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2007年08月01日
地球の歩き方ツアーⅠ 始動
晴天
気温36度。湿度60%。(トンチンカンホテル廊下)
夜9時半になっても気温33度、湿度65%が続く。
午前5時起床。日記を書く。
午前6時、入浴。
午前7時、朝食。フォー。日本に病気治療のため一時帰国した
Hさんがいないので、4人の朝食。
体調の悪いNさんに状況を聞く。今日、1日休むようにする。
午前7時40分。徒歩、ベトナム事務所へ。
午前8時過ぎ、地球の歩き方ツアーⅠ班(8人)がベトナム事務所
訪問。事情があり、一人の方は仕事の関係で急遽帰国することに
なり、その手続き等をバオミンさんと行う。
ベトナム事務所を訪問した7人の地球の歩き方ツアー参加者と
1階日本料理店で対面。ベトナム事務所員が自己紹介。
その後、3階の刺繍みやげ物店を案内。
午前9時、ハンさん、ソン君、私の3人で小型バスで「子どもの家」
まで案内する。外は猛暑。
「子どもの家」2階音楽室で交流会。「子どもの家」の子どもたち
40人の歓迎を受ける。
●初めにセン「子どもの家」委員長の歓迎の挨拶。
続いて子どもたちの歓迎の歌と踊り。
初めに子どもたちの踊り。ベトナム少数民族パコー族の
踊りを披露。ベトナム戦争の時、解放戦線を支援した
パコー族の様子を踊りで表現。米を作り、食べ物を
解放戦線に供給したパコー族の戦果を現している。
続いて「楽しい学校」をHIEUさんが歌う。
いつも楽しい学校。友達や先生がいる楽しい学校。
学校を離れてもいつも先生や友達のことを思い出す。
次に「焚き火を囲んで」という踊り。
これもベトナム戦争で解放戦線がジャングルに入り
焚き火を囲んで踊ったり歌ったりという楽しいひと時を
過ごした・・・・。こんな内容の踊りである。サンバ風の
軽快な曲に乗って踊る。
今度は地球の歩き方ツアーⅠ班(7人)の出し物。
リコーダー伴奏で「大きな栗の木下で」を歌う。
続いて、子どもたちと一緒に歌い踊る。
1時間程の交流会を終わり、ハンさんが「子どもの家」の
各施設などを案内する。私は子どもたちの様子を見たり
子どもたちと話をする。
チュン君と姉のターオさん。姉のターオさん(グエンフエ高校2年)
が1時間以上も弟に勉強を教えていた。
まだ、ベトナム(フエ)でもこうした兄弟関係がしっかりと
残っていることを改めて知った。金金金の兄弟関係もあれば、
親がいない姉弟が一生懸命を勉強を教えあっている図式は
微笑ましいものである。
午前10時。2階音楽室にて「講演会」を行う。
ベトナムという国、ベトナムに来た訳、「子どもの家」建築の
経過。ストリートチルドレンなど支援の歴史と私の支援に
ついての考えの変遷。現在私たちがめざしているもの。
現地の自立の現状・・・・・・・。
午後11時20分講演会を終わる。
地球の歩き方ツアー7人、ハンさん、ソン君と一緒に
昼食。フォーサイゴン。フォーサオを食べる。
フォー(米の麺)を野菜と炒めた料理。日本風に言うと
フォー焼きそばと言ったところ。参加者は肉まんも
食べる。
午後12時半、自室へ戻る。
昼寝。1時間半。熟睡する。最近、頭を使って長い文章を
書く気力が出てこない。、物事をじっくりと時間をかけて
考える気力が生まれてこない。
フエに戻って18日目。一時体調を崩したこと、休みなく
仕事が続くこと。そして、18日間毎日朝から晩まで30度
以上の猛暑。やはりこの暑さというものが、ボディーブロー
で効いているのかと思う。これから10月1日まで毎日
訪問者がある。何とか体調を整えなかればならない。
だるい時などは、寝るしかない。
午後2時、昼寝から目覚める。
読書「真景累ケ淵」。
三遊亭円朝の落語の速記本。ほぼ江戸時代の語り口と
落語の雰囲気をそのまま残している。読んでいて
6代目三遊亭円生の声と顔が思い出される。
怪談ばなしというとなんとも安っぽいものになってしまうが、
「真景累ケ淵」は、しっかりとしたストーリーの構成が
出来ている。「因果」「因縁」ということをテーマにしながら
ただお化け屋敷でお化けが出るといった話ではなく、
人間の心の奥底に潜む怪しい気持ちを引き出し、
誰でもそんなことをするかもしれないという日常の
出来事から殺人事件を起こしてしまい、その因縁・因果が
めぐりめぐって驚くべきところに出てくると言った内容である。
長い寄席での話。一話一話に区切られて「・・・・・今日はここまで」
などと速記されて話は終わり、次回「さて・・・・・」と続いていく。
話は貧乏旗本「深見新左衛門」が江戸・根津に住む鍼医で高利貸し
の皆川宗悦から金を借り、毎日酒を飲んで生活している。
皆川宗悦が3年前に貸した金を取りにいく。皆川の言葉にかっとなって
新左衛門は、宗悦を切り捨ててしまう。新左衛門は下男につづらを
買わせて宗悦の死体をつづらに入れ、捨てさせる。
ある時新左衛門は按摩さんを呼ぶ。その按摩さんが、新左衛門が
殺した宗悦に見えて、新左衛門は「宗悦血迷ったか?」と切り捨てる
がこれが新左衛門の奥方。
新左衛門は役職で犯罪者を警護している時、犯罪者を助けよう
とした一団に惨殺。新左衛門はお家断絶。ここまでが一部。
深見新左衛門には新五郎という長男がいたが、家出。
ふらっと帰って来た長男新五郎。家が断絶したことをしり、
父親新左衛門の墓前で切腹しようとしたところを谷中七面前
の下総屋惣兵衛という質屋の主に助けられ、質屋で働くことに
なる。そこに新五郎の父親新左衛門が惨殺した皆川宗悦の
次女お園が中働きで働いていたが、病気になり、新五郎が
献身的に看病する。二人は仲良くなる。質屋の土蔵工事の
ワラの山で二人は男女の仲になりかけたとき、ワラの下に
あった『押切』というわらを切る機械の上にお園が横になって
いた。押切がお園の背中に当たり、ぶっすりとお園の背中は
押切の刃で切られ、お園(皆川宗悦の次女)は死んでしまう。
新五郎は追っ手につかまり、屋根から飛び降りると下に
お園を殺した「押切」があり、足を切ってしまい捕まってしまう。
深見新左衛門に殺された皆川宗悦には次女のお園と長女の
豊志賀という39歳の富本の師匠がいた。
また、宗悦を殺した深見新左衛門には新吉という次男がいた。
次男新吉は伯父の家にいたが、ふとしたきっかけで宗悦の
長女「豊志賀」師匠の家に手伝いに行く。新吉21才。これも因縁。
39歳の豊志賀と21歳の新吉は、夫婦然とした生活に入る。
そこへ、下総屋惣兵衛(宗悦の次女お園と新吉の兄新五郎の
雇い主)の娘お久が現れる。新吉は18歳の若いお久に惚れ込む。
豊志賀は、若い新吉が若いお久に熱を上げたと思い込み、
嫉妬を重ねる。そのうち豊志賀の顔におできが出来て、
醜い顔になる。新吉は豊志賀を殺し、お久と下総の国へ。
話はまだ10%程度のところである。
午後3時、ベトナム事務所のハンさんから電話。在宅支援の
母子がベトナム事務所に来て、私に会いたいと言っているとのこと。
徒歩、ベトナム事務所へ。
8年ほど前から「在宅支援」として姉妹を応援している。
父親は8年前に死亡。母親と4人の姉妹。
母親は42歳。現在は学校に近くで路上のような安い食べ物屋を
している。
長女18歳。今年大学受験。
次女16歳。高校2年。
三女15歳。中学4年(日本の中3)
四女12歳。中学Ⅰ年
母親の月収は平均で100万ドン(8000円)程度。
家族5人、しかも4人が学校へ通っている現状では
少なすぎる収入ではある。
今日の相談は、長女が優秀である。高校で「最優秀賞」を
もらっている。7月にフエ師範大学(4年)とフエ教育大(3年)
を受験した。ベトナム中部で一番難しいフエ師範大学へ
入学出来るかどうかはわからないが、フエ教育大英語科には
入れると思う。
ついては、大学に入ったら家庭の生計を助けたいので、
日本料理店で仕事をさせて欲しい。大学は午前中なので
午後2時半から午後9時半まで日本料理店で働き、家計を
助けたいとのことだった。
私は、ベトナムの大学は勉強が難しい。午前中学校、午後から
夜は日本料理店で働くというのは、結局、大学の勉強を
おろそかにすることになる。同時に長女が家計を助けるために
働くということは立派なことだと思う。JASSとしても出来るだけの
協力はしたい。大学の合否が決定される8月15日まで話を
凍結したい。大学合否の結果がでたらその時点でもっとも
良い方法を考えるようにしよう、と話した。
フエ教育大学には50人の学生に奨学金を贈呈している。
その他、「子どもの家」の子どもたちへの特別教育の先生
という仕事もある。立派な母親である。父親がなくなり母親一人の
力で家族5人の生活を支え、子どもたち4人には、学問を
身に付けさせたいと言って学校へ通わせた。また、偉い娘さんでも
ある。母親のそうした姿をしっかりと見つめていた。
18歳になり大学へ入ったら、自分が母親の代わりに少しでも
家計を助けようとの考えである。フエは今異常な「バブル」時代。
私の周りの多くの人間が「金金金」。今まで立派なことを言っていた
人間が、お金に目がくらんで人間としての生きる道を踏み外している
実例を見ている。私や私たちを金儲けのための「利用する道具」の
一つとしてしか見ていないような人間もいる。利用する時は利用し、
利用価値がなくなったら相手にもしない。また、自分が困ったら
近づいてくるというおそよ人間としての良心を欠いた人間たちの
醜い姿。
そんな中でこうした母子がいることに「ほっと」する。出来るだけ
JASSとして応援できることはしていきたい。その基本は
お金を上げるのではなく、自分たちで働くことの機会を作って
やることだと思っている。
午後5時半。日本料理店で夕食。
今夜は、税田さん・石塚さんが日本語学校。Nさんは体調不良で
部屋で休養中。Hさんは病気の治療等で日本へ一時帰国。
今夜の夕食は子どもたち5人と私の6人。寂しい夕食だった。
竹の子の炒め物、豚肉(当局の安全印が押されているとのこと)
午後6時半。日本料理店開店。
おなじみの日本人の方。「リー君がいないのが寂しい。
彼はいい奴だ」とのこと。リー君のフアンが結構いることが
分かる。行動には多々問題があるものの人間性の底には
憎めないものを持っている。
厨房では主任のTHUYさんが頑張って料理を作っていた。
THUY厨房主任が作った「かきあげ」。
今日は3人の来客。日本人。
午後9時過ぎ閉店。
赤城農林大臣辞任。(させられた)
赤城氏の辞任記者会見をテレビで見る。
「自分の行動で自民党は選挙に負けた。責任をとって
辞任する」という趣旨。ちょっと待ってよ、と言いたい。
赤城さん、ということは、貴方は自民党に謝罪して
辞任するということ? 国会議員であり大臣である
貴方は、まず持って国民に謝罪して辞任すべきではないの?
と言いたい。思わせぶりに帳簿などを記者会見に持ってきたのなら
詳細を公表すればよいではないか・・・・・。何か小学校の
学級会を見ているような幼稚な農林大臣と首相ではある。
投稿者 koyama : 2007年08月01日 18:00