« 地球の歩き方ツアーⅠ 始動 | メイン | 縫製研修センターに工業用ミシンを搬入 »
2007年08月02日
火炎樹日記5周年記念を一人祝う
火炎樹日記を書き始めて満5年になる。早いものである。
2002年8月2日に第1回目を書いた。
この5年間、基本的には毎日火炎樹日記を書いてきたつもり
である。病気・海外滞在(フエ以外)中でパソコンが使えない時を
除き、できるだけ毎日書いてきた。基本的にはJASS活動・
海外ボランティアの何でもない日常を書きたかった。
戦争中の砲弾の下を掻い潜っての人道支援などという立派なもの
ではないが、毎日の淡々とした海外ボランティアの実情を多くの
読者に知ってもらいたいというのが、本当の気持ちである。
実際の海外ボランティアはけして派手な活動ではない。
地道な反復、様々な地元の政治勢力などとの軋轢などとの
闘い、妥協などを何とか潜り抜けて活動しているのである。
そうした地道な海外ボランティアの実情がこうした火炎樹日記
という形で報告され、日本人のほんの一部の方でも良いから
知って頂ければ幸いである。
第2に日本の政治についての憂いを何度も書いてきた。
政治は私たちの日常生活に直結する。戦前のように政府に
騙された、軍部に騙された、などという国民にはなりたくない。
騙されたなどと人のせいにするのは、卑怯だ。騙されないように
しっかりと政治の実情を見ていく目を持ちたいものである。
第3に私が読んだ本を紹介してきた。これは、若い人に
読書の大切さ、本を読むことで得られる知識の多さなどを
知って欲しいと言う気持ちが少しある。後は、私の趣味で
読んでいる本の紹介だけだが・・・。
それでも火炎樹日記を書くためには、毎日2時間程度の
時間は使っている。これも趣味の範囲ではあるが。
それでも何事も「継続」は一つの力になると思っている。
5年間の継続は、アクセス数25万2千を超えている。
少なくともこの5年間に25万2千回以上のクリックが
火炎樹日記にあったということである。
時々、私も知らない方から火炎樹日記の感想が届くことが
ある。有難い限りである。
私の悪文・読みづらい文書を読んで頂いた方々に
心からお礼申し上げたい。時々、メールに入る皆様の
感想が火炎樹日記を書く原動力・励ましになった。
これからも出来る範囲で火炎樹日記を継続して
行きたいとは思っている。いつまで続くのかは分からないが。
感想などは以下のメールへ。
koyamavn@dng.vnn.vn
以下、第1回目の火炎樹日記である。2002年8月2日付け
-------------------------------------------------------------------------------
2002年8月2日(金)
8月1日午後4時、成田からホーチミン市のタンソンニャット空港へ到着。
1992年8月、初めてベトナム・ホーチミン市を訪れて丁度10年が経過した。あれから10年。あっとう間でもあり、長かったような気もする。10年前のタンソンニャット空港の入管は、エアコンもない掘っ立て小屋のような所だった。入管の手続きで2時間待たされ、スーツケースを手に入れるのに1時間。汗だくの入管を覚えている。
それから10年。タンソンニャット空港の入管はエアコン完備。エスカレーターもつき、入管業務もかなり迅速になってきた。
今はベトナムブームなのだろうか、入管の部屋は満杯状態。結局入管手続きに1時間かかってしまったが、税関は本当に簡単になった。
空港を出て客引きをしているタクシーをつかまえる。「どこまで?」と聞かれ「オムニサイゴンホテル」と答えると「5ドル」との返事。既に何回も泊まっているので1ドル~1、5ドル程度の運賃であることを知っている。
ベトナム語で「ダッ・クアー」と言うと、苦笑いをしてタクシーのメーターを倒す。毎回の儀式のようなやり取りである。年間に10回程度はホーチミン市に来ているがどうしても好きになれない町である。
活気があるという人もいるが、私にはただ「うるさい」だけの町である。これは、フエ市に住む以前であるなら「活気のある」「人間が生き生き活動している町」と私も思えたであろう。それほど、フエの町に住んでしまうと、ホーチミン市がただ「うるさく・雑然」とした町のように思えてならない。
40日ぶりにフエの町に戻った。何か落ち着いてしまう。これは、多分、「住めば都」というのであろう。
12時にトンチンカンホテルに着く。トンチンカンホテルは、私が付けた適当な名前であるが、いまやこのミニホテルの通称となっている。
既に7年間も私の食事を作ってくれているフオンさんが、私の大好物の「チャオバンカン」(小麦粉で作ったフエ風煮こみうどん)を作って待ってくれている。
食事をして自室に入る。早速パソコンを立ち上げメールをチェック。40日間で864通のメールが入っているのに驚く。平均1日20通のメールが来ている。結局、864通のメールを全て受信するのに2時間かかる。
午後2時、静岡市国際交流協会スタディーツアーが「子どもの家」での数日間の活動を終え帰国する。フエ空港まで見送り。高校生、大学生10数名の参加。皆さん、「子どもの家」やグエンフエ高校生との交流で多くのものを学んだようだ。帰りの空港には、グエンフエ高校生3人もみ送りに来ている。ベトナムの高校生との別れを惜しみ、涙を流している静岡の高校生もいた。
午後4時からベトナム事務所で、8月中の「子どもの家」やベトナム事務所訪問者の日程などの打ち合わせを行う。8月一杯、ほとんど休みなくベトナム事務所等への訪問者への対応がある。
私が不在だった40日間の「子どもの家」やベトナム事務所の抱えている問題などの報告を福田もえ子事務所長代理から受ける。午後6時から夕食。福田もえ子、西山優子(日本語教師)と3人で。午後7時から862通の受信メールへの返事を書く。勿論全ての返事を書くことは出来ないが、最低必要な返事を出す。その後、この日記を書く。就寝は午後11時過ぎ。
フエ帰国初日の午後から夜の活動はこんな所である。
============================
晴天
午前中、気温36度。
午後10時、気温32度。湿度65%。
午前6時起床。血圧測定・・・・。入浴。
午前7時朝食。ブンボー。豚肉が入っていた。
当局の承認印があれば、豚肉も安全とのこと。
午前8時半、ベトナム事務所。バオミンさん、税田さん
とJASS観光、8月9月スタディーツアーの計画、
日本料理店、日本語学校など当面するいつくかの
問題を話し合う。
午前11時半、昼食。ほか弁。
午後12時過ぎ昼寝。1時間。
その後読書「真景累ケ淵」。
午後2時、トンチンカンホテルの隣りのズイタンホテルへ。
地球の歩き方Ⅰ班の皆さんが「シクロ」(ベトナム風人力車)
に乗って「子どもの家」へ行く。ハンさん、ソンさんが案内。
●ホテルに集合
●一人1台のシクロに乗って「子どもの家」へ
シクロの運転手さんも日銭の世界。こうしてシクロに乗ることで
運転手さんと家族の生活を支える。
午後4時半。「子どもの家」へ。地球の歩き方の皆さんは
市場へ買い物へ行き、夕食を子どもたちと一緒に作って
いた。ハンさん、ソン君が案内。
●空芯菜とゴマの炒め物
その後、地球の歩き方の皆さんは子どもたちと遊びで交流。
午後5時半、子どもたちとt地球の歩き方の皆さんが作った夕食
を食べる。
夕食後、再度子どもたちと交流。
午後6時、日本料理店へ帰る。生ビール担当のグエットさんから
「今日、新しい生ビールを入れた。味がちゃんとしているかどうか
確認して欲しい」との『素晴らしい提案』があった。
喜んでフダビールの生ビールの試飲をする。試飲を続けている
うちに合計10杯の試飲を行う。間違いなく、日本料理店の
フダ生ビールは美味しいことを確認。今日は、火炎樹日記開始
5周年記念日。一人で記念日を祝う。
午後10時まで合計10人の来客。
ヨーロッパ系4人。日本人3人。韓国1人。アメリカ2人。
午後10時日本料理店閉店。
「子どもの家」のターオさん(同名)二人が、5人の日本料理店
店員を迎えに来た。
投稿者 koyama : 2007年08月02日 23:38