« フエ帰国初日 | メイン | 地球の歩き方ミニスタディーツアー講演会:「京滋YOUの会」総会 »

2010年05月22日

ベトナム事務所員会議

快晴

テレビの天気予報では「フエ39度」だが、実際には40度以上。
立っているだけで頭がくらくらする。

午前7時朝食。ブンボー。やはりブンボーが一番落ち着く。

午前8時ベトナム事務所へ。

午前8時半、ベトナム事務所員会議。
4月30日にフエを出て日本へ。3週間ぶりのベトナム事務所員
会議。


フーン先生はベトナム事務所の仕事関係で欠席。
クアンさんは、家の事情で欠席。

私を含めて8人は暑い中ではあるが元気。

はじめにバオミン・JASSベトナム運営委員長の挨拶。
その後、この間の各自の活動報告。必要に応じて討論。

(ソン)「アクセサリー研修センター」 製品予定の40%完成。
    停電が多く、研修生の能率があがらない。
    停電で汗がでたり、暗くなるので製品に汚れがつく。
    6月末完成予定。頑張っている。
    地球の歩き方等、夏のスタディーツアーの日程表を
    バオミン委員長から作るように言われ、作成した。
    また、バオミン委員長より「バンベー37号」の編集を
    手伝うように言われ、手伝った。

(原田) 静岡会館日本語学校特進クラスの授業・単語の意味
     や作文を指導した。
     特進クラスは多少、「中だるみ」の傾向あり。
     一般クラスを開設。12月の日本語能力私見3級合格を
     めざす6ヶ月のコース。


(古竹)フエ高等師範大学1年生の授業が終わった。
     今回は5階ほど授業を行った。1年生は基礎的な
      ひらがな・カナカナに問題を残している。
      基礎学力がついていない傾向あり。
     静岡会館付属日本語学校の特進クラスを教えた。


(フオン)日本語学校特進クラスの聞き取り、読解を指導した。
     初級クラス 6課終了。来週テストをする。

(アン)各種手紙類の翻訳。その他、ベトナム事務所の仕事

(ハン)手紙の翻訳
     地球の歩き方スタディーツアー・ミニスタディーツアーの
     ホテル、レストラン等の予約を行う。
      里親への夏のメッセージ作りの準備(子どもの手紙、写真)
     6月1日の「こどもの日」のお祝い集会の際に「子どもの家」
     のこどもたちの写真を撮る。6月5日に在宅支援の写真撮影。
     奨学金のお礼状の翻訳

(ミン)バンベー37号の編集をしている。
    全体の編集責任者は私。原田先生にも協力してもらって
    いる。
    日本で各地の会などへの連絡は税田さんにお願いした。
    今日から地球の歩き方ミニスタディーツアーが来る。
    出迎えはクアンさん。
    明日から案内・講演会などがあるので宜しく。
    6月1日、「子どもの家」で「子どもの日」祝賀会をする。
    その際、JASS函館の会が行った「子どもの家」絵画展
    の入賞者の表彰式、表彰状授与式を行う。
    夏のスタディーツアー受け入れの総合準備をしている。

(小山)3週間日本へ行っていた。帯広で日本料理研修を
     行っているTUOIさんをベトナムへ連れて帰るための
     帰国。
     静岡大学とニフィー留学プロジェクトについて新たな
     契約書に調印してきた。ベトナム事務所へ相応の
     財政的な支援すると言う内容。日本語教師・各種種類
     管理・指導担当スタッフの配置などについて調印した。
     その他いくつかの重要な内容について報告。

午前10時、ベトナム事務所員会議終了。とにかく暑い。

バオミンさんと一緒に仕事関係で外へ出て、某所へ打ち合わせに
行く。途中、オートバイ同士の激突。運転していた若者は
血だらけとなりぐったりしていた。人が集まっている。誰かが
タクシーを呼んでいる。オートバイの上にオートバイが乗っている。
両者ともに超スピードで激突したことが分かる。衝突現場を直視
出来ない。

どうみても交通事故が起こる場所ではない直線道路。



    
午前11時半、昼食。

午後12時から1時間ほど昼寝をしようとしたが、気温40度を
超えるとエヤコンも効かないことが分かる。
高湿度と熱暑で汗だらけ。眠れないが、しばらく横になる。

午後2時半、「子どもの家」へ。「子どもの家」でフエ高等師範大学
に行っているニーさんの今後の進路について話し合う。
ニーさんは、フエ高等師範大学教育学部小学校教員課程に在学。
妹は、地元の名門校グエンフエ高校に在学。父親がなくなり、
母親とニーさんと妹。将来の生活設計につい話し合う。
本人は小学校の先生になり、母親を助けたいとの希望あり。
何とかフエ市内の小学校に勤めて母親と同居したいとのこと。
私とバオミンさんで「出きるだけ協力するのでしっかり勉強する」
よう話し、激励する。


「子どもの家」の各部屋を見る。こどもたちの様子を調べる。
寮母さんに最近のこどもたちの様子、問題点などを聞く。
タン君と話す。何度も職業訓練を替え定着しないタン君。
3日で辞めたこともある。この数年間で4~5種類の研修を
したが、どれも直ぐにやめてしまい、「3食昼寝つき」の
「子どもの家」での生活を「満喫」していた。
今日の話では「螺鈿(ラデン)彫刻の研修に行っているが
楽しい。自分はこの研修が好きだ」と言っていた。何とか
長続きして欲しい。


午後4時半、ベトナム事務所・日本料理店へ。
昨日、日本料理店のこどもたちに月給を支給した。

ところがリー君は昨日もらった月給を1日で使ってしまい、
更に今日、『人相の悪い』(目撃者談)借金取りが日本料理店に
来たとの情報あり。直ぐにリー君を呼んで事情聴取。


リー君は昨日92万ドン(4600円)の給料をもらった。
日本料理店で夕食を取るので実際には120万ドン(6000円)
程度の月給。一般労働者と同水準。

以下、リー君の「月給を全て使ってしまった理由」談。

・4月5月の下宿代を滞納していたので2ヶ月分支払う 60万ドン
 (3000円:家賃は1ヶ月1500円)
・たばこ・コーヒーを付けで飲んだ。その支払い 7万ドン(350円)
・ブンボーを3杯付けで食べた支払い  3万ドン(150円)
・自転車を質屋に入れていた。質屋から出した支払い 20万ドン
 (1000円)

以上で90万ドンとなり、月給はなくなってしまった。

人相の悪い借金取りの件。
借金取りに20万ドン(1000円)借りた。彼女と海に行った際
使った。
しかし、既に今までの借金を90万ドン支払ってしまったために
人相の悪い借金取りに20万ドン返済できなかった。


ということで、昨日の月給は1日にしてゼロとなってしまい、
更に20万ドン(1000円)の謝金が残っている現状である。

何故、こんなに借金地獄に落ち込んだのかの話し合いをする。

結局、「欲しいものがあれば、手持ち金を考えずに買ってしまう」
「友達と飲みに行き、格好をつけて友達にご馳走してしまう」
「収入と支出を考えて生活していない」・・・・の問題があることが
明らかとなる。

この種の話し合いは、既に10回以上しているのである。

リー君23歳は、未だに自分の欲望を抑えられないでいる。
欲しいものがあれば、先のことは考えず、借金したり
自転車を質屋に入れてたりしてでも買ってその場の欲望を
満たすという生活スタイルが直っていない。路上生活で
身に付いた生活様式である。
借金をして最後は「踏み倒し」「夜逃げをする」ような生活。
その場がよければよい、明日はどうなるか分からない、
その日暮らしの生活スタイル。

「ストリートチルドレン支援」といえば、食べ物を上げる支援などと
短絡的に考えてしまうが、17年間ストリートチルドレン支援活動
してみて、リー君の「借金地獄」問題は、けしてリー君だけの
問題ではないのである。ある意味でストリートチルドレン支援
の『本質的な問題』を孕んでいる。
ストリートチルドレン・路上生活をしたこどもたちの「心の中」、
生活のスタイル、もっと言えば「生き方」の問題こそが本当に
問題なのであり、そのことをこそ「支援」すべきなのである。
23歳になっても5歳6歳の頃の路上生活と精神的には
変っていないリー君の「生き方」をこそかえなければならない。
一度身についた「生き方」をかえることほど、大変な仕事はない。
何度言っても生き方は変らない。怒鳴っても何をしても・・・・・。

最終的には、時間をかけて、忍耐強く、話し合い、説得し、
一緒に生活・行動する中で変えていくしかないのである。

今の日本社会、教育の世界もそうであるが、「成果主義」
「結果主義」「数値主義」が大手を振って闊歩(かっぽ)している。

何事も「成果が出ないと評価されず」、結果が全て、目に見える
結果を出さないと評価されない社会。結果・成果は全て「数字」で
表わさないと評価されない社会である。
日本の学校教育がまさに「成果主義」「結果主義」「数値主義」
という魔物の世界に席捲(せっけん)されている。

人を育てるという『崇高』な仕事は、直ぐに成果はでない、結果も
見えない、ましてや「数字」で表すことんなど出来ない。

リー君との付付き合いは17年に及ぶ。未だに結果も成果も
出ていない。上記の有様である。日本社会・日本の学校教育
の「モノサシ」(成果・結果・数値主義)でいけば、駄目な
取り組みである。
しかし、17年間の歩みの中でリー君は明らかに成長している。
日本料理店での仕事は熱心にするようになった。途中で
仕事を止めてどこかへいくこともなくなった、昼間お酒を
飲んで日本料理店に来ることもない。最後まで仕事をする。
こどもたちの成長は「遅々とした歩み」である。そうした
遅々とした歩みを「大らかな気持ちで」見守ることこそ
教育=人を育てることだと私は確信している。
今日本の教育界を席捲している「数値主義」で行けば、
ベトナム事務所の取り組みは、「最低」の取り組みとなる。
数値上の成果「ゼロ」である。しかし、本当にこどもたちを
育てようとしたら、数字で直ぐに成果の上がらないリー君の
借金地獄との戦いをともに進めていくことこそ、真の教育である
などといいたいのだが・・・・・・。
教育・子どもを育てる取り組みに「効率主義」を入れるのは
明らかに間違っているのである。私は改めて日本の教員で
なくて良かった、ベトナムで自由にこどもたちと接することの
出きる幸せを感じているのである。

バオミンさんと1時間ほどリー君と話し合い、分かったか?
と聞くと神妙に分かったと言っていたが。


午後5時半、日本料理店のこどもたちと夕食。
原田先生は日本語学校で授業。


来客多し。


スイスから来た高校の先生。来年、スイスの高校生を
連れてベトナムに来るが、「子どもの家」やJASSとの
交流をしたいとのこと。英語ガイドブック「ロンリープラネット」
で「MR/JASS MAN」という私の紹介記事を読んで
わざわざ日本料理店まで来たとのこと。
しばらくこの先生と話し合う。JASSとしてスイスの高校生の
受け入れに同意する。


午後9時閉店。


古竹さんが『歯痛』で苦しんでいる。
バオミンさんに電話。明日は日曜日だが、個人の歯医者さんに
連絡を取って古竹さんが通院・治療出きるようにして欲しいと
頼む。直ぐに連絡をしてくれる。明日、午前8時、フーン先生と
一緒に歯医者にいくことになった。

投稿者 koyama : 2010年05月22日 08:08

コメント