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2010年07月24日

JASS主催ツアー帰国

午前6時起床

さすがに長期間の案内等で疲労が残る。

午前8時半、フォンザンホテルへ。

午前9時、JASS結婚式参加ツアー(里親ツアー)の皆さん
と一緒に「子どもの家」へ。


里子のこどもたちが待っている。

里子のこどもたちと里親と一緒にフエ最大のスーパー
「BIG C」へ買い物。里親から里子へ通学カバンなどの
プレゼントを買う。

バオミンさん・フーン先生・フオン先生が通訳として
付いてくれるので安心。

「BIG C」前でバオミンさんより店内での行動について
こどもたちへの諸注意

いよいよ里親ー里子と一対になり「BIG C」の店内へ。

約2時間。里親と里子、それに通訳のバオミンさん・フーン先生
フオン先生たちは「BIG C」店内を散策・買い物。
ノート、ボールペン、通学バッグなど主に新年度の学用品を
プレゼントしてもらう。


こどもたちを「子どもの家」へ送る。

午前11時半から日本料理店で昼食。

メニューは、
①ざるそば ざるうどん そうめん きつねそば きつねうどん
 焼きうどん(味噌汁つき)

②太巻き  カッパ巻き+鉄火巻き盛り合わせ(味噌汁つき)

③玉子丼 親子丼 他人丼 牛丼 カツ丼 中華丼 三色丼
 (味噌汁つき)

私はそうめんをたのんだが、その他参加者はほどんの方が
③のどんぶり物を注文。

最高齢の方は79歳。平均年齢は60歳代の後半か?
しかし、活動のエネルギーの凄さに驚く。
食事もしっかりと摂っている。
皆さん、長生きすることは確実と食事の注文内容を
見て実感した。一番、ヘニャヘニャなのは、私であった。


焼きうどん



玉子丼


太巻き



きつねうどん

そうめん



昼食を摂り、暫時、ホテルで休息。


午後2時、天安山(ティエンアン山)の中腹にある
中国茶専門の喫茶庭園に行く。

ウーロン茶。鉄観音茶。蓮の実茶などを美味しくいれてくれる。

山の中腹は緑一杯。広い庭園の中のござの部屋でゆっくりと
中国茶を飲みながら2時間ほど時間を過ごす。至福の時間と
なる。


午後4時半、ホテルへ戻り帰国荷物の整理。

午後5時過ぎ、フォンザンホテルを後にする。

途中で「フォーサイゴン」でフォーなど簡単な食事を摂り
フエ空港へ。


チェックインを済ませ、バオミンさんより今後のホーチミン空港など
での諸注意。



午後6時半、フエ空港内ロビーへ。


JASS創立以来はじめて実施した「里親ツアー」であった。
15人の方々が参加。17年間のJASSの現地での
活動の実態を実際に自分の目で見て頂いたこと、
JASSの17年間の到達点を確認して頂いたこと、
里親同士の交流・親睦が深まったことなど大きな成果を
得た「JASS結婚式参加ツアー」だった。
協力して頂いたピースインツアーさんにも感謝。

午後7時半、日本料理店へ戻る。私は「フォーサイゴン」
で夕食を摂らなかったので日本料理店で夕食(の代わりの
生ビール)を摂る。来客がいないので「桜」で店内で飲んでいると
次から次と来客あり。結局10数人の来客。オーストラリア、
イギリスなど欧米系がほとんど。

午後9時20分、閉店。

今日で7月17日から始まった「結婚式参加ツアー」が全て
終わる。

26人の日本からの参加者に心から感謝したい。

東京の会、京滋YOUの会、火炎樹の会(茨城)、
各地の会がない中での長い間里親をしてくれている
皆さんのフエ訪問に感謝したい。


8日間の結婚式(2回)、「子どもの家」訪問、JASS関連施設
案内、観光などの諸業務は楽しかった。同時にかなりの疲労が
残った。口内炎がいくつも出てしまった上、腰痛が再発。
(腰痛は、何人もの方に湿布、痛み止めの薬を頂いた)

今回は、私が小学校5年生(10歳)の時から高校(漢文)
まで教えて頂き、東京学芸大に入った後は、家庭教師などの
世話までして頂き、本当にお世話になった岩淵房夫・絢子先生
ご夫妻がこられた。52年間のお付き合いになる。
高校を卒業した時、弟が白血病になり入院。父親も前年死亡し
生活ができなくなった際、岩淵先生が保証人になり、巣鴨駅前
中華料理店に1年間勤めたことがある。
ベトナムでの活動の精神的な基礎は岩淵先生の強い影響を
受けていることを今日改めて自覚し、感謝いている。
先生は現在大病を患っている。いつまでも健康で長生きして
欲しい。
中学卒業時(1962年3月)、岩淵先生は個人的に20名ほどの
男子学生を連れて「冬の雲取山ー東京都の最高峰 2017メートル」
の雪の冬山登山に連れて行ったくれた。
高校の頃、奥さんの絢子さんと結婚した。先生の家に高校生を
10人ほど呼んで、酒盛りを勧めてくれた。

高校の同級生が5人も来てくれた。彼らと知り合ったのは
47年前の16歳の時だった。3年間クラス替えのない都立高校
だったので他のクラスとの交流はあまりなく、今日まで
47年間もの長い間、こうして付き合いが出きることは
人生幸せなことである。五井君と私の家は近くにあり、
高校時代同級生が五井君の家に結集し、お酒を飲んだものである。
3日間の滞在であったが、
毎日の活動が終わったあと五井君・北田君の部屋に
5人が結集し、「今日の政治」「日本の未来」について、
長時間話し合ったことは、さすがに迷門都立高校の
卒業生と感心した次第である。
通常この種の同級生の夜の会になると「下品な」話に
陥るのであるが、そうしたことが全くなく、今日の
世界情勢(特に9・11、リーマンショック以後)の
変転、社会主義・コミニズムの未来がどうなるのか?
を環境問題、遺伝子操作、絶滅危惧種の増大、
食糧危機などの問題とあわせて、長時間話し合った
ことは、彼らの的教養の高さを物語っている。

今回は5つのグループが結婚式に参加しながらそれぞれ
違った活動を行った。坂本文子さん・原かおりさんは、
ベトナム事務所の手伝いという目的でのフエ訪問であったが。

ベトナム事務所員が全力投球で頑張ってくれた。
バオミンさん・ハンさん・フーン先生・クアンさんなど
それぞれ家庭を持っているが、日曜日や夜遅くまでの
仕事を嫌がらずに積極的に進めてくれた。
原田先生・古竹先生も自主的に自分で仕事を見つけ
私やバオミンさんが「頭の回らない」所を知らない間に
埋めてくれていた。JASSの会員ではない大塚さんが
日本料理店での食事をきちんと準備するようこどもたち
を指導。美味しい日本料理を食べることができた。

ベトナム事務所・日本料理店は今回の「ソン君・メンさん結婚式」
参加の各ツアーの受け入れ・案内を通して一段と質的に向上し、
団結も強くなったことは事実である。
人間の団結は、思想ではない、実際に仕事を通して
団結していくものである。困難な仕事を協力して乗り越えて
行く「過程」を通して、人間は共通の感情・同士愛のような
ものが出てくるのである。仕事・労働の大きな意味は
共通の仕事を通して、人間を結びつけるというところにあると
実感した8日間であった。
バオミンさんをはじめにベトナム事務所員に感謝したい。

そしてソン君とメンさんの結婚は、私たちのフエでの17年間の
活動の結晶であり、象徴的な出来事であった。
二人の幸せな人生を祈りたい。
ソン君はベトナム事務所員、メンさんはフエ市人民委員会外務部員
として仕事をする。ソン君は文字通りJASSの中心的なスタッフで
あり、メンさんも行政の立場でJASSをサポートする仕事である。
こうして「子どもの家」の卒業生がJASSの次代を担う人材として
成長してくれたことに感慨を覚える。17年と言う年月がけして
無駄な月日でなかったことを、この日記を書きながら実感した
次第である。ソン君とメンさんの結婚に感謝したい。

投稿者 koyama : 2010年07月24日 10:37

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