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2007年09月30日
ピースボート(46人)を出迎えにダナンヘ:日本へ一時帰国
晴天
午前4時半起床。
午前5時半、ミンさん、税田さん、ソン君、リー君、私の
5人で車に乗りダナンヘ。今日は午前7時過ぎにピースボート
の皆さん46人がダナン港に着く。
午前8時半、45人の乗客と1人の引率者が「子どもの家」での
交流コースの参加者としてフエに来る。JASSが受け入れ。
出迎え、案内。
2台の車に分乗。途中のトイレ休憩までリー君と一緒に1号車に
乗り、「子どもの家」の14年間の歴史を話す。
2号車では、バオミンさん・税田さん・ソン君たちが、今夜日本料理店
での食事の際の飲み物の注文をする。生ビール、生ジュース(各種)。
途中「ランコービーチ」(ダナンとフエとの県境)でトイレ休憩。
私とリー君は2号車に乗り換え、再度、14年間の「子どもの家」の
歴史、取り組み、ボランティアなどを話す。
午前11時、フエ市内着。ホテルへ。
その後、市内のベトナム料理店で昼食。バオミンさん・税田さん
ソン君・リー君も一緒に。
午後1時、日本語学校へ。46人の来客の皆さんに「ベトナム事情」
について1時間ほど話す。ピースボート側の希望。
ベトナムの簡単な歴史、現状、ドイモイ、この数年の大きな変化・・。
午後2時、日本語学校を出て「子どもの家」へ。
私は午後2時過ぎ日本語学校を出て、トンチンカンホテルへ。
日本帰国の準備。小型スーツケースとリュックをもって
地球の歩き方Ⅶの皆さんの泊まっているホテルへ。
地球の歩き方の皆さんと一緒にフエ空港へ。
サンさん、ソン君が同行。フエ空港で皆さんと一緒にチェックイン。
午後5時20分フエ発でホーチミン市へ。
午後6時40分、ホーチミン空港へ到着。
地球の歩き方Ⅶの皆さんは今夜ホーチミン市に泊まり、
明日ホーチミン市観光をし、明日の夜、ホーチミン空港を
発って成田へ。無事の帰国を祈る。
私はホーチミン空港のレストランで軽い夕食を摂り、
午後9時過ぎ、ホーチミン空港国際線でチェックイン。
午後11時40分、ホーチミン空港を出て成田へ。
これから2ヶ月間の日本滞在。
日本では皆さん、どんな服装をしているんだろうか?
もう秋の装いなのだろうか? 今年は異常気象だと
いう。昨日は30数度のところもあったようだ。
小山道夫「2007年10月・11月帰国日程」
2007年9月30日現在の予定
10/1(月) 成田着
2(火) 帰国休暇
3(水) 帰国休暇
4(木) 帰国休暇
5(金) 帰国休暇
6(土) グローバルフェスタ2007(於:日比谷公園)予定
7(日) 同上予定
8(月)
9(火)
10(水) A8:30桜美林中学校講演
11(木)
12(金)
13(土) 夕方 JASSスタディーツアー反省会
14(日)
15(月)
16(火)
17(水)
18(木)
19(金)
20(土) 練馬区立大泉学園桜中学校講演会(午後)
21(日) 京滋YOUの会講演会
22(月) 支援者との懇談(於:京都)
23(火) アジアボランティアセンター講演会:大阪(18時から20時)
24(水) 移動日(大阪→東京)
25(木)
26(金)
27(土)
28(日)
29(月)
30(火)
31(水)
11/1(木)
2(金) 静岡市長懇談
3(土) 静岡の会・火焔樹の会・京滋YOUの会 合同交流会(於:静岡市)
4(日) 同上
5(月)
6(火)
7(水)
8(木)
9(金) 茨城県日立市小学校講演会
10(土) 午前中―茨城県ひたちなか市
午後2時から WING主催 ”小山さんを囲む会”(2時間程度)
11(日)
12(月)
13(火)
14(水)
15(木) 11月12日~16日の間に東北大学で講演会、
16(金) 高崎健康福祉大学ゼミ、仙台日本語学校等へ
17(土)
18(日)
19(月)
20(火)
21(水)
22(木)
23(金) 小山道夫「還暦ぶっとばせ家族総決起集会!」
24(土)
25(日)
26(月)
27(火) 出国準備
28(水) 出国準備
29(木) 出国準備
30(金) 出国
2007年09月29日
地球の歩き方Ⅶ最後の晩餐会
晴天→曇り→雨 天候不順
午前5時起床。 気温28度、湿度90%。
いよいよ秋冬の長期雨季に突入した模様。例年とは
雨季突入の仕方が大分違う。異常気象の影響か?
午前5時(日本時間午前7時)のNHKニュースを見る。
ミャンマー問題。日本の動きは鈍い。福田首相は
「制裁がいいのか分からない」という趣旨の発言をしている。
既に欧州やアメリカは経済制裁を初め独自の制裁を決めている。
ミャンマー軍事独裁政権がクーデターで実権を握った以降の
日本と欧米の対応の違いが尾を引いている。
選挙で勝利したアウンサンスーチ女史をクーデターで
倒した軍事独裁に対し、欧米諸国は厳しく対応したが、
日本は直ぐに独裁政権を承認し、ODA援助も続けていた。
結果的には日本政府の支援が軍事独裁を支えた一面が
あった。そうしたこれまでの対応が、今回の蛮行に対する
厳しい対応と甘い対応の違いを生んでいる。
ブッシュ大統領は国民に軍事独裁と戦おうと呼びかけさえ
している。
午前7時朝食。ブンボー。
地球の歩き方Ⅶの帰国航空券問題でいくつかのメール
を書き、必要な機関に連絡。
午前8時半、ベトナム事務所へ。
午前9時、新しいベトナム人の日本語教師Kさんと面接。
バオミンさん、フーンさん、税田さん、私。
1時間半ほど種々の話をする。来週日本語の先生全員を
交えて再度の話し合いを行う予定。
今後、一般コース、観光基礎コース、研修生派遣コース
などを行う。
午後12時昼食。そーめん。
午後1時から1時間ほど昼寝。
『はみ出し人間の系譜』読了。
「北斗の人」(司馬遼太郎著:角川文庫)読み始める。
千葉周作の生い立ちからの話。
午後3時、バオミンさんから電話。ベトナム航空
フエ支店に行く。地球の歩き方Ⅶの皆さんの航空券の
確認。8人の人がホーチミン市から関空へ帰る予定だったが
ベトナム航空のオーバーブッキングで全員が成田に行くこと
になった。これはベトナム航空側の依頼を仕方なく受け入れた
もの。昨日ピースボートから連絡があり、全て変更手続き終了
とのこと。バオミンさんが午前中、ベトナム航空フエ支店に行くが
誰もいないとのこと。
バオミンさんは、午後1時半過ぎに再度ベトナム航空フエ支店
に行き、全員、成田行きに変更されているか確認する。
ベトナム航空の日本支社は「変更は全て完了した」と言っているのに
ベトナム国内では何も「変更されていない」という。
どうなっているのだろうか?このベトナム航空とは。
日本のベトナム航空は変更したといい、ベトナム航空本国では変更
していないという。
バオミンさんからの電話を受けて、急いで東京のピースインツアー
に電話。ベトナム航空の日本支社に確認し、ベトナムで「変更」
が確認できるようにするよう依頼して欲しいと頼む。
明日は日曜日。ベトナム航空は休み。明後日は、成田へ帰る
日となる。今日中にこの問題を解決しておかないと、お客さんは
10月1日の夜、ホーチミン航空で大混乱となるのは必死。
午後4時、日本のピースボートから電話あり。
ベトナム航空日本支社は今日土曜日で休みとのこと。
トホホ・・・。
東京のピースインツアーから「変更確認」のFAXを
送ってもらう。そのFAXを持って再度バオミンさんに
ベトナム航空フエ支店に行ってもらう。
FAXで「変更確認」を確認してもらい、ホーチミン支店まで
連絡し、やっと、ベトナム国内でも「関空から成田へ」
航空券のパソコン上での変更が確認された。
こんな単純なことでも1日かかる国である。情けない。
あとは、10月1日月曜の夜、ホーチミン空港で変更航空券を
手に出来るかだ。何とかうまく物事が進むことを祈るのみ。
午後6時半、地球の歩き方Ⅶの皆さんとフエ最後の晩餐会を
日本料理店で行う。皆さん、アオザイを着ての登場。
●バオミンさんの説明(リー君も手伝う)
●バオミンさんの音頭で乾杯
●リー君とベトナム事務所スタッフ
リー君に日本の祭り半纏をあげる
●2日間「休肝日」を取った。今日は飲んだ。
●地球の歩き方晩餐会②
●石塚先生も晩餐会の手伝い。感謝
●グエットさんも奮闘
●バオミンさんJASSベトナム運営委員長と皆さん
午後9時まで交流会。
その後、帰宅。明日の帰国準備。パスポート、航空券等の
確認。2ヶ月の間、日本での仕事に必要な資料等の確認。
明朝は午前5時半フエを出てダナンへ行くので早めに寝る。
2007年09月28日
夏のスタディーツアー最後の取り組み
晴れ・曇り・雨
午前5時起床。NHKニュース(午前7時)を見る。
ビルマ問題がトップニュース。
日本人記者が殺されたというのに政府高官の発言には
怒りが見えない。人ごとのような態度である。
自国の無防備なジャーナリストが射殺されたという重大な
国際問題という自覚に欠ける。
無抵抗な市民や僧侶に軍が銃を向け、射殺するなど世紀の蛮行
である。日本政府の徹底した糾弾声明が必要。
午前7時朝食。フォー。
朝食後、一時帰国の荷物整理をする。7月15日に日本から
帰った時と同じ状態で荷物が詰まっていた。
この2ヶ月半、スーツケースの中を整理する余裕がなかった。
まず、7月15日に帰った時の荷物の整理から始める。
洗濯。
午前9時、徒歩ベトナム事務所へ。久しぶりに徒歩。
ハンさん、税田さんと会計の問題で話し合う。
バオミンさん、ソン君、リー君は地球の歩き方ツアーⅦの
皆さんとナムドン山岳少数民族交流へ。
午前10時過ぎ、関西地方の支援者のMさん姉弟がベトナム事務所
を訪問。11時半位まで四方山話をする。
昼食。コムディア。
午後1時から1時間ほど昼寝。読書の時間はない。
10月・11月と2ヶ月間日本の滞在し、講演会などを行う。
その間、ボランティア貯金中間報告、雑誌『子どもと教育」の
原稿2回分を書く。そのための資料、写真等を事前に準備して
帰国しなければならない。様々な資料や200枚ほどの写真を
CD保存する。
ピースインツアーの担当者と10月1日のホーチミン市から成田経由
関空までの飛行の件で打ち合わせ。
支援者に手紙を書く。 講演会要請あり。
午後5時前、第2回目の洗濯。
午後5時、ベトナム事務所へ。
ベトナム事務所3階の刺繍みやげ物店に地球の歩き方ツアーⅦの
皆さんが刺繍作品を買いに来てくれていた。ありがたい。
午後5時半、日本料理店で子どもたち、日本人と一緒に夕食。
ナムドン山岳地帯に行ったリー君が少数民族の皆さんとの
交流で地酒を15杯ご馳走になったという。上機嫌。
午後6時半、ハノイの日本大使館から電話あり。
午後6時半日本料理店開店。
直ぐに日本人の若い男性。午後7時、ベトナム人男女。
欧州NGO2人。合計 5人。
9時前に部屋に戻り、洗濯物を取り入れる。
2007年09月27日
A君退所の話:フエ市外務部長懇談
晴天
気温30度 湿度75%。
午前6時起床。毎日の血圧測定。血圧が安定してきた。
訪問者対応と血圧アップとは比例する。また、様々な
「底流」の難事との精神的な闘いの問題も血圧に影響
があるようだ。
医師の指示で2000年から毎日朝起きた時(排尿後)の
血圧の測定をしている。7年間、紆余曲折あり。
降圧剤、血液凝固阻止剤も欠かせない。
午前7時朝食。ブンボー。
一昨日、新日本料理店に旧日本料理店からテレビを移動した。
地元ケーブルテレビをいれ、無料のNHK海外衛星放送を
見ることが出来るようになった。
トンチンカンホテルも無料のNHK海外衛星放送が入っていたのだが、
ある日突然「切れて」しまった。
昨日、バオミンさんからNHK無料衛星放送の「引き出し方」を
教えてもらい、トンチンカンホテル自室で試してみる。
NHK海外衛星放送が見られるようになり、日本の情報がある程度
入るようになった。
午前9時、ベトナム事務所へ。必要なメールなどの受信・送信。
午前10時過ぎ、バオミンさんと一緒に「子どもの家」へ。
先日の「子どもの家」A君を引き取りたいと名乗り出た
A君の「遠い・遠い親戚の人」なる人と話し合う。
私、セン委員長、バオミンさん、A君の母親、「遠い親戚?」。
そこで分かったことは、この50歳代の女性はA君の親戚でも
何でもない人だった。
話し合いの冒頭から「態度がでかい」。「子どもの家」が
貧乏で「自分は金持ち」とのミエミエの成金の態度。
私の方で「あなたは、A君と関係ない人ですが、どうして
A君を引き取るのですか?」と質問する。「母親が頼みに
来たから」との答え。「A君を育てる経済力はありますか?」
「『子どもの家』にいれば、このまま高校で勉強し、大学に
入学したら卒業まで面倒を見ることが出来るが、
他人のあなたがA君を引き取ると言っているが、A君の
生活の面倒を最後まで見ることが出来ますか?」と聞く。
「お金があるから出来る」との答え。
「仕事は何をしているのですか?」。
「船上観光船を5隻持って観光船業をやっている」とのこと。
小型の木製の船である。一般的には船上生活者の皆さんが
生業にしている。色々話を聞くとちょっと前までは、
路上で天秤棒を担いで「うどん」を売っていたとのこと。
最近の「小バブル」で小金が入った一時成金丸出しの
態度である。悪いけれど指にキンキラキンの指輪を
ゴテゴテつけている。一貫して「自分は金持ちだ、
貧しい「子どもの家」の子どもたちを引き取るのだ」と
勝手に決め付けている節が見られる。
「仕事が途中で失敗し、A君を育てられなくなったら
どうしますか?」と聞く。失敗しないと答える。
初めから威張った、センさんや「子どもの家」を見下した
偉そうな態度が気に入らない。
私たちは、この10数年間で4億円ほどかけて「子どもの家」
や様々な子どもたち支援の活動をしている。
A君は「子どもの家」で8年間生活し、高校に入学し、現在は
大学受験の勉強していて、何も問題はない。「子どもの家」も
困ってA君に出て行ってもらいたいとは思っていない。
あなたが親戚の方なら、A君を引き取る意味はあるかも知れ
ないが、A君と何も関係のないあなたが突然「子どもの家」に
来て、貧しい「子どもの家」の子どもたちだから引き取ります
というのは、少し筋が違うのではないですか?と問いただす。
女性は『「母親に頼まれた」という。母親は、自分の意見を
持っていない。
女性にA君が大学受験に失敗したらどうしますか?
と聞く。「観光船で働かせます」とのこと。なんとなく
胡散臭い(うさんくさい)、一時成金の影に「におう」ものあり。
今日は、初めてあったので、よく、お母さんと話し合って
欲しいと言って、今日の話し合いを終わる。
ちょっと前までは、その日暮らしの生活をしていたようだ。
このところの「小型バブル」で多少お金が入り、「お金持ち」
気分になり、人にお金があることを自慢したい人と言う
見方で関係者は一致した。この女性がA君を引き取る
事情と理由が見出せない。話を聞いた範囲では
私たちに威張って引き取るなどというほどの経済力は
なさそう。最近の私の身の回りには、少しお金が懐に
入った「一時成金が」が「お金があるぞ」、と人に見せびらかし
たい人間が跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)している。
浅ましい人間の気持ちではあるが、これも致し方のない
人間の気持ちでもあるのだろうか?
昼食。コムディア(ベトナム風ほか弁:70円)
1時間程昼寝。
NHKニュース。ミャンマーの僧侶を大量逮捕。発砲。
夜のニュースでは日本人も死亡したとのこと。
独裁国家は怖い。人間の命の重さの理解がない
連中。
午後3時半。バオミンさんと一緒にフエ市人民委員会
外務部へ。ニエン外務部長と懇談。
当面の諸問題について意見交換。合意。
午後5時、ベトナム事務所へ。いくつかのメールへの
返事を書く。
午後5時半、日本料理店で子どもたち・日本人スタッフと
一緒に夕食。今夜は、「カエル」の油いためがおかず。
私は「カエル」と聞いただけで、箸が動かない。
ピースインツアーから連絡あり。
現在フエに来ている地球の歩き方スタディーツアーⅦ班の
皆さんの中でホーチミン市から関空へ帰る人の切符が
なくなったとのこと。
事情を詳しく聞く。来る時と同じ問題が起こっている。
ホーチミン市から関空へ行くお客が予想より少なくなり、
大型飛行機を小型機に変更した。それに伴い、若干の
乗客の席がなくなってしまった。(オーバーブッキング状態)
一人一人のお客に連絡するのが面倒くさいのだろう。
結局、小型機に乗り切れないお客の中の「団体客」を狙い
切符をホーチミン市→成田→羽田→関空に変更して
欲しいとのことである。
ベトナム航空は本当に呆れてしまう航空会社である。
自分たちの「金儲け」しか頭にない。金権主義の権化である。
大型機に少ないお客を乗せたのでは儲けが少なくなるとの
判断から勝手に小型機に変えてしまう。そのあおりを受けて
「あぶれた」団体客は、結局、ホーチミン市から成田に行き、
更にバスで羽田経由関空と6時間近くの時間の浪費と
体力の消耗となる。当初からホーチミン市→関空と契約して
いたものである。ベトナム航空は契約など頭にない。
社会的責任も頭にない。ただただ「金儲け」だけである。
ピースインツアーの担当者からの依頼があり、8人の
関空へ行くお客さんに連絡し、相談して欲しいとのこと。
夕食を途中でやめて、急いで地球の歩き方Ⅶの皆さんが
「子どもの家」での夕食を終わりホテルへ帰ってくる時間
にあわせ、ホテルへ急行。数分のタッチで間に合う。
ホテルのロービーで8人の関空帰りのお客さんに
説明しようとホテルのロビーに行くと、ロビーも結婚式場と
化していた。お客が多く1階の式場だけでは間に合わず、
ロビーも式場にしてしまった。ロビーは全てのお客さんの
もののはず。これも金権・金儲けしか考えていないフエの
昨今の実情を反映している。
しかたないのでトンチンカンホテルの1階に8人の方に来てもらい、
状況を説明する。幸い、8人のお客さんは快く成田→羽田→関空
への空路変更を了解してくれた。ありがたいことである。感謝。
急いでピースインツアーに連絡。これからピースインツアーと
ベトナム航空日本支社との話し合いに入る。うまく話が進む
ことを祈る。ベトナム航空の無責任・金権体質には本当に愛想が
尽きる。
午後6時半、日本料理店開店。店長のニーさんが体調を
崩し休む。
午後9時半閉店。日本人4人、ドイツ人2人、ベトナム人1人、
欧州1人の合計8人。
今日は1日、悩ましい問題ばかりだった。
NHKニュースで年収200万円以下の労働者が1000万人を
超え、全労働者の4人に一人になったという。
超格差社会が到来している。これは、政治の結果である。
福田首相がその継続を誓った「小泉構造改革」の結果である。
更にこの路線を進める自公政権の未来はない。
今日から「六者協議」が始まった。核問題の米朝協議が進展
いているようだ。安倍前首相の政権投げ出し、自民党の
総裁選挙の2週間の間に、日本抜きで話はドンドン進展して
しまっている。福田首相選出の日にヒル国務次官補が訪日
したが、会う相手がいない。中山補佐官が会っている。
首相も外相もいない。これで「拉致問題は・・」などと大見得を
切っても世界の外交からは、既に見放されているかに
見えるわが日本である。日本抜きで米朝合意を基礎に
中国・韓国・ロシアの大筋の合意は出来上がっている。
外交下手の日本。
2007年09月26日
地球の歩き方ツアーⅦ班活動開始
晴天 午後曇り
気温28度 湿度80%。
午前6時半起床。
午前7時朝食フォー。
午前7時45分、地球の歩き方ツアーⅦの皆さんの泊まっている
ホテルへ。既にハンさん、ソン君が来ていた。
地球の歩き方ツアー(16人)の皆さんに自己紹介の挨拶をする。
その足でベトナム事務所へ。
ベトナム事務所では事務所員全員が待機。地球の歩き方ツアーの
皆さんに挨拶。
地球の歩き方ツアーの皆さん
ベトナム事務所員全員の自己紹介後、3階の刺繍土産物店視察
地球の歩き方ツアーの皆さん、税田さん、ハンさんと一緒に
バスで「子どもの家」へ。
「子どもの家」で子どもたちと文化交流。
セン運営委員長の挨拶(ハンさんの通訳)
子どもたちの踊りや歌
地球の歩き方Ⅶのお返しの出し物。「大きな栗の木の下で」。
子どもたちと一緒に「大きな栗・・・」を歌い踊る
地球の歩き方スタディーツアーの皆さんと一緒に楽しむH君。
交流会終了後、税田さん・ハンさんのグループに分かれ
「子どもの家」の施設を案内する。
ハンさん案内。子どもたちと記念撮影
午前10時、音楽室で小山講演会。1時間半。
午後11時50分。レストラン「フォーサイゴン」で
フォー(米うどん)の野菜炒め。
午後1時、自室着。
しばらく昼寝。読書「はみ出し人間の系譜」
メールの送受信。
午後4時。ベトナム事務所へ。
ベトナム事務所では、旧日本料理店のあった大きなテレビを
移動し設置。丁度、午後4時に昨日の「中秋特別番組」の
再放送があった。
日本料理店の子どもたち、ベトナム事務所のスタッフ全員で
鑑賞。
リー君と業者が協力してテレビを設置する。
昨日放映された「中秋祭り特別番組」の再放送を皆で見る。
テレビでは私の活動紹介。ソン君のインタビューが放映されていた。
午後5時半、子どもたち、日本人スタッフと夕食。
その後、母親の「勧誘」を拒否して日本料理店に残る決意を
したリー君と「人生を語り合う」。
日本料理店の今夜の来客2人。
午後9時過ぎ日本料理店閉店。
2007年09月25日
地球の歩き方ツアーⅦの皆さん、フエ到着:中秋祭り
曇り 夜豪雨。
気温27度 湿度75%。
秋模様。
午前6時半起床。
午前7時朝食、ブンボー。
午前9時、ベトナム事務所へ。
東北大学での講演会の打ち合わせメール。
その他、当面の必要なメール送受信。
日本料理店などベトナム事務所の建物にNHKケーブル
テレビを設置する。NHK衛星放送が入るようになったが、
雑音がひどい。今後、修正が必要。
昼食、そうめん。
1時間ほど昼寝。
読書「はみ出し人間の系譜」
いくつかのメール受信。返信。
午後4時過ぎ、ベトナム事務所へ行く途中、
地球の歩き方ツアーⅦを出迎えに行っているバオミンさんから
電話。ホーチミン空港で問題が起こっていると。
成田で乗ったお客さんのコンピュータの記載が成田→ハノイ→
フエとなっているとのこと。国内線チェックインカウンターで
トラブル中。ベトナム航空側の言い分は、コンピューターには
成田→ハノイ→フエとなっているので、ホーチミン空港からフエへは
行けないという。しかし、チケットは成田→ホーチミン→フエである。
急いで日本の観光会社ピースインツアーに電話をする。
事情が判明。
今朝、成田空港にお客さんを案内して到着。成田空港内
ベトナム航空のチェックインカウンターで手続きをする。
その際、予定の飛行機を小さくした(オーバーブッキング)ので
団体のピースインツーは、成田→ハノイ→フエに変更したと
言われる。本人にも観光会社にも何も連絡をせずに一方的に
飛行ルートを変更するなど国際常識を著しく逸脱している。
当初大型飛行機を予定していたが、お客が少なく
小型飛行機に変更。すると一部のお客が乗り切れず、一方的に
一部のお客をハノイ行きの変更したというのが真相。
ベトナム航空の金権体質を如実にあらわしている。
金金金しか頭にない航空会社である。
ピースインツアーの担当者は一方的な変更を断固拒否。
ホーチミン市には
現地の旅行会社(JASS観光)が待っているので、一方的な
ルート変更は応じられないと主張。結局、チケット通り、
成田→ホーチミン→フエとなり、搭乗。ホーチミン市に着く。
しかし、事前に勝手に変更してしまったベトナム航空内の
コンピューターは、成田→ハノイ→フエのままになっていた。
そのためホーチミン空港国内線カウンターでは、受付を
拒否したのである。
バオミンさんはそうした事情は全く分からないので、ホーチミン空港
国内線カウンターでコンピュータ上に名前が搭載されていないが
チケットには、ホーチミン→フエとあることをテコに交渉を続けていた。
東京ピースインツアーの方でベトナム航空日本支社と連絡を取り
急いでコンピュータ内の間違った名前記載を訂正するよう要請。
それを受けてベトナム航空は本来の成田→ホーチミン→フエと
コンピュータ内の名前を記載訂正する。
やっとホーチミン国内線でチョエックインが出来るようになった。
全くもっていい加減と言うのか、出たら目なベトナム航空の
対応である。
さて、16人のフエ行きのチェックイン手続きを終えようとした時、
一人分のボーディングパスが足りない。ホーチミン空港国内線
チェックインカウンターの女性職員の怠慢による印字忘れ。
しかし、女性職員は私は16人分ボーディングパスを印字し
渡したと主張。バオミンさんは、もらっていない、今、もらった
ものを数えて1枚足りないのだから、あなたが印刷をするのを
忘れたのだ、との言い合いとなる。
ベトナム空港の幹部を呼ぶ。幹部は「切符を買い直せ」という。
チェックインカウンターには、長蛇の列。バオミンさんは
諸状況を総合判断して、不満ではあるが、仕方なく1枚切符を
新たに買わされる。こんな不当な話はない。
女性職員の無能・怠慢で印字をし忘れたのにも関わらず、
新たに切符を買わせるなど、言語道断。ベトナム社会の
「金・金・金」、金儲けしか頭にない。社会的・国際的な責任感の
欠如もはなはだしい。そんなこんなことがあった
地球の歩き方ツアーⅦのスタディーツアーの皆さんは、
「無事」8時40分、フエ空港へ到着。サンさんソン君が出迎え。
午後5時半、日本料理店で夕食。
夕食後、リー君はフエ空港へいくつもりでサンさん・ソン君と
待ち合わせをしたが、うまく会えず帰ってくる。
今日は中秋祭り当日。町中に太鼓の音にあわせ獅子舞をしながら
町を練り歩く。町内ごとの獅子舞は子どもたちの年一度の
楽しみでもある。
日本料理店前にも地元の子どもたちが4頭の獅子舞を従えて
やってくる。
日本料理店前は百人以上の「野次馬」で一杯となる。
店長のニーさんが8組分の祝儀袋を用意し何がしかの祝儀をあげる。
その後、数組の獅子舞軍団が来訪。店長のニーさんが
祝儀をあげる。
午後8時、NHK衛星放送。福田新首相の記者会見を
途中まで見る。
会見の第1は、年金問題を解決すると言明。
しかし、福田氏は数日前、5000万件の「名寄せ」作業が
2008年3月までに(安倍首相の約束)出来なくても政治責任はない
と発言している。
努力目標とも言っている。その舌の根も乾かない
うちに「年金問題の説明責任を果たすのが義務」と言うのは、
矛盾もはなはだしい。第2が政治と金の問題、第3が国会運営。
野党とも話し合っていくと言っていた。今までが酷かった。
ほとんど少数意見を無視してのファッショ的な国会運営・強行
採決を繰り返してきた。
街頭の声では、「先祖帰り内閣」と言っていたが、しばらく忘れて
いた「派閥親分」揃い踏みの内閣ではあるが、
外壁は剥げ落ち、すわりの悪い、活力のない
「先祖帰り内閣」「古色蒼然内閣」ではある。
早々に衆議院の解散をせざるを得ない、「選挙管理内閣」
かも知れない。
午後6時半、日本料理店開店。
午後9時半閉店。来客3人。
帰宅は豪雨の中。リー君は、地球の歩き方の皆さんの
荷物が届くホテルに行くという。リー君と一緒にホテルまで行く。
午後9時45分から先日録画した「中秋特別番組」が放映される。
「子どもの家」の子どもたちの踊りも披露される。
午後10時過ぎ、ピースインツアーからメール。
今日のホーチミン空港のトラブルの詳細確認の問い合わせ。
熱心な会社である。日本時間午前0時過ぎである。
午後10時半、バオミンさんと連絡。ホテルにいるバオミンさん
から今日のホーチミン空港でのトラブルの詳細を聞く。
ピースインツアーに報告する。二度とこうしたことがあっては
ならない、が、またあるでしょう。
一党独裁の「批判を排除する体質」が続く限り、腐敗も続くもの
と思われる。波田陽区ではないが、『残念』。
2007年09月24日
観光・ピースボート・日本語学校等打ち合わせ
曇り 肌寒い
気温 28度。湿度75%。(廊下)
午前6時起床。
午前7時朝食フォー。
午前8時半過ぎベトナム事務所へ。
『JASS観光』関係者の皆さんの打ち合わせ。
スタディーツアー以外の観光の仕事も徐々に入ってきている。
ベトナム事務所の力の許す範囲で受けるようにし、少しずつ
一般の観光(ハノイーハロン湾ーホアン・ミーソン・フエーホーチミン)
なども手がけるようにしたい。
午前9時半。日本語学校関係者と打ち合わせ。
今後の日本語学校の授業、人員配置、新しい先生のことなど
を打ち合わせする。丁度、日本語学校関係者会議中に
新しい先生候補者とJASS日本代表委員会委員長の
福田もえ子さんが電話で打ち合わせをしていたことになる。
午前10時過ぎ、ピースボートのLEOさんがベトナム事務所
来訪。
9月30日ダナン入港のピースボート受け入れ準備の状況など
を打ち合わせする。
9月30日(日)は午前5時半にフエを出発。私、バオミンさん、
税田さん、ソン君、リー君。
午前8時にダナン港に入り、午前8時半に45人のピースボート
のお客さんを乗せ2台のバスでフエへ向かう。
昼前にフエに入り、ホテルチェックイン。その後昼食。
昼食後、日本語学校に行き、私が1時間話すことになった。
午後2時に「子どもの家」訪問。交流会。夕方、日本料理店
で夕食。翌日は、午前中市場に買い物。昼食を作り
子どもたちと一緒に食べて、ダナンヘ帰るという日程である。
午後1時、昼食。一昨日の地球の歩き方晩餐会の残りのご飯。
体調は下り坂から上り坂に。少しずつ好転している。一安心。
昼寝。1時間。
読書「はみだし人間の系譜」(杉本苑子著)
24人まで読む。それぞれ実在の話だったようで
興味を持って読む。
午後3時半。11月から連載する雑誌「子どもと教育」の
原稿・写真などを整理。最低半年(6回)ほど書く予定。
毎回3000字~4000字。
6回ほどの連載の内容と順番等を考える。
ベトナム事務所関連で関係する会社からの質問に答える
文章を書く。バオミンさんと協力して。バオミンさん作成の
資料を追加挿入する。
9月30日、帰国の整理・準備をする。
午後3時頃から安倍首相の「首相辞任」の記者会見が
あるという。見たかったが、NHK衛星が映らないので
見られなかった。CNNをつけていたが、数時間たって
も放映はなかった。メディアの世界は冷たいというのか
現金なものである。権力がなくなった途端に見向きも
しなくなるのである。福田氏が総裁に当選した映像は
何度か放映されたが、ついに安倍首相の辞任は
放映されず。
午後6時のCNNのトップニュースはミャンマーの
ヤンゴンでの大きなデモとデモに自宅で応える
アウンサンスーチー女史。ロンドン特派員が
詳しく10万人のデモを報道していた。特に強調して
いたことは、デモが僧侶とアウンサンスーチー派、市民との
反政府・反軍政デモに発展したこと。
1989年の軍事クーデターからの歴史を振り返っていた。
2番目のニュースはイランの大統領がアメリカの
コロンビア大学で講演する計画がある。
国連総会出席のため。
この問題について、CNNは繰り返して放映して
いる。その賛否両論を。特にユダヤ系の人々の
反対意見を・・。
2007年09月23日
体調を崩し、終日寝ている
曇り
数日前から気温が27度程度に落ちる。33度から35度の
頃に比べると5度から7度も急激に下がる。
ベトナム事務所員もバオミンさん・ハンさん・サンさん・ソン君と
順々に体調を崩して来ている。
日本人スタッフも気をつけなければ、と思っていた矢先、私がダウン。
37度ちょとの微熱、倦怠、頭痛。幸い食欲あり。
この数日、どうしても寝込むことも出来ずにいた。昨日も
中秋祭り・地球の歩き方Ⅵの晩餐会。
ーーーーー
今朝は10時まで寝ていた。いくら寝ても寝られる。
朝から一日中、中秋祭りの太鼓が響いている。
隣りのホテルでは、何かの行事をしているのだろうか、
朝から大きな音で太鼓をドンドンたたく。うるさくて眠れない。
午前10時半、朝食。昨夜の晩餐会の残りを調理のウエンさんが
お土産に包んでくれた。ご飯、胡麻和え、ポテトサラダとお茶で
朝食。
それほどの高熱でもないので本を読む。と言っても軽い本。
「幻の光」(宮本輝著)読了。
「こうもり」「寝台車」。絵で言えば水彩画。
私の好きな上原隆「雨に濡れても」と筆致が似ている。
淡々と書いているだけだが、読み終わると心にひっかるものが
ある。水彩画を見た後、人生の機微・人生の変転などを
考えてしまうような本である。筆者の力が想像力を引き出す。
「はみ出し人間の系譜」(杉本苑子著:中公文庫)
微熱に丁度良い本である。変人奇人の話。
原作は伴こうけい「近世奇人伝」と八島五岳「百家奇行伝」から
64人の変人奇人を選び、杉本氏の私見も交えて紹介。
変人奇人といわれる人たちは、ある意味でその時代の
偉大な反逆者だと言っている。「あざけりや悪口に屈し、
中途半端なままで投げ出したら負けなのだ。世間的な
常識を蹴飛ばし、はみ出し人間の道を選んだ以上、
孤独は一生の道ずれと、覚悟しなければならない」と
書いている。
午後2時頃、CNNテレビを見ていたら「福田氏PMへ」
と言った見出しがでた。福田康夫氏が自民党総裁になった
ことが分かった。
日本という国は不思議な国である。「恥じ」という言葉が
死語になったようだ。
参議院選挙で自民党が大敗した。民意をうけ辞任するのかと
思ったら安倍首相は居座った。1ヶ月間も組閣を伸ばし、
第2次安倍内閣を組閣。インド・オーストラリアでは、テロ特捜法を
成立させるとの海外公約を勝手にしてきた。やる気満々。
いよいよ「ねじれ国会」が始まった。安倍首相の所信表明演説。
参議院選挙大敗の総括がきちんとできないまま、スローガンを
叫ぶだけ。新聞(インターネットだが)でも「虚ろな所信表明」
など書かれてしまった。1日明け、いよいよ各党の代表質問
となったら、突然辞任。政権投げ出し首相。前代未聞。
政権投げ出し自体が恥ずかしいことである。
それから自民党という一政党のために国会が休止状態。
10日間の自民党総裁選挙のために国会は37億円の浪費を
しているとのこと。ばかばかしい。そのうえ、国民に大迷惑を
かけている自民党が街頭に繰り出し「総裁選挙」をしているという。
国民に投票権はありません。勝手に自民党の中でやったららどう
ですか?
そんな馬鹿げたパフォーマンスをする前に、貴方たちは現在
『謹慎中』の身なのです。国民にお詫びをすべきである。
貴方たちに「厚顔無恥」という言葉を送りたい。
選挙に負けて1ヶ月間も組閣の準備をしながら、突然
政権を投げ出した自民党としてのお詫びが必要。お詫びの気持ち
があるのなら、街頭で福田・麻生の派手なパフォーマンス
などは、「恥を知れ」と一喝したい気持ちである。
現在も安倍氏は首相である。病院に篭ってしまい、
当初4・5日の入院という病気の詳しい病状も明らかにされていない。
既に入院して10日以上が経っている。首相代理も置いていない。
安倍氏が病院で決済しているという。しかし、与謝野官房長官が
安倍氏の会うのはたった10分。海外メディアは、「日本は不思議な
国だ。最高責任者が機能しなくても国が動いている」と報じている。
今、大きな地震や重大な出来事が勃発したらどうするのだろうか?
国民への危機管理義務遂行能力ゼロの自民党である。
福田でも麻生でも「小泉・安倍構造改革」を継承すると言っている。
大同小異である。内閣投げ捨て安倍首相の血迷った暴挙で
浪費した国会の無駄遣い37億円(東京新聞試算)で世界の
ストリートチルドレンが12万人(1年間)救われるという試算を
してみた。「お目出度い」我が日本ではある。
「腐食」とか「劣化」という言葉があるが、まさに自民党は
腐食・劣化の真っ只中。といいながら、そのこととばは、
そうした自民党の馬鹿げた行動とパフォーマンスを許している
私たち国民に向けられていることを自覚しなければならない。
劣化・腐食は国民の現実の反映。
血圧と体温が更に上がる。
午後10時過ぎまで中秋祭りの太鼓が近くでなり続ける。
お祝いとはいえ、迷惑千万。歓声とドンドンドンドンと打ち続く太鼓。
眠れない。困ったものだ。明日も続くのか?
2007年09月22日
「子どもの家」中秋祭り:地球の歩き方Ⅵお別れ晩餐会
終日雨。寒い
午前5時半起床。微熱・頭痛・鼻水。
午前7時朝食ブンボー。
体がだるい。しばらく横になり、読書。
「美は乱調にあり」(瀬戸内晴美著)読了。
大杉栄と伊藤野枝が大正12年の関東大震災で
甘粕憲兵大尉によって虐殺されるまでの人生が
書かれていると思ったが、その以前の野枝の
恋愛を長々と書いて終わってしまった。物足りない。
それでも野枝が福岡の田舎で生まれ、成績優秀。
アメリカへ行けるというはかない希望だけを頼りに
結婚するが、1日で東京に出てきてしまう。
上野高等女学校の卒業生総代。感受性豊かで
野性味のある野枝と英語教師辻潤の恋愛が
最初の山場。辻は東京下町で育ち、英語教師であり
また実践はしないが社会主義・無政府主義に造詣が
深かった。そうした辻から野枝は強い影響を受ける。
次の山場は「青踏」。平塚明子(らいちょう)との出会い。
青踏社に参加した「新しい女」たちの当時の社会のタブーを
破る種々恋愛。そして、無政府主義者大杉栄との出会い。
大杉の「自由恋愛論」に従い、大杉の奥さん、当時最先端
の仕事だった「女流新聞記者」神近市子、野枝との
「4角関係」の自由恋愛。葉山日陰茶屋事件で神近市子が
大杉を刺傷させるところで本書は終わっている。その後、
大杉と野枝がどんな人生を歩み、28歳で殺されたのか
のあたりを読みたかった。
それでも瀬戸内晴美40歳頃の作品であるだけに人間国宝
寂聴の枯れたお説教・人生論には至っていないが、
むしろ女性・「女」に多少年季の入った年頃になった
瀬戸内晴美の恋愛論・男と女の心の行き違いの機微を
生々しく書いている。体験的小説と見た。
午前9時、雨が止んだのを見計らってベトナム事務所へ。
体がだるい。いくつか必要なメールの返事を出す。
おきているのがつらく、横になる。
読書「幻の光」(宮本輝著:新潮文庫)
宮本輝は私と同じ1947年生まれ。4編の短編集。
「幻の光」を読む。著者32歳頃の作品。
やはり文才のある人の文章は違うなと思った。
32歳の頃、私は何をしていたのだろうか?
落語・講談・漫才の評論家になろうなどと模索して
ことを思い出す。
能登を舞台に再婚した女性が最初の夫の自殺の原因と
幻影を追っていく話。能登の暗い冬の海の描写が話の
内容とマッチし、人生を考えさせるものとなっている。
著者がこの短編で何を言おうとしたのかは分からないが、
線路を歩いている前の夫が自殺した理由を「体から精が抜けて
しまった」からと表現している。山場も特にない単調な筆致であるが
能登の冬と暗い海と雪を吹き飛ばすような風の雰囲気が読み取れる。
昼食。おかゆを作る。
2時間ほど昼寝。
目が覚めると、ボランティア貯金から感想・コメントを求められている
ことに気づく。9月25日締め切り。急いで、書く。
ボランティア貯金として冊子にするそうだ。活動実績・ボランティアの
大きな意義などを書き、写真をつけて担当者に送信する。
小泉「郵政民営化」選挙は私たち海外ボランティアにも大きな
打撃を与えている。ボランティア貯金が2007年9月末で「廃止」された。
郵政省が郵政公社になり、小泉構造改革で民営化。
それに伴ってボランティア貯金交付金もその法的な根拠を
失い、なくなってしまった。郵政民営化選挙で、小泉首相は、
郵政民営化が「構造改革」の突破口だとして、郵政民営化か、
反対かとの二者択一の選挙戦術を取り、マスコミもそれに乗った。
しかし、少しずつ時間が経ってくると「小泉改革」は弱者切捨て、
福祉切捨てのニセ改革だという実態が分かってきた。
ワーキングプアーなどということばは、今では誰でも知っている
言葉となった。
ボランティア貯金は14年間で188億円もの寄付金が集まった。
2007年月末時点で2,551万件の加入があり、96か国・地域に
延べ2,577団体が実施する延べ3,107事業に対し、
約188億円の寄附金を配分して来た。大いに意義のある
郵政省の制度であった。2007年9月末でボランティア貯金と
いう制度を根拠付ける法律がなくなり、今まで寄金されていた
残りの寄付金を独立行政法人郵便貯金・簡易生命保険管理機構
が、なくなるまで引き継ぐということになった。
民営化された後は、制度としてのボランティア貯金はなくなる。
こうして小泉構造改革の影で海外のストリートチルドレン・障害児
貧しい子どもたちへの支援金、海外活動をしているのボランティア
の日本人への生活支援がなくなっていくのである。残念でならない。
などと考えていると更に熱が出てきた。
やらなければならない仕事、書かなければならない文章がたくさん
あるが、だるくてきちんとした文章を書く気力が出てこない。
今日は無理。
午後5時40分、バオミンさん、仁枝さん、ハンナさんと一緒に
「子どもの家」へ。
今日は「子どもの家」の中秋祭り。
楽しい
「テト 中秋」 JASS
2007
37 グエンチャイ「ストリートチルドレン」の家
今日は地球の歩き方Ⅵの皆さん、在宅支援の子どもたち、
ボランティアで子どもたちに勉強を教えてくれている
フエ師範大学の学生、ベトナム事務所員、「子どもの家」
スタッフなどが集まり、ベトナムの「子どもの日」である
中秋祭りを楽しんだ。
テレビ局も取材にやってきた。
開会前から「子どもの家」は、中秋太鼓をたたき雰囲気を
盛り上げている。
子どもたちも年に1回の「子どもの日」。お正月とこどもの日が
一緒に来たような雰囲気である。
セン委員長の開会の挨拶
続いて私の挨拶
いよいよ中秋祭りの呼び物「獅子舞」が始まる。
2頭の獅子舞がからみあう。
会場・参加者も大いに盛り上がる
子どもたちの出し物
●中秋を祝う踊り
●低学年男子の「ヒップホップ」。
●サンバのリズムに合わせて「焚き火」を囲んで踊ろうよ
会場の真ん中には「中秋お祝い」のケーキが飾られている
会の最後に子どもたちにお祝いのお菓子や果物を上げる
在宅支援の子どもたちも参加
1時間半の中秋祭りは、和気藹々・楽しく過ごすうちに閉会。
午後7時45分。「子どもの家」を後にし、地球の歩き方Ⅵの
皆さんの最後の晩餐会である日本料理店へ。
午後8時前、日本料理店で夕食会が開かれる。
6日間のフエ滞在。明日、ホーチミン市へ旅立つ。
ベトナム事務所のスタッフと交流しながら、子どもたちの
作った日本料理店を楽しむ。
日本料理主任のTHUYさんは、姉の結婚式でホーチミン市へ。
今日は代わりにウエンさんが料理の中心になっていた。
母親が迎えにきたリー君も日本料理店の仕事に専念。
「子どもの家」仲間と雑談。
夕食懇親会は午後9時半まで続く。
私は体調不良。人と話すのも億劫(おっく)な心境。
立っているのもつらかった。
9時半過ぎ閉店後、帰らしてもらう。
2007年09月21日
2組の訪問者を「子どもの家」へ案内
晴れ・曇り かなり気温が下がる。
午前6時起床。頭痛・倦怠・喉痛・鼻水。風邪の症状。
午前7時朝食。フォー。
朝食後、必要なメールへの返事を書く。
午前9時、ベトナム事務所へ。
外国人が「子どもの家」を視察したいとのこと。
アメリカ人とカナダ人。
オーストラリアの観光ガイドブックの記者。
日本料理店をガイドブックに載せたい、また、「子どもの家」を
視察したいとのこと。
1階の日本料理店、2階のベトナム事務所、3階の刺繍みやげ物店を
案内。
二人はオートバイ、私は電動バイクで「子どもの家」へ。
「子どもの家」の生活、活動の歴史、各施設の案内などを
する。
午前11時半、自室へ戻る。昼食はコムディア(ほか弁)。
1時間ほど昼寝。
午後1時45分、ベトナム事務所へ。お会いする約束をしていた
愛媛県今治明徳大学のA先生とお会いする。
2階会議室で3時間半ほど話をする。「子どもの家」、ボランティア、
JASSのめざすもの、教育、ドイモイ、ベトナム社会主義・・。
午後6時過ぎから「子どもの家」視察。
「子どもの家」では9月25日の「中秋祭り」の獅子舞や太鼓の
練習中。「子どもの家」の中秋祭りは明日9月22日午後6時から。
午後7時、「子どもの家」訪問を終わり日本料理店へ。
残しておいてもらった夕食を食べる。
今日は体調不良のため早めに帰宅。自室で休む。
倦怠感は収まらない。頭痛。
ハンさんに買ってきてもらったベトナム「風邪薬」を
飲む。
2007年09月20日
ベトナムTVスタジオ撮影:リー君母親
晴天 午後気温が急速に下がる。
ソン君が風邪でダウン。気温の高低差が大きく、体調を
崩す人が多い。
午前6時起床。
午前7時朝食。ブンボー。
午前9時過ぎベトナム事務所へ。
リー君の母親がベトナム事務所にやってくる。
リー君が6歳、弟のイン君が5歳の時別れた。
それ以来リー君には会っていないとのこと。
リー君に会わせて欲しいと言う。
午後6時に日本料理店に来て欲しいと話す。
バオミンさんの通訳でお母さんと1時間ほど話す。
この14年間ほど、リー君、イン君と連絡を取っていない。
今は南部カンボジア国境付近のタンコン省で
胡椒やゴムの農園の季節労働者として働いている。
5年前に夫を亡くしている。
1993年。諸般の事情があり当時の夫が刑務所で無期懲役。
お母さんは6歳と5歳の子どもを残して他の男性と南部に
「駈落ち・蒸発」。
それから14年。子どもたちに会っていない。
5年前、一緒に駆け落ちした夫が死亡。現在は一人で
クーチトンネルの国境沿いで胡椒・コム農園労働者として
働いているとのこと。
現在、弟のイン君はお母さんの家に住んでいる。オートバイを
買ってあげて、毎日小遣いを揚げ、イン君は喫茶店で遊んで
暮らしていると言う。
何としてもリー君と会わせて欲しい、というのが母親の
言い分。母親はリー君を連れて帰り、クーチ付近の
工業団地で働かせたいと言っている。
私とバオミンさんと母親と話したが、母親は私たちの言うことを
聞こうとしない。自分の主張だけを言い張る。
また、この14年間、JASS、「子どもの家」で二人の
子どもたちがお世話になったお礼・感謝の言葉が
一言もなかった。
ただリー君を連れて帰りたいというのみ。
約1時間の話し合いの結果以下のような判断をバオミンさんと
した。
①母親は5年前に二番目の夫に死に別れ、現在、人恋しい状況。
14年前に捨てた二人の子どもたちを迎え入れ、老後のことも
考え、子どもたちに働いてもらい、老後を安泰に送りたいとの
気持ちを持っている。
②そのため既に弟のイン君を家に迎え入れている。
現在は自由・気ままな暮らしをイン君に与えているが、今後、
近くの工業団地で働かせたいと言っている。
私としては、1時間の話し合いの中で、母親はリー君の
人生の本当の幸せを考えていない、自分だけの利益しか
考えていないと思えた。
5歳でリー君を捨てて、14年間一度も連絡してこなかった。
駈落ちした二番目の夫が5年前に死亡し、現在「孤独感」
と「老後の心配」がある。そこで二人の子どもたちを呼び寄せ
働かせ、自分の安泰と老後の保障を得たいと考えている
としか思えない。身勝手な考えではある。
リー君の人生と幸せを母親として、どれだけ考えている
のだろうか?
私が言ったことをバオミンさんが通訳するのだが、母親は
通訳の内容を聞く前に自分の言いたいことをペラペラ
しゃべっていた。
ただ、リー君を連れて行きたいということに尽きる。
私からすれば、これほど「身勝手」なことはない。
夫が事件を起こし無期懲役となり、他の
好きな男性と「駈落ちし」、二人の子どもたちを
14年間も面倒を見なかった母親が、駈落ち夫が
死亡し、自分も老齢化し、二人の子どもたちに
自分の老後の面倒見てもらいたいとなったら、突然
私たちやリー君の前に現れる。
しかし、リー君には本当の母親であることも事実。
午後6時にリー君と日本料理店で会えるように手配する。
「子どもの家」を作り14年。幼児期の子どもたちも
いまや年頃となる。最近、遠い親戚とか親などが
名乗りを上げてくる。親子が対面し、一緒に暮らすことは
良いことであるが、実相は親が成人した子どもたちを
「働かせて」、自分は楽をしようとの魂胆でやってくるような
事例が見られる。先日の高校3年生・大学受験中のAの
「遠い遠い親戚」と名乗る人物もそうである。
親戚といいA君を引き取るというのであれば、
私たちのところに直接で出てきて「名を名乗り」自分が
きちんとA君を育てられると説明するべきであるが、
私たちに顔を出すことを拒否している。胡散臭く・怪しい。
子どもたちを「労働力」として利用しようとの魂胆が見え隠れする。
これもドイモイの影。子どもを利用してでも「良い生活」をしよう
との社会的な傾向がみられる。金・金・金の社会に堕している。
午後12時過ぎ、コムディア。
午後12時20分から1時間昼寝。
午後1時20分。バオミンさんの迎えでベトナムテレビの
スタジオに行く。
9月24日はベトナムの「中秋の日」。
中秋の日は日本で言えば「子どもの日」に当たる。
ベトナム「「子どもの日」にあたる中秋の名月の日に放送
予定の番組を作る。
ベトナム中部で貧しい子どもたちのために活動している
ベトナム人を招いての討論会。
私と省の貧しい子どもたちを守る会副委員長、奨学金を
贈呈している台湾系のNGOのベトナム人スタッフの
討論。
討論会の前に「子どもの家」の子どもたちが中秋を
祝う踊りを踊る。
「子どもの家」の子どもたちが15人会場に招待されていた。
フエ省人口・家族・子ども委員会副委員長、台湾の奨学金贈呈
団体のベトナム人代表、私の懇談。
番組はベトナムでは一番人気のあるものの一つだと
いう。
今週中にベトナム中部で放映され、9月24日の中秋の日
前後にハノイから全国放送される。
スタジオ録画には3時間かかった。
午後5時近く、日本料理店へ。リー君に会い、午前中に
お母さんが来たこと、リー君を連れて南部の農村地帯に
帰ることを話す。私の意見は、日本料理店で仕事を
した方が良いというものだが、リー君は午後6時に来る
お母さんとよく話し合い、自分で自分の進路を決めるように
と話す。
午後5時半日本料理店で子どもたちと夕食。
フダ生ビールを 3日ぶりに飲む。
午後6時、リー君の母親が日本料理店にやってくる。
2階の会議室で二人だけの話し合いの場を作る。
1時間後、リー君が戻ってくる。「僕は日本料理店で仕事を
したい。宜しくお願い致します」とのこと。
その後、リー君、税田さん、石塚さん、ハンナさんと飲む。
仁枝さんも飲まないが同席。
日本料理店の来客3人。
午後9時半閉店。
2007年09月19日
地球の歩き方Ⅵ「子どもの家」へ
晴天 午後、気温が下がる
午前6時起床。
午前7時朝食、フォー。
午前7時45分、地球の歩き方Ⅵの泊まっているホテルへ。
ハンさん、ソン君と一緒に皆さんを案内してベトナム事務所へ。
ベトナム事務所でベトナム事務所員の紹介。
地球の歩き方Ⅵの皆さん
地球の歩き方Ⅵの皆さん、刺繍みやげ物店を参観
ベトナム事務所から車で「子どもの家」へ。
「子どもの家」では子どもたちの歓迎の歌と踊り。
先日から日本料理店厨房で研修に入ったヒエウさんが
歌と踊りで歓迎。
セン委員長の歓迎の挨拶
子どもたちの歓迎の踊り(アリババ)
地球の歩き方Ⅵの皆さん
地球の歩き方Ⅵの皆さんの歌(幸せなら手をたたこう)
子どもたち
子どもたちとの交流会後、税田さん・ハンさんに分かれて
「子どもの家」の各施設の案内
午前10時前、私の講演会となる。11時半まで。
ご両親にベトナムスタディーツアーを勧められたという静岡の
学生さんがいた。ご両親は私の静岡での講演会を聞いて
頂いているとのこと。不思議な縁である。
税田さん・ハンさん、地球の歩き方Ⅵ(14人)の皆さんと
フォーサオ(米うどんの野菜炒め)の昼食を食べる。
私は朝食がフォーだったので「チャーハン」を食べる。
午後12時半、自室に戻る。
昼寝、1時間ほど。
読書「美は乱調にあり」
午後3時、日本料理店調理のヒエンさんの親戚という
方が会いたいとベトナム事務所にやってくる。
趣旨は、ヒエンさんがお世話になったお礼を
言いたいとのこと。
ヒエンさんは1993年10月に弟を「子どもの家」(チーラン)
にいれ、ヒエンさんと妹を在宅支援にしてからの
付きあいである。母親が死亡、父親が病気で入院。
生活を苦に17歳の姉が服毒自殺。葬儀のお金がなく、
私がお通夜と葬儀代をだす。父親にシクロをかってやり、
その後、体力がなくなったというので、豚を買って売る仕事
に切りかえる。フエンさんが日本料理店に勤めてからも
妹を在宅支援している。支援は14年間続く。
さて、親戚のおじさんはホーチミン市に住んでいる。
ホーチミン市の大きなゴム会社の副社長さんだったとのこと。
80歳。久しぶりにフエに帰り、フエンさん一家を助けてくれた
人にお礼に来たとの前置きだったが、実際の話は、
1945年にベトミンに入り、抗仏戦争を戦い、その後1954年の
デイエンビエンフーの戦いでフランスを追い出し、
ハノイに行き、ベトナム戦争を闘った。フエ生まれだが
共産党でハノイにいた。1975年のベトナム戦争終了後、
ホーチミン市に行き、国営のゴム工場の副社長になった。
と言いたいことは、1975年のベトナム戦争終結後、
ホーチミン市に行き、共産党の幹部としてハイレベルの役職に
付き、かなり良い生活をしていたということのようだ。
その証拠に長男はホーチミン百科大学教授、長男の妻は
ホーチミン空港の気象観測主任、次男は
ホーチミン空港の貨物管理係りの責任者。長女はホーチミン空港の
デューテイーフリーショップに勤めているとのこと。
それぞれ特権階級の子弟が勤める「甘い汁」の仕事である。
30分ほどの話は、「自分はいかにフランス、アメリカと闘ったか」
「我が子どもたちはいかに優秀で良い大学をでて、現在は高給
とりの立派な仕事をしているか」という自慢話であった。
共産党の特権と、批判のない中で生活をしているこの種の幹部は
社会の常識が分からなくなってしまうのだ、と改めて感じた。
自分の自慢話をするよりは、高給生活をしていた自分が、
姪一家を助けなかったことを「恥じなければ」ならないように
私には思われるのだが・・・・・。
その辺の共産党幹部の神経は何とも理解し難いものがある。
何十年ぶりに生まれ故郷のフエに「凱旋帰国」し、
みんなに自分の出世話をしたい気持ちも理解できる。
80歳である。立派な仕事をして、かなり贅沢なハイレベル
な生活をしてることも良いことでしょう。
それでもフエで自分の姪(フエンさんのお母さん)一家が
家もなく、お堀に不法バラックを建ててその日暮らしを
しているのを、「見て見ぬ振り」をし、14年もたって、
やっとフエンさんが日本料理店で給料をもらい自立し、
家庭も安定した頃になって、やってくるというのも
「立派な親戚」ではある。御礼を言いに来たのではなく、
自分の出世を『外国人』に自慢話に来たのだが、
それでもわざわざベトナム事務所にまで来てくれた
ことに感謝したい。長生きをして欲しい。
午後4時、京都大学大学院生が「フエの観光」の話を
聞きたいと言ってやってくる。1時間半ほど話す。
午後5時半。日本料理店で夕食。リー君は何故かトーンが
高かった。食事中、隣りに座った店長さんと「じゃれあって」いた。
午後6時半から日本料理店開店。
今日は日本人5人、ベトナム人5人、オーストラリア2人。
合計8人。
日本人の4人はJICAの水道関連の横浜の方。
3ヶ月フエに滞在するとのこと。
オーストラリア人はメルボルンの大学教授夫妻。
ベトナムの民族のこと、政治のこと、私は何故
フエでストリートチルドレン支援をているのか?
など30分程はなす。
午後9時20分、閉店。
子どもたちの自転車が「子どもの家」でパンク。
「子どもの家」の二人の子どもが自転車で
迎えに来てくれた。
日本料理店カウンター前で記念写真
午後9時半過ぎ、帰宅。
読書「美は乱調にあり」。
2007年09月18日
マブベの会帰国:地球の歩き方ツアーⅥフエ到着
晴天
午前6時起床。
午前7時朝食。ブンボー。
食事中、ピースインツーの添乗員さんから電話。
地球の歩き方ツアーⅤ班の皆さん、成田・関空に無事着いた
とのこと。ひと安心。
自室で仕事。こうばこの会の大久保さんから寄金を日本事務所
に送金するとの連絡。「ダークダックス はる なつ あき ふゆ」
のコンサートの売上金の一部をJASSに寄付してくれるとのこと。
主催者へのお礼状を書く。
その他、この間忙しくてメールの送れなかった人たちに
メールを送る。
1ヶ月ほどトイレが壊れていたが修理されないままだった。
午前9時頃、IT部のヒーさんが来て、部品を取替え修理する。
その後、散髪へ。2ヶ月間、散髪していなかった。
20分程で終わる。1万ドン(70円)だが、2万ドン(140円)支払う。
既に14年間通っている床屋さん。椅子に座るだけで散髪を
してくれる。シャンプー、髭剃りなし。カミソリを使わない、
耳垢取りはしないなど良くわかってくれている。
午前10時半、ベトナム事務所へ。
午前11時。マブベの会(4人)と日本人5人、ソン君で
チャオバンカンのお店で昼食を摂る。
美味しい。米とキャッサバ芋を混ぜて作った手打ちうどん。
豚と海老の出汁。
午後12時半から1時間ほど昼寝。
最近、午後雨が降ったり気温が下がることが多い。気温の
大きな変動で体がだるい。フエの多くの人がそんな状態のようだ。
読書「美は乱調にあり」(瀬戸内晴美著:角川文庫)
1969年、40年前の作品だが、内容は古くない。
読んでいて興味津々の内容。数年前、大杉栄・伊藤野枝の
次女(ルイス)さんを主人公にしたドキュメンタリー番組を
テレビで見た記憶がある。80歳位だったろうか?
「美はただ乱調にある。諧調は偽りである」(大杉栄)から
取られた題名のようだ。伊藤野枝が、福岡県糸島郡今宿村
から上野高等女学校へ入学し、10歳年上の英語教師「辻」
に恋心を抱く・・・。
瀬戸内晴美(当時)の男女の微妙な心理描写はうまい。
午後2時40分。ソン君と一緒にフォンザンホテルへ。
マブベ笑顔の会の皆さんの帰国見送り。
ホテルの手続きを終え、車でフエ空港へ。