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2014年07月05日

川原先生の誕生会:日本料理店新人スタッフ

快晴

エヤコンの調子が悪いのか、朝から暑い。

午前6時起床

午前7時朝食。
「フォー・ボー」(牛肉米麺)

食事をしながら読書。

「サラダ記念日」(俵万智著:河出書房新社)
古本屋で100円で買った。一度読んだのだが
再度読んでみたくなった。20歳から24歳までの
作品。短歌を始めて4年目の作品集。
私のような女性に慣れていない人間には、
「女性の不可思議な思考過程」が良く分かる。
結論としては、「理解できない」女性の感情や
思考過程が分かったような分からないような・・・。
結果的には、永遠に理解できないものだと言うことを
理解したと言うことになるのだろうか・・・・・・。


午前8時半、徒歩でベトナム事務所へ。
今日は札幌の川原先生の誕生会。

石井君から誕生ケーキのプレゼント


記念にベトナム事務所員の「寄せ書きと写真」
をプレゼント



日本の若者3人



ベトナム事務所の『変なの』3人。


川原先生の誕生祝いが終わる。


2003年に「子どもの家」に入所し、現在は小学校の
先生をしている「ニーさん」が、結婚をする。
招待状をベトナム事務所まで持ってくる。

7月10日午前8時から結婚式が始まる。
1日で3回結婚式をする。
日本料理店の子どもたちは、午後に招待されている。


現在23歳。10年間「子どもの家」で生活し、昨年小学校の
教員になると同時に自立。小学校1年生の担任をしている
とのこと。

ニーさんは、父親が交通事故でなくなり、母親と妹の3人
暮らし。フエ郊外の純農村地帯。
生活が出来ずにニーさんと妹の二人が
2003年に「子どもの家」に入所。
妹は現在「ダナン経済大学」で勉強している。

ニーさんは、縁があって7月10日に出身の
フエの田舎で結婚式をあげる。結婚の報告と
招待状を持ってきた。お目出度いことである。


こうして日本の支援者の皆さんと10年間かけて
一人の人間を「子どもの家」で育て上げ、
先生になり結婚するところまで見届けることが
出来るのは、「ボランティア冥利」に尽きる。
改めて「JASSの海外支援」の深い意味を考えた
のであった。「人を育てること」とは?
支援のあり方は?。「3年間で支援を終わり、次の支援地
に行くのが本当に正しい支援なのであろうか?」・・・・

誕生会終了後、バオミンさんと二人で2時間程
「今後のベトナム事務所のあり方・方向」など
大きな進路についての意見交換をする。


午前11時半、昼食。

ブン麺

午後2時間程昼寝、。暑くて、体力を極度に消耗している。

読書「サラダ記念日」読了。

午後2時半。日本料理店会議。

今日から新人のハンさんが日本料理店に
加入する。

日本料理店のスタッフに紹介。あわせて
日本料理店の現在の問題点、スタッフの
希望などを話し合う。


ハンさんは、「子どもの家」の在宅支援だった。
25歳。結婚して5歳の男児がいる。

日本料理店スタッフ全員が協力して仕事を推進する
決意を固める。

日本料理店会議後、直ぐにハンさんは仕事に
取り掛かる。

ハンさんは、調理主任のトゥオイさんの指導で
調理を担当する。

接客はグエットさん。これで日本料理店は
数ヶ月ぶりに「2人体制」から「3人体制」に
復活することが出来た。
現在、日本料理店は「繁忙期」。
これでなんとかお客さんへの対応が出来る。

午後3時半、日本料理店会議終了。

一度、宿舎へ帰り「横になる」。
疲れて立っているのがつらい。

1時間程横になり、読書。

午後5時半、徒歩で日本料理店へ。

午後5時45分、日本料理店着。

日本人の日本語の先生や日本料理店
スタッフで夕食を摂っていた。



午後9時過ぎまでに4人の来客あり。

新人スタッフのハンさんも真面目に仕事をしていた。

夜になっても外気温は高く、蒸し暑かった。


午後9時過ぎ、日本料理店の片づけをして
帰宅。

その後、極微量のビールと「オンザ・ロックの梅酒」を
飲む。
ベトナムでの生活の最大の利点は、「飲酒探索検察官」
がいないことだ。好きな時、好きなだけ「飲酒」が出来るのは
飲酒大好き人間には、これほど良い環境はない。

投稿者 koyama : 2014年07月05日 18:37

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