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2007年09月09日

地球の歩き方Ⅳ(23人)・全国大学生協ツアー(26人) ホーチミン市へ。

晴天

気温34度。

午前7時起床。

読書「VOICE 2007年4月号」。
『父と私』は興味のある内容だった。
15人の著名人が、父親の思い出、関係を綴ったエッセー。

金田一秀穂氏は、祖父金田一京助、父金田一春彦と3代
続いて言語学者の家庭。
富山に講演会に行き、「おわら風の盆」のおわら資料館に行く。
資料館を訪れた有名人のリストに父春彦氏の名前を見る。
また、富山の薬売りの薬問屋へ行く。そこにも父春彦氏の
色紙を見る。父親も以前ここに来て自分と同じように講演会を
したのか、と感慨に耽ったと言うごく短い文章ではあるが、
父親と息子の遠くて近かい不思議な距離感を感じた。
父と息子はこうした何気ない所でその存在を意識するのだな
と思った。

ジャーナリストの徳岡孝夫氏は長男。父親との対立と葛藤
のまま、父親を亡くす。亡くなる前の最後の大晦日を父親と
過ごす。徳岡氏の妻が2000円のお刺身の特売品を買って来た。
「お父さん、どうそ」と徳岡氏が勧める。刺身の大好きな父親は
箸を伸ばしたが、箸が動かない。父親は箸を宙に浮かしたまま
泣いていた。子供や孫に囲まれた賑やかな団欒のうちに送る
大晦日に父親は感極まったそうだ。妻を27歳でなくし独身だった
父親の胸中が初めて分かったという。小林一茶が
父親を看取った時の句。「父ありて 明けぼの見たし 青田原」。
(青田原は田植えも済んだ青い田)

評論家の小浜逸郎氏。子供の頃、毎晩、飲んだくれて帰ってくる
父親。父親が母親をなじる。小さい小浜は母親が可哀想で
父親の背中をぽかぽかと力いっぱい殴り続けた。
父親はそれをなすがままにしていたという記憶があるそうだ。
自分が2児を育て終わって、父親の生涯を知るにつれ、
父親が飲んだくれていた気持ちがやっと理解できたという。
戦前の旧帝大を出た父親は、戦前、大陸の商社マンとして
大きく活躍していたそうだ。戦争に負け引き上げ。全てを失い、
仕事もうまく行かない。エリート意識は捨てきれず、生活と
意識のずれに悩み、酒を飲んでいたことを理解できるように
なったという。

午前10時、ブランチ。
昨晩の地球の歩き方ツアー夕食会の残りをお土産にしてもっら
ものを食べる。固いご飯、コロッケ、野菜炒め。少し油が舌に
残る。

メール送受信。

いくつか、大きな問題について、関係する日本の方に長文の
メールを送る。

午後12時半、昼寝。

午後2時45分、ズイタンホテルへ。地球の歩き方ツアーⅣ班の
皆さんの見送り。皆さん、元気にホーチミン市へ。


夕方。「VOICE」(PHP出版)の『父と子』のエッセーが頭に残る。
私は一体、父親とどんな関係だったのだろうか?
私の高校2年の時、脳溢血で急死した。52歳で生涯を終えた父。
1910年(明治43年)生まれ。1930年に徴兵検査で甲種合格。
それから敗戦まで15年間。中国大陸で戦い続ける。
戦後引き上げて来た時は、36歳ということになる。
成人した時から戦争に突入し、海外で戦争を行い敗戦で帰国。
結局、私の父親は、自分の正業をもち、経験を積み一人前になる
前に36歳になってしまった年代なのである。正業は「軍隊」
ということになる。小学校卒の学歴しかない父親であった。
二等兵から始まり軍曹で敗戦。現場の第一線で戦争を戦い
生死をさ迷った層に該当するのだろう。
そんな青春と人生を経てきた父親は、終始『軍隊生活』が身について
いた。死ぬまで越中ふんどしをしていた。
論議は嫌い。言い訳をするとすぐに「ぶん殴る」父親だった。
また、軍隊時代もかなり反抗的な態度が多かったようだ。
筋の通らない上官とけんかをして「重営倉」(刑務所)送りに
何度もなったと母親が言っていた。
正義感の強い、短気な「軍隊のたたき上げ」人間と言ったところ
だろうか?
私は戦後教育を、生まれた時から受けた。戦後民主主義教育。
話し合い、男女平等、暴力はいけない・・・・・・・。
戦前の軍隊人間だった父親といつもぶつかっていた。
私が家出をしたのは、小学校2年生だった。
私にとっては理不尽な父親の暴力に抗議し、家出を敢行。
近くのゴミ箱で一夜を過ごした。その後、何度も父親と
ぶつかっている。ぐたぐた文句を言うなといわれる。
私は私で学校で「民主主義」を学んでくる。旧陸軍と
戦後民主教育の激突である。小学校2年生で父親の
「理不尽な暴力」に抗議し家出をしてから何度家出を
したか分からない。父親にすれば実に反抗的な息子だった。
私からすれば何でも精神主義・暴力で解決しようとする大人に
見えた。父親とぶつかり家出をするのは、中学1年生位まで
続いたろうか? 「父親が出て行け」という。私は、「暴言を
吐いて出て行く」。母親が私の後についてきて、「お父さんに
謝りなさい」という。絶対に謝らない。家出をして、路上でも
どこで寝てもいい。こんな理不尽ことには、徹底的に
闘ってやるとの気概に燃えていた中学生の頃であった。
父親は職人だった。そして中国から復員して企業を立ち上げ
大成した。しかし、戦後の経済的な混乱も原因して倒産。
いつも朝から飲んでいた。毎日ビール1ダース位は飲んで
仕事をしていた。夜になると職人仲間を家に呼んで毎晩
酒盛りをしていた。母親は「絶対に大人になったら酒飲みになって
っては駄目よ」と言っていた。
今から考えると中国から帰り、企業を興し大成し
そして倒産。不遇のまま死んでいった父親はやはり何か人生を
考えるものだがあったのではないかと思う。
父親が毎晩、職人仲間と酒盛りをしていた理由が最近
やっと分かるような年齢になってきた。
ある時、父親がその酒盛り最中に私の通知表を酒盛り
仲間に見せて『自慢して』いた。私には、本当に意外な
出来事だった。いつも暴力で私を押さえつけようとしている
父親である。私の通知表を仲間に見せて自慢している
父親。今はその気持ちが分かるようになったが、
当時は全く理解できなかった。高校2年の時、突然
脳溢血で死ぬまで父親は私の最大の「闘争」相手だった。
それから43年。今や私は忌み嫌った「飲酒」の常習者と
化している。上官に反抗して軍隊の刑務所に入れられた
父親と同じように「貧しさと・不平等な社会」に反抗している私で
ある。マルクスが「否定の否定」と言ったそうだが、
結局、43年経って、私は父親と同じ道を歩んでいるので
ある。父親が倒産し、家が最貧困の真っ只中にいた時、
家の前を歩いていた「物乞いの老婆」におにぎりを作って
食べさせていた父親の後ろで、私は何であんなに怖い
父親が、こんなにやさしい行動を取るのか不思議に
思っていた。我が家自身が食うや食わずの身の上なのだ。
物乞いの老婆におにぎりをあげるDNAはまさしく私に
伝わっていることを確信する今日この頃である。
このDNAが我が子と孫に正確に伝わって欲しいという
気持ちと、この爆発するDNAが伝わると人生がはじけてしまう
という危惧の気持ちがない交ぜになり複雑な気持ちになっている
のも事実である。最愛の孫、はなさんと夏人君の人生に幸あれ。
でも曽祖父のDNAからは逃れなれないぞ。

夕方。DNAのお呼びで一杯飲みたくなった。食料が枯渇している。
自室の近くの路上の飲み屋に行き、スルメを2枚を焼いてもらう。
350円。お店の親父が「あんたの日本料理店は閉店したね」
という。よく知っているものだ。
部屋に帰り、スルメを小さく切り、醤油に漬ける。
フダビール3本、英勲(純米大吟醸)をスルメをおつまみに飲む。
これも父親のDNAと理屈をつけて。美味しい。

私は家出の専門家だ。小学校2年から家出を繰り返し、現在も
ある意味で「家出の真っ最中」である。
「家出おじさん」と呼んで欲しい。

安倍お坊ちゃん首相の「年金の名寄せは2008年3月までに
完了」との公約が嘘であったことが判明した。特に驚く気持ちに
にもなれない。安倍首相の「言葉」は歴代の首相の中でも
際立って『軽い』。口先だけ。国民が首相の言葉の重さを
誰も信用していない。

舛添厚生労働相は9日、テレビ朝日の番組で、該当者不明の
約5000万件の年金記録について、政府が来年3月までに
実行することを約束している名寄せなどの作業について、
「(政府内には)『3月までにできる』と言った人はいないが、
できるとかできないではなくて、やらなくてはいけない。
政治決断で決めた」と述べ、実現に向けた見通しが立って
いないことを認めた。

 安倍首相は7月5日の記者会見で、約5000万件の記録の持ち主を
社会保険庁のコンピューター上で検索する「名寄せ」と、記録の持ち主
である可能性がある人への結果通知を、来年3月までに完了するとした
記録問題への対応策を発表した。だが、「来年3月まで」という約束には
、具体的な裏付けがなかったことになる。

ということのようだ。「はあ、そうですか。」という言葉しか
出てこない。私も「消えた年金」ではなく「国家に盗まれた年金」
の該当者である。
安倍お坊ちゃん首相は2008年3月までに消えた年金の
名寄せを完了すると『公約』した。その舌の根が乾かない
うちに、「厚生労働大臣」が「ギブアップ」宣言をしてしまった。
そうでしょう。参議院選挙のために事実を確かめずにお坊ちゃん
首相が「口先だけ」で言っただけの意味のない発言。
今や政府高官、政治家の言葉は、基本的に信用できない
もの。こいつらに頼っていても埒があかない。
この連中は、生まれながらに「上流階級のお坊ちゃん」。
私たちのような庶民の生活は分からない。
私は毎月2万円の年金問題で怒っているのだが、
この連中は数千万円の政治資金をちょろまかしているのだ。
しかもその金は、税金である。
10月、日本に帰国したら、社会保険庁、共済年金に
行き、言いたいことはきちんと言ってみるつもりだが、
どこまで通じることやら。

シドニーで安倍首相は「テロ特捜法が延長できなかったら
退陣する」という主旨の発言をしているが、口先だけ。
今まで何回、口先男になっていたことか?
本当に言葉を失ったお坊ちゃん首相である。

私の「盗まれた年金を返せ」と訴えたい。


投稿者 koyama : 2007年09月09日 17:22

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