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2007年08月19日

地球の歩き方Ⅱ帰国:神奈川県青少年協会ツアー・ナムドン山岳地帯へ

晴天  午後曇り・風強い
1日の気候と気温の変化が大きい

午前6時起床。読書「放浪記」。

午前9時朝食。昨夜の日本料理店での残りを子どもたちが
お土産に包んでくれた。コロッケ、キャベツの千切り、トマト、
なすの煮びたし。日本料理店でもらったお米を1合炊く。
5勺のご飯ともらったおかずで朝食。

ある大きな問題について、JASS日本代表や関係者に
経過報告を書く。1時間ほどかかる。
14年のフエ滞在は、いつも「心無い日本人」からの
意地悪や攻撃との闘いでもあった。ストリートチルドレンや
貧しい子どもたち支援で苦労するのは何とも思わない。
子どもたちに関係ない日本人の名誉心か自己欲望か知らないが、
私たちのフエでの活動に関係ない日本人から攻撃されることには
耐えられない。これも「品格のある日本」の実情であるとすれば
正面から闘わなければならない。この14年間、この種の
無駄なエネルギーをどれほど使って来たことか?
日本人の品性がここまで落ちているのも情けないことである。

読書「放浪記」。大正時代、今から80数年前の21歳の
女性が自立したしっかりとして意識を持ち、フランス・ロシア文学、
絵画、音楽に造詣が深い。やはり林芙美子は非凡な人間で
あることがわかる。
尾道から東京に出てきた林芙美子は、根津や田端などに下宿する。
お金がなくかなり歩いている。上野広小路から根津まで。田端から
小石川など・・・。今の私の東京の生活圏内。懐かしい町名が
たくさん出てくる。60%程度読み進む。
更に林芙美子の「晩秋」「浮雲」なども読みたくなる。
この放浪記は古本屋で100円だった。本とは本当に安いものである。
昭和57年発行のため字が小さい。目が疲れる。

午後12時過ぎまで読書。
1時間ほど昼寝。外は真夏の太陽が燦燦と舗装道路を照らしている。

午後2時半まで読書「放浪記」。

数ヶ月前にトンチンカンホテルのNHK衛星放送が理由は不明だが
切られてしまった。
私が別のNHK衛星放送を入れている。この数日、この衛星放送から
もNHKが突然切られてしまった。理由は不明。
そのため、NHKのニュースが見られない。今日も「NHKのど自慢」
が見られないのは残念。終日、テレビは一切見ない。

午後2時45分、ズイタンホテルへ。地球の歩き方Ⅱの皆さんが
6日間の活動を終えて帰国。ホテルで見送り。
参加の皆さん、大きな事故もなく無事帰国することが出来て
安心した。成田・関空までの無事故を祈る。
23人の参加者はそれぞれ真面目な若者だった。
私は好印象をもった。

空は真っ黒な雨雲。風が強い。私は傘を持ってホテルへ来た。
いつ雨が降ってもおかしくない。

●ベトナム事務所の税田さんなどがフエ空港まで見送り


私はホテル前で見送る。

ホテル入り口には、本日のお客様として観光会社の名前が
書かれていた。「JASS観光」も貼ってあった。


バオミンさんはホーチミン市に「JASS青少年・教育の会ツアー」
を出迎に。ホーチミン市→ダナン→ホイアン→フエのスタディーツアー
を案内している。
ハンさんはお父さんが手術して看病中。

サンさん、ソンさんは神奈川県青少年協会スタディーツアーの
皆さんと一緒にナムドン山岳地帯へ。少数民族との交流へ。

●平尾団長より記念の時計贈呈

●スタディーツアー団員よりし支援物資の贈呈

●カトゥー族の皆さんの歓迎の民族伝統踊り



●スタディーツアー団員はそーらん節を披露する

●カトゥー族の皆さんとフォークダンスの「マイムマイム」を踊り
 交流を深める。

●高床式のカトゥー族伝統家屋前で記念写真

●カトゥー族の子どもたちとすっかり友達になり、別れがつらい

途中で雨が降ってきた。高床式の家屋の下で交流は続く

午後4時半、税田さんから電話。神奈川県青少年協会ツアーが
現地での活動が長引き、フエへ戻るのが遅れるとのこと。
日本料理店での晩餐会は30分遅らせて午後6時半からに。

午後5時まで読書。
午後5時半、日本料理店へ。子どもたちは神奈川県ツアーの
夕食会の準備を済ませ、夕食を食べていた。
「つけめん」。ブン(米の細いうどん)を野菜たっぷりの
つけ汁に付けて食べる。私の好物の一つ。


午後6時半、神奈川県青少年協会スタディーツアーの皆さん(16人)
と日本料理店で交流。ベトナム事務所側は私、サンさん、ソンさん。
今日は日曜日だが子どもたちは午後2時半に日本料理店に出勤し、
今夜の夕食交流会の準備をした。

午後6時半。神奈川県青少年協会の皆さん来店。
乾杯。


私、サンさん、ソンさんと分かれて交流。




午後8時過ぎ、交流夕食会は終了。その後、ベトナム事務所3階の
刺繍みやげ物店でたくさんの刺繍を買って頂く。


午後8時40分、全て終了。
日本料理店の前で調理・接客の子どもたちと一緒に記念写真。


その後、若干の残務整理をして日本料理店を出る。
仁枝さんと一緒にトンチンカンホテルの着く。


このところ、NHK衛星放送が全く入らないので日本の出来事には
かなり疎くなった。
しかし、「防衛省」の無様な内紛は、見ていられないだけでなく
戦前の皇道派と統制派との対立、陸軍と海軍の対立といった
およそ国民には関係ないところでの派閥・人脈が絡んだ私的
対立の様相を呈している。しかし、その結果は日本国憲法の
根幹を揺るがす大きな問題を孕んでいる。
一つは守屋事務次官が『防衛大臣就任式に3回のお色直しを
し相当ずれている小池「防衛大臣」』の人事権に異議を唱え
従わなかったことである。日本国憲法の基本的な精神は
軍部に対する文民統制である。例え3回のお色直しをして
空気が読めないにしろ「文民」の「防衛大臣」の指示に真っ向から
異議を唱え、従わなかったことは、文民統制という、戦前の
軍部の独断専行を許した苦い経験から出来た原則を真正面から
踏みにじるものである。
制服組は、文民(国民に選ばれた政治家)の指示に従う
動く戦闘部隊だという原則である。
守屋事務次官(武官)の文民統制に反する行動を許したら、憲法の
文民統制という大原則は崩壊してしまう。
しかし、「美しい国」の安倍首相はこの問題もあいまいなまま
ずるずると解決を引き延ばしている。
同時に「防衛大臣」の器ではない小池ファッション大臣
の思い上がった独断的な人事権の専横にも大きな問題が
あった。安倍首相がこのような「KY](空気の読めない)
小池氏を「防衛大臣」にして人気取りに走ったところにも
安倍首相の優柔不断と無責任な態度がある。
小池氏は日本が核兵器を持つ権利があると言ってはばからない
タカ派である。小池・守屋の争いはどっちもどっちであるが、
国民から見ると「どっちもどっち」「内紛」などと言っていられない
深刻な問題を孕んでいるのである。
それは、満州事変を「不拡大」とした当時の内閣の方針に反して
現地の関東軍は独断専行で満州傀儡国家を作り上げて行った。
軍部・制服組は文民の統制に服さなかたことが、日本の
アジア・太平洋への侵略戦争の大きな原因の一つだったのである。
戦後、「自衛隊」への文民統制は厳しく律しられていた。
今回の「小池・守屋紛争」は結果的に「文民統制」を事実上
なし崩しに崩壊させていく可能性がある。
このまま行けばいつか「自衛隊が独走・暴走s」、主権者である
国民の代表である国会(政治家)を無視して行動することになり
かねない。
既にイラク派遣隊長だった佐藤氏
小池ファッション大臣と守屋エースコック次官の争いを
笑ってばかりはいられない今の日本である。
その総責任者は美しい国というわけの分からない主張を
掲げている安倍首相である。

と書いていたら、安倍首相が「美しい国」という言葉と
その内容を再検討しているようだ。参議院選挙後は
「美しい国」という言葉を使わないようになったそうだ。
結局、内容のないスローガンだったようだ。

以下、8月19日付け毎日新聞から。

<美しい国>参院選後、首相口にせず…生活密着型に修正へ


 安倍晋三首相が参院選後、政権の看板に掲げていた「美しい国づくり」を口にしなくなった。選挙中から「何を言いたいのか分からない」などと評判が悪く、結果として自民党を惨敗に導いたためだ。首相は「美しい国」のスローガン自体は降ろさず、生活密着型の政策を加える修正で局面転換を図ろうとしている。
 「美しい国」は、参院選を戦う自民候補からも「ばかにされた気がする」とまで酷評された。「生活が第一」と訴える民主党に対し、首相の訴える理念はあまりにも国民意識からずれているといういらだちでもあった。
 首相が定義する「美しい国」は(1)文化、伝統を大切にする(2)自由な社会を基本とする(3)未来へ向かって成長するエネルギーを持つ(4)世界に信頼される――ような国(昨年9月の所信表明演説)。それを踏まえ、「教育再生」諸政策や憲法改正に向けた国民投票法制定などを手がけたが、多くは野党の反対を押し切って実現させた。
 参院選で敗北しても、首相は「改革の方向性が否定されたとは思えない」と主張している。しかし、選挙結果は無視できず、自らの政治理念を通すためにも「美しい国」を生活型に修正する必要があると判断したようだ。政府の「美しい国づくりプロジェクト」担当の世耕弘成首相補佐官も「生活者の視点に立った美しい国とは何かを考えた軌道修正が必要だ」と指摘する。
 現在、首相官邸で同プロジェクトに寄せられた約3500件の提言を参考に修正が検討されており、内閣改造時などに首相が表明する方向だ。【大貫智子】

最終更新:8月19日22時2分

投稿者 koyama : 2007年08月19日 17:23

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