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2007年08月05日

シェフさんの娘さん結婚式・地球の歩き方Ⅰ帰国へ

終日雨。

気温32度。湿度90%(廊下)。午後10時も同様。

午前6時起床。
昨夜の日本料理店で残ったコロッケ、串揚げをお土産にもらった。
ご飯を炊いて朝食。

午前7時40分。内田さんと里子のメンさんがホーチミン市へ。
バオミンさんと一緒にフエ空港へ見送り。
台風が北部からフエの間に上陸する気配とのこと。
フォン川は氾濫寸前。上流で相当雨が降った模様。

午前8時半。フエ空港着。

内田さんとメンさんは二日間ホーチミン市に泊まり親交を暖める。
昨日15時間半かかってバンメトートから帰ってきた。
フエ着は午前1時半。今朝は6時には起きて出立の準備。
今回の内田さんのベトナム旅行は本当に大変だったと思う。
無事ホーチミン市に着き、しばらく疲れを取ってもらいたい。
内田さんは1995年から「子どもの家」やJASSを支援して
くれている。現在、JASSの会に来ている方では一番古い
支援者である。JASS創成期から今日までの紆余曲折・
毀誉褒貶の全てを知っている数少ない方である。
10数年間、夏のバーベキュー大会、冬のクリスマス会、
そして夏の海水浴か山への旅行などを寄贈してくれている。
何事もそうだが、思いついて一度行うのはある程度の努力で
出来るが「永続する」ことは、本当に大変なことである。感謝。

内田さんを見送り、バオミンさんとフエ市内へ戻る。
バオミンさんと税田さん・石塚さんは京滋YOUの会
火炎樹の会の皆さんと一緒にナムドン山岳地帯へ。
少数民族との交流へ。山での雨が心配。

私は部屋に戻り読書。「真景累ケ淵」の最終章を読む。
小説として読んでも今日に通ずる内容である。
人間の生き方などを考えさせられる。お化けの
話ではないと見た。

午前10時45分。タクシーで結婚式へ。
1993年、私が初めてフエにきて仕事をした「フエ師範大学」
の専属食堂のシェフさん(トゥアさん)の娘さんTHUYさんの
結婚式に招待された。
14年前、初めてフエに着た。フエ師範大学で日本語を
教えることになった。宿舎はフエ師範大学内にある外国人用
のゲストハウス。その前に外国人や大学の先生用の小さな
食堂があった。トゥアさんはその食堂のシュフさん。
私が「シェフさん」と名づけた。1日3回。シェフさんは私の
食事を作ってくれた。夕食になると私は地ビールのフダビール
を飲んだ。一人で飲んでいるので何となく寂しい。
「シェフさん一緒に飲もうよ」と声をかけた。夕食で飲んでいる
のは私一人。それから2年間、シェフさんとの付き合いが
続いた。日曜日になるとシェフさんは私をフエの庶民が行く
市場に連れていってくれた。当時、この種の市場に外国人
が行くことはない時代であった。
夕食時に一緒に毎晩飲んでいるいるうちに『身の上話』
になってくる。シェフさんは、ベトナム戦争中の南ベトナムの
2大銀行である「サイゴン銀行」と「フエ銀行」のフエ銀行
総裁の長男とのこと。フエ師範大学の前身であった
「フエ大学」(旧南ベトナム時代)を卒業している。
高校の先生をしていた。当時の南ベトナムのお金持ちの
坊ちゃんであり、フエ大学と言うベトナム有数の名門大学を
出たエリートでもあった。
戦争が終わった。南ベトナムが敗れ、ハノイから共産党がやって
来た。シェフさんの全ての財産は没収。高校の先生も解職。
仕事がなく、大学の食堂の調理人となっているとう事情である。
普段、食事を作っている時は大人しい親父さん(と言っても
私より少し年下だったが)である。夜、私の食事に付き合い、
ビールの本数を重ねていくうちに、シェフさんの『本音』が
語られることがあった。言いたい事は「俺の人生は
こんなものではない」ということに尽きる。
南ベトナム最大の銀行総裁の息子でありエリート大学を出ている
自分が「何故、こんな小さな食堂のシュフなどをしなければ
ならないのだ。戦争に負けたからだ。」と。
共産党への心の奥底にある憎しみを時々ちらっと出すことが
あった。ベトナム戦争中は運転手付きの自家用車に乗って
いたとのこと。ベトナム戦争中どのような地位にいたかは
別として、この戦争があったために人生を大きく変えてしまった、
変えられてしまった人間が私の回りにたくさんいる。
一人一人の人間にとってみれば、戦争が終わった後の
大きな社会の変化、その変化に翻弄される自分と家族の
人生。天国から地獄へなどとは言わないが、それに匹敵する
程の人生の変転があった人たちがたくさんいる。

今日結婚するTHUYさんは当時12歳だった。今は26歳に
なっている。日曜日など良くシュフさんは私を家に招待して
くれた。4畳半ほどのお世辞にも立派とは言えない長屋の
1室だった。

●入り口で新郎新婦・シェフさん夫妻と


結婚式の招待状はご前11時開会とあった。
午前11時前に到着。開会を待つがなかなか始まらない。
結局始まったのは、午前11時50分。50分間遅れた。
ベトナム時間とは言うが、待つ身になると意味のない
50分ではある。

●式場正面の飾り


新郎新婦入場。続いて新婦父親の挨拶。

今日の結婚式は新婦側主催。別途、新郎側主催の結婚式
も行う。今日の結婚式は新婦THUYさんの親戚・友人・知人
などが参加。

●新郎新婦から新郎両親へ花束贈呈。

その後、直ちにカラオケ大会に移行。料理が出始め、カラオケ大会は
延々と続く。ベトナム人の音に対する感覚は私たち日本人とは
かなり異なる。要するに大音量で音楽を聴くのが好きな民族。
15分ほどすると頭が痛くなるほど、とにかくうるさい。


新郎新婦が各テーブルを回り参会者に挨拶。

雨の中、披露宴は長く続く。参会者300人という大宴会であった。
シェフさん主催の大宴会を見て、ベトナムの社会の不均等な
「発展」状況を見た。



結婚式(披露宴)終了後、部屋で一休み。雨は続く。
読書「真景累ケ淵」。終わりに近づく。

午後3時前、地球の歩き方Ⅰの皆さんが帰国する。
ホテルまで見送りに行く。
サンJASS観光責任者・ソンさん、外務部員イックフアンさん
がフエ空港までのお世話をする。
全員で記念写真。

地球の歩き方Ⅰの皆さんがフエで体験した様々なこと、
人との出会いを人生に生かしてもらえればありがたい。

午後5時過ぎ、日本料理店へ。
午後6時から京滋YOUの会・火炎樹の会合同スタディーツアー
の晩餐会。私、バオミンさん・税田さん・仁枝さん・石塚さん・
サンさん・ソンさん・などが参加。
9人のスタディーツアーの皆さんと懇親。


初めにバオミンさんの挨拶。
火炎樹の会代表森島博氏より参加者からベトナム事務所への
支援品贈呈。

続いて藤井志保子京滋YOUの会事務局長の乾杯の音頭。


午後9時半まで懇談は続く。




明日の「子どもの家」での夏祭りに参加できない日本料理店の
子どもたちと交流。
日本料理店の子どもたちが歌を歌う。


日本側はみんなで「花」(喜納昌吉とチャンプルズ)を歌う。

みんなで「カエルの夜回り」を歌いジェスチャーをする。

時刻も午後9時半を過ぎる。みんなで「三本締め」をする。

最後に火炎樹の会代表の森島博氏の閉会の挨拶で
京滋YOUの会・火炎樹の会合同スタディーツアーの
日本料理店での晩餐会はお開きとなった。


今日は内田さん見送り、結婚式参加、地球の歩き方見送り、
京滋YOUの会・火炎樹の会晩餐会参加と色々な人々と
出会った日曜日であった。


投稿者 koyama : 2007年08月05日 17:23

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