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2014年02月28日

高校新潟五日町老年修学旅行」の反省会

午後6時半、2月23日に挙行した「高校同級生の
老年新潟四日市修学旅行」の反省会を行う。

会場は池袋。

ほぼ全員が参加。引き続き、老年修学旅行を
継続することを誓い合い、生ビールと焼酎を飲む
のであった。

投稿者 koyama : 17:45 | コメント (0)

2014年02月27日

心臓病の病院へ

午前8時半、自宅を出て、新宿の心臓病専門クリニックへ。

13年間、私の担当をしてくれているM先生の診察を受ける。

心電図等を撮る。現状では、病状は安定しているとのこと。

肥満にならないこと(60キロ以下)、過剰な飲酒の禁止、
適度の運動、毎朝の血圧測定・記録を励行するよう
話を受ける。

先生も昨年12月29日テレビ東京放映の「世界の秘境・・
日本食堂」をご覧になったとのこと。お褒めの言葉を
頂く。

帰宅。2月13日から今日まで2週間、休みなく仕事というのか
活動をした。疲れた。

夜、青少年教育の会のKさんから電話。

ベトナム事務所にいるI君の将来のことなどを打合せする。

投稿者 koyama : 21:39 | コメント (0)

2014年02月26日

胃腸科の」最終検査

午前中、昨年検査をした胃がんの病院へ。

昨年、ピロリ菌の検査をした。今回は3回目の通院。

ピロリ菌除菌の結果を調べる検査。早ければ、2月1日
に結果が出るという。ピロリ菌は、胃がんを発症させる
有力な因子だそうだ。

できる「治療」「予防」は自覚を持ってしたいものだ。
体調が悪くなれば、ベトナムでの活動ができない。
子どもたちがバオミンさんなどベトナム人に対して
失礼となり、申し訳ない。

午後3時、小学校時代の教え子である手島君の
IT会社へ。高田の馬場へ。

手島君の助言で「I PAD MINI」を買った。
その使い方を教えてもおらう。

その後、手島君が始めようとしている
新しいプロジェクトの説明を聞く。

午後9時過ぎ、帰宅。

投稿者 koyama : 21:33 | コメント (0)

2014年02月25日

インプランント、最終仕上げ

午前中、インプラント専門病院へ行き、
最終的にインプランントの固定を行い、完全に3本の
インプラント歯が使えるようになった。約半年間、
片側の奥歯で食事をしていた。

やはり、両方の奥歯で食事をした方が食べ物は美味しい。

ついでの多少、傷みはじめた奥歯や詰め物が少し黒くなった
ものを詰め直す。

歯の治療をすべて終わる。

投稿者 koyama : 21:27 | コメント (0)

2014年02月24日

クラス会のような会、帰京。東京センチュリーライオンズクラブ創立30周年式典参加

六日町に滞在。

昼前、旅館を出て、美味しい「おそば」を食べる。

午後4時前、東京駅に着く。解散。

今回のクラス会のような会を企画してくれた
G井君に感謝。

その足で巣鴨へ。巣鴨駅のコインロッカーに入れていた
礼服に着替え、赤坂見附へ。

午後6時、東京センチュリーライオンズクラブ創立30周年
記念式典に列席。


ライオンズクラブから表彰。
寄金の目録を頂く。


式典が終わり、レセプションに入ったが、体調が悪いので
途中で中座。

午後9時過ぎ帰宅。

投稿者 koyama : 21:22 | コメント (0)

2014年02月23日

高校のクラス会のような会のクラス旅行

16歳で同じ高校に入り、3年間クラス替えがなかった。
クラス仲間との出会いは今年で丁度50年になる。
半世紀。
今日は、出会い50年記念の高校クラス会のような会の
記念旅行。

東京集合。男性8人、女性3人。

大宮で数人合流し、越後湯沢→六日町。

六日町は大雪。

送信者 14-2月16日高校クラス会新潟

クラスメートのY君が懇意にしている「温泉旅館」へ。



いくつかの部屋に分かれ、休息。部屋ごとに
庭に温泉がある。

ゆっくりと旧交をあたためる。

投稿者 koyama : 19:53 | コメント (0)

2014年02月22日

この1週間ほどの火炎樹日記を書く

昨日、教え子の手島君にパソコンを直してもらったので、
この1週間ほどの火炎樹日記を書く。

途中でやはりパソコンの調子が悪い。

3月2日にベトナムへ帰国する。荷物の整理を始める。

明日は、高校のクラス会のような会の新潟旅行に参加する。

2月14日に日本へ帰国し、その日に成田空港付近のホテルに
泊まり、フエ市人民委員会一行の出迎えにそなえた。

2月15日から20日まで6日間、成田→東京→静岡→京都→
大阪→関空とフエ市人民委員会一行を案内した。
この間、たくさんの日本人とお会いし、交流を深めた。


投稿者 koyama : 07:53 | コメント (0)

2014年02月21日

教え子の手島君の会社へ

午前8時過ぎ、自宅を出て、次男の家へ。

いくつかの荷物を届ける。

次男が孫2人を保育園へ連れていく。ついでなので
一緒に孫の 保育園に行く。


孫を保育園に預け、私の次男と一緒に地下鉄→JR巣鴨
→高田の馬場まで行く。次男の職場ピースインツアーが
ある。地下鉄・JRの車中で近況を聞く。

高田の馬場で次男と別れ、駅から徒歩10分程の
「手島屋」へ。25年ほど前、手島君が小学校4年生頃
教えた。今は、従業員10数名のIT企業の社長。

ベトナム訪日団が来日した頃から日本で使う
ノートパソコンが壊れてしまい、火炎樹日記が
かけなくなった。ベトナム訪日団と常に一緒に
いるので、パソコンを直すことができなかった。

IT専門家の手島君に直してもらう。
かなり容量一杯状況だったようで、不要なものを
削除してもらう。

夕方、帰宅。7日間のベトナム訪日団の案内で
疲労困憊。自宅へ戻り、直ぐに横になると
熟睡。

投稿者 koyama : 12:54 | コメント (0)

2014年02月20日

関空付近ホテルから関空へ

午前6時起床。

午前7時過ぎのホテルのバスで関空へ。

4人の関空でのチェックインまで一緒に。

午前8時前、無事チェックイン。

7日間、ご苦労様でした。

ーーーー
私は、その後、急いで名古屋へ。

名古屋の支援者のTさんが急に会いたいとの電話があった。

関空→京都→名古屋。

名古屋駅の喫茶店で2時間程話し合う。

Tさんは、フエの船上生活者が多い、フールー小学校に
4室の校舎を寄贈してくれている。

今後のTさんのフエでの活動について、詳細な話し合いを
する。

午後2時半頃の名古屋発新幹線で東京→自宅へ。

長い7日間の旅だった。

バオミンさんたちの無事帰国を祈る。

投稿者 koyama : 12:45 | コメント (0)

2014年02月19日

京都→大阪→関空

京都は寒かった。


午前9時前、「京滋YOUの会」の藤井さんの案内で
京都を出て、JRで大阪駅へ。

たくさんの荷物を持つベトナム訪日団。移動が大変だ。



午前11時。大阪のUさんが出迎え。大阪を案内してくれる。
タン市長の強い希望で「大阪城」を視察する。


大阪城門入口


その後、道頓堀へ。昼食。

夕方、関空付近のホテルに投宿。

投稿者 koyama : 12:07 | コメント (0)

2014年02月18日

静岡→京都へ 京都市長と懇談→「京滋YOUの会」懇親会

晴れ

午前9時11分の新幹線で京都駅へ(10:48着)

京都駅には「京滋YOUの会」の藤井さんが
出迎えに来てくれていた。

藤井さんと一緒に軽く昼食(京都の淡白なうどん)を食す。

午前12時39分~午後1時まで、京都市役所で門川市長と
懇談会。

京都市とフエ市は、一昨年、「パートナーシップ都市協定」
を結んでいる。

右:和服が門川市長・真中は市議会議長

フエ市長より刺繍贈呈


京都大学からも懇談に参加

イック・ホアン新外務部長と門川京都市長


午後3時から午後5時まで京都市内見物

午後6時。「京滋YOUの会」主催の歓迎晩さん会

藤井事務局長の開会の挨拶


国際ソロプチミスト京都ー西山の会長さんや井上さん
もお忙し中、かけつけてくれた。感謝。



京都市議さんの挨拶


新撰組局員に編入されたニエンさん・バオミンさん


「京滋YOUの会」代表の挨拶



閉会後、記念撮影



ベトナムからの訪日団は、新撰組の上着を頂き、着る。


新撰組近藤勇の上着を着て挨拶するタン市長



守山市議会議長さんとバオミンさん


国際ソロプチミスト京都ー西山代表と井上さん
京都西山は、「子どもの家」C棟1階の刺繍土産物店、
絵画教室などを建設・寄贈してくれた。長いお付き合いである。


閉会後、参加者全員写真


投稿者 koyama : 11:36 | コメント (0)

2014年02月17日

東京→静岡へ 静岡市長と懇談

快晴

午前9時、上野のホテルを出発し、上野経由東京駅へ。

上野駅ホームにて

午前9時44分の新幹線で静岡へ。

午前11時、静岡駅着。駅にはJASS静岡の会の
牧田先生・巣山先生が出迎えに来てくれている。
感謝。

お二人の案内で駿府城を参観



城内には梅がさいていた。



午後1時50分~午後2時20分の30分間、
田辺静岡市長と懇談。
フエ市と静岡市は『友好都市提携』を行っている。



田辺静岡市長より両市の友好交流発展を願って
記念品の贈呈


フエ市からはフエ伝統の刺繍贈呈

フエ市・静岡市長と訪日団

市長室の前には、雛壇が

夜、JASS静岡の会と前静岡市長の小島善吉氏と
居酒屋で交流会。既に市長を辞めているので
ざっくばらんな交流会となった。


イックホアン新外務部長とJASS静岡の会員。
バンベーを編集してくれているAさんも参加。



フエ市内に「静岡青年交流会館」を寄贈してくれた
静岡ライオンズクラブの稲葉さんも参加

左から小島前市長、稲葉さん、小山

静岡駅前のホテルに投宿。


投稿者 koyama : 11:18 | コメント (0)

2014年02月16日

JASS現地報告会:JASSと「子どもの家」創立20周年式典

午前中、ベトナムフエ市訪日団の皆さんは、
上野付近を視察。

午後1時過ぎ、神田の「20周年式典会場」へ。

午後1時半、JJASS現地報告会・JASSと「子どもの家」
創立20週年記念式典に参加。

午前1時半、「JASS現地報告会」開始。
司会は以前JASSのフエ日本語学校教師をしていた
森さん(茨城)。

現地報告会の冒頭挨拶は、JASS日本の代表委員会委員長
である稲垣さん。稲垣さんもJASSフエの日本語学校教師
だった。


フエ市人民委員会(フエ市役所)代表団紹介


左から:バオミンさん(JASSベトナム運営委員長)
左2番目:ニエン氏(20年間、フエ市外務部長)
左3番目:ホアン氏(新フエ市外務部長:20年前の私の教え子
             高校・大学とバオミンさんと同級生)
右:タン氏(フエ市新市長)

フエ市長タン氏の挨拶。



小山JASS代表の挨拶。
この20年間のJASS活動の意義について報告する。


続いて、バオミン・JASSベトナム運営委員長より
①2013年活動報告
②2014年活動の方針
③2013年会計報告
④2014年会計予算

の報告提案がった。
現地財政自給率は60%程度となり、現地の財政的自立・
人的自立がかなり現実のものとなったことが報告された。


福田もえ子JASS日本代表委員会委員長の報告


各地の会からの報告

①「京滋YOUの会」藤井さん

②JASS静岡の会 笠井事務局長より

静岡の会で育ち、現在東京の大学で勉強しているFさん
フエからの留学生のお世話をしている。

③JASS東京の会 原さん


東京の会から支援金贈呈

④火炎樹の会(茨城の会)よりベトナム事務所へ支援金贈呈


山西JASS日本の代表委員会副委員長の提案で
JASS日本の役員選出


新年度JASS日本の代表として選出された福田代表(中)

佐藤副代表(左:栃木)
山西副代表(右:千葉)


各地の会代表

左 「京滋YOUの会」(藤井さん)
中 JASS大阪の会(矢野さん)
右 青少年教育の会



その後、会場を移し、「JASS・子どもの家創立20周年式典」



10数年前から上尾の青少年を「子どもの家」に派遣・引率して
いる星野さんたち


JASS大阪の会の皆さん

20周年式典でベトナム・フエ市代表団を紹介

「子どもの家」の事実上の創設者 「岩辺泰吏さん」の挨拶
「子どもの家」発足当初の日本からの支援の大変な苦労の
一端を披露。


この20年間、「子どもの家」へ多大な協力・支援して頂いた
方々への「感謝状」の贈呈式  司会は山西JASS日本副代表


視覚障碍者の朗読の会を支援し、17年間にわたって
JASS/「子どもの家」を支援し、寄金をしてくださって
いる『こうばこの会」の大久保さん


「子どもの家」創立直後からクリスマス会や
バーベキュー大会などを寄贈し、フエで一緒に
活動してくれている内田さん

祝賀会会場全景



約20年間にわたり、里親寄金を管理し、現地フエへ送ってくれている
渡辺さん(ACCL:アジア・チャイルド・リーグ代表ー小児白血病支援)


具島先生  フエ郊外の農村の重度脳性麻痺の男児の
生活を長年支援していただいている。

祝賀会出席者から「お祝いの言葉」
全教千葉女性部関係の皆さん


高校の同級生


大学の同級生

JASS設立当初から事務局の仕事を手伝ってくれているNさん

やはりJASS設立当初から事務局の仕事してくれている

大東文化大国際関係学部教授の中野亜里先生
(ベトナム研究の第1人者、だと私は思っている。
 1992年から1年間、中野先生にベトナム語を教えて頂いた)

息子と孫、そして東京外大ベトナム語学科で息子と同級生で
15年ほど前、ハノイ大学に息子と一緒に留学し、」
ベトナム事務所の手伝いをしてくれた「旧姓 野村さん」

長年にわたり「里親」を続けてくれた皆さんと懇談


私も初めてお会いする里親の方がたくさんいた。
名前を出さず、黙々と「子どもの家」の子どもたちを
支援してくれている方々に心から感謝したい。



フエ市長より長年のフエ市での活動に対しての「感謝状」
を頂く。


フエ市長より福田もえ子さんへ感謝状


フエ市長よりJASS日本へフエ伝統の刺繍の贈呈



ニエン前フエ市外務部長の挨拶



記念品贈呈



JASSよりベトナム・フエ市代表団の皆さんへ
記念品贈呈

20周年祝賀会での挨拶

上原さんより花束を頂く



里親の皆さんと記念撮影


祝賀会、最後まで残った皆さんと記念撮影


投稿者 koyama : 09:15 | コメント (0)

2014年02月15日

フエ市新市長タンなど4人のベトナム人を出迎えに成田空港へ

昨夜、京成上野駅付近のホテルに投宿。

昨日から大雪。

今日の成田空港が雪で滑走・着陸できるか?心配。
また、京成上野から成田空港までスカイライナーが
動くのか? も心配。

午前7時前、京成上野駅付近のホテルをチェックアウト。
京成上野駅へ行く。幸い、スカイライナーは動いている
とのこと。乗車。

午前8時、成田空港第1ターミナルへ。
30分程、空港到着ロビーで待機。

午前8時半。タン新市長、ニエン前外務部長、
ホアン新外務部長、バオミンさんの4人の
ベトナム人が無事成田空港へ到着。
偶然、ブライセン・ベトナム支社長の鎌田氏も
一緒だった。


ブライセンの鎌田氏がレンタカーを借りてくれた。
レンタカーで高速を使って、京成上野駅の付近のホテルまで。

ホテルに荷物を置き、上野で「ラーメン」の朝食。

その足で「秋葉原」視察。


夕方、ブライセン用意のレンタカーで五反田にある
ブライセン本社へ。藤木社長とフエ市でのブライセン
の活動等の説明。タン市長よりJASSと協力しながら
ブライセンの活動が発展するよう協力したい、
との言葉あり。


以下、フエ市代表団
(左:イック・ホアン新外務部長 中央 タン新市長
右:ニエン前外務部長)



フエ新市長タン氏よりフエ特産刺繍の贈呈



午後6時過ぎ、IT会社「ブライセン」経営の日本料理店
にて交流晩餐会


午後9時過ぎ閉会。

上野のホテルへ。雪で歩きにくい。
ベトナム人は相当寒いようだった。

長い1日だった。

投稿者 koyama : 08:36 | コメント (0)

2014年02月14日

ホーチミン市→成田へ

午前7時半(ベトナム時間、午前5時半)、無事、
成田空港着。

スカイライナーで空港から日暮里まで。
既に大雪が降っている。



明日の朝、成田空港へバオミンさん・フエ市長など4人の
ベトナム人が来訪する。成田空港へ出迎えに行き、そのまま
翌日の「現地報告会」「2草々周年祝賀会」→静岡市長訪問→
京都市長訪問→大阪視察→関空帰国。

五日間ベトナムの皆さんと』お付き合い、引率をする。

午後3時、雪対策の服装をし、スーツなどの衣類をもって
上野のホテルへ。ベトナム人4人と一緒に明日から2泊する。

上野ホテルへチェックインし、その足で根津の姉の家へ。
姉と義兄と2時間程懇談。姉が料理を作ってくれる。

投稿者 koyama : 06:07 | コメント (0)

2014年02月13日

日本帰国

午前6時起床。  小雨が降っている。

午前7時朝食。「ブンボーフエ」

最近、毎日「ブンボーフエ」が出る。事情は不明。

午前8時前、雨の中、徒歩でベトナム事務所へ。

午前8時、フーン先生、バオミンさん、税田さんと
当面の諸問題について打合せ。

午前9時、ブライセンの鎌田支社長と打ち合えせ。

午前10時、在宅支援の「ハーさん母娘」と懇談。
娘のハーさんの就職問題の相談に乗る。

午前11時。日本語教師の後藤杖君と懇談。

徒歩、宿舎へ帰る。昼食を摂らず、日本帰国の
最終準備をする。

午後2時半、2つのスーツケーとリュックを持って
近くの道路で待っていてくれる車に乗り、フエ空港へ。

午後4時、フエ空港を出発し、 ホーチミン空港へ、。
午後5時半着。

国内線から国際線へ。

国際線の全ての手続きを終え待合室へ。午後6時。
ホーチミン空港発は、明日の午前0時30分。
ホーチミン空港で6時間待たなければならない。

日本へ帰るのも結構、疲れる。

投稿者 koyama : 22:51 | コメント (0)

2014年02月12日

元JASS副代表大谷さん一行来訪

終日小雨  寒い

午前7時朝食。

「チャオ・バイン・カイン」


午前8時、徒歩でフォンザンホテルへ。

元JASS副代表の大谷さんに一行9人が
投宿。

9人の皆さんとベトナム事務所へ。

ベトナム事務所スタッフは真面目に仕事中。

大谷さん一行と対面。挨拶




その後、「子どもの家」へ。

「子どもの家」のセン運営委員長の歓迎の挨拶



「子どもの家」を案内

午前11時半昼食。


子どもたちと昼食を摂る

食後、大谷さん一行をフォンザンホテルまで
送る。


1時間程宿舎で昼寝。

その後、2月16日、東京神田で行われる
現地報告会、JASS/「子どもの家」創立20周年記念
式典での挨拶の原案文章を作る。15分以内で
話す内容をまとめる。


午後5時40分、徒歩で日本料理店へ。

午後6時、大谷さん一行と日本料理店で
夕食交流会。


日本料理店夕食の献立


接客主任のグエットさんがメニューの紹介

午後9時前、夕食会終了

投稿者 koyama : 22:50 | コメント (0)

2014年02月10日

2月16日「現地報告会」議案作成

終日雨

午前6時起床。雨。寒い。

午前7時朝食。

「ブンボーフエ」(フエ名物牛肉米麺)


午前中、2月16日、東京神田で行われる
「現地報告会」へ提案する議案の最終仕上げ。

①2013年活動の総括
②2014年活動方針
③JASS会計報告
  ・2013年決算報告
  ・2014年予算案
  ・2013年JASS関連部門決算

バオミンさん・税田さんと何度か討議をし、
成案つくり、再度論議を繰り返し、
作り上げた。

JASS日本福田もえ子委員長・
山西・左藤清子副委員長
へ送信。


午前11時半

「豚肉入りおじや」



食後、1時間程昼寝。


読書『炎の回廊(満州国演義4)』(船戸与一著)

この種の本は読み出すと止まらなくなる。

日本軍国主義が美濃部達吉の天皇機関説を
攻撃し、一気に戦争・侵略路線に突入する
時代の動きを詳細に描写している。
同時に物語としても面白く作り上げている。

この時期、私の父親・母親などは中国に
住んでいた。満州国がどのようにして作られて
行ったか? 当時の政治事情、国民の意識
などが正確に描写されている。本書を理解するため
には、明治維新後の日本と世界の歴史、第1次世界
大戦、西欧のアジア侵略の歴史などの基礎的な
知識がないと理解できない部分がある。

コミンテルン、中国共産党、国民党、蒋介石、
張学良などがどのような人物で、歴史上でどのような
役割りを果たしのか?を理解していないと、本書の
本質を理解することは難しい。


夜、「梅酒」を飲む。

フエの日系企業「フエ・フーズ」が作ったもの。

梅の香りがしっかりし、甘さも上品で品位があり
美味しい。フエでこれだけの梅酒を造った
会社の責任者や関係者の皆さんの
努力に敬意を表する。

私は個人的には、福島県の大七「生翫梅酒」
を飲んでいる。

大七生翫梅酒」は、まろやかで、香りが良く、
上品な味だ。

フエフーズの梅酒は、飲む価値の十分ある
梅酒である。

投稿者 koyama : 21:40 | コメント (0)

2014年02月09日

ホアさん・ヒエウさん結婚式

午前6時起床

昨日の夜、日本料理店の子どもたちが作ってくれた
お弁当(昨夜半分食す)の残りを食べる。

午前8時前、宿舎を出て、近くの道路で待っている。
午前8時過ぎバオミンさんが車で迎えに来てくれる。

今日は、大安吉日。結婚式が集中している。
「子どもの家」卒業生で、現在も「子どもの家」付属
刺繡みやげ物店で仕事をしている「HOA(ホア)さん」
と「子どもの家」卒業生で日本料理店店員の
「HIEU(ヒエウ)さん」の結婚式がある。

午前8時過ぎ、バオミンさんと一緒に「子どもの家」へ。
「子どもの家」で寮母さんの「キム・アインさん」
「ロックさん」「ニエムさん」を乗せて、ホアさんの
自宅へ行く。

ホアさんは、12歳で「子どもの家」に入所。
現在24歳。「子どもの家」でミシンと刺繡の研修を
行い、現在も「子どもの家」付属刺繡みやげ物店で
仕事をしている。

今から16年ほど前、事務所がまだフォンザンホテル
前の時代。私は健康維持のため、午前6時から7時まで
事務所からフエ駅まで往復1時間のウオーキングを
していた。レロイ通りにあるフエ市役所隣の公園で
ホアさんとお母さんは生活していた。
私が公園前を通る時刻(午前6時15分頃)になると
ホアさんは、公園前の歩道で、ペットボトルの水で
顔を洗っていた。私は何度も「子どもの家」への入所を
誘った。しかし、母子ともに拒否していた。
1年間ほど、繰り返し「子どもの家」への入所を
勧誘した。やっと、本人と母親も同意し、入所することに
なった。「子どもの家」では小中学校に通いながら
「子どもの家」付属のミシン研修センターでミシンを
学び、その後、刺繡研修センターで刺繡を学んだ。
今日でも「子どもの家」付属の刺繡研修センターで
刺繡の作品を作り、フェリシモや訪問者の皆さんが
買ってくれる刺繡を作っている。

ホアさんは、家庭の事情とベトナム戦争後の
複雑な社会変動で父親が不明で、家もなく
公園に寝て、母親と宝くじなどを売って、その日の
生活を何とか送っていた。
ホアさんは、真面目な性格の子どもで「子どもの家」
で「手に職を付ける」ことを真剣に考え、ミシン・刺繡の
技術を完全に取得し、今日に至っている。


今日の結婚式はベトナムの伝統に則ったもの。
新郎一族が「貢物・お土産」を持って、ホアさんの
家まで訪問し、ホアさん一族の先祖に対して、
ホアさんをお嫁さんにもらう、旨の報告をする
という形式。

新郎が迎えに来る前。ホアさんと弟のルム君。
ルム君も「子どもの家」で生活していた。



「子どもの家」寮母さんのニエムさん(中)
とキムアインさん(左)、刺繡みやげ物店のロアン先生。

最近見つかった「ホアさん」のお兄さん。
ホーチミン市の方にある「ニャチャン」で農民を
しているとのこと。

ホアさんは、種々家庭の事情で「親戚」がいない。
今日の結婚式前の「新郎の新婦家庭訪問」の際に
出迎える親族は、母親と兄と弟。姉も居るのだが
所在不明。

そんな事情もあり、私とバオミンさん、「子どもの家」
スタッフ5人(上記女性3人とロック寮長、警備員さん)が
ホアさんの親族となり、新郎を迎えるという図式となった。

新郎一族を迎えるホアさんの家


ホアさんの家は、ホーチミンーハノイ間の電車の
線路の真下にある。

午前9時前、新郎一族が「祝い物」を持って来訪。


ホアンさん一族の先祖を祭る祭壇に新郎側の「供物」
を贈呈。


先祖に結婚を報告する新郎新婦



新婦側一族。私は新婦の父親役。
真ん中がホアさん。両側が私と母親。

新郎側も父親が亡くなり、叔父さんが父親役。

新郎の母親から新婦に「金のイヤリング」「金の
首飾り」「指輪」を贈呈。


JASSを代表して新郎・新婦へ当面の生活費の
足しにと些少のお金を贈呈。


小学校入学前に「子どもの家」へ入所した
ルム君。

新婦の祖先への結婚報告を終わり、今度は、新郎の
家へ行き、新郎の祖先へ報告へ。両家の親族が
参列。



新郎の家へ。新郎の母親から「お金贈呈」

新婦側の親族(役)。全員「子どもの家」のスタッフ



結婚の儀式を終わり、新郎の家の付近の
レストランの隣の「道路を使った即席レストラン」で
結婚披露宴。

披露宴の式場前に置かれた新郎新婦の写真

新郎とその母親。「子どもの家」スタッフと
バオミンさん

結婚披披露宴。入場する新郎新婦。


「子どもの家」で長年生活し、ミシン・刺繡の
研修を行い、結婚し、刺繡みやげ物店を
退職した「ハンさん」(JASS会員のTさんと
ハンさんの妹のタンさんは結婚している)
は4歳と1歳のお子さんの母親になっていた。
(ハンさん:小山の隣り)

ハンさんは、「子どもの家」を作った最初から
「子どもの家」に入所した子どもである。
2児の母親になっている現実は、20年の
JASSの長い歴史を表しているともいえる。

新郎・新婦とその母親

ワインを使ってのお祝い儀式

午前12時前。ホアさんの結婚披露宴の途中ではあるが、
日本料理店の「HIEU:ヒエウ)さんの結婚式もあるので
中座する。

====
午後12時半。急いでバオミンさん・キム・アインさん
ニエムさんと車で「ヒエウさん」の結婚式に向かう。

HIEUさんのご両親と新郎新婦。


「子どもの家」の卒業生が多数参加していた。

ヒエウさんの両親と新郎新婦


ベトナム事務所スタッフと新郎新婦と両親


ヒエウさんは、4歳で「子どもの家」の入所した。
その複雑な事情は割愛する。

4歳で「子どもの家」に入所し、17年間。
「子どもの家」→日本料理店に勤めて今日を迎える。
17年前、4歳のヒエウさんが「ドンバ市場」の近くの
「チャンティエン橋」の下で寝ているのを見つけ、
「子どもの家」に入所させた。それから17年間。
こうして、立派に成人(21歳)し、結婚式を
迎えるようになったことに心からお祝いを言いたい。

「子どもの家」医師タムさん(右端)と財政担当ハンさん。

「子どもの家」でヒエウさんと一緒に生活した
子どもたちが集合。既に自立し「子どもの家」を
退所した子ども・未だ「子どもの家」に居る子ども
もいる。

新郎新婦・両家の両親と。左側がヒエウさんの両親。

新郎新婦・ロウソクに点火。


ワインの儀式


ヒエウさんのご両親と新郎新婦。

座っている右端は「THUYさん」(フエ師範大化学科卒)
真ん中は「NHI(ニー)さん」。


久し振りにNHIさんに会った。随分成長し、大人になった
のには驚いた。現在、ホーチミンで商売をしているとのこと。
茨城県土浦市に住んでいるF夫妻が長年里親をしてくれていた。
こうして成長し、自立して自分の人生を生きているNHIさんの
今を是非、茨城県土浦市のF田さんに見てもらいたかった。

大学時代の同級生D極さんが里親をしてくれていた
チュック君。顔が黒くなり、大人になった。


1992年9月過ぎに「チーラン通り」に最初の
「子どもの家」を作った。その時の子どもも
きていた。現在35歳になる。当時15歳だった。
お子さんを連れて。小さな取り組みではあったが
こうして子どもたちが成長し、普通の市民になっている
様子をみると、意味のある取り組みだったと思える。

「子どもの家」の卒業生


日本料理店長のTUOI(トゥオイ;右)さんと
接客主任のNGUYET(グエット;左)さん
(真ん中二人)


ベトナム事務所・「子どもの家」スタッフと
新郎新婦とご両親

結婚披露宴は、既に後半に入っていた。
ホアンさんの結婚式・披露宴に出たので私と
バオミンさんは遅れてヒエウさんの披露宴に参加。

既に儀式・挨拶部分は終わっていたのだが、
遅れてきた私の一言挨拶をとの要望があった。

「子どもの家」を作って1年後に入所した
ヒエウさん。既に17年の付き合いである。中学を
卒業し、日本料理店のスタッフとして入店。
日本語を勉強し、現在は「在庫管理」「注文結果記録」
調理の仕事をしている。

私からの言葉は、「コツコツと地道な生活と
人生を送って欲しい」と。

新郎新婦と乾杯


「子どもの家」の卒業生
「子どもの家」の門前で自転車修理業をしているフン君。

結婚披露宴終了

ベトナム事務所スタッフ・「子どもの家」スタッフ、
「子どもの家」卒業生


新郎新婦と小山・バオミン・税田・寮母キムアイン
ニエム

新婦ヒエウさんと母親・寮母キムアイン・ニエムさん


午後2時前に終了。

ヒエウさんの幸せな人生を願う。

==========

ベトナムの結婚披露宴は、頭が痛くなるほど
の高音量のカラオケが延々と続く。

2時間もそんな環境に居たら頭だけではなく
気分が悪くなる。

バオミンさん・寮母のキムアインさん・ニエムさんと
車で帰宅。

帰宅後直ぐに横になり、休む。
非常に疲れる。

今日は改めて20年間の「子どもの家」での
活動を振り返る。ホアさんの結婚式。
17年前に私が何度も誘ってやっと「子どもの家」に
入所。余り勉強は好きではなかったホアさんだが、
ミシンと刺繡には素晴らしい能力を発揮した。
結婚し自立したホアンさん。

4歳の時に橋の下で出会い、「子どもの家」に
入所。諸般の家庭の事情があった。
それでも中学を卒業し、多少の紆余曲折は
あったが、日本料理店で研修積み上げ、
今は一人前のスタッフになっている。

こうして二人の「子どもの家」の卒業生の
結婚式に参加し、JASSの20年間の
役割りはあったと実感した次第である。

JASSの役割りは子どもたちの能力と
適正にあわせて子どもたちを自立させる
ということ。万万が一にもJASSがフエに
存在しなかったらこの二人はどうなったのかは?
分からないが・・・・・。
それでもJASSがフエにあったことで二人は
ベトナム社会主義共和国で真っ当に生活する
ことが出来るようになったことは、嬉しいこと
である。


================

東京都知事選挙の結果がでた。

想像通りだった。

私は『宇都宮」「細川」連合を作るべきだとの
主張をした。

現在の「国共合作」をすべきだと。

安部首相が異常な方向へ進んでいる。
日本の右傾化・軍国主義化が一気に進んでいる。
これを阻止する大きな政治的な展望をもち
「小異を捨てて大同につこう」と主張していた。

しかし、宇都宮・細川陣営は、「小異にこだわり
大同に」つかなかった。敗北した。
革新勢力の戦略の敗北である。

アジア・太平洋戦争に突入する時期「社民主義主敵論」
に立ち、社会民主主義を主敵にする主張があった。

中国では蒋介石の国民党と毛沢東の共産党が
「反日」で統一戦線を組んだ。意見が一致する部分は
「反日」だけかもしれないが・・・・。

今回、反原発で一致し、候補者調整が出来れば、
舛添当選には至らず、安部暴走路線に打撃を
与えることが出来たかもしれないのだが・・・・。
日本で「革新」を名乗る勢力の『心の狭さ』を
痛切に感じた。理屈で自らの正当性をどんなに
主張しても、結局、安部暴走路線を許してしまった
政治的な責任からは免れない。


投稿者 koyama : 20:02 | コメント (0)

2014年02月08日

2月16日「現地報告会」議案検討

快晴 真夏

午前6時起床。

午前7時過ぎ朝食。昨日の朝食を温めて食す。

「ブンボー・フエ」(フエ名物牛肉米麺)

午前8時過ぎ、徒歩でベトナム事務所へ。

テト正月を日本で過ごした石井君が無事フエへ
帰国した。



午前8時半から昼まで2月16日東京神田で
行われる「現地報告会」の議案を検討。
バオミンさん・税田さんと。

2013年活動の総括・2014年活動方針
2013年度決算報告・2014年予算案。

昼過ぎ、徒歩で宿舎へ帰る。

1時間程昼寝。

読書「炎の回廊(満州国演義4)」(船戸与一著:新潮社)

日本軍国主義がどのように中国東北部を『侵略』し
多数の中国住民を虐殺し、「王道楽土」を作り、
日本の「余剰人口」を満州国に「移民させるか・・・・」
その過程を辿る。
一人ひとりの日本人は真面目で一生懸命仕事をする
人々だった。しかし、その「善意」の思いと行為は
結局は他国への侵略へと通じていく。

日本人が忘れてはいけない1930年代の
日本人の意識でもある。
中国への侵略戦争は、軍部が独断で進めたもの
ではなく、基本的には「国民の精神的な支援・支持」
があったことが分かる。

午後5時、テト正月明け初めての日本料理店へ。
明日結婚式をするヒエウさんが結婚休暇に入り、
ヒエップ君は詳しい事情不明で休む。
TUOIさんとグエットさんしかいないので
日本料理店を開店できない。

日本人と夕食を食べて閉店とする。

夕飯はカレーライス。

その後、日本料理店に残り、若干「生ビール」を飲む。
税田さんと当面の日本料理店の運営方向について
意思統一をする。

午後9時前帰宅。

宿舎の玄関前の踊り場に近所の犬が来て、
毎日大きな糞をしていく。(テリトリー確認行為)

税田さんが、タバコを買ってきてくれた。
宿舎へ戻り、タバコをほぐし、水につけておく。

明朝、タバコの臭いが染み付いた水を
玄関の床に撒くことにする。
その臭いを嫌い、犬が入って来ないことを
期待する。


午前8時半、

投稿者 koyama : 22:53 | コメント (0)

2014年02月07日

ソン君の弟「カック・ラム君」結婚式

最近夜眠れない。

昨夜も午前3時まで眠れず本を読んでいた。

今朝、気づくと午前8時15分。朝食は午前7時。
食事を作ってくれるセンさんを1時間も待たせて
しまった。センさんは待ちきれず、既に買いものに
行ってしまっている。

今日はベトナム事務所のソン君の弟「タム君」の
結婚式。午前9時半にバオミンさんたちと
ソン君の実家へ行く予定だった。

朝食を摂る時間もない。センさんにお詫びをする。
朝食はそのまま冷蔵庫へ入れてもらい、明日の
朝食にする。

午前10時前、バオミンさん・税田さん・「子どもの家」
運営委員長のセンさんと一緒に車で、ソン君の
実家へ。現在は、ソン君の弟ラム君とお母さんが
住んでいる。

午前10時半過ぎ、ソン君の実家へ到着。
ソン君の弟のラム君も「子どもの家」で生活し
成長した。現在は、窓枠造りの職人をしている。

純農村にあるソン君の実家に到着。

結婚式場であるソン君の実家の入り口に新郎新婦の
写真が出ていた。



新郎ラム君のお兄さんのお嫁さん「メンさん」
甥の「バオ君」。


「子どもの家」を作って20年。
「子どもの家」のメンさんとソン君の長男・バオ君。
随分大きくなった。「子どもの家」創立20周年。
「子どもの家」出身のソン君・メンさんの長男バオ君
はその象徴でもある。


既に二百人程の参加者が集まっていた。


新郎・新婦入場



新郎新婦とその両親。(ラム君側の父親役はソン君)


「子どもの家」のソン君・ラム君兄弟がこうして
成長し、自立し、伴侶をもらうところまで見ることが
出来ることは、私の最大の幸せでもある。
支援した子どもたちがどうなったっか?を
知らずに「次の支援場所へ移動する」海外支援に
個人的には強い嫌悪感を持っていた。人数は
少なくとも、支援した子どもたちがきちんと
成長し自立するまで支援を続けたいとの私の
気持ちである。「国際支援・NGO・NPO業界」では
『異端』の考えではあるが・・・・。

私に一言挨拶を、と急に依頼される




挨拶の後、結婚披露宴


宴会が始まる


大音量のマイク。そして大音量の「カラオケ」が
その後、2時間程続く。一種の「拷問」でもある。



私は体調不良で『水」でお祝いをする。


新郎・新婦とソン君・お母さん

カラオケの音が大きすぎ、隣との人とも話が出来ない。


ベトナムの農村の純朴な雰囲気が良く分かる。
少しずつ「資本主義化」している実情も垣間見える。

午後12時半過ぎ、結婚式お開き。



午後1時過ぎ、宿舎へ。

しばらく昼寝をする。


午後2時半。2月16日の「現地報告会」へ
提案する「13年活動総括」「14年活動方針」
「京系報告」の詳細を検討し、必要な訂正を行う。

明日2月8日午前8時半からバオミンさん・税田さん
の3人で再度、2月16日「現地報告会」の議案を
検討する予定。

午後6時前。日本料理店のTUOIさんが
夕飯(ご飯と卵・キャベツ炒め)を持って来てくれる。


2月16日の「20周年記念式典」への招待者に
招待状が届いていないとの連絡あり。

JASS日本副委員長の山西さんに電話をし、
招待状の件を打ち合わせをする。

この1ヶ月。ほとんど「運動」(ウオーキング・・・)を
していない。足腰が相当弱っている。
極度の疲労を回復するためには、休息が必要。
徐々に体力を回復し、2月15日成田着の
フエ市長・バオミンさん一行4人の受け入れ、
案内、2月20日までの日本滞在を成功させる
ために体を整えている。

22月16日「20周年祝賀会」へ招待状を送った
方から連絡あり。招待状が届いていないとのこと。

JASS日本副代表・JASS日本の連絡事務所の
山西さんに電話。調査してもらう。
既に招待状を発送しているのだが、何らかの事情で
届いていないのか? 届いていて受け取り側の
処理の事情で問題が起こっているのか?
いずれにしろ、もう一度、招待状を発送してもらった。

京都市から連絡あり。フエ市長一行の京都在住中の
日程の確認。

投稿者 koyama : 19:50 | コメント (0)

2014年02月06日

風邪から立ち直りつつある

2月4日(火)、5日(水)と風邪を引き、寝ていた。
バオミンさんも風邪を引いたようだ。
洟水と喉の腫れ、倦怠感。

数日前まで夏のような気温だった。
2月4日の朝、寒気をもようした。急に気温が下がって
来た。
今日も体調不良。

終日かけて、2月16日現地報告会の
議案を仕上がる。(2013年活動総括・2014年方針)

午後2時過ぎ、税田さんから電話。ホーチミン空港に
着いたとのこと。5時間ほどホーチミン空港で待ち、
夜遅くフエ空港へ帰着する。

ベトナム事務所の手と休暇は今日が最終日。

明日からベトナム事務所・JASSの活動再開。

投稿者 koyama : 20:19 | コメント (0)

2014年02月04日

風邪を引く

昨夜から急速に寒くなった。
悪寒を感じた。


今朝、鼻水とだるさを感ずる。

午前6時起床。

午前7時朝食。
「フォー・ガー」(鶏肉米麺)

食事中も「洟水」が出る。
体もだるい。

2月16日「現地報告会」の資料つくり。

途中で「力尽き」ベッドで横になり、安静を保つ。

午前11時。昼食を作ってくれているセンさんが
何か言っている。1階に下りると「リー君」が
宿舎の入り口に立っている。

私はリー君に私の宿舎を教えたことがないのだが・・・・
ベトナム人の情報収集力には、驚かされる。

私の宿舎の近所の人たちは、私が日本人で
何をしているのか?を良く知っている。
どこで調べたのか? 噂か?


宿舎を出ると近所の人が「日本語教えて欲しい」
といいに来る。

24時間、誰かに監視されているような気持ちになる。
精神的に常にストレスを持っている。

2日前にブライセン社員を連れて宿舎に来るとの
ことなので断った。体調不良。この正月休みで
体調を回復しないと、2月13日から2月20日
までフエ市長・バオミンさんなどフエ市代表団
の訪日のお世話をしなければならない。今の
体調では到底無理。

2月7日(金)からベトナム事務所再開。
2月13日フエを発って日本へ帰る。
3月3日まで日本に滞在する。その間、
ほとんど休みはない。

この数日が体調回復・休息の唯一の時期なのだ。

バオミンさんに電話して、リー君に帰ってもらうように
頼む。
リー君は勝手に「子どもの家」の子どもたちを
連れて、私の宿舎に来ると言っているとのこと。

体調不良でもあり、新年の挨拶なら後日ベトナム事務所
で、と返答する。

私の宿舎を知っているのはバオミンさん・ソン君
など極一部の人たちである。

仕事は、ベトナム事務所でとの考えである。
宿舎まで訪問者があると私は本当に「休息」する
時間が全くなくなる。体力・気力がもたない。

この数週間体調不良だった。やっとこの数日前に
体調が回復したのだが、今日は風邪を引いてしまい
休んでいた。


バオミンさんが、2月16日の「総括」「方針」などに関する
資料を宿舎まで持って来てくれた。

バオミンさんも体調を崩し、風邪を引いたとのこと。
この数日、真夏のような気温だったが、昨夜から
急に寒くなった。

午前11時半、昼食

「海老入りおじや」

昼食後、横になり、寝る。

洟水と倦怠・喉の痛みがある。

投稿者 koyama : 19:44 | コメント (0)

2014年02月03日

終日宿舎で過ごす

気温21度  湿度80%

昨夜、午前3時まで読書。

「事変の夜(満州国演義2」(船戸与一著:新潮社)

中国の尖閣諸島問題で、『反中国』機運が
日本国民やマスコミの中に蔓延している。

しかし、改めてこの100年間の日中関係を
見直してみることも必要だと思う。

安部首相の祖父・岸信介がその中心となり
作り上げた傀儡政権「満州国」。
日本人が、中国東北部「満蒙領有」を
主張し、侵略した日本の過去の歴史は消せない。

冷静に日本人は、過去を見つめなおすことも
必要かと思う。

事がある時に「強そうなこと」を言う人間を
私は信用しない。

午前10時、ご飯を一合炊く。

キャベツと豚肉、玉子の炒め物。
支援者の方から頂いた「インスタント味噌汁」。
一合のご飯の半分を食す。

食後、引き続き読書。

「事変の夜(満州国演義2」(船戸与一著:新潮社)

アジア・太平洋戦争。
日本の中国東北部への侵略史。

ソ連の南。

黒龍江省・ 吉林省・奉天省
(チチハル、ハルビン、長春、奉天、柳条湖、吉林・・)

午後3時。一合のご飯の残りの半分を「おにぎり」にした。
食す。その後1時間程昼寝。

部屋の掃除、洗濯。

2月16日の現地報告会用の「2013年活動の総括案」
「2014年の活動方針案」を書く。
3分の2ほど、書き上げる。
細かい数字は、「テト正月」が終わってから記入する。


午後6時過ぎ、缶ビールを飲む。

ベトナムは今日も「お正月」の真っ只中。


いくつかのメールを受信。返信する。

宮沢賢治の「雨ニモマケズ」を読むと


「雨ニモマケズ」

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ

「1日に玄米4合」と言っている。

玄米のまま食べたら4合だが、精米すれば
3号位になるのだろうか?

朝一合・昼一合・夜一合。
当時の東北の農民の一般的な食事量なのだろうか?

私は1日一合で十分な食欲しかない、ということは
労働をしていないこと、体力を使っていないことだ。

現在の私の仕事は、非常に「いびつ」なものだ。
運動がなく、常に「頭で何か」を考えていなければ
ならない。文章を書き、今年、来年、10年後の
展望を考えながら、今日を生きているという毎日。

1日1合の米と適量のビールがあれば、十分。

====

橋下大阪市長が辞任し、再選挙に打って出た。
一体、何を「争点」に再選挙をするのか?

「大阪都構想」は、既に堺市長選挙で、市民の
「判決」を受けている。堺市民は、大阪都構想を
拒否した。

大阪都構想は、職員の思想調査から始まり、
市民生活にかかわる施策・サービスの切り捨て、
地下鉄・市バスの民営化・廃止案・・などなど
市民生活を切り捨てることが最大の目標としている。


大阪の市民生活改善への支出金を削減しながら、
再選挙のための何億円もの費用の無駄遣いには
何ら反省を持っていない。

自民党・民主党・公明党・共産党など主要政党から
見放された橋下徹市長の辞任・再選挙は、全く意味の
ない、橋下市長の個人的な衝動から出たものと
見ている。大阪市財政の見直し、などといいながら、
今回の意味のない再選挙のための費用は何億円も
かかる。税金の無駄遣いを主張しながら、自らは意味の
ない、膨大な無駄遣いをする橋下氏の行動・態度に
嫌悪感を感ずる。

大阪市の全ての野党は、行きがかりをすてて
大同団結し、大阪市民の生活を切り捨てる
大阪都構想を廃棄する共同戦線を作ってもらいたい。


投稿者 koyama : 19:49 | コメント (0)

2014年02月02日

ベトナム風「初詣」

快晴 気温28度。真夏のような暑さ

昨夜、午前3時まで読書。

「風の払暁・満州国演義1」(船戸与一著)

満州国がどのようにできたたか?

現在の日中問題の原点を知る必要がある。

有名な建築家に4人の子どもがいた。

長男は東大法学部を出て、奉天の大使館勤務。
次男は中国の馬賊の親分。3男は、軍人、
4男は無政府主義を信奉する劇団員という
設定。

読み始めると「止められなくなる本」。
午前3時まで読み続け、400ページの4分の3程
読む。

午前9時頃、バオミンさんから電話。「あと5分位で
宿舎付近の道路に行く」とのこと。

フエ市人民委員会ホアン外務部長(私の教え子)
運転の車にバオミンさんと一緒に乗る。

フエ市共産党委員長ユン氏夫妻・ニエン前外務部長
などと「ベトナム風の初詣」をする。

はじめに「フエ静岡青年会館」前のフォン河の隣で
行われている「ベトナム風盆栽展」を見る。

(ハノイ名物の「梅」)

百合


竹で作った「ミチュア」の世界文化遺産「午門・王宮」

テト期間中に咲くように花が植えられている。


ベトナム風盆栽


好事家が出品し、等級が決められる

フエの有名な書家が「新年用」の文字を書いてくれる。
私は「福」という字を書いてもらった。




フエの有名な禅宗のお寺へ行く。

フエ市共産党委員長が行くというので、
勅撰寺の最高責任者である管主が対応して
くれた。
勅撰寺というのは、1940年に第13代皇帝
バオダイの発願によって造られたお寺。
管主から「人生」「苦悩」「人の幸せ」などの
話を聞く。
宗教を「形而上学・観念論」として肯定しない
共産主義者であるフエ市共産党委員長が
仏教の管主の話を聞くというところに
ベトナム共産党がベトナム戦争に勝利した
一つの大きな要因があるように思った。
教条主義を廃し、現実路線を歩む姿勢。
現在のベトナム社会主義がどうなっているのかは、
別問題ではあるが・・・・・。

精進料理であり、お正月の食べもンである
「バイン・チュン」(もち米料理)を頂く。


その後、ユン委員長の出身地であるフエ市近郊の
農村の実家に行く。ご両親は1964年、35歳で
解放戦線兵士として、殺されたとのこと。

午後2時過ぎ、宿舎へ帰る。

昼寝。


投稿者 koyama : 20:14 | コメント (0)

2014年02月01日

テト正月2日目

午前6時目覚める。

昨夜、作った「小さなおにぎり」2つ食す。


数日前から右足の親指の先が痛い。
黴菌が入ったのかと思い薬をつけていた。

今日は左足の親指が痛くなった。
嫌な予感。「痛風」。しばらく様子をみることに
する。

体調がかなり回復する。やはりこの数ヶ月の
無理な仕事が原因との結論を私的には出す。
同時に「仕事も自己コントロール」が必要との
自覚を持つ必要あり。

読書をする気力が出て来た。

読書「風の払暁」(船戸与一著:新潮社)

400パージ程の大著6冊を京都の支援者から
頂く。6冊でもまだ未完のようだ・・・・・?

副題は「満州国演義1」。

満州国がどのように出来、どのように滅亡した
のかを描いているのかどうかは、読んでみないと
分からない。


午後、2ヶ月ぶりに「ウオーキング」。

宿舎から新フエ市役所往復。40分。


新年2日目。まだお店もあまり開店していない。
オートバイも人出も少ない。
すれ違うのは、新年の挨拶にでかかる家族の
皆さんたち。

今日も1日、誰とも話をしなかった。
こんな生活を送っていると早晩「痴呆症」になるのは
必死だ。あるいは、既にその奔りがでているのかも
知れない。


投稿者 koyama : 19:21 | コメント (0)