇」と「1週間の臨時採用」という措置は
やはり元店長としては、プライドを傷つけたと思う。
傷ついたリー君が傷と格闘して成長して欲しい。


午後2時半を過ぎたので、急いでフォンザンホテルに行き、
JASSスタディーツアーにツアーの皆さんと合流。

ベトナム事務所へ挨拶。

JASSスタディーツアーの皆さんと「子どもの家」へ。
JASS東京の「村長さん」こと秋山さんがたんすの修理を
していた。


JASSスタディーツアーに挨拶をするセン運営委員長


午後3時から午後4時過ぎまで講演。


JASSスタディーツアーと「子どもの家」のこどもたちと
近くの「タイ・ロック市場」に買い物へ。

午後5時半、「子どもの家」で夕食。

今日の「子どもの家」の夕食。


「デング熱」対策で各所に「蚊取り線香」を置く。





私は下痢状態と吐き気たあるので「子どもの家」での夕食は
摂れない。

午後7時、フォンザンホテルへ帰る。
私とバオミンさんが付き添い。



私は、吐き気と下痢。原因は食中毒か風邪。

日本料理店に行き、原田先生・古竹先生・富岡先生に
下痢と吐き気が酷いので帰宅し、休むと話し、宿舎へ
帰る。

宿舎に帰ったが下痢をしているのだが、どうしても
「ラオス・ラム酒」を飲みたくなる。

少し、ラオディーの」ラム酒」をロックで飲む。
更に下痢が酷くなるが、飲まないでは眠れない。


投稿者 koyama : 2010年08月16日 13:14

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