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2007年09月04日

地球の歩き方ツアーⅣフエ到着:リー君帰る

晴天。午後3時過ぎ豪雨。

気温32度。湿度60%(午後2時半、廊下)

午前6時起床。血圧高騰。(150:99)原因は何か?
午前7時、朝食。ブンボー。

午前8時半、徒歩ベトナム事務所へ。スタディーツアーの
応対で忙しく、あまり歩いていない。
久しぶりに徒歩。30数度の陽射しがまぶしい。

午前中、溜まったメールの返事を書く。

昼食。そうめん。

正午。ホーチミン市に地球の歩き方ツアーⅣを迎えに
行ったバオミンさんから電話。ホーチミン空港の掲示には
予定通り到着とのこと。半分安心、半分不安。
最近のベトナム航空は時間通りに出発・到着したことがない。


午後12時半、昼寝。

午後1時半読書
「VOICE 2007年4月号」(PHP研究所)
訪問者が置いていってくれた雑誌。
「特別対談 開かれた皇室は日本に馴染まない」
(寛仁親王と竹田恒泰氏との対談)

三笠宮の息子と旧竹田宮恒徳氏の孫の対談である。
何度も両者から「万世一系の天皇」という言葉が
出てきた。皇統は男系でなければならないとも主張して
いる。更に戦後皇籍を離脱した11宮家の復活を主張
している。かなりアナクロな二人ではある。民主主義社会
である。何を言おうと自由ではあるが。その前に
しっかりとアル中の治療に専念すべきではないのだろうか?


午後2時前、税田さんから電話。
7月23日に突然行き先を告げずに行方不明になっていた
「リー副店長」が日本料理店に帰って来ているとのこと。
2時半、日本料理店に行く。


7月23日~9月4日まで1ヶ月半ほどの『不在』だった。
かなり精悍というのか、顔がやせた感じがする。

どこで、何をしていたのか? 何故、フエを出たのか、
何故、戻って来たのか? 何をしたいのかなどを聞く。


・タイ・グエン省の山に行っていたという。
 フエから乗り合いバスでダナンへ2時間半。
 ダナンからバイクタクシーで2時間かけてタイグエンの山の
 ふもとへ。
 その後、牛車で2時間半かけて山の中へ。更に徒歩で
 4時間かかって『金の採掘』現場へたどり着いたという。
・従兄弟の夫が昔タイグエン省で同じ仕事をしていて 
 紹介されたという。
・金の採掘現場には、50人ほどの労働者が働いていた。
 100メートルほど地下に坑道を掘り、ダイナマイトで
 爆破し、金の入っている大きな石を粉砕する。
 労働者は3グループに別れ、ダイナマイト爆破班、
 鉱石収集班、鉱石を更に粉砕し、金を取り出す班と。
 リー君は小さく粉砕された鉱石を更に細かく砕き、
 そこから金を取り出す仕事をしたそうだ。
・労働時間は二交代制。
 午前6時から午後6時までの12時間労働組と
 午後6時から午前6時までの12時間労働組。
・食事は1日4回。午前6時・午後12時・午後6時・午前0時。
・土日もなく、タイグエンの山にいる間は、毎日仕事をしたとのこと。
・風呂はなく、水で体を洗い、ブルーのシートを張って寝たそうだ。
 蚊に食われた大変だったと言っていた。
・相当過酷な重労働だったようだ。石の入った重たい箱を
 何度も何度も運び、大変な肉体労働。
・給料は30日働き100万ドン。食事代は無料。
 1日33000ドン。日本円で1日250円。時給20円ほど。
あまりにも低賃金である。

●以前、小林多喜二の「蟹工船」を読んだ。戦前の話である。
 いわゆる「タコ部屋」。リー君の行ったタイ・グエン山岳地帯の
 『金採掘工場』は暴力は使わないが、実質的な現代の
 「タコ部屋」である。ベトナムの法律で定められている労働時間も
 賃金も無視し違法な労働を労働者に強制している。
これがベトナム社会主義の現実でもある。
  一人50ドルの昼食バイキングを夫婦で食べ、贅沢三昧な
 生活に浸る人間もいる。昨年は8億円のインターネットギャンブルを
 したハノイのお偉いさんもいた。職権を使って大金を掠め取り、
 ホテルを数件、フエにたくさんの土地を持っている元知事もいる。
 リー君が好きで行ったタイグエン省山岳地帯の「金採掘工場」では
 あるが、警察や共産党・当局が知らない筈がない。全てグルに
 なって、親のいない若者、事情があって正業に就けない若者に
 付けこんで「悪徳な商売」をするものである。12時間も働かせて
 たった250円程度の賃金しか支払わない。後は、金会社の
 社長と「お目こぼし」のお偉いさんで儲けは山分けという筋書き
 である。金山を個人が持っている訳がない。県営の会社。
 当然、地元の共産党と人民委員会の指示と運営で経営されている。
 人民の見えないところで、事情がある若者たちを奴隷のように
 (1時間20円)酷使する、現代の「女工哀史」ならぬ「金鉱哀史」。
 社会主義の「タコ部屋」。

  「何で黙って仕事をすっぽかし日本料理店を出て行って
 しまったのだ」と小言のひとつも言い、お説教を垂れようかと
 思っていた。しかし、リー君の話を詳細に聞くと、金採掘を
 めぐる「ずる賢い権力を持った大人ども」の悪徳で貪欲な
 な金儲けの欲望に腹が立ってきた。

 フエを出た理由は、「彼女に色々といわれたから」「お金が
欲しかった。バイクを買いたかった」という。
 フエに戻ってきた理由は、人が恋しくなった、知り合いと話したい
とのこと。
昨夜、フエに着き、今朝、早速「子どもの家」に行っている。
リー君にとっての故郷・帰るところは「子どもの家」だったようだ。
「日本料理店で働かせて欲しい」という。今日は、荷物の整理などを
するので、明日から来るように話す。
たった1ヶ月半程度のフエ不在だったが、色々と経験をしたのだろうか?
一回り大きな人間に成長したように思えたのは、私のひいき目だろうか?
タイグエンの金採掘工場でもらった100数十万ドン。帰りの交通費を使い、
昨日フエに帰り、70万ドンの携帯電話を買ったといっている。
せっかく山で稼いだ貴重なお金なのに・・・・。何で必要もないない
携帯電話なんかを買うのだろうか?と思ったが、世界中の若者が
携帯電話で『人間とつながっている時代』なのだ。リー君も人恋しい
年齢になってきたようだ。
1997年、テレビの取材を契機に「子どもの家」に入所。
5年間で小学校を卒業し、ホーチミン市へ家出。やくざの世界へ。
3年間ほど、やくざの世界で相当色々な悪いことをしたのか、
させられたのか?
やくざの世界に嫌気を感じ、「子どもの家」に帰る。そして、ダナンの
金鉱に行くという。私が金鉱タコ部屋に行ったら死なないと出てこられ
ないと諭し、日本料理店の警備員となる。
副店長に抜擢し、給料も上げるとバオミンさんと話していた矢先の
突然の「タイグエン」金鉱行きだった。
この10年間、リー君との付き合いも紆余曲折があった。今後もまだ
あるだろう。一人の人間を育てるということは、親でも大変なこと
である。今、JASSが挑戦しているのこうした「人間を育てる」という
国際支援である。手間隙はかかるが効果が少ない事業である。
たった一人の人間でも「せっかくこの世に生まれてきたからには、
幸せな人生を送ってもらいた」というのが、JASSベトナム事務所員
みんなの願いである。リー君はみんなの願いに応えることが
出来るのかどうか?
人間はこうして紆余曲折を経て「大人」なってゆく。その過程を
大人が「広い気持ち」と「忍耐力」で待ち続けることができるかどうか
の勝負となっているように思う。

ニー店長・リー副店長とで協力して仕事を再開することを
誓う

昨年8月、1ヶ月間日本料理店を手伝ってくれた、矢吹さんが
弟さんと一緒に日本料理店・「子どもの家」を訪ねてくれた。

午後5時半。久しぶりに日本料理店で子どもたちと夕食。
考えて見ると1ヶ月ぶり位になるのか?


鮭の刺身、ゴーヤチャンプル、イカの煮物、野菜スープ。

先日、火焔樹の会のスタディーツアーに参加された茨城県
日立市の大沢さんが日本料理店に折り紙の箸入れを送って
きてくれた。感謝。

午後6時半、おなじみの日本人のお客さん3人。
ベトナム人2人。

午後9時閉店。今日は5人の来客。

地球の歩き方Ⅳ班(24人)がホテルへ到着したとの
連絡あり。急いでズイタンホテルへ。皆さん、元気に
到着。私の紹介をしなかったので、「このおじさん誰?」と
言われてしまう。確かに「おばさんではない」。

これから10月初めまでスタディーツアーは続く。
バオミンさんは、この2週間で3回、ホーチミン市に行って
地球の歩き方の出迎えをしている。ご苦労様。

社会保険庁職員や区市町村職員らによる年金保険料などの
横領が総額三億四千万円余りだそうだ。
血圧が高くなるのも致し方ない。たったと言っては何だが、
月2万円の年金ですら、「支払い不可」の通告を受けてしまった。
13年強国民年金を、23年共済年金を支払ってきたのに。
支払った年金掛け金は合計したら相当な金額になる。
担当者による3億4千万円の横領など聞くと「怒りすら」沸いて
こない。代わりに体と心が自発的に興奮してしまうのだろうか?
血圧急上昇。
年金問題を解決すると選挙で公約した安倍首相だが
農水大臣が辞任、外務政務官が辞任。
今日は、自民党の小林参議院議員が選挙違反の連座可能性で
議員辞職。どうなっているのか。とほほ・・・・・・・。

投稿者 koyama : 2007年09月04日 17:43

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