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2007年07月07日
友人と懇談
曇り
26通のメール受信。午前中はメールを読み16通の
返事を出す。
午後3時、東京駅で友人と会い世間話。
東京駅地下に京都伏見の酒造会社「玉の光」が開いている
「玉の光酒蔵」に行く。
みぞれ酒(吟醸酒)という変わったお酒を飲む。
コップに注ぐとお酒が「みぞれ」状態になる。美味。
みぞれ酒を飲みながら政治などの問題をじっくりと話し合う。
70年前の7月7日、1937年7月7日、日中戦争勃発の
「盧溝橋事件」があり、満州傀儡国家を作ったのに続き、
アジア太平洋戦争へと突入して記念の日。
「落日 燃ゆ」(城山三郎著:新潮社)読了。
本を読んで初めて「落日 燃ゆ」の『落日』の意味が分かった。
落日とは、満州侵略、そして70年前の今日7月7日の
盧溝橋事件を切っ掛けに日本という国が「落日」していった
経過。広田弘毅という石屋の息子であり当時の外相、首相
の戦争を「避ける」ための空しい努力と戦争への突入、
そして敗戦という日本国が『落日』し『燃えて」しまった経過
そのものを「落日」「燃ゆ」と城山は怒りを込めて命名したの
ではないかと推測した。
本書には戦争とは突然起こるものではなく、その過程で
何度も「戦争を回避する」機会がありながら、とうとう回避できず
に戦争へ至るということが書かれている。
戦争は政治の延長である、とドイツの軍学者クラウゼピッツは
言っているが、本書は正に日本が戦争へ突入する過程を
広田弘毅と言う人物を通して描いている。本書では
広田は外務大臣、首相としして、日中戦争を地域内に限定し
英米戦争に発展させないよう「体制側」にいながら努力した
と描かれている。当時の体制側の主力は、皇族や財界、
明治維新の元勲と姻戚をもつ人々で固められていた。
広田と同期の吉田茂も明治の元勲大久保利通の次男である
牧野伸顕の長女と結婚している。
広田は福岡の石屋の息子として生まれ庶民の「背広」が似合う
人間でありたいと願っていた。外相・首相をとして『軍部』の
横暴を何とかなだめ、戦争を不拡大とする努力をするが、
結果的に戦争遂行に手を貸し、戦後の極東軍事裁判
でA級戦犯と認定され絞首刑となる。裁判中、広田は
一切の弁明をしなかった。
南京虐殺の際には、外務大臣としてして杉山陸相に
抗議、現地中国の参事官に現地の調査を命じている。
軍事を握った人間の恐ろしさ。軍事・軍部の力というものは
いつも独り立ちしたがる。日本の「防衛大臣」の原爆しょうがない
発言。その後を次いだ女性防衛大臣は認証式の1日で3回の
お色直しをしたという。こんなおそまつな連中に
軍事を握られていることの恐ろしさを広田と言う文官を通して
考えさせられた。
投稿者 koyama : 2007年07月07日 08:39