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2014年07月04日

日本料理店就職希望者との面接

快晴

朝からエヤコンが効かないくらい暑い。

体調が少し回復。

午前7時朝食。「肉団子入り小麦粉・キャッサバ麺」



午前8時半。徒歩でベトナム事務所へ。
15分ほどの徒歩で体中、汗。

日本料理店入店希望のハンさん(25歳)と面接。

ハンさんは、1994年からの付き合いである。
1994年9月から在宅支援をしていた。
母親が死亡し、父親が胃がんとなり入院。
姉と弟とハンさんの3人で王宮のお堀に作られた
「違法住宅」に住んでいた。生活が出来ず、私が
支援を続けていた。しばらく長女(18歳)と、次女(10歳)
そして三女ハンさん(5歳)、弟の4人で最低限の生活を
していた。私が家庭を支援し始める。
その後、長女は人生への展望を失い「自殺」してしまう。
母親は既に死亡。父親は胃がんで入院中。
18歳の姉が自殺してしまい、葬式などを出す人が
いないと言う厳しい事態に陥り、結局、私が葬式の
費用を全額だし、遠縁の叔父さんを喪主にして
葬儀を行った。その後、父親が退院し、シクロの運転手を
したいとの希望があり、シクロを1台買ってやり、支援を
続けた。その後、次女と三女(ハンさん)を在宅支援として
応援を続けた。

ハンは、現在25歳。既に結婚し、4歳の男児がいる。
夫は、路上屋台の「ブンボー」(米麺)の手伝いをしている。

明日から日本料理店厨房での仕事を始めることになった。

JASS日本語学校の講師なっているTU君。
静岡大学大学院を出て、フエの名門高校「コックホック高校」
の化学の教師をしながら、JASSの活動をサポートして
くれている。JASS日本語教育主任のフーン先生と
日本語教育関連の打ち合わせ。

午前9時。

ソン君のオートバイに乗せてもらい宿舎へ。

一昨日から洗濯機が故障。業者になおしてもらう。

湿度が高く、洗濯機の機械に水分がつきすぎ、
起動しなくなった。

業者は「ヘヤードライヤー」で機械の中を温め
水分を排除していた。見事に直った。

午前11時、昼食。食欲なし。

豚肉入りの「おじや」

午後2時間程昼寝。猛暑。


読書「知の武装 手島龍一・佐藤優著」新潮社 読了
学ぶものあり。
佐藤優は、尖閣問題は最終的に「沖縄問題」だと
言っている。中国の拡張主義の基本は、台湾と尖閣
だそうだ・・・・。

午後5時半、徒歩で日本料理店へ。

石井君とグエットさん・トウオイさんが夕食中。

富岡先生・川原先生は日本語教育中。


今日の夕食は「ゆで空芯菜」「イカに野菜の詰め物」
スープ、ご飯。


日本語学校で日本語を教えた後、帰路に自転車の
チャーンが切れてしまい、修理・帰宅まで時間が
かかった川原先生の夕食。


富岡先生も日本語学校から帰り夕食。


今日は8人の来客があり、厨房は大忙し。
富岡先生・川原先生とトウオイさん・グエットさんが
協力して午後9時まで仕事が続く。


投稿者 koyama : 2014年07月04日 11:51

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