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2010年07月21日
ソン君・メンさん結婚式第2弾(ソン家での結婚式)
午前7時、フォンザンホテルへ。
ソン君の生年月日で占うと7月21日の午前8時過ぎに
ソン君の先祖に結婚を報告する「結婚式」をする、と出た。
そんな事情で午前7時にフォンザホテルを出発する。
ソン君と母親が市内のフォンザンホテルまでやってくる。
ソン君を最初から「子どもの家」で支援していた里親の
岩淵房夫先生ご夫妻も77歳という高齢を押して日本から
参加。
岩淵先生は、私の小学校5年生から中学、高校(漢文)の
先生だった。私が人生で一番尊敬している先生である。
車で1時間。メンさんの実家へソン君母子と一緒に出迎えに行く。
メンさんの実家の手前で車から降り、ベトナム伝統の
「メンさんの出迎え」行列。
お酒、ビンロウ、金銀財宝などを持っていく。
JASS結婚式参加の皆さんもメンさんの家へ。
メンさんの両親である内田さんご夫妻
セン「子どもの家」運営委員長、柳沢さん、高橋さん
ソン家へ「嫁ぐ」メンさんの出で立ちは、「赤いアオザイ」姿。
メンさんの家の祖先の祭壇の前でソン家へ嫁ぐ旨を報告し、
ソン家は、メンさんをソン家の人間として受け入れることを報告
約束する。
ソン君の母親から指輪をもらい親子の契りをする
1993年9月から私と一緒に「子どもの家」の活動をしてくれている
キム・アインさん
長年の里子だったソン君の結婚を考え深げに見守っている
岩淵先生ご夫妻
メン家の祖先の祭壇前で母親の内田さんから24金のネックレスを
首にかける儀式。
メンさん出迎えの全ての儀式が終わりほっとしている新郎新婦。
私の高校の同級生と新郎新婦
メンさんのご両親内田ご夫妻、ソン君の両親岩淵ご夫妻
ソン君・メンさんを実際の育てた「子どもの家」のスタッフ
ソン君・メンさんと一緒に「子どもの家」で生活したこどもたち
と大塚さん
メン家での「出迎え儀式」が終わり、更に車で1時間。
ソン君の実家へ到着。
いよいよソン家での本格的な結婚式を行う。
参加者は300人以上いた。
新郎新婦入場
結婚式の舞台に立つ岩淵先生ご夫妻、内田さんご夫妻
はじめに私が今回の結婚についてのお祝いの言葉を述べる
続いてソン君の両親である岩淵先生より挨拶
更にメンさんの両親である内田さんから挨拶。
結婚披露宴のメインイベントであるワインの滝
岩淵先生ご夫妻から新郎新婦へお祝いの言葉
3時間近く続く大宴会が始まる。
宴会の前から既にお祝い気分になっている一部不穏な参加者あり
日本から駆けつけてくれた中村さん、福田さん、大極さんと
リー君
「オアシスの会」代表の大塚さんと
新郎新婦は300人の皆さんの各テーブルを回り挨拶をする
(「縫製研修センター」・「アクセサリー研修センター」のスタッフ)
税田さんから、北海道の菊清美先生からのお祝い金などが
ソン君に渡される。
刺繍みやげ物店のこどもたち
「子どもの家」・JASSベトナム事務所スタッフ、「京滋YOUの会」
の藤井事務局長
火炎樹の会(茨城の会)からも代表の横島さんが参加
「子どもの家」スタッフと元日本語教師の坂本さん
ベトナム事務所スタッフ
「京滋YOUの会」からの参加者
大塚さんと日本料理店のこどもたち
「子どもの家」スタッフのニエムさんと高橋・柳沢さん
「子どもの家」の元ミシンの先生、「縫製研修センター」スタッフ、
「子どもの家」の医師タムさん
1993年9月から一緒にストリートチルドレン支援をしてくれている
ロック寮長(右端)、「子どもの家」警備員さん・・・・
その後、延々と大音響での「カラオケ大会」が続く。
ベトナム事務所スタッフの原田先生が地元の有名な
作詞・作曲家である「チン・コン・ソン」の歌をベトナム語で歌う。
大うけ。
そのうち、日越入り乱れての踊りなどが始まる。
結婚式の宴も最高潮に達する。
ベトナム事務所スタッフのアンさんの歌。大変上手との
もっぱらの評判
元日本語教師の原先生と教え子で現在ベトナム事務所スタッフ
のクアンさんの合唱『明日だあるさ』。
90歳を超えている皆さんも参加。鉄漿(おはぐろ)をしている。
ミンさんのご両親、兄弟も参加。ミンさんの長女アルファーちゃん
(小学校2年生)も参加
午後2時過ぎ、大宴会はお開き。
車で1時間かけて市内のフォンザンホテルは戻り休息。
午後3時、宿舎へ戻る。昨日の「メン家」での結婚式を
火炎樹日記にアップする。1時間半ほどかかる。
午後6時、JASS結婚式ツアーの皆さんと一緒に
夕食。
午後8時過ぎ夕食会終了。
その後、高校同級生と五井君たちの部屋で1日の「反省会」
午後11時過ぎまで続く。
宿舎着 午後11時半。
投稿者 koyama : 2010年07月21日 19:41