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2012年06月30日

千葉県浦安市で「バンベー41号」郵送作業

快晴 昼過ぎからは真夏となる


午前8時過ぎ自宅を出て、都営地下鉄三田線で
大手町で東西線に乗り換え、浦安市へ。

今日は、浦安市市民センターで「バンベ41号」の
郵送作業。

10人強の皆さんが既に作業を始めていた。
郵送作業は、事前に山西さん・寒河江さん夫妻が
下準備をしておいてくれたので、順調に進んだ。

元ベトナム事務所員だった稲垣JASS日本代表と
数年前まで事務所員・日本語教師だったI先生。
先週、結婚されたそうだ。おめでとう。改めて
お祝いを申し上げたい。幸せな人生を祈る。


左のIさんは、東日本大震災支援に何度も参加されている。
ボランティア精神旺盛な方。毎年、「子どもの家」に来てくれて
こどもたちと一緒に木製の椅子、机をてづくりで作ってくれる。
今年も「子どもの家」の来てくれて、机・椅子などを作って
くれるとのこと。右のNさんは、1994年JASS結成時からの
会員であり日本事務所員でもある。JASSの歴史を全て
知っている。JASS結成の当初の苦労を一番知っている
一人である。


左と右の田中さん・タンさん夫妻は、文字通り「日越友好」のシンボル。
真ん中、Wさん。JASS結成当初からの会員。

田中さん・タンさん夫妻のお子さん。来年は小学生になるという。


後ろのYさんは、長年「子どもの家」のバーベキュー大会を
寄贈。右はJASS日本副委員長の山西さん。
真ん中は、元ベトナム事務所員・日本語教師のNさん。

午後12時過ぎ、郵送作業終了。

その後、浦安駅前のファミレス風の店に入り、昼食。

食事を摂って帰る人もいたが、私と山西さんたち
4人で午後4時位までボランティアについて話し合う。

その後、帰宅。自宅着午後6時過ぎ。

帰宅後、明日、栃木県小山市へ行くので、その準備をする。

 

投稿者 koyama : 05:30 | コメント (0)

2012年06月29日

腰痛マッサージ:ブライセン本社研修中のベトナム人スタッフ交流

快晴 真夏日

昼過ぎに自宅を出て、地下鉄三田線で人神保町経由新玉川線で
三軒茶屋へ。
ブライセン藤木社長の紹介でマッサージへ。、
約40分。体全体と腰痛のマッサージの施術を受ける。
大分、楽になる。

その後、渋谷へ戻り、渋谷から五反田へ。

ブライセン本社へ。

ブライセンベトナム支社員の研修の様子を視察。
本社社員の皆さんとも馴染んで研修を続けている
VU君・PHAP君・LINH君の様子に安堵の気持ち

勤務時間終了後、ブライセン藤木社長の計らいで、
本社スタッフとベトナム支社研修生との交流会を
行う。

一次会は、五反田付近の洒落た「日本料理店」で
刺身や純米大吟醸酒(各銘柄)を飲む。

ブライセンベトナム支社員3人と

3人とも刺身と日本酒を飲むようになっていた。
段々、日本文化にも慣れてきたようだ。
日本文化を理解する「切り口」は美味しい純米大吟醸を
飲むことだ。

ブライセン社長・副社長・部長の皆さん。
ブライセンベトナム支社員がお世話になっている


午後8時過ぎ、日本料理店での交流を終え、河岸を変え
カラオケへ。

ベトナム人スタッフは、英語の歌をかなり歌っていた。

午後11時頃まで「歌げ」は続く。

帰宅午前0時半。

ベトナム支社員3人が、本社で丁寧な待遇を受け、
真面目に研修を続けている実態を確認できた
1日だった。

投稿者 koyama : 04:59 | コメント (0)

2012年06月28日

上野アメ横へ

午前中、必要なメールの受信・送信。

午後、上野アメ横へ。ベトナムへ帰って使う物品・食料品などを
買いに行く。

その後、アメ横の近く根津に住んでいる姉の家へ。
姉夫婦と世間話。

投稿者 koyama : 12:50 | コメント (0)

2012年06月27日

自宅で仕事・休養」

終日、自宅でスタディーツアー、静岡市との連絡・・・・・。


ベトナム事務所といくつかの件について連絡。

投稿者 koyama : 16:10 | コメント (0)

2012年06月26日

自宅で仕事

快晴

疲労がたまる。終日家でメール送受信。

NHKの国会中継をみる。

日本人の資質の低下を国会中継を見ながら痛感する。

民主・自民・公明の「野合」で、たった13時間の審議で
消費税法案は可決されてしまった。

小沢一郎グループが、新党を作るかどうか以上に
国会の9割近くの与野党(民主・自民・公明)が結託すれば
何でも出来てしまう。
戦前の大政翼賛会以上である。

マスコミは小沢グループが新党を作るかどうかに
焦点を当てているが、本質的には、日本のファシズム化への
進行が進んだとみている。

消費税が、低所得者への痛打になることは自明である。
年収200万円以下の人口が1000万人にも上る
わが日本である。大金持ちも貧しい人にも同額の税金を
かける法律が、国会の議席占有率90%の政党野合
(民主・自民・公明)が、ろくな審議もしないままに国会を
通過させてしまった。

弱い者いじめの法律をこのような乱暴なやり方で
押し通す「前例」を作れば、今後、憲法も含めて
重要な問題が、こうした乱暴なファシズム的手法で
強行されてしまう。

などと考えているうちに「疲れがドッと」出てきた。
1日、寝ていた。

投稿者 koyama : 11:34 | コメント (0)

高校クラス会内分派「ベトナム・キューバ派」会議

寒い

午前中、多数のメール受信。

メール送信。

7月9日からの札幌行きの日程調整


午後3時過ぎ自宅を出て、巣鴨の本屋へ。

3冊の本を買う。

神田へ。

ベトナム在住の私。キューバ在中のM本さん、
保育団体スタッフW君、東大勤務G君。

ベトナム・キューバ社会主義の実態、今後の社会主義の行方
などを話す。

更に日本の国内政治の「バカバカしい実態」について、憂慮し
今後の展望を話す。

午後10時前まで日本という国の行く末を真剣に論議した。
気づくと生ビールと赤ワイン、白ワインが何本か空いていた。

16歳で出会い、3年間同じクラスで過ごした仲間である。
初めて出会ったから50年。こうして元気に会えることに
感謝している。4人とも異常とも言えるほどに「現在の
政治」「日本という国」の行く末を憂慮している。エネルギーに
満ち溢れていた。特にキューバの某女性は、素晴らしエネルギーを
持っている。

自宅着、午後11時過ぎ。

投稿者 koyama : 10:29 | コメント (0)

2012年06月24日

終日寝ている:JASS東京のバザー

今日、JASS東京が行うバサーへ行く予定であったが、
体が動かない。

バザー責任者の中村友香さんに電話をしてみる。
6人の参加。

安心して「1日中、寝ている」。

25通のメール受信。

いくつかのメールについて返信。

========================

JASS東京のフリーマーケット

フリマのご報告です。

本日はお天気にも恵まれ、
気持ちも晴れやかにフリマに参加してきました。
午後は日陰になり涼しいくらいでした。
ビルとビルの間のせいか、一日を通して風が強かったのは難点でしたが。

参加者は、
もえこさん、若林さん、中嶋くん、石岡さん、原さん、中村です。
それぞれが少しずつ時間をずらして自分の売るものを持ってきたので、
満遍なくさばくことができました。

内容、
10時開始でしたが、9時からの準備段階でぱらぱらとお客さんが見え、
この時間帯はさっぱりと買っていかれる方が多く、
昼ごろにかけてだんだん多くなり、売り上げもこの時間帯がピークを迎え、
昼過ぎにお客さんも少なくなっていきましたが、
終了時間の16時まで絶え間なく人通りがありました。




売れ筋では、未使用のタオル、未使用の箱に入った陶器(小皿、一セット200円等)、未使用の箱入りのカトラリー等、
婦人服(50円~800円)、くつ、ポロシャツなど
他に、未使用の石鹸、レアもののCD、本、かべかけ、小物、ベトナム雑貨など
家庭の不用品ですが、バラエティに富んだ出品目でしたので、
売る側もおもしろく、お客さんとのやりとりもいろいろ楽しむことができました。


結果、
本日の売り上げは、¥14506 でした。

出展料が¥2300-でしたので、
差し引きで、プラス¥12206です。

本日、ご参加いただいたみなさま、
お疲れ様でございました!

次回は秋口のよい頃を予定しております、
皆様のご参加、ご協力よろしくお願いいたします。

(記録 JASS東京  Y・N)


投稿者 koyama : 15:43 | コメント (0)

2012年06月23日

ブライセン本社役員研修を終えて

午前6時起床

水上山荘の露天風呂に入る。谷川岳の山麓の森を
目の前にしての温泉は、精神の『静寂・安定』に
大いに効果があった。

朝食後、簡単なミーティングをし研修の総括を行う。

mその後、2台の車で谷川岳ロープウエーで中腹まで。
谷川岳にはまだ残雪があった。千数百メートル地点
での展望は絶景だった。

その後、帰路途中、尾瀬入口にある『沼田』にある
天然記念物「吹き割れの滝」を参観。

昼食は、吹くわれの滝付近の「手打ちそば」。
美味しい。


昼食後、2台の車で関越道を通って、ブライセン本社付近の
品川まで送ってもらう。

内容の充実したブライセン研修会であった。

その後、高校の友人と午後9時頃まで懇談会。


投稿者 koyama : 15:26 | コメント (0)

2012年06月22日

ブライセン本社役員研修会

曇り

午前10時、自宅を出て五反田にあるブライセン本社へ。

ブライセン本社には、ブライセン支社のVU君・PHAP君・
LINH君は研修に来ている。

真面目に研修しているかを確認。



研修指導員の方に伺う。ベトナム人3人は、真面目に
研修に励んでいるとのこと。

藤木ブライセン社長と



その後2台の車に分乗して関越自動車道を行く。

午後3時過ぎに谷川岳山麓にある水上山荘に到着。

初夏前の谷川岳の緑はまぶしく、清流は冷たかった。





水上山荘に到着した6人。

社長・副社長・各部長。

その後、会議室で午後8時まで「ベトナム支社運営」
について突っ込んだ話し合いを行う。

投稿者 koyama : 07:38 | コメント (0)

2012年06月21日

心臓病院へ

3日ほど前から心臓が痛くなった。
時々、押されるように痛さと違和感を感じる。

今日、朝からいつもいく心臓病院へ。
この病院は完全予約制なので、急に行った場合は
かなり待たされる。

私の担当の医師の時間があくまで待つ。
診察。担当医師が腑に落ちない様子。
今日は、偶然、榊原記念病院の循環器内科部長が
来ていたようで、私の担当医師が「私の患者を見てほしい」
と電話をする。それから1時間程待たされ、循環器内科
部長の診察。狭心症の疑いありとのこと。
特別検査をして、「狭窄(きょうさく」)状況を見るという。
心臓の末端の血管に「造影剤」を注入し、狭窄(せまく・つまる)
を見るのだが、強いアレルギーのある人は、ショックを受け、
死亡する可能性が少しあるとのこと。アレルギーは?と
聞かれる。「杉花粉症、家ダニ、ハウスダスト、金属アレルギー」
と答える。造影剤注入方式は、使わないことにするとのこと。

代わりに運動負荷をかけて、心臓の血管等の状況を調べる
方式にする。
 
検査の日程を決める。また、検査結果を聞く日程も決める。
いつも診てくれる先生に狭心症の原因は?と質問する。
「心労・ストレス・食生活特に過度の飲酒」とのこと。
全て当てはまるような気がする。

朝家を出て、帰宅は午後3時。疲れる。これもストレスの
一因になるのだろうか?・・・・

帰りに新宿の家電量販店に行き、ウインドウズVISTA
を買おうと思い、店員に聞く。「ウインドウズ8 しかありません」
とのこと。

投稿者 koyama : 14:45 | コメント (0)

2012年06月20日

ベトナム事務所関連の仕事

昨夜の台風で眠れず。

午前2時頃、目が覚め、朝まで。

午前8時半起床。

メールの受信。バンベー発送関係でメール送受信。

午後12時半、徒歩で高島平団地内の「やおや」へ。

最近は曲がったキュウリなどが安く売られている。
良いことだ。10本程で88円。

午後1時間程昼寝。

バオミンさんと日本語学校の件で電話で打ち合わせ。

関係者にメール。

ベトナム・ラオス「スペシャルツアー」の案内状を書く。

フェリシモ関係のメール送信。

投稿者 koyama : 16:48 | コメント (0)

2012年06月19日

休息

午前8時半まで寝ていた。
夜眠れない。

朝食後、高島平団地まで1時間のウオーキング。

一時は、日本最大の団地だった。住民は3万人。
一つの市にも匹敵する。

たくさんの団塊世代と思われる「おじさん」「おばさん」
が買い物をしたり、ベンチに座って煙草を吸ったりしていた。

この団地内の野菜専門店は安い。きゅうり8本で100円。
新鮮で安い。


投稿者 koyama : 16:36 | コメント (0)

2012年06月18日

教え子の手島君と懇談

蒸し暑い

フエを出て今日で2週間目。11日間の活動があった。


今日は、午前9時半過ぎに自宅を出て、山手線で新宿。
東京メトロで新宿御苑前へ。

新宿御苑は、青葉で生き生きとしていた。

新宿御苑は、信州高遠藩内藤家の土地だったが、明治維新後
皇室のものに。17万8千坪という膨大な土地。

新宿御苑前のビルの1室に「手島屋」というIT企業がある。


従業員は、総数でおよそ20人。年商1、5億から2億程度。

社長の手島守君は、彼が4年生の時に教えた教え子である。

23年程前のことではあるが。

現在、IT関係の000という私では説明できない難しい
仕事をしている。


今日は手島君が現在行っている仕事(フェイスブックの身内版)
の説明を聞く。なかなか分からないアルフェベットが頻繁
に出てくる。 

おおよその事情と話を聞き、おおよそ得心する。すべて「おおよそ」
である。

夕方前に帰宅。日本へ帰ってから休みが少なく、疲労気味。

投稿者 koyama : 16:18 | コメント (0)

2012年06月17日

亡母、一周忌法要後

蒸し暑い

母の一周忌法要に参加した親戚を見送り、
夕方、自宅へ帰る。

投稿者 koyama : 16:42 | コメント (0)

2012年06月16日

亡母まつ一周忌法要

池袋ののホテルに親戚と泊まる。

午前7時半、ホテルを出て、親戚と志村坂上の二男の
家の近くへ。
大型レンタカーを借りて、親戚と一緒に我が家のお墓へ。

午前11時。浄土真宗大谷派の寺で一周忌法要。


30分程読経とお説教。



  その後、墓地で読経



午後12時。精進落としの昼食会。



孫と会食


99歳で亡くなった1912年生まれの母親の追善供養に
孫8人、ひ孫、3人が結集し、99歳まで生きた母親の
供養を行い、日本の平和、戦争絶対反対、原発の
廃止を誓った。

投稿者 koyama : 21:42 | コメント (0)

2012年06月14日

心臓病院通院

午前10時過ぎ、自宅を出て、新宿へ。

午前11時半、病院着。

心電図をとる。

受診。前回の総合検査の結果。心不全の傾向ありとのこと。
心労、飲酒等に問題があるとの指導あり。イエローカード。

血液採取。次回、7月通院の際に結果判明。

メールの受信・送信。

明後日の亡母の一周忌法要の最終的な打ち合わせ等を
行う。

投稿者 koyama : 14:31 | コメント (0)

2012年06月13日

バンベー最終校正

寒い

終日、バンベー41号の最終校正。 

写真、原稿を何度も読みなおす。

頭と目が疲れる。


バオミンさんと電話で打ち合わせ。

多数のメール送受信。

1時間程ウオーキング。

投稿者 koyama : 18:46 | コメント (0)

2012年06月12日

JASS支援者の皆さんと打ち合わせ

寒い

午前中、多数のメール受信・返信。

午後2時過ぎ、自宅を出て、新宿へ。
小田急百貨店書籍部で数冊の本を買う。

午後3時半、南新宿でJASS支援者の方々と懇談。
U田さん・T橋さん・Y沢さん・K山さん。

10数年にわたり「バーベキュー大会」「像の滝」
を「子どもの家」のこどもたちに寄贈してくれている。

今年のバーベキュー大会、像の滝のイヴェントの
打ち合わせを行う。

口では何でも言えるが、「行動」は難しい。
10数年に渡り「子どもの家」のこどもたちに
「バーベキュー大会」などをこどもたちに
プレゼントしてくれている。

今日お会いした4人の方々は、10数年に
わたりこどもたちにバーベキュー大会や
海水浴、タンタン温泉での活動などを寄贈して
くれている。
心から感謝している。

午後3時半からかなり時間をかけて今年の
取り組みの内容を打ち合わせをする



20年近くフエで「子どもの家」の運営にかかわる。

こうして黙して10数年間支援を続けている方々が
いる。10年毎年「子どもの家」に来て、大金を
こどもたちの夏休みの活動に寄贈してくれている。

「黙って行動をする人は、文字通り黙々と黙って
行動をしている。深謝。

投稿者 koyama : 23:08 | コメント (0)

2012年06月11日

歯科通院

今日はかなり「肌寒い」

午前中、バンベーレイアウトのAさんとメールで連絡。

未着の写真・原稿等を送信。

写真50枚程度、かなりの原稿の「バンベー41号」である。

レイアウトのAさんに整理して送ってはいるのだが、
私の頭の中が整理されていなかったので、不十分な
形での送信となり、Aさんに迷惑をかけている。

改めてバンベ41号の原稿と写真を調べる。

午後12時、近くの歯科医院へ。
30分程待ち、治療。当方の要望は、「歯の全体的なチェック」。
特に問題なしとのこと。欠損歯は、1本のみとのこと。
年齢からすると「良い」という。
その後、「歯垢除去」の「キーン」という回転やすりをつかう
治療。日常の歯磨き等の歯垢除去の努力が良いといわれる。

私は、母親が歯槽膿漏で「総入れ歯」になっているのを見て
20歳位からは、3度の食後直ぐに歯垢除去と虫歯予防の
2種類のブラッシングをしている。

医師に「80歳 20本」に向けて頑張るよう言われる。
80歳までは生きるのは無理だと思う。
最後まで「焼きスルメをおつまみにして飲みたい」という
「のんべい精神」だけで歯の管理を考えている。

茨城、札幌の支援者から連絡あり。

投稿者 koyama : 15:48 | コメント (0)

2012年06月10日

終日、仕事

晴れ

昨夜遅かったので今朝は9時に起床。

多数のメール受信。一つ一つ返信。

どのメールもJASSを気遣ってのありがたいメール。

レイアウトのAさんにバンベー関連の送信漏れの
写真、文章などを送る。

忙しい中、バンベーレイアウトと言う大変な仕事を
通してJASS支援をしてくれている静岡のAさんに
感謝。

読書「死と滅亡のパンセ(辺見庸著:毎日新聞社)
昨日の公式クラス会に行く途中、購入。
年度当初読んだ詩集「生首」に強い衝撃を受けた。

今の日本、世界を辺見はどうみているのか?
ガンと死と闘いながらの辺見の著書には、生きるとこの
本当の意味が書かれている。

日本へ帰ってボーッとテレビを見ている。

「物を食べる」番組が多い。「グルメ番組」と言っていた。
グルメは良いが、私は、『箸の持ち方』が一番に気になる。
「箸の上げ下ろし」と昔からよく言われた。家庭の躾。
テレビでグルメを謳歌している若い出演者は、「美味しい」
と言う前にトンデモナイ「箸の使い方」を少し考えたら
どうだろうか?  ディレクター、マネージャーも若い。
箸の持ち方に気づかない世代だ。
若い女優さんたちの「うちのお母さんが、お父さんが」
という言葉も非常に気になる。「父、母」と言えないのか?」
お化粧をし、「可愛らしいような」見てくれは作れるは、うちの
おとうさん、お母さんが・・・・といわれると興ざめだ。 
引っかかる。

私も偉そうなことを言える人間ではないのだが・・・・。

投稿者 koyama : 17:09 | コメント (0)

2012年06月09日

高校公式クラス会:原田先生送別会

終日雨

午前中、バンベー編集。関係者と何度か連絡。

受信メール多数。返信。

昼食後、しばらく休む。

午後2時半、自宅を出る。20数年ぶりの高校の
公式クラス会。午後5時開始。
会場は上野池之端の東天紅。

クラス会参加の前にどうしても行ってみたかった
国立博物館で開催中の「ボストン美術」展。
今日は雨であり、明日の日曜日が閉会
なので今日は参加者も少ないと思い行く。

意外にも多数の参加者あり。切符を買うだけでも
しばらく待たされる。その後入館までは長蛇の列。

午後5時までのクラス会には間に合わない。
仕方なくボストン美術館展参観を断念。

徒歩、東天紅へ。

既に大半のクラスメートが来ていた。
午後5時過ぎ開会。
一緒に陸上部で活動したS崎君。久しぶりに会った。
元気な様子に安心。



司会の「永久学級委員」のN田さんの開会宣言


左から6月7日夜、偶然ハノイ空港で一緒になったT田君
(彼も一緒に陸上部で活動した)

中 S崎君。

右 T田さん。

乾杯



15歳で同じクラスになり3年間一緒だった。
それから50年。皆さん、元気で今でも活動していることは
素晴らしいことである。世の中の動き、政治などには
強い関心を持ち、今でも何らかの形で世の中の変革の
ために活動している傾向がある。

初めて出会って50年間、お付き合いのできる高校の
仲間の存在にいつも励まされている。

左 H口さん(旧姓M本さん)は同じクラスのH口君と
結婚した。旦那のH口君は高校時代、私の家の近くに住ん
でいた。仲の良い友達だった。


左 W林君。 私が大学に合格した夜、彼の家に泊まった。


右、クラスの一部不純分子の憧れの人だったようだ。
左、ラオス在住。ラム酒作り。陸上部の仲間。


<都庁、横浜市役所、銀行員などの仲間



左女性 M本さんは現在キューバ在住


ラオス在住  ラム酒工場経営の3人と、ラム酒の
ベトナム総代理店の私


午後8時、第一次会終了


その後、上野広小路のカラオケへ。
1960年代、70年代までの歌は、私もついていけるが
それ以降の歌は分からない。



===========================
6月7日(金) 

JASSベトナムスタッフ・日本語教師原田先生送別会

3年半、ベトナム事務所やJASS日本語学校、フエ高等師範大学
などで活躍し、JASSの現地活動に貢献してくれた原田先生が
6月10日に「離任」する。長い間の活動に心からお礼いを
言いたい。深謝。

夕方、天安山中腹にある「すっぽん専門店」
で原田先生の送別会が行われた。


古賀先生の司会で送別会は開会。



バオミンJASSベトナム運営委員長の挨拶
(以下、参加者の挨拶は、小山の想像・創造である)

長い間、JASSベトナム事務所のために努力して頂き
感謝している。3年半、長い期間だったが、ベトナム事務所
としては、本当に助かったことが多かった。
これからは、日本へ帰国し、また新しい人生を歩んで
欲しい。


参加者全員で原田先生の功績に感謝し、改めて前途を
祝し乾杯。



続いてベトナム事務所員全員が原田先生との思いで
感謝の言葉を述べる。

後藤先生の言葉

新任の教師としてベトナム事務所に赴任したが、
何も分からない私にベトナム事務所のしきたり、
日本語教師の在り方、日本料理店での手伝いの
仕方などを懇切丁寧に教えて頂き感謝している。

続いてハン会計部長より

安い給料で頑張って仕事をして頂き感謝している。
日本へ帰っても健康に気をつけて仕事をして
いただきたい。アーメン。

フーン日本語部長

3年半、一緒に日本語教育を進めて頂き感謝している。
難しい日本語の解釈なども教えていただいた。
日本へ帰っても、時々、ベトナム事務所へ遊びに
来てください。



ベトナム事務所員(通販 フェリシモ 担当)

私はフェリシモ担当をしているので、あまり
原田先生との交流はなかったが、真面目に
誠意をもっていつも仕事をしてくれている
様子を横から見ていて感謝の気持ちを持って
いた。日本へ帰っても体にきをつけてください。


こんばんは先生(別名:フオン先生)

一緒に日本語教育をしたが、いつも難し日本語を
解説してくれて感謝している。
帰国後もぜひ、フエに遊びに来てほしい。

古賀先生

日本語教師の先輩として色々と教えて頂き感謝している。
体に気をつけて、日本でも活躍してほしい。



(途中、ソン君の挨拶もあったが、添付の写真は
 全てソン君が撮影したため、自分の挨拶姿の
 撮影ができなかった)


最後に今回離任する原田先 生のお別れの挨拶。

3年半、ベトナム事務所でお世話になった。
長いようで短くもあった。色々と慣れないこともあったが
3年半、ベトナム事務所で仕事が無事できたのは、
ベトナム事務所員の皆さん方のお陰。改めて
皆さんに感謝。
帰国後はベトナム事務所での経験を生かし、
また新たな人生を歩んでいきたいと思っている。
皆さん方の親切に感謝している。
又、機会があったらベトナム事務所・「子どもの家」に
遊びに来たい。その際は宜しく。最後に皆さんの
ご健康とご多幸をお祈りしたい。


古賀先生・後藤先生がベトナム事務所を代表して
原田先生に送別の記念品贈呈。


午後9時半頃、全て終了。

その後、若干の問題があったが、紙面の都合上割愛。

50年間、仲間のつながりをもっているわがクラスの皆さんに
感謝している。

皆さん、平等且つ平均的に年を重ねている実態が良くわかった。
人間的にも「熟成度」が高まっている。

投稿者 koyama : 12:09 | コメント (0)

2012年06月08日

自宅で仕事

晴れ  少し蒸し暑い


午前9時起床。

終日、メール受信、関係者と電話。

午後4時から1時間ウオーキング。


その後、ベトナム事務所のバオミンさんと
メール送受信。


終日、休息

投稿者 koyama : 18:08 | コメント (0)

2012年06月07日

日本へ帰国

昨夜、午後8時過ぎ「ノイバイ空港」(ハノイ)着。

チェックインがまだできず、4階のレストランで軽く
一杯飲む。

午後10時過ぎ、チェックイン。出国手続きが終わり、
レントゲンで荷物検査。ふっと前を見ると見たような
顔がある。高校の同級生の富田君。ラオスで
ラム酒を作っている。ラオスからハノイ経由で
成田へ帰国の途中。

2時間程時間があったので出国手続きを全て
終えた後、出国ゲート付近のレストランで
再会を祝い、乾杯。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

7日の朝7時半、成田空港着。

そのままスカイライナーで日暮里経由で
帰宅。

一休みし、近所の耳鼻咽喉科へ。

フエ滞在中、右耳が聞こえなくなった。

医師の診療を受ける。聴力テストを受ける。

耳と鼻の診療。しばらく様子を見ることに。

投稿者 koyama : 16:05 | コメント (0)

2012年06月06日

ハノイ講演会

午前6時起床

午前7時、ホテルの食堂で軽く朝食。

今日の講演会の内容草稿を更に推敲。

午前9時、ハノイボランティアネットの方が
ホテルまで車で迎えに来てくれる。感謝。

午前9時半、JICA関連の会館に到着。

JICAの好意で会議室を無料で貸して頂く。

ハノイボランティアネット主催の講演会には、
85人の皆さんが参加された。


ハノイボランティアネットの皆さんによる受付


多くのハノイ在住の日本人の皆さんの参加。
受付で寄金も。

受付の隣りではJASS刺繍研修センター制作の
刺繍を販売してくれていた。ありがたいことである。


90分の講演。30分の質疑応答






午後12時過ぎに講演会終了。


その後、ハノイボランティアネットの皆さん方の
招待で昼食会。日本料理店にて。


今日の講演会の全ての準備をし、講演会を成功させた
ハノイボランティアネットの皆さんの活動に感謝。


午後5時過ぎ、知り合いと会う。


午後8時過ぎフーバイ空港へ。


投稿者 koyama : 18:56 | コメント (0)

2012年06月05日

ハノイへ

午前中、ハノイ→日本帰国の準備。

午後12時半、車で宿舎を出て、フエ空港へ。

午後1時50分フエ空港発。午後3時、ハノイ空港着。

空港タクシーで市内のホテルへ。途中でタクシー運転手が
メーターを消してしまう。
バオミンさんと電話連絡。一般的にホテルまでいくら位かを
聞く。ホテル着。一般的な値段より多少高め。
トラブルを起こすのも嫌なので、支払う。

ホテルでしばらく休息。明日、朝、ホテルまで迎えに来てくれる
ハノイボランティアネットの方よりわざわざ連絡あり。義理がたい
方である。感謝。

午後6時過ぎ、ボランティアネットのYさんご夫妻の招待で
美味しいお刺身料理などを「肴」にビール、焼酎を飲む。
本当に楽しいひと時お過ごす。Yさん御夫妻に」感謝。

わが日本料理店とは、全く味が違った。刺身もハノイ
近郊の海で取れた魚の刺身なので美味しかった。

投稿者 koyama : 09:59 | コメント (0)

2012年06月04日

フエ市人民委員会外務部長と懇談:原田先生個人送別会

快晴 真夏

午前7時朝食。今日は旧暦の4月15日。精進料理を食べる日。


午前8時半、バオミンさんのオートバイでフエ市人民委員会外務部へ。
ニエン外務部長と当面の対外活動について懇談。


午前11時半、昼食。チャオ・バイン・カイン(小麦粉の手打ちうどん)


午後2時過ぎ、ベトナム事務所へ。
日本料理店会議。私が明日からハノイへ行き講演会を行い、
その後、日本へ帰国することを話す。不在中の諸注意を行う。

午後5時半、原田先生の個人的な送別会。6月10日に任期を
終えて帰国する原田先生の公式送別会に出られないので、
今日、個人的に送別会を行う。古賀先生、後藤先生と4人。

午後8時半、送別会終了。帰宅。

途中の幼稚園前でリー君が、他の2人のベトナム人と路上で飲んで
いるところに出くわす。
「先生、ここで少し飲んで行ってください」と大声で言う。
それではということで、フダビール6本を差し入れ。



飲みながら日々の生活を聞く。25歳になったとのこと。
警察分署の前でオートバイの私設警備員をしている
という。いつまでこうした「根なし草生活・人生」を
送るのだろうか?

一緒に飲んでる友達は、55歳の幼稚園の警備員、
喫茶店の従業員。

しばらく飲んで帰宅。

午後9時半、帰宅。


多数のメール受信。必要なメール送信。

投稿者 koyama : 23:54 | コメント (0)

2012年06月03日

バンベー41号編集完了

午前4時目が覚める。

午前7時起床。料理のセンさんが作っておいてくれた
「マカロニスープ」の半分を食する。

その後、バンベー41号の最終編集を行う。

約4時間かけてレイアウトのAさんと担当のSさんに
送信。60通強の写真、文章を添付し、15回の
送信を行い、AさんとSさんに送る。

PCの調子が悪く、送信時間がかかる。

この2週間程、バンベーの編集を行ったが、
神経を集中しないと出来ない仕事なので、2時間仕事を
したら休まないと仕事の継続が出来ない。

この2週間、本当に披露困ぱい。


午前11時半。マカロニスープの半分を食する。


午後2時間ほど昼寝。

洗濯。

明後日の6月5日にフエを出て、ハノイへ。
6月6日、ハノイで講演会。6月7日午前0時5分
ハノイ発成田行きの便で帰国予定。

帰国の荷物整理。宿舎不在中の1ヶ月ほどの
間の室内の整理。帰国のための荷物整理。

講演会のビデオ、講演内容の準備

投稿者 koyama : 20:06 | コメント (0)

2012年06月02日

バオミンさんと打ち合わせ:バンベー最終編集

猛暑

午前7時朝食。はるさめ麺

午前8時半、徒歩ベトナム事務所へ。

バオミンさんと当面の諸問題の打ち合わせと意思統一を行う。

バンベー編集。

午前11時半昼食。野菜サラダ・魚フライ、スープ、ご飯


今日は午前2時に起きて火焔樹日記(6月1日付け)を書き込む。
2時間かかる。その後、就寝。気がつくと午前7時過ぎ。
朝ご飯の時刻になっていた。


この1ヶ月間、毎日35度以上の猛暑。「居るだけ」で疲れる。

2時間ほど昼寝。

その後、バンベー42号の最終編集を行う。

明日、レイアウトするAさんに送信する予定。

投稿者 koyama : 19:16 | コメント (0)

2012年06月01日

国際こどもの日を祝う

快晴

午前7時朝食。カニ団子入りブン麺

午前8時過ぎ、ベトナム事務所へ行く。

今日は、ブライセン・ベトナム支社に新入社員1名が
入社した。ロン君。

早速、ロン君を他の社員に紹介。席などを決め、当面何を
するのかを話す。


その後、バオミンさんのオートバイの後ろに乗せてもらい
「子どもの家」へ。
ベトナム事務所員も各自、オートバイ等で「子どもの家」へ。

今日は「国際子どもの日」。日本では縁がない「子どもの日」だが、
ソ連など旧社会主義国家では、盛大に行われていた。

国際子どもの日は 1949年、モスクワで国際民主婦人同盟の
会議が開催され、全世界の児童の権利を守ることなどを目的にした
「国際子どもの日」を6月1日とすることが決議された。
そのきっかけは、第2次世界大戦でドイツヒトラーが、チェコを侵略し
多数の子どもたちを虐殺したこと、更にフランでも同様な子どもたち
の殺戮が行われたことを忘れないようにとの決意で、国際民主婦人
連盟で決議をし、世界の多くの国で行事を行っていたようだ。,
その後国連が11月20日を「世界子供の日」とした。


そうした経緯を経て6月1日を「国際子どもの日」として、
今でも行事を行っている国(中国、ベトナムなど20数カ国)
がある。

午前9時、「子どもの家」で「世界子どもの日」のお祝い会を
行った。既にベトナム人自体が、チェコなどでのファシストに
よる子ども虐殺という蛮行は忘れてれいる。子供たちの
お祝いの日となり、お菓子をもらったりする日となっている。


お祝いの会の司会はロック寮長とバオミンさん


はじめに子どもたちのお祝いの踊り



続いてセン運営委員長の「お祝いの言葉」


セン委員長の挨拶全文を掲載。

JASS小山道夫様・JASSの皆様・「子どもの家」の
寮母さん・子どもたちの皆さん

6月1日は、「子どもの日」のお祝いです。
37グエンチャイ「子どもの家」では、今日、2011年から
2012年の年度が終わり、学校から成績が発表されました。

最優秀賞・優秀賞を受賞した子どもたちの表彰式を行います。
2011年~2012年には、「子どもの家」に40人の子どもたち
が住んでいました。そのうち36人が小学校から大学へ
通っていました。小学生4人、中学生19人、高校生4人、
大学生9人。大学浪人1年。職業訓練3人。

この1年間、子どもたちはよく勉強をしました。運動も良くしました。
「子どもの家」での生活もほぼ良くしました。

小学校から高校までの子どもたち27人の成績が出ました。
最優秀と優秀をあわせて12人の子どもたちが受賞しました。
小中高27人中12人が最優秀・優秀賞を受賞ということで、
受賞率は48%。

(小山解説:小中高校生の半数は、日本流に言えば
「オール5」か「オール5に4が少しある」という成績を残しました。
JASSは子どもたちを受験競争に走らせているとの疑問を持つ
方がいらっしゃるかもかも知れませんが、私たちは
子どもたちに「勉強するチャンス」を与えているだけです。
勉強をするかどうかは、あくまで本人の自覚です。
また、家族・親族のいない「子どもの家」の子どもたちに
取っては、勉強が好きな子どもには、その能力を伸ばし
医師・薬剤師・教師などの専門職に就くということは、
子どもたちの自立を促進することになります。
私たちは、将来永劫、子どもたちを支援することは出来ません。
丁度、佐渡の「トキ」のヒナの「巣立ち」のようなものです。
トキのヒナもどんなに可愛そうでも自然の中で生きていくしか
ないのです。)

明日6月2日は、3人の子どもたちが高校卒業試験を受けます。
これまでの12年間の最後となる試験です。その後、大学の
入試があります。これは大変難しい試験です。

5人の中学生が高校入試を受けます。

これらの試験を通して,子どもたちは将来に向かって進んでいきます。
子どもたちが自信と安定した心を持ち、良い結果を取れるようお祈り
いたします。

小さい子どもたちは夏休みに入ります.子どもたちは夏休みを楽しく
過ごせると思います。新しい学年に入ったらもっと良い結果が取れるよう
頑張ってください。

今日のような良い結果になったのは、子どもたち・皆さんの努力と
JASS代表の小山先生やベトナム事務所の皆様方の支援と先生方の
ご指導のお陰です。日本の支援者の皆さんの気持ちを応えるために
、新しい学年ではもっと頑張ってください。
今日は成績優秀な子どもたちの表彰式を行います。
皆さんのご健康と幸せを祈ります。楽しい夏休みを過ごしてください。

ーー

続いてJASSを代表して私が挨拶。

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成績最優秀・優秀賞受賞の子どもたちの表彰式


●成績最優秀賞受賞の子どもたち

●以下、成績優秀賞受賞









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子どもたちにお菓子のプレゼント





投稿者 koyama : 02:54 | コメント (0)