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2007年09月19日
地球の歩き方Ⅵ「子どもの家」へ
晴天 午後、気温が下がる
午前6時起床。
午前7時朝食、フォー。
午前7時45分、地球の歩き方Ⅵの泊まっているホテルへ。
ハンさん、ソン君と一緒に皆さんを案内してベトナム事務所へ。
ベトナム事務所でベトナム事務所員の紹介。
地球の歩き方Ⅵの皆さん
地球の歩き方Ⅵの皆さん、刺繍みやげ物店を参観
ベトナム事務所から車で「子どもの家」へ。
「子どもの家」では子どもたちの歓迎の歌と踊り。
先日から日本料理店厨房で研修に入ったヒエウさんが
歌と踊りで歓迎。
セン委員長の歓迎の挨拶
子どもたちの歓迎の踊り(アリババ)
地球の歩き方Ⅵの皆さん
地球の歩き方Ⅵの皆さんの歌(幸せなら手をたたこう)
子どもたち
子どもたちとの交流会後、税田さん・ハンさんに分かれて
「子どもの家」の各施設の案内
午前10時前、私の講演会となる。11時半まで。
ご両親にベトナムスタディーツアーを勧められたという静岡の
学生さんがいた。ご両親は私の静岡での講演会を聞いて
頂いているとのこと。不思議な縁である。
税田さん・ハンさん、地球の歩き方Ⅵ(14人)の皆さんと
フォーサオ(米うどんの野菜炒め)の昼食を食べる。
私は朝食がフォーだったので「チャーハン」を食べる。
午後12時半、自室に戻る。
昼寝、1時間ほど。
読書「美は乱調にあり」
午後3時、日本料理店調理のヒエンさんの親戚という
方が会いたいとベトナム事務所にやってくる。
趣旨は、ヒエンさんがお世話になったお礼を
言いたいとのこと。
ヒエンさんは1993年10月に弟を「子どもの家」(チーラン)
にいれ、ヒエンさんと妹を在宅支援にしてからの
付きあいである。母親が死亡、父親が病気で入院。
生活を苦に17歳の姉が服毒自殺。葬儀のお金がなく、
私がお通夜と葬儀代をだす。父親にシクロをかってやり、
その後、体力がなくなったというので、豚を買って売る仕事
に切りかえる。フエンさんが日本料理店に勤めてからも
妹を在宅支援している。支援は14年間続く。
さて、親戚のおじさんはホーチミン市に住んでいる。
ホーチミン市の大きなゴム会社の副社長さんだったとのこと。
80歳。久しぶりにフエに帰り、フエンさん一家を助けてくれた
人にお礼に来たとの前置きだったが、実際の話は、
1945年にベトミンに入り、抗仏戦争を戦い、その後1954年の
デイエンビエンフーの戦いでフランスを追い出し、
ハノイに行き、ベトナム戦争を闘った。フエ生まれだが
共産党でハノイにいた。1975年のベトナム戦争終了後、
ホーチミン市に行き、国営のゴム工場の副社長になった。
と言いたいことは、1975年のベトナム戦争終結後、
ホーチミン市に行き、共産党の幹部としてハイレベルの役職に
付き、かなり良い生活をしていたということのようだ。
その証拠に長男はホーチミン百科大学教授、長男の妻は
ホーチミン空港の気象観測主任、次男は
ホーチミン空港の貨物管理係りの責任者。長女はホーチミン空港の
デューテイーフリーショップに勤めているとのこと。
それぞれ特権階級の子弟が勤める「甘い汁」の仕事である。
30分ほどの話は、「自分はいかにフランス、アメリカと闘ったか」
「我が子どもたちはいかに優秀で良い大学をでて、現在は高給
とりの立派な仕事をしているか」という自慢話であった。
共産党の特権と、批判のない中で生活をしているこの種の幹部は
社会の常識が分からなくなってしまうのだ、と改めて感じた。
自分の自慢話をするよりは、高給生活をしていた自分が、
姪一家を助けなかったことを「恥じなければ」ならないように
私には思われるのだが・・・・・。
その辺の共産党幹部の神経は何とも理解し難いものがある。
何十年ぶりに生まれ故郷のフエに「凱旋帰国」し、
みんなに自分の出世話をしたい気持ちも理解できる。
80歳である。立派な仕事をして、かなり贅沢なハイレベル
な生活をしてることも良いことでしょう。
それでもフエで自分の姪(フエンさんのお母さん)一家が
家もなく、お堀に不法バラックを建ててその日暮らしを
しているのを、「見て見ぬ振り」をし、14年もたって、
やっとフエンさんが日本料理店で給料をもらい自立し、
家庭も安定した頃になって、やってくるというのも
「立派な親戚」ではある。御礼を言いに来たのではなく、
自分の出世を『外国人』に自慢話に来たのだが、
それでもわざわざベトナム事務所にまで来てくれた
ことに感謝したい。長生きをして欲しい。
午後4時、京都大学大学院生が「フエの観光」の話を
聞きたいと言ってやってくる。1時間半ほど話す。
午後5時半。日本料理店で夕食。リー君は何故かトーンが
高かった。食事中、隣りに座った店長さんと「じゃれあって」いた。
午後6時半から日本料理店開店。
今日は日本人5人、ベトナム人5人、オーストラリア2人。
合計8人。
日本人の4人はJICAの水道関連の横浜の方。
3ヶ月フエに滞在するとのこと。
オーストラリア人はメルボルンの大学教授夫妻。
ベトナムの民族のこと、政治のこと、私は何故
フエでストリートチルドレン支援をているのか?
など30分程はなす。
午後9時20分、閉店。
子どもたちの自転車が「子どもの家」でパンク。
「子どもの家」の二人の子どもが自転車で
迎えに来てくれた。
日本料理店カウンター前で記念写真
午後9時半過ぎ、帰宅。
読書「美は乱調にあり」。
投稿者 koyama : 2007年09月19日 23:44