« ベトナム事務所員会議 | メイン | 「子どもの家」NGA(ガー)さん12回目の誕生日 »
2006年12月10日
休日
朝から小雨・曇り/午後晴れ
午前6時目が覚める。雨の音。しばらくベッドの中で
今日1日の日程を考える。フエに戻って2週間。
久しぶりの休みである。
しばらく読書。「平家物語」。
午前7時、NHK「日曜討論」。この番組は一応、見る価値あり。
日本の今、政治で何が問題になっているのか?
主な政党の主張はどんなものなのか? が概略分かるからだ。
どうしてもベトナムにいると日本の状況が分からなくなってしまう。
午前8時、読書。なかなか面白い。人間というものの本質を
様々な面から描いている。
午前9時半、コムディア屋へ。ご飯、おかずを買う。70円。
午前9時40入浴。午前10時から日本の正午のニュースを
見る。午前10時15分。楽しみにしていた「素人のど自慢」、
のはずが、「時代を通した日本の美」となる。しかも英語。
今までタイ→ホーチミン市経由でNHK海外衛星放送を
パラボラで受信していた。年間受信料800ドル。
ラームさんから200ドルでNHKが見られる安いケーブルテレビ
が入ったとの話があり、安い200ドルケーブルTVに変更。
「安物買いの銭失い」という諺がある。年間200ドルで
30チャンネルほど見られるので安いことは安いが、そこが
曲者だった。NHK海外衛星放送は2種類発信されている。
800ドルの方はニュースから娯楽、歌謡、子ども向けなど
総合的な番組編成。200ドルの方は、外国人向けの放送。
基本は英語。ニュースと日本紹介。歌や娯楽番組は一切
排除。という訳で、「NHKのど自慢」の代わりの英語版の
「時代を通した日本の美」のような番組となってしまった。
銅鐸、勾玉、くが玉などの解説。続いて「日本つけもの物語」。
自分のミス判断に強く抗議し、缶ビールを3本飲む。
ブランチ後、昼寝。
終日、読書。「平家物語」。1冊1000ページの文庫文。
厚いので寝ながら読むと、重くて腕が痛くなるが、
引き込まれる。読書は「エンターテーメント」。
読書は楽しみであり、喜びであり、典型的な娯楽だ。
安倍晋三首相の諮問機関「教育再生会議」が来年1月下旬に
公表する中間報告についての集中討議をしたそうだ。
「規範意識・家族・地域教育再生」をテーマとする第2分科会では、
主に「子供の心の成長」について議論。
社会や他人への奉仕の精神、優しさ、友情、勇気、親孝行など
といった「徳目」を身につける上での読書の重要性が改めて
指摘されたそうだ。。具体的には、一部学校で実施されている
始業前10分間の「読書の時間」を全国普及することが提言
されるという。
読書までが公権力によって、奉仕や親孝行などの徳目の
手段にされようとしている。教育再生会議の答申のような
読書が全国で実施されると本当の読書の喜びからは、
大きく逸脱した「ニセ読書」が横行するようになるのだろう。
私は小学校高学年頃から「講談本」を読む時だけが、
自分の時間・自分の自由な精神世界に浸ることができる
唯一の時間だった。6畳一間に家族6人の生活。自分の
自由な時間などない。毎日近くの古本屋へ行き、1冊の
古本の講談本(忠臣蔵・猿飛佐助・・・)を買い、家族が
ワイワイやっている片隅で「自分だけの自由な精神世界」
に入り浸っていたものだった。
私にとって読書は、楽しみであり、心の自由の象徴。
親孝行だとか「やさしさ・友情」などを身につけるための
読書を強要されては、たまったものでない。
せめて、読書位は自由にさせてもらいたいものである。
本を読んで「立派な人間になる」と言う発想そのものが、
読書を冒涜している。本を読んで何を考えるかは、
読んだ人の自由。それこそ心の自由。この本を読んだら
「友情の大切さ」を理解しなえればならない、などと
いう読書こそ、まがい物の読書。読書は著者の思いすら
裏切って読むものだ。読者は自分の人生と経験を通して
自由に読書する。著者の思いとは当然異なるものだ。
それが読書というもの。
教育再生会議に入っている「ヤンキー先生」「100マス計算の
影山先生」たちの胡散臭さが、浮き彫りになってきた。
「美しい日本」を実質的に支える役割を果たさざるを得ない
ピエロと化している。
投稿者 koyama : 2006年12月10日 12:17