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2007年08月06日

「子どもの家」夏祭り

雨のち曇りのち雨

台風の影響で雨が続く。

気温30度。湿度85%。

午前5時起床。
午前7時朝食。フォー。
午前8時、NHK衛星放送。広島原爆式典を見る。
秋葉市長の挨拶は、内容のある現実的なものだった。
特に「平和憲法を守る」と断言したことは勇気と良識の発言。
安倍首相の挨拶を待っているうち、テレビが消えてしまった。
どんな挨拶をしたのだろうか。小泉首相は官僚の作った文章を
棒読みしていた。核廃絶にはあまり関心がない様子が窺えた。

午前8時半傘を差して徒歩ベトナム事務所へ。

土曜日の夕方、日本料理店に来た「子どもの家」に
居たハインさんがベトナム事務所に来る。

バオミンさんとこの間の事情、何をしたいのかを聞く。
ハインさんは、12年前に「子どもの家」ができた時6歳で入所。
6年間「子どもの家」に在籍。小学校を出て12歳の時に
「子どもの家」を家出。事情は、年上の男の子にいじめられ
たとのこと。(これは本人の言い分だが・・)
フエから30キロほどある「トゥアン・アン海岸」の家に帰る。
6年前、2001年の出来事である。私とミンさん、ロックさんが
ハインさんの家まで迎えに行ったことを覚えている。
ハインさんは、3歳の時母親を病気で亡くし、父親はシクロの
運転手。2歳年上の姉と4歳年下の妹の4人暮らし。
父親がシクロの運転手ということで4人はその日暮らしの
貧しい生活だった。「子どもの家」へ帰るようみんなで説得したが
頑として聞かない。仕方がないのでしばらく様子を見ようということ
になった。
ハインさんは当時12歳。日本で言えば小学校6年生。
「子どもの家」から30キロの道のりを歩いて家まで帰ったのである。
現在、ベトナム事務所員のソン君は当時「子どもの家」の生徒会長。
オートバイでハインさんの家まで行って「子どもの家」へ帰るよう
説得したそうだ。オートバイで1時間半かかったと言っている。
ハインさんは、家に帰って数日後に一人でバスに乗りホーチミン市
に行ったとのこと。以下、本人が今日話したことである。
ホーチミン市のバスターミナルに着き、バスを降りると男の人が
「君はこんなに小さくて何故、長距離バスに乗って来たのだ?」と
聞かれた。事情を話すと、自分は肉会社をやっているから助けてやる
と言われ、その男の人が肉を卸している「フォー屋」(ウドン屋)さん
を紹介してくれ、そこで働いていたとのこと。その後、
肉会社(会社の会計部長)のおじさん夫婦の家のメイドになり
掃除・食事作りなどをていた。学校は「子どもの家」で
小学校を卒業したきりである。その後、2年ほど前から
会計部長の紹介でお菓子販売の仕事を手伝っていると言っている。
現在は月給150万ドン(100ドル・12000円)。会計部長の
家に無料で住んでいるそうだ。
この6年間、一度も父親や兄弟に連絡をしたことはなかったと
言っている。この辺がどうも私としては納得できない所ではある。

2ヶ月前に突然フエに帰って父親に連絡をしたが、姉妹には
連絡していない。姉はアンクー市場で手伝いをしており、
市場関係者の家にいる。妹は祖母(母親の母親)の家住んでいる。
父親は一人で家にいる。ハインさんは突然2ヶ月前に
父親の家に戻り、現在は近くのレストランの手伝いをしている
と言う。
ハインさんは、身分証明書(IDカード:国民全員が常時携帯義務)
がないので作って欲しいとのこと。
6年前に家へ帰ったハインさん。結局、その家も出ていまい、
行方不明。
父親の希望で「子どもの家」の退所手続きをし、戸籍を父親の所
に移すことになり、「子どもの家」から戸籍を抜いた。
しかし、父親はハインさんの戸籍を自分の家にいれなかった。
現在、ハインさんは、「子どもの家」から戸籍が抜かれたが、
その後、どこにも入っていない。「戸籍が宙に浮いている」
状態である。

私が何故IDカードが欲しいの?と聞くと、ホーチミン市に帰り
違う仕事をしたい、と言う。今の肉会社会計部長のお菓子の仕事は
時間が長く、給料が安いので嫌だ。他の給料が高い仕事をしたい、
そのためにはIDカードがないと身分が証明できないと言う。
150万ドンの月給はけして安くはない、学校の先生の給料と同等。
更に肉会社会計部長さんの家に無料で泊めてもらい、
仕事まで世話をしてもらったのに、「その恩」を感じていない
ハインさんの発言も気にかかっている。1時間ほど話を聞き、
今日の午後3時に父親(シクロの運転手)を「子どもの家」に
呼んで更に話を聞くことになった。ロックさんにはIDカード作成に
必要な『「子どもの家」在籍証明書』を作っておくように電話をする。

昼食。内田さん差し入れのそうめん。
昼寝。1時間。

午後1時半から1時間読書。
「真景累ケ淵」を読み終える。464ページ。 97節。
この速記本が何日分の高座の噺だったかはわからないが、
推測では10回分程度の話のように思われる。
日数も足掛け2年。噺の中に昨年は体を壊し、途中噺を中止した、
という趣旨の部分があるので、かなりの日数を要している。

通し狂言とでもいうのだろうか、噺全体を読んで、これはけして
怪談話ではないと思った。一種の人生論。人間というものの
醜き部分、真っ当な部分を抉り出し、美醜併せ持つ人間だが、
それでもできるだけ真っ当に生きようと訴えているように
思えた。

この噺の現場は、茨城県の羽生村。この「累ケ淵」という題名は、
この噺の中にも出てくるのだが、「累ケ淵後日の怪談」というのが
最初の題名だったように、そもそも茨城県羽生村で「累さん」(かさね)
という人にまつわる怪談話があった。その累さんが殺され怪談話と
なって、羽生村の川が累さんの累をとって「累ケ淵」(かさねがふち)
という名前になっていた。
円朝は、みんなが知っている累(かさね)伝説、累怪談のその後を
テーマに話を創作したのが、「真景累ケ淵」である。
殺人の場面がいたってリアルに描かれている。全ての殺人には
いわく因縁がある。必然性のある殺人を繰り返し描き、その殺人に
よって更に人間の不思議な糸と結びつきで新たな殺人が起こる
という話の展開である。読後感。ストーリー、話の展開が非常に
巧みであり飽きない。現在の「お笑いブーム」の薄っぺらい内容に
比して、本当に練られた筋書きである。100年以上前の日本人
の話の上手さをつくずくと感ずる。歌舞伎や演劇でその一部を
取り上げ繰り返し上演されてきた。

今年の夏、「怪談」と言う題名で映画化され公開されている。
中田秀夫監督。歌舞伎俳優の尾上菊之助(新吉)と
女優の黒木瞳(豊志賀)主演。

午後2時半、京滋YOUの会・火炎樹の会の皆さんと「子どもの家」へ。
初めに税田さんの案内で「子どもの家」を各施設を参観した。

「子どもの家」の子どもたちは勉強したり遊んだりと
3ヶ月の夏休みを満喫していた。


午後3時、ハインさんの父親を待つがとうとう来なかった。


夏祭りの準備を始める。

今回は、「スーパーポールすくい」「ヨーヨーすくい」、
「ダーツ投げ」、「輪投げ」。そして「ソースせんべい」「お菓子・・」。

子どもたちと一緒に会場や各種催しの準備をする。


午後5時前までに夏祭りの準備を終わる。

午後5時、「子どもの家」の子どもたちと早めの夕食を楽しむ。






午後6時。「子どもの家」2階の音楽室で開会式。
今日は台風の影響で雨。本来なら庭で行うべき夏祭りだったが、
「子どもの家」の部屋を使うことになった。

火炎樹の会代表森島博さんから「夏祭り」の遊びの説明があった。


初めに参加者全員でジェンカを踊る。


★音楽室では・・・・・・・・

●スーパーボールすくい

●ヨーヨーつり

●お菓子と飲み物


★英語教室では「輪投げ」。

★日本語教室では・・・・・

●ダーツ投げ

●ソースせんべい


●夏祭りを楽しむスタッフ・子どもたち

●最近入所の姉・弟も始めての夏祭りを堪能していた

●里親と里子も久しぶりの再会

夏祭り大会の最後にみんなで「花火大会」を行う。
一人4本の花火を楽しむ。

今日は雨。湿度90%、気温30度。暑くて湿度も高い。
訪問者の中の一方は気分が悪くなり途中でホテルへ戻る。
私もとにかく体を動かすのが嫌になるほどだるかった。

それでも子どもたちは1年ぶりの夏祭りを満喫し、満足した
ようだった。8月中に行われる「JASS青少年教育の会」主催の
スタディーツアーではまた違う種類の夏祭りが行われる。
子どもたちは今から楽しみにしている。

午後8時過ぎに全ての日程を終了し、片づけを終わり「子どもの家」を
後にする。

そのまま日本料理店へ直行。今日の夏祭りの問題点や良かった
ことなどを深く反省する「夏祭り大反省会」を行う。

日本料理店の5人の子どもたちは夏祭りに参加できなかった。
今日も日本料理店は開店している。お客さんもあった。
夏祭りに参加できなかった日本料理店の子どもたち5人に
お菓子・その他のお土産を贈呈する。


かなり深い反省会を行う。反省会は午後11時半近くまで及ぶ。

投稿者 koyama : 2007年08月06日 15:55

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