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2006年12月30日

ベトナム事務所員会議 ふぇみんT先生と懇談

終日雨。時々豪雨。

午前8時半。2006年最後のベトナム事務所員会議。
ラームさんは私用で欠席。
2007年新年年賀用のベトナム事務所員全員集合写真を撮る。


(ソン)全教ツアーの案内でフールー小学校、ナムドン山岳地帯へ。
    フールー小学校では3年生とゲームをして楽しかった。
(石岡)クリスマス会の司会をした。火曜日と土曜日、日本語学校
    の授業。1月11日に上級クラスの試験 1月12日中級・上級
    クラス合同のお楽しみ会。
(石塚)月曜日・金曜日、日本語学校授業。1月10日中級クラス試験
(フーン)日常の業務
(ハン)全教ツアーとフールー小学校へ。
 全教の皆さんから新たな刺繍作品の注文があった。
     ペットボトル入れ。良い作品を作れば注文があるので
     刺繍作り、頑張りたい。
(サン)静岡スタディーツアーと一緒にタイロック市場に買い物へ
    行き、昼食作りをした。中級と上級の授業。
(ミン)静岡スタディーツアーの案内。
     クリスマス会(150人参加)は成功だった。
    会場が少し狭かった。
     「子どもの家」では現在前期に試験中。子どもたちは
    頑張って勉強している。
     静岡の巣山先生からクリスマスプレゼントとして寄金を
    頂いた。セン委員長などとも相談し「子どもの家」食堂の
    厨房に鉄で大型の換気扇をつけることにした。現在、換気扇
    がないので『練炭』の黒い煙が天井を覆い、食堂と厨房の
    天井が煤(すす)で真っ黒になっている。このまま推移すると
    天井の張替えをせざるを得ない。巣山先生に感謝。
     フエ中央病院小児科医長のフオン先生が2007年1月
   2日、小山先生に会いに来る。何か相談したいとのこと。
    ●2007年1月27日~2月5日までJASS総会出席の
       ため訪日する。留守中、宜しく。
     2月6日にはボランティア貯金視察団が来る。
     現在、「子どもの家」には61人の子どもたちがいる。
    入所希望者が8人程いる。家庭調査をして入所が必要な
    子どもを入れたい。
      在宅支援のHIEUさん(女子)を12月で支援終了
      在宅支援のVU君(2007年日本へIT留学)12月支援終了
    2007年1月1日の夜、日本語学校の入学案内をフエテレビ、
    トゥアティエンフエ省テレビで放映する。

午前10時半。トゥアティエンフエ省外務局副局長が新年の挨拶で 
ベトナム事務所を訪問。ミンさん・ラームさん・ハンさんとフエ師範大
日本語クラスで私が教えて教え子。

午後2時。婦人民主クラブのTさんがフエ訪問。宿泊している
ホテルへバオミンさんと一緒にたずねる。
Tさんは婦人民主クラブがダナンの「希望の家」を支援している
その現地駐在員。日本料理店・日本語学校・縫製研修工場建築現場
・「子どもの家」を案内。午後5時まで「子どもの家」の各種施設を
視察。


その後、ホテルへ戻る。バオミンさんは帰宅。
ホテルロビーでTさんと遅くまで懇談。
Tさんは、私と同年齢。品川区の中学校の英語の先生。
昨年退職。退職前は品川区の不登校の子どもたちの
相談員をしていたとのこと。懇談をして「同世代だな」と
感心する。前向きな姿勢、平和と民主主義を希求する
気持ちは全く同感である。そして、子どもたちへ愛情。
Tさんのダナンでの活動が成功することを祈る。

日本料理店へ帰る。今日は日本料理店の2006年最終日。
来客は3人。私は今年最後の日本料理店のお客となり
フダ生ビール5杯飲む。後からシンガポール在住の日本人
が来店。2006年最後の日本料理店は5人の来客で
店を閉じる。

フセイン元大統領の死刑執行に疑義あり

今日、イラクの元大統領のフセインの死刑が執行された。
「人道に対する罪」での死刑。しかし、これまでイラクには
人道に対する罪という刑法上の規定がなかった。
アメリカの強要で新政府が作ったもの。法制手続き上も
疑義のある死刑。フセイン暗殺未遂事件で150人の
イラク人を殺したことが「人道に対する罪」の内容。
しかし、本当に「人道に対する罪」を問うのであれば
アメリカのブッシュこそ「人道に対する罪」の最大の対象者。
イラクではブッシュの違法な侵略行為で一説によれば
15万人のイラク人が殺されている。
国連決議もなく、侵略の口実だった「大量破壊兵器」
もなく、「アルカイダを支援している」という事実すらなかった
(米CIA報告)ブッシュのイラク侵略。フセインに「人道に対する
罪」があるとすれば、ブッシュ大統領はその何百倍もの罪がある。
1989年の中国「天安門事件」で数千人の中国の学生・市民・労働者
が中国軍のクーデターで戦車でひき殺された。
中国共産党指導者こそフセイン以上に人道に対する罪を背負っている。
米中の指導者こそ文字通り「人道に対する罪」を背負うべきである。
小泉・安部氏はさしずめ「人道に対する罪」ほう助罪・追随罪。
暴力の強い人間は罪を犯しても何も問われないのか?

フセインが独裁者なのは事実であるが、それ以上に「人道に対する
罪」を問われる人間はたくさんいるはずである。
「それが国際政治というものだ」と物知り顔で評論する人がいるかも
知れない。しかし、国際政治であれ何であれ、人殺しは罪である。

投稿者 koyama : 11:43 | コメント (0)

2006年12月29日

静岡の会 ホーチミン市へ

曇り

午前8時。静岡の会の皆さんとフエ空港へ。
静岡の会の皆さんは、ホーチミン市で1泊。
クーチトンネルや戦争博物館などを訪問予定。
12月31日午前7時過ぎに成田着。
当初、ホーチミン市から関西空港へ行く予定だったが、
ベトナム航空の機材不足(この意味が分からないが)
のため、突然、ホーチミン市から成田へ行かざるを
得なくなった。ベトナム航空の拝金主義・営利至上主義
のなすところ。皆さんの無事な帰国を祈る。

午前10時過ぎ、フールー小学校の校長先生・副校長先生が
ベトナム事務所を訪問。新年の挨拶。

午後、読書「平家物語」
平家一族が京を脱出。しかし、平家の縁者の中からも
平家の都落ちの途中から相当数の人々が都へ戻ったり
地方へ逃げたり、中には源氏(木曽義仲)と仲良くなろうと
するなど、栄華を誇った平家時代に甘い汁を吸った
殿上人たちも、甘い汁が吸えなくなりようになると
たちどころに「日和見」を決め込んでしまう。
いつの時代にも「甘い汁」を
吸うことを目指し、人間は日和見を決め込み、右往左往
するものである。悲しい人間の性(さが)ではある。

ODA支援で建築中の「縫製研修センター」の工事進捗状況
の中間報告書を書きあげる。必要な写真を揃える。
取り急ぎ、ハノイ大使館の吉田書記官にメールで参考資料と
して送る。正式には印刷し、フエ市越日交流委員会委員長の
ニエン氏のサインをつけて、書類を大使館へ郵送する。


投稿者 koyama : 11:14 | コメント (0)

2006年12月28日

JASS静岡の会「ナムドン山岳少数民族」交流

朝小雨、その後終日晴天。

午前6時半。フォンザンホテルに宿泊している全教千葉の
皆さんが帰国。ホテルまで見送り。10年近く、「子どもの家」や
JASS関連施設、船上生活者の多いフールー小学校への支援
を行ってくれている。数年前からナムドン山岳地帯のカトゥー族の
「トゥオンロー小学校」60人の子どもたちへ奨学金を贈呈して
いる。単発的な支援の仕方もあるが、全教千葉の皆さんは
10年近くもの間、国際支援・子どもたちへの愛情を持続させて
いる。なかなか真似のできることではない。皆さんに感謝。
無事な帰国を祈る。

午前7時。日本人スタッフと朝食。ブンボー。

午前9時。JASS静岡の会スタディ-ツアーの皆さんと
フエ市人民委員会へ。タン副市長と懇談。
滝下団長が小島善吉静岡市長のメッセージを代読。
意見交換。

●JASS静岡の会滝下団長挨拶。小島善吉静岡市長からの
 メッセージを代読。


●タンフエ市副市長歓迎の挨拶

昨年5月、静岡市とフエ市は「友好都市」となった。
両市の友好都市提携のきっかけは10数年前
JASS静岡の会の子どもたち組織(THINK OF EARTH)
の子どもたちが小島市長のメッセージを持ってフエ市長を
訪問したことだった。それから5回目の子ども訪問団である。


午前10時。静岡スタディーツアー一行は、バスでナムドン
山岳地帯へ。カトゥー族との交流へ向かう。

1時間半のバスの旅。
午前11時50分。ナムドンの中心地へ。昼食休憩。

滝下団長と日本料理店警備員のリー君。
リー君は訪問者がナムドン山岳地帯へ行く時は専属で
付添い・案内人となる。2006年には、20回近く
ナムドンへ行っている。「ナムドン専門家」(自称)である。
日本料理店での仕事では、時々遅刻、無断欠勤、無断職場離脱
がある。ナムドン行きとなると予定時刻の2時間ほど前には
出勤し、諸準備を行う。ナムドン山岳地帯がすきなのだ。


午後1時、少数民族カトゥー族のトゥオンロー村へ。

●支援物資の贈呈

●カトゥー族子どもたちの歓迎の踊り

●静岡の会子ども派遣団の出しもの歌「富士山」

村人と交流の踊り



午後4時半、フエへ戻る。静岡の会の皆さんは、バオミンさんと
一緒にドンバ市場へ。私と「ナムドン専門家」(自称)リー君は
日本料理店で下車。

トンチンカンホテル自室で2時間ほど読書。
「テロルの真犯人」(加藤紘一著:講談社)読了。
非常に興味深く読んだ。
私は加藤紘一氏については深い知識は持っていなかった。
「加藤の乱」ではテレビで無様な格好を晒したという程度の
ものであった。
本書を読んで加藤氏への評価は大きく変わった。
加藤氏は自民党の元幹事長である。一時は首相の最短候補者
でもあった。そうした加藤氏が今では、盟友YKKの小泉政権を
厳しく批判。安部現首相への批判も厳しい。
小泉氏は自民党内に支持基盤がない。従って国民の支持だけが
頼り。そのためにパフォーマンスを繰り返した。自民党内では
「旧守派」「改革反対勢力」を作り出す。国際的には北朝鮮、
中国・韓国を反対勢力に仕立て、自分の人気と国民的な支持を
維持するというパフォーマンス政治だと断定している。
そして、国民がこうした「危うい」政治に流される今の日本の
危機を強く指摘している。
なぜ、加藤氏はこうした態度をとっているのか?
「加藤の乱」は敗北に終わった。失態続きの森首相への野党からの
不信任案採決に欠席すると言明。自民党が割れ政界再編の入り口に
立った。結局、当時の野中幹事長の裏工作で「加藤の乱」は
つぶされる。加藤氏は、加藤の乱は政界再編の序章だといっている。
加藤氏の生い立ちが詳細されている。自民党内の野党的な存在、
一匹オオカミ的な存在になっている加藤氏の生い立ちは
「平和・民主主義」という彼の基本的な概念形成に大きな
役割を果たしている。
父親は戦前内務省の高級官僚。戦後、山形県選出の衆議院議員。
父親が議員になった関係で東京に住んだ加藤氏は、都立日比谷高校
から東大法学部。東大在学中の「60年安保闘争」が加藤氏の
人間形成に大きな影響を与えている。加藤氏は直接安保闘争の
学生運動には加わらなかったものの、安保闘争の影響下、人間の
生き方を深く考えていた。仲間の多くが学生運動に参加している。
自分はどう生きればよいのか、自民党代議士の息子としての
自分は学生運動に参加すべきか? こうした悩みを最後まで
引きずって生きてきたように思われる。
東大3年で外交官試験に合格し東大を退学。
外務省入省。外務省からハーバード大学大学院へ派遣。
中国関係の専門研究をし、香港副領事などとんとん拍子に
出世コースを辿り、父親の事後、一時期を置いて山形県から
衆議院議員に当選。加藤氏のライフワークは「中国」である。
本書で加藤氏は繰り返し「アジア・太平洋戦争ではアジア諸国に
多大な迷惑をかけたということを日本人は認識すべきだ」と述べている。
対米協調路線をとりながらも、アメリカべったり路線には批判的
である。中国・アメリカ・日本は「正三角形」関係であるべきだと
言っている。小泉・安部政権はアメリカとのつながりが強すぎると
批判。
加藤氏は台湾の李登輝総統と会談し、「GNP対比で国民所得が
年収3000ドルを超えると、国民は独裁政治から離脱し、独自の
思考を始める』と発言すると李登輝総統は「いや1500ドルを超えると
政府の強圧的なコントロールから国民は離れる」と言っている。
既に中国は700ドル程度の所得となっている。近々に1500ドル
の所得を超えると中国共産党の独裁支配から離脱する可能性が
あると言っている。
小泉首相の靖国参拝には正面から反対を唱えている。
そのため右翼が山形県の実家兼事務所に放火し割腹自殺を図る
という事件が起きた。小泉首相、安部官房長官は10日間以上、
右翼の言論封殺のテロリズムに無関心でいた。加藤氏は、
この放火・割腹自殺未遂事件は、言論の自由と民主主義に
対する重大な挑戦であると言明。私は、テロがあったからこそ
なお一層、自説(中国やアジアとの友好、靖国参拝反対、
言論の自由と民主主義を守る)を曲げずに行動すると言っている。
立派な態度である。政治的な見解を異にする部分は多いが、
加藤氏の生き方には賛同するところ多し。
多くの方々に本書を勧めたい。読むべき価値のある本である。
今の日本の「右傾化」「偏狭なナショナリズム」「格好だけの
強さの強調」など怪しくなった国民全体の雰囲気に
警鐘を乱打している。この点は、私と全く同じ現状認識と
意見である。加藤紘一氏の活動が暴力や脅しでつぶされない
ことを祈る。ともに民主主義を守る同志だと思える人物である。
異なった意見の持ち主が共存する社会こそ民主主義社会である。
今の日本は特定の意見を「異端」と一方的に決め付けると
排除する社会となりつつある。ファシズムに一歩踏み込んだ
社会である。

午後6時。日本料理店の厨房では、静岡の会の皆さんの
夕食作りに余念がない。

●天麩羅を揚げる

●豚肉のしょうが焼きの生地作り

●しょうが焼きを作る


●調理の仕上がった「てんぷら」


●出来上がった「しょうが焼き」

●日本料理店の子どもたちと交流するアオザイ姿の静岡の
  子どもたち



投稿者 koyama : 08:27 | コメント (0)

2006年12月27日

JASS静岡の会「子どもの家」へ

12月25日位からインターネット、メール、電話が通じなくなった。
特に12月27日からは、インターネットは接続不能となり、
メールの受信は出来たり出来なかったり、送信は不能。
国内電話は可能だが、国際電話は受信は出来るが、ベトナム
からの発信は一切出来なくなった。
12月30日午後になってやっとインターネットが断続的では
あるが接続可能となった。遅ればせながら、27日からの
の日記を掲載する。
なお、インターネット、メール、電話不通の原因は不明ながらも
国内政治問題が大きいとの噂。台湾地震の影響もあるという
声も聞こえるが、真因不明。
この1週間、メールなどを送信して頂いた方々にご迷惑を
おかけした。お詫びする次第である。

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晴天

今日は1日「インターネット接続不通」「電話不通」「停電」という
三重苦に悩まされた。
昨夜台湾で起こった地震による津波警報が昨夜から今朝にかけて
テレビで繰り返し放送された。インターネット不通の原因は津波関連
で東アジア戦域の調子が悪いとの情報もある。

午前8時、JASS静岡の会スタディ-ツアーの皆さん(11人)は
「子どもの家」へ。「子どもの家」の子どもたちと市場で買い物。

午前9時。「子どもの家」へ。「子どもの家」では静岡の会と
子どもたちが昼食作りの真っ最中。



午前11時半。子どもたちと一緒に昼食。


昼食後、静岡市にある「ふた葉学園高校子羊委員会」より寄金を
頂く。


●子どもたちと全員写真


トンチンカンホテルに戻る。メール・インターネット接続を試みるも
不調。

午後読書、「テロルの真犯人」(加藤紘一著:講談社)
静岡の会の笠井さんに急遽お願いて持ってきてもらった本。
2006年12月18日発行の最新版。自民党の加藤紘一が
最近の日本、政治の現状を同考えているのかを知りたくて
笠井さんにお願いした。加藤紘一のHPを時々読んでいるが
政治的な立場は違っても「同感する」所多し。

午後6時半、全教千葉婦人部関係の皆さん(8人)が
日本料理店へ。
日本料理店で仕事・研修している子どもたちや日本人スタッフ
を紹介。


全日本教職員組合(全教)千葉婦人部の松原先生をはじめ
多くの先生方は、10年近くもの間、毎年、「子どもの家」を
訪問し、子どもたちと交流を深めている。
同時に船上生活者の多い「フールー小学校」(富留小)も
訪問し、先生や子どもたちに様々な遊び、工作などを教えて
くれている。今回は、10人の船上生活者などの貧しい子どもたち
に奨学金を贈呈。
また、数年前からナムドン山岳地帯の少数民族カトゥー族の
子どもたちが通う「トゥオン・ロー小学校」に子どもたち60人に
奨学金を贈呈している。
全教千葉婦人部の先生方は、大言壮語をする訳ではないが、
10年間、コツコツとアジアの子どもたちの生活実態を
見続け、心からの愛情を持って子どもたちに接し、必要な範囲での
支援を行っている。全教千葉婦人の先生たちと付き合って
一番感じることは、この先生方は本当に子どもたちが好きなのだ
という言葉に尽きる。こうした先生方が本当に力を発揮できるる
学校であり職場であって欲しい。安部政権は教育再生を口にしている
が、怪しげな「有名人」を人寄せパンダとし、結局は真面目な先生方の
やる気を失わせる政策を推進しているように思われてならない。
全教千葉婦人部の皆さんの10年近くの活動に感謝している。

投稿者 koyama : 08:03 | コメント (0)

2006年12月26日

内田さん帰国・静岡ー全教「子どもの家」へ

晴天。

久しぶりに「夏の太陽」を拝む。

午前7時、内田さん帰国。トンチンカンホテルを出発。
私とミンさんでフエ空港まで見送り。
クリスマス会、ベトナム事務所への支援など心からの
応援に感謝。

午前8時。JASS静岡の会(11人)と一緒にベトナム事務所を訪問。
静岡の皆さんはバンベーなどを日本から運んでくれる。


午前8時半。JASS静岡の会の皆さんと一緒に「子どもの家」訪問。
子どもたちの歓迎の歌と踊り。

●JASS静岡の会の歌


その後、子どもたち同士で遊ぶ

午前11時過ぎ、静岡の会の皆さん、バオミンさんと一緒に
昼食。ベトナム料理

午後2時。フォンザンホテルへ。全教の皆さん(8人)と一緒に
再度、「子どもの家」へ。

その後、私が「子どもの家」も各施設を案内。

案内後、子どもたちと交流。
風車を作り、遊ぶ。

午後5時。全員で写真を撮り交流を終わる。

午後6時半。JASS静岡の会の皆さんと日本料理店で会食。

生ジュースで乾杯

JASS静岡の会用の特別献立

JASS静岡の会より日本料理店へお酒の差し入れ

静岡の会の子どもたちより日本料理店の子どもたちへ
「静岡の凧」の贈呈


午後9時過ぎ会食終了。


投稿者 koyama : 20:08 | コメント (0)

2006年12月25日

第11回「子どもの家」クリスマス会

終日曇り

午前9時。全教千葉婦人部の皆さんがベトナム事務所を訪問。
しばし懇談。

午前10時、ハイバーチュン高校の校長先生・副校長先生などが
クリスマスと新年の挨拶、懇談。

午前11時。大塚さん;内田さん・ベトナム事務所員と一緒に
フエ名物「バイン・コアイ」(フエ風お好み焼き)を食べに行く。


昼寝。
読書「平家物語」。平家、京から撤退。

午後3時半。バオミンさんとフエ空港へ。
ベトナムの「子どもの家」を支える静岡の会スタディ-ツアー
出迎え。
午後4時20分。11人の訪問者は無事フエ空港へ到着。

JASS静岡の会の皆さんと一緒に「バオミンホテル」へ。
午後6時。静岡の会の皆さんと「第11回子どもの家クリスマス会」
会場へ。

●クリスマス会会場看板


●石岡先生・ハンさんの司会でクリスマス会は始まる。

第11回クリスマス会には「子どもの家」の子どもたち、
在宅支援の親子、ベトナム事務所スタッフ120人。
JASS静岡の会、全教千葉婦人部など総勢150人。

はじめに来賓としてフエ市人民委員会外務部長ニエン氏挨拶。


続いてクリスマス会を贈呈してくれた内田さんの挨拶

ミン・ベトナム事務所長挨拶

子どもたちを代表してフエ医科大学に入学したフオンさんが
クリスマス会のお礼の挨拶


子どもたちが待ちに待った「乾杯」。
静岡の会の滝下さんの音頭。

いよいよ楽しみの会食。





全教千葉婦人部の皆さん


JASS静岡の会の皆さん


「子どもの家」スタッフ


ビンゴ大会で優勝し賞品をもらう。


クリスマス会も佳境に。いよいよカラオケ大会。

カラオケの順番を待つ子どもたち


午後9時、クリスマス会終了。
お土産をもらって帰る。


2時間半にわたるクリスマス会が終了。
内田さん、江平さんなどクリスマス会を支援して頂いた
皆様に心から感謝。

内田さんがはじめたクリスマス会は今年で11回目。
何事もそうであるが、「続ける」ということ自体が素晴らしい
ことである。一時、思いついて行動することはあるが、
それを続けるということは時間と忍耐とエネルギーそして
思想・意思が必要である。
内田さんの中にどんな思想と意思があるのか?

11年間もの長き間、毎年年末フエに来て頂き、クリスマス会を
行ってくれた内田征子という人間のエネルギーはどこから
出ていているのか? 非常に興味のあるところである。

とにかく、今日は子どもたちが最高に楽しんだ日であった。

投稿者 koyama : 14:49 | コメント (0)

2006年12月24日

縫製工場「棟上式」-クリスマスイブ

終日曇り・時々雨。

午前8時起床。

読書「平家物語」。倶利伽羅峠敗退後の平氏内部の動揺、
叡山との離反。義仲入洛へ。

午前10時過ぎ。バオミン・ベトナム事務所長と一緒に
縫製工場「上棟式」へ。

途中、サンタさんの宅配便に出会う。
昨年からフエで始まったものだそうだが、フエ郵便局が
お客さんが指定した時刻と場所にサンタさんがクリスマスプレゼント
を宅配便すると言う趣向。
フエでもこうした趣向が営業として成り立つようになったのだ。
「フエ版成金」が一つの「層」として存在するようになった
証拠。
11月のアセアン、WTO加盟、アメリカとの貿易協定など、
ベトナム政府は矢継ぎ早に「グローバル市場」への参入を
進めている。金持ちになる人はドンドンなってよい、貧しい人は
致し方ないという方針としか思えない。ストリートチルドレンや
学校へ行けない子どもたちを多数抱えての「近代化」
「グローバリゼンーション」路線が今後どのような軌跡をたどるのか?
富の公平な分配が社会主義の基本理念だったはずだが?・・・・・・

縫製工場に着くが、棟上式の準備が十分出来ていない。
午後12時に開始とのこと。
縫製工場は、既に80%近く進んでいたい。
午前11時から日本人スタッフと昼食を食べにいくことになって
いるので日本料理店へ帰る。

●縫製研修工場全景

●縫製研修工場正面

●縫製研修工場1階

●縫製研修工場1階奥の作業場

●縫製研修工場2階


午前11時。内田さん、大塚さん、バオミンさん、日本人スタッフ
とキムロン地区にある「バイン・クオン」専門店へ。
バイン・クオンは、生春巻きの一種。生のライスペーパーに
生野菜や味付け豚肉を入れて食べる。美味。

●豚肉入りブンどんぶり
 米のうどん(ブン)に味付け豚肉とミントやどくだみなどの各種野菜
 を乗せる。私はバインクオンよりは、豚入りブン丼の方が好き。

1時間半ほどバインクオンのお店で会食。
その後、ティエンアン山麓にある『ウーロン茶』専門茶庭園へ。

ござの座敷に座り、数種類のウーロン茶を楽しむ。
甘い香りと上品な味。緑と静かな山麓。2時間ほど
山荘のお茶を楽しみ。忙中閑。

午後3時近く、トンチンカンホテルへ帰る。
昼寝。その後、読書。

夜、クリスマスイブの街に出て「コムディア」(ほか弁)を
買う。
町中、歩いている人、オートバイ、車。とにかく人人人
でごったがえす。どのホテルでも「上流階級」の家族親族
がクリスマスパーティーをしている。カラオケがうるさい。
ホテルでパーティーができない人たちは、庶民の食堂で
家族で会食。お金のない若者は路上の食べ物屋などで
うどんなどを食べている。一回り街を歩き、色々と感じる
ことはあったが、それでも戦争のない平和な社会は
ありがたいことだと改めて感じた。
金持ちはお金を使い、お金のない人はそれぞれに工夫を
してクリスマスイブを楽しんでいた。
トンチンカンホテルへの帰り、真っ暗な路上のうどん屋で
家族数人が肩を寄せ合ってブンボー(牛肉入り米うどん)
を食べている風景を垣間見た。
 先日読んだ「ベトナム報道1300日」では、庶民はアメリカと
南ベトナム軍、北ベトナム、南ベトナム民族解放戦線のその
時々の戦闘方針に翻弄されていた。常に死と背中合わせに
生きていた。
ベトナム戦争中の庶民の生活を考えると、とにかく
戦争がなく、死の恐怖から庶民が解放されたという
一点で私は現状を肯定したい。

午後8時、コムディアをおつまみに缶ビール3本。
午後9時半時点でも隣りのホテルのクリスマスイブパーティー
ではカラオケが大音響を発している。
「音害」も平和の象徴か?

投稿者 koyama : 19:07 | コメント (0)

2006年12月23日

日本語学校新学期入学生説明会

曇りのち晴れ。晴天

午前9時。静岡会館付属日本語学校で「入学希望生」への
説明会。「日本語集中観光コース」第2期生の募集である。

●支援者から送られた「年表」前で日本語学校の先生


トゥアティエンフエ省観光局が関係機関などを通して
募集した13人が参加。毎日午後2時から6時まで、
毎週5日、1年間の授業を行う。年間授業時数は800時間。
1年終了後、学生の希望を聞きながらその後の授業などを
考えるとの説明をした。

●小山校長挨拶

●トゥアティエンフエ省観光局代表挨拶


その後、日本語学校主任のフーン先生から細かい説明。
日本語学校は来週のフエテレビで独自の宣伝コマーシャルを
流す予定。最終的には40人~50人の希望で開講予定。
開講は2007年1月15日頃。

午前9時半、北海道の「北方圏センター」の視察団が
ベトナム事務所を訪問。1時間ほど、活動を説明する。
視察団の6人の方々は小中高・教育委員会などの先生方。

その後、一緒に「子どもの家」まで。「子どもの家」を案内し、
子どもたちと一緒に昼食を摂る。


先日、心臓の手術をして実家で療養していたターオちゃんは
完全に復調。「子どもの家」で元気に活動していた。
食事もモリモリ食べていた。これでターオちゃんも安心して生きて
行ける。
心臓手術を支援して頂いた『高野道朗メモリアル基金』の皆さんに
心から感謝した。また、里親のNさんのお気遣いにも深謝。


「子どもの家」で昼食を摂る。

昼寝。

読書「平家物語」 倶利伽羅峠の戦いで木曽義仲と巴御前
が平氏を壊滅させる。

午後5時半、子どもたち、日本人スタッフ、内田さんと夕食。

午後6時半日本料理店開店。

午後7時半頃、イスラエル人8人家族が来店。おじいさん夫婦、
息子夫婦、4人の子どもたち。
天麩羅・御寿司・酢の物など「日本食通」が伺えるような注文。

午後9時。日本語学校から石岡先生が戻る。
日本料理店を閉店し、日本人スタッフで「クリスマスイブ・イブ」の
お祝い。午前1時まで。

フエの街中がクリスマスで浮かれている状態。町中に多くの
人が出ている。j家族、友人、恋人・・・・・。
昨日は、ラームさんの弟のレー君家族が日本料理店前の
5つ星ホテルに来たようで、内田さんと交流した。
特に目的もなく街中をオートバイで走る。歩き回る。
こうした華々しい雰囲気とエンターテーメントを求めている
フエ市民の心理が読み取れる。クリスマスで町中を
「徘徊」できる豊かな層の人々が増えたことはうれしい
ことではある。

投稿者 koyama : 11:02 | コメント (0)

2006年12月22日

クリスマス会を待つ子どもたち 冬至ーかぼちゃの茎を食べる

晴天。

少し肌寒いが過ごしやすい晴天。

あまり眠れず午前4時に読書をしていた。
隣りのホテルから「ボンボン」と2回爆発音が聞こえた。
その途端、停電となる。直ぐにテラスに出てみると
町中は真っ暗だった。星空がきれいに見えた。
結局、電気が点いたのは1時間半後の午前6時過ぎ。
その間、真っ暗な部屋で眠れないまま過ごす。

午前7時。朝食はフォー。美味しい。

午前8時。日本料理店「第4回英語教室」。
子どもたちは定刻前に全員集合。やる気が見える。
毎週2回、これから50回の初級英語講座である。
この講座を経て初級英語が少しでも身につき、
人生に役立ってくれることを祈る。


午前9時。ベトナム事務所へ。事務所2階ではクリスマス会の
準備。10数種類のお菓子を一つずつ袋に分けて、120人分の
クリスマスプレゼントのお菓子を作る。
ベトナム事務所員全員。内田さんが始めた恒例のクリスマス会も
会を重ねて今年は、11回目となる。


●一人分のお菓子


日本料理店店長の大塚さんより電話。
日本料理店の冷凍庫のふたが自然に開いてしまう
状態になってしまい、マグロなどの冷凍品が解けてしまって
いるとのこと。日本料理店に急行。確かにふたのしまりが
良くない。4ヶ月前に買ったばかりの冷凍庫である。
仕方がないので発泡スチロールに氷をいれ、臨時の
冷凍庫とし、冷凍庫を買ったお店に行く。
2年間の保証がついているのだが、お店側はたった4ヶ月間
で扉が壊れてしまったことに何ら責任を感じていない。
冷凍庫が壊れて使えないので仕方なく新しい冷凍庫を
1台買うつもりで、値段交渉した。以前買った時には、
1台2万円ほどだったものが、今日値段を聞いたら「3万円」
という。「あなたの店の無責任な仕事で冷凍庫が使えなくなり
日本料理店の仕事ができなくなった。仕方なく、1台冷凍庫を
買うというのに以前より高い値だとは何事か・・」と詰問する。
すると店側は「600円位なら負けていい」という。
「なめるな」と思う。お前の店が4ヶ月で壊れてしまう不良品を
売りつけておいて、仕方なくもう1台買うと言っているのに以前より
1万円も高く値段をいい、交渉しても600円位しかまけない
という。
ベトナムのドイモイの実態である。金権主義、金儲け主義は、
結局、「仕事に責任を持つ」という方向には行かず、
「お金を儲ければ、相手を騙しても、いい加減な仕事をして
もよい」という風潮を生み出している。悲しい現実である。
あまりにもひどい金権体質、金金金の体質に腹が立ち、
冷凍庫を買わずに、「保証書通り直ぐに修理しろ」と
いう話にした。電気屋側は「直ぐに直る」という。
日本料理店に帰り業者に再度督促し、壊れた冷凍庫を
取りにこさせる。また「直ぐに直る」という。
ベトナムで『直ぐに』というのは、「時間がかかる」という
意味。案の定、20分ほどで直せると言って持って帰った
壊れた冷凍庫だが、4時間から5時間かかると言って来た。

午前11時。内田さんの誘いで大塚さんなど日本人スタッフ
全員で「海鮮料理店」へ。ソフトクラブ、イカ、炭火焼のえび
などを食べる。ほんの少しビールを嗜む。

午後1時半から昼寝。
午後3時。受信メールのチェック。このところ本当に
インターネットとメールの送受信が恣意的に操作されていて
不愉快である。仕事にならない。

読書「平家物語」

午後5時半、子どもたちと一緒に夕食。


今日は冬至。かぼちゃの茎を食べ健康を祈る。

午後6時半。日本料理店開店。
直ぐにベトナム人のお客さんが2人。お寿司を注文。

厨房では子どもたちがお寿司を握っている。


午後8時。「子どもの家」へ。子どもたちは12月25日の
クリスマス会を楽しみにしていた。



●私の電動自転車を6人で乗り回す

投稿者 koyama : 23:32 | コメント (0)

2006年12月21日

クリスマス会の準備

朝雨、昼曇り、午後晴天。

今日の午後、久しぶりの晴天となる。やはり太陽が出ると
精神的にも晴れ晴れとする。

午前7時、内田さんを交えて朝食。ブンボー。美味しい。

雨の中、ベトナム事務所へ。内田さん、石塚さん、仁枝さんは
ハンさんは内田さんと一緒にクリスマス会のプレゼントの買い物。

私はこのところ溜まっている受信メールを再点検。
12月17日に返信したメールが届いていないとの連絡。
これはベトナムの政治的な事情があり、プロバイダー(公安警察)
の方でメール等のチェックが厳しくなったせいでもある。
また、今年はモーツアルト生誕300周年。ベトナムでもモーツアルトの
誕生日には、モーツアルトの音楽が無料でダウンロードできると
あって電話回線のインターネットを使う人がいて、インターネット
が接続できなくなったとの話も聞いている。
日本からメールを送信された方には申し訳ないが、ベトナムの
特殊な事情をご勘案頂き、送信のほど。メール等を送信しても
返事が来ない場合は、何らかの事情ありとの判断をお願いしたい。

昼食。内田さんたちと「チャーハン」専門店へ。玉子焼き入り
チャーハン17000ドン(120円)。
1979年の『中越戦争』まではフエにもチャイナタウンがあり
多くの中国系ベトナム人が住んでいたい。27年前の
中越戦争のため、フエ在住の中国系ベトナム人はほとんど
全員ベトナムを脱出。アメリカ、香港・・・・へ。
このチャーハン屋も当時のチャイナタウンにいた中国系の
人たちのお店。本当に安くて美味しい。

午後12時半から昼寝。

読書「平家物語」。木曽義仲決起。同族の頼朝は義仲を嫌う。

午後2時半。ベトナム事務所まで徒歩。午前1回、午後1回と
1日2回、雨でもベトナム事務所まで徒歩で通う。片道20分
程度。1日1時間ほどの徒歩が必要。健康維持のため。
私は1時間歩くと「1分間長生きする」と勝手に決めて
歩いている。既に車をやめて徒歩を始めて20年になる。
とにかく歩くことと肝に銘じている。
ベトナム事務所で受信メールへの返信を書く。かなり溜まっている。


午後5時半。内田さんも交えて夕食。大人数で食べると食事も
美味しい。子どもたちも家族と食事をしている気持ちである。

夕方、フエの街はクリスマス一色。久しぶりの晴れ。
日本料理店前のホテルではクリスマス商戦のためか、
聖歌隊のような歌手・バンドの一団が大音響の下で
歌を歌い、クリスマスを盛り上げていた。
子どもたちも一緒に写真を写す。



今夜の日本料理店。5人の来客。3人日本人、2人欧米系。
ーーーーーーーーー
日本社会は病んでいる。空元気の政治家などは
いやに元気が良いが、社会の上層部から腐食が始まっている。
それも急速な社会上層部の腐敗・腐食現象である。

昨日、テレビを見ていたら福井日銀総裁が日本経済の先行き
について語っていた。ホリエモン村上ファンドとの株取引
をめぐっての「不正」事件はすっかり忘れて「偉そうな顔」をしての
記者会見である。日本経済の先行きを語る前に、村上ファンドで
金儲けをしたことについての責任を果たすべきである。
「不正」にもうけた金を寄付したから全てがお終いと思っている
ようだが、これで社会は収まるのか? 


政府税制調査会の本間正明会長は東京・渋谷の一等地にある
幹部用の国家公務員宿舎に住んでいた。本間氏は9月に
経済財政諮問会議の専門調査会長として、財政再建のために
公務員宿舎を含む国有財産の売却推進を求める報告をまとめた
責任者。
役人は特権を使って安い公務員宿舎に入っていると批判していた
張本人が「相場50万円の3LDK」の幹部用の特別宿舎に
家賃7万7千円で入っていたという。しかも事実上の「2号さん」を
住まわせていたとのこと。奥さんがいるのだから社会ではそうした
女性を「浮気か本気相手」というのだろう。
自分が批判していた高級公務員宿舎に政府税制調査会会長
という『特権』をつかい、ただのような安い家賃で入居し、
本人は大阪大の先生もしていたので、あまり泊まっていなかった
と思われる。浮気だか本気だかは知らないが、奥さん以外の
女性との「ラブホテル」として使っていたようなもの。
これに対し、本間氏を政府税調会長に任命した安部首相は
「仕事をしっかりやってもらえれば問題ない」という趣旨の発言
をしている。
自民党の首脳・政府首脳も「自分で進退は決めるべき」などという
禅問答のような発言しかできない。
自民党・公明党・政府首脳の中で「本間はやめるべきだ」と
筋を通した発言をする気骨ある人間はいない。
北朝鮮の核実験などにはやたら強硬発言発言を繰り返す
大臣や自民党首脳もいるが、「身内のこの種の不祥事」のとき
こそ、きっぱりと「筋を通す」ことが必要である。

三国志の「泣いて馬謖を斬る」を引き合いに出すまでもなく
「規範意識を育てる」(教育基本法改悪時の発言)と言う
のであれば、こうした問題の時にこそ、阿部首相は
はっきりと自分が任命した本間氏を「クビにする」という
根性が必要なのである。

本間氏の行動は
「李下に冠を正さず」 「瓜田(かでん)に履(くつ)を納(い)れず 」
という故事にすら該当しない。上記故事は、「誤解を受けるような
ことはするな」と言っている。
本間氏は『誤解を受けるようなこと』ではなく、すももの木の下で
冠を正すふりをして、すももを盗んでしまったのであり、
瓜(うり)の畑で履(くつ)が脱げたふりをして瓜を盗んでしまった
のである。
誤解を受けないようにという故事すら当てはまらない本間氏の
行状へ本質的な批判すら出来ない安部首相や自民・公明の
幹部に、どうして子どもたちへの「規範意識」が育てられると
いうのか。

銀行協会が自民党への政治献金を再開するとの記者会見を
テレビで見た。
厚顔無恥とはこうした人間を指すことばなのであろう。
バブルの頃、やくざを使って『地上げ』をし、庶民をおどかし
土地を買いあさり、バルブが崩壊して行き詰った日本の大銀行。
公的資金をジャブジャブ注入してもらい、「ゼロ金利」などという
訳の分からない言葉でお年寄りの退職金などの預金利子を
掠め取り、「貸し渋り」「貸しはがし」を常套手段とし、
未だに法人税を支払っていない日本の大銀行。
今、史上最大の利益を上げているという。
その上、自民党への政治献金を再開すると言って
はばからない。政治献金する金があるのなら、
最低、庶民と同様に「税金を払いなさい」と言いたい。
戦前は一定の税金を払わないと「参政権」がなかった
時代があった。
政治をうんぬんする以前に銀行協会は税金を支払い、
この10数年、国民の皆様の利子を「横取りして」
今史上最大の利益をあげていますと謝罪とお礼を国民に
言うべき。自民党への政治献金をする金があるのなら、
国民へ直ちに還元すべきである、などど、私たち
庶民に言われる前に、社会の常識的な行動をとることが
「規範意識」というものである。

福井日銀総裁、本間政府税調会長、銀行協会など
日本の社会の「上層」にいると言われている人たちの
「規範意識」の低さは、子どもたちなどの比ではない。

日本社会の融解現象は深刻な事態である。
子どもたちではなく、社会の上層部が腐っている。

投稿者 koyama : 10:47 | コメント (0)

2006年12月20日

内田さん出迎え

雨のち曇り

午前中、ベトナム事務所で仕事。当面の諸問題を整理する。
午後12時。ピースボートのレオさんが来る。日本料理店で
ミンさん、ラームさんと一緒に打ち合わせ。

2007年6月に来るピースボートのツアー。今回は4日間の
フエ滞在の受け入れ。「子どもの家」や少数民族など様々な
取り組みをすることを相談する。1時間。

午後1時過ぎ、昼寝。

読書「平家物語」。清盛死去。

午後3時半、日本事務所の内田さんを出迎えにフエ空港へ。
バオミンさん、里子だったメンさんと一緒に。
予定より10分早く午後4時10分過ぎに到着。
昨夜、成田からホーチミン市しへの飛行機は遅れ、夜中の
12時過ぎにホーチミン空港へ着いたそうだ。

その足でベトナム事務所経由トンチンカンホテルへ。
クリスマス会の飾り・プレゼント、日本人やベトナム人スタッフ
へたくさんのお土産を持って来てくれた。
私も酒の肴を頂く。本当にたくさんの荷物を持ってきてくれる。
ありがたいことである。「言うは易し、行うは難し」。見習いたい。


午後6時半、内田さん、里子のメンさんと一緒に日本料理店
で夕食。

店長の大塚さんが、特別に「イカめんたい」などの差し入れ。
てんぷら、とんかつ、キンピラ、浅漬け、・・・・・。
十分、美味しい日本料理店を満喫する。
午後9時半閉店。
今日の来客10人。

毎月20日は日本料理店の給料日。
18歳以上で自立している子どもたちは直接支給。
18歳未満で「子どもの家」で生活している子どもたちは
研修生としてセン委員長に手交。20万ドンを個人通帳に貯金。
退所時本人に渡す。毎月5万ドンのお小遣い。

今日は、下宿している子どもたちに直接給料を渡す。
50万ドン。

警備員と料理人の男子は先月の給料日の翌日には
全額お金を使ってしまった。今回は、1ヶ月の計画を立てて
月給を使うように諭す。

●警備員のリー君

●調理人のターオ君

日本料理店は、子どもたちの教育の場である。仕事を通して、
「子どもの家」の子どもたちが社会性、仕事に対する責任、
など人間が社会人となって生きていくために必要な能力を
体験させることが大きな目的のひとつである。
子どもたちはいわゆる「家庭」での生活をしていない。
一般的に家庭で親が日常的に「躾ける」様々な能力が
体験的に身についていないこともある。
特に「仕事をして生きていくこと」については、だまだま
甘い部分を持っている。この日本料理店は、子どもたちの
そうした甘い部分を体験を通して、身につけて行って
もらうという役割を果たしている。
子どもたちの成長は文字通り「螺旋(らせん)階段」を上るがごとく
紆余曲折の中での成長である。子どもたちの教育に
直ぐ結果など出せるわけがない。日本料理店の
子どもたちとの付き合いは既に10数年になる。
子どもたちを育てるということは『手間』『ひま』『時間』
がかかるものである。

とかく海外支援は「お金」と「建物」の支援と思われがちだが、
海外支援の本質は「人間」である。「人間を育てる」「自立させる」
「自分で仕事をして生きてゆく」ことへの支援こそが、海外支援の
本質だと思っている。時間と労力と忍耐力、としてお金もかかる
事業である。私たちが今ベトナム・フエで展開している活動は
海外支援活動の新しい形態のひとつへの挑戦でもある。

子どもたちを「学力」とか「進学」など、子どもたちの持っている
一部の『能力』で見るのではなく、「生きる」という視点で見てゆく
活動である。子どもたちを育ている、教育するという事業への
新しいひとつの取り組みともいえる。

仕事に来たり来なかったり。仕事をしたりしなかったり。
こうした子どもたちを時間をかけて育て、自力で生きてゆく
ように導くことこそ教育の本質のように思える。
私がベトナムの「子どもの家」で行っている諸活動の
スローガンは、
「どのこともたちも生きてゆく力を本能的に持っている」
「子どもたちに『くず』はない」である。
どの子どもたちへも愛情と忍耐、厳しさと暖かさを持って
接し、けしてあきらめずに付き合ってゆくことが「子どもの家」
では求められているが、これは日本の子どもたち、教育にも
同じことが言えるのではないだろうか?

ベトナムで日本の教育や子どもたちの諸問題を
見ていると、「教育」の一番大事な論議(どの子にも素晴らしい
能力が眠っている)が忘れられているように思えてならない。

ベトナム・「子どもの家」では「未履修問題」や」タウンミーティング
問題」など、姑息なやり方は必要ない。正々堂々と子どもたちと
対面し、ぶつかっていく気概があれば、結果は自ずからついてくる
ものである。


投稿者 koyama : 13:19 | コメント (0)

2006年12月19日

ベトナム事務所で仕事

終日雨。寒い。

終日、インターネット接続不良。Eメール(アウトルック)使用不能。
プロバイダーに原因あり。日本事務所、関係者との連絡が出来ず
困る。

朝、内田さんから電話。これから成田発でベトナムへ行くとのこと。
旅行の無事を祈る。

午前7時。朝食。ブンボー。
午前8時。日本料理店の英語教室。男子2名欠席。女子5名学習。

午前8時半、ベトナム事務所で仕事。ボランティア貯金からの
質問状への回答。必要な領収書をデジカメで撮りホットメールで
送る。

昼食はベトナム事務所隣りの「精進料理屋」のコムディア(ホカ弁)。
40円。野菜ばかりで美味しい。

1時間ほど昼寝。寒い。

読書「平家物語」。いよいよ平家滅亡へ・・・。


午後、雨の中徒歩ベトナム事務所へ。


午後5時半、日本料理店で夕食。今日は男子2名、食事に
加わる。

JASS静岡の会スタディ-ツアーの日程等の計画・連絡。

日本料理店来客は2人。

午後9時、閉店。雨の中、子どもたちが帰宅。
明日は、日本料理店の給料日。子どもたちは楽しみにしている。

投稿者 koyama : 17:46 | コメント (0)

2006年12月18日

ベトナム事務所で仕事

曇りのち雨。 とても寒い。


50年前の1956年12月18日、日本は国連に加盟した。
なぜか私はこの日を鮮明に記憶している。
当時、豊島区立文成小2年生だったと思うが、小学校の
全校朝礼があった。木下校長先生が「今日から日本は国連に
入ることができました。お目出度い日です。世界の仲間に
入りました」というような趣旨の話をした。その日の朝礼の
様子、学校の様子、色まで鮮明に記憶している。人間の記憶とは
不思議なものである。なぜ、国連加盟のこの日だけが
記憶に残っているのか、私にも分からない。
国連加盟の記憶と連動してどういう訳か担任の先生と
アコーディオンを抱え門脇という先生が歌を教えてくれたことをも
記憶につながっている。白と黒の大きなイタリア製の
「EXCELSIOR」を抱えて歌いながら教えてくれた階段下の
変な教室での出来事。教室が足りなくて階段下の倉庫が
教室だったように思う。
歌詞まで思えているというのも不思議なものだ。
今朝何を食べたかすら忘れてしまう今日この頃だが。・・・・。
題名は忘れたが「東京を讃える歌」だった。
戦後10年位たった頃である。
『花が咲き 夢がこぼれる 東京の 緑の町よ明るい園よ
東京の 昔懐かし お堀の水に 映るは富士か議事堂か
白鳥の影は鮮やか』こんな歌だった。
昔の特定の記憶だけが鮮明に頭に残り、『今』の出来事が
分からなくなる症状は、典型的なアルツハイマーの症状
である。既にその初期症状に入ったいるのか?・・・・・・・

午前中、ベトナム事務所で仕事。
先日ホーチミン市のIT事務所でお会いしたDNA会長
のH氏より日本と世界の手作り年表が送られてきた。
1850年からの日本と世界の主な出来事、首相名など
が書かれた年表。最後の首相名は小泉純一郎。
日本語学校に掲示する。感謝。

昼、停電。

午前中、インターネットが接続されなかった。
Eメールは1日中送受信できなかった。

2007年12月15日に日本からフエに帰る切符を
フエで買おうとしたが、「テト」(旧正月)の前と
いうことで座席が満席。2007年2月17日(一説では18日)
がベトナムのテト正月。この日をめざし、世界中から
ベトナムの故郷へ一時帰国する。又、ホーチミン市や
ハノイ市などの大都市へ来ている人も故郷へ帰る。
そのため、2月17日(18日)の前1週間の飛行機の切符は
既に満席。困っている。2月15日に日本の支援者と一緒に
フエへ戻ることになっている。既に支援者は日本でフエまでの
切符を買っているが、肝心の私の切符が買えない。

今日は夜遅くまで1日中、Eメールが使えず、日本事務所への
連絡ができなかった。また、支援者や関係者からのメールも
受信できず。送信された方には申し訳ないが、今日送信された
メールは一切読むことができていない。明日、受信可能になったら
急いで読み、返事をする予定。日記を借りてお詫びしたい。
FAXで日本事務所送信しようとしたが、FAXも使えず。

午後、生ビールの機械が故障。修理業者に連絡するが来ない。
昨日から生ビールのゴムの管が破れて生ビールがこぼれ出して
いた。日本料理店中が生ビールの腐敗臭。
結局、破れたゴム管から空気が入り、生ビールの発酵を早め、
既に酸っぱくなってしまった。お客さんには出せない。
原因は業者がゴム管を抑える金具を強く締め過ぎていたため
ゴム管が破れてしまった。責任は業者にあるが、全く責任を
感じていない。まだ60㍑中、40㍑以上は残っている生ビールを
お客さんに出すことができなくなった。

午後9時過ぎまで日本料理店を開店したが、来客ゼロ。
久しぶりのゼロ日だった。外は雨、寒い。街を歩いている
人はいない。たまには、こうしたこともある。
商いは「飽きない」である。良い時もあれば、悪い時も
ある。

今日は1日、ベトナムの社会に翻弄された。
インターネット、Eメールが使えず、停電、生ビール破損。
お客ゼロ。

投稿者 koyama : 07:52 | コメント (0)

2006年12月17日

休息日。みんなで昼食を共にする

終日雨。寒い。

昨夜、午前1時半まで飲んだ。今朝は流石に起きられなかった。
午前7時のNHKの「政治討論」を見ることができなかった。

午前8時半。ベッドで「平家物語」(2巻)を読む。興味津々。面白い。

午前11時、日本料理店で日本人スタッフと「ブランチ」食事会。
フダ生ビールが寒くて売れない。60㍑の樽を買っているが、
生なので2週間で発酵が進み、酸っぱくなる。先週も生ビールが
2週間経過し酸っぱくなり捨てた。今ある生ビールも
今週の日曜日に2週間となり飲めなくなる。
捨てるよりは、人間の胃袋に入れた方が良いとの判断で
今日は生ビールを飲んだ。60㍑樽を取り寄せて丁度1週間。
一番美味しい時。大塚さんが「刺し盛り」を作ってくれる。
大トロ、中トロ、赤み、イカ、鮭の刺身。野菜天ぷら。
その他いくつかおつまみ。仕上げは雑炊。
午前11時から午後4時まで雑談をしながら日本人スタッフで
交流。

午後8時。夕食。缶ビール2本。コムディア(ベトナム風ホカ弁70円)

「平家物語」を読む。

投稿者 koyama : 22:57 | コメント (0)

2006年12月16日

ベトナム事務所員会議:日本語学校会議

終日雨・風強し。寒い


朝6時半のNHK[週間ニュース」を見る。
今週1週間のトップニュースが何と「松坂レッドソックス入団」だった。
教育基本法・防衛省問題は一般のニュースの中のひとつとしての
扱い。NHKのジャーナリズムとしての体たらくぶり。
週間ニュースと銘打った番組である、教育基本法・防衛省問題が
今後の日本の針路を決めるほどの重要ニュースであるとの
認識がない。政府・体制べったり。政府・体制の提灯持ちと
化している。NHK視聴料を強制徴収などという前に真っ当な
報道をすべきである。少なくとも少し前なら、今週の「週間ニュース」
と銘打った番組ならトップで教育基本法・防衛省問題を報道して
いた。戦後61年続いた日本国家の基本的な枠組みを180度
右展開する問題である。ジャーナリズムがその時々の
権力を批判するという任務があるからこそ「報道の自由」という
概念が存在するのだ。体制・権力の追随する報道に
「報道の自由」などという言葉は必要ない。

今日は朝からトーンが高い。

午前7時朝食。ブンボー。美味しい。

午前8時、ベトナム事務所へ。バオミン・ベトナム事務所長と
いくつかの問題の打ち合わせ。

午前8時半、ベトナム事務所員会議。
サンさんが体調を崩し休む。

(ソン)小山さんに頼まれ日本料理店のT君のジーンズを
    T君と一緒に買に行く。T君にお金を渡すとギャンブルか
    遊びに使ってしまうので、お金を預かって買いに行く。
    1本12万ドンのジーンズ屋に行ったが、T君は
    そんな安いのは嫌だ、25万ドン位するジー