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2007年10月09日

社会保険庁へ

雨のち曇り

昨夜、東京自宅に帰り布団で寝た。
夜中、目が真っ赤になり、鼻水と喉の奥がかゆくなる。
「いえダニ」のアレルギーだ。7月から押入れに入れっぱなしに
なっていた布団。家ダニの巣窟だ。家ダニと杉のアレルギー
体質。アレルギーになってみないと分からないのだろうな、
などと思う。じゅうたんは駄目、カーテンも布地は駄目と
医者から言われているが・・・・・・。未だにわが部屋は
じゅうたんが敷かれ、布のカーテンになっている。
ああ、悲しや・・・・・・・・・・・。くしゃみがでた。ついでに
洟もでた。情けなや・・・・・・・・。

午前中、ベトナム事務所との連絡。
ボランティア貯金資料整理。

午前11時、板橋の社会保険事務所へ。
23年間かけた共済年金が消えた問題。
社会保険庁側は、「組織が違いますから、私たちには
共済年金がどうなっているのかは分からない」との説明。
しかし、社会保険庁からは、13年間国民年金をかけているが、
25年以上かけないと「年金請求権」がない。年金を追加納入
するようにとの手紙がきているのである。
「私たちは共済年金は知らない」と平然と言いのける
板橋の社会保険事務所次長さんの顔をまじまじと見てしまった。

ラジオで衆議院予算委員会の中継を聞いていた。
厚生労働大臣と民主党の質問者の年金問題の論議を聞いている。
福田首相は、年金問題の核心は、「国民への視点」を貫徹
するのかどうかだと言っていた。厚労大臣も同趣旨の答弁を
している。
同時期、社会保険事務所では、「共済に支払ったかどうかは
私たちは知らない」と平然と答える次長さん。
私が、45歳になって急に国民年金を14年間ほどかけても
受給資格の「25年」にならないのは分かるはず。
当然、45歳前に違う年金に入っていると考えるのが
常識。社会保険庁は、14年しか国民年金に加入していない
ので、年金は支給できません。更に年金を支払ってください、
との通知を寄越しているのである。
国民の立場にたって仕事をしていない連中である。
私は次長に「あなたが、私の立場だったらどうですか?」
と何度も質問した。次長は「私たちは共済年金とは関係ない」
を繰り返す。

今日のニュースでは、「消えた5000万件」の年金の推定額
は2兆3500億円という膨大な金額である。
国家が国民から「盗んだ」お金である。
情けない国家である。

仕方がないので「14年間国民年金を支払った」との証明を
もらうことにした。コンピューターに入力されているはずである。
ほかに請求をしている人もいない。数分で出来るのかと
思ったら、1時間10分も待たされた。事務能力とお客さんで
ある納入者への配慮がない。福田首相ですらと言っては
失礼であるが、首相ですら「年金問題の核心は国民への視点」
の認識だといっているのである。
板橋の社会保険事務所の次長さんは、自分が主人公で
お客の納入者は、自分たちが仕事をしてやっているとの
意識を改革することが出来ないでいる。国民・年金納入者
が主人公であることを再度確認する必要がある。

結局、社会保険事務所でのやり取りに半日ほどとられてしまう。

午後4時過ぎ、帰宅。

その後、徒歩で高島平出張所へ。戸籍抄本取得へ。
帰りに高島平団地商店街で買い物。枝つきの枝豆ふた袋で
300円。
マグロのぶつ(350円)、きゅうりの糠づけ2本(100円)
アスパラ3本(100円)。

午後5時。ボランティア貯金中間報告書を書き始める。
必要な参考資料を渡辺和代さん、バオミンさんなどが
送ってくれる。感謝。

明日の朝は、午前5時半に家を出て、多摩センターまで。
桜美林中の礼拝で講演。自宅から片道2時間。
早く寝なくては。
午後10時半、原田虎太郎さんから電話あり。

投稿者 koyama : 2007年10月09日 19:36

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