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2010年05月07日

小諸→浜松→静岡

午前7時半朝食。小諸は雨。

昨日、大学生・ご両親と様々な話をした。
ベトナム事務所での活動ににつてかなりの可能性ありと見た。

その足で小諸駅へ。小諸駅から軽井沢駅へ。
軽井沢から新幹線で東京駅へ。

更に東京駅から各駅停車新幹線「こだま」で2時間。

午後1時半過ぎに浜松駅着。


各駅新幹線にしたのは、新幹線の中で仕事をするため。

インターネットでメールを見る。20通ほどのメールあり。

バオミンさんから当面の仕事の進捗状況が詳しく
かかれた報告書が届く。
ほぼ完璧に仕事が遂行されていることに驚きと感謝の
気持ちを持つ。

ベトナム社会に住んで17年。「のんびり」「ゆっくり」「適当に」
「大雑把な」がほぼベトナム人の仕事のパターンである。
これは「良いとか悪い」という問題ではない。
強いて言えば「文化」「生活習慣」歴史」の問題である。

そんな中でバオミンさんの仕事は「迅速」「正確」
「ポイントを突いた」仕事の仕方である。

ベトナム事務所に勤めて10年。この間、何人かの
日本人がバオミンさんと一緒に仕事をしている。
これらの人たちの影響も大きいと思う。
更にバオミンさんの能力が基本にある。

東海道新幹線。トンネルが多い。そのたびにインターネット
が切れてしまう。

20通のメールを読むまでしかできなかった。

午後1時45分。浜松は雨。浜松駅から静大工学部へ。


工学部事務長・先生方と今後の「ニフィー留学プロジェクト」
の進め方につkて1時間半ほど協議。基本的に意見の
一致をみいる。


ニフィープロジェクト専任の事務の方を採用したとのこと。
就職倍率は40倍を超えたという。英語が出来・・・・・・
と条件がかなり厳しいものであったようだ。


静大工学部の「ものづくり授業」の様子を視察。



1年生入学後にはんだコテなどを付けって電気回路を全員が
手作りで作るとのこと。



2009年10月「ニフィープロジェクト」で静大工学部に入学した
フエの新入生3人。2010年4月から日本人の新入生と一緒に
授業に参加している。

大学での勉強の現状、生活の様子・問題点などについて
話す。

3人とも元気に勉学に励んでいる様子を見て安心する。

週に3回日本語の授業も受けている。
日本語はかなりうまくなっていた。また、3人とも静大での
生活に慣れてきたようで「明る」かった。



授業中のDさん



入学式当日病気で緊急入院するというハプニングを
経験したT君。今日は笑顔を見せてくれた。



一番早く静大生活に慣れたT君。


静大での打ち合わせ(基本的な意見が一致・成功した)や
授業視察を終え、急いで浜松駅へ。


浜松から静岡駅へ30分。


午後5時半、静岡駅で「清水ロータリークラブ」のSさんと
お会いする。静大農学部大学院に入学希望のT君の
ための奨学金支給のお願いをする。

2時間半ほど、様々な話をする。
現在は日蓮宗の住職であり、80人ほどのこどもたちの
いる保育園の園長先生でもある。


静岡市長の小嶋氏と静岡高校で同級生とのこと。
もともとは静大工学部出身。
教育の問題、日本とアジアとの関係など私とおない年
ということもあり、話が盛り上がる。


午後7時半過ぎ、Sさんとの懇談を終え、カナダの
ブラッドさんとお会いする。


ブラッドさんは10数年前静岡市の英語の先生をしていた。
いわゆるAT。JASS静岡の会にも参加し、私たちの活動に
協力してくれていた。
静岡の会の活動をする中で日本人の英語の先生と結婚。
カナダに帰る。

9年ほど前、ブラッドさんに呼ばれ、ブラッドさんの努めている
「クオーリカム・セカンダリー・スクール」と「子どもの家」
との間で「姉妹校」の提携を行う。


6年ほど前、私たちが家族全員と孫でブラッドさんに家へ行き、
近くの山小屋に家族で1週間ほど生活したことがある。


ブラッドさんは、偶然生徒さんを連れて日本に来ているとの
こと。メールで連絡を取り合い、静岡駅近くの居酒屋で
二人で飲み旧交を温める。

ブラッドさんは、急いで名古屋方面を帰るとのこと。短い時間だったが
楽しい時を過ごした。

静岡泊。


投稿者 koyama : 2010年05月07日 08:52

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