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2007年10月31日

神田古本市へ

晴天

午前7時起床。ベトナム事務所からのメールに返事。
東北大・国学院大学での講演会関係のメールに返事。

昼前、自宅を出て地下鉄で神保町。自宅から25分程度。
35歳~40歳の5年間、神保町で仕事をしていた。あれから
20年、神保町の町はどうなっているのかも興味があった。
神田古本市に行く。

靖国通りの専大前から数百メートルの歩道と歩道前の
書店で「古本市」が行われていた。


やはり中年の人が多い。若者の図書離れが進んでいるとは
聞いていたが、そんな感じはした。

今回の古本市の目的は、「田辺源氏」(中)を買うこと。
与謝野源氏の(中)(下)を買うことであった。
とにかく人出が多い。また、路上と書店に数限りない本が
並べられている。目指した本を探すのは至難の業。

何とか「田辺源氏」(中)と与謝野源氏(中)(下)を見つける。
谷崎源氏の上製版6冊か7冊がまとめて1500円だった。
よっぽど買おうかと思ったが、上製版で6冊、7冊といえば、
持って帰るだけでも大変。更にベトナムに持っていくのも
大変。最近、腕の力がなくなったせいか、上製版の本を
読むのが大変だ。私は大体寝ながら本を読むので
本が重たい。結局、谷崎源氏全巻1500円という「超安」
の本を断念。
結局、4時間ほど町を歩く。「鑑賞 日本の古典6
源氏物語」(小学館)が500円とある。
54帖の原文があり、その解説。更に当時の寝殿や皇居の
部屋、階位制度などの解説が図入りである。買う。

更に古本屋を漁っていると「昭和特高弾圧史」
(庶民に対する弾圧・1936年~45年)(松浦総三編)
が目に入る。立ち読みする。

特別高等警察が戦前、国民をどのようにスパイし弾圧して
いたかを「特高月報」など特高警察の生の資料を編集した
もの。今のベトナムの公安警察と同じことをしているのが
分かる。
こんな記述があった。
「佐世保市日宇町836 吉田運送店 仲仕 山下勝次(51歳)
昭和17年12月30日午後9時頃、佐世保市溝見町25江副浴場
内に於いて居合わせたる同市下京町141西牟田権太郎他十数
名に対し、家族中より応召者等なきにもかかわらず、数回に
亘り、『自分の子どもはシンガポールで戦死したと通知があったが
幾ら国家のためとは言え、親の身として之が泣かずに居られる
ものか』と繰り返し、反戦気運を醸成する如き造言を為した」
(言論出版集会結社等臨時取締り法違反被疑事件そして
送検)

面白そうなので買う。

「すずらん通り」「さくら通り」を歩いてみる。20年前とは
大分通りの店も変わっていた。
良く飲みに行った「浅野屋」はまだあったが、新築されていた。
母親が大正時代に勤めていた「すすらん通り」の文房具屋
さんは、なくなっていた。20年前まではあったのに。
町全体から「人間の臭い」が消えかかっていた。
当時、たくさんあった「一杯飲み屋」が消え、大型のビルが
林立していた。地上げで消えた映画館のあとは、広い
駐車場になっていた。

夜中、悪寒。洟が出る。風邪を引いたようだ。

投稿者 koyama : 13:41 | コメント (0)

2007年10月30日

お墓参り

お知らせ

●東北大学での講演会【小山道夫氏 講演会】

講演テーマ:ベトナムのストリートチルドレンと共に過ごした14年
      ―本当の国際支援、海外ボランティアとは?―

・日時:11月14日 17時半~19時
・場所:東北大学 川内北キャンパス C棟2階 C200
・入場料:無料

★ベトナム事務所を訪問してきた東北大の福本君と言う
  若者がたった一人でこの講演会を発案し、計画、実施。
  行動力と発想豊かな素晴らしい若者である。

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晴天


毎年1回程度はお墓参りに行っている。11月26日には
フエに帰る。その前にお墓参りに行こうと思った。
午前8時半自宅を出て、東部東上線東武練馬駅まで
歩く。1時間。東武練馬駅から東部東上線に乗ったが、
どこかで事故があったようでダイヤが乱れていた。
東武練馬から成増まで。成増乗換えで森林公園駅。
東武練馬から1時間半ほど。武蔵野丘陵にある森林公園
の隣りにお墓はある。10数年前に作った。
森林公園の木々は少し色づいていた。まだ紅葉には早い。
森林公園駅からタクシーで10分。お寺に着く。

家から持っていったビール、大福、チョコレート。
はじめにお墓の掃除。既にお寺の方で大体きれいに掃除して
くれている。秋のお彼岸に立てた卒塔婆が残っていた。

父親の好きだった「キリンビール」、兄用のチョコレート、
弟の好きだった「大福」を供える。


54歳で亡くなった父親は毎日朝からビールを1ダースは
飲んでいた。そして夜も毎晩家で宴会をしていた。
お酒が好きだったのか、「飲まずにはいられなかった
のか?」。今では真相は不明だが、とにかく、キリンの瓶ビール
しか飲まなかった。

17歳で亡くなった弟は甘いものが好きだった。私とは正反対
であった。

1945年(昭和20年)12月中国で亡くなった兄を私は
知らない。1945年(昭和20年)8月15日、敗戦。
中国から引き上げてくる途中、たった二才で肺炎をこじらせ
亡くなった兄のことを思うと切なくなる。
多分、食べ物もなく、栄養失調になり、簡単な風邪を引いた
だけだったのだが、体力がなく亡くなった。
二才で亡くなる前、おなかがすき、甘いものが食べたかったので
はないかと思いチョコレートを供えた。


ベトナムへ渡航する何年か前に私が作ったお墓である。
62年前にたった二才で中国で亡くなった兄のことを知っている
人間は既にこの世にほどんどいない。せめて、顔は知らないが、
私が思い出してやる意味もあるかと思う。

お墓に「平和」と書いたのは、こうした兄と我が家の
履歴からである。中国での生活、引き上げ、兄の死、
日本への帰国後の貧乏生活と、戦争と平和の問題は
私の理念問題ではなく「生活問題」だった。
戦争を絶対にしないこと、平和なことは私の生まれの
原点であり、平和のために生涯をかけて闘って行きたい。
これは亡くなった3人の家族のためでもあり、私に課せられた
使命でもある。



二才で中国で亡くなった兄、17歳で白血病で亡くなった弟、
54歳で突然脳溢血で亡くなった父。
我が家の3人の男たちは、「無念」の気持ちを持って
あの世へ旅立った。私に課せられた責務を自分なりに
考え、ベトナムへいくことを決意した。

昼過ぎ、お寺を出て、池袋へ。
この際「精進落し」が必要。父親を偲んで池袋で
キリンビールを飲む。今、自分がここで飲んでいる
ことの意味を考える。自分がどんな生き方を
したら良いのかを改めて考えた。
ビールが苦く感じられた。

読書「新源氏物語(上)」(田辺聖子著)読了。
須磨の巻、明石の人の巻、澪標(みおつくし)の巻。

田辺源氏は「上」「中」「下」の3巻だった。中がない。
古本屋で買わなければならない。

与謝野晶子「源氏物語(上)」を読み始める。
与謝野源氏は、54帖の順に書いている。
これも上中下の3冊。古本屋で上巻しかかっていない。
瀬戸内源氏、俵万智の本を読んでいたので、
与謝野源氏の内容をある程度理解できる。

投稿者 koyama : 20:32 | コメント (0)

2007年10月29日

守屋元防衛省事務次官の証人喚問を見る

晴天

久しぶりにあったかくなる。

昨日まで8日間連続活動があった。
京都・大阪での講演会・・・・。
やはり疲れた。今日は1日休息を取る。
午前中、ウオーキングしようと思ったが、体が動かない。
しばらく寝ている。

読書「新源氏物語(上)」(田辺聖子)
賢木の巻、花散る里の巻、須磨の巻。桐壺帝の大后や
右大臣一派に睨まれた源氏は、処分される前に
須磨に身を退く。須磨で謹慎。
桐壺帝の子供として生まれ、現在の天皇の弟の
源氏であるが、政争に巻き込まれる。政争の原因の
一つは、源氏にも原因があるのだが・・・。
人間の人生をしみじみと考えさせられる。
世の中の頂点に立って浮かれていた人間が、突然
追放される。それまで周りでちやほやしていた人々も
右大臣一派の攻撃を恐れ、誰も寄り付かない。
何か現代の人間社会にもそのまま当てはまる社会が
1000年前の貴族社会にもあった。

源氏物語を読んでいると「落語の世界」とよく似ていることに
気づく。

午後1時から午後3時半までテレビで国会喚問を見る。
自民党・公明党の与党は、追及をしながらも中々
本質的な追求やあいまいとした回答への厳しい
追求がない。共産党・社民党は時間がほとんどない。

守屋陣営の作戦は、ゴルフなどの接待は認めて謝罪。
それ以外の自衛隊時期輸送機選定をめぐる「便宜供与」に
ついては一切否定。
また、インド洋上での給油量の隠蔽への関与も否定。

共産党赤嶺議員の追及で「山田洋行の関係者と一緒に会食」
したことを認める。元防衛庁長官も同席したとのこと。

自衛隊機選定問題、給油問題に関する質問には
「記憶がない」を連発。

ゴルフ接待、奥さんのバッグなどの贈与などは、認める。
政治問題にさせないとの隠れた意図がみえみえ。

政治家・官僚・財界との癒着の構図が見えてきた。
軍需産業に群がる政治家・官僚と財界。
シーメンス事件以来、綿々と続いている構図でもある。
久間防衛大臣は急遽入院手術とのこと。

赤福・吉兆の偽装といい、日本の支配層の精神構造の
腐敗・腐食が進行している。

メール20通受信。10通の送信。

投稿者 koyama : 17:39 | コメント (0)

2007年10月28日

神奈川県青少年協会「活動発表会」

晴天

午前中、送受信。11通受信。6通送信。

午前11時過ぎ自宅を出て、巣鴨→池袋経由で横浜駅へ。
途中、信号故障で電車が止まってしまう。午後1時過ぎに
横浜駅着。

午後1時から神奈川県民センターで「神奈川県青少年協会」
主催の「ベトナム・青少年海外派遣団、日本の次世代リーダー
養成塾」活動発表会があった。

海外派遣と次世代リーダー養成塾の二つのプロジェクトは
神奈川県が青少年協会に委託して実施したもの。

ベトナム・青少年海外派遣団は、神奈川県と青少年協会からの
要請で既に4年間ほど、私たちJASSベトナム事務所が受け入れを
行っている。そうした関係で今日の報告会参加となった。

はじめに神奈川県青少年協会の芳村恭二理事長の挨拶。

神奈川県民部青少年課長の山下さんの来賓挨拶などがあり、
報告会が始まった。

会場には多くの県民・市民が参集。


今日の報告会は、今まで青少年協会主催の海外派遣や
リーダー養成塾に参加した若者が、実行委員会を作り
行ったもの。企画から運営などは全て子どもたちが
行ったとのこと。

はじめにベトナム青少年海外派遣団の皆さんの報告。
パソコンを使っての写真などの資料を交えながらの報告。

ホーチミン市でのツーズー病院、戦争証跡博物館での体験。
フエの「子どもの家」での体験。子どもたちとの交流、
市場の買い物、昼食作り、厨房と食堂のペンキ塗り、
ナムドン少数民族との交流・・・・を担当を決めて報告。
報告は、手短ではあるが、的確に要領よくまとまられていた。
参加した子どもたちの能力が分かるというものである。


男女一人ずつが代表してベトナムの民族衣装「アオザイ」を
着用し紹介。


14人の参加した中学から大学までの若者の発表を聞いた。
参加した若者たちは、それぞれの体験を通して、人生の
何かを感じていたようだ。JASSベトナム事務所としても
若者を受け入れて良かったと実感した。

続いて、次世代リーダー養成塾(福岡・佐賀)に参加した10人の
高校生が体験を報告。

養成塾では、マレーシアの元首相「マハティール」氏の講演があった。

元国連事務局長の明石康氏の講演も


会場の後ろには、「子どもの家」を説明するパネルが
貼られていた。



また、ベトナム事務所3階にある刺繍みやげ物店の刺繍作品
の販売も行われていた。

発表後、会場へ来ていた参加者全員が9つのグループに分かれて
「生きるということ」「命」をテーマにグループ討論を行う。
私も参加。

9つのグループ討論の内容を各グループ代表が報告。

閉会にあたり私とリーダー養成塾担当者が一言挨拶。

最後に芳村理事長のまとめ。
なかなか内容のある話だった。ブータンの憲法9条は
GNP(国民総生産)という指標の代わりに
GNH(国民幸福度)。

日本国憲法9条も戦争を放棄した素晴らしいもの、
ブータンと日本の憲法9条は両方とも素晴らしいとの
発言。元長洲一二知事の薫陶を受けたとのこと。
なかなか、重い意見発表であり、人間の深さを
感じる芳村理事長の言葉であった。

午後7時、自宅へ。

投稿者 koyama : 09:22 | コメント (0)

2007年10月27日

静岡Aさんと懇談

終日雨。  台風

昨夜、正確には今日になるが、帰宅が午前1時半になって
しまった。午前2時半就寝。
今朝、7時に起床。眠い。午前8時前に自宅を出て、東京駅へ。
頭がボーッとしていて東京駅での待ち合わせ時間を1時間
間違え早くいってしまう。スイカも忘れる。
午前9時前、静岡のAさんとの待ち合わせ場所である
東京駅八重洲口に到着。Aさんも午後都内での仕事がある。
東京駅地下を散策し、手ごろな喫茶店(禁煙席あり)を見つけて
おく。

午前10時、改札でAさんと合流。喫茶店でAさんの仕事関連
のことでJASSベトナム事務所が出来ることなどについて、
細かく打ち合わせをする。

午後12時過ぎに話を終わり、別れる。昨夜、岩辺さんたちと
日本酒をかなり飲んだ。まだ、残っている。
今の状態で車の運転をすれば「酒気帯び運転」となるのは必死。
いわゆる二日酔い状態。

午後2時過ぎ、自宅へもどる。そのまま横になる。

午後5時過ぎに目を覚ます。メールの送受信。

今日は「一杯飲む」気力が起こらない。

読書「新源氏物語」。紫の姫。

投稿者 koyama : 19:47 | コメント (0)

2007年10月26日

川田龍平参議院議員の当選を祝う会

終日雨

1日中、メールの送受信。京都・大阪に行っている間に受信した
メールへの返信、多数あり。

午後6時半から池袋で「川田龍平参議院議員の当選を祝う会」
に参加。

川田龍平氏が「実名公表」をする前段。元JASS代表の岩辺さん
副代表の大谷さんたちとアメリカのジョナサン君を日本に呼ぶ
運動を行った。母子感染でHIVに感染した子どもジョナサン君。
アメリカで絵本を出しベストセラーになった。日本の大月書店と
いう所で邦訳し出版。日本でも大好評となる。
大月書店の発案で、ジョンサン君を日本へ呼ぼうということになり、
岩辺さんがその実行委員長となった。私にも声がかかり、
1993年の春、渋谷の山手教会で、ジョナサン君と日本の子どもたち
との大集会(800人)を行った。私がこの集会の責任者となった。
その後、「エイズと共生」をスローガンに日本の子どもたちの
会を作る。日本の子どもたちが、「薬害エイズ」で感染した
日本の子どもたちのことを知り、交流をするようになり、K君と
いう名前で交流をしていた薬害エイズで感染した子どもの
一人が川田龍平君だった。
そんな関係もあり、実名公表、厚生省の座り込みなどがあり
私の出来る範囲での協力を行った。
10年程前になるのだろうか? 川田龍平青年
が「子どもの家」を訪ねて来た。3日間ほどの滞在だったが、
「子どもの家」の子どもたちとの交流、障害児医療センター
での聞き取りなどの活動を行った。
毎晩、一緒に食事をし飲みながら色々な話をした。
その時既に龍平君は、政治に強い関心を持っていた。
そんな関係があり、今日の「祝う会」参加となったのである。
今日の主催は、「川田龍平を支える薬害エイズの会」。
後援は「明石書店」。


川田龍平参議院議員の挨拶。
選挙中の心境、当選後の活動報告。
ミャンマーの軍部独裁に反対する活動、沖縄での教科書問題
の集会、10月には国会で初質問(20分間)、柏崎原発の現地視察・・。

辻信一さんの乾杯
その後、合計15人ほどの挨拶。

会場には今年の夏、地球の歩き方スタディーツアーで「子どもの家」
を訪問した大学生の方も参加。11月19日に講演会をすることになった。

途中、コーヒーブレイク。JASSベトナム事務所で活動した
スタッフの皆さんがベトナムコーヒーで参加者をもてなす。


最後に静岡の会の笠井哲也君がギターの腕前を披露。

挨拶された人たちは薬害エイズ問題の弁護士さん、原発問題を
追求しているフリージャーナリスト、中央大学の学生さんたちで
参議院選挙の「模擬投票した皆さんなど多種多様。特定の
主義主張がある人たちではない。
今日の会合に参加された皆さんの様子をみて、組織も
何もない川田龍平が何故5位で当選したのかが分かる
ような気がした。どの参加者も「上部の指示」や動員で
運動する人たちではない。今の政治と世の中を変えたいと
言う個人の意志で活動する人たちである。川田龍平に
投票した数十万人の都民も同じような気持ちなのかも
知れない。

午後7時から午後9時までの予定が午後9時40分まで。
会合終了後、岩辺さん、三鷹の佐藤さんと3人で池袋の
とある飲み屋で懇親。気が付くと午前0時半を大きく回っていた。
自宅着午前1時半。

投稿者 koyama : 16:28 | コメント (0)

2007年10月25日

通院

晴天

午前6時起床。
午前7時朝食。

午前8時、自宅を出て地下鉄三田線ー大江戸線で都庁前
まで。

心臓診療のための通院。榊原クリニックは、予約制。
数日前に予約しなければならない。
今回は予約の時間がなく、予約なしで通院。
午前9時過ぎにクリニックに到着。
予約していた人の「合い間」に診療。

いつものように心電図を取る。
1時間ほど待ち、診療。かかりつけのM先生。
心電図を見ながら、診察。血圧測定・・・・・・。
4種類の薬を処方してもらう。
会計、その後、薬をもらうのにまた待つ。
午前11時半に終了。半日仕事。

長時間の待ち時間に読書。「新源氏物語(上)」
源氏の女性好みは幅が広い。
10歳代前半の紫の姫から57・8歳の「典侍」(ないしのすけ)
まで。甘い言葉がなかなかうまい。私などとうてい口に出せない
甘いことば。

地下鉄で自宅へ。午後1時過ぎ。

簡単な昼食。メールの送受信。
しばらく休息。

午後3時半過ぎ、自宅を出て、巣鴨へ。11月9日・茨城の講演会
のために列車の切符を買う。

その足で五反田へ。IT関連の会社「ブライセン(無頼船)」へ。
藤木社長と「様々な問題」を話し合う。
帰宅は、午後11時半。
藤木社長より色々な話を聞く。

投稿者 koyama : 15:10 | コメント (0)

2007年10月24日

大阪から東京へ

晴天  大阪にて

午前7時起床。

昨日の講演会の日記をブログにアップする。
携帯電話の弱い回線のため時間がかかる。

午前10時、チェックアウト。

梅田駅前の古本屋で本を買う。
「アジアの聖と賤」(野間宏・沖浦和光著:人文書院)
「源氏物語」(大野晋著:岩波書店)

JR大阪駅から一駅先の新幹線「新大阪駅」へ行こうとJR大阪駅
へ行ったが、事故か何かの事情で20分遅れ。何とかJRに乗り
新大阪へ。午前11時半前後の東京行きに乗る。
新幹線の中でブランチの弁当。

読書「新源氏物語(上)」(田辺聖子著)
源氏の原典通りにはせず「空蝉(うつせみ)」から書き始める。
瀬戸内源氏よりも一層「色っぽい」記述となっている。
男女関係の機微に深く触れた書き方をしている。
特に藤壺の宮とのあってはならない男女関係の部分は
1000年前の創作とは思えない。
六条の御息所の嫉妬。人を好きになった時には誰にでもある
純粋な気持ちだと思うが、源氏物語では、かなり問題のある
女性のような書かれ方がされている。

午後2時、東京駅。午後3時過ぎ自宅着。
メール受信。送信。

4日間の旅行だった。それなりに人との付き合いなどがあり、
はやり疲れた。

夕方、買い物。白菜を買う。白菜を漬ける。


今後の活動日程


「2007年10月・11月帰国日程」(2007年10月25日)

10/1(月) 帰国休暇
   2(火) 帰国休暇
   3(水) 帰国休暇
   4(木) 帰国休暇
   5(金) 帰国休暇 
   6(土) 
   7(日) 
   8(月)
   9(火) 
  10(水) A8:30桜美林中礼拝講演(400人)
  11(木) 
  12(金) 
  13(土) P6 JASSスタディーツアー反省会
  14(日) 
  15(月)  A11マルサ佐藤氏
  16(火) 
  17(水) 
  18(木) A10大腸がん検査  P2西森氏懇談
  19(金)
  20(土) P1練馬区立大泉学園桜中学校講演会(250人)
  21(日) P12 京滋YOUの会講演会(京都府国際センター)
                                 (50人)
       P4ソロプチミスト京都西山懇談
       P6「京滋YOUの会」懇親会
  22(月) A11支援者との懇談(於:京都)
   23(火) 京都→大阪
       P5:30アジアボランティアセンター講演会(12人)
  24(水) 移動日(大阪→東京)
  25(木) 午前8時、心臓病院通院 P5:30 ブライセン藤木氏
  26(金) P6:30 川田龍平氏当選祝賀会
  27(土) A10 静岡Aさん懇談(東京駅)
  28(日) P1~P6 神奈川県青少年協会「子どもの家」
              スタディーツアー報告会
  29(月) 
  30(火) 
  31(水)


11/1(木) 
   2(金) A9静岡駅着  静岡市立長田西小講演会
       1:30静岡市長懇談
       その後、静岡市国際課懇談
       P2:30 S大学関係者懇談(予定)
       P6 S大学関係者懇親(予定)
   3(土) 午前中、笠井さん宅で「日本のテレビ視聴」相談
       P6 静岡の会・火焔樹の会・京滋YOUの会 
          合同交流会(於:静岡市)
   4(日) 同上(静岡→東京)
   5(月) 講演会休 
   6(火) P6支援者懇談
   7(水) P1ピースインツアー懇談
   8(木)
   9(金) A10上野発 11:10勝田駅着
       P1:50茨城県日立市田尻小学校講演会
       P6 火炎樹の会交流会
   10(土) 午前中―茨城県ひたちなか市 
        午後1時から WING主催 ”小山さんを囲む会”
  11(日) 
  12(月) 
  13(火) P6横浜馬車道ライオンズクラブ講演会(横浜)
  14(水) P5:30東北大講演会
  15(木) 
  16(金) その後、高崎福祉健康大学講演
  17(土) 
  18(日) 
  19(月) 国学院大講演会
  20(火) 心臓診療
  21(水) 大腸内視鏡検査(入院)
  22(木) 入院
  23(金) 入院
  24(土) 入院
  25(日) 
  26(月) フエ帰国
  

投稿者 koyama : 19:45 | コメント (0)

2007年10月23日

大阪 アジア・ボランティア・センター講演会

晴天

午前中、昨日の日記を書く。
午前11時、ホテルをチェックアウト。京都から大阪へ向かう。

京都駅からJR線で大阪まで30分ほど。JR大阪は、新幹線の
新大阪駅の次。
JR大阪駅と阪急梅田駅とは隣接している。今日の講演会を
コーディネートしてくれた「AVC」(アジア・ボランティア・センター)
の方が予約してくれたホテルへ。チェックインは午後2時過ぎとの
こと。荷物(PCが入っているので重たい)をホテルに預け、街中
を1時間半ほど散策。茶屋町。大阪の中心地。

午後5時、講演会場へ。会場は大阪聖パウロ教会4階の「AVC」
の事務所へ。副代表の香川先生(大阪女学院大学教授)、
スタッフの間野さんと挨拶。しばらく活動などについての意見交換。

AVCは、アジアの理解、ボランティアなどを目的として、1996年
11月に設立された特定非営利活動法人。人材教育・開発教育、
スタディーツアー・ワーキングツアー、協力活動、プロジェクト協力
(インド、バングラデシュ、マレーシア・・・)。

今回の講演会は今年の夏、香川先生などを中心にAVCが組織した
ベトナムへのスタディーツアーを私たちが受けいえれた所から
始まった。私は直接「子どもの家」などの案内は出来なかったが、
夜、日本料理店で香川先生を初めスタディーツアーの
皆さんと少しの時間話し合った。こうした出会いが切っ掛けで、
今夜の講演会になったのである。

午後6時、大阪聖パウロ教会1階の研修室で講演会が始まった。
はじめに香川先生の挨拶。
続いて1時間半程度、私の方で話をすえる。「子どもの家」での
活動の目的、現地の自立、そのための各種起業活動の推進、
本当の自立とは。
そして、「支援は利権」についての具体例をあげての話などをする。
ビデオを3本上映。14年間で「子どもの家」の子どもがどのように
変化してきたか、成長してきたかをL君とS君の例を挙げて話す。




ベトナムの蓮の実茶などを飲みながらのブレークタイム。
午後9時前に終了。
その後、香川先生と夕食。一杯飲みながら、ボランティア活動
などの交流。先生は以前、ベトナム大使館の公使をされていた
そうだ。ベトナムについても造詣が深い。ベトナムの実情を良く
ご存知だった。

入ったお店で「久保田」が置いてあった。飲まなかった。
値段を調べた。
百寿でグラス1杯600円、万寿だと1500円である。

ベトナムの日本料理店で久保田万寿クラスをグラス10ドル
(1000円程度)で出すと「高い」という日本人が多いが、
日本ですらグラス1杯1500円。海外で1000円で飲めるのは、
安いのだ。『ワンカップ何とか』などしか飲んでいない人には、
高く感じるのだろう。

投稿者 koyama : 09:52 | コメント (0)

2007年10月22日

京都の支援者Kさんと懇談

晴天

午前6時、京都駅前の「京都タワー」ホテル起床。
午前7時、和食・洋食ビュッフェ朝食。

昨日の火炎樹日記を書く。携帯電話を使っての日記アップなので
結局、1時間半の時間を要する。

午前11時、Fさんと合流し、京都駅内の和食レストランで長年の
「子どもの家」支援者のKさんと懇親。10数年前からの「子どもの家」、
JASS、ストリートチルドレン支援の経過と思い出を話し合う。
Kさんは、フエの日本料理店にご夫妻で描かれた油絵絵などの支援を
して頂いている。日本料理店や現地ベトナムでの取り組みの現状などを
話し合う。午後2時半終了。

Fさん・Kさんと別れ、ホテルに戻り昼寝。京都は今日「時代祭り」。
午後12時から午後4時まで時代祭りの行列がある。

読書「愛する源氏物語」読了。
俵万智の解説と彼女の私見を読むことで、源氏物語の理解が
かなりに身近なものになった。

読書「新源氏物語(上)「田辺聖子著:新潮文庫」を読み始める。

防衛省の汚職(?)、資料廃棄問題、厚生労働省のC型肝炎の
資料が突然出てきたとの問題。防衛省も厚生労働省も「嘘」で
固まられた政府・行政である。
赤福問題などより1万倍も大きな問題。
防衛省の問題は、戦前、政府の指示も聞かずに
満州国をでっち上げた軍部独走の再現へとつながるもの。
守屋氏も含め、文民統制が事実上崩れている。
憲法違反もはなはだし。

投稿者 koyama : 19:25 | コメント (0)

2007年10月21日

「京滋YOUの会」講演会

晴天


午前6時起床。簡単な朝食。
午前8時半自宅を出て東京駅。9時50分東京発新幹線で京都へ。
午後12時過ぎ、京都駅で「京滋YOUの会」の中村代表、
藤井事務局長など「京滋YOUの会」の皆さんと合流。
京都は明日から「時代祭り」。京都駅やその周辺はたくさんの
観光客でごったがえしていた。昼食を摂るレストランが満杯。
駅中の催し集会場の階段でお弁当を食べる。

午後1時半から「京滋YOUの会」主催講演会。会場は
京都駅隣接の「京都府国際センター」。

「京滋YOUの会」中村巧代表より挨拶。


中村代表から挨拶の中で近江八幡市金剛寺町にある
金田小学校の先生が紹介された。金田小学校は「平和教育」
の中で世界の貧困問題などを勉強してきたと言う。
同校6年生124人が協力してアルミ缶407キロ・32560円を集め、
「子どもの家」に寄贈。会場で寄金と子どもたちの寄せ書きが
送られた。

地球の歩き方スタディーツアーの参加者も参加。


1時間半ほどの講演を行う。14年間の「子どもの家」支援活動
の中で子どもたちをどう成長させてきたかをビデオの記録などを
通して話す。


その後、質疑応答


午後3時半過ぎ講演会終了。講演会後、会場で何人かの参加者
と話し合う。

午後4時から国際ソロプチミスト京都―西山の皆さんと懇談。
来年2月に「子どもの家」を訪問するうちあわせ。1997年に
「子どもの家」C棟1階を寄贈してくれた。
今回、寄贈10周年記念として、その後の「子どもの家」の様子
を視察されるとのこと。ありがたいことである。

ソロプチミスト京都―西山の皆さんとの懇談終了後、京都駅近辺
で「京滋YOUの会」、講演会参加者の皆さんと交流会。

交流会司会の藤井事務局長


地球の歩き方スタディーツアーでフエに来た京都産業大学・
立命館大学・神戸大・愛媛大などの学生さんも参加。神戸、
大阪、愛媛からわざわざ京都に出てきれきれたとのこと。
「京滋YOUの会」のホームページを見て参加された若者
もいる。本当に真面目な学生さんたちである。こうした若者・
学生さんが日本にいることに誇りを持ち、日本の未来を託したい
ものである。


「京滋YOUの会」代表に中村さんよりお酒の贈呈。



午後10時過ぎ、交流会を終わり、近くの喫茶店で更に交流会を
継続。午後11時、交流会を終える。
中村代表、藤井事務局長を中心にきちんとした準備をされ、
多くの若者が参加してくれた。今後、大阪のワンワールド
フェスティバルへの参加など、「京滋YOUの会」独自の様々な
活動を予定している。

投稿者 koyama : 09:05 | コメント (0)

2007年10月20日

東京都練馬区立大泉学園桜中学校講演会

晴天

午前中20通のメール受信。10通の返信。

午前10時、次男夫婦と孫(夏人(なつと)、が我が家に来る。
日本へ帰国後、日程がうまく合わず、今日、孫との「ご対面」
となる。なかなか可愛い赤ちゃんである。
私の母親や私のおじいちゃん、私の兄・弟に頭が似ている。


賢く・健康に育って欲しいと祈るだけである。
次男夫婦と世間話。

午後12時前、JASS青少年の会事務局長:加藤健司氏が
車で来てくれる。

大泉学園桜中学は、練馬区と埼玉県和光市・朝霞市との
境目にである。自衛隊朝霞駐屯所の前。昔の米軍朝霞ハイツ
の跡地である。
電車だとかなり不便なところにある。加藤さんの車で20分。
12時半頃、桜中学に着く。近くのファミレスでお茶を飲みながら
講演会の打ち合わせをする。
家ダニのアレルギーで喉が腫れてしまい、声がかすれる。
講演会で声が出ないと申し訳ない。

午後12時半、大泉学園桜中学へ。遠藤校長先生と懇談。
遠藤校長先生は、雑誌で私の活動をお読みになり、講演を
依頼したとのこと。生徒に海外支援・海外協力を通して
「自分たちの生活・日本」を見つめなおして欲しいとの気持ちを
お持ちのようである。

今日は土曜日であるが、学校公開日。
今日の講演会の主催は、練馬区立大泉学園桜中保教の会
代表 松岡利枝、文化委員会
後援:同中学遠藤浪江校長、練馬区青少年育成大泉北地区委員会

午後1時半、体育館で講演会が始まる。生徒200人強。
保護者・教職員50人。約250人の方々に話を聞いて頂いた。



1時間の講演を終え、質疑応答。何人もの生徒さんから
質問を受けた。
最後に生徒会長さんより花束を頂く。

桜中学校の生徒さんは、真っ当な若者であった。
話もしっかりと聞き、質問も的を射たものだった。
校長先生をはじめ先生方と保護者の皆さんの一致協力の
姿勢を感じた。どんな組織でも結局は「人間」である。
とりわけ、トップの方の人間性で決まる。
校長先生の人格がにじみ出た今日の講演会の運営と
子どもたちであった。
講演会後「爽快感」を感じた。

桜中学に意外な先生がいた。1971年に北区立滝野川
第7小学校に就職したが、2年後に隣の田端中学に
新任で就職した「T先生」がいた。私の教えた子どもたちを
中学で教えてくれた。あれから30数年が経過した。
お互い、それなりに年齢を重ねてはいた。元気に仕事を
しているT先生を見て、「もうひと頑張り」と声をかけたくなった。
2年後に定年退職とのこと。

帰りも加藤さんに自宅まで送ってもらった。感謝。

夜、明日からの京都・大阪での講演会の諸準備を行う。
今まで使っていたビデオテープが今回帰国するとなくなって
いた。改めて3本のテープをダビングする。

投稿者 koyama : 18:58 | コメント (0)

2007年10月19日

石狩図書館ー「子どもの家」の作品展開催

晴天 夕方雨

明日の練馬区立大泉学園桜中学校での講演会の準備。

29通のメール受信。19通のメール送信。

友人に手紙を書く。

読書「愛する源氏物語」(俵万智)
俵万智の和歌評論は、斬新的且つ分かりやすい。
通説に対して万智風評論を行っている。
源氏物語では、男女の和歌の応答が重要な位置を占めて
いる。それぞれの和歌の応答の背景とその歌の問題点、
稚拙度を分析。当日の風習、伝統を考慮しつつも
現代の目を通して源氏物語の男女の関係を分析している。
原文で読んでみたくなった。

ーーーーーーーーーーーーーー
石狩市立図書館での「子どもの家」作品展

10月16日から始まった「子どもの家」の子どもたちの作品展。

初日には北海道新聞の取材があり、記者さんは
「とても上手ですねえ」と。朝刊の地方版に記事掲載。
作品一つ一つ、活動写真や手紙に熱心に見入る老若男女の姿
が見られたとのこと。



札幌の会の鹿又さんは、来春鹿又さんの会社に入社予定の
学生・社員の方を連れて、図書館での作品展を見に来て
くれたとのこと。

こうして、日本の各地で世界の子どもたちに思いを馳せている
日本人がいることを心強く思う。

投稿者 koyama : 20:22 | コメント (0)

病院での検査・関係者と懇談

曇り  寒くなる

午前6時、水200CC飲む。
午前7時、下剤の座薬使用。
午前9時半までに腸内を完全に空にする。

午前9時半、近くの総合病院へ。
レントゲン室へ。
検査着に着替え、腸が動かなくなるような注射を打つ。
肛門から腸内にバリューームを注入し、各部所毎にレントゲン
撮影をし、ポリープ等の有無を確認するのが目的。
胃のバリューム検査と基本的には同様の検査。

肛門にホースのようなものを差し込む。
バリュームを注入。5合(720ML)程度の量のバリュームを
少しずつ、各部所毎に注入しながら、撮影。
腸壁を拡げるために『空気」を相当量注入しながら、撮影。
1時間ほどかかる。ベッド用の撮影台が上下したり、カメラが
動いたり。総計30枚程度のレントゲン写真を撮影。
腸内に空気を注入するので「ガス」がでそうになるが、我慢。
多少、うなりながらの検査だった。

しばらく、待つ。担当医に呼ばれ、その場でレントゲン写真を
見せながら、検査の結果を説明してくれる。
「ここにポリープのようなものが見える」「このままにしておくか
胃カメラのように腸ファイバー検査をするか?、選択してください」
とのこと。腸内にカメラを入れて詳細に検査し、ポリープなどが
あれば、その場で切ってしまうという検査。
腸内内視カメラの検査をしない場合のメリットとデメリット、
検査をした場合のメリット・デメリットを医師が説明する。
「インフォームドコンセント」というやつだ。『最終決定は
ご本人で』とのこと。
バリューム注入の検査だけでもかなり体はきつかった。
無理に腸内を空にするということは、それなりに体に
無理がある。腸内視カメラ挿入は、それ以上にきつい検査との
説明あり。
多少、迷ったが、「楽な道と大変な道があったら、大変な道
選ぼう」との気持ちから「腸内視カメラ検査」をすることにした。
万一、ポリープが悪性腫瘍だった場合には、そのままほって
置けば、「手遅れ」のガンとなり、体中に転移したら、その後の
手当ては大変。また、命そのものに直結する重大事態に
なりかねないと自分なりに判断。手遅れになり後で悔やむ
よりは、万一のことを考え、この際は面倒ではあるが
検査をしよう。

腸内視鏡でポリープを切除した場合、出血するので3泊4日
の入院が必要とのこと。更にポリープが腸管にくっついていた
場合には、開腹手術をせざるを得ないとのこと。

手術の承諾書をもらい、入院の手続きをする。
既に講演会日程が入っている。3泊4日の日程が取れる
日にちは11月21日だけである。11月21日に検査をし、
ポリープ切除の際は3泊4日の入院とした。
腸内視鏡検査は、一応、ポリープ切除を考え、入院を前提
にしている。11月23日誕生日に予定していた「還暦ぶっ飛ばせ
家族総決起集会」は延期せざるを得ない。

入院するとなると「HIVとC型肝炎」の検査が必要とのこと。
再度採血をするが、区の無料検診の方が多数待機中。
1時間ほど待たされ、採血。HIV検査のために1600円態度
の費用が必要とのこと。
その間、下剤を飲んだため何度もトイレに行き、バリュームを
排出する。
採血後、薬剤師の指導があった。腸内視鏡検査のために
検査前日の食事や薬の説明。

当初、午前11時に心臓の病院を予約していたが、無理だった。
午後2時に新宿で知り合いの方と打ち合わせ・懇談の予定。
一度帰宅し、急いで新宿へ。1時間ほど、打ち合わせ。
日本語学校などについて。

簡単な検査なのだが、やはり体には無理を強いている。
夕方帰宅した時点で相当疲れていた。

読書「私の愛する源氏物語」(俵万智著)
源氏物語には795首の和歌が読み込まれている。
35の話題を挙げ、一つ一つの和歌を評論し、
万智流解釈をしていく。かなり、厳しい目で和歌を
分析する。米原万里のような「冷徹な目」と和歌に
ついての深い教養がにじみ出ている。
瀬戸内源氏、田辺源氏(ダイジェスト)を読んでいるので
ある程度源氏物語の筋書きが分かったので、
俵万智が解釈説明する和歌の『置かれている位置』を
理解することが出来た。


投稿者 koyama : 09:15 | コメント (0)

2007年10月17日

フエ洪水:明日の精密検査の準備

午前中、晴天。 午後曇り。

午前7時起床。

明日の大腸がん検査のための食事。レトルトのおかゆと
実のない味噌汁。170キロカロリー。

ベトナム事務所といくつかの問題について、メールで
意見交換。

午後11時、ウオーキング。1時間。

午後12時半、検査食の昼食。朝と同じおかゆと「すまし汁」。


11通のメール受信、7通の送信。

読書「絵草紙 源氏物語」。読了。
読んでいて楽しい本。絵が、邪魔にならず、源氏物語の雰囲気を
壊さないように描かれている。人物を中心に描かずに
源氏物語の雰囲気をたくみに描いている。

午後6時。検査食。ポテトスープのみ。

検査食は3食で500キロカロリー程度。明日の検査の際、
腸に食べ物が残らないようにすることが目的。

水を沢山の飲むよう指示されている。
1日中、水、お茶、コーヒーを頑張って飲む。

午前10時、200CCの水を飲むよう指示。
午後7時、200CCの水を飲む。
午後8時、50Gの下剤を200CCの水で飲む。
午後9時、錠剤の下剤3錠を飲む。
午後11時、水200CCを飲む。


フエの洪水は収束に向かいつつあるようだ。
昨日の未明、豪雨だったそうだ。
フオン川が氾濫。今日は、刺繍みやげ物店は、全員欠勤とのこと。
会計のハンさんの家は、庭から家の中まで浸水。
2階に上がる階段の所まで水がでて泥が溜まっているという。
床上浸水。今日は、仕事に来ることは出来なかった。

日本語学校のフーン先生の家は、日本語学校の道
(チャンフンダオ通り)にあるが、膝上まで浸水。昨日と
今日は出勤できず。

日本料理店副店長のリー君の下宿も「膝上」まで浸水。
リー君は、午前11時頃、ベトナム事務所に顔を出したそうだ。
明日から出勤するとのこと。

日本料理店は昨日、今日と休み。ベトナム事務所も
今日の午後は休みとした。

トンチンカンホテルは、前の道路が浸水しているが、建物
までは、水が来ていない。
ベトナム事務所も同様とのこと。

今までの経験だと年間、3回から5回程度はこのような洪水が
あった。フエに住むのも大変なことである。

投稿者 koyama : 17:12 | コメント (0)

2007年10月16日

通院・第5回京都学生祭典・縁日

曇り  

かなり寒くなった。

午前7時起床。
メール受信・送信。

フエでは大雨でフオン川が氾濫。かなり大変な状況のようだ。
トンチンカンホテルの前の道は増水しているという。
ベトナム事務所や刺繍みやげ物店のスタッフの半分以上
の人が今日は通勤できなかったと言う。
「子どもの家」も回りはかなり増水・浸水しているという。
大きな被害がなければよいのだが・・・・・。

バオミンさん、税田さんに「子どもの家」、在宅支援の子どもたち
、「子どもの家」やベトナム事務所のスタッフ、刺繍のスタッフ
などの被害を調査してくれるよう依頼する。必要な支援や
見舞金など・・・。


午前9時、地域の総合病院へ。7月に行った「区の無料
健康診断」の結果、大腸がんが陽性と出た。
結果が出た時点で既にベトナムへ帰っていた。
それから3ヶ月。やっと今日、精密検査を受けに行く。
医師の触診。おしりの穴に指を突っ込まれる。痛い。
18日(木)大腸X線検査をするとになる。
肛門から大腸(直腸・S状結腸、下行結腸、上行結腸虫垂)
にバリュームを注入し、レントゲンで調べると言う検査である。
そのため、明日から「検査食」を摂ることになった。
明日から3食「検査食」。朝食・昼食は「白かゆ」、夕食は
「ポテトスープ」。その間に何度か下剤を飲む。
18日当日は絶食となっている。

ということで、飲めるのは、今日だけとなった。
病院は待つのは致し方ないのだが、3時間半かかった。

「米原万里の『愛の法則』」読了。
科学的に根拠があるのかどうかは分からないが、
この人が言う「うんちく」を聞くとその通りだと思ってしまう。

G7、G8のサミットでの同時通訳。日本だけが、英語を日本語に
訳さないと日本語の同時通訳ができないという「差別的」な
扱いを受けていることを知った。国際化などと威張っている
政府や文科省。その実態は、日本語の同時通訳は最初に
英語の通訳を通してしか、G7・G8で同時通訳されないと
いう「屈辱的」な扱いを受けている。右翼の皆さんや
「自虐史観」を吹聴する皆さん、こうしたもっとも屈辱的な欧米の
扱いに無頓着なのは如何なものだろうか?

英語圏(英・米・カナダ)、ロシア語(ロシア)、フランス語(フランス・
カナダ)、イタリヤ語(イタリヤ)、ドイツ語(ドイツ)などは、
どこかの大統領が発言すると同時通訳で母国語の通訳が流れる
システムである。
日本だけが、どこかの大統領などが発言すると初めに英語に
訳され、その英語を日本語に訳するということになる。


午後、あるテレビ局の取材について、テレビ局担当者と電話で
打ち合わせをする。

「京滋YOUの会」発行の「プチバンベー」の原稿を書き送る。

読書「絵草子 源氏物語」(田辺聖子著 岡田嘉夫絵 角川文庫)
を読み始める。ほぼ全ページに岡田画伯の絵が描かれている。
当時の服装、部屋の様子などが、絵を見て理解できる。
ありがたい本である。105円で読めるとは申し訳ないほど
である。42帖。
田辺聖子の翻訳は簡潔。その前にかなり詳しい「瀬戸内源氏」を
読んでいたので、田辺源氏の簡潔な表現がかえって、分かり
やすかった。

夕方。明日から大腸がん検査食となる。
明後日、万万が一、大腸がんということになると、「飲酒」ができ
ない。ということは、今夜が「最後の晩餐」。好きなおつまみで
好きなお酒を飲むしかない。

夕方、巣鴨に出て、駅前の愛好している飲み屋で一番好きな
「もつ煮込み」で生ビール。焼きトンで「にごり酒」。
私は日本の飲み屋は好きでない。タバコを吸う人間がいる。
店中、タバコの悪臭が漂う。体中、タバコの臭い。お酒も
おつまみの微妙な香りが分からなくなる。
レストランや食堂、飲み屋でタバコを吸う人間は、「無粋」な
人である。垢抜けていない連中。

家へ帰って、久保田万寿で一杯。おつまみは、昨日作った
だし汁に使った昆布。その昆布にネギとかつ節をかけて
醤油。安いが結構美味しいつまみになる。
かなり「大げさ」だが、万一大腸がんになったら飲めなくなる。
人生で一番悲しい出来事である。そうした意味では今夜が
最後。飲みたいお酒は飲んでおきたい。
明後日、何でもなかったら「お祝い」で再度飲むつもり。

今年は還暦。段々と体は弱ってくる。予期しない病気に
なる可能性がある。それだからこそ、毎日を充実して生きて
行きたい。また、毎日、美味しいお酒と趣味の読書をしたい。
これからの老後は、お酒と読書ができれば良い。

「京滋YOUの会」が参加した「第5回京都学生祭典・縁日」


10月7日(日)に平安神宮で行われた『第5回京都学生祭典・縁日』
で出店した際の報告が送られてきた。以下原文のまま。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

京都で開かれる学生主体の大規模なイベントで、今年初めて
「京滋YOUの会」として参加しました。



当日はミックスジュース・ベトナムコーヒー・チェーの3品を
販売しました。
祭典自体は今年で5回目ということで、地域住民の方々や学生を
はじめ約20万人の来場者がありました。
お店の前の通路は人にあふれ、日中は夏を思わせる暑さだった
ことや、コーヒーとミックスジュース100円・チェー150円と比較的
安く販売したために早い時間帯からたくさんの方に買っていただけ
ました。


3品とも100食ずつ販売の予定でしたが、11時~18時の販売時間
の間でちょうどいい頃に売り切れとなり良かったです!



特にミックスジュースが大人気で小さいお子様や若い女性の方が喜んで召し上がってくださいました!
お客様の中にkuヘ、子どもの家に訪問したことがある学生(昨年春に僕が子どもの家を訪問した時にたまたまお会いした方)、日本に在住のベトナム人の方がおり、会員がベトナム語で話しかけ、お互いに楽しいひと時を過ごすことができました。またベトナムの現状について熱心に質問してくださるお客様もおり、会員にとっても貴重な体験ができたと思います。
今回の収益は12400円でした。わずかではあるのですが、今後の活動資金や子どもの家への寄付等に当てたいと思います。
会の宣伝も多少ですができたと思います。この活動によって若い方に少しでもベトナムのことやストリートチルドレンの問題等に興味を持っていただけたなら良いなぁと思いました。



準備をしたのがほぼ前日だけでしたので、急ピッチであり、不安もありましたが、
新しく京滋YOUの会員になってくれた学生の協力もあり10名前後のスタッフで
調理・販売をこなせることができたことを本当に感謝しています。
学生祭典ということで、今回は計画・準備をほとんど学生のメンバーで進めていきました。
今までにはそういう経験もなく、大変でしたが・uその分終えた後の充実感や成長を感じることができました。
当日協力頂きました会の方の力なくして、今回の成功を成しえることはできませんでした。
本当にありがとうございました!!


投稿者 koyama : 15:17 | コメント (0)

2007年10月15日

宇都宮縫製工業組合理事長・佐藤さんと懇談

曇り  肌寒い

午前4時起床。
読書「赤い雪」読了。9・11以降の世界テロリスムの原型を
なした事件である。
ひとの人生はその時代に規定されてしまうものだとつくづく
感じた。殺害された14人(山で12人、榛名のふもとで2人)
が、今青春を生きていたら、どんな生き方をしたのだろうか?
私たちの世代は、大なり小なり、彼らと同じ時代を生き
同じ問題を見つめてきたと言う意味では、けして他人事では
ないのである。
浅間山荘を機動隊が大きな鉄の玉で打ち壊している場面を
テレビで見たのは、丁度新婚旅行中であった。
1972年2月26日に東京渋谷で結婚式をあげ、京都へ新婚旅行
に行った。2月28日は清水寺を見学し、昼食を参道で食べている
ちょうどその時だった。昼食を食べながら「馬鹿な奴らだ」と
二人で話したことを今も鮮明に覚えている。
人生の本当の苦労も知らず、本当の貧しさの体験のない連中の
たわ言、と当時私たちは話し合ったものである。
35年前の出来事だ。
午前7時まで3時間読書。「赤い雪」読了する。

午前9時、自宅を出て、代々木へ。
代々木で宇都宮縫製工業組合佐藤理事長と会う。
佐藤さんは、フエの「縫製研修センター」への支援をしてくれている。
既に50台の工業用ミシンの寄贈を受けている。現在、更に
50台ほどの工業用ミシンの寄贈の準備をしている。
今日は、40フィートのコンテナがフエの「縫製研修センター」に
入るかどうかの検討をする。更に送ってくれる50台の工業用
ミシンのフエへの搬入の検討。私もわからないので、
バオミンさんに聞いてみるとことにした。

佐藤さんは、今後、「縫製研修センター」へ日本からの縫製の
仕事の委託をするため、代々木のマルサ東京事務所の近くに
新たに部屋を借りた。
2人のスタッフの方が日本での窓口として活動してくれるとのこと。


今後、宇都宮縫製工業組合・佐藤さんが社長をしているマルサ
などの指導と援助を受けて、フエの「縫製研修センター」を
立ち上げ、軌道に乗せて行きたいと思っている。
宇都宮縫製工業組合・マルサ・佐藤裕信氏に感謝。

マルサ東京出張所の皆さんと一緒に代々木でお蕎麦を
ご馳走になる。

帰り、巣鴨の本屋へ。「愛する源氏物語」(俵万智著)と
「人民中国の終焉」(清水美和著:東京新聞論説委員)
を買う。

午後3時過ぎ、帰宅。

読書「米原万里の『愛の法則』」(米原万里著:集英社新書)

米原万里さんの講演会を文字にしたもの。
石川県立金沢二水高等学校、一ツ橋文芸教育振興会主催、
愛媛県立三島高校、愛媛新聞「高校生のために文化講演会」
愛知県主催「文化夜話」、神奈川新聞社主催・・。

惜しいひとを亡くしてしまった。55歳でなくなってしまった。
米原万里さんの書いたエッセイーは大部分読んでいるが、
どれを読んでも、この人の深い教養に裏打ちされた文章には
説得力がある。

昨日、白菜を買って来て「白菜漬け」を作った。
今日、美味しく出来ていた。高校2年の時、中華料理店に
勤めたが、そこで覚えたものである。若い頃の体験は
いつかどこかで役にたつことがあるのだ。

石狩ワールドフェスティバル

10月13日、北海道石狩で「石狩ワールドフェスティバル」が
行われ、「子どもの家」の子どもたちの絵画等の作品展を
行い、JASS活動の普及を行ってくれた。感謝。

●石狩でJASSの支援活動をしている菊さんと同級生などの
 皆さん


●10数年前から札幌の会で支援を続けてくれている鹿又さんも
 石狩での作品展応援へ。

明日16日から7日間、石狩市民図書館も「子どもの家」の
作品展が行われる。この図書館は1日約1200人もの利用者が
あるそうだ。成功を祈る。

こうしたコツコツとした活動が、まさにボランティアの本質である。
大きな派手な活動よりも、地域に根ざした「草の根」の活動
こそボランティアそのものだ。

投稿者 koyama : 16:52 | コメント (0)

2007年10月14日

ウオーキング 

終日 曇り  寒い

午前8時起床。

午前10時ブランチ。

必要なメールの送受信。

ニュージーランドのREDDYさんと電話。次男の結婚と
長男出産のお祝い。10日後にオーストラリアの長男・長女に
会いに行くという。今度はいつニュージーランドに来る?と
聞かれる。

雑誌「子どもと教育」の原稿を再度推敲する。一部訂正。

午前11時半、ウオーキング。1時間。

高島平団地の100円ショップで水を入れて使う1キロの
鉄アレーならんぬ「水アレー」を買う。1キロだが50回ほど
やると結構良い腕の運動になる。体全体の筋力が
相当低下している。


夕方まで読書「赤い雪」。3分の2ほど読み進む。
連合赤軍に参加した人たちの多くはほぼ私と同年齢。
京都大など全員が大学生。当時の大学進学率は
20%に満たない。大衆化した大学とはいえ、当時
大学に入るのは、まだ少数である。総括で殺された
14人の多くは、金持ち・上流階級の師弟である。
三菱地所社長の息子・・・・・。
彼らの多くは本当の労働者階級も貧困階級も知らない
上流階級のお坊ちゃん、お嬢さんであるが、正義感と
真面目さを強くもっていることは共通している。
実社会の経験がなく、本当の生活の苦労もない
10代後半から20代前半の若者のたちの妄想と暴走。
社会を変えるということは、時間と忍耐と努力が必要。
一揆主義的な跳ね上がったやり方は、社会を知らない
小児病である。
今日の無差別テロの原型・走りとなった事件として
位置付くようだ。

午後6時からNHK教育テレビ「千年目の源氏物語」を見る。
瀬戸内「源氏」を読んで、戦前、源氏物語はどのように
評価されていたのだろうか?と言う疑問が残った。
つまり、天皇の子どもが天皇の中宮と密通し、子どもを
産ませ、その子どもを皇太子から天皇にしている。
「万世一系の皇統」が建前の軍国主義日本の時代である。
当然ながら、皇室に対する不敬罪となるのでは? などと
思った。

作家 丸谷才一氏が「昭和は嫌いな時代だった」「唯一つ
良かったことは、源氏物語を日本文学として地位を高めた
時代だった」と言っている。中央公論の嶋中社長が、戦前
谷崎潤一郎に源氏物語の現代訳を依頼するが、やはり
戦前である。皇統問題があり、源氏が産ませた天皇の子ども
のあたりは、ぼやかして書いてあったと言っている。
源氏が真っ当に評価されたのは、昭和時代、特に戦後である
との言葉に、そうなのか? と思った。

記録に出ている源氏物語は1008年が最初だそうだ。
それからすると来年の2008年が「源氏物語1000年」と
なるそうだ。

今年から来年にかけて、改めて世界に誇れる日本の文学、
源氏物語が多くの人たちに読まれるのではないだろうか?

翻訳ものではあるが、1000年前の源氏物語を読んで
けして古いものとは思えなかった。今に通じる人間の
生きる悲しみ、人生を見つめなおす契機となっている。
ということは、1000年前の皇室など上流階級の生活を
描いてはいるが、人間を描くことで現代にも通じる人間
模様、人間の悩み・苦しみが描かれているのである。

午後8時、宇都宮縫製工業組合の佐藤理事長から電話。
明日、午前11時、代々木でお会いすることになった。

京都のKさんから電話。11月にお会いする。

投稿者 koyama : 19:48 | コメント (0)

2007年10月13日

JASSスタディーツアー反省会

晴天

午前7時起床

「子どもと教育」原稿推敲。

午前10時ブランチ。

午前11時半からウオーキング。自宅から20分ほどにある
赤塚公園へ。今日は土曜日ということもあって、多くの
高齢者がウオーキングをしていた。
どの人も目を三角にして、「頑張って」ウオーキングしている。
私などは、タラタラと歩いているだけ。道端の花を見たり
景色をみたりなどしているのだが・・・・・。
日本人らしいウオーキングの仕方である。真面目なのだ。
腕を振って、大またで、ある程度のスピードで歩くのが
「正しい歩き方」だとテレビで「専門家」が言っていた。
スポーツウエアーで歩いている人は、みんな同じような顔つき
だった。ウオーキングは健康への「闘い」のようである。

1時間ほど散歩。高島平商店街へ。アスパラ20本ほどで100円。
サヤエンドウ一袋60円。

帰りに自宅前の「BOOK OFF」へ。古本を1時間ほど見る。
谷崎源氏、与謝野源氏の古本があったら買おうと探す。
田辺聖子の「新源氏物語(上)(下)2巻。1冊105円。
田辺聖子「絵草紙 源氏物語」。105円。
画家の岡田嘉夫氏の絵が
豊富に入っている。当時の更衣・女御などの生活などが
よく分かる。
「全訳 源氏物語(上巻)「与謝野晶子著)105円。
残念ながら(下巻)はなかった。
420円で4冊の本を買う。安い。古本でもなんでも内容は
同じ。作家に申し訳ないような気がする。

読書「赤い雪」。連合赤軍。連合赤軍は横浜国立大学系統
の大学生と労働者で作られた「京浜安保共闘」と
京都大学生など関西方面の共産主義者同盟(再建ブンド)
の過激派「日本赤軍」が合流して出来た超過激派組織。
毛沢東の「革命は銃から生まれる」「農村から都市を包囲」
などと言った理論の影響も受けている。
この本を読むと、京都大など関西方面の過激派を中心に
作られた「日本赤軍」と「京浜安保共闘」とは、肌合いが
かなり違い、結局、日本赤軍の森恒夫と京浜安保共闘の
永田洋子との主導権争いがあり、永田が勝利を収めることで
あの異常な大量虐殺事件があったということになる。
ベイルートで赤軍派を名乗っていた重信房子は、永田洋子などの
山岳での武装闘争には批判的だったようだ。
永田洋子の異常性格は、その前年に明らかになった殺人鬼
「大久保清」事件を詳細に調べていたことでも分かる。
大久保清が最初に死体を埋めた榛名山に永田洋子も
リンチ殺人の死者を埋めさせている。

午後6時、JASSスタディーツアーの皆さんと夏のスタディーツアー
の反省会。


投稿者 koyama : 14:36 | コメント (0)

2007年10月12日

雑誌「子どもと教育」脱稿

晴天

午前中、20通のメール受信。13通のメール送信。

午前10時、ブランチ。

その後、雑誌「子どもと教育」の原稿を書く。
1回3000字~4000字と言う条件で6回ほどの連載。

6回分の執筆計画を立てる。

第1回分の締め切りは10月15日。ボランティア貯金中間報告書
提出が終了したので、「子どもと教育」の原稿に入る。

午後3時まで執筆計画と第1回分の原稿の骨子を書く。

ウオーキングに出る。高島平団地まで往復1時間の散策。
昨日からウオーキングを再開。
久しぶりのウオーキング。足の筋肉が少し痛い。

高島平団地1階の商店街の魚屋をのぞく。さば1尾300円を買う。
ごぼう2本100円。キャベツ1つ80円。長ネギ3本100円を買う。
1時間のウオーキングを終え自宅へもどる。

原稿の仕上げ。3500字程度にまとめる。
読者の皆さんが読み易いように9つの小項目に分ける。
午後5時、脱稿。文章も料理と同じ。一晩寝かせると味が滲みる。
明日、もう一度新鮮な目で推敲すると意外なミスなども見つかる。

「今日は良く仕事をした」と自分を褒める。ご褒美に晩酌。
晩酌のおつまみに「金平ごぼう」「サバの竜田揚げ」を作る。
キャベツの繊切り。

午後7時、ビールを飲む。頂いた久保田万寿を冷やして飲む。
サバの竜田揚げが美味しい。
サバの竜田揚げ。生姜と醤油に30分ほど漬けておく。
その後、片栗粉を薄くまぶし油で揚げる。最初は中火。サバの
身に火が通ったら強火にし、多少焦げを付けると香りよく
揚がる。
金平ごぼうは、しっかりしただし汁を使う。ニラのお浸し。
自分で作ったおつまみで、好きなお酒を飲むのが一番の贅沢。

寝る前に読書「赤い雪 総括 連合赤軍」
40年ほど前の青春時代を思い出す。同じ時代をすごした
戦後世代の人間たちだ。
どうしてこんな馬鹿なことが行われたのか?
本書では「永田洋子」という女性の得意な性格にその原因を
求めている。14人の仲間を総括と言う名で虐殺した殺人鬼が
何故生まれたのか? 著者は裁判の記録を丹念にしらべ、
犯人の供述書を引用しながら、この戦慄すべき大量殺人事件の
人間関係を追って行く。正直、途中で吐き気がした。

投稿者 koyama : 19:05 | コメント (0)

2007年10月11日

ボランティア貯金中間報告完成

晴天

昨夜、就寝は午前3時。ボランティア貯金中間報告作成。
その後、いくつかの仕事をする。

起床、午前7時半。

午前中、ボランティア貯金中間報告関連の写真等の問題で
ベトナム事務所、渡辺さん、山西さんと連絡を取り合う。
皆さんの協力で、ボランティア貯金中間報告を関係機関に
無事提出できるようになった。感謝。

午前9時過ぎ、ウオーキング。1時間。
高島平郊外のやまだ電気へ。プリンターのインクを買いながら
1時間ほど散策。
8月・9月とベトナムではたくさんの訪問者の応対をした。
忙しくてベトナム事務所までの徒歩が出来なかった。
そのため、この間歩く機会が少ないなり「筋肉」が相当減退している。
1時間の徒歩でかなり疲れる。

午前11時50分。ブランチ。野菜をたくさん入れた煮込みうどん。

午後、読書「源氏物語」読了。
巷間では源氏物語は「恋愛小説」といわれているが、
瀬戸内源氏を通読した限りでは、「人生」、人間が生きるということ
をテーマにした小説と読んだ。
天皇の子どもに生まれ、太政大臣になり、不義で産ませた子どもを
天皇の子どもと偽って東宮にし、天皇にし、その後見人となった
源氏の君。世間では悩みもない「絶対者」と思えるが、普通の
庶民と同様の人生の悩みを持っている。出家したいとの気持ちも
その現れである。源氏物語を貫いている思想は「無常」である。
これは平家物語にも通じる思想である。
どのような地位や立場にあろうと、人間は生まれて死ぬまで
「悩み」があるということを書いていると読んだ。
登場する男性のほとんどが「泣いて」いる。1200年前の
男性には涙を見せるということが、格好良かったようである。
日本はいつから、「男は涙を見せない」という状況になったの
だろうか? 徳川封建時代からか? それとも半封建的
君主制になってからだろうか?
源氏物語は相当複雑な人間関係があり、理解するだけで
精一杯。当時は通い婚だったので、一人の男性は、奥さんが
いても多くの女性に子どもを産ませている。その子どもたちが
更に同様の行状を行う。そうすると50年ほどの単位で見ると
かなり身内のつながりが複雑多岐にわたって出来上がる。
源氏物語の面白さと奥の深さだけは理解できたように
思うが、到底『原文』(古典)で読む気力は起こらない。
谷崎源氏、与謝野源氏は読んで見たくなった。
古本屋で探してみよう。

夕方から「赤い雪 総括・連合赤軍」(角間隆著:新風舎)を
読み始める。1967年から1972年前後。丁度私が
大学生時代をすごし、結婚した時代。私の正に青春であり
連合赤軍の連中も私と全く同世代の若者たちである。
私と同年代の人間が何故、連合赤軍を結成し12人もの仲間を
「総括」殺人したのか? 興味のあるところである。

ベトナム事務所、関係者とかなりのメール送受信あり。

日本滞在中の講演会等の日程がかなり増えた。

投稿者 koyama : 19:21 | コメント (0)

2007年10月10日

桜美林中学校講演会

晴天


午前4時半起床。
午前5時半自宅を出て、京王多摩センターへ。
西台→巣鴨→新宿→調布→多摩センター
午前7時半過ぎ、多摩センターから桜美林大学高校中学の
スクールバスに乗る。20分。午前8時、桜美林大・高・中に
到着。

桜美林の創始者「清水安三氏」が同志社を出て、アメリカ
のオハイオ州にある「オベリン大学」に学ぶ。プロテスタント。
1921年に清水氏は現在の地に崇貞学園を創設。
八重桜が咲いていたこと、オベリン大学に学んだことを
あわせて「桜美林」となつけたとのこと。
1921年中国の北京にストリートチルドレンなどを集めた
崇貞学園を創設。戦前、中国の貧しい子どもたちを助ける
ボランティアを行った。

午前8時半。中学1年生・2年生400人の朝の礼拝が
行われ、その中で30分ほど、ストリートチルドレンや
国際貢献、ボランティアなどの話をする。



人間の縁とは不思議なものである。
7年ほど前、アメリカ・ロサンゼルスにある「国際学園」
で子どもたちを教えていたT先生は、クラスで
国際協力という勉強をした。中学の男子生徒がインターネット
で私たちJASSを調べ、ストリートチルドレンや世界の
貧困の学習を行った。ロサンゼルス国際学園から
招請があり、私は渡米。同学園で小学生、中学生など
数回に分けてベトナムでの活動を話した。
その後、同学園は生徒会でベトナムのストリートチルドレンを
支援する活動をおこなった。初代生徒会長はインターネット
でJASSを調べた男子。2代目生徒会は松田聖子の娘さん。
毎月1回、生徒会主催で地元の日系スーパーで
ストリートチルドレン支援の募金を行ってくれた。
その後、しばらく支援募金を送ってくれていた。
残念ながら「ロサンゼルス国際学園」は閉校となった。その後
T先生は、桜美林中学に転勤し、昨年中学1年C組の呼びかけで
フエのストリートチルドレンを支援しようとの取り組みを始めた。
1年C組からの動きは1年生、2年生と広がり、半年間の
寄金活動で20万円ほどの支援金を集める。

今日の礼拝の後、壇上で代表の生徒さんから昨年から
活動を始め、生徒さんたち・先生方集めた支援金20万円強を
頂く。生徒さん、そして生徒さんを指導した校長先生や先生方
に感謝。

礼拝での講演会のあと、校長室でしばらく校長先生、T先生と
話し合う。

再度、スクールバスで多摩センターへ。新宿経由で帰宅。

朝食兼用の昼食を摂り、ボランティア貯金中間報告書を
書き始める。

午前0時過ぎに完成。渡辺和代さん、山西司郎さんなどに
送信。


投稿者 koyama : 00:14 | コメント (0)

2007年10月09日

社会保険庁へ

雨のち曇り

昨夜、東京自宅に帰り布団で寝た。
夜中、目が真っ赤になり、鼻水と喉の奥がかゆくなる。
「いえダニ」のアレルギーだ。7月から押入れに入れっぱなしに
なっていた布団。家ダニの巣窟だ。家ダニと杉のアレルギー
体質。アレルギーになってみないと分からないのだろうな、
などと思う。じゅうたんは駄目、カーテンも布地は駄目と
医者から言われているが・・・・・・。未だにわが部屋は
じゅうたんが敷かれ、布のカーテンになっている。
ああ、悲しや・・・・・・・・・・・。くしゃみがでた。ついでに
洟もでた。情けなや・・・・・・・・。

午前中、ベトナム事務所との連絡。
ボランティア貯金資料整理。

午前11時、板橋の社会保険事務所へ。
23年間かけた共済年金が消えた問題。
社会保険庁側は、「組織が違いますから、私たちには
共済年金がどうなっているのかは分からない」との説明。
しかし、社会保険庁からは、13年間国民年金をかけているが、
25年以上かけないと「年金請求権」がない。年金を追加納入
するようにとの手紙がきているのである。
「私たちは共済年金は知らない」と平然と言いのける
板橋の社会保険事務所次長さんの顔をまじまじと見てしまった。

ラジオで衆議院予算委員会の中継を聞いていた。
厚生労働大臣と民主党の質問者の年金問題の論議を聞いている。
福田首相は、年金問題の核心は、「国民への視点」を貫徹
するのかどうかだと言っていた。厚労大臣も同趣旨の答弁を
している。
同時期、社会保険事務所では、「共済に支払ったかどうかは
私たちは知らない」と平然と答える次長さん。
私が、45歳になって急に国民年金を14年間ほどかけても
受給資格の「25年」にならないのは分かるはず。
当然、45歳前に違う年金に入っていると考えるのが
常識。社会保険庁は、14年しか国民年金に加入していない
ので、年金は支給できません。更に年金を支払ってください、
との通知を寄越しているのである。
国民の立場にたって仕事をしていない連中である。
私は次長に「あなたが、私の立場だったらどうですか?」
と何度も質問した。次長は「私たちは共済年金とは関係ない」
を繰り返す。

今日のニュースでは、「消えた5000万件」の年金の推定額
は2兆3500億円という膨大な金額である。
国家が国民から「盗んだ」お金である。
情けない国家である。

仕方がないので「14年間国民年金を支払った」との証明を
もらうことにした。コンピューターに入力されているはずである。
ほかに請求をしている人もいない。数分で出来るのかと
思ったら、1時間10分も待たされた。事務能力とお客さんで
ある納入者への配慮がない。福田首相ですらと言っては
失礼であるが、首相ですら「年金問題の核心は国民への視点」
の認識だといっているのである。
板橋の社会保険事務所の次長さんは、自分が主人公で
お客の納入者は、自分たちが仕事をしてやっているとの
意識を改革することが出来ないでいる。国民・年金納入者
が主人公であることを再度確認する必要がある。

結局、社会保険事務所でのやり取りに半日ほどとられてしまう。

午後4時過ぎ、帰宅。

その後、徒歩で高島平出張所へ。戸籍抄本取得へ。
帰りに高島平団地商店街で買い物。枝つきの枝豆ふた袋で
300円。
マグロのぶつ(350円)、きゅうりの糠づけ2本(100円)
アスパラ3本(100円)。

午後5時。ボランティア貯金中間報告書を書き始める。
必要な参考資料を渡辺和代さん、バオミンさんなどが
送ってくれる。感謝。

明日の朝は、午前5時半に家を出て、多摩センターまで。
桜美林中の礼拝で講演。自宅から片道2時間。
早く寝なくては。
午後10時半、原田虎太郎さんから電話あり。

投稿者 koyama : 19:36 | コメント (0)

2007年10月08日

東京自宅へ帰る

午前9時半の新幹線で福島から東京自宅へ帰る。

社会保険庁から「納付金催告状」がきていた。
ばか者と言いたい。自分たちがの無能と怠慢で私の納付金を
「納付していない」とカウントしておきながら、その上、
督促状を送ってるなど、「盗人猛々しい」とはこのことである。
泥棒が、「お前の所に泥棒に入ったが、たんすの中にある
金を盗み忘れた。いついつまでにもってこい」というのと
同じことである。

無責任体質は日本相撲協会だけではない。日本国、政権政党
と官僚・行政そのものが、無責任体制になっている。
とにかく何とか解決しなければならない。ばか者とは言って
いられない。

読書「源氏物語」
天皇の子どもとして生まれ、臣下に降籍。
その後、太政大臣にまで昇進。
天皇の補佐役としては最高の地位。
その源氏の君(光源氏)の、数々の女性との付き合いを
描く。10歳の天皇の奥さんの姪を自分の家に引き取り
年頃まで育てて、男女の仲となったり、天皇の后と
不義の子どもを内密で産み、その子を東宮(皇太子)
とし、天皇にするなど、かなり過激な内容である。
高校の古典の授業で、まず最初にこの瀬戸内「源氏」を
読ませたら、生徒は勉強への意欲が異常に強まること
必然。古文の文法の無味乾燥な授業より、その内容、
あらすじを初めに知れば、興味津々の勉学となる。

ボランティア貯金中間報告書作成の基礎資料を読む。
作成方針を考える。

雑誌「子どもと教育」原稿執筆計画(半年分)を
考える。

投稿者 koyama : 14:09 | コメント (0)

2007年10月07日

晴天

読書「源氏物語」

男女の愛情の行き違い・すれ違いというものは
1200年前と現代と根本的には違わないようである。


夕方、福島祭り(稲荷祭)のお神酒所のような所へ。
市内の桜木町には4つの地域がある。4地域合同のお祭り。
かつては、市電も通り、絹の道となっていたため大いに
繁盛していた地域だったそうだ。
夜の山車(だし)引きの参加者は、本当に見るも無残な
と言っては失礼だが、引き手が少なかった。
かつての「栄華」を誇った立派な山車だけが、威容を誇って
いたが、引き手が少なく、お年寄りが目だっていた。
東京と地方の格差、シャッター商店街などという言葉を
新聞・本などでよく目にするが、確かにそうだなと
思った。参議院議員選挙で自民党が大敗した原因が
こんなところにあるように思えた。

●威容を誇る豪華な山車

このお神酒所のようなところは、個人の篤志家が準備したもの。


会場を準備をしてくれた方が山形まで行って釣ってきた
大きな塩焼き鮎をご馳走になる。

投稿者 koyama : 13:45 | コメント (0)

2007年10月06日

福島祭

晴天

朝ゆっくり寝ていた。
朝日新聞を読む。インドで活動しているNPO代表の活動は
私の意見・体験とほぼ同じものだった。
支援の現場を支援を受ける側から見ていると、支援する側の
都合と好み・興味で進められる事が多い。
海外支援NGO、NPOは、現地の人たちを側面から援助し、
基本的には、現地の人間を育てるということが目標である
べき。

午前11時、福島駅前の喫茶店で福島交通の代表・運転者
と会う約束をしていたが、30分待っても来ない。
遅れて来た代表の方は「運転手が来ない。申し分けない」
と繰りかえすばかり。情けないことである。
会社の責任者が、問題を起こした運転手を連れてこられない
のだ。社長と課長、運転手で話し合ったが、小山さんの言った
ことは100%その通りだった、というのに、謝罪すべき運転手
をつれて来られない会社である。
会社が会社なら運転手も運転手である。これ以上、話し合って
も埒があかない。話を切り上げる。代表の方は何度も何度も
頭を下げる。真面目な方と見た。

ベトナムでの活動の疲れを取りに福島に来たのに
却って疲れてしまったが、致し方ない。

午後1時半、地元「福島稲荷神社祭礼」の山車行列に孫と
参加。2時間ほど街中を練り歩く。子どもたちの参加者が
少ない。少子化の影響のようだ。警護する大人が目立つ。


読書「源氏物語」。
桐壺・空蝉・夕顔・若紫・末摘花・紅葉の賀・花の宴・
葵・賢木

ここまで読んだ感想。1200年ほど前の本だが、基本的な
テーマは今日に通ずるものがある。人間の嫉妬、悩み、
喜び、悲しみ・・・・。相当きわどい内容ではある。

投稿者 koyama : 17:49 | コメント (0)

2007年10月05日

福島駅前「極楽湯」へ

晴天  昼間は28度。夏日。半袖で過ごせる。

午前10時まで就寝。

その後、長男の車で福島駅にあるスーパー銭湯「極楽湯」へ。
ゆっくりと各種お風呂に入る。
午前11時半。極楽湯にあるレストランで軽く生ビール。

長男宅までの道が分からないので駅前のタクシーに乗る。
福島タクシー(TEL:545-1919)に乗る。
「福島市00町、児童公園横の00へ」と運転手に告げる。
返事なし。「分かったのかな?」と心配になる。5分ほどして
「運転手さん、行き先は分かったのですか?」と聞く。
返事なし。無愛想な態度。不愉快な感じを持つが我慢。
運転手のムトウさんは、無謀運転。一時停止の標識は
無視。そのうえ、踏み切りに入る前の「一時停止」「左右の安全確認」
も無視。
運転手さんに「道路交通法を遵守して運転してください」という。
運転手のムトウさんは私の言葉を無視。返事をしない。
なめた態度。私がジャージを穿き、ビニール袋を持ってボーッと
していたのでホームレスのおっさんと思ったのかもしれない。
何でもいい。お客の行き先の確認と安全運転はタクシーの運転手の
最低限度の責務。

タクシー後部座席に「後部座席のお客様もシートベルトを着用して
ください」と書いてある。慌ててシートベルトを締めようと思い、
ベルトを探すが、シートの下に隠れてしまっている。
やっと引きずり出す。胸に回し右腰下のクリップで留めようと
したが、受けるクリップがない。
「運転手さん。うしろの座席のシートベルトは締める留め金が
ないですよ」と聞く。
運転手のムトウさんは「俺は知らないよ。この車は俺の車では
ない。会社の車だから」とお客をお客とも思わない舐めきった
態度。堪忍袋の緒が切れる。

「ちょっと、運転手さん、車を止めなさい」と言い、横道に
入る。

「俺の車じゃないから分からないとはどういうことだ」と詰問。
大体、行き先を言われて分かったのか分からないのかも
返事が出来ない運転手がどこにいる。
一時停止標識を無視し、踏み切りで一時停止をしないなど
安全運転の基礎も出来ていないではないか・・・・。

会社の上司を無線で呼んで欲しいと言う。「無線がない」と
運転手は嘘を言う。私の携帯電話で会社に電話。
事情を説明。20分ほどして、同僚と労働組合委員長と称する
人間が二人やってくる。
「あなた達はムトウ運転手の上司ではない。指揮監督権の
ない人間に何を話しても問題解決能力がないのだから意味が
ない」という。何とか事情を聞かせて欲しいという。仕方がない
んで簡単に事情をはなす。「お客さんのいうのは、ごもっとも」
とのこと。
「すぐに上司を呼んで欲しい。苦情を言いたい。今後、
ムトウさんの車に乗る人が嫌な思いをしないようにするために
乗客の代表として、苦情をいいたい」と。
同僚の二人が別のタクシーに乗り、私のタクシーの後ろについて
来る。長男宅へ帰る。
30分ほどして福島タクシーの営業課長のSさんがやってくる。
何が起こったのは話を聞きたいとのこと。
事情を話す。
①行き先を行ったのに返事をしない
②道路交通法等法令を守らない。特に踏み切りでの一旦停止が
 タクシー運転手の最低の安全確保義務。
③シートベルト着用と書いておきながら、「俺は知らない」と暴言を
 吐き、ムトウさん自身もシートベルトをしていない。
④自宅についてタクシー代を支払ったが、計算が出来ない。
 100円多く請求する。私が計算が違うよと言わなければ
 多く料金を請求したことになる。

以上の4点の問題があり、総じて、お客さんの安全確保という
意識にかける。サービスという意識は毛頭ない。

今後、多くのお客が乗る可能性があり、それらに乗客を代表して
私が苦情を言うのである。

S課長は「お客さんの言う事はもっとです。深くお詫びします」。
30分ほど話し合い、帰社。

20分ほどして、S課長より電話。会社で社長、課長、ムトウ運転手
と話し合った。小山さんの言っていたことは、全て事実だった。
本人も認めた。ついては、明日午前中、お宅へムトウと伺い
改めて謝罪したい、とのこと。

なんだかんだで3時間ほど、タクシー問題で時間を使う。
もったいないが、誰かが言わなければならない。

読書「源氏物語」。とても面白い。

投稿者 koyama : 14:59 | コメント (0)

2007年10月04日

福島岳温泉

晴天 

朝は十数度、昼は27度程度の夏日。
昨夜から長男家族と岳(だけ)温泉に一泊。

午前11時チェックアウト。長男宅へ。

途中、美味しい「味噌漬」を買う。生姜、きゅうり、大根、
ごぼう。

読書「瀬戸内寂聴の源氏物語」(瀬戸内寂聴著:講談社)
源氏物語54帖の「桐壺」から「浮舟」までの27帖の
寂聴版現代語訳。
桐壺の巻。桐壺に帝の寵愛が集中。他の女性からの嫉妬。
嫉妬から嫌がらせ。帝の部屋に桐壺が行こうと廊下を
歩いていると「うんち」や「おしっこ」を廊下にぶり撒き、
桐壺が帝の部屋に行けないようにする場面は、壮絶のひとこと。


ベトナム事務所からいくつかのメールあり。返信。

投稿者 koyama : 14:45 | コメント (0)

2007年10月03日

長男宅

曇り

寒い

長男宅。

読書「北斗の人」(司馬遼太郎著)読了

孫のピアノレッスン BI 見学

岳温泉へ

投稿者 koyama : 15:44 | コメント (0)

2007年10月02日

温泉で休養

晴天

寒い。朝10数度。日中は20数度。
昨夜、温泉の庭で虫の音を聞く。秋。

泊り客1名。鄙びた温泉宿。

1日寝ている。どんなにでも寝られる。

投稿者 koyama : 13:49 | コメント (0)

2007年10月01日

成田へ着く

昨夜一時間以上遅れ午前0時50分ホーチミン発。
成田着、午前9時前。
成田で支援者の方へベトナム事務所から預かってきた荷物を宅急便で送る。
京成で上野アメ横へ。もつ煮込みで一杯。
東北新幹線で福島へ。温泉で休む。

投稿者 koyama : 11:07 | コメント (0)