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2010年07月27日

「ハイバイーチュン高校」副校長と懇談:内田・ソンーメン夫妻と夕食会

快晴

午前5時起床。

血圧測定。159-95   かなり血圧が高くなっている。
疲労が原因と思われる。一部「飲みすぎ」との非科学的な
意見もあるが、無視。

読書「マルクスは生きている」(不破哲三著:平凡社新書)

朝食。おかゆ。 食事があまり摂れない。

受信メールのチェック。必要な送信。

午前9時半、ベトナム事務所へ。

いくつかの重要問題を協議。

午前10時半、電動バイクで「子どもの家」へ。
いくつかの仕事をする。刺繍みやげ物店問題。
ニフィー留学の件・・・・・。


坂本文子さんの大学の後輩が「子どもの家」参観。
クアンさんが案内。



9月から高校3年生になるニーさん。現在、フエ省トップ校である
グエンフエ高校理系で勉学中。来年10月の静大工学部留学を
めざしている。

漢字の勉強を一生懸命していた。


こどもたちは3ヶ月の夏休み(宿題なし)を満喫していた。

午前11時半、昼食。チャオ・バイン・カイン。

1時間午睡。

午後2時半、「ハイバイーチュン高校」副校長先生と
ベトナム事務所で懇談。私、バオミンさん、原田先生。

9月のベトナム高校新学期に昨年静大工学部の留学した
3人のフエの学生を「母校」に帰し、後輩に日本の大学留学
体験を話すプロジェクトの相談。

2010年9月6日の午前中に50人規模で行うこととなる。
そのほか、ベトナム最大の名門高校「コックホック高校」、
フエ県立高校トップ校である「グエンフエ高校」で静大工学部
留学生の体験を話すセミナーを行うこととした。

リー君である。今日は、「彼女に失恋した」とのこと。大変な
落ち込みよう。馬鹿者と言いたい。
それでも仕事をしっかりしていた。多少の成長あり。

午後5時半、日本料理店で夕食。リー君は日本料理店に
不満ありとして、夕食拒否の抵抗闘争に入った。いつま
続くのか?

今日は午後9時過ぎまでに24人の来客あり。

午後7時過ぎに内田さんご夫妻、ソン・メンさん夫妻が
日本料理店来訪。午後9時まで懇談。

今日は日本料理店でかなり飲んだ。

午後10時前に帰宅。今日はベトナム事務所まで徒歩で3回
往復した。合計1時間。

午後10時過ぎからこの火炎樹日記を書き出す。

「喉が寂しい」。ラオス「ラオディー」のラム酒をロックで飲む。

八代亜紀のCDを聞きながらの「ラオス・ラム酒」は特別に美味しい。

いくら美味しいビールを飲んでも最後は、ラオスの「ラム酒」だ。

ラオスラム酒は、高校同級生の「與芝君・清水君・富田君」
の3人が退職し、ラオスのビエンチャンにラム酒工場を作り、
美味しい「アグリラム酒」を作り上げた。私はこのラム酒が
大好きだ。第1に「香り」がいい。甘い香り。同時に口当たりも
甘い。不純物質皆無。口当たりがよい。酔いが軽やか。
騙されたと思って一度飲んで頂きたい。

連絡先は、koyamavn@dng.vnn.vn までメール頂ければ
日本から郵送いたします。


私は今「飲んで死ぬのなら本望」という心境に入っている。
これは私の父親が言っていた言葉だ。
「太く短く生きる」「飲まないで生きるのは意味がない」
と毎日朝から1ダースの麒麟麦酒を飲んでいた。
私は子どもの頃からこうした父親の生き方を徹底して
批判し、そうした「馬鹿な生き方」はしないと心で
誓ってきたが、血筋は争えないものである。
父親が飲みすぎで脳溢血で死亡した52歳と同じ年を過ぎ
徐々に父親の生き方が理解でき、何故、父親が
そうした生き方をしたかを今は100%分かるようになった。
1910年(明治43年)朝鮮併合の年に生まれ、1930年に
20歳で徴兵され中国で1945年まで15年間、日本の
アジア侵略の尖兵として働かされた父親が、35歳で
復員してどんな仕事があったのか?
年齢を重ね、父親の人生を「理性的」に足跡を辿ると
父親の「やけっぱちな人生」にもそれなりに日本社会の
歴史の裏打ちがあったことが分かった。
私が最近父親の「飲まないで長生きするより、飲んで
早死にしたほうが良い」という『暴言』が理解できるように
なった。今の私の心境は、父親が40代から52歳で死んだ
時と同じ気持ちになっていることを理解している。
私が飲みすぎか心臓病で死んで、父親と「あの世」で
会ったら「お前も俺の気持ちが60歳を過ぎてやっとわかったな」と
いわれるかなと思っている。
このことは、同時に我が二人の豚児にも言いたいことである。
私が高血圧、心筋梗塞などの病気を持っていてもなお飲酒をする
意味を「馬鹿者」と思ってはいけないと忠告しておく。
それなりに「深い意味」があるのだ。これは、哲学の問題である。


投稿者 koyama : 2010年07月27日 23:46

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