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2007年07月11日

法政大学野々垣先生・学生さんとの懇談

雨・曇り

32通のメール受信。20通のメール送信。
ほぼ1日中、メールでいくつかの仕事の段取りをする。

「対談集 気骨について」(城山三郎著:新潮社)読了

以前、城山三郎が中曽根元首相に「20年後の総理になる
資格は?」と聞いたそうだ。「責任感が強い。やる気がある。
ギラギラしていない」と答え、「大局をつかむ力」そして
「懐が深い」をあげたそうだ。今から20数年前の話である。
中曽根氏の言葉を安部首相に当てはめてみた。どうみても
宰相のための最小の資質もないように思われてならない。

辺見じゅん(作家・角川書店創業者の子息)との対談。
特攻基地 宇佐航空隊基地の近く筑紫亭という料亭が
あるそうだ。特攻隊員が出撃する前夜、ここで最後の晩餐を
したとのこと。この料亭の敷居や鴨居などに刀傷がたくさん
ついているとのこと。理不尽な特攻への怒りで鴨居や柱を
刀で切りまくったそうだ。
「こんな元気なのにあと1日の命だなんて」
そんな割り切れるものじゃないからね、と城山は言う。
辺見じゅんは「特攻を考えた奴は、修羅だ、特攻を命じた奴も
修羅だ、よおし、、それなら俺達が本当に修羅になってやる」と
筑紫亭に書かれているといい、「特攻を考えた人は死んでいな
いんです。特攻を命じた人も、安全なところにいるんです」と
言っている。城山は特攻隊を丹念に調べている。15、6歳で
特攻隊で死んでいる。城山は海軍特別幹部練習生となる。
日本初の特攻と敗戦後の最後の特攻が城山と同期の17歳。
城山は、喜んで特攻に行ってはいない。特攻という馬鹿な
戦法を考えた東条英機な当時の指導者層を厳しく批判している。

伊集院静(白血病で亡くなった夏目雅子の夫)との対談
製紙王の藤原銀次郎が小泉信三に『直ぐ役立つ人材を
大学で育て江欲しい』と言って自分で作った藤原工業大学を
慶応大学に寄付しようとしたそうだ。
小泉信三は「大学がそういう教育方針をとったら、国家の将来を
担うような大きな才能は生まれない」と反論したそうだ。
文部省や教育委員会の行っている今の教育がどんな人材を育て
るのか、小泉信三のことばは示唆に富む。

作家吉村昭と「酒の飲み方の流儀」にも薀蓄がある。

午後5時、自宅を出て、飯田橋へ。
法政大学野々垣ゼミの学生さんたちと合流。
近くの沖縄料理へ。
野々垣先生は法政大学で教育などを教えている。
70歳になるという。70歳で20歳の学生と一緒に
行動をし話し合いしている。魅力ある人格者とみた。
頭が柔軟。
ひょんなきっかけで知り合い、昨年、野々垣先生のクラスで
ベトナム関係の授業をした。昨年、9月、野々垣先生と
クラスの学生さんが、「子どもの家」を訪ねてきた。
「子どもの家」交流や山岳少数民族交流などを体験。
まだ2年生。やっと選挙権がある学生さんとまだない学生さん
もいる。若いが3人ともしっかりとして意見と見識をもっていた。
今時の若者はと現実の若者を見ないでお説教を垂れる大人も
多いが、私が知っている多くの若者は、今の社会と未来を
真剣に考えている人が多い。こうした若者を見ていると
日本の未来を託くせるかなと思える。

午後10時過ぎまで交流。


投稿者 koyama : 2007年07月11日 11:20

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