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2007年07月31日

内田さん夕食会

晴天 午後豪雨

午前4時起床。日記を書く。

午前7時、朝食。ブンボー。

午前8時過ぎ、ベトナム事務所へ。
内田サン、メンさんと懇談。

ベトナム事務所でメール受信。送信。
ACCLのフエ滞在日程案などを作る。

バオミンさんは、ホーチミン市へ地球の歩き方スタディーツアー
の出迎え。

午前11時過ぎ、内田さん、ソン君、メンさん、税田さん、石塚さん
とフォーサイゴンで昼食。私はチャーハンを食べる。美味しい。

昼寝。1時間半。

読書「真景累ケ淵」。

午後3時過ぎ豪雨。気温が急に下がる。少し寒さを感じる。
日本人スタッフNさんが体調を崩し、朝から休む。
税田さんが様子を見てお世話をする。

午後6時、日本料理店で内田さん歓迎夕食会。

ソン君と「子どもの家」の子どもたち。
フエに住んで14年。小学生だった子どもたちが
こうしてベトナム事務所員、大学生、日本料理店のスタッフ
とそれぞれ14年を経て成長した。時の流れを感ずる。

「豚耳青病」のため、日本料理店のメニューから豚肉を
ストップした。



日本料理店は13人の来客。

投稿者 koyama : 23:00 | コメント (0)

2007年07月30日

恒例のバーベキュー大会

快晴

気温35度。 湿度65%。

午前7時朝食。

午前8時半、ベトナム事務所へ。内田さんがベトナム事務所を
訪問。事務所員にお土産などを手渡す。

午前9時。フォンザンホテルでお茶を飲みながら、ベトナム事務所
での様々な取り組み、問題などを話し合う。

ご前11時過ぎ、ベトナム事務所員と一緒に「チャオバンカン」
専門店へ。

フエ名物のチャオバンカン(キャッサバともち米の手打ちうどん)
を食べる。

値段が2倍になっていたい。(1杯 5000ドン:38円)。
一人3杯食べる。


読書「真景累ケ淵」

午後3時。内田さんたちと一緒に「子どもの家」へ。
既にベトナム事務所員、「子どもの家」スタッフが集合。
恒例のバーベキュー大会の準備を始めている。

午後5時。内田さん、セン委員長の開会挨拶で始まる。

毎年、バーベキュー大会は、内田さん、柳沢さん、高橋さん、
影山さんの支援で行われている。今年は、江平さんの
支援も加わる。毎年、バーベキュー大会を寄贈してくれる
皆さんの心から感謝。今年で10回目?。

開会式に参加する子どもたち。


JASS初代代表の岩辺先生の教え子。大久保さんも参加。

いよいよバーベキュー大会開始。
今年は、「豚耳青病」のため、豚肉は中止。
牛肉と鶏肉。




バーベキュー大会には、「子どもの家」の子どもたち、在宅支援の
子どもたちや親、「子どもの家」スタッフ、ベトナム事務所員・・・・・
総勢90人。

在宅支援の子どもたちや家族

「子どもの家」スタッフと交流。




内田さんと里子のメンさん(フエ経済大学大学3年生)


バーベキュー大会終了。十分に肉と飲み物を堪能。
満足した子どもたち。


参議院選挙後。
これだけ大敗した自民党。政権選択を迫った安倍首相。
大敗北をしたのに、自民党内で論争や責任問題が出てこない。
波風立てずに安部さんに引き続き首相をしてもらおうという
安易な党風となってしまった。加藤紘一元幹事長が
論争をすべきだと言っている程度だ。
党内論争するするエネルギーを欠いた政党に化した。
小泉元首相が作り出した党内論争が出来ない体質となった
自民党である。再生は困難だ。こうした大敗北をした時だから
こそ、党内で様々な意見を出し合うことが必要なのに。
党内民主主義とは、いまこそ自民党は思う存分意見を言い合う
ことなのだが・・・・。それさえできなくなった自民党である。

投稿者 koyama : 05:09 | コメント (0)

2007年07月29日

与党大敗を喜ぶ

快晴

気温35度。湿度60%。

午前7時起床。

午前中、日本、ホーチミンから電話。
メール受信、送信。

読書「真景累ケ淵」(しんけいかさねがふち)
(三遊亭円朝著:岩波文庫)

亡くなった6代目三遊亭円生の落語で部分的に
この噺を聞いていた。全編を通じた噺を知りたくて
この本を読もうと思った。
真景(しんけい)は「神経」の意味。
三遊亭円朝の噺の速記本。明治時代の寄席での
噺であるが、現代の私たちにも十分通じる江戸の
下町の言葉である。円朝は明治維新の文明開化
の風潮にもちょっとではあるが、異論をもっていた
ようだ。


午後4時、バオミンさん、「子どもの家」のメンさんと一緒に
フエ空港へ。
20分ほど送れて内田さんがフエ空港へ到着。

内田さん、バオミンさん、里子のメンさんと一緒にバオミンホテルへ。
酒のつまみをお土産に頂く。


午後6時過ぎからNHK衛星放送、参議院議員選挙結果を
見る。トンチンカンホテルにあったケーブルのNHK衛星放送が
切られているので、しばらくベトナム事務所のパラボラのNHK
衛星を見る。
自民・公明の与党大敗。この間の与党の奢った国会運営はもとより、
世間と御天道様(おてんとうさま)を舐めた政治姿勢が敗因。
数を頼んで強行採決を繰り返し、閣僚などの不正・自殺、
年金問題、金と政治の問題などを正すことも出来ないまま
選挙を迎えた安倍政権・自公与党の横暴に対する国民の
声である。天の声とも言える。かなり大きなお灸でもある。
今回は民主主義のシステムがかなり機能したものと思う。
民主主義社会はこうした形で常に政治をチェックできる
所にその最大の利点がある。ベトナムにいると一党独裁
体制の中では、政治そのものを変えるという国民の
意欲が育ってこない。
民主党が大勝したといっても、本質的には、自民党の
旧福田派(小泉・安倍)が敗北して、旧田中派(小沢)が勝った
とも言えるようなもので、同根異葉の勝敗ともいえる。
それでも安倍「美しい国」政権が国民から不信任を受けたことは
大きな意味があり、政治の流れが変わりつつあることを実感させる。
今後、民主党が安易な「妥協」をせず、野党が団結して与党の横暴を
チェックし、年金・消費税・憲法9条・格差社会をなくすなど国民の立場
にたった政治を行うことが出来るのかどうかが問われるのである。
民主党が腰砕けになる可能性を心配する。
安倍首相は選挙の当初「安倍を選ぶか小沢を選ぶかが
問われる選挙だ」と言っていた。政権選択選挙と自ら
言っていたのである。政権選択を呼びかけながら敗北したら
ぐちゃぐちゃ言い訳を言い、結局「居座る」態度である。
潔く自らの身を処するというのが、真っ当な人間の行動である。
安倍首相は辞任するのが、真っ当な道ではないのだろうか?

東京選挙区でJASS会員の川田龍平氏が当選したことを
祝いたい。時代の変化がこうしたところにも現れている
ように気がする。

自らの選挙区に選挙権もない丸川元アナが当選。選挙の
報道を担当し、自ら投票を呼びかけていながら、自分は3年間も
投票をしていないというペテン師。
自民党がこんなインチキ候補に頼っているから大敗北して
しまうのである。

定員5の東京選挙区で共産党が落選。時代の流れを
感ずる。

今回の選挙を見ていると小泉首相が作り出した「自民党を
ぶっ壊す」路線が見事に結実したということが分かる。
小泉路線は、「競争主義」「民営化」「営利第一主義」。
小泉・安倍路線は、結局、マスコミ受けを狙うことは上手
だったが、自らの本当の支援者である農業・漁業・地方
を切り捨てることを熱心に実践したのである。
その結果、自民党のもっとも強い支持基盤である農民の
離反、格差社会の創出で多くの若者が真っ当に暮らせなく
なった社会を作り出してきた。表面のマスコミ受けだけを
狙った邪道が、結局は墓穴を掘ってしまったといえる。
小泉・安倍路線は、この6年間で自らの支持基盤を
切り捨ててしまい、再構築は難しいところまできてしまった。
「郵政民営化選挙」がその分かれ道だったような気がする。
小泉・安倍自民党は、既に「ルビコン河」を渡ってしまった。
離反していった農民・地方の皆さん、若者が自民党に
戻ることは出来ない。「福祉と平和」の党を標榜して
自民党連立を組んだ公明党も結局、自らのセースル
ポイントの福祉を切り捨て、平和の衣を脱ぎ捨てて
しまった。
今回の選挙結果を受けて、改めて日本に真っ当な社会・
真面目に仕事をすれば、普通に生きられる社会を
作りたいものである。うそをついたり、ずるいことをしても
平然と生きられる社会はもうごめんである。

投稿者 koyama : 23:22 | コメント (0)

2007年07月28日

JASSベトナム全員会議:日本料理店全員会議

晴天

36度。

午前3時に目覚める。読書「松川事件」。

午前7時。朝食。ブンボー。

午前8時半、JAAベトナム全員会議。久しぶりの会議である。


(ソン)日本料理店の子どもたちに日本語を教える。
    日本料理店で使う言葉、料理の注文、飲み物の注文、
    支払いなど具体的に教えた。
(石塚)観光コースの学生13人の再テスト。再テストは100点満点で
     70点以下の学生に行う。
(税田)「京滋YOUの会」・「火焔樹の会」合同スタディーツアーの
    ための準備。お菓子、夏祭り・・・・・。
(ハン)税田さんと協力して奨学生のお礼の手紙の翻訳。
    8月・9月スタディーツアーが訪問するナムドン少数民族
    への支援物資の購入。ラーメン、お菓子・・・。
(フーン)週3回、観光コースに日本語を教える。
     12月に子どもが生まれる。
(サン)日本語週2回。スタディーツアーの日程調整。
(ミン)讃岐造船案内

最後にJASSベトナム運営委員長のバオミンさんより
8月・9月のスタディーツアーの日程と担当者分担一覧表が
配られ、打ち合わせを行う。13スタディーツアー、約200人
の訪問者がある。7月31日~10月1日までほとんど休みなく
訪問者があるが、ベトナム事務所員全員の団結で乗り切って
行こうと誓い合う。

午後12時過ぎ、ほか弁(70円)。

昼寝。1時間。

読書「松川事件」。

午後3時、日本料理店全員会議。

(小山)今週、ダナン方面で『豚青耳病』と呼ばれる奇病が
    発生した。一人死亡。豚が何らかの病気に罹り
    その豚を食べた人間が亡くなったとのこと。
    ベトナムのマスコミが初めて発表した。病気にかかった
    豚は、耳に出血があり、青い耳になるという。
     これらの豚を飼っている農民に死者は出ていない。
    フエ郊外のフーバン郡で500頭の豚が死んだという。
    フエ市厚生部長に実情を確認した。
     ①「豚青耳病」(仮称)になった豚を食べない。
     ②『豚青耳病』は、高熱で煮沸すれば問題ない。
     ③フエ市では、一切の豚の解体と販売を禁止した。
       全ての市場での豚の販売も禁止。

     これらフエ市厚生部の措置を受けて、日本料理店では
    豚関連の料理を一切出さないようにして欲しい。
    豚などが入っているハンバーグなどは、豚肉以外の
    肉で代用するよう料理を工夫して欲しい。

    8月・9月で200人ほどの来客がある。最高時、50人ほど
    の来客となる。現在の厨房(3人)で対応できますか?
(ニー店長)大丈夫です。
(小山)料理を出す際は、お客さんの年齢なども考えて料理の
    量と内容を考えて作って欲しい。
(フエン)たくさん作ってしまった「うどん」を冷蔵庫に入れて
     翌日、お客さんに出したが、よいでしょうか?
(小山)うどんは一度作ったらおしまい。あまったうどんは、
    冷蔵庫に入れておき、翌日の私たちの夕食に
    焼きうどんなどにして出して欲しい。お客さんには
    残ったうどんは絶対に出さないようにして欲しい。
(税田)食材の仕入れはどうしているの?
(ニー店長)「子どもの家」にいる4人で相談して買い物に
      行っている。

(税田)厨房主任のトゥーイさんが仕入れ内容の素案を作り
    その後、みんなで協議するように。金銭の責任者は
    ニー店長。
(仁枝)厨房、接客とも髪の毛をしっかりと束ねておくこと。
    髪留めを使うように。髪の毛が食べ物に入らないよう
    細心の注意をして欲しい。
     刺身の買い方。
    ダナンの大きなスーパーで刺身を買った方が美味しいこと
    とブロックなので鮮度が保てると子どもたちは行っている。
(税田・小山・・・)毎月1回程度の刺身の買出しなら子どもたち
          5人でダナンへ買い物に行ったらどうか?
(ニー・子どもたち)私たち5人でダナンへ刺身を買いに行きたい。
           責任もって買いに行くことが出来る。
(小山)早速、明日の日曜日に遊びがてら、5人でダナンへ買い物
    に行って欲しい。
(仁枝)出勤簿をしっかりとつけるように
     豚肉の代わりのものを使っての料理を考える。

話し合いは、2時間に及ぶ。

午後5時半、夕食。

午後6時半、日本料理店開店。

今日は月2回の「精進料理」を食べる日。多くのフエ人は
精進料理を食べる。日本料理店の隣りの精進料理屋は、
夕方から常時満席・人待ち状態。今日はお客さんが
精進料理に流れる。

日本料理店では「忙中閑」。「チェー」(ベトナム風お汁粉)
を楽しむ。

午後8時過ぎ、5人の若者が来店。
日本人3人、ベトナム人1人、中国人1人。中国からやって来た
と言う。礼儀正しい若者だった。「ここの日本料理は美味しい」
と言って、天麩羅、カレーなどたくさん食べて頂いた。
私から「子どもの家」やストリートチルドレン、JASS、
この日本料理店の意味などを説明。

午後9時20分食事を終了。帰りに子どもたちと記念写真を
撮りたいとのこと。


午後9時半閉店。帰宅。
最近5日間ほどアルコールから遠ざかっている。今日も「飲まなかった」。

日本語教師のAさんが、体調を崩し入院。現地病院でも原因不明のた
め2日間の入院の後、明日、急遽日本へ帰国し、日本の病院で
精密検査をするようにした。
バオミンさんと帰国の手続き、航空券等の手配を行う。

東京の自宅から電話。6月日本帰国時に行った大腸がん検査の
結果を知らせてくる。疑義アリとのこと。出来るだけ早く再検査の
必要と医師に言われたと言う。と言われても、明日から
9月末まで200人もの訪問者がある。例年の体験では
ほとんど2ヶ月間、休みも取れないほど忙しい。これは、
10人のベトナム事務所員も同様である。しばらく様子を見ること
にする。家族には10月帰国時に精密検査をする旨伝える。

「松川事件」読了。今まで何冊か松川事件の本を
読んだが、本書は、今までとは違う視点からの論究があり、
面白い。また、人間の人生の浮沈の様子を見る。
福島地裁・仙台高裁で死刑判決が出た人たち。多くが当時の
日本共産党員。しかし、日本共産党自体はコミンフォルム批判
を受け入れるかどうかをめぐり、野坂参三など「所感派」と先日
亡くなった宮本顕治など「国際派」に分裂。共産党同士での
内部闘争が行われていた。松川事件の現地福島は、
共産党「国際派」グループに所属し、「所感派」グルーとの闘争
に入り、松川事件の被告共産党員を攻撃する場面なども
あったという。特に自白した8人の中の共産党員に対する
共産党内からの批判。宮本百合子などからの虚偽の「自白」
をした共産党員に対する批判と取られかねない評論なども
飛び出し、20人の被告たちは、孤立無援状態。


朝鮮戦争に重なり、米占領軍は共産党幹部の
追放、アカハタの発刊停止など事実上共産党禁止措置
を講じ、これに対して共産党の所感派は地下指導部を
作るにいたる。また、一部グループはスターリンや毛沢東の
指導もあり「武装闘争」路線を採るようになる。
米占領軍や吉田内閣は共産主義の暴力革命路線と非難し
共産党の一部は火炎瓶闘争・山村工作隊など武力革命路線
に進み、火炎瓶闘争などを繰り広げると言った状況。
松川事件の被告たちは、共産党の暴力革命路線の
実例としての「列車転覆事件の犯人」とのレッテルを
貼られてしまい、世間でもそれを追認する風潮だった。
世間からは列車転覆犯人。8人もの被告が「自白」している
のだから事実だ。支援の共産党などは分裂し仲間同士で
抗争中。無実の死刑判決を受けた人たちの気持ちを考えると
どんな気持ちで拘置所いたのだろうか?
それから14年間の闘いは死刑・死刑・差し戻し・無罪・最終無罪
と変転する。作家広津和郎、宇野浩二などの「部外者」の裁判
批判を通して、国民的な松川事件支援運動が始まる。
松川事件は私が2歳の時に起こり、高校1年生の時、最高裁で
全員無罪となり終了する。しかし、真犯人が見つからないまま
時効を迎え今日に至っている。無実の被告の人々のその後。
引き続き共産党福島県委員長になった人。共産党を離党した
人、精神に異常をきたした人など様々。
東芝の佐藤一さんなどは、東京から東芝松川工場労組を
指導に来たために首謀者に祭り上げられ死刑判決を受ける。
福島とは縁もゆかりもない佐藤一氏が
東芝労組の幹部として松川工場にオルグに来るという偶然が
彼の人生を一変させてしまい14年間も文字通り命がけの
闘いに入っていく。人間は「絶望的」な状態の中でも
こうして闘いうるものだ、と改めて松川事件の無実の罪を
着せられた人たちを見て思うのである。
松川事件の支援は、当時の自由党(現在の自民党)の
人たちまでもが支援闘争に入っていく。自分たちとは
政治的主義主張は全く反対だが、無実の人間を死刑に
することは間違っているという「人道主義」の立場から
自民党員の弁護士、社会党員の弁護士、議員などが
無実の共産党員の救援を行うのである。
日本人の真っ当な理性がまだ生き生きとしていた時代であった。

小泉首相の郵政民営化選挙の様子を見ると、人間を
人間とも見ない政治手法が横行している。意見が違えば
さっさと切り捨て、刺客を送り、刺殺してしまう。何か
殺伐とした時代になっている今日を実感する。
本書を読んで1950年代・60年代初頭の日本には
政治的には沸騰していたが、人間的には牧歌的な
時代の残滓があったように気がする。

投稿者 koyama : 20:30 | コメント (0)

2007年07月27日

フエ中央病院小児科医長懇談

昨日の火焔樹日記の中で4箇所、固有名詞を間違えてしまい
ました。関係者の皆様にお詫びし、謹んで訂正いたします。

① 滋子→慈子
② 岩波出版→岩波書店
③ 「戦争で死ぬこと」→「戦争で死ぬ、ということ」
④ 島崎氏→島本氏

「戦争で死ぬ、ということ」(著者:島本慈子 岩波書店)。
一読の価値のある本です。この火焔樹日記にも読書感想を
掲載しています。興味のある方は是非お読みください。
推薦いたします。戦争の本当の姿と実態・実相が分かります。
そのことが、今の危なっかしい日本の政治の一部の流れの
本質を如実に教えてくれます。

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晴天

36度。

午前3時に目が覚める。「松川事件」を読む。

午前7時、朝食。フォー。

2日間休み、元気が回復してきた。
昨日までは、物を書いたり、メールを読んだりする気力なく、
かなり無理をしてメール受信・送信などをしていた。
吐き気がひどく、食事はパンかおかゆだけで3日間ほど過ごした。
何とか今日から立ち直り、仕事を再開した。
海外で体調を崩すと日本のように簡単に食べ物が手に入る訳でも
なく、苦労するものだ。まだ多少、ふらつく。

午前9時、ベトナム事務所でフエ中央病院小児科医長のフオン先生
と1時間ほど懇談。9月12日~17日までフエで小児がんの
プロジェクトを行う「ACCL」(代表 渡辺和代)の日程や活動
内容の調整を行った。

午前10時半、フエ市立病院院長BUI先生とボランティア貯金支援
の障害児医療センター、「フエ市障害児父母の会」の件で
打ち合わせ。ボランティア貯金完了報告書、7月からの2007年度
ボランティア貯金交付金での新たな支援活動について協議。


午後12時過ぎ、部屋へ戻る。数日寝ていたこと、気温が36度
と暑いのに負け、頭がクラクラする。食欲なし。小さなパン2切れ、
牛乳(まだ飲める)を飲む。

1時間ほど昼寝。

「松川事件ー謎の累積」(日向康著:新風舎)の続きを読む。
面白い。松川駅近くで国鉄の列車が転覆させられ、20人の
国労組合員、東芝組合やこれらの労働組合の書記などが
逮捕される。14年間の闘いの後、全員が無罪になる。
ところがこれら20人の中の8人は列車転覆を「自白」して
しまう。著者は地裁ー高裁ー最高裁ー差し戻し審(高裁)
→最高裁の裁判記録をつぶさに調査し、当時の被告や
関係者に面接し、本書を書く。20人の冤罪犠牲者の
多くは日本共産党員であった。自白した8人が何故
やってもいない容疑を認め、殺人を『自白』してしまうのか?
著者は8人の「自白者」一人一人の家庭環境、当時の
置かれていた状況を追っている。警察・検察の『既に作られた
筋書き』通りに被疑者を誘導・脅迫しながらの「自白強制」
の過程を描いている。
長時間眠らせずに脅迫し、甘い声をかけてと精神的拷問を
加え、無実の人間を犯人に仕立て上げた検事、警察官
が後に検事総長、警察庁長官になっていく。恐ろしい権力者の
出世欲である。


午後4時、ベトナム事務所へ。51通のメール受信。全てに目を通す。
必要な返信メールを書く。

午後5時半。久しぶりの日本料理店で夕食。
副店長のリー君がいないのが寂しい。

昨日は16人の来店、一昨日は7人。

今日は1人。日本人、いつものお馴染みさんである。有難い。


午後9時半、部屋へ戻る。気温32度。湿度70%だ。
蒸し暑く、気分が悪くなるもの当然と納得する。

投稿者 koyama : 22:06 | コメント (0)

2007年07月26日

バオミンさんの誕生祝い: バオミンさん長男誕生

晴天 暑い

午前3時頃、目が覚め、本を読む。

午前7時、朝食。ブンボー。
ハンさんに買って来て貰った薬が効いたのか、吐き気がなくなった。
倦怠感と喉の痛みが残るが、1日休んだので大分楽になった。

午前7時40分、電動自転車でベトナム事務所へ。
JASSベトナム運営委員長のバオミンさん34回目の誕生日。

事務所員を代表してハンさんからお祝いの「ミートパイ」詰め合わせ
をプレゼント。


続いて記念の色紙を石塚先生から贈られる。






午後5時20分、バオミンさんの長男「QUY TUONG」(吉祥)君が
生まれた。心からお祝いを申し上げたい。

バオミンさんと長男は34年を経て、同じ日に生まれたことになり
一層お目出度い1日であった。お子さんが生まれると直ぐに
私に連絡をしてくれたバオミンさんとお母さんに感謝したい。
バオミンさんのお母さんが「小山先生に直ぐに連絡しなさい」と
言ったそうだ。真っ当な家庭である。
バオミンさん一家と共に吉祥君の誕生を祝う。
バオミンさんは第2代皇帝ミンマン帝直系の6代目の子孫。
初代皇帝ザーロン帝(ミンマン帝の父親)はグエン王朝が200年
続くと考え、皇統も20代の名前が全て決まっている。
6代目が「BAO MINH」(保明)、7代目が「QUY THONG」(吉祥)
既に150年ほど前から決まっている名前である。
QUY TUONG君が健康で様々な問題もあるベトナムで幸せな
人生を送ることを祈る。 3300グラムだとのこと。


午前10時、体調がいまいちなのでトンチンカンホテルへ帰り
休息。

昼食。パン、ヨーグルト、牛乳。牛乳の賞味期限を見ないで
買ってしまったが、5月だった。まあいいや。少し飲んで見るが
腐った匂いもしない。1パック飲む。

そのままベッドで休む。

昨夜半から今朝方にかけて
「恋文」(荒木とよひさ、俵万智著:中公文庫)を読了。
荒木とよひさは52歳。四季の歌、つぐない、時の流れに
身をまかせなどヒット曲多数。
俵万智。36歳。歌人。サラダ記念日でデビュー。最近、ラジオを
聴いていたら、俵万智は、新宿の飲み屋だかスタンドバー
だかのママになり、結婚をしないで子どもを産んだと話して
いた。父親の名前も明らかにしないとしている。
子どもが生まれて歌の内容が大きく変わったと言っていた。

さて、この「恋文」はこの二人が自分の実生活を通して
世間で言う、「不倫」というのか、「本気」というのか、恋仲に
陥る。それは、あるパーティーで二人は知り合い、その後
密会を重ねているという設定でのお互いの「恋文交換」
である。全編の恋文のやり取りを読んでいくうちに
本当の話なのかウソなのかが分からなくなってしまう。
事実は、虚構なのであるが・・・・・。
初めに荒木から俵への手紙。52歳の私、妻と子どもがいる
自分がいつ貴方(俵)と別れるようになるのか、不安だとの
手紙から始まる。
「--抱かれることは、美しいことーー」とさりげなく言った
君の言葉に嫉妬よりも深い悲しみが今僕を包んでいます。
あれから2年、僕の心の中に住みついた、別れの日という
不安に怯えています。もしそれが、君の言葉に隠されている
のなら、本当のことを言ってください・・・・・・・」。

この年の男女が出会い、愛し合ったらこんな手紙を書くなと
実感する。真実味がある。それは二人が本当に愛し合った
気持ちとその存在の中に自らを置いて、真実の気持ちを
恋文に書いたのではないかと思えるからである。
男女の愛情の機微(きび)が実にリアルに書かれている。
気持ちを抑えた大人の愛とでもいうんでしょうか?
虚構の恋文ではあるが、何か実感を伴った恋文となった。
興味のある方は一読する価値あり。今年の5月出版。

午後1時間ほど昼寝。

この間、50通ほどのメールが来ていたが、疲労困憊。
読めなかった。午後、全てのメールを読んで、必要な
返事を出す。

明日午前9時、フエ中央病院小児科医長と懇談する。
ACCLの9月フエ訪問の打ち合わせ。事前に打ち合わせ
事項をまとめる。

読書。「松川事件 謎の累積」(日向庚著:新風舎)
1000ページの大作。2005年版。古本屋で550円。
150ページほど読む。

松川事件を私が初めて知ったのは、1960年頃、私が6年生
の頃だった。
我が家の前の環7通りを数千人のデモ隊が行進していた。
旗やゼッケンに「松川事件勝利。全員無罪」などと書かれて
いたことを思い出す。数年後、最高裁で20人全員が無罪となる。

松川事件とは1949年、福島県の福島市の隣りにある松川で列車が
転覆し、機関士など3人が死亡し、国労や東芝などの地元の共産党員
などを中心に20人が逮捕され、第1審で全員有罪、5人が死刑。
第2審も有罪、最高裁が仙台高裁に差し戻し、14年をかけて全員が
無罪となった事件である。
当時、東京都下三鷹で「三鷹事件」、国鉄の下山総裁の轢死事件
である「下山事件」とあわせて、戦後の3大事件の一つといわれた。
20代の頃、松本清張の本で戦後のこの3大事件を読んだ。
犯人は日本共産党であるとの政府などからの情報が流された
冤罪事件でもあった。
松川事件が起こった翌日、当時の政府官房長官である
増田甲子七(元福島県知事)が、「この事件は三鷹事件などと
同様の思想的な底流がある」と記者発表している。
日本共産党の仕業だと言っているのである。
こうして、事件は初めから共産党の政府転覆の一環としての
列車転覆活動という基調が事件の翌日から出来上がり、
無実の国鉄や東芝の労働者など20人が死刑などの判決を
受けると言う、およそ民主主義とが相反する出来事であった。
事実調査も不十分なままに共産党員なら死刑にしてもよい
との風潮があったことも恐ろしいことである。人間を思想で
見ることはおよそ民主主義社会とは相容れないものであるが、
戦後の日本国憲法下でこうした事件が起こったことを、私たちは
忘れてはならないと思う。
松本清張は戦後の3大事件をアメリカのCIAなどが実行した
陰謀と見ている。イラクやアフガンで行っているCIAの活動の
本質は?・・・・・・。

本書の今後が楽しみ。


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「ゆるふん 無責任国家日本」

下村官房副長官が都内の演説で「やはり大敗ということになれば、
首相は責任を感じられると思う」として「安倍首相の退陣なくはない」
と語ったそうだ。しかし、その直ぐ後で事実上発言を取り消した
とのこと。
それなら、そうしたことを言うなといいたい。言うのなら、その舌の根
も乾かないうちに発言を取り消すなど、およそ言葉を持って生業とする
政治家にあるまじきがさつな行動を取るなと言いたい。
正直、今の選挙情勢の中でこの種の発言が何を意味するのかが
分かっていない人間である。この程度の人間が政府の高官に
なっているところに日本の悲しみがある。

朝青龍が腰が痛いと言って巡業をキャンセルし、モンゴルに
帰国し、サッカーをやっていたとのこと。
親方の元朝汐は、朝青龍がモンゴルに帰国したことすら知らなかった
という。国技などという前に多くのフアンがいる大相撲である。
これらのフアンに真っ当に応えられる姿勢を持って欲しいものである。
文字通り「ふんどし」が甘い、ゆるいのである。ゆるふん大相撲。
親方が弟子に舐められているのである。朝青龍が、言うことを
聞かないのなら、首にしてけじめをつける程度の根性を持って
いなければ、国技などといえない。

あっちもこっちも「ゆるふん」の美しい国家である。
泣いて馬しょくを切るという、けじめと規律を断固守るという
厳しさがなくなった我が日本である。
高砂親方は朝青龍を首にするくらいの厳しさを示すべきである。

安倍首相は、「私は参議院選挙の結果に左右されずに首相を
続ける」と断言しているのである。それに反対する人間は
断固として処断することが、「範を垂れる」ということである。

投稿者 koyama : 20:41 | コメント (0)

2007年07月25日

体調を崩し1日寝ている

晴天

気温36度。

体調が悪い。昨日からの喉痛、倦怠感、吐き気(多少緩和)。
考えてみたら今日まで5回の日曜日、連続の仕事が入っていた。
日本へ帰ってもなかなか完全に休む日がなかった。

午前7時、朝食。フォー。さっぱりしていた。頑張って全部食べる。
体力が薬よりも大事。

朝食後、そのまま部屋に戻り寝ていた。午前8時、停電。
エヤコンも電気も消えてしまう。気温36度、湿度60%(廊下)
の中で密封された部屋は熱暑状態。エヤコンを使う部屋は
停電には一番弱い。仕方がないのでそのままベッドに
横たわっている。汗が吹き出てくる。2時間、横になる。
昼食を買いに外に出る。パンとヨーグルト、牛乳を買う。
約30分の外出。午前10半部屋に戻る。横になる。

京都の豊田旅行の豊田さんが岩波ブックレットNO 702
「この時代に生きること、働くことー9・11犠牲者遺族と
ジャーナリストのメッセージ」(中村佑・島本慈子著:岩波書店)
を郵送してくれた。昨日ベトナム事務所に届く。

寝ながら読む。中村佑さんは、2001年9月11日のNYテロで
息子さん(当時30歳:西日本銀行派遣でNY勤務)をなくす。
2006年9月、大阪府豊中市の講演会の記録である。
中村さんは縫製工場の社長をしていた普通のおじさんである。
息子がNYのテロで亡くなり憔悴する。その後、ブッシュ大統領が
テロの復讐として、アフガニスタンにいる『犯人』のビン・ラディンを
捕まえるとしてアフガンを空爆する。その空爆で関係のない
庶民が殺されていくことに疑問を抱く。講演会の最後にアメリカの
アフガンやイラクへの空爆・侵攻は間違っている、憎しみと
テロを増幅させるだけと言い切る。そして、アフガンで活動している
中村哲氏の「弱い人間や他人に関心を持つ」という気持ちこそ
世界から戦争をなくす糸口になると締めくくっている。
中村佑氏の講演は、このブックレットの講演全文を読む価値の
あるものである。中村佑氏は特定の思想を持っている方ではない
ように見受けられた。息子をなくし、テロを一番忌み嫌っている
方である。そうした犠牲者の遺族がアメリカの報復爆撃、
イラク侵略に反対の声を上げている。一般庶民を殺し、
更なる憎悪を増幅させ、収拾不可能な世界を作り出すと
言っている。私たちは中村佑氏の意見に耳を傾ける必要
ありと感じた。

島本慈子さんは、「戦争で死ぬ、ということ」を書き、私も島本氏の
友人である豊田さんから本を贈ってもらい読んだ。
そこで「伏龍特攻隊」を知った。海岸の海にもぐり、
本土上陸する米軍を棒の先につけた爆弾諸共自爆する
特攻隊。
島本氏は、憲法9条を改悪することは、日本の軍産複合体を
作り、日本をアメリカと同じ軍需産業国家に変質させることに 
なると警告している。労働者の格差は賃金格差だけでなく
人権格差まで作り出している。これらの格差が日本の軍隊の
海外派兵を可能にすると断言している。下層階級に対して
『自衛軍』に入り海外に行けば、奨学金や大学進学が有利に
なるという条件がつく。これは既にアメリカで行われている。
徴兵制を無理に作らなくても、階層格差社会を創出し、
下層階級に対して上記の条件をつけることで、軍隊に入り
アメリカとともに(正確にはアメリカに代わって)海外で
空爆をし、地上戦を闘う日本軍を作ることになると警鐘を乱打
している。戦争の本質は人間をばらばらに砕く残虐性と
人間の復讐心の増幅だと言っている。
70ページほどの小冊子だが、内容豊かな本である。
2時間程で読了。

昼食はパンとヨーグルト、牛乳。

午後1時間ほど寝る。

夕方まで読書
「小三冶名席」読了。古本屋で400円で買った。
読んで楽しかった。私の最高の娯楽。
落語を文章で読んでもゲラゲラ笑ってしまった。

「野ざらし」。三遊亭円遊の野ざらしのテープをベトナムで
毎晩聴いていた。ほぼ円遊ベース。

「道具屋」
「居残り佐平次」。志ん朝のテープを何度も聴いたが
ほぼ同じ。

「金明竹」。これは前座噺だが、面白い。本を読んでも
つい笑ってしまう。また、かなり専門的な知識がある
人が作った噺でもある。
「寿限無」と同様「同じ言葉」を繰り返すところに可笑しさ
が出るのだが、その同じ言葉は、書画骨董の世界に相当
造詣の深い人でないとその意味が分からない。
寄席では前座が簡単に話すが内容は以下のことが
理解できないとこの噺の面白さも理解出来ない。

「・・・中橋の加賀屋佐吉方から参じましてん。先渡仲買の
弥市が取り次ぎました道具七品のこってござります。
佑乗・宗乗・光乗三作の三所物、備前長船のじゅう則光、
横谷宗眠四分一ごしらえ小柄付きの脇差、この脇差な
柄前が鉄刀木(たがやさん)や言うておりましたが、
あれ埋れ木やさかい、木ィが違っております。
ちょっとお断り申し上げます。自在は黄檗山金明竹、寸胴
(ずんど)の花活(はないけ)には、遠州宗甫の銘がござりま。
織部の香合、のんこの茶碗、「古池や蛙飛び込む水の音」
いいます、風羅坊正筆の掛物、沢庵・木庵・隠元禅師
張交ぜ(はりまぜ)の小屏風、この屏風な、わいの旦那の
旦那寺が兵庫におまして、兵庫の坊さんえろう好みます屏風
によって、兵庫へやって、兵庫の坊主の屏風にいたしますと、
かよう言付けおまんねんけど」。

・佑乗、宗乗、光乗三作の三所物(みところもん)。江戸時代の
刀装。後藤佑乗・・。目貫、笄(こうがい)、小柄(こづか)の三種を
同一人物に作らせることが流行った。
・備前長船。岡山県の地方名。刀鍛冶で有名。
・横谷宗眠。江戸時代の彫金師
・鉄刀木(たがやさん)。黒と赤の模様がある木。銘木。
・埋もれ木。宮城県の広瀬川で取れる炭化した木。
・織部の香合(こうごう)。安土桃山次第の茶人。古田織部の
 作った香を楽しむ容器。
・風羅坊正筆(ふうらぼうしょうひつ)。松尾芭蕉が本当に書いた
・沢庵、木庵、隠元禅師張り交ぜの小屏風。禅宗のお坊さんが
 書いた書画を貼った屏風。
 
「天災」
「千両みかん」
「粗忽長屋」
「死神」

午後7時から「恋文」(荒木とよひさ、俵万智著:中公文庫)
を読む。

投稿者 koyama : 19:32 | コメント (0)

2007年07月24日

体調を崩す

晴天

気温37度。

昨夜午前1時半に目が覚め、朝まで眠れなかった。

午前7時、朝食。ブンボー。

讃岐造船の皆さんを案内した5日間、メールを読んだり
送信したりする時間がなかった。
朝食後、昨日の日記を書き、5日間のメールを受信し
全てを読む。必要ないくつかのメールについて返信。

午前9時半、徒歩ベトナム事務所へ。
バオミンさん、税田さんと今後の様々な問題について
当面の対応策を相談する。

昼食、ほか弁。何となく食欲がなく、3分の1程しか食べられ
なかった。

体がだるい。昼寝をするが、気分が悪く、吐き気を模様する。
昼食のほか弁の何かに中った(あたった)のか?

午後3時過ぎ、ベトナム事務所へ。
日本料理店問題について、ホンニー店長、トゥーイ厨房主任と
相談する。

①日本料理店厨房のターオ君が1日も出勤しないので、
  今後は厨房要員とは数えないことにし、新たに2人の厨房スタッフを
  採用するとことにする。
  8月・9月に日本料理店で食事をする予定人数は200人ほど。
  多い日は50人ほどの食事予定が入っている。現在、厨房は
  3人の子どもたちでこなしている。その中のチュンさんは、採用して
  まだ間がない。事実上2人半と言ったところ。新たに「子どもの家」
  の子どもたちを2人採用することにし、採用候補者を店長、
  厨房主任と相談する。

②副店長のリー君が、22日(日)の午後11時半に「子どもの家」の
 ホンニー店長の部屋にやって来て「俺は、ダックラック省へ行く。
 日本人に、偉い人間になると伝えて欲しい」と言って去って行った
 そうだ。ダックラック省はベトナム南部の山岳地帯。コーヒー農園や
 ゴム農園がある。
  今日、ホンニーさんのチャットにリー君から連絡が入り
 「俺の未来には大きな成功が待っている」という趣旨の言葉が
 入っていたそうだ。
  リー副店長がダックラック省に行ってしまった。その対応を相談する。
 皆さんの意見は、コーヒー農園かゴム農園
 の労働者として「口入れ屋」の甘い口車に乗り、ダックラックへ
 行ったのではないかとの推測。ダックラックの農園で働き高給が
 もらえるとの言葉に騙されて行ってしまったと思われる。
  これも「拝金体質」「金金金」の今のベトナムを象徴しているよう
 である。日本料理店での給料では、テレビや町に溢れる最新の
 機器や衣類など欲しいものが手に入らないと思う若者が増えている。
 特に「子どもの家」の子どもたちはこうした「拝金主義」に影響され
 易い。リー君からの連絡を待つしかない状況である。
  甘いことばほと危険なものはないのだが・・・・。
 「親の心、子知らず」というのは、こういうことである。
  これはリー君だけでなく、私たちの回りにも何人もこの種の 
 人間を見る今日この頃である。リー君が早く拝金主義から
 目を覚まして、帰ってきて欲しい。

 午後4時。体調が悪い。喉が痛く、だるい。吐き気がする。
 典型的な風邪症状。日本の風邪薬がないので、ハンさんに
 ベトナムの薬局で風邪薬を買ってきてもらい、午後4時半に
 自室に帰る。
  日本料理店で子どもたちと一緒の夕食は食べられない。
 日本料理店の厨房主任のトゥーイさんに頼んで『米』『ねぎ』
 『たまご』をもらう。部屋でおかゆを作り夕食とする。

幸い熱はなく、頭痛もない。だるく、吐き気、喉痛。

読書「小三治名席」を読む。
上席の取り 「芝浜」。三遊亭円朝の三題噺。芝の浜、
財布、酔っ払いという題を客席からもらい、即席で作った
噺といわれている。
私は先代(三代目)桂三木助のテープを何度も聴いた。
丁度私が最初に赴任した小学校に隣接して三代目
桂三木助が住んでいたこともあり、三木助の「芝浜」は
暗記するほど聞いている。
柳家小三冶の「芝浜」は三木助の芝浜とはまくらや導入
噺の展開などが大分違う。どちらが良いかどうかは
分からないが、三木助の芝浜は無駄な言葉がない噺の
ように思えた。また、昔、やくざだったという三木助は
酔っ払って仕事をしない盤台の魚屋の口調が良く出ている
ように思える。大晦日の雰囲気も三木助の噺の方が
雰囲気が出ているようである。

中席

「時そば」。
「転宅」。

午後5時から部屋で寝ている。

あと5日間で参議院選挙の投票日となる。
以下、誰から言われたことでもない。自らの思いを
書いただけである。

私が今回の参議院選挙に期待する最大の課題は
「政治の流れを変える」というキーワードに尽きる。
一人一人の国民の力で政治の流れを変えることが
出来るという経験を今回の選挙でしたいものである。
政治の流れが多少変わってもあまり意味はないという
人もいるかも知れない。しかし、政治の流れを変える経験
を国民がすることを通して、政治が自分の未来につながるものだ
ということを国民が体験することが一番大事なことだと思っている。
政治は変えることは出来ない、と諦めている多くの若者の皆さんに
訴えたい。今回の参議院選挙は「政治の流れを変える」最大の
チャンスだ。

格差がこんなに大きくなった社会はやはりおかしい。
競争をする中で伸びていくと言うが、競争する以前に既に勝敗が
決まっている社会でもある。お祖父さんと叔父さんが首相で
父親が外相の安倍首相、お祖父さんが農林大臣だった
赤城農相、お祖父さんが首相だった麻生氏が本当に
ゼロからの競争をして来たのだろうか?
東京都庁の第2庁舎の下で寝ていた70人程の60歳代の
おやじたち。能力がなく、怠慢でホームレスになったのだろうか?
何か、今の政治は生まれながらに上流社会に生まれ生きて来た
人間が行っている「アワのような」政治に思えてならない。
真面目に40年も働いてきて突然「リストラ」され、路上生活を
せざるを得ない人間の気持ちに少しでも共感を持てる与党の政治家
がどれだけいるのだろうか?
この数年で人知れず家で「餓死」する人が数百人に達したと言う。
何か政治が狂っていると思わざるを得ない。

本間税調会長の辞任、佐田行革大臣の辞任、、松岡農相の自殺、
赤城農相の事務所問題、その後の麻生氏の「アルツハイマーの
人でも分かる・・・・」発言、山本拓農水副大臣の「松岡農水大臣の
事務所費は芸者の花代だ」との本当か冗談かは分からない発言。
それを奥さんの高市内閣府特命担当相が「謝罪する」本末転倒
の政治。1から10まで狂っている。あれだけ北朝鮮拉致問題を
主張していた安倍首相が今回の参議院選挙では拉致問題には
一切触れていない。前進が全くないからだ。結局、安倍首相に
取っての拉致問題は、自分の人気取りの手段だったのだ。
自民党の東京選挙区に「タレント候補」として出た
元アナウンサー女史。
選挙に立候補していながら、自分自身は今まで投票行為をしてこな
かった。今回も東京での選挙権がなく自らに投票することが出来ない
という間抜けぶり。いかにも付け焼刃の感あり。

やはり今の与党の政治は真っ当ではない。加藤紘一元自民党
幹事長が今の政治を私と同じ視点で批判している。
私の批判は、自民党の本来の主流派の主張でもあるのだ。

小泉前首相・安倍首相から自民党は真っ当ではなくなってしまった。

「福祉と平和」の党と言いながら増税とニセ「100年安心年金」
など福祉を大幅に切り捨て、平和の党などと言いながら、
イラク・アフガンでの戦争を遂行した連立与党に天誅を加えるチャンス
である。
20代、30代の若者の皆さんに訴えたい。今回の参議院選挙に
参加し、政治の大きな流れを変える事業に参加しようではないかと。

などと力を入れて書いているうちに、段々と体力を消耗してきた。
以上、何とかの「冷や水」として聞いて頂きたい。

投稿者 koyama : 19:03 | コメント (0)

2007年07月23日

讃岐造船の皆さん 帰国の途に

晴天

気温38度。猛暑。

午前9時、讃岐造船の皆さん3人、バオミンさん、私で
王宮参観。ホア副知事の指示で遺跡保存センタースタッフが
特別案内。

午門から入り、午門の2階に上る。

遺跡保存センタースタッフがベトナム語で解説し、バオミンさんが
日本語に翻訳する。午門の参観を終え、大和殿へ。
大和殿は、グエン王朝皇帝が来客などと謁見する場所である。

●大和殿前にて

●大和殿内部を参観
 皇帝の黄金の玉座などのレプリカがある。フランス植民地
 時代に黄金の玉座など大半の宝石類はフランスにもち
 去られたとのこと。

皇帝の図書館だった所が現在は皇帝の日常の愛用品
などを陳列館を参観。
習字の道具・金銀の装飾品、象牙製品・・・・・・。

最後に歴代の皇帝の位牌陳列所へ。
公式には13人の皇帝がいたことになっているが、
位牌は10個。2人の皇帝は就任1日など皇帝としての
存在事実が希薄なため、位牌もない。13代皇帝の
バオダイ帝はグエン王朝を廃止したラストエンペラー。
フランスに亡命し、10年前に90歳代で亡くなる。
ベトナム政府はバオダイ帝の位牌設置を認めていない。
そんな事情で10人の皇帝の位牌が陳列されている。



午前10時半、王宮参観を終え、ドンバ市場へ。
ベトナムのタバコを買ったり、場内を視察。

午後12時過ぎ、昼食。チャオバンカン。
フエの煮込みうどん。

午後12時半。ホテルに戻り、休息。

午後2時半、ホテルをチェックアウトし、ダナン空港へ。
私、バオミンさんが同行。

途中、ランコービーチで海産物を食べて暫時休憩。

ムール貝、海老、かに、魚などランコー海岸で獲れた
新鮮な魚介類が生きたまま売られていた。


午後6時過ぎ、ダナン空港へ到着。
讃岐造船・中小企業支援センター関係の3人はダナン空港から
ホーチミンへ。午後11時半頃の飛行機で関空へと帰国した。

3人の無事な帰国をお祈りする。

5日間、讃岐造船副社長・中小企業支援センター理事長さん
親子の皆さんとお付き合いした。楽しい5日間だった。
何よりも3人の方々が真面目で仕事熱心なことに頭が
下がった。海外ボランティアについての理解も深く、
出来る範囲での支援を行ってくれた。そして今後も
そうした活動を続けていくとの姿勢だった。
こうして香川県にも私たちと協力する人々を見つけることが
出来た。どこにもで「心のある人たち」はいるものである。

投稿者 koyama : 10:06 | コメント (0)

2007年07月22日

讃岐造船「子どもの家」・フールー小学校訪問

晴天

気温38度。真夏

午前7時起床。さすがに疲れがたまり朝起きられない。
午前8時半、トンチンカンホテルを出て讃岐造船の皆さんが
泊まっているフォンザンホテルへ。ホテルの回りは警察官が
たくさん警戒していた。前首相のボーバンキエット氏が宿泊
しているとのこと。

午前9時、フォンザンホテルを出て、縫製研修工場、オートバイ
研修センター・工場、アクセサリー研修センターを視察。
続いて「子どもの家」へ。

「子どもの家」では、日曜日にも拘わらずセン運営委員長など
が出迎え。

「子どもの家」の歓迎会。

初めにセン運営委員長の歓迎の挨拶。

子どもたちの歓迎の踊り

讃岐造船は、9月1日から始まる新学年にあわせて子どもたちが
着る通学服を全員に寄贈してくれた。子どもたちはオーダーメイド
で作られた制服を小西副社長より頂く。

全員で記念写真を撮る


子どもたちと交流後、私が「子どもの家」の各施設を案内。

午後12時。フォーサイゴンへ行き昼食。

午後3時。船上生活者支援のため、一隻の家庭を訪問する。

父親(59歳)、母親(57歳)
子どもは5人。

34歳、32歳の子どもが舟を出て生活。
現在は、21歳と19歳の娘さんが舟で魚を獲る仕事を
手伝っている。13歳の男子はフールー小学校へ通学。
13歳の男子以外の兄弟は全員小学校1年か2年で
退学している。
父と娘など家族で魚を獲って1日100円程度の収入。
月収3000円程度。特に10月からの雨季は魚が獲れず
生活が大変だとのこと。家族代々船上生活をしているという。


狭い舟で家族が寝起きをして生活している。
フエには小型ホリエモン・村上などが贅沢極まりない生活を
している反面、こうした月収3000円程度の生活に
甘んじている人々がいることを私たちはしっかりと知る必要が
あると改めて感じた。
ベトナムは貧しい国ではない。「貧しい人々がいる国」
なのである。
ホーチミン市やハノイ市では「株式投資」が大流行。
大学生も株式投資に狂奔している。フエでも同じような
若者が増大している。お金が全て、金儲けのためなら
人間関係は切り捨てるという情けない金権主義者が
発生している。

ハノイの共産党幹部など金持ちは1ヶ月300ドル~1000ドル
もする「インターナショナルスクール」に子弟を通わせている。
(船上生活者の月収が3000円という社会で・・・・・)
子どもたちは「王子様」「お姫様」状態。買いたいものやりたい
ことは何でも出来る。お手伝いさん、家庭教師・・・・・。
そうした環境の中で子どもたちは、自分というものを形成する
ことが出来ず、無気力化、無能力化してくという。不登校、
引きこもり現象は既にベトナムでも(フエでさえも)起こっている。
金満体質がその最大の原因である。

その足でフールー小学校へ。フールー小学校は60%
程の子どもたちが船上生活者の師弟。
今日はその中でも生活が最も困難な子どもたち50人に
9月から始まる新年度に使う「通学カバン」「ノート」
「筆記用具」をプレゼントする。

校庭に集まった子どもたち

讃岐造船の学用品贈呈式の看板

讃岐造船 小西副社長挨拶
「新学期、しっかりと勉強して、立派な人間になってください」。

カバンなど贈呈

カバン・学用品をもらい喜ぶ子どもたち

贈呈式には地元のテレビ局も取材に来ていた。

午後6時から副知事主催の送別懇談会が行われる。
フエ伝統宮廷料理と伝統音楽を聴きながら夕食。

王宮料理・音楽のガイド。フエ大学時代の私の教え子。
フエ省外務副局長をしているのだが、アルバイトに王宮料理ガイドを
している。副局長の名が泣くというものである。
フエ省外務局副局長がガイドのアルバイトをしているのでは、
示しがつかない。月給が安いわけでもない。もっとお金が欲しいのか?

帰国晩餐会には、ホア副知事も参加。親交をあたため、再会を
誓い合った。


明日は、王宮を見学し、車でランコー経由ダナンヘ。
ダナンからホーチミン経由関空。

投稿者 koyama : 07:51 | コメント (0)

2007年07月21日

フエ造船所視察

晴天

気温38度。

トンチンカンホテルに隣接した隣りのホテルの
大型バスが客待ちでアイドリング中。大量の排気ガスが
長時間放出される。
私たち日本人スタッフの部屋をもろに襲う。人間が真っ当に
住める部屋ではない。

午前7時。朝食。ブンボー。

午前8時過ぎ、バオミンさんのオートバイでフォンザンホテルへ。
讃岐造船の皆さんを案内してフエ造船所を視察。

造船所労働者の歓迎を受ける。

造船所幹部の皆さんと技術交流。

昼食は造船所側の招待で海産物を食べる。

そのまま、午後4時半までフエ造船所を視察し、労働者と懇談。
役員の皆さんとフエの造船事情について詳細を聞き取る。

午後6時。フエ市共産党委員長ズン氏、外務部長ニエン氏と
懇親夕食会。讃岐造船関係者3人、JASSからは私、バオミンさん
税田さん、サンさんが参加。

初めに日本料理店の趣旨を紹介。その後、6人の子どもたち
一人一人を紹介する。

1時間半の懇親交流。お互いの親交を深める。


日本料理店は今日1日で21人の来客あり。
ターオ君が全く店に顔を出さなくなった。
厨房は3人で料理を作っている。今日のように21人もの
来客があると到底手が足りない。仁枝さんが、全面協力
してくれているので何とか持っているが・・・・・・。
厨房の人数を早急に増やす必要がある。


ベトナムはアジアカップ一色に染まっている。
連日、全ての試合を完全中継。町中の人々がテレビにかじりついて
ベトナムを応援している。
午後6時半から日本対オーストラリア戦終了。
午後8時頃、PK合戦で危うく日本の勝利。
FIFA世界ランキングでは、オーストラリアが43位、日本は46位。

午後8時半から、イラクとベトナム戦。イラクが2対0で勝利。
イラクは世界ランキング78位。ベトナムは140位。

7月15日、フエに戻り8日目。さすがに相当の疲労状態。
部屋に戻り休むが体中がだるい。
明日の日曜日は「子どもの家」や船上生活者支援。
明後日はダナンまで見送り。


投稿者 koyama : 10:04 | コメント (0)

2007年07月20日

讃岐造船所関係者案内

晴天

気温38度 

外を歩くと顔が熱射でヒリヒリする。

午前9時。讃岐造船副社長一行3人を案内してベトナム事務所へ。
ベトナム事務所員全員(ソン君は子どもたちに日本語を教えていた)
と挨拶。

ベトナム事務所員一人一人の自己紹介。
讃岐造船関係者の自己紹介。お互いを理解しあう。
今後の支援・協力を誓う。JASSへの支援は佐文讃岐造船社長
の指示でもある。


ベトナム事務所3階の刺繍みやげ物店で買い物。

刺繍みやげ物店の皆さんは、刺繍製品作りに励んでいたい。

午前10時半。トゥアティエンフエ省人民委員会を表敬訪問。
ホア副知事、チェン労働局長などと懇談。
今年の3月、ホア副知事、チェン労働局長などが讃岐造船を
訪問した答礼。

讃岐造船小西副社長とホア副知事。バオミンさんの通訳。

日本側参加者:小山挨拶

税田さん挨拶

今後の協力・共同を話し合う。
ベトナム側はフエの地理・投資環境などの説明を行う。

最後にお互い、お土産の交換。

その後、昼食会。シーフード料理店。
かに、えび、鯛の刺身などを堪能。

午後2時半。造船関係視察を視察。研修センター、現場・・・。

午後6時半。フォンザンホテル「ホアマイ」レストラン
特別室でホア副知事主催の歓迎晩餐会。

副知事・労働局長・造船関係会社関係者などが参加。
日本側は讃岐造船関係者、私、バオミンさん・・・。

夕食会は午後9時近くまで続く。痛飲。


投稿者 koyama : 08:06 | コメント (0)

2007年07月19日

讃岐造船関係者出迎え

晴天 真夏

気温36度。

午前7時。朝食。ブンボー。

午前8時、徒歩ベトナム事務所へ。

日本へコンピューターの研修に行く予定の「子どもの家」に
VU君と友人の二人と懇談。

二人ともホーチミン市のコンピューター会社に就職し、
その会社の日本の本社に研修に行くことになった。
当面、8月末にホーチミン市の会社に行き、研修。
健康診断・訪日手続きを行う。
JASSの支援で日本へ行くこと。研修が終わってフエに
戻って来たら貧しい子どもたちなどへの支援の気持ちを
もって活動することなどを話す。

昼食。ほか弁。70円。

読書「小三冶名席」(柳家小三冶 講談社)
1970年代の高座を文字に起こしたもの。
定席の寄席のように10日毎に上席・中席・下席と
各5席、合計15席の話が載っている。

今日は「高砂や」「錦の袈裟」「船徳」ろくっろ首」。
錦の袈裟は小三冶のCDをフエで聴いている。
船徳は、桂文楽を下敷きとしている。

1時間ほど、昼寝。1日中、体がだるい。この間の疲れが
溜まった感じ。

午後3時。フォンザンホテルグループの社長と1時間ほど
懇談。

午後7時半、トンチンカンホテルを出て、フエ空港へ。
讃岐造船関係者3人を出迎え。今日はホア副知事・
バオミンさん・私などが、飛行場内の飛行機まで行き
「特別の出迎え」をする。
飛行機が1時間遅れホア副知事と飛行場で待つ。

ホーチミン市からの飛行機がフエ空港に着いたのは
午後8時40分。

ホア副知事と車で飛行機の下まで出迎えに行く。



そのまま車でフォンザンホテルへ。


フォンザンホテルで遅い夕食。讃岐造船関係者、
バオミンさん、私など7人で会食。
5日間のフエ滞在日程の確認などを行う。

帰宅午後11時15分。

村上ファンドの村上被告に判決。懲役2年の実刑判決。
追徴金11億円。
村上被告の「お金儲けをして何故悪い」との言葉が、
私の耳に残っている。違法行為でなければ悪いことではないが、
「お金儲け」だけが人生の目的・目標に成り下がっている
情けない人間とは思われるだろうなと思う。ホリエモンも同様。
お金儲けは悪くないが、儲かったお金を何に使うのか?
人間の志があまりに低い。せっかくこの世に生まれてきたのである。
「金儲けをして何が悪い」などど開き直るその人間性が、自らの
人間を低めている品性のない人間だということを理解していない
無知な人間と見た。どこの大学を出ようが、人間性と学歴は
関係ない。品性と志の低さを恥ずかしげもなく露呈している
浅ましい人間に判決。
ベトナムでも小型「ホリエモン」「小型村上」が私の身の回りにも
出没している。この種の人間の共通しているのは、お金だけに
目が行ってしまい、『自分が見えなく』なることである。
多くの人への感謝の気持ちもなにもなくなってしまい、
「お金儲けをしたのは、私の能力があったからだ」と開き直る
浅ましさ。どこへ行ってもお金は人間を狂わせる。
中国でもベトナムでも大型・小型のホリエモン・村上が
跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)している。

投稿者 koyama : 19:19 | コメント (0)

2007年07月18日

ボランティア研修生と懇談

晴天 真夏      

午前5時起床。血圧・体重測定。
午前7時、朝食。フォー。

フエに戻って4日目。やっと落ち付いてきた。

午前8時過ぎ、徒歩でベトナム事務所へ。
東京のK大学生のOさんと2時間半懇談。
大学の海外研修プログラムに基づき、1ヶ月間
ベトナム事務所・「子どもの家」・日本語学校などで
研修を行う。
午前8時半から午前11時半までボランティアのこと、
NGO、子どもたちのこと、日本の教育のことなどを
話し合う。

今後、研修終了後、Oさんへの評価を書いて大学へ送ることに
なる。

昼食。次男から送られた稲庭うどんをゆでて冷たくして食べる。
1時間ほど昼寝。

読書「仕事と人生 城山三郎」(角川書店)読了。

今年3月に亡くなった城山三郎の最後の本。5月に出版された。
三部構成となっている。第1部は、城山三郎のエッセー集。
「残された歳月」では、体力が衰えてきて残りの持ち時間、
何をするのかを記している。「考えてから」ではなく
「やってみた上で考えよう」とのスタイルである。
これは、文章は手と足で書くという「行動・実践」を大事にする
作家であることが分かる。
「甘粕大尉」を理想の男性と言っている。私など大杉栄、伊藤野枝
とその子どもを関東大震災の混乱に乗じて虐殺した人間、
傀儡満州国を裏で操った人間というイメージが強いが、
城山三郎など昭和2年頃生まれ、敗戦時17歳の人たちには
そんな風に映っていたのかと改めて世代と歴史体験の違いを
感じた。
城山三郎が亡くなる間際まで戦争に反対していた理由は、
海軍特別幹部練習生を志願し、湘南海岸で「伏龍特攻隊」
として、人間爆弾となり、湘南海岸の海に潜り、棒の先に
爆弾をつけて米軍の上陸用舟艇に体当たりするという特攻要員。
そんな経験から、戦争には絶対反対、憲法9条だけが
戦争で得たものだと言っている。

第2部は佐高信との対談。
戦争を鼓舞した音楽を多数作った古関裕而を批判している。
軍艦マーチ、予科練の歌、加藤隼戦闘隊の歌をなどを作り
戦争を鼓舞した古関が、戦後、何ら反省をしないままに
時流に乗って「長崎の鐘」などを作曲していることなどを批判。

第3部の各界の人からの追悼の言葉の中で孫の
井上裕子さんが、「硬派で、正義感が強く、愛情豊かで
優しい、いつも少年の心を持ち続け、いたずら好きなところ
もある祖父」と言っている。城山三郎の実像が見えるようだ。

本書を読んで私の生き方の何らかの指針になったことは
明らかである。

午後5時半、日本料理店で皆さんと夕食。魚のフライ。

午後6時半、日本料理店開店。
リー副店長がいなくなった。夕食前まではいたのだが・・・。

午後7時、日本人ご夫妻来店。
午後8時、オーストラリア人2人来店。
4人の来店。

午後9時、閉店。日本人スタッフで新しく入れた生ビールの
試飲会を行う。工場で作ったフダ生ビールの味が変わったことを
確認。午後10時、帰宅。

宮本顕治が亡くなった。団塊の世代にとっては、好き嫌いは
別として、傑出した人物であったことは事実である。98歳。
長州出身の岸信介と宮本顕治は、左右の両翼だった。
宮本百合子との「12年の手紙」を学生の頃読んだ記憶がある。
現在の日本共産党の基本路線(第8回党大会路線ー
アメリカ帝国主義と日本独占資本との闘い)を作った
中心人物でもあった。「余人に代え難い人」だったそうだ。

投稿者 koyama : 19:09 | コメント (0)

2007年07月17日

セン「子どもの家」委員長打ち合わせ  日本料理店全員会議

晴天

気温36度。 湿度60%。

午前6時起床。熟睡。ベトナムに帰ったら本当に良く眠れる
ようになった。

午前7時、朝食。フンボー。1ヶ月ぶりにブンボーを食べる。
しばらく食べていないせいか、唐辛子が辛く感じた。

午前8時、ベトナム事務所へ。バオミンさんと一緒に
「子どもの家」へ。セン運営委員長とAさんとB君の
件で話し合う。
Aさんの件。
母親がサラ金地獄にはまり借金返済でにっちもさっちも
行かず、「子どもの家」にいる17歳の娘に仕事をさせ、
下手をしたら売春すらさせかねない危険を感じ、
日本料理店で仕事をさせている。
今日、サラ金地獄問題を解決しようとセン委員長と
詳細な話し合いをした。
更に詳しい事実が分かってきた。
母親の言った話は全て嘘と言うことが判明した。
私とバオミンさんの前で涙を流して「サラ金」への
利子返還で生活が出来なくなったので娘を
働きに出すと言っていたのだが・・・・・。
セン委員長・バオミンさんと善後策を考える。

これが海外支援の実態である。外から深入りしない
範囲で付き合うのが一番楽な付き合い方である。
私たちはあまりに海外支援の実態に深入りしてしまった。
「支援は利権」と言っても多くの海外ボランティアの
皆さんには理解してもらえない。支援される人々は
私たちが想像している以上にしたたかである。
この14年間、何度「騙された」か分からない。
騙される度に一つ学びと今日まで至っている。
本当の海外支援は本人の自立への強い意識を喚起する
ことである。

B君問題。「子どもの家」を退所し仕事をしているが、
仕事にもいかないで、近くのインターネットカフェに
入り浸っている。時々夜中の2時頃、「子どもの家」に
侵入し、他の男子を追い出して寝ていると言う。
先日、夜中に侵入したので警察を呼ぶ。
寮母さんや関係者の意見はなめた態度で聞こうとしない。
仕事もしないでインターネットカフェやレストランなどに
ともだちを連れて行き、ご馳走しているという。
どこからお金がでているのか? など諸情勢を相談したい。
当面、状況を見ようということになったが、このような態度で
生きていくことはB君自身にとっても最悪である。どこかで
覚醒するよう、手を打つ必要があることで意見の一致を見た。