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2010年05月31日

日本料理店日本語学校再開:停電

午前5時起床。

午前5時半から午後1時半まで停電。

朝、昨日の火炎樹日記を書こうとしたが停電で不可能。

午前7時朝食。


ホテルが停電のためベトナム事務所へ。ベトナム事務所は
電気がついていた。
ベトナム事務所でメー受信。

ボランティア貯金の昨年1年間の活動報告書を書き始める。
2009年4月1日から2010年3月31日までの365日間
ボランティア貯金のために毎日何をしたかという記録を書くという
超難題。2009年4月分だけを調べて書くのに1時間半かかる。

午前11時半、昼食。引き続き停電。

午前12時から昼寝。停電の暑い中、ベッドで横になる。

午後1時半、やっと電気がつく。

午後2時過ぎ、日本料理店へ。今日から日本料理店の
こどもたちが日本語学習を始めた。週3回。古竹先生、
原田先生が教える。


月曜日は古竹先生の担当

5分しか椅子に座っていられなかったリー君ではあるが、今日は30分
しっかりと座って勉強していた。


暑さに負けて体調を崩していたヒエウさんが復帰。元気な笑顔
を見せていた。


午後5時半、日本料理店でこどもたち・日本語教師の皆さんと
夕食。


欧米系の来客あり。



午後9時、閉店。

日本料理店は午後2時過ぎから停電。夕方電気がついた。


投稿者 koyama : 23:41 | コメント (0)

2010年05月30日

電気が切れ、私の気持ちが切れる 停電の計画を教えろ

午前5時起床

軽く柔軟体操。 バーベル運動。腕と足の筋肉の補強。
高校で陸上部に入り、バーベル、ダンベルをかなり使った運動
をした。バーベルの使い方には慣れている。

年齢を考え無理をしないメニューを考える。

フエでの活動を継続するためには、筋力と体力、食欲、
健康な歯と冷静な知力(路上の危険な食べ物などは食べない
という自己抑制の知力・フエでの活動の源泉となる知力)が必要。


午前8時、昨日の日本料理店の残りを朝食にする。

午前9時、昨日の日記を書く。

その後、部屋の掃除。洗濯。暑い。外気温40度を越す。

かなりのメール受信。一つ一つ丁寧に読み返信。

「子どもの家」付属刺繍みやげ物店の製品をインターネット
で販売する支援をしてくれるとのメールあり。

フエからの大学院留学生の支援をするかも知れないとの
メールもある。ありがたいことである。

読書「新編平和のリアリズム」(藤原帰一著:岩波書店)

第3章「グローバル化の力学」では、海外支援の
本質とその欧米系の歴史を見事に暴露している。

「周辺理論」である。都市を中心とするとその周辺は
貧困で貧しい。貧困で貧しい人々は「貧しくて可愛そうな」
支援する人か「突然暴動を起こす危ない人たち」である。

この周辺理論は現在の海外ボランティア・国際支援にも
通じるものがある。ストリートチルドレンは「可愛そうな
こどもたち」「先進国の人々が助けてやらないと生きていけない
こどもたち」と勝手に決めつけ、支援しているのと共通している
認識である。
現実のストリートチルドレンは「元気溌剌、生活力旺盛」な
こどもたちである。

午後12時過ぎ、夕食のベトナム風ほか弁を買いに行く。
100円。ベトナム事務所前に美味しいほか弁屋ができたとの
情報を聞き買いに行ったが、見当たらなかった。
いつものほか弁屋に行く(100円)。


午後12時半、突然停電。 いつ点くか分からない。
部屋はエヤコン用に「密閉されて」いる。

ほか弁を買い行くついでに町中を電動バイクで走る。
ほとんどの家や店が停電。

部屋で横になるが、暑くて寝られない。
仕方がないので「読書」。お陰で藤原帰一の本は
かなり読めた。

体中から汗が吹き出てくる。水シャワーを3回浴びる。

午後5時になっても停電が続く。部屋は「サウナルーム」。
お陰さまで汗が出て体重が1、5キロ減った。

午後7時になっても停電が続く。部屋は真っ暗。読書出来ない。

ただベッドで横になり、大量の汗を拭くだけ。

この際、冷たいビールでも一杯飲んでやれ、と思い冷蔵庫を
開けるが既に冷凍庫の氷が解けている。入れてあった
フダビールも温かくなっている。ビールに関係する事項に触れた
途端に私の神経は「切れる」。電気が切れると同様に。

一体、フエの行政の責任者は何を考えてるいるのか?
電気が足りないのなら住民、ベトナム憲法で主権者となっている
国民が日曜日に電気を切られている現状に「心痛まない」指導者
は失格である。最低、電気を切る「事情説明」と「停電計画」を
市民に知らせる義務はある。

私の回りの人々は6月5日から13日までの「フエフェスティバル」
で電気を使うので現在「蓄電中」と理解している。しかし、ハノイも
ホーチミン市も停電。

午後5時から午後9時まで真っ暗な部屋で暑い中ベッドに
横になっている。電気関係のものは一切使えない。
やっと午後9時になり電気が点く。
午後12時半から午後9時。8時間半の停電。

冷蔵庫のビールも温かくなり、氷も解けてしまった。
冷たいビールも飲めず、買った「ベトナム風ほか弁」も
食べる気力がなくなり、そのまま就寝。

今日は午前8時に昨日の残りご飯を食べて1日が終わった。

午後6時には太陽が落ちる。2時間半ほど真っ暗な部屋で
横になり「人生」を考える。停電を恣意的に実施してくれている
皆さんに感謝。8時間半の停電中に自分の人生を考える時間を
作って頂いたことに。それにしてもフエ県の幹部が住んでいる地域は
停電がないという事実は、「いけません」。
共産党幹部は労働者・農民といつも一緒だったのではないのですか?
ホーチミン主席もいつも労働者・農民と同じ生活をしていました。
一部共産党幹部・省幹部が停電から逃れている「事実」は
放置出来ないベトナム社会主義の実態である。昔、「労働貴族」
という言葉があった。日産自動車の労働組合の委員長の
塩路氏が「ヨット」で遊んでいる写真が公開された。
労働貴族 →ノーメンクラーツ(ベトナム版赤い貴族)の出現。

午後9時、温かいフダビールを2本飲んで就寝。

情けない日曜日だったが、社会主義の実態と自分の
生きる道を理論ではなく、実際の体験で知ったという意味では
大きな成果のあった日曜日であった。

社民党が連立政権から離脱。
1980年の「社公合意」。自社連立と体制との癒着の歴史を
清算しなければならない。社会民主主義政党としての「筋」を
通してきたのか? この30年間、公明党と合意し、自民党
と連立を作りと「社会民主主義」の本道を歩んでいない社民党。
沖縄の米軍基地には反対だというが、「日米軍事同盟」には
どんな態度を取るのか?  
「普天間問題」の本質は、沖縄問題ではない。
日米軍事体制を基本とするのか? 新たな方向を模索するのか?
が社民党に問われている。


投稿者 koyama : 23:02 | コメント (0)

2010年05月29日

引き続き「停電」:ベトナム事務所員会議

晴天  気温40度を超える。

ホテルは朝6時から停電。午後1時半に電気が点く。

今週は1日だけ電気が点き、6日間停電だった。

以下、停電時間

23日(日)A6~P2(8時間停電)
24日(月)P2~P8(6時間停電)
25日(火)終日点灯
26日(水)A6~P2(8時間停電)
27日(木)P2~P8(6時間停電)
28日(金)A5:30~P5:30(12時間停電)
29日(土)A6~P1:30(5時間半)

フエの町では6月5日から13日まで行われる「フエフェスティバル」
で電気をたくさん使うので「電機を貯めている」との噂がもっぱら。

しかし。ハノイもホーチミン市も停電。
ホーチミン市は、停電の計画書を事前に市民に知らせているようだ。
しかし、数日前突然停電し、23時間電気が点かなかったとのこと。
海外企業が多数進出しているホーチミン市での停電は、海外企業
には経験のないこと。特に工場などは、自家発電機を備えないと
操業出来ない。

フエでは、いつ、何時から何時まで停電するのかと言う情報が
市民に一切公表されていない。市民が生活しているその途中で
突然電気が切れ、いつ点くか分からないという、市民が
視野に入っていない行政である。停電は一部の「お偉いさん」
のみが知っているトップ情報となっている。
「労働者・農民の国家」「労働者・農民に奉仕する」という
横断幕やスローガンが『泣いて』いる。

午前7時朝食。

午前8時ベトナム事務所へ。ベトナム事務所も停電。

ベトナム事務所員はうちわで扇いで「涼をとろう」としているが
空気自体が40度では、団扇で扇いでも涼しくはならない。
団扇で扇ぐ行為は、精神的な自慰行為。


あまりに暑いので『座り込み闘争』に突入したスタッフも・・・・


JASSベトナム運営委員長は「訳もなくゴミ箱を持ち歩く」と
いう奇行にまで至る。それほど暑さは厳しい。


そんな中でただ一人、平然として微笑んでいる一青年あり。
「この程度の暑さで何故騒ぐのか? 僕などは、もっと熱いのに
嬉しくて笑いがとまらないのだ・・・・・」と。

午前8時半からベトナム事務所員会議


(ソン)「アクセサリー研修センター」給与支払い準備
    夏のスタディーツアーの日程表作成・車等の予約
    6月1日の『こどもの日』に里親への夏のメッセージ用の
    こどもたちの写真撮影。

(原田)特進クラス 34課・35課 単語・作文
    停電が多く体調を崩す。停電でインターネット・パソコンが
    つながらず、仕事が進まない。
    ベトナム事務所の自家発電機の騒音が大きいので
    日本料理店前の通りに出した。

(古竹) フエ高等師範大学1年生の会話のテストが終わり
      夏休みに入った。 
     特進クラス 31課~34課にテスト
     昨日、停電のため漢字のテストが作れなかった。

(フーン)特進クラス2回授業
     月曜日、訪問者案内
     木曜日 テスト

(フオン)初級クラス 定期テスト
(アン) 里子の手紙の翻訳など

(クアン) 訪問者(「子どもの家」へ案内)
      その他

(ミン)  ある仕事関連の経過報告
      日本料理店のこどもたちに日本語教育を再開したい。
      (討論の結果) 月(古竹) 水(古竹) 金(原田)
                午後2時半から午後3時までの30分。
                日本料理店のこどもたちの日本語を
                更にブラシュアップする。
      「子どもの家」での日本語学校は週2回に増やす。
      6月1日(火)旧社会主義陣営内の「子どもの日」だった。
      ベトナムは今も行っている。
     6月1日(火)午前9時から「子どもの家」で行う。

     

午前10時、ベトナム事務所員会議終了

ベトナム事務所で仕事。

午前11時半、昼食。停電中。食事をすると更に熱くなる。

サウナルームに化した部屋で横になり、暑さと滂沱(ぼうだ)の
ような汗を拭きながら「横に」なる。

午後2時半読書。
「新編 平和のリアリズム」(藤原帰一著:岩波書店)
国際政治学者の考える「平和」と私など「素人」の考える平和観
に多少の乖離あり。

藤原氏の立論は、例えば「ナショナリズム」を論ずれば、
こういう意見もあるが一方こういう意見もある、なかなか難しい
問題で結論を出すのは難しく、早計である、といった類(たぐい)。
そんな多少難解で理屈っぽい文章をかいくぐりながら読んでいくと
藤原氏の見解は、平和については、憲法9条改悪反対の立場
でありながら、国連に「平和維持軍」を創設し、戦争とは多少違う
理論と技術が必要な平和維持軍に自衛隊編入
させるべきだとの意見のようである。
本書のテーマが「リアリズム」。現実、事実・・・・・。
この「リアリズム」精神は、一歩間違えれば戦前の近衛内閣の
「現実主義」に陥る危険がある。間違っているが現実に関東軍が
ニセ満州国を作り上げているというリアリズム「現実」に追随する・・・・・・
藤原氏の立論はこうした「現実主義」の落とし穴にはまる危険を
感じた。
しかし、左右の平和論、左右の「ナショナリズム」を切り、独自の
現実的な物の考えを持っている点は、評価すべきところである。

小田実氏が、自説をしっかりと主張し、その原点を大阪大空襲に
置いていることと対比すると学者のひ弱さを感じる。
結局貴方の意見は何なの?と聞きたくなるもどかしさを
感ずるが、学問としての国際政治学はこうしたものなのか?

午後5時半、日本料理店でこどもたちと夕食。
やっと電気がつく。

既に午後3時半から来客があり、午後5時半時点で4人の
欧米系の来客があった。

夕食は、お稲荷さん。



帯広の芳村さんの御宅で日本料理を研修したTUOIさん。
日本で学んだ「清潔」「身だしなみ」をフエに戻ってきても
守っていた。スカーフとエプロンの着用を頑なに守っていた。
これだけ見ても日本へ行かせた意味はあると思った。
食物を扱う仕事は「清潔」が何よりも大切。

日本料理店をはじめた頃のこどもたちは、床の雑巾と
机を拭くふきん、食器を拭くふきんの「区別」がなく、
床を拭くふきんで食器を拭くことがなくはなかった。
これは、フエ一般の傾向でもある。

今回、TUOIさんが日本へ行き、日本での家庭料理の作り方の
実際を見て、「清潔」を学び、それをただの知識としてフエへ
持ち帰らず、フエの日本料理店で実践していることは立派な
ことである。


新しく日本料理店のメニューを作った。90種類の日本料理を
掲載。

お稲荷さんの写真が良くなかったので再度撮影した。

午後9時閉店。多数の来客あり。


今週は停電が多く、気温40度と暑い中での停電なので
ベトナム事務所員の皆さんが多かれ少なかれ体調を
崩している。ハンさんが数日休んでいる。体調の回復を
祈る。

私も終日、体が非常にだるい。

しなければならない仕事があまりにあり、何から手をつけていけば
良いのか?  とにかく、片っ端から仕事をし、問題を解決し、
文書を書き・・・・と精一杯活動した一週間だった。かなり疲れた。

投稿者 koyama : 10:28 | コメント (0)

2010年05月28日

停電:「ハイバイーチュン高校」終了式・成績最優秀賞贈呈式

気温40度以上 
「生きている」だけでエネルギーがなくなっていく。

午前5時起床。簡単な柔軟体操(毎日実施)

午前5時半、突然停電。(点いたのは午後1時半)

午前7時朝食。
午前7時半、バオミンさんがオートバイで迎えに来てくれる。
「ハイバイーチュン高校」の終了式に参加。

ベトナムでは終了式は同時に「成績最優秀」を受賞した人の
表彰式も兼ねている。今日は全校数千人の生徒の中から
199人が参加。全教科の試験の平均点が10点満点で
8、5以上取った生徒が「最優秀」を受賞する。

式典の最初に「例のカラオケ大会」が延々と続く。

いよいと式典開始

校長先生の式辞。



成績最優秀者の中でも更に優秀な成績を残した生徒には
「電動自転車」「扇風機」「ノート」などの賞品が送られる。

校長先生から扇風機を送られた生徒

今年の10月から静岡大学工学部に「ニフィープロジェクト」で
合格した生徒二人も成績最優秀で賞品をもらった。


199人の最優秀の生徒の90%以上は女生徒だった。
男子学生はどうしたのか?・・・・・・


「ハイバイーチュン高校」の校庭には、火炎樹の花が満開。

「ハイバイーチュン高校」は、65年前の1945年までは、
グエン王朝が作ったベトナム最高の女子校だった。隣の
コックホック高校は、ベトナム最高の男子校だった。

午前9時、ベトナム事務所へ。
バオミンさんと静大入試(6月10日~)の対応、
ソン君・メンさんの結婚式の対応などについて話し合う。

午前10時半、地元の某会社の社長・社員3人と話し合い。

午前11時半昼食。引き続き停電。体から汗が吹き出てくる。

食事をすると体温があがるので、一層暑くなる。

昼寝をしようとしたが、部屋が「サウナ」状態。
とにかく高温のフエ。体力が相当消耗している。
「サウナ状態」でも横になる。

ハンさんがダウン。原田先生や周りの「敏感な人」は、
体調を崩している。「一人、日本料理店終了後になると
やけに元気になる奴もいるが・・・」。

午後1時半、電気が点く。

読書「言葉を育てる 米原万里対談集」(筑摩書房)読了

米原万里は最後、ガンで死亡するが、自分がガンと知り
200冊のガン関連の本を読破。ガン関係の本の多くが
「ニセモノ本」と喝破している。
200冊のガンの本を読み、手術を「強要」する医師と対立。
万里の読書日記には「診療情報提供をS医師が頑強に
拒んだ」「あなたには向かない療法だから、もう来るな
払った費用は全額返す、と言われてしまった」
「療法にいちゃもんをつける患者は初めてだ。治療費を
全額返すから、もう来るなという展開になった」
最後まで知的好奇心をもって死とも闘った米原万里の
死を心から悼む。


「新編 平和のリアリズム」(藤原帰一著:岩波新書)

20世紀の戦争と平和問題を通して、21世紀の戦争と
平和問題を概観したかったので読み始める。

ベトナム事務所・日本料理店は午後2時から停電。
自家発電機を使う。発電機の騒音と排気ガスが
ひどいので日本料理店の前に出す。

午後5時半、日本料理店のこどもたち夕食。
原田先生は少し体調を崩し弁当にしてホテルの部屋で。
日本料理店のヒエウさんも暑さに負けて休む。

今日の夕飯は、「チャオ・バンン・カン」(小麦粉の煮込みうどん)

午後8時まで来客が続く。午後8時でお客さんが切れる。
自家発電機の音がうるさく、頭が痛くなったので
日本料理店を閉店する。

午後8時過ぎ、多くの皆さんが暑さでフラフラの中で一人
元気溌剌な男と一杯飲む。生ビール大ジョッキ8杯を飲む。
満足そのもの。


「酔っ払い男」と色々なことを話す。
この男が、世界の政治について実に詳しいのに驚く。
日本の首相(鳩山と言えた)が1500万円のお小遣いを
母親からもらっていると言っていた。
なんと「普天間(ふてんま)」問題で鳩山首相が困っているん
だ、と言っていた。
一番驚いたのは、「リー君、PIBS て知っているかい?」
豚たちということだが・・・・と聞く。

まさか、リー君がPIGSを知っているとは思わなかった。

「ヨーロッパの破産国家のことでしょう」と回答。

「何でリー君はそうしたことを知っているの?」と聞く。

「青年新聞を良く読んでいるから。青年新聞に大体書いてある」
とのこと。
日本の「名ばかり大学生」に「小卒」と自信をもっているリー君の
読書・文字を読むことを紹介したいものである。

午後9時閉会。

暑い1日を過ごしただけに、部屋に戻ったらベッドに直行。
本当に疲れた1日だった。

フエで生活すること自体が「闘い」である。

こうした時は、①食事をしっかり摂る ②水分の補給
③睡眠  ④生ビールをおもいっきりたくさん飲む。人から
「呑みすぎよ」などと言われても無視して呑む


この4つが健康の基本である。


投稿者 koyama : 17:25 | コメント (0)

2010年05月27日

フエ市人民委員会外務部懇談:日本料理店大繁盛

快晴  実質気温40度を越す。

停電 ホテル午後2時から午後8時。ベトナム事務所の停電
午前6時から午後2時。とにかく停電が多いので一日の
仕事の計画が立たない。

自家発電機を日本料理店の前に出す。排気ガスと騒音で
日本料理店スタッフが「ダウン」してしまった。


午前7時朝食。キャッサバ麺の煮込み。美味しい。

午前9時、ベトナム事務所へ。停電。静大工学部ニフィー留学
プロジェクトで入試を希望している母・娘と懇談。
原田先生・フーン先生・バオミンさんにも立ち会ってもらう。
いくつかの問題があった。

午前10時、バオミンさんと一緒にフエ市人民委員会外務部長を
訪ねる。大きな問題について、JASS側の意見を表明。
JASSはこの問題では絶対に引けないことを伝える。
断固闘うことを表明。外務部長・バオミンさんと一緒に
省のある局長に面会。問題を伝え、解決を頼む。

午前11時半、昼食。

食後、読書「言葉を育てる 米原万里対談集」(筑摩書房)
小森陽一(東大教授)との対談。この二人は、親が日本共産党
幹部であり、偶然プラハのソビエト学校で小学校を過ごした
級友。

林真理子との対談。やはり共産党の親を持つことについて話し
が進む。林真理子の親も「赤旗」を村で2軒だけ取っていた
いたとのこと。

児玉清との対談。読書の意味について。

辻元清美との対談。平和、戦争、政治。

午後2時半、ベトナム事務所へ。バオミンさんといくつかの
問題についてかなり突っ込んだ話し合いをする。

午後5時半、日本料理店に来客あり。新潟の高校の先生を
退職し、タイで日本語教育をしたいる方。30分ほど話し合う。
明日、「子どもの家」を案内することになった。

今日の日本料理店は来客多し。15人。注文に応じて調理を
するが、なかなか調理が追いつけない。調理のヒエウが休む。
大塚さん、古竹さんも調理に入り、何とか15人ほぼ同時の
注文を捌く。



厨房は熱暑であり、戦場。

日本で日本料理の研修をしたTUOIさんは、日本での学んだことを
しっかりと厨房で発揮していた。

全ての来客に挨拶をする。マレーシア、イギリス、フランス、
スイス・・・・・・。ほとんどの人が英語ガイドブックである
「ロンリープラネット」を読んできている。有難いことである。

接客のリー君は15人の注文を取るのに「孤軍奮闘」。頑張って
仕事をしていた。リー君の人間的な成長を改めて感じた。

午後9時過ぎ、閉店。

今夜の月は雲に巻かれ、暑苦しい光を放っていた。

今日は日本料理店のこどもたち全員、大塚さん、古竹先生に
お花丸を上げたい。良く仕事をしていた。原田先生は
気温の大きな変化で体調を崩す。

投稿者 koyama : 23:47 | コメント (0)

2010年05月26日

フーバイ工業団地へ

快晴  気温40度を超える。蒸し暑い。

午前6時停電。午後2時電気がつく。

午前7時朝食。「ブンボーフエ」美味しい。

停電中。エヤコン仕様の部屋は「密閉」されている。
窓をあけていても部屋は蒸し風呂。

ベトナム事務所へ。

ベトナム事務所は電気がついている。ベトナム事務所で
必要なメールの送受信。

午前9時、ブライセン入社希望のAさんの面接の続き。
VU君・バオミンさんにも手伝ってもらい、IT、特に
プログラミング関係についての経験を詳しく聞く。

原田先生と自家発電機の置き場所について協議。
昨日、自家発電機の騒音と厨房のガス等で酸欠に
なり、厨房勤務の4人がダウンした事件を踏まえ、
自家発電機を戸外に出す措置を取る。

大塚さん・バオミンさんとで日本料理店のメニューの
検討を行う。

午前11時半昼食。

午後12時昼寝、のはずだが、停電で到底暑くて眠れない。
何とかベッドで横になっているうちに30分ほど睡眠。
やはり疲れているのか?

読書『「難死の思想」』(小田実著 岩波書店)読了

一部私と見解の相違する部分もあったが、基本的には
小田氏の見解に同意。諸般の活動の基本は組織ではなく
個人との意見は異論がある人もいるだろうが、私は同意したい。
組織や上部団体の意見が右から左に変ると直ぐに自己の
意見・見解を変えることの出きる人間を私は侮蔑する。
左翼ファシストと言っても良い人間が結構いる。
自分は民主主義者と自認している人ほど、ファシスト的な
性格・性向を持っている。この種の人間を私は何人も見て
来ている。口ばかりで行動が定まらない人間でもある。
人間への根源的な愛情を持っていない人たちでもある。

午後1時半、フエ市人民委員会外務部長ニエン氏と
バオミンさんでフーバイ工業団地へ。

午後4時ベトナム事務所へ帰る。

ソン君に頼み、充電式の扇風機を買いに行く。
充電すると停電中4時間扇風機を使えるとのこと。

午後5時半、日本料理店の夕食。
リー君は諸般の事情があり5分で夕食を済ませて日本料理店の
玄関へ。諸般の事情とは何かは、賢明な火炎樹日記の読者の
皆さんには想像が付くものと推測する。一昨日、また「寅さん」に
なってしまった。

日本料理店のチャンさんが、「カツ丼」の試作をする。
原田先生が試食。



日本料理店のトゥオイさんが「天丼」を試作。

古竹先生が試食。


私のいる間も欧米系の来客多数。

私は夕食を取って帰宅。体調を壊す。

部屋で読書。


「言葉を育てる 米原万里対談集」(筑摩書房)

義務で読まなければならない本が何冊かあるがどうしても
米原万里に行ってしまう。
江戸落語を聞く気持ちと一緒である。博識と機知、反権力の
姿勢に同調する。この読書はまさに「娯楽」。

縁があって父親の衆議院議員米原昶(よねはら いたる)
のボディーガードを学生時代やっていたことも何かの縁。
2006年5月25日死去。

私が初めて米原万里の本を読んだのは、
『オリガ・モリソヴナの反語法』(2002年)
題名からは何も分からない不思議な題名であるが、
読むうちに題名の意味が分かると言う「仕掛け」がある。
読み終わるとソ連と言う社会主義国家での「強制収容所」の
実態を万里のプラハソ連学校の先生の体験を通して明らかに
した一級の政治的な本であった。

投稿者 koyama : 22:01 | コメント (0)

2010年05月25日

停電  

気温40度を越す猛暑

午前7時朝食。

午前中、各種資料作り、メール送受信。
今後のいくつかのプロジェクトの進行について構想を練る。

午前11時半、昼食。

1時間ほど昼寝。この猛暑では昼寝をしないと体がもたない。

読書『「難死の思想」』(小田実著 岩波書店)

1960年代。ベトナム戦争の最盛期に書いた文書。
「べ平連(ベトナムに平和を市民連合)」を作り、ベトナム戦争に
反対する運動を展開した。思想的な基本は、組織・思想ではなく
「一人の人間として」国家や官僚組織(マルクス主義政党・自民党
も含む)ではない一人の市民として何故、ベトナム戦争に反対する
のかを書く。原点は、19458月14日、小田が13歳の時の
大阪大空襲の実体験である。人間が黒こげになり死んでいった
実情を体験。国家や組織、政党の「公的な意義」は結局、一人
一人の人間を救うものではない、ということが原点。

1960年代の中国の文化大革命をかなり評価しているなど
今日から見れば、相当ずれている認識をもっていたことも
事実ではあるが、人間の認識はパーフェクトではない。
小田は、こうした自分の弱点を本書でも繰り返し指摘している。
弱い一人の人間が、理屈ではなく行動する中で学んでいくと
繰り返し言っている。傾聴に値する本である。

午後4時、ブライセンの仕事を更に推進するために
バオミンさん・VU君と話し合う。

ベトナム事務所は午後1時半から停電。

午後5時半、夕食。自家発電機を使う。出力が少ないので
エヤコンは使えない。暑い。厨房のガス、密閉された食堂。

町中は停電で真っ暗。


JASS日本料理店は自家発電を持っているので「赤提灯」が
点灯。

電気の明かりを求めて来客多し。11人。


大塚さん・ヒエウさんが「酸欠」と「高湿度」で気分を悪くする。
ヒエウさんは倒れてしまう。接客担当のグエットさんのオートバイ
の後ろに乗り、原田先生の伴走で勤務途中で帰宅させる。

大塚さんも酸欠と自家発電機の騒音、高湿度で気分を
悪くする。

午後8時前に日本料理店閉店。

停電の続発の理由は各種ある。

一番説得力のある理由は、6月5日から13日までフエで
行われる「フエフェスティバル」に電気をたくさん使うので
それまで電気を蓄えておくと言う説。説得力あり。

投稿者 koyama : 22:37 | コメント (0)

2010年05月24日

ブライセン電話会議:地球の歩き方ミニ・ツアー夕食会

快晴 午前中気温高し。
午後、豪雨。

午前5時起床。
午前7時、朝食。おかゆ。

午前中、日本のJASS関係者向けのメールを書き送信。

昼食。

午後12時半から1時間昼寝。高温且つ豪雨という気候の
変動で体がだるい。

読書「難死の思想」(小田実著:岩波書店)

午後2時、ブライセン本社と電話会議。

午後3時半、ブライセンベトナム支社入社希望者と面接。



面接を行う。真面目な性格が伝わってくる。

ベトナム事務所3階にあるブライセンベトナム支社を案内する。
「子どもの家」の卒業生のVU君やHOA君などが仕事をしている。

午後4時半、バオミンさんと当面の諸問題について打ち合わせ。
財政問題・・・・。

午後6時半、地球の歩き方ミニ・スタディーツアー参加者と夕食会。
ベトナム事務所側は私とアンさん。

関西の真面目な大学生。こうした真面目な学生さんが
日本の将来を担ってくれると思うと安心して任せられると
断言できる。

午後9時半、ホテルへ帰る。

投稿者 koyama : 19:13 | コメント (0)

2010年05月23日

地球の歩き方ミニスタディーツアー講演会:「京滋YOUの会」総会

テレビの天気予報では今日も39度。実際には40度以上。

午前5時目覚める。

読書『「難死」の思想』(小田実著:岩波書店)

私は今まで小田実の本を読んだことがなかった。
1980年代、日本共産党は小田実の批判を厳しくしていた。

今回、1960年代の小田実の著作を集め1冊の本にした
ものを読んだ。


1945年8月15日をどう考えるか?という現在最も
解決しなければならならない課題を1960年代の
60年安保から70年安保に向けての時代に考察
している。小田は東大でギリシャ哲学を学び、
60年安保闘争にも参加せず、アメリカ留学をし
アメリカでのベトナム戦争反対闘争を体験して
いる。

第1章「難死の思想」、第2章「平和の倫理と論理」
を読んだ。小田の主張は、1945年8月15日を
日本人はどう迎え、どう考えたのかを考察している。
主張の要点は、「被害者意識過多」の総括をし
加害者としての自らの立場への考察にかけるのは
何故かを分析している。
小田実の基本的な思想の根源は、個人・一人の人間
から全ての問題を発想するという思考。
これは国家と個人との関係の根源を問う問題である。
満州からの引き上げでどんなに苦労したか、シベリヤの
抑留でどんなに苦労したかという書物をは沢山ある。
これらは、戦争が個人にどれだけの苦労を強いるかの
実例を明示している。しかし、と小田は言う。
その被害者の日本人が満州・朝鮮での「加害者」の自覚が
ないままに「被害者意識」を基調とした「反戦」運動をしている
ことに根本的な疑問を提示している。
広島・長崎への原爆投下を糾弾している日本国民の多くが、
投下した飛行機のパイロットの糾弾・追及をしていなことへの
疑問を提示している。

午前8時、昨夜の日本料理店の残りを大塚さんが
お土産にしてくれた。昨日の夕食で残ったご飯と
日本料理店の残りで簡単な朝食。


午前9時、ホテルを出て「子どもの家」へ。
今日は地球の歩き方ミニスタディーツアーが来ている。
午前10時から1時間半の講演会をする予定。

午前9時20分、「子どもの家」着。

ミニスタディーツアーの参加者は関西の2人。

こどもたちと昼食を作っていた。


今日の案内はクアンさんとアンさん。日曜日の
出勤に感謝。


この数年研修に身が入らなかったタン君。

食堂の横で「ハムスター」を勝手に飼いだした。


タン君は、こうしたやさしい気持ちを持っている。
「子どもの家」の決まりがどうだか知らないが、タン君の
気持ちと行動を支持する。


「子どもの家」に「変なの」が来ていた。
「子どもの家」を卒業し、靴会社に勤めたのだが会社が
倒産。「子どもの家」の門前で靴修理のお店を開店。
靴修理のお客がいないときは、「子どもの家」に泊まり
「子どもの家」で食事をしているとのこと。
まあ、こうしたことも「四角四面」に対応することはない。


5歳で入所したターオさん。心臓の手術をし今は元気に。
自主的に食堂前の庭の掃除をしていた。


JASS東京の通称「村長さん」が来て作ってくれた廃材で
作った椅子。こどもたちは重宝している。

午前10時から11時半まで2人のミニツアー参加者へ
「17年間のフエのでの国際支援の体験」と題して話をする。

関西から来た大学生2人の90分話をする。
真面目な大学生と見た。教員志望の学生。

午前11時半からこどもたちと昼食。




日曜日は食事がない。「子どもの家」で昼食を摂る。

今日は日曜日。こどもたちも「子どもの家」で休息。




フエ芸術大学油絵学科3年生。あと2年間の通学が必要。
中学の図工の先生になりたいと言っていた。

午後1時、「子どもの家」からホテルへ帰る。
火炎樹の花が咲き始めた。


午後1時半、ホテル着。

昼寝。気温40度を超えている。

午後2時半停電。結局午後10時まで停電。
エヤコン用に作られているホテルで停電すると
大変な事態が惹起する。
部屋が蒸し風呂。昼寝も出来ない。
室内気温が45度位はあるのだろうか?
タオルで汗を拭きながら横になっていた。


++++++++++++++++++++++++


「京滋YOUの会」総会


 ~  2010年度京滋YOUの会総会を開催しました ~
 5月22日、午後3時~午後5時45分、長岡京市生涯学習センターで、2010年度京滋YOUの会総会を開催しました。参加者は16名でした。厳しい条件の中、久々にお顔を見せてくださった方もありました。嬉しかったです。又、今一時休暇で帰国中の税田さんも、参加をしてくださって、現地ベトナムの様子をお話していただきました。これまた嬉しいかぎりでした。
 森野さんの司会進行で、なごやかに進行しました。2009年度の活動報告、2010年度活動計画、2009年度決算、2010年度予算案、2010年度役員体制をみなで確認しました。今回は、報告も事務局のメンバーで分担をしましたので、堅苦しくならず、率直に各取り組みの反省、課題、感想も交えての報告となり、みんなでつくりあげる総会となったように思います。各取り組みの反省が具体的に色々出されて、2010年度に生かしていきましょうと確認しました。
又、新役員体制では、今後若者に会の活動を順次引き継いでいくという展望をもった役員体制決定し、代表、副代表に二人の若者を選出しました。代表は仁枝さん、副代表を植野さんがやってくれることになりました。お二人の決意表明もしていただき、新しい体制の第一歩を踏み出しました。又会の活動も、マンネリにならないように、何か新しい企画を考えようということで今後、皆様から色々な提案をしていただくことになりました。
 2009年度も、ふり返ってみるとたくさんの取り組みをしてきたのだと、改めてみんなで確認しあって、さらに、2010年度も、活気ある活動をやっていけそうな意気込みをかんじる総会でした。
 現地の自立にむけて、今年度も、すこしでもお役に立てるように頑張っていきたいものです。
そして、なにより、みなで楽しみながらの活動を進めていこうと思います。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
役員体制は下記の通りです

代表・・・仁枝菜津子     副代表・・・植野裕佳子
事務局長・・・藤井志保子 
会計・・・武田明美
事務務メンバー・・・森野育代、後藤真生子、今本紀久子、梶山育子、宇野正則、前川享子、古山裕之、山本裕彦、江島敦子(ホームページ担当)

総会後、参加者で懇親会を持ち、交流しました。
                                  (文責、藤井)



投稿者 koyama : 20:28 | コメント (0)

2010年05月22日

ベトナム事務所員会議

快晴

テレビの天気予報では「フエ39度」だが、実際には40度以上。
立っているだけで頭がくらくらする。

午前7時朝食。ブンボー。やはりブンボーが一番落ち着く。

午前8時ベトナム事務所へ。

午前8時半、ベトナム事務所員会議。
4月30日にフエを出て日本へ。3週間ぶりのベトナム事務所員
会議。


フーン先生はベトナム事務所の仕事関係で欠席。
クアンさんは、家の事情で欠席。

私を含めて8人は暑い中ではあるが元気。

はじめにバオミン・JASSベトナム運営委員長の挨拶。
その後、この間の各自の活動報告。必要に応じて討論。

(ソン)「アクセサリー研修センター」 製品予定の40%完成。
    停電が多く、研修生の能率があがらない。
    停電で汗がでたり、暗くなるので製品に汚れがつく。
    6月末完成予定。頑張っている。
    地球の歩き方等、夏のスタディーツアーの日程表を
    バオミン委員長から作るように言われ、作成した。
    また、バオミン委員長より「バンベー37号」の編集を
    手伝うように言われ、手伝った。

(原田) 静岡会館日本語学校特進クラスの授業・単語の意味
     や作文を指導した。
     特進クラスは多少、「中だるみ」の傾向あり。
     一般クラスを開設。12月の日本語能力私見3級合格を
     めざす6ヶ月のコース。


(古竹)フエ高等師範大学1年生の授業が終わった。
     今回は5階ほど授業を行った。1年生は基礎的な
      ひらがな・カナカナに問題を残している。
      基礎学力がついていない傾向あり。
     静岡会館付属日本語学校の特進クラスを教えた。


(フオン)日本語学校特進クラスの聞き取り、読解を指導した。
     初級クラス 6課終了。来週テストをする。

(アン)各種手紙類の翻訳。その他、ベトナム事務所の仕事

(ハン)手紙の翻訳
     地球の歩き方スタディーツアー・ミニスタディーツアーの
     ホテル、レストラン等の予約を行う。
      里親への夏のメッセージ作りの準備(子どもの手紙、写真)
     6月1日の「こどもの日」のお祝い集会の際に「子どもの家」
     のこどもたちの写真を撮る。6月5日に在宅支援の写真撮影。
     奨学金のお礼状の翻訳

(ミン)バンベー37号の編集をしている。
    全体の編集責任者は私。原田先生にも協力してもらって
    いる。
    日本で各地の会などへの連絡は税田さんにお願いした。
    今日から地球の歩き方ミニスタディーツアーが来る。
    出迎えはクアンさん。
    明日から案内・講演会などがあるので宜しく。
    6月1日、「子どもの家」で「子どもの日」祝賀会をする。
    その際、JASS函館の会が行った「子どもの家」絵画展
    の入賞者の表彰式、表彰状授与式を行う。
    夏のスタディーツアー受け入れの総合準備をしている。

(小山)3週間日本へ行っていた。帯広で日本料理研修を
     行っているTUOIさんをベトナムへ連れて帰るための
     帰国。
     静岡大学とニフィー留学プロジェクトについて新たな
     契約書に調印してきた。ベトナム事務所へ相応の
     財政的な支援すると言う内容。日本語教師・各種種類
     管理・指導担当スタッフの配置などについて調印した。
     その他いくつかの重要な内容について報告。

午前10時、ベトナム事務所員会議終了。とにかく暑い。

バオミンさんと一緒に仕事関係で外へ出て、某所へ打ち合わせに
行く。途中、オートバイ同士の激突。運転していた若者は
血だらけとなりぐったりしていた。人が集まっている。誰かが
タクシーを呼んでいる。オートバイの上にオートバイが乗っている。
両者ともに超スピードで激突したことが分かる。衝突現場を直視
出来ない。

どうみても交通事故が起こる場所ではない直線道路。



    
午前11時半、昼食。

午後12時から1時間ほど昼寝をしようとしたが、気温40度を
超えるとエヤコンも効かないことが分かる。
高湿度と熱暑で汗だらけ。眠れないが、しばらく横になる。

午後2時半、「子どもの家」へ。「子どもの家」でフエ高等師範大学
に行っているニーさんの今後の進路について話し合う。
ニーさんは、フエ高等師範大学教育学部小学校教員課程に在学。
妹は、地元の名門校グエンフエ高校に在学。父親がなくなり、
母親とニーさんと妹。将来の生活設計につい話し合う。
本人は小学校の先生になり、母親を助けたいとの希望あり。
何とかフエ市内の小学校に勤めて母親と同居したいとのこと。
私とバオミンさんで「出きるだけ協力するのでしっかり勉強する」
よう話し、激励する。


「子どもの家」の各部屋を見る。こどもたちの様子を調べる。
寮母さんに最近のこどもたちの様子、問題点などを聞く。
タン君と話す。何度も職業訓練を替え定着しないタン君。
3日で辞めたこともある。この数年間で4~5種類の研修を
したが、どれも直ぐにやめてしまい、「3食昼寝つき」の
「子どもの家」での生活を「満喫」していた。
今日の話では「螺鈿(ラデン)彫刻の研修に行っているが
楽しい。自分はこの研修が好きだ」と言っていた。何とか
長続きして欲しい。


午後4時半、ベトナム事務所・日本料理店へ。
昨日、日本料理店のこどもたちに月給を支給した。

ところがリー君は昨日もらった月給を1日で使ってしまい、
更に今日、『人相の悪い』(目撃者談)借金取りが日本料理店に
来たとの情報あり。直ぐにリー君を呼んで事情聴取。


リー君は昨日92万ドン(4600円)の給料をもらった。
日本料理店で夕食を取るので実際には120万ドン(6000円)
程度の月給。一般労働者と同水準。

以下、リー君の「月給を全て使ってしまった理由」談。

・4月5月の下宿代を滞納していたので2ヶ月分支払う 60万ドン
 (3000円:家賃は1ヶ月1500円)
・たばこ・コーヒーを付けで飲んだ。その支払い 7万ドン(350円)
・ブンボーを3杯付けで食べた支払い  3万ドン(150円)
・自転車を質屋に入れていた。質屋から出した支払い 20万ドン
 (1000円)

以上で90万ドンとなり、月給はなくなってしまった。

人相の悪い借金取りの件。
借金取りに20万ドン(1000円)借りた。彼女と海に行った際
使った。
しかし、既に今までの借金を90万ドン支払ってしまったために
人相の悪い借金取りに20万ドン返済できなかった。


ということで、昨日の月給は1日にしてゼロとなってしまい、
更に20万ドン(1000円)の謝金が残っている現状である。

何故、こんなに借金地獄に落ち込んだのかの話し合いをする。

結局、「欲しいものがあれば、手持ち金を考えずに買ってしまう」
「友達と飲みに行き、格好をつけて友達にご馳走してしまう」
「収入と支出を考えて生活していない」・・・・の問題があることが
明らかとなる。

この種の話し合いは、既に10回以上しているのである。

リー君23歳は、未だに自分の欲望を抑えられないでいる。
欲しいものがあれば、先のことは考えず、借金したり
自転車を質屋に入れてたりしてでも買ってその場の欲望を
満たすという生活スタイルが直っていない。路上生活で
身に付いた生活様式である。
借金をして最後は「踏み倒し」「夜逃げをする」ような生活。
その場がよければよい、明日はどうなるか分からない、
その日暮らしの生活スタイル。

「ストリートチルドレン支援」といえば、食べ物を上げる支援などと
短絡的に考えてしまうが、17年間ストリートチルドレン支援活動
してみて、リー君の「借金地獄」問題は、けしてリー君だけの
問題ではないのである。ある意味でストリートチルドレン支援
の『本質的な問題』を孕んでいる。
ストリートチルドレン・路上生活をしたこどもたちの「心の中」、
生活のスタイル、もっと言えば「生き方」の問題こそが本当に
問題なのであり、そのことをこそ「支援」すべきなのである。
23歳になっても5歳6歳の頃の路上生活と精神的には
変っていないリー君の「生き方」をこそかえなければならない。
一度身についた「生き方」をかえることほど、大変な仕事はない。
何度言っても生き方は変らない。怒鳴っても何をしても・・・・・。

最終的には、時間をかけて、忍耐強く、話し合い、説得し、
一緒に生活・行動する中で変えていくしかないのである。

今の日本社会、教育の世界もそうであるが、「成果主義」
「結果主義」「数値主義」が大手を振って闊歩(かっぽ)している。

何事も「成果が出ないと評価されず」、結果が全て、目に見える
結果を出さないと評価されない社会。結果・成果は全て「数字」で
表わさないと評価されない社会である。
日本の学校教育がまさに「成果主義」「結果主義」「数値主義」
という魔物の世界に席捲(せっけん)されている。

人を育てるという『崇高』な仕事は、直ぐに成果はでない、結果も
見えない、ましてや「数字」で表すことんなど出来ない。

リー君との付付き合いは17年に及ぶ。未だに結果も成果も
出ていない。上記の有様である。日本社会・日本の学校教育
の「モノサシ」(成果・結果・数値主義)でいけば、駄目な
取り組みである。
しかし、17年間の歩みの中でリー君は明らかに成長している。
日本料理店での仕事は熱心にするようになった。途中で
仕事を止めてどこかへいくこともなくなった、昼間お酒を
飲んで日本料理店に来ることもない。最後まで仕事をする。
こどもたちの成長は「遅々とした歩み」である。そうした
遅々とした歩みを「大らかな気持ちで」見守ることこそ
教育=人を育てることだと私は確信している。
今日本の教育界を席捲している「数値主義」で行けば、
ベトナム事務所の取り組みは、「最低」の取り組みとなる。
数値上の成果「ゼロ」である。しかし、本当にこどもたちを
育てようとしたら、数字で直ぐに成果の上がらないリー君の
借金地獄との戦いをともに進めていくことこそ、真の教育である
などといいたいのだが・・・・・・。
教育・子どもを育てる取り組みに「効率主義」を入れるのは
明らかに間違っているのである。私は改めて日本の教員で
なくて良かった、ベトナムで自由にこどもたちと接することの
出きる幸せを感じているのである。

バオミンさんと1時間ほどリー君と話し合い、分かったか?
と聞くと神妙に分かったと言っていたが。


午後5時半、日本料理店のこどもたちと夕食。
原田先生は日本語学校で授業。


来客多し。


スイスから来た高校の先生。来年、スイスの高校生を
連れてベトナムに来るが、「子どもの家」やJASSとの
交流をしたいとのこと。英語ガイドブック「ロンリープラネット」
で「MR/JASS MAN」という私の紹介記事を読んで
わざわざ日本料理店まで来たとのこと。
しばらくこの先生と話し合う。JASSとしてスイスの高校生の
受け入れに同意する。


午後9時閉店。


古竹さんが『歯痛』で苦しんでいる。
バオミンさんに電話。明日は日曜日だが、個人の歯医者さんに
連絡を取って古竹さんが通院・治療出きるようにして欲しいと
頼む。直ぐに連絡をしてくれる。明日、午前8時、フーン先生と
一緒に歯医者にいくことになった。

投稿者 koyama : 08:08 | コメント (0)

2010年05月21日

フエ帰国初日

気温40度以上  猛暑

午前6時起床  7時朝食。フォー。

午前8時、ベトナム事務所へ。

3週間ぶりのベトナム事務所。皆さん、頑張って仕事を
している「雰囲気」。


結婚も間近。鋭気溌剌のソン君

中村友香さんよりベトナム事務所への差し入れ。
ディズニーランドのクッキーなど


昨日、私とフエに帰国したTUOIさん。約2ヶ月間の
日本での日本料理研修だった。
TUOIさんの受け入れ先だった帯広の芳村さんが作った
TUOIさんの研修記録(分厚い写真集と活動内容の詳細記述)
をバオミンさんに渡し、2ヶ月間の活動の概要を報告。
なかなか律儀なこどもである。ベトナム事務所へのお土産を
渡す。



午前9時。バオミンさんとハンさんと財政打ち合わせ。

日本でJASSに入金されたお金をハンさん・バオミンさんに渡す。
その後、4月1日から交付が終了したボランティア貯金で
収入が減ったベトナム事務所財政をどう立て直していくのか?
ボランティア貯金交付金分の代替財政をどのようにするのか
を3人で話し合う。新たな財政獲得のための活動を強化する
することで意見の一致。

午前10時から11時半までバオミンさんと当面のベトナム事務所
運営について意見交換。

午前11時45分 昼食。

その後1時間ほど昼寝。


午後2時半、静岡県の訪問者と2時間ほど懇談。
国際ボランティア・海外支援について話す。


午後5時半、夕食。久しぶりにこどもたち・大塚さん・
日本語教師の皆さんと食事をしながら不在中の出来事などを
話し合う。


豚肉と厚揚げの甘辛煮。野菜スープ。ご飯

調理場で仕事を始めたTUOIさん。日本で研修したことを
早速実践していた。前掛け(エプロン)を着け、調理場の
清掃をはじめにしていた。

欧米系・日本人の来客あり。


午後9時閉店。リー君が多少不機嫌。理由を聞くと
「昨日、日本料理店が終わったあと、一杯飲もうと
声をかけてくれなかったから」とのこと。
こういう『積極的且つ前向きな』拗(す)ね方ならいつでも歓迎。

早速、大塚さん・原田先生・古竹先生・リー君とで飲む。



リー君の新たな「恋人」で話は盛り上がる。

満面の笑顔でフダ生ビールを飲むリー君。
TUOIさんからもらった日本のお土産(黒Tシャツ)

今度は、今までの彼女のように「金・金・金」ではないと
本人は言う。リー君の失恋の自己総括は「女はお金が好きなんだ。
俺はお金がないから失恋するのだ」というもの。この総括が
あながち外れていないのが今のベトナムである。
小型バブル。誰も彼もが「お金」に向かってまっしぐらと言った
様相を呈している。
午後10時散会。リー君の恋愛の成功を祈る。

「愛新覚羅浩の生涯ー昭和の貴婦人」(渡辺みどり著:中央公論
新社)読了。

著者の渡辺みどりは、皇室関係の番組によく顔を出す人。
皇室の類縁なのかどうかは分からなかったが、変な帽子を
かぶり、馬鹿丁寧な言葉を使っている女性との印象を
持ちながらテレビ出演を見ていた覚えがある。
本書の略歴には、テレビのデレクターとあった。
昭和の貴婦人と副題をつけることでも分かるように
皇室や戦前の侯爵・子爵などへの崇拝の気持ちの強い
著者。

嵯峨侯爵の娘浩と清朝ラストエンペラーの愛新覚羅溥儀
の弟である溥傑(ふけつ)の「政略結婚」の話である。

日本のでっち上げ国家である「満州国」の皇帝に就けられた
溥儀。弟の溥傑は皇位継承権第1位。
日満両国の親善の証として、日本の皇室に近い嵯峨浩と
満州国皇帝溥儀の弟の溥傑との結婚の経過と結末を
描いている。
嵯峨家は、明治天皇・大正天皇の生母と出している家庭。

1945年8月15日の日本の敗戦で溥儀と溥傑は
ソ連に抑留。その後、中国に返され合計15年間もの間
「思想改造収容所」に入れられる。
その間、妻の浩は、2人の娘を連れ日本へ帰国。
娘えい生の東大生大久保との「天城山心中」などがあり、
浩は溥儀と離れ離れになりながら日本で生活。
その後、中国への帰国を許され(浩は日本国籍を抜かれて
中国国籍となっていた)北京で生活するという概略の話。

侯爵の娘である浩の人生流転。

浩の人生を見ていると自分では決められない出生と生い立ち。
これが、リー君など「子どもの家」のこどもたちと同じであることを
痛感した。

浩が侯爵家に生まれていなければ、あるいは日本で平凡な
家庭の主婦で一生を終わったかも知れない。
偶然、侯爵家に生まれたがために、日満親善という欺瞞の
政略結婚の餌食にされてしまい、流転する大変な人生を
送ることになった。嵯峨浩自身に何も責任はない。
「子どもの家」のこどもたち嵯峨浩の人生が二重写しになる。


人間は自分の生まれ方を選ぶことは出来ないという自明の
理を改めて痛感。

投稿者 koyama : 06:17 | コメント (0)

成田 →ホーチミン →フエ ベトナム帰国

成田 雨

午前6時起床。成田付近のホテル。ベトナム帰国の最後の
荷物整理。

昨夜、TUOIさんと私の分としてコンビニでおにぎり各1個を
買っておいた。おにぎり1個を食べ、心臓の薬を飲む。

午前7時50分、ホテルフロントへ。チェックアウト。
午前8時15分、ホテルから送迎バスで成田第2ターミナルへ。
ベトナム航空チェックイン。

出国手続きはスムースに進む。

午前10時半、成田を出てホーチミン市へ。
午後2時半(日本時間午後4時半)ホーチミン空港へ。
一度ランデイングをしたのだが、途中で着陸を止めて再度浮上。
空港の風の状態との説明だが、回りの日本人は「着陸に失敗した」
と言っていた。私もそう思った。
結局、再度の着陸のために海まで出ての着陸となり30分ほど
時間を浪費する。

国際線から国内線へ。午後5時発のフエ行きのチェックイン。
カウンターの係りの女性が「あなたのEチケットのナンバーは
キェンセルされています」とのこと。
これで2度目だ。

ベトナム航空の予約担当者か誰かが、私のフエ行きの切符を
勝手に誰かに売ってしまい、コンピュータを操作し、私の
切符ナンバーを「キャンセル」にしてしまったのだ。

個人旅行の外国人を狙った悪質な犯罪。
担当者は3度儲けることになる。第1は私がフエで通常のルートで
買った際に料金を支払い、第2に私の切符を勝手にコンピュータを
操作し、キャンセルし、他の人に売りつけ、第3に私が仕方がない
ので再度切符を買うと言う寸法である。
悪質な犯罪である。

多分、毎日何人かの外国人がこの手口でベトナム航空スタッフ
に騙され、仕方がなく新しい切符を買って目的地に行っているのだ。
ホーチミン →フエは8000円位はする。1日に10人の一人旅
外国人の切符をキャンセルし、他人に転売するだけで8万円の
個人所得となる。月間、150万から200万円の所得となる。
年間「数千万円」の荒稼ぎをする勘定になる。
この種の人間たちが、町でトヨタの新車を乗り回し、
「一時成金」風を吹かせているのである。

この種の犯罪を摘発出来ない一党独裁国家の悲劇的出来事。

新幹線や原子力発電所建設以前にこの種の不正と顧客に
取ってはどうすることもできないトラブルを撲滅すべきである。

●私が、チェックインカウンターの女性に「私はフエで料金を
 支払いEチケットを買っている。現にここにEチケットももっている。
 ベトナム航空側で勝手に私のEチケットをキャンセルしてしまった
 のだから、あなたはきちんと事情を調べなさい」と言ったが
 ホーチミン空港チェックイン女性は「Eチケットナンバーがキャンセル
 されている。事情は知らない。私の責任ではない。はい、次の人」
 と言って私は追い返されてしまった。
  ベトナム空港のこの女性スタッフに会社への帰属意識もなければ
 自分の仕事に対する責任感もゼロ。共産党幹部の娘か親族なの
 だろうと推測してしまう。

私は直ぐにバオミンさんに電話をし、ある方法で新たに番号を
取得し、航空券を手に入れた。私以外の人は絶対にできない
ことである。けして不正な方法ではないが。この際は秘匿。
普通の旅行者は窓口に言っても「私は知らない」と言われ
お終いである。

20分ほどフエ行きの飛行が遅れる。

午後6時半過ぎ、フエ空港着。

同じ飛行機に10数年前に4年間ベトナム事務所を手伝ってくれた
舟山さんの奥さんのTHUYさんがいた。

お祖母さんがなくなられたとのこと。お悔やみを申し上げる。


フエ空港にはソン君が迎えに来てくれていた。
車でTUOIさんの家へ。飛行場から30分。農村のど真ん中。
農村一体が停電中。真っ暗な農村の細い道をクネクネと
進む。安作りの農家ばなりの村である。一軒に電灯一つ程度
しか使っていない。停電して「どれだけの電気を節約できるのか?」
村中が真っ暗である。村人は室内では暑いので皆さん、外に
でている。

TUOIさんの家へ。お母さん、妹、弟が待っている。部屋は真っ暗。
TUOIさんの荷物の半分ほどを私のスーツケースに入れていた
ので、TUOIさんの家で返す。

停電と高湿度で20分ほど家にいたが、頭がくらくらする。

荷物を全て渡したと思ったらフエ空港へ1つ荷物を忘れて来たことに
気づく。

ソン君に空港へ電話をしてもらい、取りに行く。

結局、日本料理店に着いたのは午後9時前。

大塚さん、原田先生・古竹先生、リー君・グエットさん・チェンさん・
ヒエウさんが待っていた。日本料理店には11人の欧米系の
お客さんが居た。

午後10時過ぎまで大塚さん、原田先生、古竹先生と話し合う。
私の不在中の問題、日本料理店のこと・・・・・。


仕事が終わった後、リー君に「一杯飲むか?」と誘ったが、
「彼女と会うので忙しい」との返事。また新しい彼女か?
うまくいくことを願うのみ。寅さんの繰り返しにならないこと
を祈る。


投稿者 koyama : 00:58 | コメント (0)

2010年05月19日

TUOIさん東京都庁見学・・・・・・・

曇りのち雨

午前8時、TUOIさんと朝食(日洋バイキング)

午前10時、石岡さん、柳沢さんがTUOIさんを
出迎えにホテルまで来てくれる。



TUOIさんを連れて都庁など参観。


私は午前中バオミンさんと電話で連絡。
15通のメール受信。必要なメール送信。


昼、池袋へ。

久しぶりに寄席へ。池袋演芸場。午後12時半から昼席が
始まる。


平日の昼なのに満席。高齢者多し。若い女性もかなり
いる。

30年ほど前「子ども寄席」などをしていた頃、100席の
寄席を見た。

その頃、30歳位の若手「二つ目」だった古今亭朝太。
現在は志ん輔。
60歳代になっていた。30年ぶりに聞く。「七段目」。

30年の歳月は、しん輔の芸を老成させていた。
うまい。

午後4時ホテルへ。再度バオミンさんへメール。
バオミンさんからメール受信。

午後6時から7時半までホテルの喫茶室で
高橋さん・柳沢さん・景山さん・石岡さんたちと
世間話。

その後、日暮里駅付近で中華料理の夕食。





午後8時半食事を終わり、日暮里駅からイヴニングライナーで
成田へ。午後9時半着。成田は雨。タクシーで成田の安ホテルへ。
午後10時過ぎ到着。

TUOIさんはかなり疲れているよう。すぐに寝るように言い、
私は自室へ。

6日間の東京滞在。多くのJASS関係者の皆様のご協力で
TUOIさんの東京滞在は大成功に終わった。
本人も多くのことを学び明日帰国する予定である。


投稿者 koyama : 07:06 | コメント (0)

2010年05月18日

ボランティア貯金完了報告書会計問題:帰国荷物整理:ブライセン

快晴

午前8時半、中村友香さんがホテルへ。

TUOIさんと私と一緒にホテルで朝食を摂る。



午前9時過ぎ、坂本文子さんも来訪。1時間程お茶を飲みながら懇談。



中村さん・坂本さんの引率でTUOIさんは、ディズニーランドへ。





午前中、私はホテルでボランティア貯金完了報告書に関わる
財政問題についてボランティア貯金本部と協議。


午後、自宅へ戻り明日成田空港付近のホテルに泊まるため
ベトナム帰国の荷物整理。

夕方、五反田のブライセン本社へ。

藤木社長、担当者の皆さんと夕食を摂りながらブライセンベトナム
支社の今後の進め方を話し合う。

午後9時、閉会。

投稿者 koyama : 21:44 | コメント (0)

2010年05月17日

古田土会計事務所講演会:高校クラス会のような会

快晴


午前8時、TUOIさんとホテルで朝食。

午前8時半、ホテルを出て西葛西へ。
TUOIさんは、福田もえ子・中村友香さんなどが、原宿へ案内。

私は西日暮里から上野→日本橋→西葛西へ。
午前10時前西葛西駅着。

古田土会計事務所へ。

事務所員は113名。

初めに古田土所長の挨拶。



午前10時、113人の会計事務所スタッフに講演会。



午前11時半、講演会終了。
その後、ベトナムに進出している企業の代表と1時間程懇談。

午後2時、ホテルへ戻る。


1時間程休息。


ボランティア貯金からメールあり。

バオミンさんと電話でいくつかの問題の意思統一。


午後5時、ホテルを出て池袋へ。
高校のクラス会いのようなものに参加。

午後9時過ぎ、ホテル着

投稿者 koyama : 22:02 | コメント (0)

2010年05月16日

TUOIさんと浅草・東京タワーなど東京見物

快晴


午前8時、ホテルで朝食。
午前10時、JASS東京の皆さんが案内役として
ホテルへ。

内田さん・原さん・松下さん・益子君。


日暮里のホテルから上野動物園へ。



天気の良い日曜日。上野の山には、様々なイベントが行われて
いた。
新潟県の長岡市の宣伝ブースがあった。


大きな丸太をのこぎりで切る競技が行われていた。
30秒できれれば、記念品がもらえるとのこと。
益子君と挑戦。46秒だった。



丸太早切り競争参加記念として切り株をもらう。



上野動物園に入る。TUOIさんに動物を紹介。
像の前で。



上野動物園で英語の動物専門ガイドとして仕事をしている
石岡さんに会いに行く。






午後12時過ぎ、上野動物園を出て昼食。TUOIさんの好物
ラーメンを食べる。


昼食後、上野を出てバスで合羽橋へ。
食料品・食器などの専門店を散策。日本料理を勉強している
TUOIさんには大変興味のある場所。
様々な調理器具を見る。


徒歩、浅草へ。

今日は浅草の「三社まつり」。

お祭りの山車の後ろに「スカイ・タワー」が見える。





三社まつりの神輿がやってくる


その後、浅草の「浅草寺」へ。改修中。


TUOIさんもお賽銭を。



浅草から地下鉄で「東京タワー」へ。


地下鉄を下車してから「エコ自転車タクシー」に乗る。



東京タワーから東京を見る。

東京タワーから上野へ地下鉄で行く。

午後6時過ぎ、TUOIさんの希望で「焼き肉屋」へ。



偶然、今日は焼き肉の一部が半額。


焼き肉をたくさん食べ、日暮里ホテルへ戻る。


長い1日だった。


投稿者 koyama : 21:05 | コメント (0)

2010年05月15日

TUOIさん2ヵ月の日本料理研修を終えて帰国

帯広  温暖な気温。
東京の4月初旬の気候。


午前7時起床。昨夜午後10時就寝。9時間の就寝は
珍しい。多少、疲労もあるのかもしれない。


朝食。

芳村さんとボランティアなどについて話し合う。


午前10時半、芳村さんの運転でTUOIさんの
荷物を積んで「十勝帯広空港」へ。
2ヵ月間、TUOIさんを自宅で世話をしてくれた芳村さんに
感謝。


チェックインが終わり、3人で昼食。TUOIさんがラーメンを
食べたいとの希望。私はほぼラーメンに近い「生ビール」を
飲む。

午後1時半、帯広空港から羽田へ。

1時間半の飛行で羽田へ。

午後3時羽田着。

モノレールで浜松町。更に山手線で日暮里へ。

日暮里の某ホテルにチェックイン。

私は5月17日の講演会用スーツを取りに自宅へ。

午後7時半、TUOIさんと夕食。TUOIさんの希望を
聞くと「チャーハン」が食べたいという。

日暮里駅付近の中華料屋でチャーハンを頼む。

私は、「ピータン」「クラゲの酢」。
そして紹興酒。

午後9時、ホテルへ帰り、メールチェック。日記を書く。


投稿者 koyama : 21:21 | コメント (0)

2010年05月14日

帯広へTUOIさんを迎えに行く

午前9時自宅を出て羽田空港へ。

空港待合室で2位間ほどインターネットを開き、バオミンさん
や関係者とメールのやりとり。


羽田から1時間半。帯広空港へ。気温16度。少し寒い。
既に雪はなくなっていた。


帯広空港には、芳村さんとTUOIさんが出迎えに来てくれていた。


芳村さんのお宅にお世話になり2ヵ月。2ヵ月ぶりに会った
TUOIさんは、元気だった。ひと安心。


帯広空港ら芳村さんの別荘へ。



きれいな庭と温室。





TUOIさんはすっかり「道産子」になっていた。


別荘から高速道路で40分。芳村さんのお宅へ。
お宅の前の中学校の庭の桜は満開だた。



夕方午後5時半。芳村さんの友達夫妻と芳村さんのお宅で
夕食会。



芳村さんの妹さん(網走)から送られた「花咲ガニ」をご馳走になる。

帯広で日本料理を研修しながら、yと志村さんのご厚意で
和服正装の写真を撮る。





午後10時、就寝。

明日は東京へ。


2ヵ月間TUOIさんを受け入れてくれた芳村さんに感謝。

また、日本料理研修をし、言葉も通じない・文化も違う中で
2ヵ月間、頑張ったTUOIさんも誉めてやりたい。

TUOIさんの帯広研修にための協力してくれた全ての
関係者にお礼を言いたい。


投稿者 koyama : 09:51 | コメント (0)

2010年05月13日

JASS支援会社担当者と懇談

晴天 少し寒い


午前8時自宅を出て都庁前。
心臓の病院へ。


午後2時、東京駅でJASS支援会社の方と支援の進め方など
の相談をする。詳細略。具体的な会社としての支援方法を
話し合う。


行き帰りの地下鉄・山の手線の中で読書
「いま ここに在ることの恥」(辺見庸著:角川文庫)


辺見のどの本を読んでも心の奥底へ強烈な刺激を受ける。
辺見庸の著述は、ストレートだ。

脳溢血とがんを患い、一時は自死も考えた辺見庸である。
憲法、自衛隊、天皇、そして自分を含めたジャーナリストの
腐敗を厳しく糾弾する。

辺見の立場は、大言壮語するより小さなことでも「行動」
と「実践」こそ意味のあることと言っている。

辺見庸の本は何冊読んでも強い刺激を受け、自分の
生き方をも左右させるだけの力を持っている。


明日から帯広。日本料理の研修をしているTUOIさんを
迎えに行く。
荷物の整理などを行う。


夕方、JASS会員から電話。


夜「愛新覚羅浩の生涯」(渡辺みどり著:中央公論新社)
を読み始める。

中国清朝最後の皇帝の弟と結婚した貴族嵯峨家の浩の
人生。

ラストエンペラーの弟と政略結婚をした嵯峨・中山家の浩の
人生。

投稿者 koyama : 21:11 | コメント (0)

2010年05月12日

終日仕事

ある申請書を書きあげる。

バオミンさんと5回電話で話し合う。いくつかの問題。

25通のメール受信。10数通のメール送信。


朝8時から午後9時過ぎまで仕事が続く。


昨夜から読書
「名ばかり大学生」(河本敏浩著:光文社新書)


予備校講師などを経験した著者の意見。
「ゆとり教育」が学力を低下させたという「通説」は
誤りとの主張。

全国学力テスト「日本一」の秋田県の大学進学の実態は
良くないという。

1975年前後に生まれた団塊の世代のこどもたち
が一番勉強もし、学力も高かったと著者は主張している。


年間60万人の大学生が生まれるが、20万人は入試なしでの
入学。
その原因は、少子化、大学がこどもたちが減っているのにも拘わらず、
定員を増やしていること、進学競争が一層激化している今日、
競争から早期に離脱してしまうこどもたちが増えている。
そうしたこどもたちが大量に大学に事実上試験なしで入学している
実態に問題があると言っている。

私見では、著者の最大の問題は「学力」を東大・京都大など
有名大学に入る力ととらえているところである。

学力論を論議しないで、東大に何人入った高校は
学力のある高校と決めてかかっているところに
予備校講師である著者の狭さがある。

生きる力も学力の一つである。大学入試では測れない
人間の力をどう見るのか?

投稿者 koyama : 21:14 | コメント (0)

5月10日・11日合併号

福島滞在


ベトナム事務所といくつかの問題で連絡。

メール25通受信。10数通返信。


ベトナム事務所関連でベトナム人スタッフが

「出血性デング熱」に罹り10日間入院し、無事退院。

ホッとする。

フエは現在「デング熱」が流行している。

デング熱は蚊を媒介して伝染する。

一般のデング熱はそれほど高い死亡率ではないが、
「出血性デング熱」は50%の死亡率。

ベトナム事務所のスタッフに部屋にいる時は
蚊取り線香等を焚く。寝る時は蚊帳をつる。
外出時は「虫よけスプレー」をかけるなどの
自己防衛策を講ずるよう注意を喚起する。

読書「価値組社会」(森永卓郎著:角川新書)

新自由主義の歴史とブッシュ・小泉新自由主義の
行きつく先がどうなったのかを歴史的に考察。

ハゲタカ金融資本主義を徹底して批判している。

新自由主義・金融資本主義自体は、資主義の
あだ花であて本流ではない。本流の資本主義に
戻るべきだというのが森永氏の持論。

レーガン・小泉時代を日本の戦国時代にたとえ
殺すか死ぬか、勝ち組になるたの人間の死闘の
時代と位置付け、今後は、新江戸時代と名付けた
無理をしない、エコの、見栄を張らない社会と
行き方をしようと呼びかけている。
一読の価値あり。


11日の夕方、高島平の自宅へ得る。

ある申請書を書き始める。

小雨。


投稿者 koyama : 10:40 | コメント (0)

2010年05月09日

休息

快晴  気温20度


午前中、福島駅前の「極楽湯」へ。

腰痛と両腕の痛み治療。


終日休息。


18通のメール受信。

必要な返信。


投稿者 koyama : 16:04 | コメント (0)

2010年05月08日

静岡→福島

快晴

午前11時まで静岡市内のホテルで仕事。
20通のメール受信。


バオミンさんといくつかの問題で電話連絡。


静岡から東京駅へ。
更に東北新幹線で福島へ。長男家族と合流。

ソン君・メンさん結婚式参加ツアーの要綱完成。

数日、福島に泊まり静養。


読書「中国共産党を作った13人」(TAN ROMI著:新潮新書)

新幹線の車中で読了。

興味深く読んだ。

現在、日本と中国は複雑な関係にあるが、中国共産党
を作った一因は、最盛時一万人が訪日していた中国留学生
の力だったことが良く分かる。
明治中期から昭和初期にかけて3000人から一万人の
中国青年(優秀な人材)が日本の学校で学んでいた。
これらの青年が帰国し、日本語で書かれた社会主義関連の
本を中国語に翻訳し、普及する活動を行い、同時に共産主義
運動に深くかかわって行った。

中国共産党の創立大会に参加した留学生が2名だが、
共産党創立に果たした日本留学組の中国青年の役割と
影響は大きい。


ベトナムでもほぼ同時期、「東遊(ドンズー)運動」があり、
多くのベトナム青年がフランスの植民地に反対するために
日本へ留学し、日本を通して西欧文明を吸収していった。
その力が、ベトナム共産党創立に強い影響を与えている。

中国も同時期、ベトナムの何倍もの青年が日本で学ぶという
中国版「東遊運動」があり、ベトナムと同様に共産主義思想の
普及、共産党の創立に強い影響を与えている。

投稿者 koyama : 07:20 | コメント (0)

2010年05月07日

小諸→浜松→静岡

午前7時半朝食。小諸は雨。

昨日、大学生・ご両親と様々な話をした。
ベトナム事務所での活動ににつてかなりの可能性ありと見た。

その足で小諸駅へ。小諸駅から軽井沢駅へ。
軽井沢から新幹線で東京駅へ。

更に東京駅から各駅停車新幹線「こだま」で2時間。

午後1時半過ぎに浜松駅着。


各駅新幹線にしたのは、新幹線の中で仕事をするため。

インターネットでメールを見る。20通ほどのメールあり。

バオミンさんから当面の仕事の進捗状況が詳しく
かかれた報告書が届く。
ほぼ完璧に仕事が遂行されていることに驚きと感謝の
気持ちを持つ。

ベトナム社会に住んで17年。「のんびり」「ゆっくり」「適当に」
「大雑把な」がほぼベトナム人の仕事のパターンである。
これは「良いとか悪い」という問題ではない。
強いて言えば「文化」「生活習慣」歴史」の問題である。

そんな中でバオミンさんの仕事は「迅速」「正確」
「ポイントを突いた」仕事の仕方である。

ベトナム事務所に勤めて10年。この間、何人かの
日本人がバオミンさんと一緒に仕事をしている。
これらの人たちの影響も大きいと思う。
更にバオミンさんの能力が基本にある。

東海道新幹線。トンネルが多い。そのたびにインターネット
が切れてしまう。

20通のメールを読むまでしかできなかった。

午後1時45分。浜松は雨。浜松駅から静大工学部へ。


工学部事務長・先生方と今後の「ニフィー留学プロジェクト」
の進め方につkて1時間半ほど協議。基本的に意見の
一致をみいる。


ニフィープロジェクト専任の事務の方を採用したとのこと。
就職倍率は40倍を超えたという。英語が出来・・・・・・
と条件がかなり厳しいものであったようだ。


静大工学部の「ものづくり授業」の様子を視察。



1年生入学後にはんだコテなどを付けって電気回路を全員が
手作りで作るとのこと。



2009年10月「ニフィープロジェクト」で静大工学部に入学した
フエの新入生3人。2010年4月から日本人の新入生と一緒に
授業に参加している。

大学での勉強の現状、生活の様子・問題点などについて
話す。

3人とも元気に勉学に励んでいる様子を見て安心する。

週に3回日本語の授業も受けている。
日本語はかなりうまくなっていた。また、3人とも静大での
生活に慣れてきたようで「明る」かった。



授業中のDさん



入学式当日病気で緊急入院するというハプニングを
経験したT君。今日は笑顔を見せてくれた。



一番早く静大生活に慣れたT君。


静大での打ち合わせ(基本的な意見が一致・成功した)や
授業視察を終え、急いで浜松駅へ。


浜松から静岡駅へ30分。


午後5時半、静岡駅で「清水ロータリークラブ」のSさんと
お会いする。静大農学部大学院に入学希望のT君の
ための奨学金支給のお願いをする。

2時間半ほど、様々な話をする。
現在は日蓮宗の住職であり、80人ほどのこどもたちの
いる保育園の園長先生でもある。


静岡市長の小嶋氏と静岡高校で同級生とのこと。
もともとは静大工学部出身。
教育の問題、日本とアジアとの関係など私とおない年
ということもあり、話が盛り上がる。


午後7時半過ぎ、Sさんとの懇談を終え、カナダの
ブラッドさんとお会いする。


ブラッドさんは10数年前静岡市の英語の先生をしていた。
いわゆるAT。JASS静岡の会にも参加し、私たちの活動に
協力してくれていた。
静岡の会の活動をする中で日本人の英語の先生と結婚。
カナダに帰る。

9年ほど前、ブラッドさんに呼ばれ、ブラッドさんの努めている
「クオーリカム・セカンダリー・スクール」と「子どもの家」
との間で「姉妹校」の提携を行う。


6年ほど前、私たちが家族全員と孫でブラッドさんに家へ行き、
近くの山小屋に家族で1週間ほど生活したことがある。


ブラッドさんは、偶然生徒さんを連れて日本に来ているとの
こと。メールで連絡を取り合い、静岡駅近くの居酒屋で
二人で飲み旧交を温める。

ブラッドさんは、急いで名古屋方面を帰るとのこと。短い時間だったが
楽しい時を過ごした。

静岡泊。


投稿者 koyama : 08:52 | コメント (0)

2010年05月06日

長野県小諸市にて

快晴

昨夕、到着した長野県小諸市。

今日は、ベトナム事務所でのボランティアを希望する大学生と
そのご両親にお会いする。長時間、様々なことを話す。

新緑の小諸の山のすがすがしい空気を満喫する。

投稿者 koyama : 05:56 | コメント (0)

2010年05月05日

フエ省知事秘書・フエ市外務部長等歓迎会

晴天   子どもの日

午前4時半起床。これから1週間ほどの旅行に出る。
必要な持ち物等準備。シャワーを浴びる。コーヒーを飲む。


午前5時半、自宅を出て、巣鴨経由日暮里。
スカイライナーで成田空港第1ターミナルへ。

午前7時45分、フエ省カオ知事秘書、フエ市外務部長ニエン氏、
警察関係者の3人が成田空港着。

昼を前後してJASS関係者と懇談交流の予定。

3人を出迎える。


連休最終日でホーチミン市から成田までの機中は満席とのこと。
眠れなく、かなり疲れていた。
旧知のみなさんと挨拶。成田からスカイライナーで日暮里へ。
日暮里で次男と合流。次男を通訳にして秋葉原を案内する。
休日とあってたくさんの外国人、日本人でごったがえしていた。


午前11時半。焼き肉屋でJASS東京・火炎樹の会(茨城)
関係の皆さんと合流。
連休中のところをフエ要人との懇談会に参加して頂いた
皆さんに感謝したい。

ベトナム人の好きな唐辛子満載の焼き肉をつつきながら
交流を進める。


霜降りの牛肉は本当においしかった。


次男の通訳でフエ要人と様々な話をする。


日本側も楽しく懇談・懇親



ベトナム戦争反対闘争の話なども出る。



10数年前から「子どもの家」を訪問し、支援してくれている
火炎樹の会のSさんや心臓が悪く「子どもの家」へ入所した
Tさんの里親を長年してくれているNさんなどなど。



午後1時半になりそろそろ閉会。

日本側からフエ要人の皆さんへお土産の贈呈

火炎樹の会(茨城)のSさんより


東京の会のNさんより



火炎樹の会のFさんより



東京の会Nさんより



最後に「フエ省もフエ市人民員会も今後ともJASSと協力して日越交流
を一層進めていきたい。万一、JASSに対して不当な攻撃があった場合は
フエ省・フエ市をあげてJASSを支援する」旨の表明があり、交流会を
終了する。


その後、新幹線で軽井沢経由小諸へ。

小諸の大学生と懇談へ。小諸泊。

投稿者 koyama : 06:50 | コメント (0)

2010年05月04日

終日、休息・寝ている

快晴

午前中、1時間程ウオーキング。

この1ヵ月ほどひどい「腰痛」「体中の筋肉痛」に悩まされている。
原因は疲労と精神的ストレス。

同じ姿勢を10分すると腰が痛くなる。

バオミンさんと何度かメールで打ち合わせ。

ソン君・メンさんの結婚式ツアーの最終打ち合わせをバオミンさん
とピースインツアーとで行う。

読書「名ばかり大学生ー日本型教育制度の終焉」[光文社新書)
読了。


明朝、午前5時起き。早朝、成田空港へ。

投稿者 koyama : 19:36 | コメント (0)

2010年05月03日

ベトナム事務所との連絡

快晴

昨日から疲労で寝ている。
今日も午前中は寝ていた。

午後1時間程ウオーキング。
ツツジが鮮明な色で咲いていた。こんな季節になったのだ。
駒込の学校に勤めていた20代、30代。駒込駅のツツジが
きれいにさいていた。そんな季節なのだ。
ベトナムにいると日本の季節感はなくなる。

長男の孫から電話。元気に暮らしているようだ。小3年に
なり大分、しっかりしてきた。安心。

ベトナム事務所からいくつかの緊急連絡。
JASS日本代表委員会委員長と何度か電話連絡。
その後、次男とも電話で連絡。

何とか問題を解決する。

午後6時。「JASS青少年教育の会」森田さん、加藤さんから
電話。


バオミンさん・ハンさんから数通のメール受信・返信。

読書「名ばかり大学生」。想像した以上に内容あり。

投稿者 koyama : 22:04 | コメント (0)

2010年05月02日

具島先生と懇談

午前8時まで就寝

いくつかの仕事をする。


午後1時半、自宅を出て池袋へ。
池袋東口三越後に「ヤマダ電機」のビルが出来ていた。


里親でもあり、支援者もである具島先生とお会いする。
合わせて3月に2週間ベトナム事務所に来ていたM君も
呼び。具島先生は元山内製薬研究所長。薬学・微生物
などの専門家。M君もその道に進みたいとのこと。
具島先生とM君の出会いもなにか意味があるかとも
思い、M君も呼び2時間程、医学・薬学・ウイルスなどの
話をする。


午後6時帰宅。既に日本は「ツツジ」の季節になっていた。


読書「名ばかり大学生」河本敏浩著:光文社新書

投稿者 koyama : 18:54 | コメント (0)