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2007年09月20日
ベトナムTVスタジオ撮影:リー君母親
晴天 午後気温が急速に下がる。
ソン君が風邪でダウン。気温の高低差が大きく、体調を
崩す人が多い。
午前6時起床。
午前7時朝食。ブンボー。
午前9時過ぎベトナム事務所へ。
リー君の母親がベトナム事務所にやってくる。
リー君が6歳、弟のイン君が5歳の時別れた。
それ以来リー君には会っていないとのこと。
リー君に会わせて欲しいと言う。
午後6時に日本料理店に来て欲しいと話す。
バオミンさんの通訳でお母さんと1時間ほど話す。
この14年間ほど、リー君、イン君と連絡を取っていない。
今は南部カンボジア国境付近のタンコン省で
胡椒やゴムの農園の季節労働者として働いている。
5年前に夫を亡くしている。
1993年。諸般の事情があり当時の夫が刑務所で無期懲役。
お母さんは6歳と5歳の子どもを残して他の男性と南部に
「駈落ち・蒸発」。
それから14年。子どもたちに会っていない。
5年前、一緒に駆け落ちした夫が死亡。現在は一人で
クーチトンネルの国境沿いで胡椒・コム農園労働者として
働いているとのこと。
現在、弟のイン君はお母さんの家に住んでいる。オートバイを
買ってあげて、毎日小遣いを揚げ、イン君は喫茶店で遊んで
暮らしていると言う。
何としてもリー君と会わせて欲しい、というのが母親の
言い分。母親はリー君を連れて帰り、クーチ付近の
工業団地で働かせたいと言っている。
私とバオミンさんと母親と話したが、母親は私たちの言うことを
聞こうとしない。自分の主張だけを言い張る。
また、この14年間、JASS、「子どもの家」で二人の
子どもたちがお世話になったお礼・感謝の言葉が
一言もなかった。
ただリー君を連れて帰りたいというのみ。
約1時間の話し合いの結果以下のような判断をバオミンさんと
した。
①母親は5年前に二番目の夫に死に別れ、現在、人恋しい状況。
14年前に捨てた二人の子どもたちを迎え入れ、老後のことも
考え、子どもたちに働いてもらい、老後を安泰に送りたいとの
気持ちを持っている。
②そのため既に弟のイン君を家に迎え入れている。
現在は自由・気ままな暮らしをイン君に与えているが、今後、
近くの工業団地で働かせたいと言っている。
私としては、1時間の話し合いの中で、母親はリー君の
人生の本当の幸せを考えていない、自分だけの利益しか
考えていないと思えた。
5歳でリー君を捨てて、14年間一度も連絡してこなかった。
駈落ちした二番目の夫が5年前に死亡し、現在「孤独感」
と「老後の心配」がある。そこで二人の子どもたちを呼び寄せ
働かせ、自分の安泰と老後の保障を得たいと考えている
としか思えない。身勝手な考えではある。
リー君の人生と幸せを母親として、どれだけ考えている
のだろうか?
私が言ったことをバオミンさんが通訳するのだが、母親は
通訳の内容を聞く前に自分の言いたいことをペラペラ
しゃべっていた。
ただ、リー君を連れて行きたいということに尽きる。
私からすれば、これほど「身勝手」なことはない。
夫が事件を起こし無期懲役となり、他の
好きな男性と「駈落ちし」、二人の子どもたちを
14年間も面倒を見なかった母親が、駈落ち夫が
死亡し、自分も老齢化し、二人の子どもたちに
自分の老後の面倒見てもらいたいとなったら、突然
私たちやリー君の前に現れる。
しかし、リー君には本当の母親であることも事実。
午後6時にリー君と日本料理店で会えるように手配する。
「子どもの家」を作り14年。幼児期の子どもたちも
いまや年頃となる。最近、遠い親戚とか親などが
名乗りを上げてくる。親子が対面し、一緒に暮らすことは
良いことであるが、実相は親が成人した子どもたちを
「働かせて」、自分は楽をしようとの魂胆でやってくるような
事例が見られる。先日の高校3年生・大学受験中のAの
「遠い遠い親戚」と名乗る人物もそうである。
親戚といいA君を引き取るというのであれば、
私たちのところに直接で出てきて「名を名乗り」自分が
きちんとA君を育てられると説明するべきであるが、
私たちに顔を出すことを拒否している。胡散臭く・怪しい。
子どもたちを「労働力」として利用しようとの魂胆が見え隠れする。
これもドイモイの影。子どもを利用してでも「良い生活」をしよう
との社会的な傾向がみられる。金・金・金の社会に堕している。
午後12時過ぎ、コムディア。
午後12時20分から1時間昼寝。
午後1時20分。バオミンさんの迎えでベトナムテレビの
スタジオに行く。
9月24日はベトナムの「中秋の日」。
中秋の日は日本で言えば「子どもの日」に当たる。
ベトナム「「子どもの日」にあたる中秋の名月の日に放送
予定の番組を作る。
ベトナム中部で貧しい子どもたちのために活動している
ベトナム人を招いての討論会。
私と省の貧しい子どもたちを守る会副委員長、奨学金を
贈呈している台湾系のNGOのベトナム人スタッフの
討論。
討論会の前に「子どもの家」の子どもたちが中秋を
祝う踊りを踊る。
「子どもの家」の子どもたちが15人会場に招待されていた。
フエ省人口・家族・子ども委員会副委員長、台湾の奨学金贈呈
団体のベトナム人代表、私の懇談。
番組はベトナムでは一番人気のあるものの一つだと
いう。
今週中にベトナム中部で放映され、9月24日の中秋の日
前後にハノイから全国放送される。
スタジオ録画には3時間かかった。
午後5時近く、日本料理店へ。リー君に会い、午前中に
お母さんが来たこと、リー君を連れて南部の農村地帯に
帰ることを話す。私の意見は、日本料理店で仕事を
した方が良いというものだが、リー君は午後6時に来る
お母さんとよく話し合い、自分で自分の進路を決めるように
と話す。
午後5時半日本料理店で子どもたちと夕食。
フダ生ビールを 3日ぶりに飲む。
午後6時、リー君の母親が日本料理店にやってくる。
2階の会議室で二人だけの話し合いの場を作る。
1時間後、リー君が戻ってくる。「僕は日本料理店で仕事を
したい。宜しくお願い致します」とのこと。
その後、リー君、税田さん、石塚さん、ハンナさんと飲む。
仁枝さんも飲まないが同席。
日本料理店の来客3人。
午後9時半閉店。
投稿者 koyama : 2007年09月20日 23:48