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2006年12月28日

JASS静岡の会「ナムドン山岳少数民族」交流

朝小雨、その後終日晴天。

午前6時半。フォンザンホテルに宿泊している全教千葉の
皆さんが帰国。ホテルまで見送り。10年近く、「子どもの家」や
JASS関連施設、船上生活者の多いフールー小学校への支援
を行ってくれている。数年前からナムドン山岳地帯のカトゥー族の
「トゥオンロー小学校」60人の子どもたちへ奨学金を贈呈して
いる。単発的な支援の仕方もあるが、全教千葉の皆さんは
10年近くもの間、国際支援・子どもたちへの愛情を持続させて
いる。なかなか真似のできることではない。皆さんに感謝。
無事な帰国を祈る。

午前7時。日本人スタッフと朝食。ブンボー。

午前9時。JASS静岡の会スタディ-ツアーの皆さんと
フエ市人民委員会へ。タン副市長と懇談。
滝下団長が小島善吉静岡市長のメッセージを代読。
意見交換。

●JASS静岡の会滝下団長挨拶。小島善吉静岡市長からの
 メッセージを代読。


●タンフエ市副市長歓迎の挨拶

昨年5月、静岡市とフエ市は「友好都市」となった。
両市の友好都市提携のきっかけは10数年前
JASS静岡の会の子どもたち組織(THINK OF EARTH)
の子どもたちが小島市長のメッセージを持ってフエ市長を
訪問したことだった。それから5回目の子ども訪問団である。


午前10時。静岡スタディーツアー一行は、バスでナムドン
山岳地帯へ。カトゥー族との交流へ向かう。

1時間半のバスの旅。
午前11時50分。ナムドンの中心地へ。昼食休憩。

滝下団長と日本料理店警備員のリー君。
リー君は訪問者がナムドン山岳地帯へ行く時は専属で
付添い・案内人となる。2006年には、20回近く
ナムドンへ行っている。「ナムドン専門家」(自称)である。
日本料理店での仕事では、時々遅刻、無断欠勤、無断職場離脱
がある。ナムドン行きとなると予定時刻の2時間ほど前には
出勤し、諸準備を行う。ナムドン山岳地帯がすきなのだ。


午後1時、少数民族カトゥー族のトゥオンロー村へ。

●支援物資の贈呈

●カトゥー族子どもたちの歓迎の踊り

●静岡の会子ども派遣団の出しもの歌「富士山」

村人と交流の踊り



午後4時半、フエへ戻る。静岡の会の皆さんは、バオミンさんと
一緒にドンバ市場へ。私と「ナムドン専門家」(自称)リー君は
日本料理店で下車。

トンチンカンホテル自室で2時間ほど読書。
「テロルの真犯人」(加藤紘一著:講談社)読了。
非常に興味深く読んだ。
私は加藤紘一氏については深い知識は持っていなかった。
「加藤の乱」ではテレビで無様な格好を晒したという程度の
ものであった。
本書を読んで加藤氏への評価は大きく変わった。
加藤氏は自民党の元幹事長である。一時は首相の最短候補者
でもあった。そうした加藤氏が今では、盟友YKKの小泉政権を
厳しく批判。安部現首相への批判も厳しい。
小泉氏は自民党内に支持基盤がない。従って国民の支持だけが
頼り。そのためにパフォーマンスを繰り返した。自民党内では
「旧守派」「改革反対勢力」を作り出す。国際的には北朝鮮、
中国・韓国を反対勢力に仕立て、自分の人気と国民的な支持を
維持するというパフォーマンス政治だと断定している。
そして、国民がこうした「危うい」政治に流される今の日本の
危機を強く指摘している。
なぜ、加藤氏はこうした態度をとっているのか?
「加藤の乱」は敗北に終わった。失態続きの森首相への野党からの
不信任案採決に欠席すると言明。自民党が割れ政界再編の入り口に
立った。結局、当時の野中幹事長の裏工作で「加藤の乱」は
つぶされる。加藤氏は、加藤の乱は政界再編の序章だといっている。
加藤氏の生い立ちが詳細されている。自民党内の野党的な存在、
一匹オオカミ的な存在になっている加藤氏の生い立ちは
「平和・民主主義」という彼の基本的な概念形成に大きな
役割を果たしている。
父親は戦前内務省の高級官僚。戦後、山形県選出の衆議院議員。
父親が議員になった関係で東京に住んだ加藤氏は、都立日比谷高校
から東大法学部。東大在学中の「60年安保闘争」が加藤氏の
人間形成に大きな影響を与えている。加藤氏は直接安保闘争の
学生運動には加わらなかったものの、安保闘争の影響下、人間の
生き方を深く考えていた。仲間の多くが学生運動に参加している。
自分はどう生きればよいのか、自民党代議士の息子としての
自分は学生運動に参加すべきか? こうした悩みを最後まで
引きずって生きてきたように思われる。
東大3年で外交官試験に合格し東大を退学。
外務省入省。外務省からハーバード大学大学院へ派遣。
中国関係の専門研究をし、香港副領事などとんとん拍子に
出世コースを辿り、父親の事後、一時期を置いて山形県から
衆議院議員に当選。加藤氏のライフワークは「中国」である。
本書で加藤氏は繰り返し「アジア・太平洋戦争ではアジア諸国に
多大な迷惑をかけたということを日本人は認識すべきだ」と述べている。
対米協調路線をとりながらも、アメリカべったり路線には批判的
である。中国・アメリカ・日本は「正三角形」関係であるべきだと
言っている。小泉・安部政権はアメリカとのつながりが強すぎると
批判。
加藤氏は台湾の李登輝総統と会談し、「GNP対比で国民所得が
年収3000ドルを超えると、国民は独裁政治から離脱し、独自の
思考を始める』と発言すると李登輝総統は「いや1500ドルを超えると
政府の強圧的なコントロールから国民は離れる」と言っている。
既に中国は700ドル程度の所得となっている。近々に1500ドル
の所得を超えると中国共産党の独裁支配から離脱する可能性が
あると言っている。
小泉首相の靖国参拝には正面から反対を唱えている。
そのため右翼が山形県の実家兼事務所に放火し割腹自殺を図る
という事件が起きた。小泉首相、安部官房長官は10日間以上、
右翼の言論封殺のテロリズムに無関心でいた。加藤氏は、
この放火・割腹自殺未遂事件は、言論の自由と民主主義に
対する重大な挑戦であると言明。私は、テロがあったからこそ
なお一層、自説(中国やアジアとの友好、靖国参拝反対、
言論の自由と民主主義を守る)を曲げずに行動すると言っている。
立派な態度である。政治的な見解を異にする部分は多いが、
加藤氏の生き方には賛同するところ多し。
多くの方々に本書を勧めたい。読むべき価値のある本である。
今の日本の「右傾化」「偏狭なナショナリズム」「格好だけの
強さの強調」など怪しくなった国民全体の雰囲気に
警鐘を乱打している。この点は、私と全く同じ現状認識と
意見である。加藤紘一氏の活動が暴力や脅しでつぶされない
ことを祈る。ともに民主主義を守る同志だと思える人物である。
異なった意見の持ち主が共存する社会こそ民主主義社会である。
今の日本は特定の意見を「異端」と一方的に決め付けると
排除する社会となりつつある。ファシズムに一歩踏み込んだ
社会である。

午後6時。日本料理店の厨房では、静岡の会の皆さんの
夕食作りに余念がない。

●天麩羅を揚げる

●豚肉のしょうが焼きの生地作り

●しょうが焼きを作る


●調理の仕上がった「てんぷら」


●出来上がった「しょうが焼き」

●日本料理店の子どもたちと交流するアオザイ姿の静岡の
  子どもたち



投稿者 koyama : 2006年12月28日 08:27

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