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2006年12月05日

フエ行き飛行機、遅れる

曇天のち晴天(真夏)

午前8時半起床。
疲れが残っているのでバスタブにお湯を入れてゆっくり
入浴しようとした。ある程度お湯がはいたので入浴。
しかし、途中でお湯が水に変わる。そうだった、忘れていた。
ベトナムのホテルの基本はシャワーだったのだ。

午前9時。8階のレストランへ。このホテルは朝食つき35ドル。
7人~8人の日本の若者がいた。日本人だけだった。
バイキング方式。パンとおかゆ、チャーハン、野菜。
私が係りの人に「フォーはありますか?」と聞く。「はい」
との答え。しばらくするとフォーを持ってくる。
それを見て日本の若者はみんなフォーを頼む。バイキングの
机にフォーがなかったので皆さん気が付かなかったようだ。
言ってみるものだ。昼食兼用で朝食を摂る

食後、日本人がいなくなったレストランでお茶を飲みながら
読書。「ベトナム報道1300日」。著者は毎日新聞の南ベトナム
特派員。ベトナム滞在最長の特派員だった。1972年から
1975年までの3年半のサイゴン滞在記である。非常に興味
深い記述が多い。上野の西郷さん下の古本市で150円。

30歳位の日本人がやってきてサイゴン弁で携帯電話
をしている。タバコを片手に。誰もいない広い
レストランなのにわざわざ私の横に来て大きな声で電話を
しながらタバコを吸う。煙がもろに私にかかる。
この若者(とも言えないが・・)何を考えているのだろう。
自分の事しか考えていないのだろうか? 自分が
このレストランの中で「どんな位置」にいるのかの自覚が
全くないまま、ただ電話をしたい、タバコを吸いたいから
吸っているという、全く「赤ちゃん」と同じ、欲求の赴く
ままに行動しているように思われた。
私は近づき、肩をポンポンとたたたき、「タバコはだめ」
と言う。若者はきょとんとした顔をしている。私の言った
意味が分かっていないのか、すっとぼけているのか?
私は再度、「レストランでタバコはだめだよ」という。
やっと分かったようで、プィーと出て行く。


朝食後、何とか大塚さんたちに頼まれている「まぐろの刺身」
を買って行こうともう一度、日本料理店街に行く。
昨日は「お刺身類は一切ない」と言っていた店長が、
「まぐろはないですが、ほかの刺身ならある」と言う。
それならどうして昨日言わなかったのか?などという
野暮な疑問はもたないで、どんな刺身があるのか見せて
もらう。
「赤貝」「たこ」など数種類の冷凍刺身があった。
税田さんに電話をし、大塚さんの意見を聞く。買ってきて欲しい
とのこと。早速、置いてある何種類かの冷凍刺身を買う。
もう一度、本命の「まぐろの刺身」を聞いてみる。
「それなら仕入れることが出来るので、午後1時頃来れば
用意できる」とのこと。昨日どうして言わなかったの?と
のど元まで出かかってやめる。これもベトナムの「伝統?」
午後1時に来ることを約束して店を出る。
レ・タン・トン通りからハイバーチュン通りの一角には
本当に多くの日本料理店がある。この際、我が日本料理店の
参考にしようと片っ端から日本料理店の玄関とメニューを
写真に撮る。

午後11時過ぎ、ホテルをチェックイン。
荷物を持ってインテーネットカフェへ。12月4日の日記を
書く。
午後1時近くになったので、再度日本食材店へ行き、
まぐろなどの刺身を箱詰めし、ドライアイスで保護してもらう。
「3時間から4時間は保ちます」とのこと。3時発の飛行機に
乗れば午後4時には着く。大丈夫と胸算用。

午後1時半。タクシーでホーチミン空港へ。午後3時発では
あったが、早めにチェックインをし、待合室で本を読みたかった
ので、早めに空港へ行く。
チェックインカウンターの女性は平然と「飛行機は午後8時10分
に変更になりました」という。私は彼女の英語を聞き違えたかと
思い再度聴いてみるが、やはり「午後8時10分発」とのここと。
午後3時発が午後8時10分と言うことは、5時間10分も遅れる
ということか・・・・・・。いつものことだが、勝手なことだ。
一応、カウンターの女性に「遅延の理由は?」と聞いてみる。
「時間の変更」との答え。答えになっていない。
カウンター女性にこれから私はどうすれば良いのかを聞く。
「27番窓口に行き、あなたのホテルへ戻る手続きをしてください。
費用は当方で出します」とのこと。「ヘー、最近のベトナム航空は
ずいぶん変わったな?」などと思いながら、27番窓口に行く。
何枚かの書類に休息するホテルなどをゴチャゴチャと書かされる。
そして何枚かのサイン。それでもホテル代とホテルまでの
往復タクシー代をベトナム航空が出すようになった、
やっと世界の普通のことが出来るようになった、などと心の中で
喜びながら、27番窓口の女性に「ホテル代とタクシー代が出るので
ですね?」と再度確認してみる。
「違います、あなたのホテルに行く片道のタクシー代だけしかでま
せん」とのこと。やっぱり。私の考えが甘かった。どうもおかしい
と思っていたのだ。「タクシーは、ベトナム航空のエヤポートタクシー
を使ってください」と何度も言われた。何か「おかしい」。
本来は近くのホテルにお客さんを案内し、時間まで待ってもらう
というのが、決まりのはず。今年2月にハノイに行き帰りにハノイ
空港で待たされた時も、湖のあるホテルにベトナム航空が連れて
行った。
今回は「片道のタクシー代しか出さない」などという理屈の会わない
対処の仕方はない。少なくとも往復のタクシー代を出さないと
意味がない。ホーチミン空港の関係者がベトナム航空の決まりに
従った正規の「顧客処理・対応」を行わず、片道のタクシー代
で表面をごまかし、ホテル代、往復のタクシー代を「山分け」
にするのだろうか? とにかく「片道のタクシー代」とは
不可解な対応である。
飛行機の5時間10分遅れも午後3時便の乗客数が少ない
ので、午後8時10分の最終便に合体したといういつもの
パターンである。11月にWTOに加入したのにこうした
馬鹿なことがいつまで続くのだろうか?

片道タクシー代は、400円ほど。私の隣りや後ろに
何人ものベトナム人や欧米人がいて、カウンターの係りに
「文句」を言っている。多分、私と同じことを考えている
のだろう。私の方は、ドライアイスで保冷している
「生のマグロ5キロ」が腐ってしまう。急いで、
食材店に持って行かなくてはと焦る。
こんな馬鹿らしいところで言い合いをしていても
仕方がないので、みんなが見ている前で数枚の
「片道タクシー代請求書」をビリビリと破いてやった。
べトナム航空スタッフは「何をするんですか?」
と言う。回りの数十人のお客さんたちは
?とした顔で見ていた。大声で「クレージー」と叫んで
空港を後にした。

ホーチミン空港前のタクシーに乗り、日本食材店に行くよう
言う。メーターを倒したので一安心。5分位行ったところで
「5ドル」という。私が日本人だと知り、何も知らないと
思い、また吹っかける。また同じ対応。タクシーを止めろ、
お前の名前を教えろ、今から警察に電話をしてここに
来てもらう、とベトナム語で言う。運転手さん、すみません
、すみませんを連発。何度、こうしたことを続ければ良い
のか? 20分ほどで日本食材店に着く。

食材店スタッフに「5時間10分の飛行機遅れ」の事情を説明。
日本語の出来るベトナム人スタッフは「またですか?」と
言った反応。早速、冷凍室に保管してくれる。
包装とドライアイスを変えて欲しいと頼む。午後6時過ぎに
もう一度来るのでそれまで保管して欲しい旨依頼し
店を出る。

午後6時。食材店に行き、生マグロ5キロ、赤貝、ミル貝、
〆サバなどを買いホーチミン空港へ。

ホーチミン空港では、氷が入った2キロ以上の荷物預けは
できないといわれる。こうしたときには、自分たちの
勝手な決まりを言い張るのだ。

仕方がないので7、5キロの刺身などの荷物を
機内に持ち込むことにする。
午後6時から午後8時10分まで空港内で待機。
ベトナム航空のお陰で「ベトナム報道1300日」が
ほぼ読み切れる。

午後8時10分、150人ほどを乗せてホーチミン空港を
離陸。午後3時便がどうして午後8時10分に変更されたか
のカラクリがわかる。午後8時10分便には、韓国のツアー
60人ほどが乗っていた。午後3時便の乗客が少なかった
ために午後8時10分便に詰め込まれ、ほぼ満席で
ホーチミン空港を飛び立ちことになった。
ベトナム航空の金権体質は目に余る。

飛行時間1時間の約束が結局1時間半となる。
午後9時半過ぎにフエ空港へ到着。その足でトンチンカンホテル
へ。
トンチンカンホテルでは、大塚さん、税田さん、石岡さんたちが
待っていてくれた。早速40センチの生マグロをさばいて
調理。残りは冷凍室へ。私は生マグロやミル貝、赤貝を
おつまみに生ビールを堪能。刺身類の調理を終わり、
皆さんと久しぶりの懇談。午前12時過ぎまで。
さすがに疲れた2日間ではあった。ベトナムの新しい
側面を知った気がする。金権体質、お金がすべての
体質がホーチミン市には蔓延している。
今回タクシーに5回ほど乗ったが、全て高額の支払いを
請求された。今までそうしたことはあったが、5回に1回
程度だった。5回中5回とは既にお客を騙しても
お金を取るという風潮が蔓延していることを物語って
いる。フエでも同様の一時成金が肩で風を切って
跋扈(ばっこ)している。悲しいことではある。
12月6日午前1時、就寝。

投稿者 koyama : 2006年12月05日 16:52

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