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2007年08月31日

神田外語大:大阪女学院大学NGOー「子どもの家」案内

晴天

午前6時起床。
午前7時朝食。フォー。

疲れが溜まる。朝なかなか起きられない。

午前8時過ぎ、ベトナム事務所へ。
午前9時、神田外国語大学学生11人がベトナム事務所へ。
昨年、神田外国語大学で講演会を行った。その時、講演を
聞いてくれたベトナム語を学んでいる学生さんたち。
岩井先生の指導を受けている学生のようである。

数日前、私の「ミクシー」に連絡が入っていた。
ホーチミン市かダナンから「子どもの家」参観をしたいが、
受け入れてくれるか?とのことだった。税田さんに交渉を
お願いした。今日、参観が実現。朝4時だか5時頃、
ダナンから列車でフエに来たとのことだった。
午前11時半頃の列車で再びダナンへ帰ると言う。
わざわざ「子どもの家」視察のためにフエまで来てくれた
ことに感謝。真面目な学生さんたちである。

ベトナム事務所からタクシーで「子どもの家」。

「子どもの家」の各施設を案内。その後、子どもたちと交流。

少数民族問題、ベトナム社会主義の実態問題などを質問して
来た学生さんもいた。「問題意識」を持つことが何よりも
大事なことである。担当の先生方の日頃の指導の結果か?

午前11時半、自宅へ戻る。
昼食、コムディア(70円)。食欲ない。半分残す。

午後12時半から1時間昼寝。

その後読書「裏切られた革命」(トロッキー著)
この本は、第1部が、1917年10月革命後に生まれた
「ソビエト社会主義連邦共和国」とは一体何なのか?
どう変質し欺瞞だったのか?を解き明かし、第2部では
ソ連がどこに行こうとしているのか?スターリン体制下の
ソ連の行き着く先を解明している。本書は1936年に
書かれた。本書がかかれたまさにその時にスターリンは
「ソ連社会主義は最終的に勝利し、世界でもっとも民主主義的
な憲法が制定された」と宣言した年であった。
しかし、実際には、多くの市民・知識人・共産党の幹部、
外国共産党の幹部が、。スパイ罪、国家反逆罪、
トロッキー主義者という烙印を押され、死刑になっている。

午後2時半、ベトナム事務所へ。
午後3時、大阪女学院大学スタディーツアーの皆さん16人
の訪問受け入れ。
皆さんと一緒にバスで「子どもの家」へ。

セン運営委員長に記念品贈呈。

「子どもの家」の音楽室で1時間ほどJASS活動の話をする。
その後、各施設を参観。子どもたちとしばらく交流。
午後5時過ぎ交流を終了する。

午後6時、大阪女学院大学の皆さんが日本料理店へ。
様々な日本料理を注文してくれる。最大のボランティア。

午後8時、夕食を終了。全員で記念写真。


投稿者 koyama : 16:00 | コメント (0)

2007年08月30日

ニュージーランド人案内:地球の歩き方Ⅲ「子どもの家」交流

晴天 午前中猛暑。午後曇り。

午前6時起床。昨夜は年金問題の怒りで痛飲。

午前7時朝食。ブンボー。食欲なし。ツアー案内等の疲れが出る。

午前8時過ぎ、ベトナム事務所のサンさんから電話。
ベトナム事務所にニュージーランド人が来ている、
「子どもの家」を視察したいと言っているとのこと。
急いでベトナム事務所へ。ニュージーランド「ネルソン」
に住んでいる高校の先生。少し立ち話をし、「子どもの家」
訪問、支援品を渡したいとのことだったので、案内する
ことにした。タクシーで「子どもの家」へ。
「子どもの家」の各施設を案内し、「子どもの家」設立の
歴史、子どもたちの様子、ベトナムの社会事情などを説明する。

子どもたちのために自分の学校からボールペン、メモ帳などを
頂く。

今夜フエを発ってハノイへ行くとのこと。

「子どもの家」では、地球の歩き方Ⅲの皆さんが、
子どもたちと両国の伝統遊びなどを楽しんでいた。


そのまま「子どもの家」で地球の歩き方Ⅲの皆さんの交流に
合流。

午前11時、交流を終わり昼食へ。

昼食はベトナム料理「オンターオ」。
私、バオミンさん、税田さんも同席。42人の昼食は壮観だった。

午後1時自室へ。昼寝。

午後2時、地球の歩き方Ⅲの皆さんはシクロで「子どもの家」へ。
バオミンさん、ソンさんがオートバイでシクロの前後を護衛。

「子どもの家」到着後、子どもたちと一緒に近くの「タイロック市場」
へ。夕食の食材の買出し。

「子どもの家」へ戻り、子どもたちと一緒に夕食作りをする。


午後5時半、夕食。

自分たちで市場へ行って買った食材で作った夕食を
子どもたちと一緒に摂る。


午後6時、宿泊しているホテルへ。

その後、自由行動。

私は関係者と日本料理店で夕食。


投稿者 koyama : 16:39 | コメント (0)

2007年08月29日

地球の歩き方Ⅲ 2日目:「国家に盗まれた年金」

晴天。蒸し暑い。夕方、雷と雨。

午前6時起床。疲れが残る。
午前7時朝食。フォー。

午前8時前、電動バイクでベトナム事務所へ。

ベトナム事務所の2階会議室では、日本料理店の
子どもたちが、英語の先生について英語の勉強。


午前8時過ぎ、地球の歩き方Ⅲ(39人)が
添乗員さんの案内でベトナム事務所を訪問。


税田さんの司会でベトナム事務所員が自己紹介。


税田さんよりフエ滞在中の生活上の諸注意。
①氷・水に気をつけること。(水道の水、氷は飲まない)
②常に水分の補給を。ミネラウオーターを常に携帯すること
③オートバイや自転車には乗らないように。
④「子どもの家」や高校などでの交流後に
 個人的な交流・付き合いはしないで欲しい。

その後、2階のベトナム事務所や3階の刺繍みやげ物店
を参観。

その足でバス2台に分乗し、ハンさん、ソンさんの案内で
「子どもの家」への歓迎会に臨む。

私はいくつかの大きな問題について、バオミンさん、
税田さんと意思統一。

9時40分まで打ち合わせを行い、急いで「子どもの家」へ。
午前10時から地球の歩き方Ⅲの皆さんに講演会を行う。
38人の学生さんを中心にしたスタディーツアーの参加者。
音楽室は満席となる。



午前11時半、講演会終了。

ハンさん、サンさんの案内で昼食レストラン「フォーザイゴン」へ。
昼食は「フォーザオ」。米の麺の野菜入り炒め。


午後1時、自室に戻り昼寝。1時間。

午後2時。11通のメール受信。5通の返信。

午後4時、日本語学校へ。地球の歩き方Ⅲの皆さんは
午後2時から「ベトナム語講座」。
フーン先生、石塚先生からベトナム語の基礎講座を
受ける。その後、日本語学校の観光基礎コースの
生徒と交流しながら実際にベトナム語を使ってみる。



午後4時半、「ベトナム語講座」終了。そのまま、「アオザイ」
作製。ベトナム事務所の隣りにバオミンさんのお母さんが
アオザイ店を開店。100%オーダーメイドのアオザイを
作る。布と縫い賃で3000円~4000円以内。


午後8時、スタディーツアー関係者と日本料理店で懇談。
午後9時過ぎ終了。

元ベトナム事務所員だった舟山さんご家族が日本へ帰国。
ホーチミン空港から電話で帰国の挨拶。義理堅い人である。

ーーーーーーーー

日本の自宅から郵便物が届いた。その中に「社会保険庁
年金加入期間の確認について」(ご案内)という葉書が
入っていたい。何だろうと開けてみる。
以下のような文章だった。以下、原文。

『あなたの基礎年金番号に登録されている年金加入期間
のみでは、年金を受けるために必要な加入期間を確認
出来ません』というものであった。

右側の「あなたの加入期間」という一覧表を見ると、
『国民年金加入期間 164か月』とあるのみ。
『共済組合等加入月数  0ヶ月』。

要するに年金受給に必要な25年間年金をかけていない
ので、年金は受給できません、
という手紙だった。

私は教員を23年間、勤めた。共済年金を23年間かけていた。
しかし、社会保険庁は、わたしのかけた23年間は記録にない
として、「0ヶ月」。つまり、私は共済年金をかけなかったと
ことになっている。23年間かけてきた共済年金の掛け金は
結局、国家に盗まれた状態である。

私は23年間共済年金をかけてきた。しかし、25年の受給資格に
ならないので、ベトナムに来てから国民年金を164ヶ月かけた。
13年6ヶ月。

社会保険庁は、国民年金13年6ヶ月間しかかけていなので
年金は一切出しません、という通告書を送ってきた。
国民年金支給は1ヶ月たった2万円程度である。その2万円程度の
国民年金支給の基礎年金部分すら支給を拒否。
その最大の原因は、23年間かけた「共済年金」を「かけていない」
と勝手に決め付け、通算しても国民年金の13年6ヶ月だけしか
年金はけけていないというのである。受給資格の25年にならない
というのである。

これだ。「消えた年金」というやつだ。
私は5000万件の一つの『消えた年金』の該当者になりました。
年金ゼロいという通告を国家から受けて、『消えた年金』
ということばを作った人間は、自分は「消えた年金」に入らない
マスコミか何かの人間だと分かった。自分が、23年間
共済年金をかけ、その後、13年6ヶ月国民年金をかけ、
合計で36年6ヶ月の年金をかけてきたのに年金受給資格は
ありませんと国家に宣告されてみて、「消えた年金」ではなく
『国家に盗まれた年金』
言わなければならないという気持ちになった。
これは明らかに国家による「詐欺」であり「犯罪行為」
である。

社会保険庁の葉書によれば、「文句がある人間は、自分で
社会保険事務所に行くか、共済年金事務所に行って
相談しろ」とのこと。どこに、何も悪いことをしていない
被害者が、自分で被害を証明しなければならない社会が
あるのだろうか?

冗談じゃない。こちらは何も落ち度はないぞ。
きちんと決められたお金を決められた期間以上納めている。
もし、間違いがあるのなら、社会保険庁、貴方たちの
事務上のミスでしょう。貴方たちが自分の力でしっかり調べ
るべきでしょう。

ミスを犯した犯人が、被害者に「自分で調べて申し出ろ」とは
どういう社会なのだろう。

真面目に36年間も年金をかけた私が、黙っていたら年金は
ゼロになってしまう、恐ろしい「美しい国」である。
安倍首相は参議院選挙で1年以内に問題を解決すると言った。
しかし、解決は、私が社会保険庁に行ったり、共済年金事務所に
行って、自分で解決するのです。安倍首相、貴方は選挙中、
年金問題は「安倍政権」「政府の力」で完全に解決しますと
言いましたね。しかし、実際は、私が黙っていらた年金は出ない
のですよ。政府は何もしてくれませんよ。私が自分で解決しな
ければならないのです。

法制上、年金は該当者が自己申告して権利が発生する。しかし
今回の「国家に盗まれた年金」は申請する以前の事務処理が
出来ていないという、全くもって政府行政の無能力から起こった
問題である。
国家権力による、私権の重大な侵害である。

情けない『美しい国』に生まれてしまったものである。
安倍首相は教育基本法を改悪し、「愛国心」を導入した。
これでも国家を愛せよというのだろうか?
国民に義務だけを強要し、国家は責任を果たさないだけで
なく、その尻拭いまで国民の押し付けている国家。

私は23年で教員を辞めてベトナムにストリートチルドレン支援
のため来た。年金は半減した。それでも国民年金に
加入し、受給年限を確保し、生活は出来ない年金額ではあるが
最低限の生活を覚悟し、老後を過ごそうと思っていた。

こんな小さな夢ですら、現時点では「木っ端微塵」に粉砕されて
しまった。怒り心頭に発するのである。ベトナムにいたのでは
文句一つ言えない、情けない状況である。

今朝、日本人5人で朝食を食べながら、「ネットカフェ難民」の
話をした。
新聞報道だと厚生労働省の調査では、全国で5400人が
ネットカフェー・漫画喫茶で寝ているという。
26%は20歳代、23%は50歳代とのこと。
私たちの話題に上ったのが、「ネットカフェ難民」の月収が
10万円強とのことだった。
私たちの毎月の手当ては、ネットカフェ難民の半分ほどの
ものである。という事は、私たちは今騒がれている
ネットカフェー難民以下の生活ということ。日本に帰ったら
最低限の生活もできない手当てではある。

国家に盗まれた年金、「ネットカフェー難民」以下の手当て。
ベトナム事務所で働いてくれている日本人のスタッフの
皆さんに申し訳なく思う。

これでも私たちは「愛国心」をもち、私たちを捨てた国を
愛さなければならないのだろうか?

我が家は父母と兄・姉が中国で国家に捨てられている。
そして、今回改めて私が国家に捨てられた現代の棄民。

それでも私は日本という国を愛します。日本人としての
自覚を持っている。国家に強制されない愛国心を
持っている。

自民党の玉沢元農相が領収書3枚を使い回し5枚の
ニセ領収書を作り377万円の架空の政治資金収支報告書
を作っていた。玉沢氏は衆院政治倫理審査会長だそうだ。
なるほど、政治家の倫理を審査する委員長はこういう
人物だったのか。自民党の政治倫理とはこういった
ものなのだ。「美しい国」とは、こうした権力を持った人間が
勝手放題にずるいことをしても良い国だったのだ。
権力者が好き勝手なことをする国が「美しい国」だったのだ。

こんなことを書いていたら、高村正彦防衛相(衆院山口1区)の
資金管理団体が、家賃のかからない議員会館を「主たる事務所」
として、三年間で約三千万円を領収書のいらない事務所費として
計上しているとの情報あり。1年間1000万円。
大変なお金である。毎月2万円の年金をもらうために
ベトナムでハラハラ・イライラしている。生活保護以下の
手当てしかない私たちのベトナムでの生活。
現在と未来の自らの低所得の行方を考えている時、
家賃のいらない自分の議員会館を
3000万円の領収書のいらない経費を計上してる
防衛大臣。「事務所の詳細は言わない」と『防衛』をしているそうだ。

私が今回「国家に盗まれた年金」は第一陣は年額たったの
24万円である。自民党の政治家は、数千万円のお金をちょろ
まかして、絆創膏でごまかしたり、説明しないと「防衛」している。
何か空しさと空虚さだけを感じる出来事であった。

「国家」というもの

アフガニスタンに布教活動に行った韓国キリスト教関係者が
タリバンの拉致され、男性二人が殺害され、女性二人が
解放された。今回、残りの19人全員が解放される見通し
とのこと。そもそもイスラム教のアフガンにキリスト教の
布教に行くこと自体、かなり大きな困難と問題を抱えていた。
相当、無謀な行動であった。

何年かの前の「高遠・今井」問題を思い出す。
日本政府高官が「自己責任」「帰りの飛行機代を返せ」など
イラクに入り、ストリートチルドレンや劣化ウラン弾問題の
支援に行った若者二人を攻撃した。
私は若者二人の行動を全面的に支持するものではない。
真っ当に海外支援をしている人間なら、このような単細胞な
活動はしない。しかし、高遠さん・今井君の行動はけして
間違ったものではない。方法に未熟なものがあったとしても
真っ当な活動であった。
自民党など政府高官は口汚く二人を攻撃した。
その時、二人に激励を送ったのは、アメリカのブッシュ大統領
だった。「素晴らしい日本の若者」と。
今回、韓国のキリスト教系の団体がアフガニスタンに入り、
キリスト教の布教をしている最中にタリバンに拉致された。
日本の政府高官が高遠さん・今井君の取った態度からすれば
これらキリスト教団を糾弾するはずである。しかし、韓国政府は
冷静沈着にタリバンと交渉し、殺害された男性以外の「解放」
にこぎつけた。これが、国家というものである。
日本の国家は、国民に異常に冷たい国家である。

投稿者 koyama : 19:41 | コメント (0)

2007年08月28日

地球の歩き方Ⅲ(39人)フエ到着

晴天

朝7時。気温32度。湿度80%(廊下)

起床6時半。昨夜痛飲。多少の頭痛あり。

午前7時朝食。ブンボー。

午前9時。徒歩ベトナム事務所へ。
9月訪問の団体と日程等について最終調整の連絡。

日本語教師の石塚先生と懇談。

午前12時。昼食。そうめん。

午前1時。昼寝。

読書「裏切られた革命」。
スターリンの、ソ連は社会主義に到達したとの発表を
具体的な数字とマルクス・エンゲルスの主張を引用
しながら、その嘘を暴露する。1930年代のソ連は
マルクスが主張した社会主義ではないと。
そして、官僚組織の肥大化とニセ社会主義を批判。

午後3時過ぎ、「子どもの家」へ。絵画教室の様子を
撮影。


午後4時。関係者に12通のメール送信。

午後7時。ズイタンホテルへ。バオミンさん、サンさん、
ソンさんと合流。地球の歩き方Ⅲ班(39人)の出迎えの
ためフエ空港へ。

7時50分、地球の歩き方スタディーツアーの皆さん39人
が無事フエ空港に到着。

サンさんとソンさんはスーツケースを運ぶトラックで
先にホテルへ。
バスには私とバオミンさんが乗る。バオミンさんが車中で
フエ滞在の諸注意。フエ市内までの観光案内をする。

午後8時半。フエ市内着。そのまま「フォー24」のお店へ。
全員、フォーを食べる。

午後9時過ぎ、5日間宿泊するズイタンホテルに到着。
ウエルカム・ドリンクのオレンジジュース。

添乗員さんの説明。部屋割り、電話のかけ方、明日の日程など
を聞く。

その後、貴重品を預け、部屋に行く。部屋のエヤコン、
温水シャワー等のチェックをする。いくつかの部屋に
問題あり。是正する。

全て終わり帰ったのは、午後10時45分。

39人、全員が無事第1日目を終わった。
ミンさん、サンさん、ソンさんが遅くまで良く仕事をしてくれている。
ありがたいことである。


NHK衛星放送が見られないので、安倍内閣の陣容が
いまいち分からなかった。インターネットでやっと判明。

「人心一新」を掲げて閣僚の首のすげ替えをしているが、
最大の人心一新は安倍首相の退陣なのだが・・・・・。
参議院選挙の結果はそれを国民が望んだのだ。

お坊ちゃん首相と失言・暴言麻生幹事長、病弱与謝野官房長官
の3人が安倍内閣・党の中心人物である。
与謝野官房長官のHPを見た。自分は与謝野鉄幹と晶子の孫だと
自慢のHP。
そういえば、安倍首相は岸信介・弟佐藤栄作の祖父などと晋太郎
外相の父を尊敬、麻生幹事長は祖父吉田茂元首相と麻生財閥という
閨閥のお坊ちゃん。
日本は政治的には明らかに「二重階層社会」である。
犬や猫と同じで良家の「血統書」がないと政治家になれない
国である。

安倍首相は「政策実行内閣」と自画自賛しているが、
「泥船内閣」「セコハン内閣」「KY内閣」「PTA内閣」
「安倍不要内閣」「年内内閣」などの批判もある。
あまり代わり映えのしない内閣であることは間違いない。
今回の内閣改造にあたり大臣の「身体検査」に相当時間を
かけてという。事務所費二重領収書など自殺者も出した
「金と不正」にまみれた第1次安部内閣であった。今度は、
そうした不祥事はないのかな? 
と見ていたら、第2次安倍内閣発足当日に
額賀財務相(茨城2区)が代表を務める「自民党茨城県第2選挙区
支部」の茨城県行方市の事務所の建物が、10年前に建築されて
以来、不動産登記されていなかったことが判明。

インターネットで「不動産登記法」を調べてみた。
第47条に
『新築した建物又は区分建物以外の表題登記がない建物の所有権を
取得した者は、その所有権の取得の日から一月以内に、
表題登記を申請しなければならない』と明記されている。

家を新築したら1ヶ月以内に不動産の登記をしなければならない。
額賀大臣は10年間もしていなかった。

不動産登記法の164条に

『・・・・第四十七条第一項・・・の規定による申請をすべき義務がある者
がその申請を怠ったときは、十万円以下の過料に処する。 』
とある。

新築1ヶ月以内に登記しない場合には、過失として
10万円の過料の処置を受ける。

つい忘れたということが許されるなら、不動産登記法などはいらない。
明らかな違法行為である。家賃のかからない自宅を事務所にし
年間1000万円以上の事務所費を計上している。
額賀事務所では色々と言い訳をしているが、
茨城の「絆創膏農林大臣」といい、次から次と脇の甘い大臣ではある。
これではまだまだ第2、第3の「ばんそうこう大臣」が
出てきそうである。

投稿者 koyama : 16:29 | コメント (0)

2007年08月27日

第5回「子どもの家」労働組合総会

晴天 蒸し暑い

午前6時起床。

午前7時朝食。フォー。

午前8時、徒歩でベトナム事務所へ。

バオミンさん・税田さんと当面のスタディーツアーのこと、
今後のベトナム事務所の諸問題など当面の問題と
中長期的諸問題を話し合う。午前11時半まで。

午前12時昼食。一昨日のJASSツアーの残りご飯で
おじやを作る。

午後1時から30分昼寝。

午後1時30分過ぎ、バオミンさんと一緒に「子どもの家」へ。
午後2時から第5回「子どもの家」労働組合総会に参加。


                 JASSの会
  37グエンチャイ労働組合第5回大会
    2007年~2009年度

初めに国家斉唱。
続いて来賓紹介。トゥアティエンフエ省労働総同盟副委員長、
私、バオミンさん。
大会議長にセン運営委員長、ロック寮長が、書記にキムアンさんが
選出される。

議事に入る。
セン運営委員長より、2005年~2007年までの活動総括、
2007年~2009年までの方針が提案される。



ロック寮長より「フエ市労働組合連合第8回大会決定が
読みあげられる。

続いて、総括と方針についての討論に入った。

●コンピュータのマン先生
 提案は全て100%正しいです。賛成します。
 「子どもの家」では労働組合の活動の場が少ない。
 スタッフの健康診断費用を組合が出して欲しい。

●警備員のブイさんの意見
 「子どもの家」を退所し、仕事をしたりしなかったりしている
 子どもたちが夜「子どもの家」に入って、他の子どもたちに
 悪いことを教えている。人民委員会で何とかして欲しい。

●寮母のティエンさんの意見
 子どもたちが段々大きくなっていく。子どもたちの自立のために
 仕事をする場を見つけて欲しい。

討論を終わり。総括と提案が全員一致で可決。

セン運営委員長の挨拶。
・皆さんの団結で総会は成功した。これからも協力して仕事を
 して行こう。
・「子どもの家」の運営費には限度がある。希望を生かしたいが
 難しいものもある。今後も努力して行きたい。
・他地域の「子どもの家」などを視察しながら「職員旅行」を
 したいのだが・・・。

続いて来賓挨拶。

●トゥアティエンフエ省労働総同盟副委員長
 ★ベトナムの労働組合はベトナム共産党の一元的な
  指導下にあり、労働総同盟は唯一の労働組合の
  全国組織である。


  ・この「子どもの家」のスタッフは少ない。 もっと増やしなさい。
  ・給料が安い。毎年給料を上げなければ駄目だ。
   フダビール会社やフエ郵便局の給料は「子どもの家」
   の2倍以上だ。こんなに安い給料は改善しなさい。
  ・労働組合費がなければだめだ。
  ・「子どもの家」に共産党の支部を作らなければ
   いけない。
  ・「子どもの家」の労働組合の委員長はロック寮長に
   しなさい。
  ・以下、お説教になる。人間は真面目に生きなければ
   ならない。人間は努力が大事だ・・・・・・・。
   延々30分以上の無内容な話をする。

  (30分以上この副委員長の話を我慢して聞いた。
   この男は、指導者意識丸出しだ。粗野で無教養なこの男
   は自分は偉いと思い込んでいる。
   『空気が読めない』という言葉があるが、まさにこの副委員長
   のためにある言葉だ。
   こんな暑い日の午後2時過ぎ。延々と意味のない話し、
   人間はどう生きなければならないか、などと言うお説教
   をし続ける男の顔をじっと見ていて、ベトナムという社会で
   生きている庶民が可哀想になった。こんな馬鹿男の
   話をハイハイとうなずきながら聞かなければいけない
   のだ。共産党の幹部・お偉いさんに楯突けない社会構造。
    「子どもの家」の給料が安いなどといえるこの男の
   無教養・厚顔無恥さに呆れる。日本の庶民の支援金で
   運営されているボランティア施設である。
    まず最初にこの男は、「日本の皆さんのご支援
   のお陰で、ベトナムの子どもたちが助かっています。
   日本の皆さんに心からのお礼を申し上げたい」というべき
   なのである。本来、ストリートチルドレンや貧しい子どもたち
   を助けるのは、貴方たち共産党の仕事でしょ。「子どもの家」に
   共産党の支部を作れなどというヒマがあるのなら、
   ストリートチルドレンや貧しい子どもたちを助ける計画でも
   考えろといいたい。そのためにお前は高給を取って
   贅沢な「労働貴族」の生活をしているのだろうに。
    フダビールや郵便局の職員の給料が「子どもの家」の
   スタッフの2倍だから、もっと給料を上げろと言っている。
    ばか者。「子どもの家」と利益を追求するビール会社などと
    同列視し、比較する人間がどこにいますか?
 この副委員長は、民主主義という基本概念すら理解して
   いない。この後、無記名秘密投票で役員を選出するのだが、
   挨拶で、ロックさんを委員長をしなさい、などと指示している。
    「子どもの家」のスタッフは賢明であった。副委員長の
   指示を見事に無視して、ロックさんは役員を辞退して
   しまい、全く違うスタッフ3人を役員に選出している。
    もっともこの役員選挙も、事前に全て筋書きが出来ていた
   選挙ではあったが・・・・。
   こんな常識も分からない人間が、共産党の幹部で、
  指導者風を吹かせ、人間の生き方は・・などとお説教を
  垂れているのだ。迷惑なお説教を垂れるヒマがあったら
  1分以内にお前の挨拶を止めた方がよっぽど「子どもの家」
  のためになる。参加者は疲れている。無駄な時間。
  結局、この副委員長は総会で出た組合員の意見や
  要望には何も答えなかった。意見は無視された。
  彼の頭は、総会で偉そうにお説教を垂れるのが自分の
  仕事と思っているのである。多分、今までそうしてきたの
  であろう。どこに行っても共産党の幹部・お偉いさんと扱
  われているのだ。こんな無教養の人物が労働総同盟の
  県の副委員長であるということが、そもそもベトナム社会
  の不幸である。この男の偉そうな馬鹿話しを聞きながら
   怒りがわいてきた。)

●来賓挨拶の次は私。
 この際、粗野な労働総同盟副委員長に「嫌味」「皮肉」の一つも
 言ってやろうと思い、以下のような挨拶をする。

  ・13年間、「子どもの家」を運営している。総額で1億5千万円
   程のお金だ。このお金は日本の庶民からの貴重な寄付である。
   日本の学校で講演会をするが、私の話を聞いた日本の
   子どもたちからの寄金も入っている。
    大変安い給料で申し訳なく思っているが、日本人からの
   浄財であるということを理解して欲しい。
    昨年、1昨年と給料を引き上げている。
  ・マンさんの意見である「スタッフの健康診断」の件は、
   当然の意見である。JASSとしても出来るように検討する。
  ・警備員のブイさんの、卒業した子どもの中で生活態度の
   よくない子どもが「子どもの家」に来て、子どもたちたに
   悪い影響を与えている件。センさんと何度も相談して、
   必要な場合には、警察とも連絡を取る様にしている。
  ・ティエンさんの「子どもたちの自立のための職業訓練所
   を作って欲しい」との意見。
    私たちは日本政府と協力して縫製研修センターを
   作った。2008年1月から実際に稼動する予定。
   「子どもの家」の子どもたちや地域の貧しい子どもたちを
   採用・研修させて、利益が上がる縫製研修センターに
   したいと思っている。
    また、2008年1月から「アクセサリー研修センター」
   を始める。これは、花田啓一さんという方のご好意で
   「アクセサリー研修センター」が始まる。ここにも
   「子どもの家」の子どもたちや地域の貧しい子どもたちを
   入れて自立のために仕事をするシステムを作っている。
  ・セン運営委員長の「各地域の関連施設を訪問・視察しながら
   職員旅行をしたいとの提案。財政的な問題もあり、今後
   検討したい。

  こんな話をした。労働総同盟副委員長は私の言った本当の
  意味を理解できなかった。ばか者。
  直ぐにセン運営委員長が来て、「子どもの家」スタッフの
  要望はフエ省の労働総同盟への要望で、小山さんへの
  要望ではないです、とバオミンさんに言いに来た。
   さすがにセン委員長は賢い人間だった。私の言った
  馬鹿労働総同盟副委員長への「当てつけ」をしっかり
   聞き取り理解していた。
  肝心の副委員長は全く私の言うことの裏の意味を理解
  する能力がなかった。大ばか者。

役員選挙。
推薦で4人の候補者となる。その後、投票。投票者数11人。
3名連記。
馬鹿副委員長に指名されたロックさん(今までの委員長)は、
役員立候補を辞退すると発言した。

会計のハンさん(10票)
寮母のキムアンさん(6票)
医師のタムさん(7票)
寮母のティエンさん(7票)

以上の結果、ハン・タム・ティエンの3人が
執行部となった。

続いて、2005年~2007年の間に「子どもの家」の仕事で
頑張った人の表彰。医師のタムさん、寮母のニエムさん
食事作りのムオイさん。
私から見ても順当な表彰だった。


最後にキムアンさんが、今日の総会の決定事項を朗読。
既に総括・方針・人事案が事前に印刷されたものを
キムアンさんが読んでいた。ということは、今日の全ての
議事と決定は事前に決められていたものだ。

最後に全員の写真を写し閉会。


午後6時半、日本料理店で舟山さん一家と懇談・夕食会。


舟山さんは私の事務所に来た最初のボランティア支援者だった。
1996年から4年間、私たちの仕事を手伝ってくれた。
地元フエ市の女性と結婚。2児の父親でもある。


舟山さんのご両親も家族も心優し人々だった。
午後9時、全て終了。


投稿者 koyama : 19:00 | コメント (0)

2007年08月26日

久しぶりの休日

晴天

7月末から始まったスタディーツアーの波も昨日で前半が
終了。今日は前半と後半の端境期。1ヶ月半ぶりの完全休暇。

午前7時起床。

読書「裏切られた革命」(トロッキー著:藤井一行訳 岩波文庫)
翻訳ものはあまり好きではないが、読んでみる。
案の定、翻訳調で読みにくい。


午前9時半、入浴。2キロ体重が減っていた。
暑さと不規則な食事、長期間の訪問者応対のためと推測。

バオミンさんから電話。ホーチミン市から帰ってきたとのこと。
ご苦労様。先週から今週にかけて3回ホーチミン市に行っている。
大変なことだ。JASSツアーは2時間ちょっと遅れて昨夜、
ホーチミン空港を出たとのこと。
今日はゆっくり休んで欲しいと話す。

午前10時、朝食。稲庭うどんを茹でて10日ほど前に
作った豚肉のつけ汁で食べる。美味しい。

その後、午後12時まで読書。今日は1日読書と決めた。
ビール類は飲まないことにした。読書が出来なくなるため
泣く泣く断念。

「裏切られた革命」は1936年、トロッキーによって書かれた。
コミンテルン以降の国際共産主義運動史の中ではトロッキーは
トロッキズム、トロッキー主義者、権力の手先、資本家のスパイとの
レッテルを貼られてきた。
1991年、ソ連の崩壊後、ロシアで社会主義時代の
資料が大量に公開された。本書は1991年、藤井一行教授
によって翻訳。最新の資料を参考にしての最新版。
1917年のロシア10月革命後の内戦、外国の干渉戦争などの
中で、レーニン、トロッキー、スターリンがどのような発言と行動を
取ったのかは、ソ連崩壊までは、「公式ソ連共産党史」だけに
記されていた。スターリンが独裁した世界共産党
(第3インターナショナル・コミンテルン)が作った歴史だけが
公式の歴史であった。ソ連が崩壊し、非公開だった資料が
続出。ソ連邦史は大きく塗り替えられている。
最近では、トロッキーを権力の手先とレッテルを貼るのではなく、
客観的・学問的な位置づけをする動きが出てきている。
マルクス主義の秀でた理論家の一人としての位置づけが
始まっているように思い、今回、改めてトロッキーは、
レーニンの死後、スターリンとどのような理論闘争を行い
敗北していったのかを知ることがこの読書の最大の興味で
ある。歴史とは本当に長いスパンで見ないと評価できない
ものである。

午前11時半、JASSスタディーツアーの加藤さんから電話。
無事日本へ着いたのとのこと。ホーチミン空港を2時間20分
遅れて出発。成田着は午前10時。2時間半ほど遅れる。
皆さん無事帰国されて一安心。「盲腸疑惑」のYさんは
そのまま病院へ行ったそうだ。大事に至らなければ良いのだが。
JASSスタディーツアーの引率の皆さん、お疲れ様。

午後12時半、昼寝。

午後2時半、引き続き読書。
その間に受信したメールへの返信。5通。

夕方、「ほか弁」(75円)を買いに行く。

午後8時半。日本のWさんから電話。いくつかの
問題を電話で話す。
午後8時半、フダ缶ビールを飲みながら今週から
来週にかけてのスタディーツアーの私の出番などを
調べる。
京滋YOUの会のFさんから頂いた「にごり酒」が
実に美味しい。韓国のマッコリに炭酸が加味されたような
上品な刺激的な味。3回で1本を飲みきる。

この2週間ほど、NHKテレビが全く映らない。
日本の情報はインターネットだけ。やはり映像が欲しい
所である。

明日は安倍内閣改造だそうだ。
この人もなかなかずうずうしい人である。
日本で一番の「KY」の人だとのこと。
参議院選挙中は、「私を選ぶのか民主党の小沢を選ぶのか?」
と国民に迫った。国民が小沢氏を選んだ。安倍首相は明らかに
国民から『不信任』をくらったのだ。のにも拘わらず「基本路線は
支持された」と首相に居座り、明日内閣改造するするそうだ。
基本路線とは、「戦後レジュームからの脱却」。
ようするに戦後日本の基本的な国家システムある平和と民主主義
の放棄である。単純ではないが「戦前への回帰路線」である。
空気の読めない人はとことん空気が読めないようだ。
「日本人の品格」という言葉を良く耳にするが、どうなんでしょうか?
安倍首相のこの態度は品格のある態度なのでしょうか?
「国家の品格」の著者:藤原正彦氏に聞きたいところである。

自民党元幹事長加藤紘一氏が、「言論の自由を守る碑」
を作ったそうだ。
以下、共同通信より。


『山形県鶴岡市で昨年8月、加藤紘一元自民党幹事長の実家と
事務所が右翼団体構成員の男に放火された事件を受け、言論
の自由の大切さを訴える石碑の除幕式が26日、再建された事
務所前で行われた。

 「言論の自由を守る碑」と名付けられた石碑は、加藤氏の高校
や大学時代の同級生ら支援者が建てた。高さ90センチ、幅73
センチで、「言論の自由を脅かす行為を決して許してはならない」
などと刻まれている。

 式で加藤氏は「発言を変えるつもりはないし、発言は続ける」と
暴力には屈しない姿勢をあらためて表明。終戦記念日の今月15日
に靖国神社を参拝した閣僚は、高市早苗沖縄北方担当相1人に
とどまったことについて「世論の評価を受けて政治家も変わりつつ
ある」と評価した。

 事件は昨年8月15日、右翼団体構成員の男が加藤氏の実家に
侵入し、放火。公判で弁護側は「首相の靖国参拝を妨げる者に公憤
を抱いていた」などと主張したが、懲役8年が確定している。』

私と意見は異にするが、加藤紘一氏は尊敬できる政治家である。

などと書いている間に「月の桂 にごり酒」はなくなってしまた。
Fさんに感謝。

明日からまた長い一週間が始まる。地球の歩き方ツアーⅢ(39人)、
全国大学生協ツアーも来る。多くの若者(大学生)に会えるのは
楽しいことだ。

投稿者 koyama : 19:04 | コメント (0)

2007年08月25日

東京の先生たちを案内

晴天

気温34度。湿度60%。(廊下)

午前6時起床。
午前7時朝食。ブンボー。

午前7時、JASS青少年教育の会はバオミンさんの
案内でフエ空港へ。バオミンさんはそのまま皆さんと
一緒にホーチミン空港へ。クーチトンネル、買い物などを
して午後8時半、ホーチミン空港まで案内をする予定。
午後11時半頃ホーチミン空港を出発し、8月26日午前7時過ぎ
成田着の予定だったが、ホーチミン空港発が2時間ほど遅れ、
午前2時頃出発とのこと。日本着も2時間ほど遅れるようだ。
皆さんの無事帰国を祈る。


静岡県三島市の「ウオータービジョン」の皆さんは
サンさん、税田さんが案内して午前7時半にホテルを
出発。フエ空港からホーチミンへ。

午前9時、ベトナム事務所へ。
必要なメールの送受信。いくつかの問題を検討解決。

久しぶりに午前中はスタディーツアーなどの訪問者への
対応がない。

読書「大河の一滴」(五木寛之著)読了。
大学に行っている頃だろうか? 高校の国語の先生と
お茶を飲んだことがあった。その時、高校の先生が
「五木寛之の『青春の門』は素晴らしいぞ。是非、読んで
みなさい」との助言を受けた。1970年の頃だったと
思う。誰かの結婚式の後の喫茶店での話だった。
その時、初めて五木寛之を知った。
早速、青春の門(筑豊編)を買って読んだ。この話の
始まりの部分。伊吹信介と牧織江が登場。
それから青春の門にはまり、
「筑豊篇」
「自立篇」
「放浪篇」
「堕落篇」
「望郷篇」
「再起篇」まで読んだような記憶がある。
その後も週刊ポストか何かに連載されていた。
政治・恋愛・貧しさ・人生など戦後生まれの
若者が直面する波乱万丈のストーリー。
その五木寛之がその後、親鸞聖人や浄土真宗
関係のお寺や関係団体などでの講演会を行っている
ことを知った。五木寛之は宗教に傾斜していったのかな?
などと思っていた。

大河の一滴は、60代半ば10年前の著作。60代半ばを
過ぎた五木寛之の人生論・人間観を分かりやすい言葉
話すように書かれている。読みやすい本だが、内容はかなり
深く広い。仏教の真髄を五木なりに語っているとも思える。
私たちの日頃の生き方、考え方に大いに参考になる。

中国の屈原の話。世の中の乱れ、不正を憎み、官職を
辞し国中を放浪している屈原。
それを聞いた漁師が、たった一人でもこうした清く正しい
道を歩むのですか?と、聞く。屈原は、「潔白なこの身に
世俗の汚れたちりを受けるくらいなら、この川の流れに
身を投じ魚の餌になったほうがましだ」と答える。漁師は
そのまま船ばたをたたいて、次のような歌を歌いながら
去っていったという。

滄浪の水が清らかに澄んだ時には、自分の冠の紐を
洗えばいい。
もし滄浪の水が濁った時は、自分の足を洗えばよい

★滄浪(そうろう)-長江最大の支流。漢江ともいう。

世の中の不正や汚れをただ嘆くだけではなく、その汚れ
不正のはびこった世の中でも何かできることをしたらどうなのか?
という問いかけの歌とも思える。

私のベトナムで行っている活動への批判もある。
1月末、読売新聞の医療功労賞を受賞した。このことを
昔からの友人に話すと「読売新聞じゃしょうがない」と言われた。
彼にとっては「超右翼の読売新聞の賞には価値はない」との
反応だった。確かに読売新聞は改憲を社是として主張している。
しかし、読者は1000万人と聞く。1月30日の読売新聞の
人欄にも紹介された。私の友人の意見では、右翼新聞の
読売に紹介され、その会社の賞を受賞しても意味のないこと、
と単純に私の受賞を切り捨てた。某革新政党の党員の方だ。
皇居に行って天皇・皇后に会ってきた、などとは毛頭いえない
雰囲気で、私が何か悪いことをしたような気にさえなってしまった。
改憲を主張し、右よりの主張をしている新聞の賞やその新聞に
掲載されること自体、反動的なことという反応だった。
この友人にとっては、自分の所属する某革新政党の新聞以外の
新聞は『商業新聞』となってしまうようだ。私がどんな活動で
どんな理由があって読売新聞が賞を与えたか、などは興味の
対象になっていない。確かに読売新聞は右よりの新聞かも
知れないが、1000万人の読者がいる。その読者に
私たちがベトナムで行っているボランティア活動を知ってもらう
ことは意義のあることだと私などは考えたのだが・・・・。
漁師のことば。きれいな川の水の時には、自分の大事なものを
洗い、川が汚れたら汚い自分の足でもあらったらどうなの?
との答えは、全て白黒をつける、自分の意見と違う意見には
耳も貸さないという態度を戒めているように思う。社会は色々な考え
の人たちで成り立っている。白とも黒ともつかない、「灰色」の
ことがたくさんある。寛容な気持ちで、様々な意見を
持っている人たちと交流し、共に生きることが大事なのではないか
と五木寛之は教えていると私は理解した。
青春の門から30年ほど経っているのだろうか?やはりそれ相応の
年齢を重ねた年輪の数が出ている五木の著作である。
一読の価値あり。古本屋で100円。

昼食。昨夜のJASSスタディーツアーの夕食会の残りご飯を
食べる。

昼寝1時間。

午後2時、ベトナム事務所へ。知り合いの先生から紹介された
とのことで東京の先生と医療関係の方がベトナム事務所を
訪問。2時間ほどベトナム事務所で話をする。

その後、お二人をお連れし「子どもの家」へ。
「子どもの家」の各施設を案内。午後5時半には子どもたちは
夕食を摂り始める。

午後6時過ぎ、「子どもの家」訪問を終え、日本料理店へ。
お二人と日本料理店を食べながら、日本の教育、政治、
社会などのことを話す。
N先生はわが会の岩辺さんや大谷さんの知り合い。
私の長男の高校の担任の先生と一緒に韓国問題の
研究をしているとのこと。

生ビールと吟醸酒を飲む。

お二人と話をしている最中、1ヶ月前に家出をして所在不明の
りー副店長から電話。ニー店長が出る。

その後、私も電話に出てリー君と話す。
今は「ダックラック省」の山にいるとのこと。アクセサリー作りの
仕事をしている、仕事は楽しいと言っていた。
日本料理店の皆がリー君が帰って来るのを待っているよ
と話すが返事はなかった。
ニー店長に自分の電話番号を教えていた。これで行方不明
の状態からは脱出できた。今後は、電話で連絡可能となる。
リー君は何を考えて日本料理店に電話をして来たのだろうか?
電話での感触では「タコ部屋」に入れられて重労働を
強制されているのではとの推測はそうでもないように
思えたが・・・・・。
リー君の電話に日本料理店の女の子たちは、大喜び。
リー君は日本料理店の子どもたちにも人気があったことが
窺える。早く帰ってくることを祈るのみである。

途中、ベトナム人2名、日本の大学のゼミのベトナムツアー
関係者6人が来店。

午後9時過ぎ、閉店。

新入り見習いのニーさんはすっかり日本料理店に馴染んだ
ようである。違和感なく仕事をしていた。

午後9時半、部屋に戻る。

投稿者 koyama : 08:23 | コメント (0)

2007年08月24日

JASSツアー・ナムドン山岳地帯カトゥー族との交流

晴天 1日中蒸し暑かった。

午前5時起床。
「大河の一滴」(五木寛之著)を読む。

午前7時朝食。フォー。

今年1月から今までどんな本を読んできたのか日記を
見ながら調べてみた。

●1月
  現代ベトナムの政治と外交(中野亜里)
  試された女たち(澤地久枝)
  反骨のジャーナリスト(鎌田慧)
  平家物語(3巻)(森村誠一)

●2月
  細雪(谷崎潤一郎)
  百人一首(鈴木日出男)

●3月
  般若心経ー生きること(瀬戸内寂聴)
  フリーズする脳(築山節)

●4月
  山椒大夫・高瀬舟(森鴎外)
  オーヘンリー短編集
  
●5月
  漢字の起源(藤堂明保)
  石の肺(佐伯一麦)
  海も暮れきる(吉村昭)
  ダライ・ラマ
  
●6月
  近代の奈落(宮崎学)
  もの食うひとびと(辺見庸)
  ネオ階級社会を待望する人々(林信吾)

●7月
  真景累ケ淵(三遊亭円朝)
  松川事件(日向康)
  恋文(荒木とよひさ・俵万智)
  この時代に生きること、働くこと(中村佑・島本慈子)
  小三冶名席(柳家小三冶)
  仕事と人生(城山三郎)
  突破者の母(宮崎学)
  会津藩最後の家老(長谷川つとむ)
  対談集気骨について(城山三郎)
  落日燃ゆ(城山三郎)
  指揮官たちの特攻(城山三郎)
  労働ダンピング(中野麻美)

●8月
  説教節を読む(水上勉)
  放浪記(林芙美子)

31冊。月平均3・8冊。およそ1週間に1冊程度。
ベトナムにいると読みたい本が買えないのが最大の
難点。読書の時間は、最大の娯楽だ。
「読まねばならない」という読書は絶対にしたくない。
課題読書とか読書感想文を書くなどという形の
読書は一番嫌い。好きで楽しいから読んでいるという
読書だけにしたいものである。
今年前半は、亡くなった「城山三郎」の生き方、
思想に興味をもった。

午前8時から午前10時まで。
ボランティア貯金完了報告書の最終版を作成。
関係者の山西さん、渡辺さんに送付。
締め切りは8月31日。


午前10時、JASSスタディーツアーの皆さんと一緒に
バスでナムドン山岳地帯へ。バオミンさん、ソン君も
一緒。約1時間半でナムドンの中心街へ。午後12時。
日本料理店で作ってくれた「おにぎり弁当」で腹ごしらえ。

日本式お弁当がとても美味しく出来ている。
おにぎりを包む海苔は、別にあり、野菜、肉、たまご、
デザートがきちんと配置されている。味もバッチリ。
お弁当を教えてくれている仁枝さん・税田さん、そして
大塚さんに感謝。


午後1時半、ナムドン中心街を出発。
バスで30分。「HUONG GIANG村」に到着。
村の少し手前までしかバスは行けず、支援物資を
持って徒歩でフオンザン村へ。人口350人。
緑豊かな静かな村だった。


●支援物資を持って村まで歩く

村人の歓迎


村の長老が「笙の笛」(しょうのふえ)の演奏で歓迎してくれる。

たくさんの村人が集会場に集まっていた。

初めに村の共産党の責任者が歓迎の挨拶

続いてJASSスタディーツアーの森田団長の挨拶

カトゥー族の皆さんへラーメンなど支援物資の贈呈

村人の歓迎の会食会。バナナ、もち米のサトウキビ巻き、
焼き魚・・・・。


村人の歓迎の歌と踊り

歓迎会を見ている子どもたちの目は澄んでいた。


平日にも拘わらず、たくさんの村人が集まった。


日本側の歌


途中、外に出て子どもたちや村の皆さんと交流をする



最後に村の集会所に入り、お別れの行事。

村人の皆さんは「蛍の光」を歌って送ってくれた。

交流会の時、私のとなりに高齢の男性がいた。ひざに小さい
女の子を抱いていたので「お孫さんですか?」と聞いてみた。
『娘だ』と言う。バオミンさんの通訳を通して詳細を聞くと、
57歳の奥さんがいる。3人の子どももいる。男性は72歳。
しかし、この女の子は2番目の奥さん(30歳)との間の
子どもだとのこと。第1婦人も第2夫人も72歳の男性と
同居しているとのこと。ベトナムは一夫一妻制。
しかし、少数民族ではこうしたことが行われているのだ
と変な感心をしてしまう。その隣りの若い男性も
「第1婦人はあそこにいるよ、第2婦人はこっちだよ」
と教えてくれた。そいうことは、村では公認されていうのだ
と推測した。

●72歳のお父さんと5歳の娘さん


●30歳の奥さんと5歳の娘

●57歳の奥さん


30歳の奥さんと72歳の旦那が話をしているところを
57歳の奥さんがにこにこ見ているという不思議な図式を
見てしまう。一体、この第1婦人には「悋気」(りんき)など
いうことばはないのだろうか?
72歳の旦那の腕を見てみた。「青あざ」のいくつかでも
あるのかと思ったら、色が黒くて第1婦人のやきもち
青あざは見えなかった。

午後3時半過ぎ、交流を終え、帰宅。
午後5時半。フエ市内に到着。私はトンチンカンホテルに
戻り、夕食開始の午後6時半まで今日の日記をアップする。

午後6時半、日本料理店でお別れ夕食会。
JASSスタディーツアー10人と小山、バオミン、税田の参加で
お別れ晩餐会を行う。

●今日の飲み物


●今日のメニュー(コース)

●森田団長の乾杯の挨拶で晩餐会は始まる



●「子どもの家」の子どもたちが調理した日本料理に舌鼓。


晩餐会終了間際、参加者10人全員が感想を述べ合う。


・ベトナムに来てやさしい人間関係があった。心が落ち着いた。
・今まで「偏差値」が全てだと思っていたが、ベトナムツアー
 3回の経験から人間が生きると言うことは、偏差値だけではない
 素晴らしいものがあることを知った。
・「子どもの家」の子どもたちはとにかく明るかった。
・ベトナムの素晴らしい所が分かった。日本に帰ったら日本の
 仲間に伝えて行きたい。
・初めて参加した。治安が悪い、環境が悪いと思っていた。
 しかし、実際に来て見たらそんなことはなかった。
 「子どもの家」は子どもたちの笑い顔に溢れていた。
・今回のスタディーツアーは多くの人の支援で出来た。
 そのことに感謝している。

・ベトナムは良い国だ。始めてあって数時間で仲良くなれ
 笑い会えるような仲になれた。
 これからも他の国にも行って見たい。
・今年で3回目の参加。今までは緊張していた。
 今年はファンソンナム中学校での交流など楽しもうと
 という気持ちになれた。余裕が出てきた。
 自分が今回のスタディーツアーに期待していた気持ちが
 実現でき感謝している。


・今回で6回目のスタディーツアー。
 1回目の参加者は7名だった。今回のスタディーツアーは
 成功したと思う。
 若い皆さんの期待したい。是非、ベトナムでの体験を
 今後の生活・人生に生かしていって欲しいと。
・今回は病気で十分参加できなかった。皆さんの感想を
 聞いて、スタディーツアーを主催して良かったと思う。
・今回は7泊9日のスタディーツアー。
 是非、皆さんに考えて欲しい。ベトナムのスタディーツアーに
 参加したいという皆さんの気持ちだけでは参加できなかった。
 皆さんの参加に不安を持ちながらも認めてくれたご両親に
 感謝して欲しい。
  今回のスタディーツアーに協力してくれたバオミンさん、
 税田さん、サンさんなどがいて初めてこのスタディーツアーの
 成功があった。

午後8時半過ぎ、晩餐会は終了。

日本料理店で前で「子どもの家」の子どもたちと一緒に記念撮影

 

今回は5人の中学生、2人の高校生のスタディーツアー
だった。今晩の感想を聞いて、スタディーツアーをやって
良かったと思った。たった7人の若者ではあるが、
ベトナムでの生活の中で「人生とは何か?」を少し
感じてくれたような気がする。
森田団長、加藤事務局長、山田団員に感謝。

午後9時前の帰宅。
京滋YOUの会のFさん寄贈の「月の桂 にごり酒」を冷やして
飲む。美味。


投稿者 koyama : 19:45 | コメント (0)

2007年08月23日

JASSツアー子どもたちの実家を訪問:ウオータービジョン

晴天。快晴。午後、曇り。

午前4時起床。「放浪記」読了。
85年前の林芙美子の20歳~25歳の生活は
ストリートチルドレンと全く同じ。細かい文字で
500ページ。目が疲れた。この本を通読して一番感じる
ことは、林芙美子という人間の持っている不屈のエネルギー
と社会に対する強烈な批判精神である。貧しさから出てきた
この不屈の精神は、「子どもの家」の子どもたちにも
つながる心持と見た。

午前7時、朝食。ブンボー。

午前8時半。JASSスタディーツアーの皆さんのバスが
トンチンカンホテルまで来てくれた。皆さんと一緒に
「子どもの家」のユイ君とリーさんの実家を訪問し、
家庭の様子を勉強する。

初めにユイ君の家へ行く。家と言っても舟である。
ユイ君の父親は32歳、母親は34歳。子どもは5人。
ユイ君は長男。11歳。次女9歳。通学している。
次男7歳。未就学。三男5歳、次女3歳という
家族。川の砂取りをして月収7000円程度。
家族7人での生活は厳しい。

学校へ子どもを通わせることが大変な両親は長男のユイ君を
「子どもの家」に入れる。ユイ君は3年生。オール5の成績。
「子どもの家」に入り学校へ行ったら勉強が好きだった。
将来は医者になりたいという夢を持っている。素晴らしいことだ。

●ユイ君の父親と懇談するJASSスタディーツアー

●ユイ君家族6人が住んでいる舟。


ここには私が1993年10月に最初に作った「チーラン通り子どもの家」
で生活していたタイ君もいる。現在は結婚して7歳・5歳・2歳の
子どもがいる。

15歳頃はかなり「子どもの家」でも危なっかしい生活をしていたが、
結婚して今は落ち着き、川砂を取る仕事に従事している。

ユイ君の家庭訪問を終え、続いてAーさんの家庭を訪問。
Aーさんの家庭は複雑な家庭だ。
父親が奥さんのほかに女性を作り、子どもが出来、数年前に
両親が離婚。母親についた次女Aさんと長女Bさん(高校2年)は
80歳の祖母と一緒に4人で生活していた。しかし、生活が苦しく
母親の希望で長女と次女の二人を「子どもの家」に入所させた。
しかし、数ヶ月して長女は父親の家庭へ行ってしまう。
父親が再婚し子どもが出来た女性は、かなりお金のある
人だそうだ。長女はお金のある「リッチ」な生活に憧れ
父親と再婚した女性、その子どもが住む家庭に入る。
「子どもの家」ではそうした家庭にB子さん(17歳)が入っても
けしてうまく行かない。「子どもの家」にいなさいと説得を
重ねたが、長女Bさんは、「子どもの家」を家出してまで
父親の裕福な家へ行ってしまった。
これも今のフエの「小バブル」の実態を反映しているように
思えた。子どもたちも大人も「金・金・金」の世界である。
長女も「豊かさ」=「お金」の魅力に取り付かれ、
かな類複雑な父親の家庭へ入ってしまった。

今日は、次女A子どもさんの家へ。80歳の祖母が
一人でいた。母親は甲状腺の病気になりニャチャンの親戚
へ行き治療中とのこと。

80歳の祖母は「お歯黒」をしていた。かくしゃくとしたおばあちゃん。
庭で「ミット」「マンゴー」「パパイヤ」「レモン」
「胡椒」などを作って生活をしているという。1ヶ月2000円の収入
とのこと。

Aさんの実家の家の中に豚小屋があった。メス豚が一頭いた。
子どもを産ませて売り生活の足しにしているとのこと。
メス豚はイノシシのように大きかった。


台所には「五徳」とやかんと鍋があった。実に単純なものであった。
この台所をみれば、祖母がいかに質素な生活をしているかが
想像できる。フエ市内の「リッチ」を自称している一部の人たちは
数百万円の新車を購入し、1回50ドル(6000円)の昼食バイイング
を食べる生活をしている。昨日まで路上の一杯飲み屋で
怪しい蛇酒を飲んでいた「一時成金」が急に友達を連れて
5つ星ホテルのバーに行き1本数十ドルのワインを飲みだす、
などという漫画のような光景が繰り広げされている「小バブル」の
フエである。80歳の祖母の質素な生活とは好対照をなす。
多くの若者や大人が、新車を持ち、高級ホテルのバーで
高いワインを飲む生活に憧れている。かつて私たち日本も
通って来た道ではある。


Aさんは一人「子どもの家」で頑張っている。
長女Bさんもそのうち「子どもの家」に帰って来る可能性が高い。
私たちはいつでも受け入れる体勢を作っている。

Aさんの実家を出ると既に午前11時。

日本料理店へ行き昼食。
昼食は「天ざるそば」。昨日、盲腸の疑いで3本の点滴をした
Yさんも少し体調を持ち直し、日本へ帰国次第病院で再度の
受診検査をすることになっている。

数日前から日本料理店で研修をしているニーさんは
すっかり日本料理店にはまっていた。違和感なし。


午後11時過ぎ、部屋へ戻る。
昼寝。1時間。

午後2時過ぎ、バオミンさんから電話。午後2時半から
「子どもの家」に三島のNGO「ウオータービジョン」
が訪問するとの電話。急いで「子どもの家」へ行く。

午後2時半過ぎ、三島のウオータービジョンの松浦さんを
先頭に13人の方々が「子どもの家」を訪問。


●セン委員長の歓迎の挨拶

●子どもたちの歓迎の踊り


続いてウオータービジョン代表に松浦正美氏の挨拶

ウオータービジョンの出し物(楽器:トーンチャイム)の演奏



●最後にウオータビジョンより衣類、日本の玩具等の支援物資
 の贈呈があった。