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2014年07月10日

「子どもの家」卒業生『ニーさん』結婚披露宴

快晴  猛暑

午前6時起床。今日は、「子どもの家」の卒業生
のニーさんの結婚披露宴。

午前7時半に迎えの車が来る。

バオミンさん・センさん、日本人スタッフと
一緒に「ニーさん」の実家へ。
ニーさんの実家は、フエ市郊外の純農村地帯。
フエ市内から車で30分。

ニーさんは、12年前の2002年に父親が
交通事故で亡くなり、母親とニーさん、3つ年下の
妹(ニューさん)の3人となってしまった。
母親とニーさん姉妹の3人が「子どもの家」にやってきた。
私とセン「子どもの家」委員長の二人で「事情を聞き」
「面接」。即座に入所を決める。

それから12年。

ニーーさんは、フエ高等師範大学を卒業し、、一昨年
フエ市内の小学校教師となった。
妹は、現在「フエ経済大学法律学科3年生」。

ニーさんは、車の運転手と今日、3回の結婚式を
行う。

午前8時からは、親類や特にお世話になった人たち。
昼は、近隣の人たち。午後4時からは、にーさんの
友達。(午後4時の結婚披露宴に日本料理店のスタッフ
3人が招待されている)
今日の結婚披露宴は、「新婦側主催の披露宴」。

明後日7月12日(土)には、新郎主催の結婚披露宴が
ある。

ベトナム社会、特に都会とその周辺の農村は、
大きな「社会と文化」の転換期にある。

昔の農村の風習は色濃く残しているフエ郊外の
農村地帯。新婦主催の結婚披露宴を1日に3回もする。

普通の会社・事務所勤務者は、仕事を休まざるを得ない。

ドイモイで著しく「資本主義化したベトナム社会」である。
ベトナムの伝統的な農村の風習と『ドイモイ以降』の
社会の変化との間に大きな乖離がある。
1日に3回もする結婚披露宴と言う風習も、近々に
なくなっていくのだろう。そうして、ベトナムは、「社会主義」
を呼号しながら、その内実は、限りなく資本主義に近づいて
きている。大きな社会の矛盾と抱えながら、今日午前8時から
の結婚披露宴に参加し、ビールを飲んだのであった。

ニーさんの結婚披露宴は、会場がなく、農村の農道にテントを
張って行われた。

新郎ご両親と新婦の母親と叔父さん

ケーキカット  幸多からんことを祈る。


ベトナムの結婚披露宴で必ず見かける「ワイン」の
グラスいれ。

新婦の母親と叔父さんが挨拶に回る

新郎新婦と親族が挨拶に来る。
お祝いの言葉を述べる。


高校時代のニーさん(成績優秀賞をもらう)



中学時代の「ニーさん(真ん中)、妹のニューさん(小学校時代・右)
像の滝で水遊び

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即席テント会場には、100人近い人が集まっていた。
猛暑。気温40度以上。小さい扇風機がいくつかあるだけ。
とにかく暑い。


宴会に突入。新郎新婦の長老的な人たちが、「軍歌」を
歌う。こうした宴会にも年配の人たちの心の中には、
「ベトナム戦争」の影が見え隠れする。軍歌は、解放戦線の
軍歌。今日は「解放戦線の戦車隊」の歌を歌っていた。

やぎ肉料理→美味しい

川原先生・富岡先生・石井君も参加。


バオミンさん・セン「子どもの家」委員長・ハン会計部長、
フオン日本語教師も参加。


宴会に入り、富岡先生が得意のベトナム語で
ベトナムの歌を歌う。参加者から大うけ。


石井君・河原先生も応援で参加


ベトナム語を勉強している石井君が歌う。

新郎新婦が各テーブルを回り挨拶。


妹のニューさん(ダナン経済大学3年)。
「子どもの家」でお世話になったセン委員長などに
挨拶


約2時間の「大音響」付きの結婚披露宴は終了。


2時間強の結婚披露宴が終わる。


宿舎へ帰り、休息。


2時間程昼寝。

午後3時から3時間ほど、「20周年式典」関連の
日程等の調整。

午後6時15分、徒歩で日本料理店へ。

午後4時から日本料理店の3人のスタッフが
ニーさんの結婚披露宴に招待されている。


トウォイさん・グエットさんは、ニーさんと一緒に
「子どもの家」で生活した仲間である。

と言う事情で3人の日本料理店スタッフが
結婚披露宴に参加したので、夕食が作れない、
日本料理店は休店。

日本人の夕食が作れない。
4人分の夕食(コムディア・ベトナム風ほか弁・150円)
を、日本料理店で食べる。

投稿者 koyama : 2014年07月10日 17:41

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