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2010年05月30日

電気が切れ、私の気持ちが切れる 停電の計画を教えろ

午前5時起床

軽く柔軟体操。 バーベル運動。腕と足の筋肉の補強。
高校で陸上部に入り、バーベル、ダンベルをかなり使った運動
をした。バーベルの使い方には慣れている。

年齢を考え無理をしないメニューを考える。

フエでの活動を継続するためには、筋力と体力、食欲、
健康な歯と冷静な知力(路上の危険な食べ物などは食べない
という自己抑制の知力・フエでの活動の源泉となる知力)が必要。


午前8時、昨日の日本料理店の残りを朝食にする。

午前9時、昨日の日記を書く。

その後、部屋の掃除。洗濯。暑い。外気温40度を越す。

かなりのメール受信。一つ一つ丁寧に読み返信。

「子どもの家」付属刺繍みやげ物店の製品をインターネット
で販売する支援をしてくれるとのメールあり。

フエからの大学院留学生の支援をするかも知れないとの
メールもある。ありがたいことである。

読書「新編平和のリアリズム」(藤原帰一著:岩波書店)

第3章「グローバル化の力学」では、海外支援の
本質とその欧米系の歴史を見事に暴露している。

「周辺理論」である。都市を中心とするとその周辺は
貧困で貧しい。貧困で貧しい人々は「貧しくて可愛そうな」
支援する人か「突然暴動を起こす危ない人たち」である。

この周辺理論は現在の海外ボランティア・国際支援にも
通じるものがある。ストリートチルドレンは「可愛そうな
こどもたち」「先進国の人々が助けてやらないと生きていけない
こどもたち」と勝手に決めつけ、支援しているのと共通している
認識である。
現実のストリートチルドレンは「元気溌剌、生活力旺盛」な
こどもたちである。

午後12時過ぎ、夕食のベトナム風ほか弁を買いに行く。
100円。ベトナム事務所前に美味しいほか弁屋ができたとの
情報を聞き買いに行ったが、見当たらなかった。
いつものほか弁屋に行く(100円)。


午後12時半、突然停電。 いつ点くか分からない。
部屋はエヤコン用に「密閉されて」いる。

ほか弁を買い行くついでに町中を電動バイクで走る。
ほとんどの家や店が停電。

部屋で横になるが、暑くて寝られない。
仕方がないので「読書」。お陰で藤原帰一の本は
かなり読めた。

体中から汗が吹き出てくる。水シャワーを3回浴びる。

午後5時になっても停電が続く。部屋は「サウナルーム」。
お陰さまで汗が出て体重が1、5キロ減った。

午後7時になっても停電が続く。部屋は真っ暗。読書出来ない。

ただベッドで横になり、大量の汗を拭くだけ。

この際、冷たいビールでも一杯飲んでやれ、と思い冷蔵庫を
開けるが既に冷凍庫の氷が解けている。入れてあった
フダビールも温かくなっている。ビールに関係する事項に触れた
途端に私の神経は「切れる」。電気が切れると同様に。

一体、フエの行政の責任者は何を考えてるいるのか?
電気が足りないのなら住民、ベトナム憲法で主権者となっている
国民が日曜日に電気を切られている現状に「心痛まない」指導者
は失格である。最低、電気を切る「事情説明」と「停電計画」を
市民に知らせる義務はある。

私の回りの人々は6月5日から13日までの「フエフェスティバル」
で電気を使うので現在「蓄電中」と理解している。しかし、ハノイも
ホーチミン市も停電。

午後5時から午後9時まで真っ暗な部屋で暑い中ベッドに
横になっている。電気関係のものは一切使えない。
やっと午後9時になり電気が点く。
午後12時半から午後9時。8時間半の停電。

冷蔵庫のビールも温かくなり、氷も解けてしまった。
冷たいビールも飲めず、買った「ベトナム風ほか弁」も
食べる気力がなくなり、そのまま就寝。

今日は午前8時に昨日の残りご飯を食べて1日が終わった。

午後6時には太陽が落ちる。2時間半ほど真っ暗な部屋で
横になり「人生」を考える。停電を恣意的に実施してくれている
皆さんに感謝。8時間半の停電中に自分の人生を考える時間を
作って頂いたことに。それにしてもフエ県の幹部が住んでいる地域は
停電がないという事実は、「いけません」。
共産党幹部は労働者・農民といつも一緒だったのではないのですか?
ホーチミン主席もいつも労働者・農民と同じ生活をしていました。
一部共産党幹部・省幹部が停電から逃れている「事実」は
放置出来ないベトナム社会主義の実態である。昔、「労働貴族」
という言葉があった。日産自動車の労働組合の委員長の
塩路氏が「ヨット」で遊んでいる写真が公開された。
労働貴族 →ノーメンクラーツ(ベトナム版赤い貴族)の出現。

午後9時、温かいフダビールを2本飲んで就寝。

情けない日曜日だったが、社会主義の実態と自分の
生きる道を理論ではなく、実際の体験で知ったという意味では
大きな成果のあった日曜日であった。

社民党が連立政権から離脱。
1980年の「社公合意」。自社連立と体制との癒着の歴史を
清算しなければならない。社会民主主義政党としての「筋」を
通してきたのか? この30年間、公明党と合意し、自民党
と連立を作りと「社会民主主義」の本道を歩んでいない社民党。
沖縄の米軍基地には反対だというが、「日米軍事同盟」には
どんな態度を取るのか?  
「普天間問題」の本質は、沖縄問題ではない。
日米軍事体制を基本とするのか? 新たな方向を模索するのか?
が社民党に問われている。


投稿者 koyama : 2010年05月30日 23:02

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