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2014年07月31日

20周年式典参加の日本人第1団フエ空港出迎え

快晴

午前6時起床。

午前7時朝食。

「かに団子・肉入りブン麺」

午前中、バオミンさんと」いくつかの件について
電話で打ち合わせ。なかなか複雑な問題あり。

20周年式典関連の最終確認。

腹痛・多少の吐き気。

しばらく横になる。

川原先生も同様の症状で休んでいる。
富岡先生も同様。仕事に来ているが、
顔色が悪い。
気候のせいか? 何かウイルスのせいか?


午前11時半。昼食。


「ひもかわ牛肉海老麺」


午後1時間ほど横になる。暑い。

午後2時に宿舎を出てベトナム事務所へ。

JASS東京の会員のWさんが来訪。
20周年式典に参加の予定。長年里子として
支援したドゥオック君(結婚し家族あり)との
出会いを楽しみにしている。

フエ滞在中の諸計画を打ち合わせする。

2時間程バオミンさん・私、Wさんと話し合う。
JASS創成期からの会員であり、JASS日本の
各種の仕事を長年続けてきてくれている。

午後5時宿舎へ。

宿舎の近くで元「子どもの家」のチュック君が
工事現場の仕事をしていた。真面目に働いている
所を見て安心且嬉しい。


ホーチミン空港にいるピースインツアーの添乗員さん
から電話あり。成田・関空・福岡からホーチミンで
合流した15人の皆さんは、無事ホーチミン空港で
フエ行きの飛行機を待っているとのこと。

今回は、3つの空港からホーチミンで待ち合わせ
だったので、心配していた。
昨夜ホーチミン市で1泊し、ホーチミン観光。
午後5時45分ホーチミン発→フエ(午後7時05分着)
でフエへやってくる。


午後5時40分。ホーチミン空港出発5分前に
ピースインツアーの添乗員さんから電話。
フエ行きのゲートで並んでいたら、服務員から
「飛行機が未だ来ていない。フエ行きが何時に
飛ぶか分からない。ゲートで並ばないで、
待合室で待つように」との話があったとのこと。

バオミンさんに連絡。フエ空港の関係者に確認するが、
フエ空港には、ホーチミン空港から「飛行機が遅れる」との
連絡が来ていないとのこと。何たる航空会社か?愕然。


再びホーチミン空港の添乗員さんから電話。

6時20分に出発するとの表示が出たとのこと。

更に6時過ぎに「搭乗が始まった」との電話あり。

6時半にバオミンさんと一緒にフエを出てフエ空港へ
出迎えに行く予定を15分遅らせ、6時45分に
フエ市内を出てフエ空港へ出迎えに行くこととする。

ベトナム航空名物「遅延」「DELAY」。

午後6時45分、バオミンさんと一緒に出迎えの
バスに乗りフエ空港へ。午後7時前フエ空港着。

午後7時過ぎ、15人の『20周年式典参加の皆さん」
は元気にフエ空港着。


空港から直行でフエ市内の夕食レストランへ。
典型的な「フエ料理」を多能する。
参加者の皆さんはそれぞれ顔見知りの間なので
楽しくフエの夕食を楽しんでいた。

フエ空港から夕食レストランまでの車中

ピースインツアーの添乗員さんも


バオミンさんが「式典参加」の15人(+ピースインツアー
添乗員1名)」に夜のフエ市内を案内。


夕食をレストランで取り、フエ市内を流れる
「フォン河」に面したホテルに到着。


今回のピースインツアーツアー参加の最高齢者で
あるTさん。Tさんは、1994年から里親を続けてくれている。


フエ市内の夜景

同じ場所からのフエ市内・フオン河の風景


ホテルの前は、フエ師範大学。1993年から1995年まで
の2年間、私が住んでいた宿舎が、ホテルの真下にあった。


この20年で大分『発展』したフエの街


20周年式典参加ツアーの皆さんは、長い1日が
終わった。


....

投稿者 koyama : 19:09 | コメント (0)

2014年07月30日

7月末から8月中の来訪ツアーヘの対応

快晴

午前5時半起床。

午前7時朝食。

「肉団子入りチャオ・バイン・カイン」


午前中、20周年式典に伴いフエへ来られる
支援者の皆さんへの個別の対応について、
最終確認。

明日から、20周年式典参加ツアー(ピースインツアー主催)
の皆さん(第1弾)15人が来訪予定。
今日はホーチミン市に1泊。
これとは別に個人参加で来られる方が2人。
それぞれにベトナム事務所員担当者を配置し、対応する。

細かい点を想像しながら、頭でシュミレーションをする。
何か欠けている部分がないか、確認。


午前11時半昼食。暑くて食欲なし。


「骨付き豚肉入りブン麺」


午後1時間ほど昼寝。

明日からのフエ来訪者の日程。

7月31日(木) ピースインツアー(JASS会員など)15人
          小樽のK先生、東京のWさん来訪。
8月01日(金) 午前中、ピースインツアーで来訪される
          皆さんに1時間半程20年の歴史等を話す。
          子どもたちと昼食、午後は市内観光

         小樽のK先生は、「子どもの家」に「子ども絵画展」
         の部屋を新設する作業に入る。

        夕方、高校の同級生10人が来訪。
        午後6時半~ピースインツアー参加者
        が日本料理店に会して
        「20週年式典成功総決起集会」(27人)

8月02日(土)午前9時 フエ市人民委員会にて
         「JASS・子どもの家創立20周年式典」開催

        午前11時半。フエ市人民委員会主催
        「JASS・子どもの家創立20周年記念」昼食会

       午後5時頃 「子どもの家」にて恒例の「夏祭り」
       (20周年式典参加者全員参加)


8月03日(日)①天安山の「ウーロン茶専門店」でお茶を
          飲みながら、山の涼しい風を受け、茶会。

         ②フエ温泉に入り、その後、フエ名物海産物
          を食べる

         上記2コースに別れ行動。私は①コース担当。
         海老・かに・イカがアレルギーで食べられない
         バオミンさんが、②コース担当

      午後3時半 16人がハノイへ。私もハノイへ。
      午後7時45分 残りの皆さんがホーチミン空港へ

午後5時半、宿舎を出て日本料理店へ。

北原先生が体調を崩す。私も富岡先生も
同様の症状(腹痛・下痢)を呈している。


午後9時半閉店。10人の来客あり。

日本料理店のスタッフ3人と笠井先生おn
4人で対奮闘し、何とか対応。

途中で静岡大学大学院に留学していた
TU君(コックホック高校化学教師・JASS日本語学校
教師)が、日本料理店に。

投稿者 koyama : 16:47 | コメント (0)

2014年07月29日

日本料理店会議

午前6時起床 快晴・午後雨。
気温の変化が大きい。

午前7時朝食。


「フォー・ガー」(鶏肉入り米麺)



午前中、20周年式典関連の各種イベントの
内容を精査する。


昼食。「海老・鶏肉団子入りおじや」


午後2時間、昼寝。

8月中旬までのスケジュールを精査し、一覧表にする。


午後3時

徒歩で日本料理店へ。

日本料理店会議。
今日の日本料理店会議の目的は、第1に
静岡の会の笠井さんの3週間の日本料理店
の支援  第2に8月1日夜実施される日本料理店
でのJASS20周年式典参加者の夕食会の献立等の
詳細意思統一。

8月1日の夜、日本料理店で行われる20周年式典
交流会には、27人の参加者がある。かなり細かな
準備と意思統一が必要


静岡の会の笠井さんは、中学の家庭科の先生。

料理は専門家。8月1日の日本料理店での
夕食会について、意義のある意見を言ってくれる。


8月1日の27人の日本料理店での夕食会は、
JASSベトナム事務所としては、「総力戦体制」
での対応。



日本料理店の店長、接客主任、新人の3人も
真剣に内容を聞き、検討する。


日本料理店の子どもたち、笠井さんなどから
積極的な意見が出る。


日本料理店会議が終わり、開店準備。

今日は富岡先生が、体調を崩し部屋で休んでいする。
今日は午後雨が降り、急激に気温が下がる。
多くの人が体調を崩す。

今晩の夕食メニュー


ホーチミンから送られた「サーモン」
TUOI店長が解体作業を始める。


手際よく刺身用に捌いていく。


笠井さんもサーモン解体に協力


上手にサーモン解体・刺身用にする


刺身用に小切りにする



午後9時閉店。2人の来客あり。


投稿者 koyama : 23:29 | コメント (0)

2014年07月28日

静岡笠井さん来訪

快晴

像の滝などの「夏休みの思い出」を寄贈してくれた
Uさんが、ホーチミン経由で無事帰国されたとの
連絡あり。ほっとする。20年近くにわたり、クリスマス会や
海水浴、川あそび、温泉レジャーランド行きなどの
「夏の思い出」を子どもたちにプレゼントし続けてくれた
Uさんに改めて感謝。「子どもの家」版「女タイガーマスク」。
一つのことを長く続けることは困難なことが伴う。本当の
心がければ出来ないことである。
『言うは易し、行うは難し』という諺を思い出した。
人間はこうありたいものであるが、つい批判が先に
飛び出すのも人間社会の「煩悩」である。
般若心経を精読した。
(注:奈良薬師寺で買った般若心経と解説をいつも
 持ち歩き、日越往復の飛行機の中で熟読してるが
 飲みすぎで暗記は出来ない。)

午前5時起床。

午前7時朝食。

「ブン・クア・ヘオ」(肉団子・豚肉入り米麺)

午前8時半徒歩でベトナム事務所へ。

午前9時、ベトナム事務所で
「8月2日のJASS・「子どもの家」創立20周年
記念式典」関連の準備、当日担当の最終意思統一を
行う。


8月2日の会場図を見て、配置分担・担当分担。
式次第の確認・・・・・

ベトナム事務所の中心3人組

多少怪しい二人


8月2日のベトナム事務所員の分担等を確認し、
8月2日、夕方のフエ市人民委員会主催の
「JASS・子どもの家創立20周年祝賀晩餐会」
の段取り等を確認。


午前11時半、昼食。

「小麦粉のの手打ちうどん」

午後5時10分、JASS静岡の会の笠井さんが
フエ空港へ無事到着。

午後5時半過ぎ、空港の外に出る。


ソン君と一緒に静岡の会の笠井さんを出迎えに
行く。


午後6時半過ぎ。日本語学校の富岡先生・
川原先生が日本料理店に帰ってくる。
笠井さんを囲んで今後のベトナム事務所・日本料理店
での3週間の活動について打ち合わせをする。


午後9時半、打ち合わせを終わり閉店。

これから3週間、体調に気をつけて日本料理店の
支援をして頂ければ幸いである。


午後9時半過ぎ、徒歩で宿舎へ帰る。


宿舎で「奥の松純米大吟醸」を飲む。

福島原発事故支援の気持ちをこめて。

以前、福島県二本松市にある「奥の松酒造」
を参観訪問したことがる。

福島支援は様々な道がる。私はベトナム・フエ市に
いるので直接福島支援は出来ない。

二本松市にある奥の松酒造」の純米大吟醸
を冷やして飲むことで、福島県民に精神的な
連帯。東電・安部政権の原発推進・事故無視の
態度への批判をしつつ痛飲する。

美味しい。


投稿者 koyama : 23:54 | コメント (0)

2014年07月27日

20周年記念関連の諸準備

午前中、快晴。
午後、雨

午前8時起床。

午前中、20周年記念関連の式典・来訪者・その後の
ラオス行きなどの諸準備。

昼前、二合のご飯を炊く。4つのタッパーに小分けし、
3つは冷凍。1つを食す。

2時間程昼寝。

読書。読書「戦後革命運動論争史」(小林良彰著:三一書房)

8月3日からのラオス旅行の持ち物整理・準備をする。


投稿者 koyama : 17:46 | コメント (0)

2014年07月26日

バオミンさんの誕生会

午前5時半起床。

午前7時朝食。(同時刻、内田さんたちはホーチミンへ)

朝食「フォー・ボー」(牛肉米麺)

午前8時半過ぎ、徒歩でベトナム事務所へ。

今日はJASSベトナム運営委員長バオミンさんの
00回目の誕生日。

バオミンさんの誕生祝いを行う。

川原先生からバオミンさんにベトナム事務所員全員
のお祝いの寄せ書きを贈る。


富岡先生から贈り物



ベトナム事務所員の寄せ書き






お祝いの茶話会


午前11時半昼食。

煮魚・野菜・おじや

量が多すぎ食べきれない。3分の2残す。

午後、1時間ほど昼寝。

読書「戦後革命運動論争史」


受信メールへの返信。

来週1週間(8月2日の「20周年式典」まで)
の細かい日程と活動、手順等を詳細に確認する。
準備不足の点を多々見つける。

昨日、石井君が日本へ一時帰国。

今朝、石井君から電話あり。フエ空港で1時間。
ホーチミン空港で2時間程度飛行機が遅れたとのこと。
無事、日本へ到着でき一安心。

午後5時半、徒歩で日本料理店へ。
日本料理店の敷地のまん前に白い車が
「違法駐車」。

調べると近くのホテルの客とのこと。

直ぐのそのホテルに行き、オーナーに強く抗議する。
オーナーは、他人のお店の入り口に車を置くことが
そんなに問題なのか? との認識。厳しく
抗議する。警察に通報すると言う。

やっとホテルのお客に連絡し、「移動する」よう
話している。

私は日本料理店の前に行き、ホテルのお客が来る
のを待つ。車のナンバーを見ると「ダナン・ナンバー」。
若い男女が来る。

「他人の店のまん前に車を置くことはいけないこと」
と忠告するが、意味が分かっていないようで、へらへら
している。新車のトヨタに車に乗っている。ダナンの
「新興成金の馬鹿息子」か「某政党の馬鹿息子」と断定。
「DI DI(あっちへ行け)」と汚い言葉で、馬鹿息子に
言う。へらへらして、車を移動する。
この馬鹿息子。何故、他人の日本料理店の店の前の
道路ではなく、日本料理店の敷地内に車を駐車すること
いけないのかが、最後までわかっていなかった。
ドイモイ政策で急に成金になった人間の無知無能の
現実である。多くのフエ人がこの種の一時成金、
特権階級の人間の「無能・無知」に嫌気をさしている。
これが、ベトナムの現実である。「金・金・金」の
社会にである。

今日は日本語学校がない。富岡先生・川原先生は
午後6時前に夕食。


午後9時までに9人の来客がある。


午後9時過ぎ閉店。


投稿者 koyama : 13:02 | コメント (0)

2014年07月25日

バーベキュー大会

午前6時起床

午前7時朝食。「肉団子入りチャオ・バイン・カイン」

午前中、20周年式典の様々な人たちの
挨拶文の翻訳を「正しい日本語」に直す。
時間がかっかった。

読書「戦後革命運動論争史」(小林良彰著:三一書房)

1950年代、日本共産党がコミンフォルムからの
批判を受けて「所感派」と「国際派」に分裂。
その後、中国革命の影響・朝鮮戦争などの影響も
あり、日本共産党の一部は、「中核自衛隊」を組織し
武装闘争路線に入る。北海道の「白鳥警部射殺事件」
もこうした背景の中で日本共産党臨中などの指示で
行われたことが推測できる。
当時の指導部の文章を読むと、米軍・自衛隊・警察・
公安・職場の職制等との武装闘争を主張し、山岳拠点を
作り、解放区を拡大する戦術を主張していた。
連合赤軍と同じような戦術をとっていたことが分かる。
過去の出来事であり、所感派と国際派に分裂し、
対立しながら、緩やかに統一しつつある時期での
日本共産党の武装闘争路線。どのような理論理屈で
武装闘争、中核自衛隊設立理論が主張されたか?
学術論文として読むとなかなか興味のある文献ではある。
当時の「所感派」「国際派」自身が出した文書を資料と
しているので、他人の評価なしに原点の資料が読める。

社会党の右派・左派分裂の経過と関連文書も
なかなか興味のある文献だ。論争の中心は、
日本革命の焦点は? 日本独占資本を打倒し
社会主義革命を達成すると主張する左派と
ヨーロッパ型の社会民主主義路線を主張する
右派との対立。

1950年前後の日本は、騒然とし、生き生きとした
時代でもあったのだ。私が3歳の頃ではあるが
その頃の時代の空気を吸って育ったことは事実だ。

午前11時半、昼食。

「海老入りラーメンのような麺」


午後2時間程昼寝。

午後4時、ベトナム事務所へ。

ベトナム事務所員と一緒に「子どもの家」へ。

今日は、内田さん・高橋さんたち御三方寄贈の
「ベーベキュー大会」。


「子どもの家」には、ソン君と息子のBAO君が
きていた。

寮母さんたちが、炭火と焼肉が出来るセットを用意。


何故か「子どもの家」卒業生のリー君が「臭いを嗅ぎ付け」
「子どもの家」にやってきた。神出鬼没な男だ。


子どもたちは団扇で扇ぎ、炭火の火をおこす。



リー君。小さい頃、お世話になった「子どもの家」の先生と懇談。

「子どもの家」の優秀女子3人組。

左(フエ科学大付属高校・ベトナム中部の理系のトップ校)
中(フエ医科大学薬学部学生)


絶滅危惧種に近づいた男子


先日まで日本料理店の厨房で仕事をしていた
在宅支援のアンさん姉妹


圧倒的少数派に転落した男子軍。

いつでも「ずうずうしい」リー君。

バーベキュー大会を楽しむ
寮母さんたち。何故かリー君も仲間にいた。


豚肉・鶏肉・牛肉の焼肉を食べる


午後7時。バーベキュー大会を終え、
ベトナム事務所員と内田さんたちとの交流会を
日本料理店で行う。



今日の日本料理店の準備は、日本料理店スタッフ3人と
日本語学校が終わって手伝った富岡先生・川原先生
のお陰。感謝。




午後9時過ぎ閉会。


内田さん・高橋さんたちに感謝。

徒歩で自宅へ。午後10時過ぎ。


投稿者 koyama : 09:59 | コメント (0)

2014年07月24日

高橋さんベトナム事務所来訪

快晴  猛暑

午前7時起床。
以前の日程では、午前中に「日程」が入っていたので
朝食・昼食を食事のセンさんに「断り」をいれておいた。

朝食がないので、ビスケットとお茶。


午前8時半過ぎ、徒歩でベトナム事務所へ。

今日は支援者・バーベキュー大会寄贈者の
高橋さんたちがベトナム事務所を表敬訪問。


内田さん。高橋さんたちがベトナム事務所員に
挨拶


高橋さんたちの挨拶に応えるベトナム事務所スタッフ

応接室で若干の懇談。


丁度、JASS日本語学校の先生をしている
静大大学院留学生のTU(トゥー)君が仕事の
準備に来ていた。


昼食、ベトナムのインスタントラーメン


2時間程昼寝。

20周年式典の準備・計画


午後5時半、徒歩でベトナム事務所へ。

日本人3人の賄い食が容用意されていた。

日本語学校の授業で日本料理店へ戻って
来るのが遅くなった富岡先生用の夕食。


富岡先生がホテルへ帰る時に内田さん・日本料理店の
子どもたちと懇談。

日本料理店の新人ハンさんは、出勤したのだが
目が赤くなり早退。

内田さん・子どもたち2人、渡しの4人で
日本料理店を運営。

今日は7人の来客あり。

午後9時過ぎ帰宅。

投稿者 koyama : 09:35 | コメント (0)

2014年07月23日

「子どもの家」の子どもたちと「像の滝」へ

快晴

午前6時起床。朝食。
「ブンボー・ヘオ」(ブタ・牛肉入り米麺」


小型バスで2時間かけ、ダナン付近の
「像の滝」へ。子どもたちは、夏休み真っ最中。

今年で18回目の像の滝水遊び行事。子どもたちが
一番大好きな行事だ。


寮長のロック先生・ニエンムさん・財政担当ハンさん。


「子どもの家」運営委員長のセンさんと
ベトナム事務所財政部長のハンさん


「像の滝水遊び」寄贈者の内田さんと小山



「子どもの家」から車で2時間強、フエ省のハズレ、
ダナン市との県境にある「像の滝」に到着。
真夏の真っ只中。強い日差し。


像の滝まで徒歩10分。子どもたちは、滝に着く前に
泳ぐ気持ち満々。

子どもたちは、昼食用の「フランスパン」などを
それぞれ手で持って滝まで。



スイカを持って


像の滝の「滝の家」到着。しばらく一休み。



真夏の真っ最中。像の滝の水は最高の「清涼剤」

札幌から来た日本語教師のK・H・R先生



手前・幼稚園の先生の資格を取って「THAOさん」は
4歳で「子どもの家」に入所した。


2時間程泳ぎ、昼食。昼食は「子どもの家」から
持ってきた。



「子どもの家」は男子が少ないので、女子に押され気味。


ハムや野菜、唐辛子入りのフランスパン。



座の真ん中にある「バイン・チュン」(もち米に肉入り)



泳ぎ疲れて少し休む



午後泳いだ後、スイカのおやつ

像の滝水遊びの寄贈者 内田さんと寮母さんや
ベトナム事務所スタッフ・日本語教師


「子どもの家」少数派に転落した男性陣

午後3時過ぎ、帰路へ。


全員写真



水遊びに満足して帰路へつく子どもたち

ロック寮長・観光大学生・フエ科学大付属高校・
ハン財務部長


バスに乗り、「子どもの家」へ


子どもたちのエネルギーは、無尽蔵。
川遊びをしてもバスの中では、元気溌剌


午後5時過ぎ「子どもの家」着。


当番の先生を残し、フエ市内の海産物料理店へ。
ご苦労さん会を開く。

バオミン運営委員長。「今日は暑い中、内田さんをはじめ、
皆さんの協力で像の滝での水遊びは成功しました。
子どもたちも生涯忘れない思い出を作ったものと
思います。感謝します」



子持ちカニ。美味しい

投稿者 koyama : 18:11 | コメント (0)

2014年07月22日

ドンバ市場値段調査:日本料理店

終日猛暑

午前6時起床。

午前7時朝食

「フォー・ボー」(牛肉米麺)


午前9時、ベトナム事務所へ。

内田さんがベトナム事務所でバオミンさんと懇談。


私はハンさんと一緒にドンバ市場へ。

函館の会からの要請で、函館のボランティア会
に出展する為に「チョコレート、スナック菓子・・・」の
値段を調査して欲しいとの依頼を受けて、
ドンバ市場へ行く。

乾燥野菜(500グラム 225円)

乾燥バナナ 400グラム220円

午前11時半昼食。

2時間程昼寝。


20周年式典の挨拶文を仕上げる。

ベトナム人の挨拶をバオミンさんがベトナム語から
日本語に直したものを、再度日本語に直す。


午後5時半、徒歩で日本料理店へ。


川原先生・富岡先生が日本語学校から帰る。


開店から閉店まで内田さんが日本料理店の応援に


今日は8人の来客。結構忙しかった。


午後9時過ぎ閉店。


投稿者 koyama : 23:25 | コメント (0)

2014年07月21日

子どもたちの絵展示室作り:20周年式典会場視察

午前6時起床

午前7時、朝食。
「肉団子入りチャオ・バイン・カイン」

徒歩、ベトナム事務所へ。

ベトナム事務所では、日本語学校の先生を
しているトゥー君と富岡先生が打ち合わせをしていた。

真面目に仕事をしているベトナム事務所員。

川原先生は、体調をほぼ復活する。
石井君はまだ体調不良。

フオン先生


いつも穏やかなフーン日本語部長


多少、仕事の疲れが出てきたか?ソン君


その後、富岡先生にお願いし、「子どもの家」に
「子どもたちの絵画展示場」を作る、手伝いをしてもらう。

富岡先生と一緒に「子どもの家」へ行く。

旧ミシン研修教室を「子どもたちの絵画展示室」
に変える。

8月1日に小樽のK先生が、数十枚の子どもたち
絵画を「子どもの家」に持って来てくれる。
その絵画を永久展示する部屋を作る。

部屋の4つの壁の上に合計8本の釘を打ち、
絵をかけるための『長い針金」を張る。

富岡先生に高い机に乗ってもらい、釘を打ち、
針金を張ってもらう。



タム医師も手伝ってくれる。


午前10時、子どもたちは、昼食作りに精を出している。


子どもたちは、夏休みの真っ只中。
一部の子どもたちは、田舎の親戚などへ
一時帰宅している。
「子どもの家」に残っている子どもたちは
寮母さんと一緒に昼食の準備をしてる。


帰宅。

バオミンさんから電話。

今から「20周年式典」の会場視察の許可が出たとのこと。
バオミンさんのオートバイでフエ市人民委員会へ。
人民委員会は、ソ連時代の「ソビエト」。

外務部長のイックホアンさんも同行・案内してくれる。

フエ市人民委員会の議事堂(式典場)には、
「子どもの家」のロック寮長も着ている。

会場の座席音振り分けを相談する。

舞台上の看板の相談。

マイクの確認。

当日は、「子どもの家」子どもたちのお祝いの踊り、
歌などがある。

CD設定の仕方、マイクの音量の確認等を行う。

午前11時半、昼食。

「精進料理風ブン麺」  量が多くて食べきれない。


午後2時間程、横になる。

ベトナム事務所の皆さんの話を聞くと、今年は例年に
なく暑い。体調が悪い、出来るだけ体を休めている
とのこと。

午後2時から4時までの間に何度かバオミンさんと
「20周年式典」関連で電話で打ち合わせをする。

細かいことで事前に準備すべきことが沢山ある。

20周年式典のJASS代表挨拶の草稿を書く。

今後何度か読み直し、成文にする予定。

午後5時半、宿舎を出て日本料理店へ。

日本料理店の子どもたちと今日は日本語学校
の授業がない富岡先生が夕食中。


今晩の夕食。

「鰯のような魚の煮物」「空真菜」「スープ」「ご飯」


日本語学校から川原先生が日本料理店から戻る。


夕食。体調を崩していた。体調回復のために
最高の健康液「フダ生ビール」を飲んでもらう。

日本料理店来客にオランダ人と日本人の
ご夫妻あり。

お子さんの大学生と高校生。

しばらく話をする。


午後10時前に閉店。

今日は7人の来客あり。

夕方から内田さんから日本料理店の手伝いに
きてくれる。深謝。

投稿者 koyama : 17:05 | コメント (0)

2014年07月20日

内田さんと天安山へスッポン料理を食べに

午前6時起床。

午前7時半、ソーメンを茹でて朝食とする。

洗濯。

20週式典関連で計画が出来ていない
いくつかの問題を整理する。


部屋の整理。

午前11時半、ソン君から電話。

もう直ぐ、宿舎の近くへ行くとのこと。

12時前、宿舎近くの道路に迎えに
きてくれる。

内田さん・ソン君・メンさん夫妻・お子さんのバオ君。
富岡先生。
日本人の石井君・川原先生は体調不良で欠席。


天安山中腹の「スッポン専門料理店」へ。

庭で育成した山盛りの野菜。

同じく野菜と小山。軽くフエビールを飲む。


焼きスッポンを食べる。美味しい。



スッポン昼食を食し、その後、天安山中腹にある
「ウーロン茶専門店」でお茶を飲みながら、
2時間程、人生を語り合う。


午後3時過ぎ、宿舎着。


しばらく横になる。

午後7時、半年前に買って「手打ちウドン・冷凍」
を温めて食す。

投稿者 koyama : 20:31 | コメント (0)

2014年07月19日

内田さん・日本人スタッフと朝食バイキング

午前6時半起床。

午前7時15分、宿舎を出て、フエ市内の
カメリアホテルへ。朝食バイキング。
川原先生は体調を崩し、欠席

午前8時から午前11時近くまで
「人生」を語り合う。


午前11時過ぎ、徒歩で宿舎へ帰る。

多数のメール受信。必要な返信をする。

午前12時過ぎ、昼寝。

午後、20周年式典の全体的な進行計画を
考える。

読書「戦後革命運動論争史」(小林良彰著:三一書房)

JASS関係者からのメールに返信。

「子どもの家」に「子どもたちの絵画展示部屋」
作り計画を立案する。

午後5時半、徒歩で日本料理店へ。


今日は日本語学校の授業がない。
富岡先生・川原先生・石井君が夕食。

川原先生の体調が若干回復する。


日本料理店スタッフの夕食。韓国キムチ風ブタの頭の
肉入り


午後7時半過ぎ、突然、町中が停電となる。


既に二人の来客あり。

町中の外灯以外の電灯が消えている。

町中が真っ暗。オートバイのテールランプだけが
異常な光を放っている。


午後8時過ぎになっても停電が続き、
日本料理店内は、温室状態。

今日は、これで日本料理店を終わることにする。

午後7時半に閉店とする、

真っ暗な日本料理店で楽しそうに話し合っている
日本料理店スタッフ。


後片付けをし、全員帰宅。

投稿者 koyama : 14:04 | コメント (0)

2014年07月18日

内田さん・ソン君一家と夕食会

昨夜は、フエ市共産党・人民委員会の皆さんと
痛飲。

バオミンさんに頼み、料理のセンさんに連絡し、朝食・
昼食を断ってもらった。

「20周年式典」関係の打ち合わせをバオミンさんと
電話で何度かする。

午前11時ごろ、空腹感あり。
ベトナムのインスタントラーメンにお湯かかけて食事とする。

暑い。台風が近づいているようだ。

気候のせいで何となく「だるい」。

しばらく横になる。

午後3時から引き続き、20周年式典の諸準備。

午後5時半、宿舎を出て日本料理店へ行く途中、
「子どもの家」卒業生の「チュック君」が路上で
『先生・先生』と声をかけてくる。オートバイに
乗っている。

長い間、大学の同級生のDさんの里子だった「チュック君」。
「子どもの家」を卒業し、ラオスなどで仕事をしていた
とのこと。今は、フエ市内で「工事現場」の仕事を
している。「子どもの家」在籍中に比べると
大人になり、かなり「太って」いた。
しっかりとした若者になっていた。

チュック君のオートバイの後ろに乗り、日本料理店へ。


午後6時、日本料理店へ。日本料理店スタッフは
既に夕食を終え、日本料理店を開店。

石井君が夕食中。川原先生は体調を崩し、バオミン・ホテル
で休養。石井君に頼み、川原先生に「夕食」を持って
行ってもらう。

富岡先生は日本語学校へ。

今晩の日本料理店の賄い料理。


午後6時半、内田さんとソン・メン家族が日本料理店
へ来る。一緒に食事をする。私はフエ生ビールを飲む。


大分大きくなったソン君・メンさんのこども「バオ君・BAO君」

かくれんぼをする。

富岡先生が日本語学校から帰る。一緒に食事をする。

「子どもの家」で育ったソン君とメンさん。

ソン君はJASSベトナム事務所スタッフ。
メンさんはフエ市人民委員会外務部員。

こうして元気なお子さんを授かり、共働きを
しながら、子育てをする年齢になった。
20年の「子どもの家」支援の重さを感じた。

午後9時過ぎ。閉店。7人の来客あり。

投稿者 koyama : 13:29 | コメント (0)

2014年07月17日

内田さんと昼食会:共産党委員長と夕食会

午前6時40分起床。

午前7時、朝食「肉団子入りブンボー」

20周年式典関連の諸計画を検討。

20周年式典参加の日本人へいくつかの
お願いのメールを送る。


午前11時過ぎ、内田さん・ベトナム事務所員が
宿舎の近くの道路まで迎えに来てくれた。

王宮付近のフランス料理店。本物だった。
フランス人が実質経営。
ベトナムで食べたフランス料理では、一番美味しかった。



午後2時、宿舎へ帰宅。

2時間程昼寝。

8月・9月来訪の訪問者へメールを送る。

その他、いくつかの仕事。

20周年式典の挨拶・会場整理担当者など、
式典関係の最終的任務確認。


午後5時45分、宿舎へバオミンさんが
迎えに来てくれた。

フエ市共産党委員長の自宅で関係者と
懇親会。

バオミンさんと一緒に参加。

闘鶏のしまった鶏肉。コリコリして美味しい。


子持ちのイカ。


豊富な野菜


前外務部長のニエン氏・新外務部長(20年前の教え子)の
イック・ホアン氏。


フエ市共産党委員長のユン氏


共産党委員長・フエ市副市長・フエ市部長・・・


フエ市の各部長


バオミンさんとフエ市外務部スタッフ


フエ市外務部長とバオミンさん。

二人とも1993年9月から2年間、フエ師範大学で
日本を教えた学生。
イク・ホアンさんは、フエ市外務部長、バオミンさんは
JASSベトナム事務所運営委員長になっている・


20年前、20歳だったバオミンさん・イックホアン外務部長。
20年経って、立派な人間になっていた。


JASSとフエ市人民委員会・フエ市共産党との
連携・提携を改めて確認した。

午後9時15分、閉会。


投稿者 koyama : 19:16 | コメント (0)

2014年07月16日

内田さんベトナム事務所来訪:日本料理店会議

猛暑

午前7時朝食。

「フォー・ボー」(牛肉米麺)


午前8時半、ベトナム事務所へ。

内田さんが、ベトナム事務所を訪問。
ベトナム事務所員と懇談。


暑い毎日ではあるが、ベトナム事務所員は元気に
仕事に励んでいる。

フーン先生・日本語部長

こんばんは日本語教師



貫禄が出て来たソン君

ベトナム事務所員のアンさん

会計部長 ハンさん

会議室には日本語教師の「トゥー君」が来ていた。
静大大学院時代は、内田さんに大変お世話になった。


その後、内田さんと今後のフエ滞在日程などについて
打ち合わせ。

午前11時半、ベトナム事務所員を誘って昼食会。
「チャオ・バイン・カイン」(小麦粉とキャッサバの手打ちうどん)

川原先生は引き続き体調崩していてホテルで寝ている。


一人2杯から3杯程度の手打ちウドンを食す。



午後1時、宿舎へ戻る。

午後2時45分、徒歩で日本料理店へ。

日本料理店会議を開く。内田さんも参加。


議題は、8月1日の夜のピースインツアー主催ツアーで
来越する「20周年式典」参加者の夕食会のメーニュー
と接客態勢について協議。

8月1日のピースインツアー主催ツアー参加者の
夕食会の受け入れ態勢を細かく決めて散会。

その後、内田さんも手伝って、今夜の日本料理店の
諸準備。

一度宿舎へ帰り、1時間程横になる。暑さで疲れる。
たくさんのメール受信。返信。

午後6時半、宿舎を出て徒歩で日本料理店へ。


午後7時。ブライセンベトナム支社長のKさんと
懇談。

投稿者 koyama : 19:30 | コメント (0)

2014年07月15日

ねずみ騒動;内田さん来訪

快晴  猛暑

午前7時朝食を摂ろうとしたら、料理を作ってくれている
センさんが、『バス・ルームに仕掛けておいた「ネズム捕り」
にねずみがかかっているが、私はネズミが怖いので、
先生、ネズミをネズミ捕りから取り出し、殺して欲しい』
とのこと。

飛んでもない無理強いする注文である。
自慢ではないが、「蜘蛛と蛾とゴキブリとネズミ」は
絶対的に『怖い』のだ。

センさんは、私をバスルームまで連れて行き、
「ここにいる、ここにいる」と教えてくれた。

昨夜、「ネズミ捕り」の餌に釣られて、かごの中に
入ったものと思われる。必死に外にでようして
昨夜相当暴れたようで、「おしっこ」を相当した
ようで、異臭がただよう。

私もセンさんも「バスルーム」から遠く離れて、
ぶるぶる震えているかに見える状況と
相成った。何か良い方法がないか考え、
この際、困った時の「バオミン頼み」と決め込み、
バオミンさんに電話。ソン君に特別使命を与える。
直ぐにソン君がオートバイで助っ人に来てくれる。

先ずは、「ねずみ君」だか「ねずみさん」だか知らないが、
ネズミの「検分」。

ネズ公がふたを突いて逃走を図る。

私が「ゴキブリジェッターをぶっかけよう」と提案。

自分では、怖くてネズミの側にいけないので、
ソン君にゴキブリジェターを渡す。かなり大量に
かけるが、ネズ公は、元気溌剌状態で、かごの中で
暴れまわっている。万策尽きる。

ソン君が「水攻め」を思いつく。シャワーをかけて
窒息死を狙ったが、敵の方が一枚上手。
平気の平左。

次にこれしかない「バケツ」に水をいれ、『溺死』攻撃を
加えるが、水量が少なく、これも失敗。


最終的にソン君が、大きなビニール袋に「ネズミ捕り」
ごと入れて、どこかへ出て行く。大きなバケツにミスをいれ
そこに「ネズミ捕り」を完全に水没させる作戦のようだ。

ネズミ捕り物帳の一幕(異臭付き)を見て、直ぐに
朝食となる。

朝食「チャオ・バイン・カイン」(小麦・キャッサバ手打ちうどん)

気持ち悪く、胸がつかえて「朝食」が喉を通らない。

センさんが、バスルームの中に漂う異臭を掃除してくれる。

今朝の朝食は「ネズミ捕り騒動」つき、朝食であった。

しばらく気持ちを落ち着けるため、読書。

読書「マッカーシズム」(岩波書店)
レッドパージや赤狩りに狂奔したマッカーシー。
口から出る言葉はほとんどが「嘘」。
テレビで極端なことを言い、アメリカ国務省は
共産主義者の巣窟だ、その資料を持っているなどと
もっともらしいことを言い、国民の人気を一時取り付けるが
最後は、没落。

大阪の橋下市長と共通する性格を持っている。

午後11時半、昼食。『精進料理風ブン麺」


1時間程昼寝。

午後2時45分徒歩でベトナム事務所へ。

バオミンさんと8月2日「20周年式典」の運営の
仕方とその前後の日程等を詳細に打ち合わせする。

午後5時45分。日本料理店へ。

今日からトゥオイ店長が出勤。3日間、お子さんが
発熱し、面倒を見るため日本料理店を休む。
トゥオイさんの休みに伴って、日本料理店も
休店していた。

富岡先生は、日本語学校の授業で遅れる。
川原先生は、体調を崩し、バオミン・ホテルで寝ている。
石井君が夕食を持っていく。

フエ空港に到着した内田さんと出迎えのソン君一家が
午後6時半頃、日本料理店に立ち寄る。
内田さんの無事フエ到着に一安心。


今日は、8人の来客があり、厨房は戦争状態。
日本人2人、オランダ人4人、国籍不明2人。


お子さんが体調を崩し、3日間休んでいたい店長の
トゥオイさん。心持ち「痩せていた」。

午後9時過ぎ、閉店。


長い1日だった。

投稿者 koyama : 16:10 | コメント (0)

2014年07月14日

日本料理店休店

快晴

午前6時半、料理のセンさんが来る。

センさんの話。バスルームの中に大きな
ネズミが住み付いているとのこと。

センさんの旦那と相談し、「ネズミ捕り」を
仕掛けているが、昨日の日曜日も
出没しているようだ。
ネズミ捕りの餌を食べず、バスルームの
扉の板を食べているとのこと。

私が一番嫌いな事態に。

午前7時、「肉団子入りブン麺」

午前中、洗濯。

7月8月の訪問者日程の調整。
8月2日『子どもたち創立20周年式典』の
諸準備。

たくさんの日本人が来訪する。いくつかの
グループでの来訪。それぞれの方々への
きちんとした対応を準備する。


午前11時半昼食。

魚のフライ、スープ、野菜、ご飯

午後1時間ほど、昼寝。

引き続き、20周年式典関連の業務。
なかなか複雑な問題がある。

バオミンさんから連絡。日本料理店長の
トゥオイさんから電話。
10ヶ月のお子さんが、「発熱」「下痢」症状が未だに
治らない。今日も休ませて欲しいとのこと。
医師の話では、暑さと環境の関係らしい。

現在、日本料理店作れるのは、トゥオイさんだけ。
既に3日間日本料理店を休みにしている。

早くお子さんの病気が治ることを祈っている。

午後5時半。今日は日本料理店がないので
宿舎で仕事をしながら、軽く一杯飲む。


今日は1日多数のメール受信の対応に追われる。

投稿者 koyama : 19:15 | コメント (0)

2014年07月13日

「子どもの家」キム・アイン先生長男結婚式

快晴  猛暑

午前8時起床。

バオミンさんと電話でいくつかの件で話し合う。

午前9時、山西さんから電話あり。

徒歩で山西さん夫妻の泊まっているホテルへ。

ホテルからタクシーで「ドンバ市場」へ。

山西さんは、フエの美味しい「するめ」を買いたいとの
こと。
ドンバ市場2階のアオザイの布地販売店にいる
バオミンさんの叔母さんに案内をお願いし、
ドンバ市場内の「スルメ専門店」へ。

叔母さんに口利きをしてもらい「正常価格」で
スルメ2キロを買う。

その後、フエ市内「アンクー地区」にある大型スーパー
「BIG C」でベトナム特有の調味料等をお土産に
買う。

昼ごろ買い物を終え、タクシーで宿泊ホテルへ。

私も宿舎へ。食事のセンさんが昨日作っておいてくれた
春雨麺を2割程度食す。

1時間程昼寝。

関係者から届いた「メール」を熟読し、返信。

洗濯。部屋の掃除。

午後6時、宿舎を出て、山西夫妻が
投宿しているホテルへ。

フオン先生・アンさんが車で迎えに来てくれる。


車に分乗し、フエ市新市街にあるホテルへ。

今日は、「子どもの家」スタッフである
「KIM ANH](キム・アイン)さんの長男の
結婚式に参加。

結婚披露宴は既に3分の1程進行していた。

新郎新婦と新郎の両親(「子どもの家」スタッフ
キムアンさん夫妻)


結婚披露宴に参加した日本人スタッフ

新郎新婦と新郎の両親


ベトナム事務所・「子どもの家」支援に来ている
山西夫妻も参加。

いつも美人だが、一層「磨きがかかった」
フオン先生とアンさん。


「子どもの家」寮長のロックさんも参加


「子どもの家」セン運営委員長と山西夫妻



富岡先生がベトナム語で歌う

「子どもの家」スタッフで新郎の母親である
キム・アンさんが挨拶に

振舞われた料理


新郎新婦が歌う

新婦は越仏のハーフのようだった。

新郎新婦とキムアンさん夫妻



続いて石井君のベトナム語の歌



フエでベトナム語を勉強しているので
会場の皆さんからも「うけて」いた。

川原先生も一緒に


参加者のベトナム人も激励に



午後8時、披露宴は終了。


新郎新婦と両親、ベトナム事務所スタッフ・山西さん夫妻


午後9時前、宿舎へ帰る。

山西さん夫妻は明朝早くフエを立つ。
無事の帰国を祈る。

午後10時、滋賀県知事選挙で三日月氏が
当選した。自民・公明支持候補が落選したことに
安堵。集団的自衛権の不法解釈などの自民・公明
への批判の表れと分析した。


投稿者 koyama : 19:11 | コメント (0)

2014年07月12日

ベトナム事務所員会議:山西・寒河江さん交流

快晴・午後、降雨


午前5時起床。

午前7時起床。「フォー・ガー」(鶏肉米麺)


午前8時半、ベトナム事務所員会議。

7月~8月までの「子どもの家」訪問者への対応。

8月2日の「子どもの家」創立20周年記念式典の
分担などを話し合う。


ベトナム事務所で一番元気な女性3人組。


少し(かなり)怪しい男性3人組。


ベトナム事務所で一番真面目なJASS代表と
ベトナム事務所責任者。


午後2時。JASS日本事務局の山西さん・寒河江さん
がベトナム事務所を訪問。

長い間、山西さん・寒河江さんが支援し・、里親を
してくれた「ハーイ君」と面談。
ハーイ君は10数年間、「子どもの家」で生活。

現在は「子どもの家」を退所し、生まれ故郷の
「アールオイ山岳地帯」のパコー族の村で生活している。
今日はアールオイ山岳地帯からオートバイで1時半
かけてフエ市内にやってきた。


写真左。

山西・寒河江夫妻は、
ベトナム事務所へ衣類等の支援物資を持って来てくれた。


山西さん・寒河江さんが長年支援し、現在は
自立しし「インターネットグラヒック」の仕事を
している『ハーイ君』と面会。
お土産に『腕時計』を贈呈

長い間の里子へのご支援に心から感謝する。


午後6時からフエ市内の大衆食堂で懇親会。


日本人スタッフと山西・寒河江さん


懇談会の途中でリー君も参戦。

午後10時半、交流会を終わり。リー君が宿舎まで
送ってくれるというので、お願いする。

午後11時前、宿舎に到着。

忙しい中、フエを訪問して頂いた山西さん・寒河江さん
に感謝。


投稿者 koyama : 00:57 | コメント (0)

2014年07月11日

20周年式典会場視察

午前5時起床。

午前7時朝食。

「精進料理」。今日は旧暦6月15日。精進料理を
食べる日。


8時45分、徒歩でベトナム事務所へ。

「子どもの家」でボランティア体験をされたTさんと
懇談。

午後1時まで懇談。真面目な方だった。
体調を崩さず、ベトナム旅行を楽しんでもらいたい。


午後1時半昼食。『マカロニ麺』

午後2時半からベトナム事務所で打ち合わせ。

7月・8月のベトナム事務所・「子どもの家」
来訪者の日程確認。

8月2日の「子どもの家」創立20周年記念式典
参加者確認。当日の日程確認。


午後4時、バオミンさんのオートバイに乗せてもらい
フエ市人民委員会(フエ市役所)にタン・フエ市長を
訪問する。

8月2日の「子どもの家」創立20周年記念式典の
打ち合わせを行う。

イックホアン外務部長も臨席し、会場、式典などに
ついて話し合う。

タン・フエ市長執務室にて


午後5時、宿舎へ帰る。一休み。

午後6時、徒歩で日本料理店へ。

石井君と日本料理店スタッフの夕食。


竹の子と豚肉の煮付け。今日はフエでは精進料理の日
なのだが、日本料理店の20代前半の若いベトナム人には
そうした伝統は既に伝わっていない。
「ドイモイ政策」の影響はこうしてベトナム文化の根幹を
突き崩しつつ、見せ掛けの発展を続けている。嘗て日本
が歩んできた道を辿っているかのようでもある。

2人の欧米系男女の来客あり。
どこから来たのですか? と訪ねると
「イングランド」と言う。イングランドとスコットランド
アイルランドなどこの国は複雑な歴史を辿っている。

iイギリスの正式名称が
グレートブリテン及び北アイルランド連合王国」
イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランド
と複雑な政治事情と宗教事情がある。

余り話しかけられなかった。

午後7時過ぎ、日本語学校が終わって、
富岡先生・川原先生が日本料理店へ戻ってくる。
夕食。

日本語教師が夕食を摂っている頃、日本料理店長兼
厨房主任のトゥオイさんが、「子どもが熱を出している。
急いで帰りたい」との申し出あり。
『緊急帰宅を許可する』。

そうなると厨房で調理できるスタッフがいなくなった。
ハンさんは、就職してまで1ヶ月もたっていない。
結局、午後7時半に閉店。閉店間際に来客があったが
調理が出来る人がいないので入店をお断りする。
「綱渡り日本料理店」ではる。

投稿者 koyama : 19:10 | コメント (0)

2014年07月10日

「子どもの家」卒業生『ニーさん』結婚披露宴

快晴  猛暑

午前6時起床。今日は、「子どもの家」の卒業生
のニーさんの結婚披露宴。

午前7時半に迎えの車が来る。

バオミンさん・センさん、日本人スタッフと
一緒に「ニーさん」の実家へ。
ニーさんの実家は、フエ市郊外の純農村地帯。
フエ市内から車で30分。

ニーさんは、12年前の2002年に父親が
交通事故で亡くなり、母親とニーさん、3つ年下の
妹(ニューさん)の3人となってしまった。
母親とニーさん姉妹の3人が「子どもの家」にやってきた。
私とセン「子どもの家」委員長の二人で「事情を聞き」
「面接」。即座に入所を決める。

それから12年。

ニーーさんは、フエ高等師範大学を卒業し、、一昨年
フエ市内の小学校教師となった。
妹は、現在「フエ経済大学法律学科3年生」。

ニーさんは、車の運転手と今日、3回の結婚式を
行う。

午前8時からは、親類や特にお世話になった人たち。
昼は、近隣の人たち。午後4時からは、にーさんの
友達。(午後4時の結婚披露宴に日本料理店のスタッフ
3人が招待されている)
今日の結婚披露宴は、「新婦側主催の披露宴」。

明後日7月12日(土)には、新郎主催の結婚披露宴が
ある。

ベトナム社会、特に都会とその周辺の農村は、
大きな「社会と文化」の転換期にある。

昔の農村の風習は色濃く残しているフエ郊外の
農村地帯。新婦主催の結婚披露宴を1日に3回もする。

普通の会社・事務所勤務者は、仕事を休まざるを得ない。

ドイモイで著しく「資本主義化したベトナム社会」である。
ベトナムの伝統的な農村の風習と『ドイモイ以降』の
社会の変化との間に大きな乖離がある。
1日に3回もする結婚披露宴と言う風習も、近々に
なくなっていくのだろう。そうして、ベトナムは、「社会主義」
を呼号しながら、その内実は、限りなく資本主義に近づいて
きている。大きな社会の矛盾と抱えながら、今日午前8時から
の結婚披露宴に参加し、ビールを飲んだのであった。

ニーさんの結婚披露宴は、会場がなく、農村の農道にテントを
張って行われた。

新郎ご両親と新婦の母親と叔父さん

ケーキカット  幸多からんことを祈る。


ベトナムの結婚披露宴で必ず見かける「ワイン」の
グラスいれ。

新婦の母親と叔父さんが挨拶に回る

新郎新婦と親族が挨拶に来る。
お祝いの言葉を述べる。


高校時代のニーさん(成績優秀賞をもらう)



中学時代の「ニーさん(真ん中)、妹のニューさん(小学校時代・右)
像の滝で水遊び

ーーーーーーーーー

即席テント会場には、100人近い人が集まっていた。
猛暑。気温40度以上。小さい扇風機がいくつかあるだけ。
とにかく暑い。


宴会に突入。新郎新婦の長老的な人たちが、「軍歌」を
歌う。こうした宴会にも年配の人たちの心の中には、
「ベトナム戦争」の影が見え隠れする。軍歌は、解放戦線の
軍歌。今日は「解放戦線の戦車隊」の歌を歌っていた。

やぎ肉料理→美味しい

川原先生・富岡先生・石井君も参加。


バオミンさん・セン「子どもの家」委員長・ハン会計部長、
フオン日本語教師も参加。


宴会に入り、富岡先生が得意のベトナム語で
ベトナムの歌を歌う。参加者から大うけ。


石井君・河原先生も応援で参加


ベトナム語を勉強している石井君が歌う。

新郎新婦が各テーブルを回り挨拶。


妹のニューさん(ダナン経済大学3年)。
「子どもの家」でお世話になったセン委員長などに
挨拶


約2時間の「大音響」付きの結婚披露宴は終了。


2時間強の結婚披露宴が終わる。


宿舎へ帰り、休息。


2時間程昼寝。

午後3時から3時間ほど、「20周年式典」関連の
日程等の調整。

午後6時15分、徒歩で日本料理店へ。

午後4時から日本料理店の3人のスタッフが
ニーさんの結婚披露宴に招待されている。


トウォイさん・グエットさんは、ニーさんと一緒に
「子どもの家」で生活した仲間である。

と言う事情で3人の日本料理店スタッフが
結婚披露宴に参加したので、夕食が作れない、
日本料理店は休店。

日本人の夕食が作れない。
4人分の夕食(コムディア・ベトナム風ほか弁・150円)
を、日本料理店で食べる。

投稿者 koyama : 17:41 | コメント (0)

2014年07月09日

熊本の元先生一行懇談

午前5時起床

沖縄に大きな台風が来ていることを知る。

フエへ帰国して10日間になる。例年以上の
「猛暑」に悩まされている。
一昨日は、石井君・富岡先生がダウン。
同時に一昨日、バオミンさんも体調を崩し、
午後7時から寝込んでしまったという。
ベトナム人でもこの異常な暑さには、体が
ついていけないようだ。

午前7時朝食。『ブンボー』(牛肉米麺)

午前中、8月2日の「20周年記念式典」の概要等を精査
する。

バオミンさんからいくつかのメールあり。


午前11時過ぎ、ソン君から電話。日本の旅行者4人が
突然、私に会いたいと電話して来たとのこと。

仕事の途中だったが、急いで電動バイクを使い
ベトナム事務所へ。


熊本の中学・高校の先生一行(親類一行)

12時過ぎまで、日本の教育、フエでの活動などを
話す。

ほぼ私と同じ団塊の世代のご夫婦。

老後、こうしてご夫婦で世界を回ってあるいているのも
幸せなことだなと、思った。体調に気をつけて、
海外旅行を楽しんで欲しい。

午後12時過ぎ宿舎へ。

「チャオ・バイン・カイン」(小麦粉の手打ちうどん)

午後12時半から1時間程「昼寝」。

午後、引き続き「20周年関連」の仕事。

バオミンさんといくつかの件で電話連絡。

午後5時半、徒歩で日本料理店へ。

日本料理店スタッフ3人と石井君が夕食中。


午後6時半、富岡先生・川原先生が日本語学校
から帰り夕食。


今夜の夕食。ゆでた空芯菜、豚肉(コラーゲン部分)

夕食を片付ける川原先生。

来客の注文を作る日本料理店スタッフ。

今日は最終的に7人の来客あり。

最後のお客さんの入店は午後9時5分前。
食事を終わり、帰ってのが午後9時40分。

その後、後片付けをし、日本料理店スタッフ
の帰宅はほぼ午後10時。

湿度の高い、蒸し暑い夜だった。

長い1日。暑くて疲労が溜まった1日でもあった。

投稿者 koyama : 18:17 | コメント (0)

2014年07月08日

「国際ソロプチミスト東京ー東」設立フエ市障害児医療センター視察

快晴  夕方から雨

午前5時起床。

午前7時朝食。「肉団子入りキャッサバ麺」



午前9時、バオミンさんが宿舎へオートバイで
迎えに来てくれる。
フエ市立病院へ。市内の交通は異常な込み具合い。
バオミンさんの話では、明日からベトナムの大学入試。
中部最大の教育都市であるフエ市には、8つの大学が
ある。ベトナム中部からたくさんの受験生がフエ市内に
集まっている。明日の受験を前に学校を見に行っている
とのこと。
30万人のフエ市に3万人以上の大学生がいる
学問と教育の都市である。

ティエンムー寺付近のキムロン地区にある
フエ市立病院へ。

1998年に「国際ソロプチミスト東京ー東」の皆さんの
寄贈により、フエ市立病院内に障害児医療センター
(ベインビエン)」が設立された。建築費・運営費などを
国際ソロプチミスト東京ー東が拠出しての出発だった。
JICAの「障害児開発福祉支援プロジェクト」の拠点となり、
フエ市内数十箇所の「地域診療所」での障害児の
リハビリ支援など多くの活動を行ってきた。
今回、設立16周年を節目に、「ベインビエン」を
フエ市立病院へ移管することで話がまとまった。

国際ソロプチミスト東京ー東の皆さんは、
フエ市立病院へ移管するに当たり、障害児医療センター
(ベインビエン)の改修・改装工事を行い、地元へ
移管することとなった。

今日、バオミンさんと一緒に移管するための
『障害児医療センター(ベインビエン)』の改修工事が
終了しているのかどうかを確認に行った。

1998年の「ベインビエン」を建築した際の顕彰碑。

国際ソロプチミスト東京ー東の紋章

ベインビエン建築支援は2回行われ、1回目は1階建ての
建物1棟を。2回目は隣に2階建ての医療センターを1棟
建築した。

2棟の建物の全ての壁を塗りなおす。

第1回目の工事をした1階建てのベインビエン。


第2回目の建築。茶色は『日よけ用のすだれ』

2階へ行く階段の改修



ベインビエンの2階

診療室



打ち合わせの場


2階の診療所内


天井・壁など全てを塗りなおす。16年前と同じように
きれいになった。


2階建ての1階もきれいに改修


2階へ行く階段も改修


改めて「国際ソロプチミスト東京ー東」の皆様方に
感謝申し上げたい。


気温40度近い猛暑。バオミンさんのオートバイで
宿舎へ。帰宅したら、クタクタ状態。


午前11時半。昼食。「おじや」


午後2時間ほど昼寝。

急に雲行きが怪しくなる。
雨が降る。


その後、国際ソロプチミスト東京ー東の担当の方へ、
ベインビエン改修の報告とフエ市立病院への移管、
改修の写真などをメールで送る。


沖縄に大きな台風が来ているとの情報。

午後5時半、宿舎を出て、日本料理店へ。

日本料理店の子どもたちや日本人スタッフの
夕食。マグロの仲間の魚の煮物

石井君は健康を回復。日本料理店スタッフと
夕食。


午後7時頃、バオミンさんがベトナム事務所に
仕事の書類を取りに来る。


日本料理店の子どもたちが「川原先生」の
誕生会を突然行う。

簡単な川原先生の誕生会を行い、夕食。


今日は日本料理店の前の道を歩く人がいない。

午後9時、閉店。

投稿者 koyama : 17:27 | コメント (0)

2014年07月07日

エヤコン修理:体調を崩す日本人スタッフ

猛暑

午前5時半起床。

朝から暑い。

午前7時朝食。

「ブン・ボー・クアー」(牛肉・カニ団子入り米麺)


宿舎にあるエヤコンの「ガス欠」。業者を呼んでガスを
注入してもらう。ソン君が案内し、面倒を見てくれる。
感謝。

エヤコンにガスを注入。


午前9時、ベトナム事務所でバオミンさんと
当面の諸課題について協議。
かなり課題・問題が多い。2時間程時間をかけて
複雑な問題を整理する。
中心課題は8月2日の「子どもの家」創立20周年記念
式典関連の諸行事の企画膣案と調整。

既に日本からは25人以上の参加者がある。


日本語学校のTU先生もベトナム事務所で
日本語教育の予習をしている。

午前11時半、昼食。

「春雨麺」


その後、2時間程「昼寝」。

暑い。エヤコンのガスを増強したので、かなりエヤコンが
効くようになった。


午後3時過ぎ、富岡先生から電話。
体調を壊したとのこと。吐き気、倦怠・・・・。

日本語学校と夕食を日本料理店に食べに来ることが
出来ないとのこと。石井君も同様の症状でホテルで
寝ていると言う。

日本料理店のスタッフが富岡先生・石井君の
夕食を持っていく。

その後、バオミンさんから電話。富岡先生
の体調の件。日本語学校の授業は休みにする。

気温の変化が大きい。体力の消耗。胃腸関係の
能力の低下などが遠因と思われる。

8月2日の「JASS/「子どもの家」創立20周年記念」
式典(フエ市役所にて)の課題・諸問題を考え
計画骨子を考える。


午後5時半、徒歩で日本料理店へ。

トゥオイ店長・ハン調理係り・グエット接客主任の
3人で仕込み中。

生ビールがなくなっていた。毎日、閉店後に
ビールの残量を確認して帰宅することになっている
のだが、最近、この辺の問題がいい加減になっている。

ビール業者を呼び、新しいビールを入れてもらう。

最近、「ルーティンー」となっている作業がきちんと
できていないことがある。残念である。
自分のしている仕事に責任と誇りをもつような
仕事の仕方を望んでいるのだが・・・・・・。


午後6時過ぎ、川原先生が日本語教育から戻ってくる。
富岡先生・石井君が体調を崩してホテルで寝ている。


川原先生に富岡先生・石井君の夕食を持って
帰ってもらう。

今日は3人の来客が40分毎に来客。

3番目のお客さんが帰ったのが、午後9時半近く。

自宅着、午後10時前。

非常に暑い1日だった。生半可な暑さと湿気ではない。

1日中、体がだるい。何とか体調を保って頑張りたい。

投稿者 koyama : 16:57 | コメント (0)

2014年07月06日

日本人スタッフと朝食バイキングへ

快晴

午前7時起床。快晴 気温は既に30度を超えている。

シャワーを浴びる。

午前7時半、徒歩で市内のホテルへ。


11階のレストランで朝食バイキング。

展望も良く、気分良く朝食が摂れる。


フエ市はこの20年で大きく様変わり。
高層ビルが林立している。



フエ名物の「ブンボー」からフランスパン、各種野菜、
チーズ、手作りヨーグルト、牛乳、中華料理系・・・・
などなど、各種料理がある。一人500円弱。


午前10時過ぎに帰宅。


当面のいくつかの仕事をする。

午後2時、昼食。ベトナム手打ちうどん。

その後2時間程「昼寝」


読書「マッカーシズム」(R.H ロービア著:岩波文庫)

1950年代初頭、アメリカを席巻した「赤狩り」。

日本にも「渡来」し、共産党員やその同調者を
公職から追放すると言う政治的な動きがあった。
アメリカの共和党「マッカーシー議員」が提唱した
「アメリカ政府国務省などには、共産党員・共産主義者が
巣くっている」との虚偽の発言行動の経過と分析。


投稿者 koyama : 21:06 | コメント (0)

2014年07月05日

川原先生の誕生会:日本料理店新人スタッフ

快晴

エヤコンの調子が悪いのか、朝から暑い。

午前6時起床

午前7時朝食。
「フォー・ボー」(牛肉米麺)

食事をしながら読書。

「サラダ記念日」(俵万智著:河出書房新社)
古本屋で100円で買った。一度読んだのだが
再度読んでみたくなった。20歳から24歳までの
作品。短歌を始めて4年目の作品集。
私のような女性に慣れていない人間には、
「女性の不可思議な思考過程」が良く分かる。
結論としては、「理解できない」女性の感情や
思考過程が分かったような分からないような・・・。
結果的には、永遠に理解できないものだと言うことを
理解したと言うことになるのだろうか・・・・・・。


午前8時半、徒歩でベトナム事務所へ。
今日は札幌の川原先生の誕生会。

石井君から誕生ケーキのプレゼント


記念にベトナム事務所員の「寄せ書きと写真」
をプレゼント



日本の若者3人



ベトナム事務所の『変なの』3人。


川原先生の誕生祝いが終わる。


2003年に「子どもの家」に入所し、現在は小学校の
先生をしている「ニーさん」が、結婚をする。
招待状をベトナム事務所まで持ってくる。

7月10日午前8時から結婚式が始まる。
1日で3回結婚式をする。
日本料理店の子どもたちは、午後に招待されている。


現在23歳。10年間「子どもの家」で生活し、昨年小学校の
教員になると同時に自立。小学校1年生の担任をしている
とのこと。

ニーさんは、父親が交通事故でなくなり、母親と妹の3人
暮らし。フエ郊外の純農村地帯。
生活が出来ずにニーさんと妹の二人が
2003年に「子どもの家」に入所。
妹は現在「ダナン経済大学」で勉強している。

ニーさんは、縁があって7月10日に出身の
フエの田舎で結婚式をあげる。結婚の報告と
招待状を持ってきた。お目出度いことである。


こうして日本の支援者の皆さんと10年間かけて
一人の人間を「子どもの家」で育て上げ、
先生になり結婚するところまで見届けることが
出来るのは、「ボランティア冥利」に尽きる。
改めて「JASSの海外支援」の深い意味を考えた
のであった。「人を育てること」とは?
支援のあり方は?。「3年間で支援を終わり、次の支援地
に行くのが本当に正しい支援なのであろうか?」・・・・

誕生会終了後、バオミンさんと二人で2時間程
「今後のベトナム事務所のあり方・方向」など
大きな進路についての意見交換をする。


午前11時半、昼食。

ブン麺

午後2時間程昼寝、。暑くて、体力を極度に消耗している。

読書「サラダ記念日」読了。

午後2時半。日本料理店会議。

今日から新人のハンさんが日本料理店に
加入する。

日本料理店のスタッフに紹介。あわせて
日本料理店の現在の問題点、スタッフの
希望などを話し合う。


ハンさんは、「子どもの家」の在宅支援だった。
25歳。結婚して5歳の男児がいる。

日本料理店スタッフ全員が協力して仕事を推進する
決意を固める。

日本料理店会議後、直ぐにハンさんは仕事に
取り掛かる。

ハンさんは、調理主任のトゥオイさんの指導で
調理を担当する。

接客はグエットさん。これで日本料理店は
数ヶ月ぶりに「2人体制」から「3人体制」に
復活することが出来た。
現在、日本料理店は「繁忙期」。
これでなんとかお客さんへの対応が出来る。

午後3時半、日本料理店会議終了。

一度、宿舎へ帰り「横になる」。
疲れて立っているのがつらい。

1時間程横になり、読書。

午後5時半、徒歩で日本料理店へ。

午後5時45分、日本料理店着。

日本人の日本語の先生や日本料理店
スタッフで夕食を摂っていた。



午後9時過ぎまでに4人の来客あり。

新人スタッフのハンさんも真面目に仕事をしていた。

夜になっても外気温は高く、蒸し暑かった。


午後9時過ぎ、日本料理店の片づけをして
帰宅。

その後、極微量のビールと「オンザ・ロックの梅酒」を
飲む。
ベトナムでの生活の最大の利点は、「飲酒探索検察官」
がいないことだ。好きな時、好きなだけ「飲酒」が出来るのは
飲酒大好き人間には、これほど良い環境はない。

投稿者 koyama : 18:37 | コメント (0)

2014年07月04日

日本料理店就職希望者との面接

快晴

朝からエヤコンが効かないくらい暑い。

体調が少し回復。

午前7時朝食。「肉団子入り小麦粉・キャッサバ麺」



午前8時半。徒歩でベトナム事務所へ。
15分ほどの徒歩で体中、汗。

日本料理店入店希望のハンさん(25歳)と面接。

ハンさんは、1994年からの付き合いである。
1994年9月から在宅支援をしていた。
母親が死亡し、父親が胃がんとなり入院。
姉と弟とハンさんの3人で王宮のお堀に作られた
「違法住宅」に住んでいた。生活が出来ず、私が
支援を続けていた。しばらく長女(18歳)と、次女(10歳)
そして三女ハンさん(5歳)、弟の4人で最低限の生活を
していた。私が家庭を支援し始める。
その後、長女は人生への展望を失い「自殺」してしまう。
母親は既に死亡。父親は胃がんで入院中。
18歳の姉が自殺してしまい、葬式などを出す人が
いないと言う厳しい事態に陥り、結局、私が葬式の
費用を全額だし、遠縁の叔父さんを喪主にして
葬儀を行った。その後、父親が退院し、シクロの運転手を
したいとの希望があり、シクロを1台買ってやり、支援を
続けた。その後、次女と三女(ハンさん)を在宅支援として
応援を続けた。

ハンは、現在25歳。既に結婚し、4歳の男児がいる。
夫は、路上屋台の「ブンボー」(米麺)の手伝いをしている。

明日から日本料理店厨房での仕事を始めることになった。

JASS日本語学校の講師なっているTU君。
静岡大学大学院を出て、フエの名門高校「コックホック高校」
の化学の教師をしながら、JASSの活動をサポートして
くれている。JASS日本語教育主任のフーン先生と
日本語教育関連の打ち合わせ。

午前9時。

ソン君のオートバイに乗せてもらい宿舎へ。

一昨日から洗濯機が故障。業者になおしてもらう。

湿度が高く、洗濯機の機械に水分がつきすぎ、
起動しなくなった。

業者は「ヘヤードライヤー」で機械の中を温め
水分を排除していた。見事に直った。

午前11時、昼食。食欲なし。

豚肉入りの「おじや」

午後2時間程昼寝。猛暑。


読書「知の武装 手島龍一・佐藤優著」新潮社 読了
学ぶものあり。
佐藤優は、尖閣問題は最終的に「沖縄問題」だと
言っている。中国の拡張主義の基本は、台湾と尖閣
だそうだ・・・・。

午後5時半、徒歩で日本料理店へ。

石井君とグエットさん・トウオイさんが夕食中。

富岡先生・川原先生は日本語教育中。


今日の夕食は「ゆで空芯菜」「イカに野菜の詰め物」
スープ、ご飯。


日本語学校で日本語を教えた後、帰路に自転車の
チャーンが切れてしまい、修理・帰宅まで時間が
かかった川原先生の夕食。


富岡先生も日本語学校から帰り夕食。


今日は8人の来客があり、厨房は大忙し。
富岡先生・川原先生とトウオイさん・グエットさんが
協力して午後9時まで仕事が続く。


投稿者 koyama : 11:51 | コメント (0)

2014年07月03日

ベトナム事務所へ:理髪店へ;体調崩す

午前5時起床。

昨夜帰国したが、フエ市内は暑かった。
部屋に入ったら「蒸し風呂状態」。
エヤコンを最強の16度に設定しても涼しくならない。
「エヤコンが壊れた」と思って昨夜は、眠れないまま寝た。

バオミンさんの話だと気温40度とのこと。
エヤコンが壊れてたのではなく、
余りに暑かったのでエヤコンの力が効かなかったのだ。
テレビの報道では今日もフエは40度になるとのこと。

午前7時朝食。料理のセンさんと挨拶。

ブン・ボー・クア(牛肉・カニ団子入りブン麺)

1ヶ月ぶりにフエ料理を食べる。20年の歳月は、
日本料理より「フエ料理」を美味しいと思うように
なってしまったようだ。

午前8時過ぎベトナム事務所へ。

ベトナム事務所員の皆さんは真面目に仕事をしている。
深謝。

ベトナム事務所の財政実権を握る
ゴック・ハイン(玉幸)さん。

ベトナム事務所責任者のバオミン(保明)さん。


日本料理店の新人ハーさん(河)が、退職する。

ハーさんは、障害があり、体力が弱い。
日本料理店の厨房はガスなどを使うので
どうしても温度が高くなる。長時間の
厨房勤務は体力を落とし、勤務継続が
難しいとのこと。幼稚園の先生の学校を
出ているのだが、障害もあり、就職が難しい。
友達などは、教育委員会の責任者に「10万円」
の賄賂を出して幼稚園の教員になっているが、
自分はそのお金がないといっていた。
こうした「賄賂」「情実社会」は社会主義の特性なの
だろうか?  民族的な特性なのだろうか? 
日本の某革新政党の党首が
10数年前にベトナムを訪問視察し、ベトナムの
ドイモイ政策は日本の社会主義の参考になると
訪問体験記に書いていたが、何を参考にしようと
考えているのだろうか? 幼稚園の教員になるのに
10万円の賄賂を渡さないと就職できない社会を
参考にするのだろうか? ベトナムの市役所職員
の給料が2万円から3万円の国である。
日本に例えれば、100万円程度の賄賂要求となる。

とりあえず、現時点での日本料理店勤務は難しい
ことが分かった。今後、何かHAさんにあう仕事を
考える必要がる。20年近い支援をしている。

その後、バオミンさん・ハインさんに日本で
預かった支援金を渡す。



6月23日、札幌の「北星学園大学」で講演会を
した。その時、参加した学生さんが、しばらく
ベトナム事務所などの手伝いに来てくれていたい。
今日、日本へ帰国するとのこと。しばらく話し合う。
深謝。


午後11時半昼食。「海老入りブン麺」

午後12時半から2時間程「昼寝」

午後3時、電動バイクで「理髪店」へ。3ヶ月ほど
理髪店へ行っていなかった。調髪料は日本では数千円と
高い。20年前から通っている理髪店の親父さんは
私が席に座ると何も言わないでも私の希望を知っている。
「髪を切るだけ。洗髪も髭剃りも耳かき」も一切必要ない。
しばらく待たされる。ベトナムの新聞「青年新聞」などを
持ってくる。しばらく「トゥオイ・チェー(青年)」新聞を
読む。
1面は、南沙諸島・中沙諸島はベトナムの領土との
ベトナム共産党総書記の見解が書かれている。

1時間程待たされ、理髪。200円。


午後3時頃、宿谷へ帰る。腹痛。下痢。
猛暑で消化機能が低下したのか?
吐き気もする。

夕方、富岡先生に電話をし、今夜は日本料理店
に行けないと話す。

1ヶ月間の日本滞在だったが、かなり強行軍の
日程だった。私的にも大きな行動があり、忙しかった。

午後7時。エヤコンを最強にしても室温は35度。
いかにフエの気温が高いかが分かる。

この間、パソコンが故障し使えなかった。

多数のメールが来ていた。メールへの返信。
返信の遅れをお詫びしたい。


投稿者 koyama : 20:07 | コメント (0)

2014年07月02日

成田→ホーチミン→フエ  ベトナム帰国

午前5時、京成成田駅前のビジネスホテルで起床。

午前6時40分発のバスで成田空港第1ターミナルへ。


チェックイン手続きをし、入管での出国手続きの後、
ホーチミン行きのゲートで待つ。

しばらくすると場内放送。「小山様、荷物の件で・・・・」
とのこと。

急いで指定されたところへ行く。

スーツケースに「液体物が入っている」とのこと。

結局、ごきぶり噴射の殺虫剤2缶と日本料理店の
まな板の黒かび取りのためのハイター計3本の
ボトルを没収される。

この20年間、ゴキブリジェットは、毎回スーツケースに
いれていたbのだが・・・・。

機中で「サバイバル宗教論」(佐藤優著:文春新書)読了。

・ユダヤ経教・キリスト教・イスラム教・仏教の関連・比較、
社会主義とキリスト教などについて。


午後2時、ホーチミン空港着。国内線へ。

チェックインを済ませ、荷物検査も終わり、指定された
ゲート前で待つ。

「MR・KOYAMA チェックインカウンターへ来い」との
放送あり。

チェックインをして既に30分以上発つのだが・・・。

チェックインカウンターへ行くと、スーツケースに
パソコンが入っているので、手持ちにしろとのこと。


ホーチミンは34度の気温。


フエ行きの便に乗る。

午後5時、フエへ。

機内で「手島龍一・佐藤優の 知の武装」
(新潮社)を読む。


出迎えの車に乗り、宿舎へ。1ヶ月ぶりの
宿舎。

途中、フエ空港付近は純農村地帯。


フエ市内に入ると急に車とオートバイが増える。



午後6時過ぎに日本料理店へ。

日本料理店では、トゥオイ店長・グエット接客主任
富岡先生が、仕事をしていた。



現在、観光の「ONシーズン」。昨日は11人の
来客があったそうだ。

今日は余り人が街に出ていない。

4人の来客。

午後9時閉店。


長い1日だった。フエの宿舎は熱暑だった。


投稿者 koyama : 23:52 | コメント (0)

2014年07月01日

戦争へ直結する安部内閣の「集団的自衛権容認」決定に反対する

安部内閣は、日本国憲法を蹂躙して一方的に
憲法解釈を強行。他国(アメリカ等)が攻撃された際には
日本の自衛隊などが交戦することが出来るとの解釈を
行うことを閣議で決めた。

憲法解釈権は「最高裁判所」のみにある。立憲主義の
原則は三権分立。行政府(内閣)が勝手に憲法解釈を
行ってしまえば、内閣の独裁体制となり、近代国家の
原則の原則である三権分立も侵されてしまう。

安部首相の記者会見を成田の前泊のホテル見る。

「邦人保護」を一番最初に言っていた。

イラク戦争の際、「今井・高遠さん」に対して、
『自己責任論』を主張し、邦人保護をしなかったのは
安部氏などである。

外交の力がない内閣が一番軍事力に走るだ。

安部首相が「戦争ごっこ」が好きなのは、勝手だが、
実際の戦争は人間の血が流れる。69年前に終わった
「アジア・太平洋戦争」でアジアの人々・沖縄の人々、
本土の人々がどれだけ死んだのか?を思い出すべきだ。

戦争や武器を使わないようにすることこそ、国家の義務である。

外交こそ最大の武器なのである。

戦争は「外交の延長である」とドイツの軍学者クラウゼビッツは
言っている。

「アリの一穴」。集団的自衛権→自衛隊参戦→アメリカの補完として
日本の若者が戦争に駆り出されないことを祈る。(徴兵制)

最終的には、次回の選挙で「自民党」「公明党」に大打撃を
与えなければならない。

今日の安部首相の態度は、「クーデター」である。
69年間、国民と国会で論議し、今日に至ってきた
憲法論議である。

投稿者 koyama : 18:32 | コメント (0)