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2010年07月16日

成田→ホーチミン→フエへ

午前5時半起床。

昨夜、買っておいた「おむすび」1個を食べ、心臓の薬を飲む。
荷物の整理。
午前8時、ホテルのバスで成田空港第2ターミナルへ。
気温30度。

チェックイン・出国手続きもスムースに終わり、午前9時過ぎには、
ホーチミン行きの待合室へ。

午前10時30分、成田を出る.乗機率60%程度。

機中で「ナショナリズムという迷宮」(佐藤優・魚住昭著:朝日文庫)
を読了する。

知的好奇心を強く刺激する内容である。ナショナリズムの起源は
近代産業社会が確立して初めて作られた概念と説明。

小泉構造改革路線は、ファシズムではない。ファシズムに必要な
「やさしさ」がない。ファシズムはその中に所属していれば、居心地の
良いシステムあり、ある意味で「やさしさ」を持っているが、小泉改革は
徹底した新自由主義・市場原理主義であり、新保守主義。国民に
「やさしさ」さえも与えずに搾取・収奪していると説明。
ホリエモンが「国策捜査」で捕まったのは、天皇制の必要さおも否定し、
「お金」だけを追求する新自由主義路線を地で行ったからと説明。

日本に残る部落差別に話が行くと、野中広務氏が首相になり
そうになった際、麻生太郎元首相が
「あんな部落出身者を日本の総理にできないわな」と言ったそうだ。
佐藤優氏が浦和高校で社会主義青年同盟(社青同)協会はに
入会し、鎌倉孝夫の資本論の読書会に参加していたことを知る。

又、丸山真男の批判をしている。丸山が戦前の日本ファシズムを
支えたのは、中産階級であるとしたが、丸山は更に中産階級
の中で私たちのようなインテリと小学校・中学校の教師などの
インテリではない層ではファシズムへの参加度が違うと言う。
丸山などインテリは、ファシズムをしっかりと理解していたが、
反対運動への腰が据わらない問題があったが、小中学校の
教員などプチブル非インテリ層がもっとも積極的にファシズムに
参加して言ったといっているが、自分たちをインテリ層と規定
ている所に丸山の優越思想が垣間見られると批判している。
美濃部達吉の『天皇機関説』を批判したのも丸山が言う東大
出身・東大教授などのインテリ層だったと。

意見の違う部分もあるが、読む価値のある本です。

午後2時半(日本時間午後4時半)ホーチミン空港着。
気温28度。
順調に入国手続きも終わり、国内線へ。

今回は国内線で切符が勝手にキャンセルされるということもなく、
午後3時、ホーチミン空港国内線でフエ行き(午後6時10分発)を待つ
ということになった。ここまでは、ベトナム航空としては、珍しく順調に
進んでいた。バオミンさんに電話。午後6時10分ホーチミン発、
午後7時20分フエ空港に着くと連絡。その後、午後8時頃から
日本料理店で夕食を摂るという手筈。

2時間程待つた午後5時頃、放送があった。「オペレーションの
理由でフエ行きは、2時間遅れ、午後8時10分になりました」
とのこと。

『やっぱり』と得心する。そんなに全てが順調に進むわけがないのが
ベトナムなのだ・・・・。
結局、午後6時10分発がが午後8時10分に変更され、更に
8時25分になり、8時30分になり、結局、午後9時に
ホーチミン空港を出発した。国内線出発のボードを見ていたが、
午後6時から7便ほどが大幅な遅延となっていた。
機材の故障ではなく、飛行機の「やりくり」がつかなかったの
が原因と見た。

ベトナム航空は最後まで「遅延」の理由を説明しなかった。
「オペレーションの理由で」と英語で言っていたが、意味不明。

成田 →ホーチミン市6時間、ホーチミン空港に6時間すわり、
ホーチミン市 →フエ1時間20分。と言うことで、今日は13時間半
ほど座っていた。腰痛再発。

フエ空港着午後10時過ぎ。荷物を待ち、宿舎へ着いたのが
午後10時50分。

夕食を食べていなかったので、電話でバオミンさんにお願いする。
迎えに来た車の運転手さんに「ほか弁」を頼んでもらう。
ほか弁をもらう。「素晴らしい」ほか弁だった。
ご飯の上に大きな豚肉の焼いたものが2つ乗っている
だけのほか弁だった。ベトナム人は肉が多いほか弁が
好きなのだろうか? 私は肉が少なく野菜の多い
ほか弁が好きなのだが・・・・・。

午後11時前にやっと宿舎に到着。冷たいビールを飲み
ほか弁のご飯を少し食べる。
それでもフエに着くと何となく「落ち着く」。17年間住んだ
土地が郷土になってしまった。大好きで大嫌いなフエである。


投稿者 koyama : 2010年07月16日 20:07

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