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2010年06月01日

6月1日「「子どもの日」

晴天 気温40度を超える

今日は1日電気がつく。停電の順番が変ってしまった。
明日はどうなるのか? 今後の停電スケジュールが読めない。
以前は、午前停電 →午後停電 →1日中停電なし という
順番で停電が回っていた。

それが2週間ほど前から午前停電 →午後停電 →午前停電 →
午後停電というサイクルに変った。

それが昨日急に1日電気がついていた。

午前5時半起床。
昨日の火炎樹日記を書く。

午前7時朝食。ブンボーフエ。美味しい。

午前8時、ベトナム事務所へ。

今日はベトナム中で「こどもの日」。学校や家庭でこどもたちに
お菓子を上げたりして今日の日を祝う。
実質的には日本の5月5日と同じ。

しかし、6月1日の「こどもの日」は以下のような歴史的な
背景があり、本来は「反戦・平和」「ファシズム反対」「こどもたちを
戦争から守ろう」という戦争に反対する固い決意を固める日。


「国際子どもデー」。日本では馴染みのない日である。
社会主義国で行われていた。現在、6月1日をお祝いしている
国は以下の国々である。


アゼルバイジャン
アルバニア
アルメニア
アンゴラ
イエメン
ウズベキスタン
ウクライナ(2009年制定)
エクアドル
エストニア
エチオピア
エリトリア
カーボベルデ
カザフスタン
カンボジア
ギニアビサウ
キューバ
キルギスタン
グルジア
クロアチア
スロベニア
セルビア
タジキスタン
タンザニア
中華人民共和国(1949年制定)
チェコ共和国
トルクメニスタン
東ティモール
ブルガリア
ベナン
ベラルーシ
ポーランド
ボスニアヘルツェゴビナ
マカオ
マケドニア共和国
モザンビーク
モルドバ
モンゴル
モンテネグロ
ラオス
ラトビア
リトアニア
ルーマニア
ロシア

毎年6月1日を『世界子どもデー』とした経過は以下のよう。

1940年~44年までナチスドイツ・ヒトラーがソ連や
東欧諸国を侵略占領。大虐殺を行う。

1942年ポーランド。侵略したファシストのナチスヒトラー・ドイツは
1942年6月9日に88人の子どもたちを虐殺した。

1944年6月10日のチェコ。1日に200人もの子どもたちを
ナチスは虐殺した。

1952年4月。当時の社会主義諸国が集まり、ファシズムに
より尊い子どもたちの命が奪われたことを悼み、偶然6月に
ポーランドとチェコで多くの子どもたちの命が奪われたことを
忘れないため、毎年6月1日を「世界子どもデー」とし、
世界の平和、ファシズムを阻止し、子どもたちが健やかに
成長できることを祈る日と決めた。

その後、50年以上が経過し、社会主義諸国が崩壊。
更に6月1日を『世界子どもデー』と制定した当時の
初心が忘れ去れて行き、今日のベトナムでは
子どものお祝いの日となっている。
上記のいきさつを知っている人はほとんどいない。

午前8時半、ベトナム事務所員が集まり、全員で
「子どもの家」へ。

ベトナム事務所は停電。ベトナム事務所員全員が
「子どもの家」へ行くので、ブライセンスタッフが自家発電機を
始動。ガソリンがなくなり買いに行き、始動させる。



午前9時まで「子どもの家」着。こどもたちは既に「お祝いモード」
に入っていた。


17年前の1993年から「子どもの家」のスタッフとして
一緒に仕事をしてきたキム・アインさん。
長い付き合いである。真面目にこどもたちに対応してくれる。
不正を許さない知性を持っている。

2階音楽室の会場には、こどもたち用のお菓子が山積みされている


開会前にハノイテレビのフエ支局のテレビ取材あり。

原田先生もテレビのインタビューに応じる



「子どもの家」のチュン君もテレビのインタビュー。
寮母さんかセン委員長の推薦。



はじめにこどもたちの踊り



男子の「不良っぽい」ヒップポップ」。


小学生の女子の踊り

ロック寮長とハンベトナム事務所員の通訳で開会

セン「子どもの家」運営委員長の挨拶(ハンさんの通訳)


今日は世界子どもの日。みんなでお祝いしましょう。
同時に1年間の学校の勉強が終わり、夏休みに入りました。
今日は成績優秀者の表彰式もします。

2009年度(2009年4月1日から2010年5月31日)
「子どもの家」には最終的には47人のこどもたちが在籍。

40人が通学。7人が職業訓練センターで研修。
小学生 11人
中学生 12人
高校生 10人
大学生  7人

200年度の成績の結果
・最優秀  3人
・優秀  12人
・普通  16人
・不可   2人

6月2日は高校の卒業試験。その後3人が大学受験の予定

夏休みに入ります。皆さん楽しく夏休みを過ごしましょう。
「子どもの家」では、皆さんが夏休み楽しく生活できるよう
バーベキュー大会、像の滝遊びなど様々な行事を予定しています。
日本の支援者からの応援です。
8月末までの長い夏休みを健康に過ごしましょう。

続いてJASSを代表して小山の挨拶  フーン先生の通訳


6月1日のいわれ、ヒトラー・ナチスのこども虐殺などの難しい
言葉を遣って話をする。フーン先生はしっかりとこどもたち向けに
通訳してくれる。


次に成績最優秀ー日本で言えばほぼオール5の成績)
3人が受賞。今日は1人が学校へ行き欠席。

表彰状と賞品を授与


ホンニーさん(コックホック高校)

小学校3年のチュウさん

続いて成績優秀賞(日本流に言えば、オール5に4が少し)

グエフエ高校2年生のニーさん(来年10月に静岡大学工学部留学をめざし
静岡会館付属日本語学校で日本語の勉強をしている)

中学3年生のチュン君


中・高校生の成績優秀賞



小学生の成績優秀賞贈呈



続いて「JASS函館の会」絵画展の入賞者の表彰。
函館の会の川人さんの名前で出展者全員に表彰状が
送られる。

大賞・平和賞・ドリーム賞・入選・奨励賞

大賞はタン君(今日は研修で欠席)

大賞の次の平和賞受賞者

ドリーム賞


こどもの日のお祝いの最後にお菓子の贈呈



こどもの日の全ての日程を終わる。

その後、テレビ局がこどもたちとベトナム事務所スタッフとの
交流を撮影。

室温40度を越す。1時間半近くの会合はかなり体力を消耗。

大塚さんの発案でフォンザンホテルの喫茶室で休憩しようと
いうことになる。皆さん好きな「冷たいもの」を注文。
私はフェスティバルビールを2本飲む。


午前11時半、昼食。


昼寝。

読書「新編 平和のリアリズム」(藤原帰一著:岩波書店)

午後2時から午後5時までボランティア貯金完了報告書
付属の財政報告を書く。
ボランティア貯金側から急に「365日、ボランティア貯金交付金
対象の仕事をしていたことを証明するため、2009年4月1日から
2010年3月31日までの毎日、何をしたかを全て記録して
提出しろ」との「お代官様の御無体な無理難題」。

去年1年間、何月何日なにをしたのか? ボランティア貯金で
もらったお金でどんな活動を毎日したのか?
ボランティア貯金活動以外の活動をしていたら、交付金から
そのお金を差し引くという。

日記などを詳しく調べ、2009年4月1日は、ボランティア貯金
交付金として申請したこんな活動をした」というように
4月、5月、と2ヶ月調べるのに3時間を要した。
こんな書類の提出が本当に必要かはなはだ疑問。

ボランティア貯金完了報告書提出要綱にその提出が明記されて
いない。ボランティア貯金完了報告書を提出した後になって
急に365日の毎日、何をしたを1日ごとに書類書いて提出せよ
との厳命。
1年前の何月何日なにをしたを急に言われて、365日の全てを
かける人はいない。私は幸い日記を詳細に書いていたので
ボランティア貯金関連の仕事を毎日していたことが日記を
通して書くことが出きるが、1ヶ月分を書くのに1時間半
かかる。何のための海外ボランティア団体支援なのか
この種の書類作成で「実際のボランティア活動」ができなくなって
いる現実をボランティア貯金側は知るべきである。
海外支援の現実を知らない人間集団の愚行。
お金の返還を求められて争うのも嫌なので、詳細に日記を
調べ、365日毎日の活動を書く。1年分書くには、1週間ほど
かかる。時間がもったいない。この一週間をこどもたちのための
活動に使いたい。

10数年間、ボランティア貯金交付金をもらっていた。
365日の活動を全て書いて提出しろ、などと言われたのは
今回が初めて。「郵政民営化」の余波がこんなところに来るとは
思わなかった。
郵政省が直接ボランティア貯金を管轄していた頃は、
郵政省の方から、「現地の人が活動しやすいように支援するのが
私たちの役目」と言っていた。郵政省のボランティア貯金普及の
パンフレットに何回も私たちが掲載され、その普及に努めた。
また、郵政省ボランティア貯金普及のビデオにも出演した。
郵政省主催の各地で行われるボランティア貯金推進会議や
集会で現地の活動報告を何度もした。足立北郵便局の
一日局長も行った。少なくとも郵政省管轄時代は、現地で
頑張っている海外ボランティアの皆さんを励まし、支援しようと
という郵政省のお役人さんの気持ちが伝わってきた。
フエの「子どもの家」や私たちの行っている現地の活動視察に
何度も郵政省のスタッフが来ている。

民営化されるとどうなったか。
「独立行政法人郵便貯金・簡易生命保険管理機構」が
管轄するようになり、実際には民間の組織に管理をまかせ
ている。民間監査センターなどはお金をもらっての仕事なので
一生懸命監査を行う。現地がどんな事情か、そもそも
ボランティア貯金は何のために行われているのか?
その基本的精神は既にどこかへ行ってしまっている。
1000万人の国民の浄財でできているボランティア貯金
だということが忘れられてしまった。
1000万人の国民が拠出したボランティア貯金。
国民は現地で頑張っているボランティア団体から
昨年1年間、毎日何をしたかという詳細な報告を出させる
などということを望んでいない。
現地で困った人々が少しでも助かればとの願いである。
民営化されるということは、そうしたボランティア貯金の
本旨が消え去り、下請けから更に下請けへと担当される
度にボランティア貯金拠出者の本当の願いは消え去って
行く。下請けされるたびに「下請け」のための費用が使われる。
会計監査会社に監査を下請けした。更に監査費用が
使われる。下請け機関は「お金をもらう」ので本旨(現地の支援)
を忘れ、一層厳格に仕事をする。こうして、民営化は
お金がかからないといわれたが、実際は壮大な「中間機関」
が介在し、郵政省から直接現地への支援だった頃と比べると
現地での活動が一層しにくくなり、中間の管理機関、監査機関
などの収入が増えるいう本末顛倒な結果が「郵政民営化」の
ボランティアの現状である。


午後5時半、ベトナム事務所へ。昨日からホーチミン市
へ行って仕事をしているバオミンさんとお客さんの
出迎えでフエ空港へ。

日本料理店の夕食風景


魚のホイル焼き(美味しそう)



JASS函館の会主催の絵画展入賞を渡せなかった
ヒエウさんに日本料理店で渡す。

ベトナム事務所の隣りのバオミンさんの祖母の家の前で
バオミンさんの息子「ベーター君」とおじいちゃんに出会う。

その足でフエ空港へ。フエ空港は改築中。

午後6時半過ぎ、バオミンさんとお客さん2人が到着。

車でフォーサイゴンへ行き、軽く飲む。

午後9時過ぎ閉会。フォンザンホテルまで送り帰宅。


暑く、長い1日が終わる。家へ帰ったらヘトヘト状態。


投稿者 koyama : 2010年06月01日 00:17

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