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2006年12月04日
ダナン経由ホーチミン市へ
雨(フエ)
真夏(ホーチミン市)
午前3時半起床。外の風雨は強い。台風9号の影響か?
3日の夜からうつらうつらしているうちに
午前3時半となる。シャワーを浴び目を覚ます。
関係する薬を飲む。荷物の最終チェック。
結局昨日、ミンさんが努力してくれたのだが、
午前9時フエ発ホーチミン行きの飛行機の切符は
満席ということで手に入らず。
午前4時半、この10年間付き合っている運転手のトアンさん
がトンチンカンホテルの前に来ている。何か事情があるのか
奥さんも一緒。
真っ暗な国道1号線を南下。途中、ハイバントンネルを通るのか
と思ったらハイバン峠を上りだす。これは時間がかかるなと一瞬
、何を考えているのだろうと思ったが、何か事情があるのだろうと
運転手トアンさんに任せる。午前7時過ぎにダナン空港へ到着。
2時間半かかる。
そのままチェックイン。待っている間読書。
午前8時、ダナン空港を出発。ほぼ90%の乗機率。
80%は欧米系の乗客。
機内で読書。
「ベトナム報道1300日 ある社会の終焉」(古森義久著:講談社)
午前9時過ぎ、無事ホーチミン空港に到着。
タクシーでホーチミン市内のボンセン2ホテルへ。
途中相当の渋滞。結局1時間以上かかる。
通常なら20分程度でいけるのだが。
運転手さんはスピードは出すは、交通放棄はでたらめ、
急ブレーキはかけるは・・・。やり放題。
ホテル到着。5万ドンちょっと。10万ドン紙幣しかなかったので
10万ドン紙幣を出す。おつちがないから「10万ドン寄こせ」
という。「お釣りぐらい用意してなくてどうする。外で両替しろ」
という。500円程度のタクシー代に千円札を出したらおつりが
ないので千円寄こせと言っている訳である。
ポケットから携帯電話を出し、ベトナム語で「警察を呼ぶ」
という。運転手さんは、あわてて外に出て両替してくる。
3000ほど大目に支払う。
ボンセン2ホテルは、ホーチミン市内中心部の更に中心にある。
バーバーチュン通り。
ホテル着午前10時。その足で日本料理店の食材の買出し。
大塚さんたちに頼まれた「まぐろ」などの刺身を買いに
日本食材店に行く。ハイバーチュン通りからレータントン通り
までの間に数十軒の日本料理店がひしめいている。
「東京ショップ」という店に行く。事前にべトナム人スタッフが
電話で「マグロの刺身がある」との確認をしてくれていた。
ベトナム人店長に聞くと「ない」という。刺身類はないの?
と確認すると「刺身類はない」とのこと。仕方ないので
もう一軒の食材店にも行くが、ここも刺身類はない。
ホテルに戻る。午前11時。さすがに朝早かったので疲れる。
横になる。30ほどつい寝込んでしまう。
考えてみれば朝食を摂っていない。お金ももったいないので
何度か行ったコムディア屋へ。(日本風に言えばホカ弁屋)
いつもの通り、ご飯の上に野菜炒め、豚肉の煮物、玉子焼き
などを乗せてもらう。1万ドン(70円)~15000ドン(100円)程度。
ところがお店のおやじが「5万ドン」(350円)という。
日本人と思い相当ふっかける。
「おじさん、いつもきているんだよ。いつも1万ドンじゃない・・」
と私が言う。おやじさんは、「へへへ・・・」と言って1万ドンに。
ホテルの部屋で「ホカ弁」を食べながら午後1時(日本時間
午後3時)のNHK衛星放送のニュースを見る。
宮崎県知事が辞任するという。この人の記者会見を見たが
個人的な心象で申し訳ないが、最終的には「収賄」で
逮捕されそうな印象を持った。
読書。そのうち眠り込み込む。
午後4時。荷物を整理して、京都青年会議所のT氏と
待ち合わせ絵いている「Aホテル」へ。
T氏は京都青年会議所(100人)の現地スタディーツアー
で「子どもの家」へ来た。事前調査で3回。当日に1回。
その後、一昨年、近畿青年会議所スタディーツアーで
再度、来訪。「子どもの家」の庭にコンクリートを張り、
縫製工場建築予定地の整地をしてくれた。
今回は、T氏の会社の仕事でホーチミンに来たとのこと。
知り合いに私を紹介したいとのことだった。
午後5時、Aホテルロビーで再会。2人の日本人を同伴。
しばらくホテルの喫茶室で懇談。IT関係の仕事をしている
人たち。この時点で私が何故ここにいるのかの事情が
必ずしもはっきりとはしない。
その後、Tさんの呼びかけで「会社に行こう」とのことになる。
タクシーで市内中心地へ。10階建てほどのIT関連企業の
集中センターへ。
学校の教室4つ分ほどの部屋にパソコンが整然と置かれて
いる。何人かの日本人に紹介される。
最後にBさんに紹介される。Bさんは、1974年に南ベトナム
から京都大に留学。ITを勉強。1975年に南ベトナムが消滅
し、カナダへ移民。現在はカナダ国籍のベトナム人。
日本語と英語は堪能。Bさんが、何か特殊なIT関係の発明を
したそうだ。この会社はBさんがカナダに作った映像関連にIT
会社のベトナム法人。そこに日本のベンチャー企業として
いくつかのIT企業が共同で会社を運営しているという
ことがわかった。京都青年会議所のTさんもBさんの
特許を使った特殊な映像ITを使い、ある仕事しようとして
とのこと。
今回、Tさんが私をホーチミンに招待したのか、これらの
IT関係の皆さんに私を紹介し、ストリートチルドレン、障害児
支援などの活動を皆さんに知ってもらいたい、そして、これら
IT関連の企業の皆さんに「子どもの家」の支援をして欲しい
との気持ちだと言うことがわかった。
30分ほど会社で懇談。ベトナム系カナダ人も4人の日本人IT
関連の会長さんや社長さん、香港系中国人なども、
ITとは異質な私がこの場にいることを理解してくれる。
しばらくして、「フランスからIT企業の社長が今ホーチミン空港
に着いた。皆で出迎えに行き、一緒に夕食を摂ろう」ということ
になる。
フランスのIT企業の社長も一緒になり「フエ料理」専門店
へ行く。午後9時半頃まで食事。
京都青年会議所のT氏はそのままホーチミン空港へ。
午後11時過ぎの飛行機で関空へ。
T氏の計らいに感謝。
ホテルへ戻ったのは、午後10時半。
さすがに朝が早かった。急に睡魔に襲われ就寝。
ベトナムテレビでは、台風9号はニャチャン近くに
上陸したとのこと。ホーチミン市には直接影響はない
とのこと。明日のフエ行き飛行機は飛びそうだ。
投稿者 koyama : 2006年12月04日 13:54