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2007年07月22日
讃岐造船「子どもの家」・フールー小学校訪問
晴天
気温38度。真夏
午前7時起床。さすがに疲れがたまり朝起きられない。
午前8時半、トンチンカンホテルを出て讃岐造船の皆さんが
泊まっているフォンザンホテルへ。ホテルの回りは警察官が
たくさん警戒していた。前首相のボーバンキエット氏が宿泊
しているとのこと。
午前9時、フォンザンホテルを出て、縫製研修工場、オートバイ
研修センター・工場、アクセサリー研修センターを視察。
続いて「子どもの家」へ。
「子どもの家」では、日曜日にも拘わらずセン運営委員長など
が出迎え。
「子どもの家」の歓迎会。
初めにセン運営委員長の歓迎の挨拶。
子どもたちの歓迎の踊り
讃岐造船は、9月1日から始まる新学年にあわせて子どもたちが
着る通学服を全員に寄贈してくれた。子どもたちはオーダーメイド
で作られた制服を小西副社長より頂く。
全員で記念写真を撮る
子どもたちと交流後、私が「子どもの家」の各施設を案内。
午後12時。フォーサイゴンへ行き昼食。
午後3時。船上生活者支援のため、一隻の家庭を訪問する。
父親(59歳)、母親(57歳)
子どもは5人。
34歳、32歳の子どもが舟を出て生活。
現在は、21歳と19歳の娘さんが舟で魚を獲る仕事を
手伝っている。13歳の男子はフールー小学校へ通学。
13歳の男子以外の兄弟は全員小学校1年か2年で
退学している。
父と娘など家族で魚を獲って1日100円程度の収入。
月収3000円程度。特に10月からの雨季は魚が獲れず
生活が大変だとのこと。家族代々船上生活をしているという。
狭い舟で家族が寝起きをして生活している。
フエには小型ホリエモン・村上などが贅沢極まりない生活を
している反面、こうした月収3000円程度の生活に
甘んじている人々がいることを私たちはしっかりと知る必要が
あると改めて感じた。
ベトナムは貧しい国ではない。「貧しい人々がいる国」
なのである。
ホーチミン市やハノイ市では「株式投資」が大流行。
大学生も株式投資に狂奔している。フエでも同じような
若者が増大している。お金が全て、金儲けのためなら
人間関係は切り捨てるという情けない金権主義者が
発生している。
ハノイの共産党幹部など金持ちは1ヶ月300ドル~1000ドル
もする「インターナショナルスクール」に子弟を通わせている。
(船上生活者の月収が3000円という社会で・・・・・)
子どもたちは「王子様」「お姫様」状態。買いたいものやりたい
ことは何でも出来る。お手伝いさん、家庭教師・・・・・。
そうした環境の中で子どもたちは、自分というものを形成する
ことが出来ず、無気力化、無能力化してくという。不登校、
引きこもり現象は既にベトナムでも(フエでさえも)起こっている。
金満体質がその最大の原因である。
その足でフールー小学校へ。フールー小学校は60%
程の子どもたちが船上生活者の師弟。
今日はその中でも生活が最も困難な子どもたち50人に
9月から始まる新年度に使う「通学カバン」「ノート」
「筆記用具」をプレゼントする。
校庭に集まった子どもたち
讃岐造船の学用品贈呈式の看板
讃岐造船 小西副社長挨拶
「新学期、しっかりと勉強して、立派な人間になってください」。
カバンなど贈呈
カバン・学用品をもらい喜ぶ子どもたち
贈呈式には地元のテレビ局も取材に来ていた。
午後6時から副知事主催の送別懇談会が行われる。
フエ伝統宮廷料理と伝統音楽を聴きながら夕食。
王宮料理・音楽のガイド。フエ大学時代の私の教え子。
フエ省外務副局長をしているのだが、アルバイトに王宮料理ガイドを
している。副局長の名が泣くというものである。
フエ省外務局副局長がガイドのアルバイトをしているのでは、
示しがつかない。月給が安いわけでもない。もっとお金が欲しいのか?
帰国晩餐会には、ホア副知事も参加。親交をあたため、再会を
誓い合った。
明日は、王宮を見学し、車でランコー経由ダナンヘ。
ダナンからホーチミン経由関空。
投稿者 koyama : 2007年07月22日 07:51