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2014年07月25日

バーベキュー大会

午前6時起床

午前7時朝食。「肉団子入りチャオ・バイン・カイン」

午前中、20周年式典の様々な人たちの
挨拶文の翻訳を「正しい日本語」に直す。
時間がかっかった。

読書「戦後革命運動論争史」(小林良彰著:三一書房)

1950年代、日本共産党がコミンフォルムからの
批判を受けて「所感派」と「国際派」に分裂。
その後、中国革命の影響・朝鮮戦争などの影響も
あり、日本共産党の一部は、「中核自衛隊」を組織し
武装闘争路線に入る。北海道の「白鳥警部射殺事件」
もこうした背景の中で日本共産党臨中などの指示で
行われたことが推測できる。
当時の指導部の文章を読むと、米軍・自衛隊・警察・
公安・職場の職制等との武装闘争を主張し、山岳拠点を
作り、解放区を拡大する戦術を主張していた。
連合赤軍と同じような戦術をとっていたことが分かる。
過去の出来事であり、所感派と国際派に分裂し、
対立しながら、緩やかに統一しつつある時期での
日本共産党の武装闘争路線。どのような理論理屈で
武装闘争、中核自衛隊設立理論が主張されたか?
学術論文として読むとなかなか興味のある文献ではある。
当時の「所感派」「国際派」自身が出した文書を資料と
しているので、他人の評価なしに原点の資料が読める。

社会党の右派・左派分裂の経過と関連文書も
なかなか興味のある文献だ。論争の中心は、
日本革命の焦点は? 日本独占資本を打倒し
社会主義革命を達成すると主張する左派と
ヨーロッパ型の社会民主主義路線を主張する
右派との対立。

1950年前後の日本は、騒然とし、生き生きとした
時代でもあったのだ。私が3歳の頃ではあるが
その頃の時代の空気を吸って育ったことは事実だ。

午前11時半、昼食。

「海老入りラーメンのような麺」


午後2時間程昼寝。

午後4時、ベトナム事務所へ。

ベトナム事務所員と一緒に「子どもの家」へ。

今日は、内田さん・高橋さんたち御三方寄贈の
「ベーベキュー大会」。


「子どもの家」には、ソン君と息子のBAO君が
きていた。

寮母さんたちが、炭火と焼肉が出来るセットを用意。


何故か「子どもの家」卒業生のリー君が「臭いを嗅ぎ付け」
「子どもの家」にやってきた。神出鬼没な男だ。


子どもたちは団扇で扇ぎ、炭火の火をおこす。



リー君。小さい頃、お世話になった「子どもの家」の先生と懇談。

「子どもの家」の優秀女子3人組。

左(フエ科学大付属高校・ベトナム中部の理系のトップ校)
中(フエ医科大学薬学部学生)


絶滅危惧種に近づいた男子


先日まで日本料理店の厨房で仕事をしていた
在宅支援のアンさん姉妹


圧倒的少数派に転落した男子軍。

いつでも「ずうずうしい」リー君。

バーベキュー大会を楽しむ
寮母さんたち。何故かリー君も仲間にいた。


豚肉・鶏肉・牛肉の焼肉を食べる


午後7時。バーベキュー大会を終え、
ベトナム事務所員と内田さんたちとの交流会を
日本料理店で行う。



今日の日本料理店の準備は、日本料理店スタッフ3人と
日本語学校が終わって手伝った富岡先生・川原先生
のお陰。感謝。




午後9時過ぎ閉会。


内田さん・高橋さんたちに感謝。

徒歩で自宅へ。午後10時過ぎ。


投稿者 koyama : 2014年07月25日 09:59

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