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2007年07月04日
健康診断
終日 雨。
午前8時。00中央病院へ。板橋区主催の『高齢者』無料
健康診断へ。
体重等測定。医師の診察。採血、レントゲン、心電図。
一般的な健康診断に加え、肝炎検査、大腸がん検査を
行う。半日。
結果が分かるのは、7月14日。7月14日は朝から
茨城の火炎樹の会講演会へ行き、そのまま茨城に
泊まり、翌朝、成田からベトナムへ帰り、検診結果を
聞くことが出来ない。
00造船の社長など一行4人のフエ訪問の飛行機の切符、
ホテル、車、フエでの活動日程などをピースインツアー、
JASSベトナムと協力して確定した。
しかし、昨日、急に社長が参加できなくなり、飛行機m
ホテル、日程など全てゼロからやり直すことになった。
午後は半日かけて00造船のフエ訪問日程、飛行機の切符、
ホテルなどの予約を全てしなおす。
午後5時過ぎ、自宅を出て高田の馬場へ。
ピースボート事務所へ。前回のピースボートで講演会を
行ったがその際の関係者などと懇談。
毎回のピースボートの先遣隊(本隊より早く現地に来て
ホテルや交流等の準備をする)をしているLEOさんや
昨年11月にピースボートに乗った際の私の担当者だったAさん
などと交流。
その後、LEOさんやピースボートの役員の方と
ピースボート事務所の近くで交流。
ピースボートの大きな意義、ピースボートに参加している
関係者の生い立ちなどを話し合う。
帰宅午後10時半。
「指揮官たちの特攻ー幸福ははなびらのごとく」(城山三郎著:
新潮社)
2007年3月22日亡くなった城山三郎の著作。
敗戦直前の特攻作戦を行った指揮官の生き方を
ノンフィクションで書いている。現場へ行き、関係者に
話を聞いている。
城山三郎は昭和2年(1927年)生まれ。敗戦時17歳。
徴兵猶予のある理科系に進学が決まっていたが、
海軍特別幹部練習生に志願、入隊する。
最初の特攻隊である敷島隊を指揮した関行男海軍大尉。
最後の特攻隊指揮官中津留達雄海軍大尉を描いている。
会社で言えば中間管理職。現場の指揮官である。
二人とも23歳で特攻してなくなっている。
特攻隊の隊員が「天皇や国家のために死んで行った形」に
なっているが、その実態は特攻というやり方に
本質的に疑問を持ちながら特攻隊員として玉砕しているという
事実を足で書いている。これら中間指揮官がいかに公正で
自分を捨てて、正しい道を歩もうとしてるかも分かる。
わが子が肺炎に罹り、航空隊には特効薬があるのでもって
くれば治るといわれた「指揮官」が、私事のために公の薬を
使えないと「わが子」を殺している。
口と体裁だけの安部首相や久間防衛大臣などの行動を
見ていると、品格の違いを感じる。
城山三郎は反体制の作家ではないが、反体制作家の
過激な筆致よりも一層淡々と書かれた本書は本当に
反戦を訴えているように思えた。
引き続き城山三郎の本を読もうと思う。
本日の二次会。(一人自宅で)
久保田万寿。その後、大七酒造生翫(きもと)梅酒
を冷やして飲む。美味しい。飲む価値あり。
大七酒造は福島県二本松。
投稿者 koyama : 2007年07月04日 14:05